☆スキタイ人はどんな遊牧民族なの? 第5章★at WHIS
☆スキタイ人はどんな遊牧民族なの? 第5章★ - 暇つぶし2ch2:世界@名無史さん
13/05/17 19:50:53.81 P.net
あんたのことがスキタイ!大スキタイ!

3:世界@名無史さん
13/05/17 19:57:00.19 P.net
★スキタイ人はどんな遊牧民族なの? 第4章★
スレリンク(whis板)

★スキタイ人はどんな遊牧民族なの? 第3章★
スレリンク(whis板)

★スキタイ人はどんな遊牧民族なの? 第2章★
スレリンク(whis板)

4:世界@名無史さん
13/05/17 20:02:25.06 0.net
★スキタイ人はどんな遊牧民族なの?★
スレリンク(whis板)

最初のスレが抜けてるじゃん

5:世界@名無史さん
13/05/17 21:48:51.01 O.net
鹿児島人、「おいどんはアンタのことがスキタイ」



死~~ん

6:世界@名無史さん
13/05/18 00:02:15.93 0.net
スキタイ人はヘロドトスの時代にスキュティア(ウクライナ)にいた人々。
遊牧系と農耕系があり、遊牧系はイラン系、農耕系はスラヴ系。

以上。

7:世界@名無史さん
13/05/18 00:28:58.86 0.net
好きタイ人って世界史の教科書とかで漠然とした印象しかなかったが
それがイメージ化できるようになったのは
岩明均先生の「ヒストリエ」のお蔭です・・・感謝してます

8:世界@名無史さん
13/05/25 00:56:07.77 0.net
スキタイ人は遊牧民だけとは限らない
農耕民もスキタイ人

「スキタイ人」とはスキュティアつまり今でいうウクライナの人々の意味

9:世界@名無史さん
13/05/25 01:03:37.57 0.net
農耕スキタイと農民スキタイの違いがよく分からない

10:世界@名無史さん
13/05/25 01:15:01.26 0.net
それはプロでもわからない
史料が少なすぎて

おそらく地方的な文化習俗の違いによるものだろう
ウクライナ北半を中心に生活していた農耕スキタイはチェルノレス文化の本流で原初のスラヴ語の人々の伝統的な様式
生業も輸出穀物の栽培
農民スキタイは彼らと血統は基本的に一緒で言語系統も同じだが、黒海沿岸でギリシャ文化を受け入れてギリシャ風の様式
生業は主に穀物を扱う運送業や商業

11:世界@名無史さん
13/05/25 01:16:37.36 0.net
チェルノレス文化も原初のスラヴ語と言えるかどうか微妙
実際はもっと古い、トシュチニェツ文化とコマロフ文化の文化複合の時代がスラヴ語の原初と言えるかも

12:世界@名無史さん
13/05/25 06:58:55.43 0.net
歩兵のキンメリアは騎馬のスキタイに歯が立たず追い出されたという
キンメリアは騎馬ではなかったという説が出ているが
カフカース越えを馬車と歩兵でやったというのは無理だろう。
後のスキタイほど派手には暴れてはいないがウラルトゥやフリギアをフルボッコしている

13:世界@名無史さん
13/05/25 10:39:51.27 0.net
キンメリア人はチャリオットぐらいは使っていただろう。

トシュチニェツ=コマロフ文化複合の研究が盛んになって判明したことは、
おそらくキンメリア人はスラヴ人の先祖の一つだろうということ。
トシュチニェツ文化がスラヴ人の本流系で、コマロフ文化がキンメリア系。
後にこれは文化複合をなし融合してしまい、チェルノレス文化(農耕スキタイ=ウクライナ北半のスラヴ人)となる。

14:世界@名無史さん
13/05/25 15:48:58.78 0.net
山地越えは騎馬より徒歩のが容易でしょう
馬車を解体して運ぶのは面倒臭いが

15:世界@名無史さん
13/05/25 16:12:05.19 0.net
キンメリア以降、カフカースを越えて進軍したスキタイ、フン、モンゴル、
ティムールに至るまで主力は騎馬の軍。
歩兵で進んだら進軍に時間がかかり相手に準備の時間を与えてしまうし
兵糧的にも持たないのでは

16:世界@名無史さん
13/05/25 16:31:23.10 0.net
スキタイ以降はカフカス山脈の北に遊牧国家しか無かったし
カフカスを迂回すればより移動運搬の労力と時間が掛かってしまうかと

17:世界@名無史さん
13/05/26 00:14:27.34 0.net
カフカス(コーカサス)はあの時代には交易ルートが確立していた
マイコープ文化やクロ・アラクセス文化(別名トランスコーカサス文化)がそれより前の時代に栄えていた

人類で初めて車輪を開発したのがクロ・アラクセス文化

18:世界@名無史さん
13/05/26 01:16:51.27 0.net
スキタイとは関係ないけど、カフカス関連でフリ人がオリエントに
馬と戦車を持ちこんだのか、アーリア人なのかどちら?

19:世界@名無史さん
13/05/26 07:24:14.89 0.net
フルリ人だろう
しかしフルリ人のミタンニの貴族層はアーリア系

どういうことかというと、
アーリア人が少数派としてフルリ人社会を完全に支配していく過程で馬と戦車が導入され、
支配が確立して国家の体をなしていくと国としてフルリ社会で馬と戦車が使われるようになった
とはいえ人口で多数を占めるフルリ民衆層の言語は非アーリア系のフルリ語

20:世界@名無史さん
13/05/26 07:59:10.19 0.net
スキタイの前のキンメリアは系統不明

21:世界@名無史さん
13/05/26 10:39:43.14 0.net
結論はまだ尚早だが、記録された単語からキンメリア語はイラン系とみられてはいる

22:世界@名無史さん
13/05/29 16:23:10.39 0.net
ここがこんなに盛り上がってるのもへロドトスがスキュティアを
大分ひいきして書いたからか


23:、



24:世界@名無史さん
13/05/30 19:57:04.39 0.net
カフカス越えというと、オリンピックやるソチあたりだな?
新田義貞の鎌倉攻めみたいに、刀を海投げ込んだら潮が引いて道ができて騎馬で攻め込んだのかもしれぬぞ

25:世界@名無史さん
13/05/30 20:02:36.97 0.net
刀じゃなくアキナケスだろ

26:世界@名無史さん
13/05/30 20:17:42.54 0.net
短剣な短剣、サムライソードじゃなく刀、アキナケスじゃなく短剣

27:世界@名無史さん
13/06/22 08:15:00.95 0.net
>>22
ヘロドトスはいかにも東方らしい遊牧系スキタイ(イラン系?)の習俗に興味を持っていたが、
同時に農耕系スキタイ(スラヴ系)の住むスキュティアの土地の豊かさにも憧れていた。
世界で最も肥沃な農地、黒土地帯というやつ。

28:世界@名無史さん
13/07/16 NY:AN:NY.AN 0.net
現在のイラン系とスラブ系とを「スキタイ」で括っている理由は何だろうね。

29:世界@名無史さん
13/07/16 NY:AN:NY.AN 0.net
イラン系遊牧民の影響を隠蔽したいからだよ

30:世界@名無史さん
13/07/20 NY:AN:NY.AN 0.net
>>27
「スキュティア人」だから
スキュティアは地方名(いまのウクライナ)
つまり「スキュティア地方の人々」の意味
つまりスキタイは特定の民族名ではなく、今のウクライナの住民の総称

31:世界@名無史さん
13/07/20 NY:AN:NY.AN 0.net
>>29
古代において「スキュティア」とされた地域は今のカザフスタンやアフガニスタンまで広がっているので
「今のウクライナの住民の総称」とはいえない。

32:世界@名無史さん
13/07/20 NY:AN:NY.AN 0.net
その辺までいくと「サカ」「サカイ」になる。

33:世界@名無史さん
13/07/20 NY:AN:NY.AN 0.net
>>30
それならなおさらスキュティア人は多民族からなる地域住民ということになる。
ヘロドトス時代のスキュティアはウクライナで、ここは主に北や西はスラヴ系、東や南はイラン系が住んでいた。

34:世界@名無史さん
13/07/21 NY:AN:NY.AN 0.net
種族名より地名が先だったとしたらそもそも何で「スキュティア」という地名が付いたん?

