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★女子大生殺しの元警察官・松山純弘 (事件発生1978年1月10日)
八王子医療刑務所と千葉刑務所を行ったり来たりする懲役は少なくない。
特に無期懲役囚は精神をやられやすい。希望を失った人間はすぐに心が蝕まれてくる。
女子大生殺しの元警官・松山純弘もそんな一人である。
警視庁北沢署に勤務する現職警官だった松山(当時20歳)は昭和53年(1978)
世田谷区経堂に住む女子大生のアパートに押し入り、暴行しようとしたが抵抗され
ストッキングで首を絞めて殺した。
私は千葉刑務所に入ってすぐ松山と話す機会があったが素人目にも明らかに精神に
変調をきたしているようだった。
「ふ、ふ、富士山に、ぶ、ぶ、ブタが、と、と、とんでいるみたいです・・・・」
案の定というべきか、その後まもなく松山は八王子に送られた。
「かわいそうだが、あいつはもうだめかもしれんな・・・」みな、口々にそう言ってた。
ところが10年くらいして再び千葉の工場で松山を見たときは本当に驚いた。
「おい、ワシのこと覚えとるか?お前八王子から戻ってきたんか?」私が声をかけると
「は、は、ハイ・・・も、もう、あ、あそこ行きたくあ、あ、ありませんよ」
ドモリのほうはますます酷くなっていたが、わけのわからない発言はなくなっていた。
「ぼ、僕にはもう、ま、孫がいますよ・・・・」「ええっ?お前、孫がいるん?」
事件当時の松山は20歳で、もちろん独身だった。だから「孫がいる」というのはおそらく
本人の夢か希望だろう。いや、彼が孫を夢見る年齢になったということなのかもしれない。
何しろあれから30年以上経っているのだ。 (「31年ぶりにムショを出た」金原龍一より)