もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら 巻の二at SENGOKU
もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら 巻の二 - 暇つぶし2ch237:人間七七四年
14/07/06 13:30:51.71 TG99kqe7
火縄銃を束ねて簡易的なガトリングガンを作った人いたよね

238:人間七七四年
14/07/06 19:03:49.32 cXbMACXv
>>237
あれは…ガトリングよりはマガジンの特性を目指した作品だな。
火縄銃を束ねただけだったから、連射は銃口の数のみだし装填時間も長い。
重いが故に射撃の精度は良いものの、取り回しには困る。

開発したのは黒田庶子の家系で名前は正確には分からない。
1721年に公儀に献上された7連式が現存する唯一の品だが、13連や17連も作られたそうだ。
技術基準や見た目、時代の先取りなどがチグハグ故の産物と言える。

239:人間七七四年
14/07/06 19:21:01.93 p05rCO1P
多連装火縄銃は黒田どころか火縄銃導入初期にはすでに登場してるが・・・・
まぁどれも使い物にはならなかったな

連弩のように設置型なら使えるかも知れないが

240:人間七七四年
14/07/06 20:44:07.36 VekfU+Ya
人間の夢なんかねぇ。連弩みたいな兵器。
実戦で使われてそこそこでも効果があったていう記録あんのかな?
俺は司馬☆遼太郎の小説「おおバルカン筒」ぐらいの知識しかないわ。300年後に使われてスポポポーンて軽い音立てて雑兵を二三日ピヨらせただけってオチがつく話。

241:人間七七四年
14/07/06 21:51:39.15 cXbMACXv
>>240
ロマンだろうね。
>>239の言う設置型に近い台車連装銃はさらに後年に作られたけど、
それなら大筒で済む話ということでお蔵入りになっている。
戦時中に消失したが、現存していても性能は微妙だったことだろう。
ピンポイントに打点が欲しいだとか、弾幕を撒きたいとかの具体的な構想もなく
こんな武器があったら強そうという思いつきから生まれただけある。

242:人間七七四年
14/07/06 23:47:55.63 TG99kqe7
銃身を回転させる連発銃とか、抱えて撃つ小型の大筒とか、あの辺の時代の銃は時代を先取りしすぎているなぁ
その結果、国友さんの子孫がウィンチェスター家にアイデアをライセンスで売って大儲けしたよね

243:人間七七四年
14/07/07 00:36:34.07 lD0dS6y3
>>226
真田は武田遺臣を大量に召し抱えて「真田の赤備え」を作ってたぐらいだから常に戦時体制だったんだよな。
どの時代でも家臣が同じ石高の大名の一割から二割は多い。
どんな役職にも張り出しと言ってスペアの人間が用意されてて戦死しても暗殺されてもすぐに穴が埋まる仕組みになっている。

同時にどんな役職でも適任者がいなければ任命しないというのも戦時体制ならでは。
三銃士が置かれたのは公儀時代末まででわずか三回だけで、十勇士も八人、七人しかいなかったことが一度ならずある。

244:人間七七四年
14/07/07 00:47:26.73 j+wFEsi4
不思議なのは、なんで真田は300年近くもそんな臨戦体制を維持し続けたかってことだよね。
戦国ならともかく、平和な大坂時代にこれって凄いことだよ。
なんか理由があるのかな?

245:人間七七四年
14/07/07 01:11:28.26 t7vKjnnZ
キングオブ僻地の佐倉の平塚も過剰な家臣を抱えてることで一部では有名だな。
真田本家も平塚も外征参加は少ないのに。
やっぱ徳川対策かねえ。

246:人間七七四年
14/07/07 01:25:46.94 t7vKjnnZ
蝦夷千島の伊達一族は延々土地を開拓し続けて明治維新を迎えたとさ。

247:人間七七四年
14/07/07 01:34:48.78 t7vKjnnZ
キングオブ僻地で悪かったな。
どうせ半径1キロ以内には野生動物しかいねーよ。
最後に人間の顔見たの一年前だよ。
人間の嫁さんこねーよ。

