もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたらat SENGOKU
もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら - 暇つぶし2ch2:人間七七四年
12/02/11 19:08:12.62 9qgbkYpT.net
2世紀半ぐらいの間、平和を享受出来ると思う。

3:人間七七四年
12/02/11 20:16:04.79 QZSdHsh2.net
水戸の副将軍がドラマになったりするんじゃないかな

4:人間七七四年
12/02/11 22:26:17.45 opr/q3xk.net
>>1
あの布陣で東軍が勝つわけないだろ
IFスレにしたってもうちょっとありえそうなのにしろよ

5:人間七七四年
12/02/12 00:29:25.19 PD9sXphh.net
>>4
確かに。
午前中こそ互角に戦ってたものの午後になって毛利一族軍が山を下りて参戦したらとたんに劣勢になって包囲撃滅されてるもんな。
家康本陣前での毛利宰相秀元と本多忠勝の一騎打ちは本戦後半の名場面だよな。




6:人間七七四年
12/02/12 00:44:03.04 PD9sXphh.net
毛利一族は総大将の輝元はorzだったけど他の一族が優秀だったから救われたよね。
関ヶ原で陣頭指揮を執った秀元の采配は見事だったし、個人の武勲としては本多忠勝を討ち取ってる。
吉川広家の二股膏薬ぶりは実に秀逸。
ギリギリまで東軍の味方をして毛利一族を封じ込めてるフリをしながら、実は戦力の温存を図っていたという。
「調略、隆景の子かと覚えたり」
とまで評されたのも頷ける。
そして忘れちゃいけないのが大津城攻略部隊の小早川秀包。
大津城で立花宗茂と本丸一番乗りを争ったのみならず、関ヶ原に到着後小早川本家の陣に乗り込んで家康の目付を殺すシーンが痛快だ。




7:人間七七四年
12/02/12 13:11:56.29 vOTDad3G.net
そもそも、東軍が勝っただろ。
スレタイ間違えてる?


8: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
12/02/12 17:30:02.08 BBQEpp4C.net
>>7
ネタをネタと見抜けない人は来ないで下さいw

9:人間七七四年
12/02/12 23:18:46.07 BVKe08cj.net
あんまり1人で決める奴は嫌われるぞってばっちゃが

10:人間七七四年
12/02/12 23:49:16.87 pq+B23B0.net
>>5
おいおい
1日で決着するわけないだろ

11:人間七七四年
12/02/12 23:55:52.31 PD9sXphh.net
>>10
ああそうだった。
説明不足スマソ
関ヶ原での戦いは一日でカタがついたけど(包囲撃滅されたのは徳川家の旗本二世部隊)、その後に大垣城攻防戦があったんだっけ。



12:人間七七四年
12/02/13 00:53:11.06 34E76YcI.net
立花宗茂があまり活躍できなかったのが残念だよな
長政を討ち取ったくらい

13:人間七七四年
12/02/13 01:19:50.73 DjG67zKU.net
>>12
死ぬまで残念がってたらしいね。
「討ったが官兵衛の親父様なら三国一の大手柄なものを、甲州殿では並の手柄」
って。

だが一騎打ちのシーンはこれまた迫力がある。

14:人間七七四年
12/02/13 01:49:18.29 DjG67zKU.net
>>5
あれは戦う前の約束が実際に守られたという点で美しい。
勝った方は相手の息子を万石に取り立てるという約束をして、秀元は実際それを守ったからね。
戦後三河に隠れていた忠勝の子を探し出して本多平八郎元忠と名乗らせ三万石をもらえるように世話してやってる。
おまけに蜻蛉切と三国黒まで返してもらって、本多家としては言うことはなかったろう。
忠勝が勝っていても同じようになったとは思うが。


>>10
>>5>>11に補足させてもらうと、9月15日午後になって大津城攻略部隊が関ヶ原に到着→毛利一族軍下山して参戦→家康本陣総崩れ→小早川軍下山し西軍参戦
→東軍総崩れ→家康敗走→追撃戦→大垣籠城→家康脱出→家康濃尾国境で捕まる→西軍凱旋
な。
家康が捕まるまで大体三月かかってる。

15:人間七七四年
12/02/13 02:56:56.13 DjG67zKU.net
スマソ。
手元の資料が関ヶ原関係のものしかないんでその後のif展開が想像できん。
実家に帰れば慶長後期から18世紀の資料までいろいろあるんだが。

史実では家康は捕まった後高野山に送られて軟禁生活、徳川家は大減封だったが…やっぱ逆になるのかね。



16:人間七七四年
12/02/13 06:08:16.81 YCEAq60G.net
家康が天下とって秀吉が禁止したキリスト教解禁したり、朝鮮との国交回復させたり、遠くの国
とも貿易を盛んにおこなったりするんじゃないかな?
まあ治世が長く続けば彼の子孫が貿易制限したりしそうだけど。

17:人間七七四年
12/02/13 07:20:48.14 7D/4IX9d.net
秀忠の到着を待たずに決戦に踏み切るとは
普段慎重な家康らしからぬ判断だった。

18:人間七七四年
12/02/13 11:10:39.17 DjG67zKU.net
>>16
あのアホの秀忠ならやりかねん。
史実ではインド洋艦隊司令官として活躍した松平忠輝とかも飼い殺しにされそうだし。
豊臣家から引き継いだ名将たちも次々潰したんじゃないだろうか。
下手したらイスパニアに侵略されてるよ。

>>17
まあ、決戦の時点で秀忠はもう着きたくても着けないわけだが…。
そういや昨日の大河は秀忠が中山道で死ぬ回だったよな。
上田城を無視して行ったはいいが大雨と山道で立ち往生してるところを真田一族軍に後ろから襲われて川に落ちてあぼーん。
「未来永劫嘲りを受けようぞ」って確かに21世紀になっても笑われてるわ。

19:人間七七四年
12/02/13 20:44:00.07 34E76YcI.net
なにいってんだこいつ

20:人間七七四年
12/02/13 23:07:49.74 votZlT3q.net
>>1
懐かしいなー。乙

もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら
URLリンク(yomi.mobi)



21:人間七七四年
12/02/13 23:24:38.15 DjG67zKU.net
>>20
よかったらもまいも参加すれ

22:人間七七四年
12/02/14 00:50:46.06 MTMrGIVA.net
普通に江戸が日本の首都になってたんじゃまいか?


23:人間七七四年
12/02/14 00:53:15.19 7DNWAYB/.net
>>22
江戸が首都とかwwwwww
あんな辺境、誰が行くんだよwwwwww

24:人間七七四年
12/02/14 01:03:55.33 MTMrGIVA.net
>>23
可能性として言っては見たがやっぱりありえねーよなwwwwww
吉幾三とかいうおっさんが歌ってたけど田んぼと畑しかないド田舎だし。
新幹線通ったのも80年代の終わりになってからだしなー。



25:人間七七四年
12/02/14 01:40:56.04 MTMrGIVA.net
>>19
きっと『その時歴史が動いた』見て来たにわかだよ。
関ヶ原の名場面を語りたくて仕方がないんだからそっとしといてやれよ。



26:人間七七四年
12/02/14 06:06:52.11 9tJYx1zI.net
京都以外が首都になるわけねーじゃん
江戸とか土人だらけだぞ

27:人間七七四年
12/02/14 15:14:19.89 YViABQPb.net
首都は大坂だろうが

28:人間七七四年
12/02/15 00:15:10.39 vj7+n3Da.net
>>17
あの時家康は御所柿だか鯛の天ぷらだかにあたって正常な判断力を失ってたという説がある。
他にも家康は既に死んでいて、関ヶ原の時は影武者が軍勢を指揮していたとか。

>>26
>>27
だよなwwwwwww
首都は大坂、最大の貿易港は神戸。これはもう小学生でも知ってる常識だよな。
江戸といえば、こないだやっと政令指定都市に昇格したばかりの田舎。



29:人間七七四年
12/02/15 02:30:31.65 ZmCXXX8w.net
>>1
多分一昨年の台湾問題では漁船を撃沈せずに船長を逮捕してしかも圧力に負けて 釈放とかしてそう

樺太や済州島でも相手にもっと付け込まれていたかも

30:人間七七四年
12/02/15 03:07:58.56 vj7+n3Da.net
>>29
ありえる。
外交に消極的な徳川家が長く統治してたら、日本の外交力はものすごく立ち遅れることになっただろうね。

下手したら樺太だけじゃなくて千島本島もロシアに奪われてたかもしれないぞ。
関ヶ原の論功行賞、あのとき三成が上杉家を札幌神指150万石に加増して蝦夷の守りにつけて内地化に成功してたから、さすがのスターリンも第二次大戦後千島本島を異民族の島と言い張ることはできなかった。

徳川家なら蝦夷ヶ島のままで放置して19世紀末にやっと函館に城を作るぐらいだろう。
上杉鷹山の時代にアラスカ探検隊を陸路で派遣するなんて壮挙はとてもできなかったに違いない。




31:人間七七四年
12/02/15 03:26:31.05 vj7+n3Da.net
江戸と言えば、秀忠の息子の長丸がトルコ人の格闘士をたくさん呼び寄せて御前試合をして楽しんだ経緯から今でもトルコ人が多いよね。
江戸名物の相撲はこのトルコ人の伝えたレスリングが改良されたものだってのは知ってたけど、トルコ人は19世紀にみんな帰国してしまったと思ってたからカルチャーショックだったよ。





32:人間七七四年
12/02/15 09:54:15.85 bD3VpBDw.net
>>22
長渕の名曲とんぼが死にたいくらい憧れた華の都大東京って歌詞になんのかよ


33:人間七七四年
12/02/15 20:35:20.76 ZjzR2yfX.net
九州から江戸に喜んで移住するってたとえIFでも想像つかんわw

34:人間七七四年
12/02/15 23:52:55.76 vj7+n3Da.net
>>33
俺もだよw
江戸よか仙台とかのほうがまだマシwwwwww
仙台はラテン文化が花開いてるからなwwww

35:人間七七四年
12/02/16 01:19:47.46 fmJ/8FWL.net
>>16
キリスト教解禁するかな?
家康は三河の一向一揆で手を焼いた経験があるからキリスト教は秀吉以上に弾圧するんじゃないかと。
家康が容認する気でも本多正信あたりが阻止するでしょ。
後継者の秀忠もその側近もキリスト教を容認するとは考えにくい。
過激な拷問とかやって宣教師や信者を殺しまくるんじゃないかと。

むしろ東軍が勝ってたら、キリスト教と結びつくのは豊臣家だと思う。
戦死する可能性もあるから微妙だけど、小西行長のルートでイエズス会と結びついて徳川に対抗したと思う。
秀頼に子供が多ければ、その中の一人をキリシタンに託して指導者にさせるぐらいのことはしたんじゃないかな。
住民全員キリシタンの天草とかに隠したらいくら伊賀者が優秀でもまず見つからないだろうし。

あと、キリシタンと結びつきそうなのは伊達政宗だね。

36:人間七七四年
12/02/16 01:50:09.73 fmJ/8FWL.net
>>2
それはないと思うぞ…。
家康が生きている間はともかく、死んだらまず兄弟間で内紛になる。
家康が関ヶ原時点で60歳。
秀吉が死んだのが62歳だからもう何時死んでもおかしくない。
おそらく65歳ぐらいで死ぬだろう。

家康の死後は秀忠と秀康・忠輝あたりが跡目を争って、徳川家をガタガタにしてしまうと思う。
政宗あたりはそうなるように仕向けるだろうし。

徳川家が将軍なり関白になるとしても、その支配力は限られたものになって合戦が絶えないだろうね。
つまり戦国の再来。


37:人間七七四年
12/02/16 01:52:12.18 fmJ/8FWL.net
>>12
そういやほかに討死した大名っていたっけ

38: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
12/02/16 02:58:25.29 DCBIAP4H.net
山内一豊の死に様はワロタ
日和見したあげく東軍を裏切ったのに毛利の猛攻の前に一撃で粉砕されてて
死の間際に「お味方でござる!お味方でござる!」て連呼してたらしいなww

39:人間七七四年
12/02/16 03:41:42.71 fmJ/8FWL.net
>>38
秀次事件で無傷で助かったもんだから三成にとっちめられてキツイ目にあわされた毛利一族からのウケが最悪だったもんな。



40:人間七七四年
12/02/17 22:17:27.83 7q6mMYFi.net
>>38
大河ドラマ『一字三星 毛利三代』でそれ見たわ。
清水宗治の息子の景治が首を取ってた。
景治役は植村喜八郎だった。

この時中村一忠と有馬則頼も死んでる。


41:人間七七四年
12/02/18 00:23:48.03 8Bu5AZcx.net
>>38
脇坂安治も結構(;´∀`)・・・いたいなぁ・・・だぞ。
戦場ではうまいこと小早川中納言(豊臣秀詮)について東軍に襲いかかったものの、このとき平野長泰を討ち取ってしまったのがまずかった。
戦後平野家の元家臣から東軍に内応の約束をする文書を送っていたことを告発されて改易の上切腹。

同じ小早川与力の諸勢でも小川祐忠は歴戦の古豪に相応しく敢闘して伊予十二万石、朝倉旧臣の出世頭赤座直保は大谷吉継の後を受けて越前敦賀五万石に出世してるのに。




42:人間七七四年
12/02/18 01:01:22.42 8Bu5AZcx.net
ところで賤ヶ岳七本槍の末路って、

福島正則…捕縛され八丈島に流罪
加藤清正…肥後で侵攻してきた二宮就辰率いる毛利軍と戦う、息子が西軍についていたので本領安堵
加藤嘉明…本戦で島左近に討ち取られる
脇坂安治…戦後裏切りがばれて改易切腹
片桐且元…開戦前に暗殺
糟屋武則…最初から西軍、戦後十二万石に加増
平野長泰…本戦で脇坂安治隊に攻められ討死