35:世界@名無史さん
13/07/21 NY:AN:NY.AN 0.net
>>31
ヘロドトスは「スキタイ」と「サカ」は単にギリシャとペルシャでの呼称の違いといっている。
『歴史』7巻64節
「この民族はスキュタイ人なのであるが、「アミュルギオンのサカイ人」とよばれていた。
ペルシア人はスキュタイ人をすべてサカイ人と呼ぶからである」

36:世界@名無史さん
13/08/19 NY:AN:NY.AN 0.net
今のオセチアンのような感じかな。
それが広範囲に分布していたということかな。

37:世界@名無史さん
13/08/19 NY:AN:NY.AN 0.net
盗賊を生業としていた民族だよ。

38:世界@名無史さん
13/08/19 NY:AN:NY.AN 0.net
オセット人はもうただのカフカスの山岳民になっちゃてる

39:世界@名無史さん
13/08/19 NY:AN:NY.AN 0.net
中国の史書に現れる「塞」はペルシャの言う「サカ」とは被るが
黒海北岸のギリシャ表記の「スキタイ」まで範疇には含まれないだろう。
仏陀が黒海北岸のスキタイが出自であるとは言わないように。

40:世界@名無史さん
13/08/19 NY:AN:NY.AN 0.net
中国の史書に現れる「塞」が征西してスキタイになった。
ブッダの遠い祖先に当たる民族集団が居たのはインド北西部からパキスタンに掛けて

41:世界@名無史さん
13/08/20 NY:AN:NY.AN 0.net
パンジャプ辺り?

42:世界@名無史さん
13/08/20 NY:AN:NY.AN 0.net
釈迦族=サカ=スキタイ?

43:世界@名無史さん
13/10/20 13:03:53.18 0.net
弓矢はどうやって持っていたの?
欧州風?それとも日本みたく親指使ってた?

44:世界@名無史さん
13/10/20 13:38:21.47 0.net
いずれにせよ、かなり広範囲に分布する集団に対する呼称だねスキタイは。
それでもコーカソイドという共通性はあるか。

45:世界@名無史さん
13/10/21 01:16:55.59 0.net
>>33
何かを投げるとか撃つとかいう意味の印欧祖語から
つまりスキタイとは日常的にしょっちゅう弓矢を使ってる人々とかいう意味
ペルシャあたりの人々は農耕をしていたため弓矢は戦争の時しか使わないが、北方のステップの人々は弓矢を日常的に使う
そのため弓矢を使う人々の国々のある地方を纏


46:めてスキュティアと呼んだ したがって地名が先



47:世界@名無史さん
13/10/21 01:32:09.87 0.net
スキタイ人は民族ではない

48:世界@名無史さん
13/10/21 02:01:21.75 0.net
>>44
おお結論が出た。

49:世界@名無史さん
13/10/22 01:14:11.84 0.net
弓矢を使う諸民族=ステップ地帯の諸住民

50:世界@名無史さん
13/10/22 07:21:33.50 0.net
>>44
アシュクテルとかだっけ? なんの本か忘れたがそんな感じの古語が紹介されてた気がする
末流の英語だと"shoot"にあたるもんだと補足されてたような

51:世界@名無史さん
13/10/22 07:30:28.59 0.net
Proto-Indo-European: skeud-
English: sheet, shuttle, shoot
French: escot
High German: scuz
Polish: strzelac
Norse: skuta

52:世界@名無史さん
13/10/22 09:42:27.49 0.net
ああ、ありがとう・・・・そんな感じだった

53:世界@名無史さん
13/10/31 16:07:18.77 0.net
射手座をラテン語でサジタリウス(Sagittarius)というのも同じだな
スキタイ、アシュケナジム、アシュグザーヤ、ソグド、サカ、塞、みな同じ

ギリシア語で語尾のai,oiは「○○族、○○人」だから
スキト・アイでスキタイ、ソグド・オイでソグドイ、サカ・アイでサカイ
スキタイの住む土地(ia)がスキティア

54:世界@名無史さん
13/10/31 19:22:39.68 0.net
アシュクザーヤってアッシリア人が記録したスキタイの呼称だよな
アシュケナズは聖書の創世記でヤペテの子ゴメルの子孫として出てくるな
要するにセム系の連中は、印欧語のスキタイ人らが「射手」と自称してるのを呼び名にしたのかな?
ギリシャ人やペルシャ人による呼び名なら、同じ印欧語だから自称じゃなかったとしても問題ないんだが

55:世界@名無史さん
13/11/01 01:46:02.60 0.net
>>39-41
「塞(サカ)」が中国の史書に登場するのは漢書で、史記には一切見えない
彼らは現キルギス北部にいたが、前176年頃に月氏が匈奴に敗れて西へ遷り、塞を打ち破った
まもなく烏孫が月氏を破ってさらに西へ追いやり、塞は月氏や烏孫に従属した
彼らがイラン南東部(シースターン)に来るのは前128年で、パンジャーブには前63年にやっと来ている

しかし釈迦が活動したのは前5世紀で、全く年代が違う
スキタイは前8世紀にはコーカサス地方に、前7世紀末にはウクライナに来ている
従って、釈迦族は(少なくとも文化的に)アーリヤ人の末裔とは言えるが、塞(サカ)の末裔では全くない

56:世界@名無史さん
13/11/01 18:48:41.07 0.net
サカの子孫がバルーチかな。

57:世界@名無史さん
13/11/01 19:54:30.90 0.net
>>53
サカイと塞は同じ民族を指す。
また考古学的にペルシャ帝国を建国したアーリヤ人がシンドへ移動した形跡は無く
釈迦族は文化的にも遺伝的にもアーリア人の末裔ではない

58:世界@名無史さん
13/11/01 21:57:08.36 0.net
ペルシャの記録ではマッサゲタイ・サウロマタイ・スキタイを一括して"サカ"と記述している

59:世界@名無史さん
13/11/01 22:19:10.88 0.net
ダレイオスの碑文には、東から
 サカ・ハウマヴァルガー:ハオマ(麻薬酒)を飲むサカ(中央アジア東部)
 サカ・ティグラハウダー:尖がり帽子のサカ(キュルバシアを被るアミュルギオンのスキタイ)
 サカ・パラドラヤ:海/大河(ダリヤ)のかなたのサカ(カスピ海や黒海の北方のスキタイ)
の三種のサカが挙げられており、スグダ(ソグド)は別に挙げられている
尖り帽子のサカの一部はダレイオスの即位時に敵対しており、その王が捕縛された姿で描かれている

60:世界@名無史さん
13/11/02 09:52:44.03 0.net
釈迦族はいまのブータン人とよく似た人々でネパールのカーストでは東部の米作地帯に住む平民最下層

61:世界@名無史さん
13/11/02 10:52:59.93 0.net
言語的には古代マガダ語を話していた

62:世界@名無史さん
13/11/04 17:04:50.91 0.net
尖り帽子の人物像を象った骨壺はポーランドから大量に出土している。
ただし、遊牧民が土葬なのにたいして、これらは骨壺で、スラヴ人や古い時代のゲルマン人に共通する火葬の証拠でもある。
ポメラニア文化、あるいはポメラニア顔形骨壺文化という。

つまりこの地域のスラヴの先祖、より正確には西スラヴ人の先祖がステップ遊牧民の服装を取り入れていた証拠。
この傾向は中世から近世のポーランドにも見られるのが興味深い。
近世のポーランド貴族は積極的にステップ遊牧民の服装や習俗(特に葬式や国王選挙)を採りいれていた。

63:世界@名無史さん
13/11/05 01:44:09.83 0.net
>>58 今のタルー族と関連があるのかな。ネワール族にもサキャというカーストがあるけど、もし釈迦族がアーリア化したチベット・ビルマ系モンゴロイドだとしたら、
末裔はチベット・ビルマ系の固有言語を持つネワール族よりも、アーリア系言語を話すモンゴロイドのタルー族の方がそれっぽい

64:世界@名無史さん
13/12/08 15:20:16.80 0.net
ウクライナ人が一部のスキタイ人の子孫というのは違和感ありまくり。

65:世界@名無史さん
13/12/08 15:37:59.59 0.net
それは先入観から。

スキタイ人→優等
スラブ人→劣等

これが先入観。実はウクライナ人はスキタイの直系子孫と言っても良い。
ただしスキタイ時代以降にゴート人やサルマタイ人と混血したため直系は言い過ぎか。

66:世界@名無史さん
13/12/08 15:47:23.93 0.net
キンメリアは最終的にどこに逃れたの?