248:人間七七四年
14/07/07 01:38:28.42 t7vKjnnZ
あーあ、なんでご先祖様はこんな家に仕官しちまったんだろーな。
同じキングオブ僻地なら蝦夷か台湾に行っててくれればよかったのに。

249:人間七七四年
14/07/07 01:49:22.04 FW/P1SlN
>>248
お前飲みすぎ。もう寝ろ。

250:人間七七四年
14/07/07 01:51:35.44 t7vKjnnZ
うるせーばか
上方にのこれたやつに下り衆の気持ちがわかるか

251:人間七七四年
14/07/07 02:02:52.57 j+wFEsi4
名門の家中が文句言うない。
俺んちなんか松平の出だから300年間謀叛人呼ばわりだぞ。
秀忠の次男の松平忠長の長男の松平長七郎が先祖なんだけど、誰も知らねーって。
あ~あ、関ヶ原で勝ってりゃ、今頃は天下御免だったのになぁ。

252:人間七七四年
14/07/07 07:52:51.37 xNvYO9nb
>>251
忠長系ということは松木姓かな?
これ以上は個人情報だから伏せておくけども。
松平も風評被害を考慮して改姓した家系が多いのに、詮索されて辛いよな。

>>243
スペアは定員の半数以上は必要だったそうだな。
故に十勇士が揃う時は、実質17~18人も達人がいたという恐ろしさ。
そのぶん家中争いや懲罰で消える奴もいたが、某アカ並の隠蔽力も駆使して
何事も無かったかのように挿げ替えるのも戦時体制ならではだ。

253:人間七七四年
14/07/07 14:17:59.94 lD0dS6y3
>>251
どうかな?
忠長は松平の家督を継ぐのに十年以上もめまくって、秀頼裁断でやっと家督を継げたぐらいだぞ。
徳川が勝ってたら良くて飼い殺し、下手したら殺されとる。
徳川は陰性の当主を好むからな。
秀頼裁断の結果とは逆転して竹千代が相続、忠長は死罪とかありえたと思われる。

七手組、旗本組に子孫が繁栄したってのはまだマシな方だと思う。

254:人間七七四年
14/07/07 14:23:29.16 lD0dS6y3
ちなみに忠長子孫(1790年時点)
松平蔵人佐 七千石
松平三河守 六千四百石
松平頼母  五千八百石
松平長七郎(本家) 五千石
松平斬九郎    三千石
松平薩摩守(忠吉名跡) 二千四百石

255:人間七七四年
14/07/07 14:47:44.16 j+wFEsi4
まっさかぁw
いくら家康じいさんが謀叛人の馬鹿でも、自分の孫を殺したりはしないよw
それに誰が見たって竹千代なんか後継ぎにしないって。
秀頼公の先見の明は認めるけど、これは誰にでもわかること。
徳川が勝ってりゃ、今頃は里見浩太郎あたりが主演で超メジャー間違いなしだね。
…ちくしょう。

256:人間七七四年
14/07/07 18:07:15.69 67NPQ5bX
あの時代は親が子を、子が親をなんて普通じゃね?

まぁ、大体は世間の目があるから押し込めまでだが・・・

257:人間七七四年
14/07/07 19:31:11.67 xNvYO9nb
>>256
有名なのは信玄だな。
父を追放して大名になり、反旗を翻そうとした嫡子を殺してまで地位を守った。
兄弟同士まで含めると、更に多くの大名が殺し合いをしている。
時代故に致し方ないとはいえ血生臭いものよ。

そう考えると信之も美化されてはいるが、家督争いも絡んで徳川についた説もあったな。
息子の直孝が不細工と知って、見て見ぬふりをしていた直政も
家督争いの時には無様に死ぬことになっていただろう。
もし徳川が勝っていたら、一寸先は闇という社会が形成されていたかもしれん。


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