14/10/26 01:31:36.00 .net
>>757
基本的に神仏に国境はないかとは思いますが、むしろ個人の宗教的体験に基づく「感得」は重要な要素だと思うんですよ。
(聖母アリアだって、新大陸では褐色の肌のマリアとして現れ、教皇庁もそれを認定してるわけですが(グアダルーペのマリア)、これなんかは日本でいうところの「習合」・「感得」と同じなわけです。)
私ら行者の世界では、印を結んで拝んでる最中に、なぜか指が動いたりして、習った訳でもない印を「感得」してしまうことがあります。なんじゃこれ…と思うわけですが、後になってその意味がわかったりします。
…しかし、その印をこれぞと思った別の行者にお授けしたらその方には何も意味をなさなかったり…。
「感得」は個人的宗教経験の中で生まれるものですから、もちろん皆さんにも起こり得る…ものすごくダイナミックな要素だというのも重要な点だと思います。
…明日の朝のお勤めを寝倒すわけにはゆかないので、申し訳ありませんが今夜はここまでで失礼させて頂きます。
おやすみなさい。合掌。