67:世界@名無史さん
13/12/08 15:50:55.83 0.net
パフラゴニアやカッパドキア
黒海北岸に居残った連中はスキタイに吸収されただろう

68:世界@名無史さん
13/12/08 16:06:48.04 0.net
リュディアに吸収されたのかと思ってたけど、違ってたんだな

69:世界@名無史さん
13/12/08 18:01:09.06 0.net
ヘーチマン国家をみてると、ペチェネグ、ポロヴェツからの流れが感じられる
ウクライナのメインストリームではなくあくまで傍流としてだけど

70:世界@名無史さん
13/12/09 10:27:51.77 0.net
ウクライナのメインストリームはヘーチマン国家と対峙したヴィシニョヴィエツキ家。
ヘーチマン国家を立てたコサックのルーツは逃亡農民。

71:世界@名無史さん
13/12/09 10:28:51.21 0.net
現代のウクライナ国家は、今キエフなんかデモで揉めてはいるが与党野党ともにヘーチマン国家の系統。本来なら傍流。

72:世界@名無史さん
13/12/11 01:05:43.68 0.net
地味にアッシリアにも侵入してたよね

73:世界@名無史さん
13/12/16 00:41:38.62 0.net
アッシリアどころかエジプト国境まで押し寄せて
ファラオは黄金差し出してお引取り願った。
その後オリエントに居座ってヒャッハーと略奪三昧だったが、
メディア王キャクサレスが宴会においてスキタイ王マデュエスを謀殺、
スキタイの残党はリュディアへ逃げ込んだりカフカス山脈の北へ逃げ帰った。

74:世界@名無史さん
13/12/16 08:33:04.15 0.net
ウクライナの本流がスラヴ系農耕民文化、傍流がスキタイ系遊牧民文化か

75:世界@名無史さん
13/12/16 19:50:43.37 0.net
オセチア人とその周辺民族あたりがスキタイ人の末裔と言えば末裔だろう。
イラン系はオセチアしかいないから、他は非イラン系に吸収されたと考えられるかな。

76:世界@名無史さん
2013/12/1


77:7(火) 09:47:19.75 0.net



78:世界@名無史さん
13/12/17 09:49:58.33 0.net
オセットの起源はマッサゲタイでスキタイとは別種。
スキタイと対立していて、スキタイを西へ追いやった。

79:世界@名無史さん
13/12/17 11:25:58.86 0.net
広い意味でのスキタイ(サカ)の一種じゃないかな
言語的・文化的には似たようなもんだ

80:世界@名無史さん
13/12/17 13:27:19.62 0.net
広義のスキタイとはスキュティア(ウクライナ)に住むあらゆる民族でそこには古スラヴ人や古バルト人も含まれる。
民族としてのサカ人(サカイ、後のスキタイ)はもともとマッサゲタイよりも東方にいた。マッサゲタイとは別種。
マッサゲタイに攻め続けられた結果多くがマッサゲタイを迂回してヴォルガ川を渡りカスピ海の西に落ち着いた。

81:世界@名無史さん
13/12/17 13:30:58.83 0.net
(マッ)サゲタ(イ)

ソグド人か?

82:世界@名無史さん
13/12/17 19:25:46.42 0.net
スキタイ人の子孫と言えるのは?

83:世界@名無史さん
13/12/17 20:00:07.30 0.net
スキタイとサルマタイは信仰は共有していた。
スキタイはグリフィンなど生物を模倣した装飾を用いた一方で
サルマタイは幾何学的な模様を好んだという違いが目立つという。

84:世界@名無史さん
13/12/17 20:40:48.85 0.net
田辺勝美か加藤九祚の本でそんなの読んだ覚えがあるような...
>>80はどこから?

85:世界@名無史さん
13/12/17 21:05:15.95 0.net
幾何学模様を好むのは東亜遊牧民の特徴の1つだよね

86:世界@名無史さん
13/12/18 08:04:57.14 0.net
最西のケルトも最北のゲルマンも好む

87:世界@名無史さん
13/12/20 13:06:45.15 0.net
>>78
マッサゲタイのマッサは偉大なと言う意味。
ゲタイはゲト人。紀元前後に欧州北部に居たゲト人とは同名異種。

88:世界@名無史さん
13/12/20 19:09:19.75 0.net
ゲタイは月氏(gwats-ai)。紀元前後に西域やトゥーラーンに居た大月氏の同名亜種。

89:世界@名無史さん
13/12/20 19:11:48.58 0.net
「偉大なゲト人」
さてどんな民族・人種だろう?
欧州北部のゲト人はゴート人のことだろう。

90:世界@名無史さん
13/12/20 19:17:18.51 0.net
ダキアにいたゲタイはトラキア化したスキタイらしい

91:世界@名無史さん
13/12/20 19:21:15.01 0.net
ゴート人は牧畜民のゲルマン系でイラン系のマッサゲタイの遊牧民とは
文化風習がかけ離れている。

92:世界@名無史さん
13/12/20 19:21:38.24 0.net
ゴート人は古ゲルマン語の部族と古スラヴ語の部族の混交。
古スラヴ語の部族である古ヴァンダルの地域のうち砂地が多く農業に適さない為人口が希薄な北部に
西隣のドイツ北部ゲルマン祖語の部族がやってきて定着して混交してゴート人となる。

93:世界@名無史さん
13/12/20 19:23:20.77 0.net
>>79
ウクライナ人。いまウクライナは大揉め中。

94:世界@名無史さん
13/12/20 19:25:06.92 0.net
匈奴や烏桓が鮮卑に、契丹がモンゴルに飲み込まれたように
ゴートやスキタイ、フンも出自は様々じゃね

95:世界@名無史さん
13/12/20 19:25:10.08 0.net
ヴァンダル的で親EUな西部ウクライナ←(対立・大揉め)→スキタイ的で親ロシアな東部ウクライナ

96:世界@名無史さん
13/12/20 19:25:59.82 0.net
東部ウクライナは語弊がある。東部および南部ウクライナ。

97:世界@名無史さん
13/12/20 19:28:08.40 0.net
今のウクライナもヘロドトスの時代のウクライナの分類とまったく同じ。
西北部は農耕スキタイで、東部や南東部は遊牧スキタイ。

98:世界@名無史さん
13/12/20 19:52:41.72 0.net
しかし、モンゴル的でモンゴル帝国の後継国家であるロシアに親近感を抱く草原の広がる本土ウクライナと
後からくっつけた西部の森林丘陵地帯に棲むスラブ系の対立は興味深いね

99:世界@名無史さん
13/12/20 19:53:29.77 0.net
「偉大なゲツ族」
さてどんな民族だろう?
トゥーラーンに居た大月氏のことだろう。

100:世界@名無史さん
13/12/20 20:27:45.89 0.net
モンゴル系、シベリア系(というか東トルキスタン系)は
日本人に体質がものすごく近い

中国人や朝鮮人は後頭部の隆起が無い
また、鼻梁も(整形しないかぎり)ぞっとするほど低い
これは中国人や朝鮮人が有史以来、糞尿の近くに住んできたための
予防学的な形質進化といえる

かつ、中国人や朝鮮人は
肉や牛乳やヨーグルトに対して先天的な拒絶反応があり
これらへの分解酵素が無いのですぐに下痢をする
ほとんどの場合は油で分解してから食する
(事実、焼肉の販売量などは日本が韓国の40倍にもなる)

101:世界@名無史さん
13/12/20 20:58:51.62 0.net
クリミア半島にはいろんなのが逃げ込んできてるな

102:世界@名無史さん
13/12/20 21:24:21.40 0.net
イラン系=ペルシャ・スキタイなど文明の主流・肥沃な土地を支配し他民族を傘下に収め、他民族の宗教や文化に寛容
印欧系=イラン系によって灼熱なインドや寒冷な西欧など辺地に追いやられその僻みからかカースト制など閉鎖的・差別的な社会を築く。

103:世界@名無史さん
13/12/20 21:29:32.85 0.net
あのぅ、印欧語族というのはイラン語派を含むのですが
なお、語族をあらわす以外で印欧系とは言いません

104:世界@名無史さん
13/12/20 21:45:01.94 0.net
>>96
なるほど大月氏という線もありか。
しかし、随分東へ移動したものだ。

105:世界@名無史さん
13/12/20 21:48:55.17 0.net
インドで支配人種だとか威張っていた連中の源は北方のイラン高原からたたき出された連中
イラン系に負けた僻みをより弱い現地人相手に憂さ晴らしでカースト制を敷く。

106:世界@名無史さん
13/12/20 21:51:41.92 0.net
どう考えてもイラン高原よりインドの方が遥かに肥沃だが

107:世界@名無史さん
13/12/20 21:54:51.36 0.net
湿潤気候なイランから酷暑なインドに追いやられた

108:世界@名無史さん
13/12/20 22:21:30.74 0.net
イランで湿潤気候なのってカスピ海南岸部ぐらいじゃねえの
砂漠とステップと高山地帯ばっかりだぞ

109:世界@名無史さん
13/12/20 22:26:42.06 0.net
インドでカースト制度布いた牧畜民って
元々シンドに居た土着の民族。

イランと違い北から流入した形跡は見つかって無い

110:世界@名無史さん
13/12/20 22:27:50.87 0.net
>>101
大月氏・マサゲタイとゲト族は無関係だよ

111:世界@名無史さん
13/12/20 22:30:58.37 0.net
というかサカこそまさしくイランからインドに逃げ込んできてるじゃねえか

112:世界@名無史さん
13/12/20 23:00:22.15 0.net
イランへ北方遊牧民が侵入した時代やシンドで遊牧民が優勢となった時代に
北方から異文化の集団が流入した痕跡が無いしなあ

113:世界@名無史さん
13/12/20 23:02:38.71 0.net
と現代インドのナショナリスト学者が言ってるんだろ

114:世界@名無史さん
13/12/20 23:05:44.28 0.net
>>110
そう思い込みたいのは判ったけど、ロシア人だしな。

115:世界@名無史さん
13/12/20 23:09:31.09 0.net
シンドはだいぶ南じゃないか
アーリヤ人の主な連中はパンジャーブから東のガンジス流域へ行っとるわい

116:世界@名無史さん
13/12/20 23:12:22.14 0.net
そのロシア人とは?

