20/08/12 08:57:57.71 U5qwIQ+W0.net
>>615 より
当時、毎月の会費と呼ばれる上納金は約100万円とされていた。それに加えて雑貨の“押し売り”の負担が生じることになる。直参組長らは経済的な負担に悲鳴を上げた。
当時を知る山口組系幹部は、次のように振り返る。
「自分のところはミネラルウオーターなどを飲食店にそれなりの値段で回すことが出来たのでさほど問題ではなかった。しかし、そうしたルートがなければ、事務所などに積んでおくだけになる」
神戸への直参組長の常駐は、まるで江戸時代に諸大名が強いられた参勤交代のようである。さらに、さほど必要性のない日用雑貨品の“押し売り”は、有力大名が「天下普請」と称して土木工事に駆り出され、不要な出費を強いられたのと似ている。いずれも、弘道会系以外の有力直参の経済力を削ぐ、高山の「直参統制」の施策とされていた。
(>>615の ■後藤組長のゴルフコンペ開催が逆鱗に触れた~ に続く)