これでOk?
結構悲惨だね。

43:人間七七四年
12/02/18 20:59:27.44 drdKS2ot.net
福島は江戸春の陣に泳いで参戦しようとして流された挙げ句オランダ船に拾われて世界一周したらしいね

44:人間七七四年
12/02/18 23:55:49.81 8Bu5AZcx.net
>>43
崩壊寸前の明国に渡って各地で大暴れしたという説もある。
この時のエピソードが清代以降に改訂された西遊記にかなり取り入れられているらしい。
福島は秀吉の身内すなわち猿の一族というのが明国では広く知られていて、それで孫悟空と同一視・習合されたようだ。
向こうに渡った福島は斉天大聖の化身として、行くだけで悪党が逃げ出したり降伏してきたらしい。



45:人間七七四年
12/02/19 20:09:08.93 k68dHOh7.net
何言ってんだお前
講談はよそでやれ

福島はヨーロッパでレスラーになったんだよ
必殺技は桶屋バスター

46:人間七七四年
12/02/19 22:09:50.44 kj0/x6Y6.net
>>45
棺桶デスマッチを考案したとも言うな。

47:人間七七四年
12/02/19 22:46:37.75 kj0/x6Y6.net
福島レスラー説をちょっと調べてみた。
福島レスラー説はヨーロッパ特に中欧・北欧では広く信じられている。
ドイツ・オランダには直接の子孫を称するボッチャー(桶屋)家、カイパー家(同左)が実在。
世界ふしぎ発見で紹介されて家系図も出てきたけど、日本側に残ってるのと


48:大体一致する。 素手で熊を退治したとか大蛇を締め殺したとかいう武勇伝も伝わっている。 スカンジナビアの方にも子孫を自称する家系がいくつもある。 彼らは共通して「ザンギ」「サンギ」という姓を名乗っているそうだ。 ロシア帝国時代にフィンランド大公の随員としてサンクトペテルブルクに行ってそのまま永住した子孫もいると聞く。 その後ロシア風にザンギエフと名乗るようになったらしい。 寛政年間の日露戦争でロシア側の陸軍司令官の一人として戦ったザンギエフ准将はこの四代後の子孫だという。 関白秀詮は福島の行方を相当気にかけていて、大々的な福島狩りを実行したけど見つからなかったとか、バチカン大使になった織田重治(三吉信秀の息子)が探索を命じられたことも日記に残されてるな。



49:人間七七四年
12/02/20 01:34:13.09 56N3sO47.net
>>44-47
まあまあ三人とも。明国説もレスラー説もどちらも有名な説だからな。
一番史実性が高いとされているのは脱出を図って(あるいは一緒に流されていた息子の正勝と甥の正之を脱出させるため囮となって)番兵に射殺されたというものだが。
春の陣の会戦直前、伊豆に二千石をもらっていた桜井佐吉が「勤め方がよくない」として改易になっている。
桜井が脱出を手引きし、失敗した可能性は高い。

>>45
桶屋バスターってのはBASARAの正則の技じゃねーか。
相手を逆さまに抱え上げた状態で、頭部から地面へ叩き付ける技だわな。
ブレーンバスターの原型だ。
ステージ3の賤ヶ嶽の合戦で中ボスの山路将監を刀も槍も使わず組打ちで倒すと以降使用可能になる。
ただしこの場合日本号を入手できなくなるので後々不利になるんだが…。



50:人間七七四年
12/02/20 05:08:33.35 0pdlvgxK.net
関ヶ原前日までに大津城攻めの決着がついたのが良かったな
宗茂なしじゃ流石に負けるだろ

51:人間七七四年
12/02/21 01:17:11.92 IE1pHD9h.net
>>49
歴史小説家とかにはその解釈で書いてる人が多いね。
大河ドラマ『一字三星 毛利三代』もそれっぽい。
大津城落城の回で城を落とした後兵を休ませるよう主張する毛利元康を説得して関ヶ原に急進させるシーンがあるほか、島津義弘に馬上から参戦を呼び掛けて戦闘に参加させる役回りも宗茂に振られてる。
極めつけが津川雅彦の家康が戦意喪失して撤退を決意するのは宗茂の旗印が見えた直後。

52:人間七七四年
12/02/24 04:45:38.25 llrzVMOY.net
織田一門も何気に働いてるぞ。
大谷隊で奮戦した信吉と長次の兄弟はもちろん、信高と信貞の二人も攪乱工作や織田系の大小名の切り崩しに大いに活躍してる。


53:人間七七四年
12/02/24 04:59:10.06 llrzVMOY.net
>>48
それ桶屋バスターじゃねーから。
BASARA全キャラでクリアしてから来い。

>>49
あれは運の要素もあるけどな。
美濃へ向かう徳川方の荷駄隊が道に迷って立ち往生していたのを見つけて積み荷のカルバリン砲を分捕ったのも大きいぞ。
で、その大砲をバンバン撃ち込んで城壁と言わず天守と言わずボコボコにしたから陥落が早かった。

宗茂は戦後筑後柳川45万石に加増だっけ?
大津城と本戦との活躍からするともっともらっても良さそうな気がするんだけど警戒されたかな?
小早川秀包が秀詮の持ってた小早川本家の名跡込みで筑前名島54万石、これもちょっと少ない気がする。

>>50
たわけうつけまぬけのフルコンボもこの直後だな。言われてたの誰だっけ。



54:人間七七四年
12/02/24 05:07:14.87 llrzVMOY.net
忘れてた。
無双の新作では福島の八丈島脱出もプレイすることができるらしい。
「八丈島より泳いで参った!」のセリフもばっちり収録で。
島から脱出して江戸にたどり着くまでにいろんな妖怪や悪党やイギリス人や豊臣大名と戦うんだが、何よりも強敵なのは海ステージでの潮の流れという。
ボタン連打が少しでも弱いと流されて>>44>>45が言ってるみたいなバッドエンドになる。



55:人間七七四年
12/02/24 21:02:15.19 iBfuRwyQ.net
大阪城攻城戦が見たかったよな
あんな巨大な城は落とせるのだろうか

56:人間七七四年
12/03/03 16:08:54.21 Mgjnjk8L.net
>>54
無理。
家康は城攻めが絶望的に下手。

57:人間七七四年
12/03/04 01:07:14.96 XXfISQ9S.net
マッカーサーも落とせなかった城だからな

58:人間七七四年
12/03/04 01:19:51.19 QrW8OKx/.net
>>56
明治時代の陸大での机上演習で祖父アーサー・マッカーサー将軍、攻略に失敗。
昭和17年サンフランシスコ条約締結(別名・日米軍事同盟、日米安保条約)の際に現地で行われた机上演習で孫のダグラス・マッカーサー元帥、攻略に失敗。
ダグラスの息子のアーサー・マッカーサー4世は大坂城の天守に登ったけど、それはミュージシャンとして来日してだから攻略はできてない。
今度孫のマッカーサー6世が来日して机上演習に挑戦するらしい。
本当に懲りない奴らだな。



59:人間七七四年
12/03/04 01:46:55.81 UR/H1r29.net
しかし家康って、関ヶ原から敗走する途中でも糞を漏らした事で、
「内大臣 東と西で 糞漏らし」
とか散々な言われようなんだよな。

普通敗者ってもう少し美化されるものなのに、
ここまで滑稽な逸話を後世に残した人も珍しいよな

60:人間七七四年
12/03/04 02:50:23.72 QrW8OKx/.net
>>53
つ【連射パッド】
128連射に設定すれば楽勝。

それより四面の真田信繁がどうしても倒せないんだが。
超必殺技の『真田日の本一の兵ぞ』食らうと一撃で体力全部持ってかれるし真田強すぎじゃね?

>>58
正露丸のCMに津川雅彦の家康出てたよな。
あとTOTOとかニッケンのレンタルトイレのCMとか。
糞をするところばかりCMにされている。


61:人間七七四年
12/03/06 01:47:33.90 ttFEIXF/.net
>>58
そりゃそうだ。
250万石の大封を預けた秀吉の信頼を裏切った最悪の裏切り者ってことで豊臣時代、家康の事跡は徹底的に破壊されたし演劇で家康を主人公にすることも禁止だった。
情けない姿で描くことは黙認、むしろ奨励されてたから情けない姿ばかり残ってる。
家康がボコボコにされるということで三方ヶ原の合戦は為政者側にも好まれて、『豊鏡』とか公式の歴史書でも度々大きく取り上げられてるし。
豊臣びいきの公家衆もあることないこと日記に書きまくったしね。

滑稽な姿ばかり残ってるのは当然の結果。





62:人間七七四年
12/03/07 23:38:36.90 Wc6mNpzP.net
史実の話ばっかしてないで、たまには東軍勝利後の妄想でもしようぜ。

家康って岡崎出身なんだから、秀吉に押し付けられた江戸なんか放棄して岡崎に帰還して
岡崎幕府を始めたりするんだろ。

63:人間七七四年
12/03/08 01:16:38.54 L5g2XUG8.net
>61
いや岡崎から駿河に拠点を移していたから駿府幕府になるんじゃね?


64:人間七七四年
12/03/08 03:45:31.53 SF15aq7t.net
意外と伏見城に入って室町16代将軍を継いだりして。

65:人間七七四年
12/03/09 04:11:18.77 GesA7+c1.net
>>61
ありえるぞ。
三河は足利庶流の筆頭・吉良氏の領地だったところ。
「御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」って歌もあるし、吉良氏から継室をもらって室町幕府の継承を宣言するかも知れん。
こうなると信康が死んでるのが痛いね。
信康は今川の血を引いてるから、信康の正室に吉良氏の娘をもらえば不動の後継者ができる。
岡崎幕府の二代目は確実だっただろうなあ。

66:人間七七四年
12/03/10 02:48:34.48 KXA7/oGh.net
>>61
家康は強欲だから西軍についた大名をことごとく改易すると思われ。
そしてそれを自家の領地に加えて諸大名に吝嗇と言われる

67:人間七七四年
12/03/10 13:49:52.59 evLXeU2V.net
>>65
そんな事したらどの大名も徳川家への反旗を翻して徳川家あぼーんだな……ありえんだろ

68:人間七七四年
12/03/19 15:44:07.86 xrhd4C8A.net
大東亜戦争末期の伊勢湾上陸作戦でマッカーサー率いる連合軍100万が半月かかっても落とせなかった大坂城
後方撹乱により兵站を断たれた連合軍は脱走が相次ぎ崩壊していく
味方の巻き添えを恐れて空爆も出来ずそのままジリ貧となりトルーマン大統領は国民の支持を失って
講和を決意したことはあまりにも有名

69:人間七七四年
12/03/21 23:36:01.98 tcl/vnBT.net
シコシコキモチA

70:人間七七四年
12/03/22 00:27:24.26 nhA/61WL.net
>>60
最近になってようやく、隆慶一郎の
「影武者 豊臣秀吉」とかで家康が再評価されつつあるよね。

秀次事件の黒幕は、家康と本多正信による陰謀ってのが通説だけど、
あの小説だと石田三成が黒幕なんじゃないか?というのを匂わせていて中々読みごたえがあった。

71:人間七七四年
12/07/22 05:45:21.67 CYyz3Hix.net
>>52
山下真司の黒田長政。
調略失敗を咎められて見捨てられる。
で、宗茂と戦って討ち死に。



72:人間七七四年
12/07/22 19:17:17.40 /T4R/nFh.net
徳川って何ぞって思ったら羽柴秀康の実家か

73:人間七七四年
12/07/23 01:54:15.63 yTZbU9dE.net
>>70
あほーからたわけうつけまぬけ、とどめに蹴りまで食らって最後は討ち死にはちょっとかわいそうだったな。
黒田家は如水が西軍諸将の空き城に兵を入れて防衛に協力した功績(ついでに命懸けで家康をだました恰好になった長政の功績)で長政が家臣の娘に産ませた庶子が相続を認められてるし、島原の役で侵略してきたスペイン船を撃退した功績で12万石から24万石に加増されてる。
あれだと戦後すぐに滅んだように見えるよ…。

>>71
本人は徳川が実家と言われるのを嫌っていたらしいがな。
戦後大和大納言の爵位を継いで百万石をもらって、完全に豊臣一族になりきってたし。
息子の秀直の正室は豊臣秀頼の娘。
もはや秀吉の息子としか言えん。



74:人間七七四年
12/07/23 18:39:57.80 ykvqnTNx.net
秀康の秀頼への溺愛ぶりは異常

75:人間七七四年
12/07/24 09:02:21.91 GJc9dbnO.net
裏切り者って言えば増田長盛を忘れちゃいかんぞ。
大阪城内の情報を東軍に流して、大阪城内には偽情報流して輝元本隊の出陣を阻んでたのがばれて、面子を潰されたことに輝元激怒。
輝元にボコられた末あわや斬首も息子盛次の助命嘆願で高野山に配流になった。
輝元役の宇津井さんのあんなバイオレンスな姿は初めて見たぞw

76:人間七七四年
12/07/24 21:50:41.42 dlRXVpQp.net
>>74
あのシーンは本当に迫力があった。マジで血出てたし。
長盛配流、年寄職罷免、その上家老が三人腹を切って、越前北ノ庄8万石に減知の処分を受け入れてやっとお家存続。
増田はいいとこなしだったな。
かたや伏見城内の甲賀忍者を寝返らせて早期落城を達成した長束は20万石に加増、弟や庶子まで大名に出世してる。
水口城下で家康を襲った甲賀忍者も頭が一万石の大名に取り立てられて、下っ端も伏見城内から内応した奴含めて軒並み豊臣直参の忍びに出世。
この状況判断の差、手際の差、とても同じ近江衆とは思えん。

>>52
>小早川秀包が秀詮の持ってた小早川本家の名跡込みで筑前名島54万石、これもちょっと少ない気がする。
名目上はな。毛利本家とのバランスを考えて、加増高を抑えなきゃいけなかった。
しかし実際は名島は博多湊からのあがりもあるし、実高100万石とも言われる豊かな土地。
むしろ優遇。
宗茂の柳川45万石もそう。筑後は米どころ、特産品も多いし実高は表高の三倍近い。





77:人間七七四年
12/07/24 22:33:22.64 f14JM/9I.net
東北でもぞもぞして時勢を読み誤り
宇和島に転封のうえ減封された伊達政宗もワロスだな

78:人間七七四年
12/07/24 22:55:50.50 dlRXVpQp.net
>>76
宇和島転封まではな。実質は改易、息子秀宗に新知充行だったし宇和島入り早々、些細なことで難癖をつけられ隠居の上出家させられてるし。

だが政宗の本領発揮はむしろこの隠居後だ。
旧最上、伊達領合わせて120万石をもらった堀秀治がバカなのにつけこんでその足元で一揆を起こさせて改易に追い込み、政治工作の末結局秀吉に減封される前の72万石で仙台領主に復帰。
堀は哀れだよな。
一時は「これで景勝と同格になった!」と大喜びしてたら、まさかの急転直下。










79:人間七七四年
12/07/25 03:13:08.05 SzcihxME.net
長宗我部盛親もなかなか見事に立場を変えてるぞ。
戦前には家康にすり寄って、「信長の弟家康の許可を得て信康の信の字をもらう」という裏技で盛親の名前を信親に改名して家康派をアピールしておきながら、いざ戦となると無理矢理西軍に組み入れられた体を装って西軍に味方。
本戦では長束、安国寺と共に毛利軍の突撃に同調。
兄上とまで呼んでいた本多正純をズンバラリン。
そうしたかと思うと戦後は「恩義に報いて」家康の旧臣を召し抱えて卑劣漢の汚名を回避。
架空戦記ではぞんざいに扱われて出番がないまま改易になるパターンが多いけど、史実の長宗我部はほんとすげーな。


80:人間七七四年
12/07/26 02:45:43.76 U68/GKTp.net
何気に小早川秀秋の兄弟が全員大身大名に出世している件。


81:人間七七四年
12/07/26 18:50:33.60 sbLT9LiS.net
>>77
原田甲斐のせいで宇和島に逆戻りだけどな

82:人間七七四年
12/07/26 21:03:21.52 Ta1a2P0X.net
>>80
その反動かねえ
明治維新前の宇和島成敗の四境戦争での内線作戦は
藩祖政宗の真骨頂である蘆名殲滅を彷彿とさせる見事さ
それにひきかえ、勝者西軍は御先祖様に顔向けできんだら
特に、薩摩島津 安芸毛利 土佐長宗我部 肥後加藤は最悪

83:人間七七四年
12/07/27 02:52:35.47 I9rvshjG.net
せいしょこどんの手のひら返しすげぇよな。ちゃっかり小西追い出して肥後一国手に入れて

それに比べて、福島は豊家への忠誠は誰も疑ってないのに、けじめとらされたり
要領悪かったりで、相模に知行貰ったのに
上杉が勲功で越後復帰した後の会津に押し込められるという

84:人間七七四年
12/07/27 19:45:19.45 Jmqan/y5.net
>>80
あの一件は原田甲斐一人のせいにするのは酷ってもんだぞ。
政宗が秀頼の四男でキリシタンの首領の天四郎秀綱やらさらにイエズス会やらと手を組んでノビスパン貿易で財力を蓄えていたり、家康の下の息子たちを城持ちの客分として厚遇してたり、鎮守府将軍の位を勝手にもらったり…は政宗だからいいとして。
問題はその後で、下の息子たちや孫までが悪影響を受けて実力もないのにマネをした。
だから真田守信や大谷重政の大藩潰しのターゲットにされて、原田甲斐はそれに利用されたというだけの話。


85:人間七七四年
12/07/27 20:56:26.04 sNmCHRsN.net
真田も大身だったのに支藩作りすぎて
代を経るごとに影響力無くしていったから人のことは言えんがな

86:人間七七四年
12/07/27 21:59:24.87 Jmqan/y5.net
>>84
越後65万石が明治維新前には30万石だからな。改易・減転封以外では一番すごい減り方だ。
真田と伊達の支藩の数は狂歌に歌われてたな。
『近頃都に流行るもの 竹に雀に六文銭』って。あと『真田の家、左衛門大佐首を取り、左衛門小佐嫁を取り』ってのもある。
左衛門佐守信といえばそんな歌ができるくらい、側室と男子の数(ほぼ支藩の数と一致)でも有名だった。
他にも守信をネタにした歌は多い。
『嫁入りに 渡してやれと六文銭』これ以降三途の�


87:�の渡し賃がいつの間にか子宝祈願のお守りに変化しちまうし、三途の川の鬼が死人から取った六文銭を袋詰めにして子宝祈願のお守りとして売っている絵まで描かれる始末。 『葉武者より我もなりたや三途の川の渡し守 佐殿の御子をば渡して一身代』という歌もあった。こっちは作者が家康の子孫だ。 妊婦の腹に『真田左衛門佐』と書いて貼ると男子誕生間違いなし、という俗信もあった。



88:人間七七四年
12/07/28 11:52:13.04 2grjYuzP.net
真田は江戸の陣で大助幸昌が討死にしてなきゃ大身を維持出来てたかもね。

酒に酔ってる所を本多忠朝に急襲されたボンクラ扱いだけど、本当は女郎屋で遊んでた守信と薄田兼相が襲われるって聞いて助けに駆け付けようとしてやられたんだし。

守信が自分の恥を封印するために幸昌の不手際ってことにしたみたい。

89:人間七七四年
12/07/28 19:54:00.98 TkVgznnJ.net
亀レスだが
>>27>>28はアメリカの首都をニューヨーク、オーストラリアの首都をシドニーとか言っちゃうタイプだな。
大阪は最大都市だがあくまで「商都」、首都は陛下のおられる京都だぞ。

90:人間七七四年
12/07/28 20:24:42.00 VynVIrHu.net
>>87
いやいや、枢軸連合(UA)本部のある大阪は世界の首都やで!

91:人間七七四年
12/07/29 03:25:33.42 djwLnAAY.net
>>87
>>88
確かに世界の金融の中心ではあるわな。枢軸連合ってのはユダヤ・アラブと大阪商人が作った銀行の集合体だし。
カネの流れからしたら確かに世界の首都だわ。
ところで知ってるか?
ホワイトハウスの地下金庫には非常用のさらに非常用の金(GOLD)として独立戦争当時の関白がジョージ・ワシントンに融通した資金の一部が、今なお使われずに取っておかれてるらしい。
秀吉の作った分銅金がダース単位で眠ってるらしい。


92:人間七七四年
12/07/29 05:00:46.94 djwLnAAY.net
>>86
それは「影武者豊臣秀吉」の創作じゃないか?
ちょっと調べてみるわ。


93:人間七七四年
12/07/31 01:49:24.69 zwty7mZ6.net
>>86
おまいのそれは「影武者豊臣秀吉」の十六巻の話。
「徳川退治記」にある薄田と守信が傾奇者姿で楽師や女連れて城方をおちょくり、本多忠朝が激怒出陣した時の話が元ネタ。



94:人間七七四年
12/07/31 02:07:24.08 zwty7mZ6.net
忠朝隊を伏兵が包囲、ボコボコにした後で傾奇者姿の幸昌が城方に舞を披露、頭に来た忠朝が鉄砲で幸昌を撃ち、幸昌の装束が一部吹っ飛ぶ場面。
久しぶりに読んだけどええわー。原哲夫の漫画版は幸昌の表情もいい。幸昌が戦後すぐ死んだのは本当に悲しいよな。

95:人間七七四年
12/08/01 12:29:00.28 QG6kaLuM.net
伊達政宗が旧領回復のために神保隊を踏み潰して猛攻仕掛けたのはその次の日だっけ?

96:人間七七四年
12/08/01 22:46:32.07 u/IufW4V.net
吉川が弁当を食べ終わって
食後の運動行くかと突撃したのは
どの大河だっけ?

97:人間七七四年
12/08/02 01:31:42.24 9bVa5WSQ.net
>>93
次の日であってる。1624年3月某日。
だが突撃したのは政宗じゃなくて羽柴秀康に陣借りして参戦してた忠宗。
政宗は1615年に旧領を完全回復して、この時は大老格。石田重家や大谷大学が政宗に「戦功次第では宇和島24万石を忠宗に与える」と唆し、政宗に発破をかけられて突撃。
味方討ちの挙句城から狙撃されて討ち死に。結局もらえたのは一万石だけだったという。


98:人間七七四年
12/08/02 02:20:07.30 9bVa5WSQ.net
>>94
『黄金の日々』。確か7月上旬放送の回のどれか。
>>94の台詞のその後に『駆け回って腹がすいたら御所柿を取って腹を満たせい!夕餉は江戸の狸の味噌鍋じゃ!』と続く。
そのころ助佐は大津城攻防戦に巻き込まれて大砲操作要員として奮戦中。



99:人間七七四年
12/08/02 14:10:22.15 EgaDoKMo.net
>>96
死んだはずの善住坊が赤マフラー巻いて出てくるのは要らん演出だったな


100:人間七七四年
12/08/03 10:22:27.56 uML4QxzU.net
>>97
こっそり掘り出してやったんじゃねーかってにおわせるところでやめとけばよかったのに。
黄金の日々の唯一の汚点というか。



101:人間七七四年
12/08/03 10:36:30.55 uML4QxzU.net
>>93
神保はぼろぼろの状態で戦場を離脱してやっと助かって、秀頼に謁見して伊達の処罰を訴えたけど相手にならなくて、結局お情けの五千石加増で一万二千石の大名にしてもらっただけですまされちゃったんだよな。
で、そのことがずっと遺恨になってて、伊達騒動の時の上使には自分から志願して仙台まで城受け取りに行ったと。
費用全部持ち出しでとんでもない借金こさえたけど本人は満足だったらしい。

102:人間七七四年
12/08/03 12:23:31.78 7GC5h5Ax.net
秀頼は政宗と仲よかったからなぁ
懐柔のつもりか、ただ単に楽しみたかったのかは知らんが、毎晩のように秀頼招いて宴会やってたんだし。

その宴会ために莫大な借金こしらえて、政宗の死後、返済を請求された忠宗が「父個人の借金で当藩は無関係」って踏み倒したんだよな。

103:人間七七四年
12/08/03 18:53:52.78 6oBOWUca.net
忠宗?豊家から伊達宗家相続を認められ伊予に封ぜられた秀宗の
謀反人政宗は伊達家と一切関係なしという逆縁宣言と混同してないか?

104:人間七七四年
12/08/03 19:16:16.32 6Gx6cP8M.net
>>101
そういわないと伊達家断絶の危機だったしなぁ
実際には政宗・忠宗の助命嘆願に奔走した家族思いなのが秀宗公

105:人間七七四年
12/08/03 23:17:48.73 uML4QxzU.net
>>100
秀頼公を招いていたのはカムフラージュ。本当の目的は秀頼公の側近にいた前田利常と会うことだった。
利常は秀頼公の異母兄で、自分の息子を当主に立てて豊臣本家乗っ取りを企んでた。
政宗は利常の豊家乗っ取りに協力する見返りに秀宗を排除し、末子兵部の子忠宗を藩主にしようと陰謀を巡らせてた。
利常は最初から政宗をはめるつもりで接近したらしいけどな。


106:人間七七四年
12/08/03 23:33:43.53 uML4QxzU.net
>「父個人の借金で当藩は無関係」
言ったのは忠宗で合ってる。言ったのは伊達兵部家(政宗の養子になってたのが実家に戻された)として相模横浜十八万石(ただし実高は半分どころか1/3もない)に転封される前日。
踏み倒したんではなくて、もはや役に立たないノビスパンとの交易独占権を与えた。
ノビスパン陶器、トルコ石、オパール、香辛料なんかを安く買い叩いて高く売れるという、伊達家健在ならこれだけで十分借金のカタになる代物。

しかし商人ってのはすごいよな。
このあと62万石で仙台に入ってきた黒田長興にそのお墨付きを見せて結局特権を認めさせちゃったんだから。



107:人間七七四年
12/08/05 03:59:18.70 WKJY4+lR.net
そういや池田輝政はバリバリの東軍だったのに「家康の婿であるから舅を助けるのは当然」としてお咎めなし、本領安堵になってるね。
どんなコネを使ったんだろう。


108:人間七七四年
12/08/05 09:04:01.07 d5SzAVwQ.net
東軍で本領安堵されたのって黒田と池田だけだよね。
三成本陣をかすめて撤退した黒田の逃き口はみんなびびって追撃できなかったとか。ってか正面突破ぱねぇ。

109:人間七七四年
12/08/05 13:41:12.72 WKJY4+lR.net
>>106
黒田一成が大身の槍を振るって石田隊の前衛を退かせ、旗本隊が長政の子を守って通過、後藤基次が大音声を上げつつ向かってくる敵を次々文字通り叩き潰して殿を務めるくだりだな。
最後基次が撤退する時に三成に「我が黒田家の鉄砲隊はいかがでござったか」と聞いて三成が「卒の者多し、石の者を加えられよ」と丁寧に答えて返すところが実にいい。


110:人間七七四年
12/08/05 14:24:57.91 Rb3YVNDo.net
池田は南宮山の毛利や長宗我部が攻めかかってきた後、殿軍として見事な采配を見せて東西両軍から賞賛されてたからねぇ・・・
>>38で挙がってる山内一豊との対比もあって一層武名を高めた。

>家康の婿であるから舅を助けるのは当然
ってのは輝政や池田家の体面を慮っての建前で、福島正則とかの徹底抗戦論を抑えて大垣城を無血開城に導いたから。

111:人間七七四年
12/08/05 14:36:35.18 WKJY4+lR.net
長宗我部といえば、本戦での一斉突撃の時に仙石秀久をボコボコにしてるね。
陣を突き崩されて逃げる仙石に「またも逃げられるか仙石殿、此度は小倉への逃げ道はござらぬぞ!」って叫びながら追撃するところは凄まじい迫力だ。
信親について戸次川で戦った兵の生き残り「御渡河衆」の働きは「比類なし、前代未聞」とまで書かれるぐらい凄まじかったとか。
直接仙石に槍をつけたのも御渡河衆。



112:人間七七四年
12/08/05 14:42:25.97 WKJY4+lR.net
>大垣城を無血開城に導いた
一足先に逃げ出した家康の行方を問われて、どこまでも知らぬ存ぜぬで押し通したところも評価されてるね。


113:人間七七四年
12/08/06 05:31:11.19 9y2Z2MuC.net
>>108
織田秀信の岐阜城脱出を見逃したこともあるんじゃない?>輝政お咎めなしの理由

岐阜城が落ちた時、尾根伝いに逃げていく秀信と供周りの家臣の一行を輝政隊の物見が発見したけど、「あれしきの小勢何もできまい」「左衛門大夫殿の相手は治部でござろう」と追うのをやめさせている。
これもかなり効いてると思う。



114:人間七七四年
12/08/06 19:49:37.44 d8ec3x6v.net
そのせいで実は最初から巧妙に西軍の意を受けていたという説が絶えないのが池田
と言っても状況証拠しかなくて定説にはなりえず、上杉謙信女人説と同列だがね

115:人間七七四年
12/08/06 23:12:38.19 wlGL3Nsb.net
東軍勝ってれば京極ももう少し栄えてたのかな
太閤様に引き立てられた蛍大名なのに何故東軍についたのかも謎だが

大幅減封されながらも結局松の丸殿と初様のおかげで家残せたのに
余計に蛍蛍と揶揄された挙句にご乱心で取り潰しだしなあ・・・

116:人間七七四年
12/08/07 00:35:52.58 cKZNeDc5.net
伊達が直江の真似して伊達巻とかいう巻物に挑発書いて上杉に送った挙句に長谷堂で負けているんだよな
あのDQNは目立つことしか考えていないのかな。大幅減封された恨みを起爆剤に幕末に攘夷の中心となって明治維新を成し遂げたのも不思議だ。

117:人間七七四年
12/08/07 00:55:02.97 nKVZkX/K.net
>>113
多分かなり大事にされたんじゃない?
名族で優遇する価値はあるし、戦が強い家でもない。家康なら優遇して損はないと考えるだろう。
関東からも京からも遠い出雲隠岐あたりの故地を与えておけば土地の連中も喜んで従うだろうしいいことづくめ。


118:人間七七四年
12/08/07 12:53:08.46 nKVZkX/K.net
>>114
で、その伊達巻は戦後出家して秀忠の墓守になった榊原康政に添削されてボロカスに批判されたんだよな。
康政が添削した伊達巻の写しは現存し、原本共々重要文化財になってる。
保管してたのどこの博物館だっけ?


119:人間七七四年
12/08/08 04:12:31.27 zLcO/qS1.net
大谷吉継が丹後・若狭を加増で35万石ってのは多いの?少ないの?


120:人間七七四年
12/08/08 04:27:19.83 zLcO/qS1.net
>>113
まあ城を落とされて、一万石にまで減封されればストレスもたまるし誰でも乱心するだろ。
しかも改易・切腹を覚悟して腹を切る用意までしてたのに閨閥で助かったとあってはなおさらだ。

で、改易されてもそれで滅亡せずわずか数年でまたしても一族の娘を奥におさめて復活するのはさすが名族だわ。

話は変わるけど佐々木一族では朽木元綱が勢力を伸ばしたね。
嫡男が本家筋の高島氏の名跡を許されて京極と同格になったし、加増されて禄高も中堅大名と言えるレベルにまで上昇した。


121:人間七七四年
12/08/08 07:34:53.09 y3PimcEp.net
>>117
少なくはないけど、戦果に見あっているとは思えんな。
石田派が大きくなりすぎることを嫌った毛利や他の四奉行に抑えられたって説もあるけど、実際はどうなのやら。

122:人間七七四年
12/08/08 13:15:10.14 sOO53NxT.net
まあ大谷の場合は、「ライ病で殿の面目丸つぶれ」なんて丹後の領土の農民にまで言われて
嫌われているから、あまり大封も与えられないだろう。
この人、目立った悪政もないというか、むしろ善政を敷いていたた形跡があるのに可哀想だよね。

いっそ関ヶ原で西軍が破れ自刃でもしていたら、後世で義将とかもてはやされたのかも知れない。

123:人間七七四年
12/08/08 13:47:15.88 X4BTmBmu.net
東軍が勝ってたら悲劇の武将!大谷!みたいなお話とかできたろうに
病躯を押して不利な西軍の主将として活躍!
激戦の末壮絶な討ち死にみたいなシナリオありそう。
目が見えないから側近に手紙よんでもらったりしたりして
お涙頂戴の臭いドラマとか作れそうw

勝ったから単に普通の病気の人みたいになってしまったな
やっぱ判官びいきの日本人にはあわんな

124:人間七七四年
12/08/08 19:09:17.60 7TV831EW.net
結局、秀頼の極官って何だった?
太政大臣だったかな?

125:人間七七四年
12/08/08 19:28:19.29 +c/7FAsP.net
太政大臣は名誉職みたいなもんだし関白かな
どっちにしてもすぐに辞職してほとんどの期間は太閤様で過ごしたしあまり京都に居つかずに
大阪で武家政権として君臨してたしな

126:人間七七四年
12/08/08 21:03:02.21 bbVK63bL.net
秀頼は徳川成敗の際に征夷大将軍に任じられたのに
幕府開かずに長男秀光を関白に、庶子頼忠を将軍に推任して、太閤が文武両官に君臨する態勢を確立したからなぁ
太閤は関白譲位者の称号で官職としては令外官の内覧でしかないけど
内覧じゃ有り難み無い感じで、権威としての太閤で位人身を極めたと言っていいんじゃないかな
しかし鎌倉幕府から始まった征夷大将軍も大阪時代からは
播磨尾張長浜の三公方の持ち回りになって価値さがっちゃたよな
もし東軍が勝ってたら徳川の江戸幕府とかになってたのかな

127:人間七七四年
12/08/08 21:28:22.26 +c/7FAsP.net
ああ江戸かあ
さすがに大都市にはなれないだろうけど鎌倉みたいな渋い古都になっていたかもな

128:人間七七四年
12/08/09 01:45:57.43 ihk7L3eZ.net
>>120
その歌は領民ではなく、不都合あって(特権を取り上げられた)大谷家を逐電した新規召し抱えの家臣が歌ったもの。
そいつは京に出て千人切りをやらかして逃げ回ったもんで、大谷家の総力を挙げて追捕、磔にされた。
追跡には村人多数も手弁当で参加。吉継が嫌われてたなんてとんでもない。地元じゃ名君の第一に挙げられてる。
領民の誰かがもしこの歌を歌ってたら村人総出で叩き殺されるよ。

>あまり大封も与えられないだろう
奉行衆の中では三成の52万石に次いで多いわけだが…。
しかも丹後・若狭、越前いずれも港からの上りがあるから実際には表高より収入は多いぞ。

>>122
>>123
従一位関白太政大臣。1615年就任、1618年辞職な。すぐに辞職したのは太閤に大御所と同等の政治権力を付与するため。
あと称号として豊氏長者も忘れないでおきたい。


129:人間七七四年
12/08/09 02:05:38.24 ihk7L3eZ.net
>>124
播磨・近江・尾張は三執事だろ。播磨が池田、近江が石田、尾張に浅野。
将軍にはならんぞ。
将軍は三人じゃなくて五人。征討大将軍、征夷大将軍、輔国将軍、鎮国将軍、鎮守府将軍な。
征討大将軍が最高位で豊臣の嫡男か親王がなる。征夷大将軍は羽柴秀康の系統が世襲。鎮国将軍は宇喜多(児島)の、輔国将軍は前田の世襲。
鎮守府将軍は札幌神指の上杉と仙台時代の伊達。

確かに征夷大将軍の価値下がってる罠。

>>125
江戸は徳川の遺臣が一揆を起こすと大変だからと秀康の五男の直基が結城直基として42万石で入れられたんだっけ。
最初は江戸城代で、代替わりの時に正式に領地として拝領して42万石。











130:人間七七四年
12/08/09 10:51:25.10 Jnst0NbO.net
よく勉強しているな。
征討大将軍のみが軍権を握っていて征夷大将軍以下は名ばかりの名誉みたいな物だが。
実際、大阪末期の異国が来襲の時、諸将軍は何の役にも立たなかった。
秀頼は大阪政権に権力集中し過ぎちゃったね。

131:人間七七四年
12/08/09 18:24:04.39 i0OIlBzA.net
松野重元が地味に大名になってるのな。無骨者な感じがして好きだな。
この人。長生きしたし。

132:人間七七四年
12/08/09 19:54:31.43 k+xko1JI.net
そら年とっても主君相手にどんどん諫言する硬骨漢
でも豊家に対しての忠誠も本物
弓の名手で若手の信望を集めた人だからな
あの人の日記は武家の見本として俺らのじいさんくらいの時代の軍人はみんな読んでたそうな

133:人間七七四年
12/08/09 23:24:55.29 qEgmNYir.net
森忠政は関が原前に豊臣家に言いたい放題言って徳川についたの後悔しきれないよね
関が原までは行かなかったんだからあの憎まれ口が無ければ言い訳の仕様もあったろうに

134:人間七七四年
12/08/10 01:03:21.11 5vo0xPeC.net
>>128
ロシア対策で任命された上杉の鎮守府将軍を除けば、あとの将軍は支那対策(びびらせて襲って来れないようにするための称号)だから。
秀康の家の征夷大将軍は徳川遺臣の慰撫策でもある。だから征夷大将軍になる時は豊臣姓から源姓に一時改姓して任命される。
ちなみに常設の将軍はこの五人だが、支那の勢力が強くなると追加で鎮軍将軍が任命される。
任命されるのはだいたい立花・小早川。あと当主が秀元系の場合に限って毛利、同じく義弘系が当主の場合に限って島津も任じられる。

時代が下がると仙台の黒田(長興以降)、江戸の結城松平ら東国大名がアメリカ対策として提督の称号を与えられてこれに並ぶ。
で東国雄藩による維新への布石となるわけだが、これを語るのは脱線し過ぎだな。


135:人間七七四年
12/08/10 01:41:59.96 5vo0xPeC.net
>>130
重元の日記というと『松野物語』だな。
今でも士官学校の教科書に採用されてるぞ。
在日米軍初代総司令官ダグラス・マッカーサーも写本を持ち帰り、英訳されてウエストポイントでも使われてる。

>>131
まず秀吉在世中の7万石に戻された上で大阪屋敷で二年間謹慎させられ、それから改易、斬罪だからな。
しかも加増転封になった際に譲渡された蔵米の返納まで命じられてすっからかん。

小牧長久手での長可の討ち死に、忠誠心を考慮してほしいと一族が嘆願して、嫡子重政の助命だけは認められたけど、直参としての出仕は叶わず織田秀信に引き取られた。





136:人間七七四年
12/08/10 02:15:12.75 5vo0xPeC.net
>>106
>>107
>黒田の逃き口
このとき生き残った名のある侍二十四人が黒田二十四騎だっけ?違った?

>黒田一成が大身の槍を振るって石田隊の前衛を退かせ、旗本隊が長政の子を守って通過、後藤基次が大音声を上げつつ向かってくる敵を次々文字通り叩き潰して殿を務める
基次は立花宗茂の弟の高橋直次を討ち取り、一成は宗茂と槍を交えて長政の遺体を奪い返す功績を立てている。


137:人間七七四年
12/08/10 15:58:32.20 OQ3zvEtU.net
教科書通りの史実を話したってしょうがないだろ。
そろそろもし東軍が勝ったらって話しようぜ。

仮に東軍が勝っても徳川家は取り潰されただろうな。
家康は高齢だし秀頼成人前に病没するはず。
鎌倉辺りに幕府を開くとか予測があったが豊臣家の筆頭大老で終わるだろうね。

三成を滅ぼせても秀頼に刃を向けたらそれこそ福島、加藤、黒田、細川など豊臣恩顧の大名にフルボッコにされるだろうね。


138:人間七七四年
12/08/10 15:59:01.84 5vo0xPeC.net
>>129
田丸忠昌も忘れないでほしい。
小山評定で唯一西軍につくと言いきって帰国。
戦闘でも敢闘して秀頼直々に功を激賞された。
この人は男だよ。


139:人間七七四年
12/08/10 16:24:30.82 FYozV8V5.net
>>135
とりつぶしはないだろ

多分鎌倉公方のような地方政権みたくなってたと思う

上杉の謀反は本物だから改易されて伊達、最上あたりがほとんど分割して大大名。
そしてあの伊達の謀反監視役になってたんじゃ?
家康って生前は律義者で有名だったし豊家には逆らわなかっただろう

毛利は安国寺改易くらいかな?戦争にまけてもあの大国を解体するの無理だしw

140:人間七七四年
12/08/10 19:43:36.80 7EKK7zbR.net
どだい糞もらし徳川が勝つという妄想に無理がある

141:人間七七四年
12/08/10 21:06:00.22 T3vWHxFE.net
 西軍の中心になった石田三成には大きな謎があるんだよな。
徳川との関係
秀吉の死去を奉行間の取り決めを無視して誰より早く家康に知らせたのは
三成。
三成が七将に襲われたとき三成を助けたのが家康。
前田利長の家康暗殺を阻止しようと影から働きかけたという噂もあるな。

家康の息子秀康は三成からもらった剣を家宝にして「英雄から賜った」
とか松平の守護神だとか言ってたのは有名
あと秀頼の次男になる庶子頼忠は、三成の養女としか記述されてないが
家康の孫娘千姫だったという書簡が近年発見されてるよな。
なんで家康の孫娘を三成が養女にしてたのか?。
 秀忠の長男といわれる石田家臣の光家は石田姓を賜って三の文字を与えられ
三家という名になるとこだったという逸話もある。
自ら辞退して光の文字に変えたというし・・
同じく秀忠の次男とされる頼長は豊臣家に召しだされて大名に出世してる。
そういや松平忠輝を助命嘆願して、後に秀頼の傍において大名復帰の
きっかけまで作ってやってる。
関が原前から続く石田と徳川の関係は、なにげにミステリーな感じがする
んだよな。

142:人間七七四年
12/08/10 23:51:43.36 GxdbaKf4.net
>>138
言えてるw
だいたい関ヶ原の布陣図みたら家康が勝つのはあり得ないって素人でもわかるからな。
まあ仮想戦記的には美味しいネタなんだろうが…


それにしても秀忠に預けた主力を待って決戦に持ち込めばよかったものを、何を血迷って関ヶ原に飛び込んだのやら…そんなに吉川や小早川が味方に着くって確信があったのかね?