117:世界@名無史さん
13/12/20 23:18:23.04 0.net
言語学的に共通性が多いのと、神名が共有されている(善悪が逆になってることが多い)のとで、
同じ言語集団が分かれた(敵性グループかもしれないが)という見解が通説になっているんだろう

118:世界@名無史さん
13/12/20 23:30:31.37 0.net
お互い無関係だとしたら
言語や神名がやたらに共通してるのはなんでだろうね

119:世界@名無史さん
13/12/20 23:45:28.03 0.net
>>115
記述されるようになったのが中世以降だからだよ
古代ペルシャ人も古代シンド人も文字はあっても書物に残す事を忌避した

120:世界@名無史さん
13/12/21 00:06:24.15 0.net


121:世界@名無史さん
13/12/21 01:05:07.94 0.net
アレクサンドロスがペルセポリスを燃やしてなかったら
書物は残ってたんじゃないの?

122:世界@名無史さん
13/12/21 01:11:02.61 0.net
衝撃的な事実を教えよう。
ウクライナ(スキュティア)で最も肥沃な土地はスラブの住む西北部の黒土地帯である。

123:世界@名無史さん
13/12/21 02:27:41.02 0.net
衝撃的な事実を教えよう。西北部の森林地帯はスキティアでは無い

124:世界@名無史さん
13/12/21 08:28:48.91 0.net
つまりスキティアは貧乏な土地ということか
スラブは黒土地帯か、いいところを取ったな

125:世界@名無史さん
13/12/21 09:54:42.40 0.net
これを見るとむしろ南のステップ
URLリンク(upload.wikimedia.org)

126:世界@名無史さん
13/12/21 11:53:00.51 0.net
衝撃的な事実を教えよう。きみは何ひとつ合っていなかった。

127:世界@名無史さん
13/12/21 14:27:58.21 0.net
衝撃的な事実を教えよう。南のステップは白い。

128:世界@名無史さん
13/12/21 14:28:55.87 0.net
衝撃的な事実を教えよう。きみのヤブヘビで勝利。

129:世界@名無史さん
13/12/21 14:34:42.10 0.net
衝撃的な事実を教えよう。肥沃な土地では遊牧民は流行らない。

130:世界@名無史さん
13/12/21 17:38:45.14 0.net
>>126
それだけは正解だな。(笑)

131:世界@名無史さん
13/12/21 19:53:16.54 0.net
衝撃的な事実を教えよう。遊牧民の一団がヒャッハーと君たちの村に向かっている。

132:世界@名無史さん
13/12/21 21:01:25.06 0.net
スキタイ:南部の肥沃な黒土地帯で農奴たちを使役し大儲け
スラヴ:スキタイの農奴か、北部の森林地帯でウホウホ

133:世界@名無史さん
13/12/22 17:44:45.52 0.net
チェルノレス文化の物質文化は近世産業革命の直前までの暮らしとあまり変わらない。
紀元前3000年から大農業地帯のスラブ人は既に豊かな暮らしをしているんだよな。
そのせいで西はヴァンダルやゴート、東はスキタイやサルマタイがこのウクライナ西北部を目指して進出する。
とはいえヴァンダルはおそらく西スラブ民族で、ゴートはゲルマンと西スラブの混血民族だがな。
つまりウクライナのスラブは東スラブ民族。

134:世界@名無史さん
13/12/22 19:15:28.26 0.net
5000年前からジャガイモ食ってたのか

135:世界@名無史さん
13/12/22 19:24:05.63 0.net
>>130
ゴート人については同意だが、ヴァンダル人を西スラブと決めつけられるのか。
アンタは以前からそういう主張をしているが。

136:世界@名無史さん
13/12/22 19:36:25.31 0.net
西スラブというのは6世紀以降の名称だからそのまま受け取られては困る。
後に西スラブとなる、西のヤストルフ文化の諸部族とは異なる人々と考えるべきで、
より区別していえば古-西スラブないし原-西スラブだろう。
ヴァンダルはこの古西スラブというのは考古遺物の連続性があることから疑いの余地がない。
前世紀よりゲルマン民族主義者どもが必死で否定しようと騒いでいるようだが。

そもそもヴァンダルのプシェヴォルスク文化から遡るとトシュチニェツ文化に行き着く。
この直前の時代のウーニェチツェ文化のミェシャノヴィツェ群で文化的な分化が開始している。

137:世界@名無史さん
13/12/22 19:41:33.42 0.net
>>131
チェルノレス文化は紀元前3000年は間違いで、3000年前が正しい。
黒土地帯では麦がよく育つ。
西欧で中世に始まった三圃式農業は地力が低いのが理由で、ウクライナ中北部ではその必要がない。

138:世界@名無史さん
13/12/22 22:01:27.52 0.net
ジャガイモは新大陸が起源だろw

139:世界@名無史さん
13/12/22 23:56:40.98 0.net
チェルノレス文化の物質文化はじゃが芋を常食していたが
残忍野蛮なモンゴル人によって全部掘り返されて燃やされてしまった
モンゴル人は畑を焼き家畜を飼う草原にしてしまったのだ

140:世界@名無史さん
13/12/23 04:10:34.35 0.net
>>133
しかし、ゲルマン人扱いされている古代から。
支配層がゲルマンの可能性は?

141:世界@名無史さん
13/12/23 16:22:34.72 0.net
ゲルマンとはゲルマニアの諸部族の事であり、ゲルマン人といってもゲルマン語派の話し手とは限らない
支配層がゲルマン語派なのはゴート→オクシヴィエ文化の成り立ち

142:世界@名無史さん
13/12/23 17:15:31.59 0.net
>>138
本当にそうかね?
古代人もそれほどバカじゃないと思うがね。

143:世界@名無史さん
13/12/23 22:24:51.21 0.net
>>139
ふつう文化や言葉を目安に部族単位で書いてるよね、古代人は
地域で名前付けたりはしない。

144:世界@名無史さん
13/12/26 15:03:23.09 0.net
タキトゥスは東ゲルマン系の諸部族については言語面で懐疑的
西ゲルマン系の諸部族と一緒に考えるべきか迷っている

145:世界@名無史さん
13/12/26 19:56:06.92 0.net
しかし、ヴァンダルが純粋スラブ系と断定も出来ないと思うが。
スラブ・ゲルマンの混合体なのかな。
今で言うシュレジェン地方のような。

146:世界@名無史さん
13/12/27 10:37:13.11 0.net
直後の時代の中世初期のスラヴ自体が文化的・政治的に既に三派に分かれている。
ヴェンド、スクラヴェン、アント。
ヴェンドは後の西スラヴ、スクラヴェンは南スラヴ、アントは東スラヴ。

147:世界@名無史さん
13/12/27 10:38:51.28 0.net
アントというのがスキタイとの混交が最も進んだスラヴ。

148:世界@名無史さん
13/12/28 12:16:36.34 0.net
「純粋」の意味がわからんな
スラブは19世紀に再定義されたような民族や血族を指すのではなく、本来は単に語派を指すにすぎんのだが

149:世界@名無史さん
13/12/28 12:26:24.99 0.net
>>139
現代ペルシャ語の訛りがアラビア語の影響を多大に受けていて昔のインド・イラン語の訛りと大きく異なるように、
発音をちょっと聞いただけでは区別などつかんことが多い。
タキトゥスなど当時の歴史家は東ゲルマンの諸部族の言語について互いに確かに似ているとは思っているが同時にどうも違うとも思っている。
東ゲルマン、特にヴァンダル族やスエビ族などは非ゲルマン語派の可能性が高い。

150:世界@名無史さん
13/12/28 12:32:21.59 0.net
ゲルマン語派の諸部族がケルト系のスエビの北進によって西と東に分断された
東側のゲルマン部族は当地の古ヴァンダル(古スラヴ)と混交してゴート族となった
ゴート族はヴィスワ河に沿って南進しヴィスワ東岸の古ヴァンダルもゴート化した
事実ゴートはもとの土葬の習慣に加え、時代が下るほど古スラヴの習慣である火葬も交じっている

なお「ゲルマン語」が成立するのはゴートの起源たるオクシヴィエ文化(前2世紀~)のたった300年前、前5世紀のこと(ヤストルフ文化)
ゲルマン語というのは非常に新しい言語であるという事実の認識が要る

いっぽうスラヴ語は前17世紀から前13世紀の間に成立したと考えられている古い言語

151:世界@名無史さん
13/12/28 12:55:27.61 0.net
スエビ族とかこてこてのフランクゲルマンじゃん

152:世界@名無史さん
13/12/28 13:26:54.96 0.net
スエビはケルトでそれが拡大して周辺の他のケルト、ゲルマン、スラブを吸収したんだよ
こてこての混血

153:世界@名無史さん
13/12/28 16:33:37.47 0.net
ここでも諸説あるぐらいだから、定説まではいかないのだろう。
ヴァンダルもスエヴィも。

154:世界@名無史さん
13/12/28 17:40:38.09 0.net
ゲルマン語派ではないだろうというところまでは来ている
スラヴ語派やケルト語派だったかどうかまでは断定できていないという段階

「古スラヴ」という表現ならかなり正しいかもしれん
中世の西スラヴまで考古遺物に連続性があるため

155:世界@名無史さん
13/12/29 12:41:50.28 0.net
スエヴィ?suebiのどこをどう読むとスエヴィになるんだ?www

156:世界@名無史さん
13/12/29 13:14:41.35 0.net
スキタイは西方ではスラブ人となってエルベ川まで進出した。
現東ドイツには西スキタイ(スラブ人)のゴルト(要塞)が多数あり復元されている。
ゴルトは西スキタイ各部族の国境地帯に置かれた、物見櫓を兼ねた要塞であり、この地域に大人口のスラブが住んでいたことを示している。

157:世界@名無史さん
13/12/29 13:26:34.50 0.net
オーストリアの有名な街グラーツはここにゴルトがあったことを示している。
古代ペルシャ語にもゲルトがある。今のイラン語ではアラビア語の訛りの影響を受けてジェルドと呼ぶ。
西イランにボルージェルドという都市がある。イラン最古の都市の一つ。

158:世界@名無史さん
13/12/29 16:03:05.30 0.net
>>152
彼の作文は、質の低い断片情報の継ぎ接ぎだから宥してやってw

159:世界@名無史さん
13/12/29 19:47:55.50 0.net
>>151
ゲルマン・スラブ・ケルト族の定義を厳�


160:ァ化しないと、その結論はでないよ。



161:世界@名無史さん
13/12/29 20:17:21.89 0.net
アホか、ゲルマン・スラブ・ケルトは民族じゃなくて語派だろうよwww

162:世界@名無史さん
13/12/29 20:20:23.57 0.net
民族は民族、主に文化や血統による
言語は言語、文化とは稍異なる

163:世界@名無史さん
13/12/29 23:59:25.65 0.net
弱小アジアマンにレイプされた混血・・スラブ

まったく汚れてない・・ゲルマン

    

164:世界@名無史さん
13/12/30 09:05:42.09 0.net
ゲルマン・・・寒冷な欧州北部に追いやられた敗残部族
スキタイ・・・肥沃な黒海北岸を支配しペルシャとガチバトル

165:世界@名無史さん
13/12/30 14:59:31.43 0.net
日本人がチョンの血を否定するように
東欧やフィンランドの人も自分達にはモンゴロイドの血なんて流れてないと信じてるだろうな

166:世界@名無史さん
13/12/30 17:34:48.75 0.net
フィンランドはN1C1、ハンガリーは下戸遺伝子率2~4%というのをどうみるか(笑)

167:世界@名無史さん
13/12/30 17:44:26.32 0.net
うほっ うほっ

168:世界@名無史さん
13/12/30 20:56:14.48 0.net
スラブ=スキタイ
名称が変わっただけ

169:世界@名無史さん
13/12/30 21:30:41.91 0.net
ローマ=日本
名称が変わっただけ

170:世界@名無史さん
13/12/30 22:20:46.77 0.net
下戸遺伝子は華南やベトナムが発祥だ
モンゴルや中央アジアには少ない
URLリンク(i.imgur.com)

171:世界@名無史さん
13/12/30 22:37:44.41 0.net
ん?誤爆

172:世界@名無史さん
14/01/02 11:54:22.01 0.net
①プロト・スラヴ=ゲルマンのうち東部(農耕系スキタイ)が遊牧系スキタイのおそらく大半と混交してプロト・スラヴとなった
②遊牧系スキタイのうち、政権が瓦解してカフカス地方に逃げた少数の遊牧系スキタイは現地の住民と混交してオセット人になった

173:世界@名無史さん
14/01/02 11:55:07.03 0.net
①のうちスキタイと混交しなかったプロト・スラヴ=ゲルマンはプロト・ゲルマンになった

174:世界@名無史さん
14/01/03 12:50:05.65 0.net
北コーカサスの非ロシア人でR1aの連中はスキタイ・サルマチア・アランと関係がある。

175:世界@名無史さん
14/01/16 11:09:44.42 0.net
プレ・プロト・スラヴ=プレ・プロト・ゲルマンだろ

176:世界@名無史さん
14/01/24 12:10:10.53 0.net
アンドロノヴォ文化というのがスキタイの原型の文化圏かのう?

177:世界@名無史さん
14/01/24 12:11:53.25 0.net
アンドロノヴォ文化の東隣のアファナシェヴォ文化はトカラ語派の文化圏か?

178:世界@名無史さん
14/01/24 12:15:27.51 0.net
それともスキタイに関しては原型はアンドロノヴォ文化の西隣のスルプナヤ文化か?
スルプナヤ文化は西進してヤームナヤ文化(ヤムナ文化)に変容するが、ヤームナヤ文化は限りなくスキタイだな

179:世界@名無史さん
14/01/24 12:20:15.03 0.net
逆か
ヤームナヤ文化が東進してポルタフカ文化さらに西進してアンドロノヴォ文化か
するとヤームナヤ文化の時点ではまだサテム化していなかった可能性もあるな

180:世界@名無史さん
14/01/24 12:31:32.04 0.net
さらに東進して、か
ふむふむ

181:世界@名無史さん
14/01/25 00:02:11.45 0.net
スルプナヤ文化の地にスキタイやサルマタイが登場するんだが
部族的にはスキタイもサルマタイももとはアンドロノヴォ文化が揺籃の地である気がする

182:世界@名無史さん
14/01/26 17:03:46.13 0.net
随分北へいくなあ。そうかもしれないけど。

183:世界@名無史さん
14/01/27 07:50:03.96 0.net
>>178
アファナシェヴォ文化の時代の地球は温暖期
日本では縄文海進があったほど

184:世界@名無史さん
14/01/29 12:45:06.65 0.net
かなりはっきり結論が出たようだな。

185:世界@名無史さん
14/02/01 00:00:09.48 0.net
最近までスキタイかサルマタイの子孫と言われていたオセット人は
スキタイやサルマタイとは遺伝子系統が違うことが判明したらしいね

じゃ子孫はどこにいるの?と思ったら灯台下暗しで、スラブが
スキタイやサルマタイの子孫だった
R1a1のうちのそのまた先のミューテーションまで全て一致した

186:世界@名無史さん
14/02/01 00:02:14.52 0.net
スラブは色々民族がいるから民族ごとにコンコクションが異なるが
スキタイやサルマタイの遺伝子を最も濃く持っているのはポーランド
ロシアはスキタイやサルマタイよりもむしろフィンに近いらしい

187:世界@名無史さん
14/02/01 01:27:02.26 0.net
>>181
出典は? てか誰の研究?

188:世界@名無史さん
14/02/01 10:46:58.09 0.net
>>183
181です
スタンフォード大学の先生たちがこの分野の進展を仲間


189:同士のブログで紹介しています



190:世界@名無史さん
14/02/01 10:49:00.13 0.net
スキタイやサルマタイの大半が持っているのはR1aのとあるミューテーションで
これは現在のスラブの大半が持っているのと同じ

いっぽうオセット人の大半が持っているのはG系のミューテーションで
スキタイ系とはあまりに異なる(ブログではよくこれが紹介されます)

191:世界@名無史さん
14/02/01 13:16:11.29 0.net
>>185
サンクス!
スラブと同じではあるけど、彼らの血統自体は、
カザフとかウズベク等現トルコ系民族のなかに埋もれている可能性もありそうだね。

192:世界@名無史さん
14/02/01 14:41:02.46 0.net
スキタイやサルマタイは欧州では印欧語系(大半は後のスラブ、
つまりウクライナの農耕定住民)に、中央アジアの方では他の遊牧民
つまりチュルク系に吸収されてしまったんだろうな。

193:世界@名無史さん
14/02/01 14:47:47.15 P.net
>>181>>185はいつもの妄想電波くんだろうから
>>182の書き込みが真っ当

194:世界@名無史さん
14/02/01 15:03:17.97 0.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)

いちおうwikipeにはこうあるが

195:186
14/02/01 15:47:01.90 0.net
オセチア人は基本Gなのか。
てっきりR1aだと勘違いしていた。
だとすると、>>187の意見が的を得ているように思うね。

まあ、コーカサスからはGの遺伝子もかなり欧州に流れているから、
アラン人がGの割合が高くても不思議ではないか。

196:世界@名無史さん
14/02/02 16:18:56.78 0.net
アラン人だってサルマタイだからR1a系だろ
するとG系は土着のコーカサス地方の集団由来だから
アラン人がオセット人の先祖に居たとしてもごく少数派でオセット人血脈の形成にあまり影響していない
血脈から言えばスラブが一致してるなら単純に末裔はスラブなんだろう
スキタイやサルマタイが消滅したのも遊牧の生活を捨てて定住農耕化して守りに入ったからだし、
当地ウクライナで定住農耕民といえばスラブだから
スキタイもサルマタイもスラブに徐々に吸収されたと言われてもちっとも驚かんよ

197:世界@名無史さん
14/02/02 16:20:15.33 0.net
スキタイ以前つまり先スキタイのスラブがどうだったかというと
R1bとR1aとの混合でR1bがむしろ多いくらいのドイツのような感じだったんだろう

198:世界@名無史さん
14/02/02 18:57:52.33 0.net
アラン人がカフカスに追いやられてそこでセルビアのように土着民に吸収されたのだとすると
なぜ彼らのイラン系言語を土着民まで話すようになったのだろう?
ブルガル族やセルボイやホルヴァトのように言語まで土着民化しそうなものだが。

199:世界@名無史さん
14/02/03 10:44:12.02 0.net
母系だけ残ったんだろ

遊牧の男どもは定住化してもちゃんと定住民の生活を学ばないと生活力が無いダメダメルンペンとなる
農耕やっている定住民の男の方が稼ぎがある
オセチアのアラン人にはそういうことになった

いっぽうウクライナでのアラン人はちゃんと定住民の暮らしを勉強して覚えた
地元民にもこいつら戦争や遊牧ばっかりやっている馬鹿どもに農業技術を教えてやろうという気持ちがあった

そうなればオセチアでも女系のほうのmtDNAにポントスステップのマーカーがあるはずで、男の方のY染色体には地元の定住民のマーカーがあるはず

男には実際R1系でなくG系が大半なら、mtDNAを調べればこれが検証できる

200:世界@名無史さん
14/02/03 10:45:50.43 0.net
特にスラブ人諸民族はどんどん他民族を自分のところに吸収同化してしまうから
自分たちの文化や経済を教えてやろうという気持ちの強い民族性があるのかもしれん
そのほうが政治的には難しいが、開墾が進みまた政府も税収が増えることから経済的にはメリットがないわけではない

201:世界@名無史さん
14/02/03 12:52:54.77 0.net
ヨーロッパ各地に進出したサルマタイが簡単に消滅したのは
サルマタイ自身の民族意識が低かったのが理由

ウクライナでフンにやられたのは例外として、
西欧ではフランク王国の初期騎士階級は全員サルマタイであったし、
ルーシやポーランドの成立期の有力者たちの多くもサルマタイであった
サルマタイは政治・文化的な紐帯ではあったが、
自分たちを一個の独立した血統集団とは考えなかった(遊牧民の特徴)

202:世界@名無史さん
14/02/03 17:25:32.72 0.net
頭の皮をはがしてハンカチを作ったと聞いたことがありますが
頭の皮ってそんなに吸水性がいいもんでしょうか?

203:世界@名無史さん
14/02/03 17:25:49.40 0.net
>>191
当時のキプチャク平原の定住農耕民はギリシャ人だよw

204:世界@名無史さん
14/02/03 20:08:33.95 0.net
ヘロドトスの記述もキプチャク平原まで来ると裏付ける物証が乏しい。
サルマタイの古墳からはカザフ人に近いDNAを持った遺体が発掘されてるし。

205:世界@名無史さん
14/02/03 22:59:38.85 0.net
>いっぽうウクライナでのアラン人はちゃんと定住民の暮らしを勉強して覚えた
>地元民にもこいつら戦争や遊牧ばっかりやっている馬鹿どもに農業技術を教えてやろうという気持ちがあった

カフカスの山地ならともかくウクライナで定住化する必要性が全くないやん。

206:世界@名無史さん
14/02/04 08:36:40.12 0.net
>>200
ウクライナは土質がチェルノーゼムの、当時世界最高に肥沃な土地
ここでの農耕は地政学的な不安定要因を凌ぐほどの魅力がある
考古学的事実として、ウクライナでは先史時代から現代まで大量の定住民が途絶えたことはない

207:世界@名無史さん
14/02/04 08:38:01.07 0.net
>>198
スラブ人だよ
チェルニャヒーウ文化時代で、スラブが全てを吸収し拡大していた

208:世界@名無史さん
14/02/04 08:40:59.30 0.net
ウクライナのスラブ化はそれ以前のチョールノリース文化時代から断続的に拡大していたけれどね

209:世界@名無史さん
14/02/04 22:12:48.15 0.net
>>201
遊牧民が定住化するほどの魅力ではなかっただろう。
歴史的事実として、ウクライナでは近世に至るまで大量の遊牧民が途絶えたことはない。
キエフ・ルーシ時代なんかルーシと遊牧民との最前線がウクライナ中部北寄りのペレヤスラヴリだ。

210:世界@名無史さん
14/02/04 22:14:19.51 0.net
>>204
キモ。

211:世界@名無史さん
14/02/04 22:25:06.84 0.net
なぜかテレシェンコの地図がwikimedia commonsにあったが
(著作権本当に大丈夫かいな?)
これで説明すると東ゴートとヴェンド(ここではヴァンダルの意味)に刺激されて
ウクライナの農耕民社会がどんどん南と東へ進出して行った
サルマタイはそれに気圧されて東に寄せられているが、
この西からの文化圏(チェルニャホフ文化)の拡大に飲み込まれていった(=定住民化した)
チェルニャホフ文化の社会に飲みこまれていない部分の遊牧民はアランと呼ばれた
サルマタイは西からの進出者たちと争った跡がなく、平和裏に融合した
upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bc/0300_Ukraine_Chernjahov.png

212:世界@名無史さん
14/02/04 22:25:58.99 0.net
だから東方のサルマタイはアランと表示されている

213:世界@名無史さん
14/02/04 22:31:46.99 0.net
>>204
ウクライナで>>205に挙げた地域は近世までリトアニア→ポーランドのキエフ県等々地方自治体だ
あの辺に広大な土地を持っていたリトアニアやポーランドのマグナートが遊牧民とは初めて知ったわw

214:世界@名無史さん
14/02/04 23:30:04.99 0.net
>ウクライナで>>205に挙げた地域は近世までリトアニア→ポーランドのキエフ県等々地方自治体だ
>あの辺に広大な土地を持っていたリトアニアやポーランドのマグナートが遊牧民とは初めて知ったわw

リトアニアやポーランドがウクライナに進出してきたのは14世紀半ばで
もうイタリア・ルネサンスも始まってた頃だってのは知ってるかね?
ウクライナのタタール人が完全に征服されたのは第一次ポーランド分割と
同時期だってのは知ってるかね?

215:205
14/02/05 01:05:44.62 P.net
>>209
そんな不愉快な歴史的事実は存在しない事にするニダ

216:世界@名無史さん
14/02/05 09:51:57.57 0.net
wikipediaのウクライナ関係の記事が
やたらウクライナPOV化しているのはなんでだろう

217:世界@名無史さん
14/02/06 00:18:23.72 0.net
>>209=>>210
えーとですね、ハリチ・ヴォルィーニ公国…

あとですね、その前はこれ…
URLリンク(ja.wikipedia.org)

まー、いっかw

218:世界@名無史さん
14/02/06 00:24:50.41 0.net
>>211
全てAlex Kという投稿者が共通して書いてるね
本人のページを見てみたら…えっ?本物のウクライナ人?みたいな…

「此之利用者はウクライナ語を母語と為て居ります。」
「このアカウントは、この方針の改定案に基づく依頼によって、ウィキペディア日本語版への投稿が制限されています(期限は設定されていません)。関連するログも参照してください。」
「無期限ブロックを受けたユーザー」

「非常に長期に亘り(コメント依頼が出された2010年1月からだけでも満2年間)、
同種の問題行動を起こし続けるとともに、同一人物によると思われるIPでも同種の
問題行動を起こし続けて来ました。既にコメント依頼を過去複数回提出されて、
一向に改善が見られません。対話の不可能性、合意の軽視もしくは無視、偏向。
およびこれらの傾向の改善が絶望的なことから、AlexK氏およびIPのブロックを依頼します。」

おいおい…ウィキで大事件が起きてたじゃないかw

219:世界@名無史さん
14/02/06 00:27:53.99 0.net
>>209=>>210はAlex Kよりも悪質な荒らしなのに2chだからお咎め無しか

220:世界@名無史さん
14/02/06 09:32:13.80 0.net
現在進行形でウクライナ主義者はロシアを目の敵にしとるからな…

221:世界@名無史さん
14/02/06 09:44:08.51 0.net
まあある意味Alex君はスキタイ人らしいスキタイ人と言える。

222:世界@名無史さん
14/02/06 21:08:29.93 0.net
>>212
その地図で黒土地帯の3分の1くらいはテュルク系遊牧民のブルガールが住んでいるのは無視かね?

ちなみにその時代からしばらくしてペチェネグ人が西進してきた後はもっとひどいことになった。
URLリンク(en.wikipedia.org)
ウクライナの左上の方にガリチ=ヴォルイニ公国がちらっと見えるなw

その後クマン人がペチェネグを駆逐し
URLリンク(en.wikipedia.org)
クマン人がモンゴルに征服されてタタールになる。

223:世界@名無史さん
14/02/07 23:22:43.11 0.net
>>217
その3分の1は乾燥気候だろw
灌漑設備を整えないといくら土質がよくても農耕には向かんのだよ

224:世界@名無史さん
14/02/07 23:23:44.89 0.net
>>217
おまえは「あるべき論」から演繹して何でも考えるから朝鮮人だな

225:世界@名無史さん
14/02/08 01:32:39.45 P.net
在チョンって自分に都合が悪い相手をよく「朝鮮人」認定するよね
決まってチョンではなく朝鮮人と呼ぶのが在チョンの特徴

226:世界@名無史さん
14/02/08 10:29:28.85 0.net
で、モンゴル人やクマン人は農民化しなかったんだね

227:世界@名無史さん
14/02/08 10:55:37.36 0.net
いや、演繹してるほうが朝鮮人だと思います。

228:世界@名無史さん
14/02/08 12:28:50.67 0.net
クマン人の子孫って?

229:世界@名無史さん
14/02/08 23:39:06.79 0.net
>>218
テュルク系遊牧民が元々いた中央アジアではウクライナより過酷な条件下で灌漑農耕が行なわれている。
彼らが本当に農耕民になりたいのだったらウクライナのステップ気候地帯でも天国に見えるだろう。
クマン人なんかキエフの深刻な脅威となるぐらい近くまで進出していたから
>>212の地図でアラン人が住んでるあたりと条件は変わらないはずだが。

ウクライナの土壌 5~11が黒土地帯
URLリンク(ukrmap.su)

230:世界@名無史さん
2014/02/0


231:9(日) 15:32:21.35 0.net



232:世界@名無史さん
14/02/12 21:25:19.93 0.net
遺伝子研究の発達がスキタイ人とスラブ人の関係を明らかにしてしまった。
良いことなんだが、少し寂しくもある。

233:世界@名無史さん
14/02/14 13:52:02.83 0.net
スラブ語そのものがゲルマン語(統語論的に同種)のスキタイ訛り(サテム音韻)と言える構造だからな。

234:世界@名無史さん
14/02/15 13:15:32.14 0.net
ある意味スラブかっこいいな。

235:世界@名無史さん
14/02/18 18:37:02.42 0.net
ゲルマンと比較したときのスラヴ人のクロマニョン的風貌(顔の横幅が広く顎がガッシリして、体格も大型なだけでなくガッシリしている)はスキタイ由来とは言えない。
あれは先スキタイ時代にウクライナ北部を中心に広がっていたドニエプル・ドネツ文化という考古文化圏に特徴的。
スキタイは体格が比較的小さかった。
その後にスキタイを蹴散らしたサルマタイは体躯が巨大で現在のスラヴ人とよく共通している。

236:世界@名無史さん
14/02/18 18:39:44.60 0.net
スキタイは黒髪の巻き毛が多く多少面長で、イラン人的風貌。
サルマタイは言語はイラン語派だが風貌は金髪碧眼で背が高く顔はガッシリしていた。
この容貌は現在のスラヴと共通する。

237:世界@名無史さん
14/02/18 21:57:03.36 P.net
サルマタイは東方からやって来た遊牧民なんだよねえ
そして黒目

238:世界@名無史さん
14/02/19 20:20:41.32 0.net
雲南省の石寨山古墓
URLリンク(www.geocities.jp)

239:世界@名無史さん
14/02/20 02:41:39.16 P.net
片鐙はインドで滇のそれより2世紀以上古い物が見つかってる
祭器の意匠は同時代の四川や南越の物とよく似る

240:世界@名無史さん
14/02/20 18:29:51.81 0.net
>>231
だめだなおまえは(笑)
金髪碧眼とローマの記録にあるのに黒目ってことはないだろ

サルマタイ人(金髪碧眼)と東方のサウロマティア人(黒髪黒目)は名前は似てるが違う集団だぞ

241:世界@名無史さん
14/02/21 18:04:17.12 0.net
>>234
サルマタイはギリシャ人の文献によると色白で黒髪を持つと書かれてるんだが
ギリシャ人が目の色に言及していないという事は彼らと同じか近い色、そしてそれは黒目。

242:世界@名無史さん
14/02/21 19:08:40.53 0.net
ギリシャとローマどっちが本当?
もっとも100%金髪とか碧眼とかはないからね。

243:世界@名無史さん
14/02/22 01:19:28.04 0.net
ササン朝ペルシアには金髪と黒髪と両方いたみたいね
URLリンク(iranpoliticsclub.net)
URLリンク(i0.wp.com)

244:世界@名無史さん
14/02/22 13:27:32.87 0.net
ギリシャが言及しているのはサウロマタイ
語感が似ているが、ローマが言及しているサルマタイとは異なる集団

245:世界@名無史さん
14/02/22 13:30:31.46 0.net
>>229
基本的に血統の面ではドニエプル・ドネツ文化の住民(巨人たち)の子孫が
そのままヤームナヤ文化(先スキタイ文化)の住民で、
彼らはスキタイ時代は遊牧スキタイではなく農耕スキタイのチェルノレス文化。
このチェルノレス文化の東部とスキタイ諸文化の接点から生まれたのがサルマタイ
つまり彼らはスラヴ人の血統。

246:世界@名無史さん
14/02/22 13:31:35.44 0.net
このサルマタイは金髪碧眼の巨人(発掘された成人男性の遺骨から測った身長170cm~195cm)。

247:世界@名無史さん
14/02/22 13:53:00.22 0.net
>>238
ギリシャ人の文献に出て来るのもサルマタイ
彼等は純粋な遊牧民で黒髪かつ恐く黒目
体躯がデカいとは一言も書かれてない

248:世界@名無史さん
14/02/22 21:57:40.53 0.net
混乱の一途だな。
おそらく髪の色は様々だったのだろう。

249:世界@名無史さん
14/02/24 02:20:57.59 0.net
>>241
実際ローマ時代のサルマタイは巨大で金髪碧眼だからな。はっきり書いてある。美しい人々とも。
当時大柄で金髪碧眼だった古スラヴとの混血がすすんだんだな。

250:世界@名無史さん
14/02/24 03:14:32.03 0.net
という願望

251:世界@名無史さん
14/02/25 11:16:36.23 0.net
スキタイに比べてサルマタイは日本で扱いが小さいな
ソ連がスキタイに熱心でエルミタージュにスキタイ美術のコレクションがあるせいか

サルマタイ美術のほうが精緻であるし、
またスキタイのほうが写実的というのも嘘でサルマタイも写実的な美術品が多い
この嘘はソ連の当時の宣伝から来る

またソ連がサルマタイに不熱心だったのは、
サルマタイというとソ連・ロシアの専制思想に対立するポーランド・リトアニアの自由思想にも関係するから

252:世界@名無史さん
14/02/25 16:01:22.55 0.net
サルマタイに見るべき文化があったらポーランド人が調子づくのか。

253:世界@名無史さん
14/02/25 18:46:01.55 0.net
サルマタイはカスピ海の東岸から来た
ソ連国内の民族なのになw

254:世界@名無史さん
14/02/27 18:34:48.16 0.net
現在のカザフスタンは印欧語族の居住地だった。
2000年前の住民が今の住民を見たらびっくりするだろうな。
「ここモンゴル高原?」てな具合。

255:世界@名無史さん
14/02/28 15:46:46.45 0.net
2000年前の高原なら匈奴や鮮卑じゃないの
モンゴルまだいないぜ

256:【人工飢饉】ホロドモールの真実を解明するスレ
14/02/28 21:19:38.40 O.net
ウクライナ情勢が悪化するなら世界史板で語るべきだろう

257:世界@名無史さん
14/02/28 21:37:54.75 0.net
イラン系「わ・・・わしらの住処がこんな押しやられて・・・・」
トカラ系「言うでない!わしらなんて地上から消滅しとるんや!」

258:世界@名無史さん
14/03/01 01:23:26.98 0.net
フン族があんな西まで進出できたのは弓矢の威力?

259:世界@名無史さん
14/03/01 01:36:28.67 0.net
途中に抵抗勢力が少なかったから

260:世界@名無史さん
14/03/01 02:14:31.97 0.net
>>252
弓矢と刀と馬上槍と馬具と馬甲と鎧甲と政治技術と軍制が優れてたのが大きい

261:世界@名無史さん
14/03/01 10:12:22.06 0.net
それにアッチラの統率力

262:世界@名無史さん
14/03/01 13:13:03.70 0.net
>>252
真面目に回答すると、中世初期は急激な寒冷化が発生し牧草が生えず飢饉になったため、
中央アジア各部族の間でどこかへ攻め込んで略奪しようというコンセンサスがあり、
そこに、欧州は大きな帝国(東西ローマ)があったりして豊からしいぞという噂が広まったため、
みんなで略奪に行こうとなった。

263:世界@名無史さん
14/03/01 16:51:56.87 0.net
ちょうどウクライナが南東部と北西部に分裂しようとしてるな
朝鮮半島と同じくあの方が自然なのかもしれん

264:世界@名無史さん
14/03/01 17:33:19.30 0.net
西部と中央以東だろ
スキタイに関係あるのは草原だった中央以東

265:世界@名無史さん
14/03/01 21:49:22.59 0.net
西に侵攻して、南は少し、東はほとんどないのは、砂漠のせいかな。

266:世界@名無史さん
14/03/02 13:51:53.51 0.net
五胡十六国

267:世界@名無史さん
14/03/03 17:44:11.41 0.net
>>259
むしろ東方での干ばつ、砂漠化こそが西進の動機

268:世界@名無史さん
14/03/03 17:44:44.55 0.net
ウクライナ北西部は紀元前11世紀からチェルノレス文化が栄えたスラヴ全体の故地で穀物を中心とする大農業地帯
紀元前18世紀から紀元前11世紀まで続いたトシュチニェツ文化であるとも言える
スラヴの源流はスキタイよりはるかに古い、トシュチニェツ文化の先スキタイ時代に遡ることになる

いっぽう東と南のウクライナは上記の先スキタイ時代から牧畜(遊牧あるいは移�


269:q)を主体とする文化があった(ヤームナヤ文化) 歴史時代にもスキタイやサルマタイ、そして短期的にゴートが居ついた後にフン・アヴァール・モンゴル・タタールが住み着いた ウクライナは分裂するのが正しい姿 土地の植生が違うため、上記2地域で互いに文化が異なる



270:世界@名無史さん
14/03/04 10:57:45.34 0.net
ウクライナ人≡スキタイ人

271:世界@名無史さん
14/03/04 21:19:18.45 0.net
ウクライナは資源等恵まれている割には発展しないね。

272:世界@名無史さん
14/03/04 22:55:17.25 0.net
発展するためには吸い上げた金を有効に使える政府が必要だからな

273:世界@名無史さん
14/03/04 23:25:35.26 0.net
ウクライナは地下経済が大きいし、徴税がまともに機能していない
以前のロシアと同じ、オリガルヒの天下だ

274:世界@名無史さん
14/03/05 00:48:29.03 0.net
国有財産を不正取得してボロ儲けした新興財閥はユダ公系が多いんだよな
今度のクーデターもそうだけどまさに売国

275:世界@名無史さん
14/03/09 10:44:28.56 0.net
スキタイ人の農耕部分はウクライナ人だろうけど、
遊牧部分はどうなんだろうね。
今の中央アジア・中近東の民族に吸収されてしまったということかな。

276:世界@名無史さん
14/03/09 16:40:32.87 0.net
ウクライナ人はトルコ人モンゴル人が定住化したんだろうな
勿論入植してきたロシア人も多いだろうけど

277:世界@名無史さん
14/03/09 18:02:39.43 0.net
>>268
スキタイ人はスラヴ人に吸収されて今のウクライナ人の先祖になったんだろ

278:世界@名無史さん
14/03/10 22:18:04.80 0.net
ウクライナ人∋スキタイ人

279:世界@名無史さん
14/03/11 18:02:28.24 0.net
スラヴ語は言語学的にゲルマン語と近縁なのに
発音にイラン訛りがあるのは
遊牧スキタイの影響か

280:世界@名無史さん
14/03/11 18:41:08.62 0.net
タキトゥスは当時のゲルマン語とスラヴ語が似すぎていたため
どうも少し違う言語だとは気付いたようだが、はっきり区別をつけることができなかった
そしてどちらも通訳一人で足りた
当時のゲルマン語とスラヴ語が良く似ていた傍証とされる

281:世界@名無史さん
14/03/11 20:32:27.42 0.net
ポーランド語にドイツ語の語彙が相当流入している。
ロシア語にフランス語の語彙が相当流入している。
現代では何が何だかようわからん。

282:世界@名無史さん
14/03/11 23:03:03.30 0.net
最近のロシア語は英語もかなり混じってるな

283:世界@名無史さん
14/03/12 20:40:19.75 0.net
>>272
>>273
いつ頃から今のように違ってきたのかね。

284:世界@名無史さん
14/03/14 19:21:50.33 0.net
比較言語学ではバルト=スラヴ=ゲルマン祖語の存在が有力になってきているが、
スラヴ祖語ないしバルト=スラヴ祖語は
だいたい紀元前2世紀までゲルマン祖語とほとんど同じだったらしい。
その後紀元1世紀にかけて口蓋化やルキの法則を始めとする分化の加速が
始まった。(タキトゥスが『ゲルマ―ニア』を著した時代)
そこでスラヴ祖語の系統とゲルマン祖語の系統との違いが
大きく加速してきたのは2世紀から5世紀にかけてとされる。(チェルニャコヴォ文化)
サルマタイと混交が進んだ時代。
その後彼らの諸部族はフンと連合した形跡があり、
さらには明確にアヴァールと連合したりしているが、考古学者たちによると
どうもアヴァールの連合ではリングァ・フランカとしてスラヴ祖語が話されていたのではないかとの事。

285:世界@名無史さん
14/03/14 19:24:32.11 0.net
口蓋化やルキの法則は紀元前後の数世紀に加速し出しているが、
始まったのは紀元前10世紀ないしそれより古いとされる。
これはスキタイ語の影響もあるのかもしれない。
それでもこの時代はゲルマン祖語成立以前の北海近辺の言語とまだよく似ていた。
なおゲルマン祖語が成立したのは紀元前5世紀以降で
スラヴ祖語の系統から見るとかなり新しい時代。

286:世界@名無史さん
14/03/14 19:25:16.73 0.net
ゲルマン祖語が成立したのは、というのはグリムの法則が発生し拡散した時代の事。

287:世界@名無史さん
14/03/15 11:48:32.24 0.net
>>277>>279
サンクス!

すると民族移動期にゲルマン系・スラブ系(西)と区分することに大きな意味はなさそうだね。
「ゲルマン系」が独り歩きして、そこに入らないものが「スラブ系」と


288:位置付けられた感じもする。 このあたり、今までの歴史観を修正しないといけないところだな。



289:世界@名無史さん
14/03/16 19:12:25.26 0.net
中世前期から盛期の文献から感覚を読み取るとむしろ「スラヴ」が独り歩きしていたように思うが。
ゲルマン語派の一帯では地域主義による「~人」という呼び方があったが、
その東の人々についてはみんなひっくるめて「スラヴ人」と
まるで単一部族であるかのような呼び方をしていた。
中世に入るとゲルマン語派諸語とスラヴ語派諸語の分化が進んで
互いに全く通じなくなってきていたのだと考えると辻褄が合う。

290:世界@名無史さん
14/03/16 19:15:06.51 0.net
当時のゲルマン語派の人々はゲルマ―ニアを幾つかに分けて、
そのうちエルベ以東の広大な地域(ゲルマ―ニア東半分)をスラーヴィアと呼び、
「スラーヴィアはゲルマ―ニア最大の地域である」
「スラーヴィアにはