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春馬関連の記事(継父、実母)
三浦春馬が当時4歳の頃、茨城県つくば市の新興住宅地で1995年2月に実父が木造二階建て住宅を建て、共働きで夜の12時過ぎ両親の帰りを待つ生活を送っていた。
幼いころから知る知人の証言
「お父さんは建築関係の仕事、母親はゴルフ場で働いていましたが、なぜか夫婦の帰宅は毎日十二時過ぎ。幼い春馬くんはずっと一人ぼっちで本当に不憫でした。ある日、近所の人が『うちで一緒にご飯食べようよ』と誘ったところ、彼は『ママが用意してくれたものがあるから』と言い、持ってきたのはコンビニのお弁当一つ。あの子は幼稚園児の頃から親に五百円玉を渡されて、コンビニ弁当やラーメン屋でお腹を満たしていたのです。
幼稚園の頃から一人で外食を覚えていた為自立が早かったと思われる。
両親は鍵っ子だった春馬くんを公文式に通わせる傍ら、日夜問わず児童劇団に預けていました」一家の知人
そのころから、一見幸せそうに見える三浦家の夫婦仲も次第に険しくなっていく。「夫婦喧嘩の末か、お母さんが裸足で近所の家に助けを求めていたことがあった。母親と二人で逃げるようにして家を出ていったのは春馬くんが小学一年生の頃。その後、お父さんは夜逃げ同然で家を出ていき、一家離散になったのです」一家の知人
「離婚の末、実母は水商売で生計を立てるようになった。彼女は垂れ目のぱっちりとした瞳の美人で、地元ではかなりモテた。高校を出たばかりの頃、彼女は二千人を率いる地元の暴走族の幹部と交際もしていた。ところが、彼は十九歳のときに交通事故で亡くなってしまった。その出来事は彼女のその後の男性観に大きな影響を与えたと思います」
実母を知る地元の飲食店経営者