143:人間七七四年
12/08/11 00:27:16.31 RT4leW70.net
>>135
>徳川家は取り潰された
いや、取り潰しまではいかないだろう。
毛利・島津といった西国大名を解体するにはさすがの徳川でも相当の流血を避けられない。
毛利に対する処分は>>137も書いてるが、安国寺を改易・流罪、やったとして輝元の隠居がせいぜいだろう。
東北の動乱を防ぐためにも上杉の知行は半分以下には減らせない。
そうなると家康が死んだ時点で豊臣家に政権が戻ってくるのは明らか。
報復として「家康だから預けていた分150万石」を減らされて毛利・上杉と同格に落ちついたんじゃないかな。
秀忠は豊臣の一族同然、取り潰す理由はないし北条旧臣や風魔忍軍、武田旧臣といった連中を押さえておくには徳川の力は有効だし。

144:人間七七四年
12/08/11 00:36:50.45 RT4leW70.net
>>140
暗殺されかかった怒りで判断力が鈍ってたんじゃない?
小牧・長久手の池田恒興と一緒で。


145:人間七七四年
12/08/11 00:47:36.13 RT4leW70.net
ところで江戸に幕府云々と言ってる奴は江戸の水事情の悪さを知っているのだろうか?
結城松平氏が江戸城代で入部した当初は家康が作った水道もみんな壊されてたからろくな水がなくて、都市開発も全然進まなかった。
特に海に近いあたりはほとんど放置。
直基は「禄高は一万石でもよいから、まともな水が出る土地に領地がえしてもらえるよう頼んでほしい」って秀康や淀の方に泣きついている。
明治時代になってからも技術官僚たちが水道建設にさんざん苦労した。
とても政治の中心にはなりえねえよ。
人が住めないんだから。



146:人間七七四年
12/08/11 07:40:50.99 K7eKXR/R.net
九鬼の親父もすげえよな。守隆の助命�


147:ノ動こうと思えばできたろうに「孫次郎の代わりは数あれど、志摩を得るに今をおいてなし」で守隆完全見殺しだもんな で戦後生まれた娘に「四万(しま)」と名付けるとか、アンタさすがやでぇ… ここまで冷血ぶり発揮したのは実は守隆は嘉隆の種ではなく澄隆の実子だったんじゃないか?とする説があるけどどうなんかね



148:人間七七四年
12/08/11 08:12:34.83 /O07kDNa.net
>>143
うんうん、ないない。
仮に家康が幕府開くなら鎌倉だろうね。
まあ関ヶ原で勝った勢いで大阪攻めても寝返った豊臣恩顧大名と秀頼七手組、立花勢などに袋だたきだろうね。

149:人間七七四年
12/08/11 09:16:04.03 Yv5tGpoE.net
旧領取り返して岡崎幕府とかかもなwww

でもドイツ軍人にゲラゲラ笑われた関ヶ原の布陣じゃなぁ

150:人間七七四年
12/08/11 10:22:15.85 K7eKXR/R.net
>>146

>ドイツ軍人にゲラゲラと

ん?ドイツ軍人?何の話?関ヶ原の布陣見て笑ったのはクロパトキンでロシア帝国軍人だろ。

「なんですか、この布陣は。まるで撤退戦前提じゃないですか。迂回包囲殲滅を恐れて逃げ支度とか、噂にきいたサムライの武勇も大したことないですね」

って言われた話っしょ?

151:人間七七四年
12/08/11 11:00:22.89 cCRApawc.net
>>145
そういや幕府ひらいたら関白の権威と征夷大将軍の権威であらそうことになるのか

南北朝以来のグダグダが続いた可能性あるな
まあ講談のネタはふえただろうが寿司とか天ぷらの大阪庶民文化は生まれなかったかも知れんな・・

152:人間七七四年
12/08/11 12:28:52.15 /O07kDNa.net
>>148
南北朝、もしくは西と東で源平の対立みたいになっちゃうかもね。
でも仮に関ヶ原で勝つことが出来ても幕府を征夷大将軍に任免されるなんてないないww


153:人間七七四年
12/08/11 12:37:45.21 /O07kDNa.net
>>146
岡崎幕府、浜松幕府とか有り得るだろうね。
江戸は論外、駿府幕府なんて説があるがイジメられた人質暮らしの思い出の地で幕府開くとか有り得ないと思うな。

まぁ、仮に幕府開いても秀頼健在なんだからどこの大名も徳川家なんかに従わないっしょww

征夷大将軍の権威で大阪征伐なんて言い出したら全国の大名敵に回しちゃうよね。

154:人間七七四年
12/08/11 13:33:42.34 cCRApawc.net
>>149
えーでも諸侯筆頭だし
戦前の無法ぶりからいって禁止されてた新たな知行割りとかしそうじゃね?

まあ家康の性格からいって東国を味方で固めるのがせいぜいで西国の大大名には手出せないだろうけどw

155:人間七七四年
12/08/11 13:39:40.57 5DXJXLFz.net
小田原幕府は?

再建すれば固さだけなら天下の府城に相応しいだろ。
駿河を直轄地にして駿府で時間稼いでる間に、箱根の険や韮山城あたりで軍備を固めれば、北条時代の懸案だった西側からの守りも問題ない。
秀吉みたいに圧倒的物量で押してくる相手じゃなきゃ楽勝で防げるだろ。


まあそれ以前に関ヶ原でどうやって勝つかが一番の問題なんだが…

156:人間七七四年
12/08/11 14:57:03.81 /O07kDNa.net
>>152
小田原があったかw
それで間違いなさそうだな。
そうすると>>151が言うように後北条氏みたいに地方


157:軍閥には成り得たかも知れないね。 でも仮に関ヶ原で勝って東国に政権作っても家康の歳じゃあと数年の命っしょ?日頃気をつけてる癖に案外食当たりとかツマラナイことでコロッと逝くかもよwさすがにそれはないかwww グズの秀忠じゃやっぱり史実通り大幅減封の移封でしょww 秀頼は英邁な君主だし秀忠じゃ太刀打ちできないっしょ。



158:人間七七四年
12/08/11 17:24:49.13 pOR5jY53.net
まあでも徳川家が少し粘ったところでな・・・
「豊臣に暗君なし」は鉄板だから結局いつかは呑み込まれてしまうだけだ

159:人間七七四年
12/08/11 19:24:27.62 Yv5tGpoE.net
養子に出した羽柴秀康を戻して家督与えても浮田以上に秀頼の藩塀になるだけだな
上田で脱糞の秀忠みたいな暗愚が徳川継いでも家臣団が四分五裂するだけだし
それに妹思いの淀政所のおかげで助命された秀忠のことだから
結局、江経由で豊臣の傀儡だろう

160:人間七七四年
12/08/11 20:00:50.91 N6u/8JZd.net
そこで忠吉か忠輝ですよ。
忠吉なら羽柴秀康に劣らない英邁な武将だったみたいだし。直政なら舅の立場利用して徳川家を牛耳るような真似はしないだろう。
忠輝は舅が危険すぎるが、上杉を潰して後顧の憂いを無くす為の布石だと考えれば・・・

161:人間七七四年
12/08/11 21:20:43.15 q4QyVjJ7.net
秀忠昔は「蛍大名」とか言われて散々な評価だったけど
最近再評価されてるじゃん。
戦にはたしかに弱いけど幹部がほとんど戦死し、半分崩壊状態の家臣団をなんとかまとめ
奥さんのつてを最大限利用して、大名として生き残ったサバイバル能力は評価できる
上にはへつらう一方で家内の引き締め、粛清がひどかったのも不人気の理由だろうけど

162:人間七七四年
12/08/11 21:29:11.20 pOR5jY53.net
秀忠は穏和な顔して突如牙をむくという感じだよな
徳川が天下取っていたら意外と良い2代目になってたんじゃないか?

163:人間七七四年
12/08/11 21:53:19.37 RT4leW70.net
>>146
あれは秀忠軍の到着によって厚みを増して中央突破を図る陣形だからな。
秀忠が到着できなかった時点で大将首狙いのバクチに討って出るしかなくなった。

秀忠が信濃の川で三万の兵を失い溺れ死んだ時点で勝敗は決まっている。

>>155
淀の方が助命したのは本戦で宇喜多隊の捕虜になった松平忠吉な。


164:人間七七四年
12/08/11 22:04:01.90 RT4leW70.net
おっと途中送信してしまった。
で、忠吉は未亡人になった江と結婚させられ60万石で江戸城主になった。
このとき江戸中納言の爵位を継いでて、文書にもほとんどそれで出てくるから秀忠と誤認されるが、関ヶ原後の江戸中納言、徳川家当主は忠吉だぞ。
24年後に江戸の陣を起こすのも。

>上にはへつらう一方で家内の引き締め、粛清がひどかった
やったのはほとんど井伊直継。
戦死した直政や弟の直孝と違って陰湿残忍だった。
気に入らない家臣を「自分の子供がかわいいと思えない」と言う発言だけで切腹させたりしている。

ま、忠吉もいきなり小姓を手打ちにしたりしてるが言われてるほどじゃない。




165:人間七七四年
12/08/11 22:32:22.46 1EiZXOaA.net
もし仮に徳川政権が誕生してたら3代目の後継争いが恐ろしいことになりそうだなw
養子に出てた秀康が帰ってくるってだけでも怖すぎるw
秀康の子忠直と秀忠の竹千代、国千代兄弟、それに忠吉、忠輝も黙ってないだろうしちょっと予想がつかん
でも天下とって史実よりもさらにスケールアップした徳川家の内紛も


166:見てみたいかもww



167:人間七七四年
12/08/11 22:36:09.00 RT4leW70.net
>>161
意表を突いて家康の一言で武田信吉に決定とかしたら…やっぱり血を見るか。

168:人間七七四年
12/08/12 13:50:05.69 eDjil/Id.net
徳川政権になったら家康側近の誰が最終的に生き残って誰が権力を握るのかも興味があるね。
本多正純はまだ若すぎるから論外として、大久保一族か酒井一族か。
それとも井伊直政か。

豊臣時代は奉行衆から頭一つ抜け出した石田と池田が三執事として最高権力を握ったわけだが。

169:人間七七四年
12/08/12 14:10:12.76 uwa9XbL/.net
質問良いかな?山名豊国が何であんなに優遇されて一国も与えられてるの?
家柄? 関ヶ原は東軍だったのに。謎すぎる。教えて下さい。

170:人間七七四年
12/08/12 17:06:55.58 yWczWzp7.net
スパイだったんでしょ?

171:人間七七四年
12/08/12 21:37:58.76 0UOQWhrF.net
東軍勝っていたら、真田昌幸は大変な事になってただろうな。秀忠支隊食い止めたのが西軍勝利への貢献大だから、
ありえんが家康本隊だけ勝ってたら、信繁共々どうやっても死罪は免れん。
なんぼ信之が忠勝の娘婿でも無理。

172:人間七七四年
12/08/13 00:23:32.56 x+4v6ZhC.net
>>164
同じ新田氏の名族で徳川家より家格が上だから。
山名氏は新田義重の三男の子孫、徳川氏は四男の子孫。
ゆえに山名を優遇しておけば徳川が謀反を起こして将軍になろうとしても家祖の兄弟順に由来する新田氏内部の序列が下位であることを却下できる。
だから因幡「守護」として、特に守護の名乗りも許されて優遇された。

さらに安全装置として元・但馬守護の山名宗家も身分上優遇され、因幡守護家が謀反を起こしても大丈夫なようになっている。

173:人間七七四年
12/08/13 00:25:32.68 sl+ymtUk.net
南軍は誰ですか?

174:人間七七四年
12/08/13 00:40:58.64 x+4v6ZhC.net
脱字:新田氏内部の序列が下位であることを
補完:新田氏内部の序列が下位であることを理由に

徳川屋敷からサイバー攻撃した抜け忍乙。

ちなみに羽柴秀康や生き残った江戸中納言家の謀反に対しても同様の安全策が取られてて、織田秀信の長男秀朝が信康の孫娘の娘と結婚させられ、徳川宗家の家督を継いで作州津山ほかで3万石をもらってる。
代々岡崎三郎の名前と武蔵大納言の爵位を継いで正三位に上り、秀康流の従三位、江戸中納言家諸流の従四位下より上。
もし秀康流や江戸中納言家の誰かが徳川宗家を名乗って謀反しても、それにダメ出しできる&その頭を押さえられる。



175:人間七七四年
12/08/13 12:12:10.72 TjwFobTh.net
なんか、話を膨らまさずに
それは違うこうだ!って息巻く奴がまざっててうざいな

176:人間七七四年
12/08/13 22:05:30.10 x+4v6ZhC.net
>>170
まあ夏休みだからな。
期末テストが終わったばかりの中学生が混じってるんだろ。
そうでなきゃどっかの大名屋敷から書きこんでる奴だ。
今年は四年に一度の正史の改訂年だからな。
みんな自分の家に都合のいい歴史を広めたいのさ。
グレーゾーンの部分を有利な記述にするために。
気にしたら負けだ。

ところで実際、>>161をどう思う?
俺は秀康が勝つと見てるね。そうでなきゃ、忠輝だろう。
他の連中とは味方にできる勢力が違い過ぎる。






177:人間七七四年
12/08/14 06:55:32.57 43WYWSVK.net
>>166
多分ものすごい殺され方すると思う。
市中引き回しの上打ち首とか、はりつけとか。

下手をすると信之や信尹も危ないんじゃない?
信之が秀忠軍�


178:ノついたこと自体秀忠足止めのための偽降って説もあるくらいだから。



179:人間七七四年
12/08/14 07:30:27.44 QoHnq8Qd.net
しかし秀康はなあ・・・関が原以降徳川どころか松平も結城も名乗りに使わずに公私共に生涯羽柴秀康で通した男だぞ
それも処世術ではなく嬉々として
父親は先の太閤様と養父の結城晴朝の二人とか堂々と言っちゃうし
皆から敬愛された好漢なのに実父にだけ冷たいよな

徳川の後継争いなんか自分から降りちゃわね?

180:人間七七四年
12/08/14 08:04:50.99 43WYWSVK.net
>>173
ありうるとすれば、他の兄弟や甥っ子たちに任せた場合秀頼を滅ぼしかねんと判断した場合だろうね。
その場合でも用が済めばすぐ返上すると思う。

181:人間七七四年
12/08/14 14:58:09.01 qpuLEr9J.net
>>173
そりゃ親父に冷遇されたからだろ
秀康が家康後継争いに介入するとしたら
全力で徳川抑えて秀頼に臣従させるためかな
太閤殿下養子大名や子飼いが支援するだろうから勝負にならんわ

182:人間七七四年
12/08/14 20:39:35.09 Ib2dEjUM.net
>>172
家康の執念深さと残虐性を見抜いていたからこそ
三成は「奴は豊臣家を潰しにくる」と諸大名に決起を呼び掛けまとめ挙げたわけだ。
スレタイに沿えば三成も負けてたら今の家康並みにボロカスに貶されてただろうなあ。
忍城攻めの話が家康の三方ヶ原並みの大失態に脚色されてただろうよ。

183:人間七七四年
12/08/14 21:15:46.95 aDrzN73e.net
その辺の捏造はありそうだな
三成が陰険な策謀家で幼い君主を操って成り代わろうとしたとか
淀君狙ってたとかあることないこと書かれそうだわw

184:人間七七四年
12/08/14 21:36:51.62 QoHnq8Qd.net
はあ?秀頼元服後すぐに髪下ろして北政所と秀吉の菩提弔った淀君がそんなことするわけないだろ?
北政所と淀君がいがみあったとか捏造されそうで怖いわ

185:人間七七四年
12/08/14 21:52:29.87 43WYWSVK.net
>>168
もしかして大和郡山城攻防戦でちょっとだけ出てきた後南朝軍と十津川郷士のこと言ってる?

>>177
秀頼自体三成の子であるとか、気に入らない武将を毒殺したとか。
糞もらしの家康の事だからクソにまつわる逸話もいれてくると思うぞ。
負けて逃げる途中で下痢になったとか…。



186:人間七七四年
12/08/14 22:00:34.03 43WYWSVK.net
>皆から敬愛された好漢なのに実父にだけ冷たいよな
その分は結城松平の創始者にさせられた直基が穴埋めしてる。
「徳川ゆかりの地を拝領したからには、家康こそ我が父」と言い切った。
で、飛び地の日光に表向きは別の神ということにしてこっそり家康を祀る社を建てた。
さすが秀康の子だよ。

187:人間七七四年
12/08/15 03:04:10.04 SG2lpZUz.net
>>178
ありもしない家臣団の派閥争いとかも創作されそうだ。
尾張派対近江派とか。


188:人間七七四年
12/08/15 10:56:00.67 BY1UbRSI.net
>>181
そんなんでいがみ合ってたら
播磨平定からの対毛利戦成り立たんだろ
それに長浜以後の
黒官や浮田や小早川どうなるんだ
尾張系・近江系・西国系の三国志でもやるつもりか

189:人間七七四年
12/08/15 14:19:57.00 wNTvyg8p.net
ただ西軍が勝ったおかげで三成が歴史書き換えてるかもだぜw
勝者によって歴史は描かれるからな

190:人間七七四年
12/08/15 17:43:13.24 BY1UbRSI.net
>>183
関東甲信駿遠三に残る徳川の悪政も作られたものかもな
小身の真田に二度、いや関ヶ原の秀忠と江戸の陣いれたら4度も突き崩されたとか
常識的にありえんし
三方原以降糞もらしすぎだし
今川に人質だされるときに攫われたり天ぷらくって死んだとか無茶苦茶すぎる
漫画なら編集者に破られるレベル

191:人間七七四年
12/08/15 20:16:47.97 siQbaXIT.net
家康はいい年こいて爪を噛むのが癖だったとかいうのは
絶対、豊臣史観のプロパガンダだと思う。

192:人間七七四年
12/08/16 03:40:38.99 K6tqoFwy.net
>>182
戦いが進むほどに内紛が増えていく。
ありえねー。

>>184
関東入国の時草木にいたるまでことごとく検地して石高を水増ししたとか、家臣が足りず足軽小者まで侍に取り立てて連れて行ったらこのにわか侍が悪さばかりして北条旧臣が一揆を起こしたとか。
このへん創作臭い。

193:人間七七四年
12/08/17 03:11:29.36 xYyfy1oQ.net
あれ?関ヶ原って東軍が勝ったんじゃ?

194:人間七七四年
12/08/17 04:34:43.98 SfxHIfv/.net
>>187
徳川屋敷から書き込み乙。
伊賀者も大変だな。

195:人間七七四年
12/08/17 06:41:35.52 czqursra.net
靖国では英霊が日本の為に戦ったというけど、何が日本の為、アジアの為だったのか見直さないといけない。
日本はNarutoのペインみたいなもの。次の未来の礎になった。
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

196:人間七七四年
12/08/17 09:31:43.42 Ud34r+3i.net
豊臣史観のプロバガンダを念頭に置いて考えると家康がドケチだったって話も、質実剛健を悪い方に誇張したとも考えられるな。
まあ信長同様ネーミングセンスが残念なのはガチだろうがw

197:人間七七四年
12/08/17 14:22:26.34 6gSCaDx6.net
>>181
それでも福島が東軍に付いたって事は
近江の三成と仲良くは無かったって事だろ

あれ?こいつ中立だったっけ?西軍?

198:人間七七四年
12/08/17 16:45:51.76 SfxHIfv/.net
>>191
東軍。
福島は三成と「だけ」は仲が悪かった。
これは派閥云々より性格の不一致のせい。

てか福島短気すぎ。






199:人間七七四年
12/08/17 18:08:00.03 9bdMLaDI.net
受験勉強で夏休みも満喫できず、2ちゃんに逃亡中なのだが、
俺はぜひ東軍に勝ってほしかった。
だって家康って、実子の秀康にすら「徳川」姓を与えなかったんだろ?
秀頼ってば天皇からもらった豊臣姓と、神太閤が造った羽柴姓をばら撒きすぎ。

「豊臣(石田)」「豊臣(大野)」「豊臣(前田)」「豊臣(毛利)」「豊臣(上杉)」「豊臣(宇喜多)」「豊臣(小西)」…
「羽柴(細川)」「羽柴(増田)」「羽柴(伊達)」「羽柴(加藤)」「羽柴(福島)」「羽柴(堀)」「羽柴(丹羽)」…
「木下(徳川)」「木下(大友)」「木下(大谷)」「木下(黒田)」「木下(織田)」「木下(森)」…
正直、覚えきれんよ。

200:人間七七四年
12/08/17 18:35:20.49 SfxHIfv/.net
>>193
東軍が勝ったら松平姓がばらまかれるだけだと思われw
で、識別できないから領地+爵位で呼ぶ。
下手するとさらにややこしいw

ところでその一覧、
「豊臣(羽柴秀康流)」
「豊臣(真田信繁流)」
「豊臣(大谷本家)」
「豊臣(毛利秀元流)」
「豊臣(小早川)」
「豊臣(立花)」
「豊臣(島津維新流)」

「羽柴(結城松平)」
「羽柴(徳川本家、信康の孫娘の血筋の本家)」
「羽柴(黒田、長政の異母弟の家系)」

このへんが抜けてるぞw
福島は正之系、木下(徳川)は石田家臣の徳川(松平説あり)光家の系統だな。



201:人間七七四年
12/08/17 18:43:50.18 SfxHIfv/.net
で、大垣落城の際に逃亡してその後ずっと行方不明の藤堂高虎のことは誰も語らないんでしょうか。

202:人間七七四年
12/08/18 03:00:37.73 Y8EsMM0x.net
>>192
いやいや、正則はじめ七将は家康に口先で踊らされただけのただの小物でしょ。
七将襲撃事件も家康がけしかけた自作自演だったじゃないか。

203:人間七七四年
12/08/18 05:34:02.00 z2Ehzc3G.net
>>196
コイツ・・・痛すぎる奴だな
もはや苦笑いするほかはない!w
>七将襲撃も家康がけしかけた自作自演 (爆笑)

まぁ今日は禿鼠秀吉の命日なのでお経百万遍でも唱えてあげなさいwww

204:人間七七四年
12/08/18 10:37:11.29 1lnIkmvX.net
江戸の陣以降、徳川の姓を公称する事がなくなってからの羽柴松平と木下松平の数は尋常じゃないから更にややこしい
豊家への貢献や官位石高の格では秀康流が第一等だけど
宗家襲名どころか松平のまの字も拒否する徹底ぶり
御奉行もあえて宗家の指名せずに徳川弱体策にその他の親族が1万~5万国ぐらいで日本中にばらまいたし
太閤天神さんの御子孫より親藩多くて総石高も太閤直轄地より高いわどっちが勝ち組やて大阪商人がネタにしてたという文献もある
実高低いとこばっかで見栄だけ張ろうとして、更に自称本家宗家嫡流長者おおすぎて秀康が晩年に江戸の陣の時に密かに行った助命工作を悔いたとか

205:人間七七四年
12/08/18 15:53:42.54 UJU+FIey.net
>>198
結城松平を除くと羽柴松平の筆頭は征西将軍の忠輝流で26万石、その次は美濃高須と伊予西条(どっちも家康が高野山で儲けた庶子の流れ)の6万石。
ほか3万石、1万石級が20家以上。
木下松平は万石以下に多いね。

>宗家指名
一応信康の孫娘の家を官位上優遇してるけど、明確に宗家とは言ってないからね。
結城松平や忠輝流が官位で越したこともあるし。


206:人間七七四年
12/08/18 19:39:52.82 0UeXl6KQ.net
>>167

それは同じ新田氏内では納得で、正直多分その理由による厚遇だとは思うけれど、
源氏という血流から見れば佐竹っつう大物がいるっしょ。


藤堂さんについて言えば秀長に仕えてた時が一番幸せだったよねぇ…。結局、渡辺勘兵衛の口利きで増田家に2000石の捨扶持もらうんだが

207:人間七七四年
12/08/19 15:48:33.33 eMHd7A+b.net
>>198
忠輝というとインド洋艦隊司令官の忠輝だな。
木下松平は家康の直系以外が多いな。
十四松平だった?
家康の系統と豊田松平以外の三河の松平連中はほとんど木下松平になってるな。

>>200
子孫は建築家として直参に返り咲いたものの、知行は五千石止まりだったし、ほんと秀長時代が一番輝いてたよな、藤堂さん。





208:人間七七四年
12/08/19 18:26:21.94 0qT80MpX.net
地味な話だが、利休も関ヶ原のせいでワリ食った可能性あるよな。

生前犬猿の仲だった三成が政権中枢に長くいたせいで、利休流の茶はすっかり「なかった」ことに。

今現在も織部流、裏織部流、小堀流の三強だもんなー。千家流とか超マイナー過ぎて…�


209:c。 関ヶ原で家康が勝ってればいまごろ千家流の天下だったろうに! マイナー家元に習った者の負け犬の叫びw



210:人間七七四年
12/08/19 20:41:04.01 M56Mn1U3.net
まあ松平はどの家も豊臣家に忠実だったから良いんじゃないの
豊臣家が大政奉還した後も一緒に大財閥作ったりしてるんだし

211:人間七七四年
12/08/20 00:14:13.91 7+apmXeU.net
>>202
太閤様御家流も忘れちゃいけない。
黄金の茶室でたてる「ばさらの茶」は西洋人にも人気だ。

ところで利休流は海外では人気だよな。
清の順治帝や擁正帝は利休流の茶を学んで高弟に名を連ねているし、オスマン・トルコのスルタンの宮廷にもお抱え茶人として利休の子孫がいた。
イエズス会宣教師の中にも利休流の門人をキリシタンにして連れて帰り、バチカンに紹介した奴がいる。
一番人気があるのはフランスでだ。
ナポレオンの宮廷にも侘び茶様式の茶室があるし、怪盗ルパンにも茶の名人だという設定がある。
日本国内では>>202の言ってる通り全く人気がないがな…。



212:人間七七四年
12/08/20 00:33:09.74 7+apmXeU.net
>>203
豊国財閥初期の地味な中堅幹部には三河の松平者が多いよね。

長宗我部家臣の才谷梅太郎が興した才谷財閥にも松平の人間が地味な裏方仕事で活躍してるし。


213:人間七七四年
12/08/20 12:31:23.42 W5gezBDk.net
>>204

キリシタンに伝わった利休流というのは高山右近が伝えたやつで利休式右近流てやつだな。台子手前を奥義秘伝とするのと、椅子が前提な作法なので利休流とは似ても似つかぬものなんだが

清に伝わったとされるのは利休の高弟で刑死した山上宗次を流祖とする山上流だな。
なぜ山上流が、というと山上流は北条家に伝えたられたのだが、未遂に終わった第三次半島出兵の下準備として女真族に使いした北条家家臣から伝わったというのが通説。

オスマントルコに伝わった利休流は伊達の遣欧使節団に利休の次男が入ってそのままジェノバに残ったものが伝わったのである意味利休流の正統をくむもの

214:人間七七四年
12/08/20 12:37:36.65 xrVds0du.net
豊家によるイメージ戦略かもしれないけど、
木下松平とかの三河者全般に、米粒の数を数えて管理するのも苦にしない
(というか、むしろ嬉々として毎日数えている)イメージがあるよね。
おかげて地元の領主だった石川家が何か割りをくっている気がする。
うちは忠義より大義という、三河者には珍しい選択をした家系なのだが。

215:人間七七四年
12/08/20 20:28:40.91 I7cM4mkx.net
関ヶ原の戦いは、「平将門の乱」の繰り返し
URLリンク(ichiba.geocities.jp)
日本の歴史は、「やらせ」の連続。
だから、歴史を学んでも、日本の本質の反対のことしか出てこない。

216:人間七七四年
12/08/20 21:39:29.16 yZ6pyhBW.net
>>203
明治維新前、雄藩の台頭に今太閤秀勝殿下が
大政奉還を受け入れつつ諸侯に版籍奉還を迫る離れ業にでたとき
一番積極的だったのが実は木下松平
表向きは逆賊として肘滅されるを大名として遇された恩に応うはこの時、と云うことだが
まぁ藩政がgdgdでたちゆかなかっただけなのが内実らしいが

217:人間七七四年
12/08/20 23:49:17.72 7+apmXeU.net
>>209
>藩政がgdgd
徳川系の大名はほとんどそうなってるね。
農本主義から抜け出せなくて、産業振興と言っても商品作物の開発と専売をやるのがせいぜい。
で、収益トントンになればいい方。
しかも禄高も大したことないから一度失敗すると二度目がもうない。
17世紀前半に早くも「某老病、嫡子病弱にて奉公に耐えず」と廃藩を申し出て出家遁世した松平定政の例とかあるし。





218:人間七七四年
12/08/21 03:31:35.10 Y9CcjHV5.net
>>206
>椅子が前提な作法なので利休流とは似ても似つかぬものなんだが
どこかのトンデモ本で明治直前のころの利休式右近流の作法の写真が「フリーメーソンの儀式」として紹介され、当のフリーメーソン自身に否定されたうえ、作者がと学会にボコボコに批判されてたことがあったっけな…。

>利休流は伊達の遣欧使節団に利休の次男が入ってそのままジェノバに残ったものが伝わった
千少庵ね。アフメト1世の穏健政策にも大きく影響を与えたらしいけど、だとしたら利休と同等に政治の世界で出世したことになる。すげー

>>209
>大政奉還を受け入れつつ諸侯に版籍奉還を迫る離れ業
これがきれいに決まって列侯会議、豊臣家は議長として実権を維持することに成功したんだよな。
まあ10年後に明治維新になって、華族令で大公爵に上げられる代わりに政権は失っちゃうんだけど。


219:人間七七四年
12/08/21 05:24:11.56 d5XvPEIC.net
>>211
西南戦争終わって「豊家は公家の筆頭にして歴とした武家の棟梁である、
騒乱の種尽き維新が完遂したからには五箇条の誓文に対し奉り文武百官に範を示さん」とか言って
さっさと下野しちゃたよな
ちゃっかり影響力残して政商としてのしていったけど


220:人間七七四年
12/08/21 10:40:39.09 Y9CcjHV5.net
>西南戦争
アメリカに沖縄取られそうになったあの戦いの事ね。
台南沖海戦、沖縄沖海戦に勝ってアメリカとの条約をまとめて、それで引退。
確かにきれいだったわー。
まあ制度疲労起こしてた旧体制に改革のしようがなくなってたのをうまいこと押し付けたという説もあるが。




>政商としてのしていった
その豊国財閥が豊家本体じゃなくて端末、いわば本家のダミー会社だというのがまたすごい。
当主は本家出の一門ではあるけど本家の当主にはなれない家格の出。

で、本家はしっかり黒幕に収まっているという。




221:人間七七四年
12/08/21 10:47:40.63 Y9CcjHV5.net
ところで一つ聞きたい。
京都の豊国神社に平清盛と織田信長が一緒に祀られているのは分かる。
で、何故家康の霊廟もあるんだろう?
しかも大老として祀られ扱われ方も大きい。
まあ統一戦の功労者であることは否定しないけど…何故?

これほんと、日本史最大の最大の謎だよな。

222:人間七七四年
12/08/21 11:47:30.99 F9rxcNHt.net
井沢の逆説の日本史13巻によると、「唐入りが成功したら日ノ本は(秀次じゃなくて)、家康が治める」っていう
約束があったという説は本当らしい。その証拠の一つとして豊国神社の霊廟の件を持ち出していた。
もっとも谷口とか小和田とか、織豊体制による統一期が専門の学者の多くは否定的だけどね。

まあ后太閤・東の方(千姫)の祖父ってのも大きいんじゃね?
あの女傑がいなかったら、本多や榊原が豊家の直参旗本として取り立てられることもなかっただろう。

223:人間七七四年
12/08/21 20:53:38.44 bATe/jwL.net
豊国神社に家康を祭るように働きかけたのは三成らしい。
千姫御輿入も逆賊徳川ではなく石田の養女扱いでされてるし、徳川系の庇護に
積極的だった。
その理由は、近年言われているのが大諸侯対策
つまり東国の上杉、西国の毛利、豊家御家門筆頭宇喜多の三大老への牽制
徳川の武力を豊臣の直轄軍として活用したいという狙いがあったといわれてる。


224:人間七七四年
12/08/22 01:52:41.82 pVINgrqP.net
>>215>>216
>本多や榊原が豊家の直参旗本
>徳川の武力を豊臣の直轄軍として活用したいという狙い
江戸の陣以降に創設された関白直属隊「旗本組」は見事に元徳川家臣ばかりだね。
本多、榊原、酒井、井伊、鳥居、大久保、安藤、成瀬と徳川重臣の子弟・親族がずらり。
禄高も軒並み千石以上で知行取りが多い。
徳川四天王の家系は大名並みに参勤交代もしている。

旗本組の頭になる家柄に今川、品川両氏がいることをのぞけば嫌がらせもされていない。

大諸侯対策で決まりだろうな。
関ヶ原後の論功行賞で恩賞どころか隠居させられて五大将軍にも漏れた毛利輝元は大いに不満で、毎年六月に「備中陣羽柴軍追撃の儀式」をやって豊臣への怒りを新たにしていたというし。
伊達騒動後には黒田が仙台62万石で入ったし、五代関白秀吉(二世)の時代以降になると江戸の結城松平も力をつけてきて42万石の表高に対して実高80万石と言われるまでに成長してて、東西どちらも危険度がアップしている。

札幌神指に移された上杉もロシアとの交易で力をつけていたしね。






225:人間七七四年
12/08/22 11:20:20.72 HENP0xfC.net
夏休みを利用して、行って来ましたわ~、山田長政のジャワ城跡と高山右近のルソン城跡。
特にジャワ城跡は観光開発もされてなく、ジャングルと野面積みのギャップが萌える。
あの城跡の石、現地に適した大石が少なくて、日向や大隈から船で運んだって
現地の通訳が言っていたけど本当かね?

ルソン城は観光客向けに茶室の来栖庵まで再現されてて、日本語の案内もあって親切。

どちらも1700年代初頭までには独立しちゃったり、現地勢力に飲み込まれたりしたのが惜しいね。
日本東インド会社の面々がもう少ししっかり監督してれば、19世紀の西欧列強によるアジア進出時だって
実際とは違った展開があったかも。

226:人間七七四年
12/08/22 14:41:27.63 pVINgrqP.net
>>218
山田長政のジャワ城は現地で政争に負けて中央から左遷された後に作った城だから作りが荒いし、保存状態も悪いからあんまり中まで入らない方がいいぞ。
何箇所か崩落危険個所があってこないだも学生が落ちて死んでる。
あと、蛇とかも出るから。
        _..._
      ,:'"● >
      | <゚Д)  <全力で歓迎します。
      (ノ  ̄|)
  ∧..._...ノ    !
  !、___,,....イ
       U U

ルソン城の方は独立後に行政府として使われてたから整備がいい。
右近の茶室以外にも名所多いぞ。
納屋助左衛門邸や小西満所の教会は見てきたか?


227:人間七七四年
12/08/22 23:42:57.07 za0WDve9.net
備中陣羽柴軍追撃の儀式はよく言われてる話だよな。
嘘とも本当ともよくわからんが・・・
ただ、輝元隠居はしかたないだろ・・・
秀元との因縁もあったし
徳川征伐を強硬


228:に主張するのはいいが、過剰に厳しい処罰を主張してたし 一説には一部家臣の東軍内通があったといううわさもありーの 元養子の秀元と吉川広家を小早川に続く独立格大名にするのにいちゃもんつけるわ 少々問題行動が多すぎた気がする。



229:人間七七四年
12/08/23 00:31:30.07 epbmlwB0.net
 宇和島成敗の先鋒命ぜられてボロ負けして毛利か
 周防出身ながら宇和島に召抱えられていた、後の兵部大臣の大村益次郎の
西洋銃陣にコテンパンにされて、君主がさっさと家臣見捨てて、伊予勝山城から
単独安芸に逃げ散り、片倉晋作に、祖先にわびて武辺を鍛えて弓矢を束ねて
掛かって参れ大笑いされた毛利か



230:人間七七四年
12/08/23 02:59:57.50 v1vx/PTI.net
>秀元と吉川広家を小早川に続く独立格大名にするのにいちゃもん
その挙句秀元に家督と所領全部を譲らされて、自分は御噺衆として5万石の捨扶持だけにされたうえ大坂に五年間も留め置かれたのは正に自業自得

結局秀元が安芸広島97万石、吉川広家が周防岩国36万石で独立。
その後息子の秀就が安芸の内10万石で支藩を立てたが宗家の地位は秀元流に取られーの、
脱藩し他藩に仕官する家臣がぞろぞろ、「安芸も飽きたり毛利者」と笑われーの。
で、離脱組を一番吸収したのが宇和島の伊達。片倉晋作の先祖も離脱組。
自業自得続きで徹底してるわ。


231:人間七七四年
12/08/23 03:36:01.86 v1vx/PTI.net
>徳川征伐を強硬に主張するのはいいが、過剰に厳しい処罰
徳川の処分は結局「本多正信父子が老耄の家康を唆して天下大乱を目論んだ」ということになって正信が打ち首、家康は高野山に流刑、秀忠は改易で秀忠長男に新知として武蔵江戸60万石で落ちついたけど、輝元は一族全員火炙りを主張したらしいな。
それで秀忠兄弟の助命に動いてた北政所と淀の方の怒りを買ったと。

ところで、江戸の陣を起こした徳川清康って、何者?
秀忠の隠し子説もあるが…。


232:人間七七四年
12/08/23 03:53:02.79 epbmlwB0.net
家康の誤記をそのまま流布したという話もあるな。

松平が大量に残ったし、それなりに功績のある家康に難癖つけて滅ぼしたのに気が引けたのか
石田が、誤記をそのままにして、架空の人物に悪名を全部漬け込んだとかいう

233:人間七七四年
12/08/23 05:27:04.47 v1vx/PTI.net
家康の隠し子だかが二代目家康を襲名したのだが、悪筆のため清康と読まれてしまいそのままになった説もあるな。
しかしこの徳川清康という人物、記録が破壊されてるからだろうが江戸の陣以前の経歴が一切不明。

一体どこで何をしてたんだろうね?




234:人間七七四年
12/08/24 00:12:44.17 P6sVPQF9.net
清康って誤記だったんかorz
家康か秀忠の子が家康の祖父・松平清康にあやかって名乗ったもんだと思ってたわ。

徳川清康の正体についてはけっこうトンデモ論が多いね。
生き延びてた信康だとか、徳川清康=天海=光秀はさすがに爆笑したわw

235:人間七七四年
12/08/24 00:35:46.33 wGFbxsoF.net
江戸の陣は秀頼の初陣になったわけだけど、江戸城に付け城を築いて一粒の米も入らないように包囲し、攻撃側は毎日宴会を開いたり国許から妻子を呼び寄せてこれ見よがしに談笑したり、秀吉の城攻めをスケールアップした戦い方をしてるんだよね。
で、決戦では「徳川ごときに甲冑は不要!」と言い放ったり。
秀頼の戦はほとんどこの一戦だけなんだけど、武将としての力量のすごさを感じるわ。
戦国時代まっただ中に生まれてたらどれだけの名将になってたのか…。


236:人間七七四年
12/08/24 00:41:52.79 wGFbxsoF.net
>>226
まともなところだと秀忠の子説、忠吉の子説、小笠原権之丞説なんかだね。
トンデモ説だと家康の影武者説、信康説、光秀説なんかがある。
微妙なところだと徳川家の侍の子、足軽の子が主家の名を名乗った説、貧農の子が家康子孫を詐称した説とか。

もし清康の正体を明かすことができたとしたら、文化勲章ものだな。

237:人間七七四年
12/08/24 13:11:22.28 wGFbxsoF.net
そういえば天海と崇伝の一対坊主は何でお咎めなしだったん?
天海は所領付きで寺もらったし、崇伝は豊臣家の政治顧問になってるし。




238:人間七七四年
12/08/24 15:05:33.84 R6rYtfRp.net
江戸の陣の契機となった増上寺の鐘の銘文「山河徳治」「君臣楽豊」、
あれは事前に片桐勝元と嵩伝が共謀して考え、秀忠と江をだましたって説があるよ。

天海に関しては怪しい説が多すぎてよくわからんね。
俺が好きなのは天海=津田信澄説だけど

239:人間七七四年
12/08/24 15:41:34.89 wGFbxsoF.net
>片桐勝元
江戸の陣三本の太刀の勝元か。片桐家中興の祖と言われる人物だね。
名前の読みが同じだから大河とかでは親父の且元と一緒にされてしまうことが多いけど。
僧侶上がりで文武両道、僧侶にも武将にも知己が多かったというから共謀説は大いにあり得る話だな。

>天海=津田信澄説
信澄の息子の昌澄が七手組の組頭の一人だからな。
信澄だとするとその辺の人脈で赦免を勝ちとったのかも知れん。

240:人間七七四年
12/08/24 16:04:44.58 wGFbxsoF.net
崇伝の子孫の一色は禅門方寺社奉行を独占してるが、やっぱり江戸の陣に功績があったんだろうな。


241:人間七七四年
12/08/24 17:43:29.60 na4NM+gp.net
>>231
七手組で思い出したんだが、青木一重って凄い大身になってるよね。
七手組一番の出世頭だね。元々は、家康の家臣だったみたいだけど
時を見るに敏な人だったんだろね。

242:人間七七四年
12/08/25 00:00:49.79 A/VJIs7f.net
>>233
七手組と黄母衣衆は大名候補生が集められるからな。大名出世した奴は多い。
だが国持大名まで行った奴となるとさすがに少ない。
ほんと政治センスも統治手腕も優れていんだと思う。




243:人間七七四年
12/08/25 00:21:34.49 A/VJIs7f.net
>徳川清康
家康の9男松平斬九郎説も忘れちゃいけない。
そう、あの「サムライスピリッツ斬九郎無双剣」のボスの斬九郎だよ。
江戸の陣直前に増上寺の鐘の銘文の件で陳弁に務めていた隠居の秀忠が急死したのは斬九郎が殺したのだという説がある。
で、秀忠一族を押し込めにして徳川清康を名乗り、江戸の陣を起こしたという。




244:人間七七四年
12/08/25 22:29:57.10 Qao6rJ9I.net
豊臣家は本当に子供の少ない家系で大政奉還まで直系で継承してれたのが奇跡みたいなもんだからなあ
初期に増えた一門の家系も一門内で養子を融通しあうのに精一杯で一門の藩は全然増えなかったし

結果的に松平や宇喜田が準一門みたいな感じで支えてたんだよね

245:人間七七四年
12/08/25 23:03:31.36 /QS9zSaH.net
そのうえ大諸侯が強かったからね。室町幕府みたいだ。
毛利(含む小早川)、上杉、宇喜多、島津、佐竹、
石田、長束、大谷、真田、小西、長曾我部、前田
ざっとこの十二家で『十二侯は天下の半分』
といわれるほどの総石高だったし。

豊臣家が枝葉が茂らないのと対照的に一門や譜代も充実してたし。

246:人間七七四年
12/08/26 01:19:44.62 vjkrJR+3.net
>>236
5代関白秀吉(二世)の時隆光という僧が豊臣家に子供が少ないのは秀次事件が原因だと説いて、秀次一族の大赦を行わせたのは有名な話だね。
秀次を豊国神社に祀り、一族家臣の子孫を復権させたのが効いたのかどうかは分からないけど、二世秀吉は豊臣本家の当主としては珍しく多くの子を持ったね。
ただ、分家として大政奉還まで残ったのは創設された八家中三好(関白家)と京極(同左)の二家だけ。
外孫(内孫説あり)を祖とする松殿家(関白家)まで入れても三家。確かに一門分家は増えてない。

宇喜多、松平は織豊時代の中期以降、宇喜多は児島大納言家(清華家、鎮国将軍家)として有力な藩屏だったけど、松平はそこまで役に立ってたかな?
秀康流、忠輝流それに結城松平は別として、他の松平一族と言ったらいわゆる忠臣はいても政治軍事で役に立った人物ってあんまりいなかったんじゃ?

政治軍事外交で役に立ってたのはむしろ織田一族じゃね?
バチカンに一番顔が利いたのは織田宗家だし。



247:人間七七四年
12/08/26 13:28:54.69 vjkrJR+3.net
>十二侯は天下の半分
その顔ぶれ、時代によっていろいろ変動があるよね。
五十万石格の尚氏(沖縄藩主、首里城主)が入ってるバージョンもあるし、他のバージョンでは木村や前野、加藤もランクインしてる。

248:人間七七四年
12/08/26 13:44:41.76 vjkrJR+3.net
ルソン独立前には右近系の高山氏が150万石で上杉に並んでたし、右近のライバルの中川氏も駿河三河遠江を領して60万石だったことがある。
固定して入ってるメンバーは政権中枢に食いこんでる面子だね。
石田は筆頭執事、大谷はその次席、長束は勘定方、小西は外事方のトップだ。

佐竹は秀康流の当主が幼少の時征夷大将軍を出す系統での優遇で合ってたっけ?

249:人間七七四年
12/08/26 13:58:09.86 TlubS4vM.net
結局宇喜田をはじめとした豊臣べったりの諸侯以外は浮き沈みが激しかったから大身諸侯は多くても強力な中央集権維持してこれたんだよな
代々の将軍が有力諸侯と衝突しては失敗して主導権握りきれなかった室町幕府とは力量の差があるよね

松平は逆に政権の中枢に出る人材出なかったからこそ旗本筆頭みたいな不思議な位置付けキープできたんじゃね?
どの時代でも太閤様の側衆に松平は最低一人は居たし

250:人間七七四年
12/08/26 14:20:33.05 vjkrJR+3.net
>>241
>豊臣べったりの諸侯以外は浮き沈みが激しかったから大身諸侯は多くても強力な中央集権維持してこれた
あと外征で反対勢力の不満をなだめられたのも大きいよな。
唐入りが失敗した後はルソン遠征、江戸の陣後にはバタビア遠征、その後はインドシナ遠征と大きな外征がいつの時代にもあったし。



251:人間七七四年
12/08/26 15:40:38.16 vjkrJR+3.net
>>241
「太閤様のお屋敷にゃ 石にお池に松の木に」って歌われてるくらいだからなー。
太閤側近の代名詞。
昭和の時代のアニメでも秀吉をイメージしたキャラクターの側には必ず「松平君」がいるくらいだし。

252:人間七七四年
12/08/26 23:20:15.37 E9GcTFk3.net
関東に利権持たない豊臣が長く政権持ったせいで、関東の環境整備が遅れまくり。

おかげで印旛沼干拓、利根川河道整理とかが昭和に入っても未整備事業…orz


ついでに奥州道中からも上州往還からも外されたわが街府中は寂れまくり。これでも武蔵国国府所在地だったんですがねぇ…

253:人間七七四年
12/08/27 00:28:14.87 X9XaDZe5.net
>>244
>印旛沼干拓、利根川河道整理
終戦直後の八条宮内閣の国土復興計画でやっと着手して、完成が昭和30年代後半だったっけ。
それまで南関東の冷遇され方は酷かったよな。
府中は刑務所まで誘致する羽目になるし、しかも「囚人が逃亡した場合山林に潜伏するなどしてすぐに確保できない」といって断られてる。

昭和62年に大河ドラマで「徳川家康」が放映されて江戸が注目されて、平成景気の余波で建設ラッシュになるまでは本当に悲惨だった。

254:人間七七四年
12/08/27 01:16:30.37 ReRYTHJi.net
>>245

関東冷遇の歴史

明治初期…整備事業が検討されるも「北海道開拓事業と両立困難」と判断され後回しに

明治中期…「今は軍備近代化を急ぐべし」と判断されry

大正時代…大震災復興予算がつくも、大恐慌で税収吹っ飛んだ余波を食らってry

昭和初期…満州開拓事業と両立困難と判断されry

戦中…本土防衛の観点から関東は未整備の方が望ましいと判断されry

北海道>軍備>恐慌対策>満州>(越えられない壁)>関東orz

一説によると平将門以来武家政権が関東に発したことを嫌った朝廷の意を汲んだ豊臣政権以来の言い伝えというが……

255:人間七七四年
12/08/27 01:59:51.72 X9XaDZe5.net
>北海道開拓事業
北海道というと樺太島とその付属の島だな。
千島本島(旧・蝦夷ヶ島)を中心とする北山道から明治初年に独立させられた。
当時ロシアがシベリア鉄道を延長しまくってシベリア開発を進めてたから早いうちに領土化しないと取られてしまう恐れがあったとはいえ、確保だけなら要塞一つと一個艦隊で可能な規模の地域だ。
関東開発と両立は十分可能だった。
それをやらせなかったのは自身を大政奉還に追い込んで政権をひっくりかえしかけた東国雄藩特に結城松平への豊臣の意趣返しと言われている。
豊臣一族の中でも特に結城松平の本家筋の秀康流当主羽柴春嶽の行った妨害は凄かった。
ロシアの脅威を訴える吉川藩士吉田寅次郎や伊藤俊助以下の門弟たちをスポンサードして徹底的にロシア脅威論を説かせ、本まで出させている。
そこまでやるかってレベルだ。

256:人間七七四年
12/08/27 02:05:34.63 X9XaDZe5.net
>平将門以来武家政権が関東に発したことを嫌った朝廷の意を汲んだ豊臣政権
そういえば時代劇で「関東を嫌っている」という設定の朝廷が出てくる時は秀吉とか豊臣の当主の役は必ず嶋田久作がやるよな。
あれは一体どういう意味があるんだろう。

257:人間七七四年
12/08/27 10:04:05.22 X9XaDZe5.net
ところで何気に大政奉還まで生き残った浅野はどうやって関ヶ原後を生き残ったんだろう?

258:人間七七四年
12/08/27 14:46:24.21 Jj3PjaMU.net
浅野? 北政所系の浅野って幕末まで続いててのか。地味すぎて知らなかったよ。
最初に>>249のスレを見たときは、あの不思議大名、浅井の書き間違いかと思った。
初代の浅井伊頼にいくつもの替え玉説があったり、淀殿晩年には江若丹但4国を領したのに、
その没後はいつの間にか織田家傍流の血筋に乗っ取られて、結局取り潰しにあったり、
今川了俊の再来と言われた立花家や、なぜか沿海州に進出した京極家並に波乱万丈だよね。

259:人間七七四年
12/08/27 17:07:57.08 czj+VWID.net
>>245
今でも府中番外地ってあるんか?

260:人間七七四年
12/08/27 22:13:51.56 JjFtpq8c.net
URLリンク(www.biwako-visitors.jp)

261:人間七七四年
12/08/28 13:41:55.12 CN1P7Fh6.net
平塚為広も語れよ

262:人間七七四年
12/08/28 19:46:47.60 O/D9ezU4.net
>>253
この人も凄い猛将で仁義のある人で好き。ただ、10万石で幕末で残ったのは凄いね。
平塚らいてうもお姫様だしね。

263:人間七七四年
12/08/29 00:35:22.57 /3PX023Q.net
>>248
嶋田が「東方物語」で関東破壊の魔人加藤保憲を演じてるからだろ。

>>249
浅野は一門ゆえということで甲斐府中20万石を没収され、代わりに常陸真壁5万石、下野真岡2万石の計7万石を与えられて存続。
その後宇都宮15万5,000石に加増されて執事に列した。
豆知識だが関ヶ原後の減封時帰農した一族の子孫から播州赤穂で製塩業を営んで成功した者が出ている。

浅井は有楽流の本家争いに巻き込まれたのが不運だった。
関ヶ原で石田隊に突きこんで捕まり、勇戦を評価され許されて黄母衣衆に取り立てられた長孝と、弟で嫡男の頼長、三男の俊長の家がいずれも本家を主張して譲らず、後ろ盾を得るためにいろんな大名家を次々巻き込んでいった時にやられてる。
で、織田の血を取りこんで家格を上げようとした重臣の策が裏目に出て乗っ取られ、改易。
でもより悲惨だったのは京極。
せっかく娘を秀頼の側室に差し出して大名に復活してたのに、浅井家中の混乱を仲裁し損ねて半知召し上げ。
沿海州に逃亡する羽目になった。

立花は八洲(やしま、高山国、今の台湾)経略で大活躍だったからな。
一時は領地が200万石近くにまで増えた。
今でも台湾の大貴族に立花家っているし、その呼ばれ方はまったく不足ない。


264:人間七七四年
12/08/29 15:11:52.69 /3PX023Q.net
>>254
平塚は大谷隊・小早川隊が家康本陣を突いた時先頭を切って突入したんだよな。
で、旗奉行の成瀬正一を討って家康の旗を奪った功績で10万石加増。
相方の戸田も家康の馬印を奪って、凱旋する時はこの二人が隊列の先頭を歩いた。

想像するだけで興奮するぜ。



265:人間七七四年
12/08/29 17:36:10.36 toLwX5eH.net
>>256

しかし十万石加増で与力→国持大名への出世とはいえ、
貰った国が伊豆というしょっぱさ……

戸田は戸田で上総半国(佐倉10万石)だしなー

266:人間七七四年
12/08/30 02:05:57.52 kGM7deXb.net
>>257
谷口とか小和田とかは豊臣は最初から江戸の陣を起こして徳川を潰すことを目論んでて、平塚と戸田を江戸攻めの先鋒にするため伊豆・上総に封じたという説を説いてるね。
表向き石高は10万石だけど蔵入地10万石超の代官を兼ねていて、実際の動員能力はその3倍近いとか。
駿河、遠江及び常陸、下総の大名配置を見ると明らかに対徳川の隊列になっているし。


267:人間七七四年
12/08/30 12:42:53.29 fm7fDD4k.net
大野治長はかわいそうだったな、家康の暗殺未遂の嫌疑をかけられて流された挙句
配流地の兼ね合いで東軍側について改易だろ


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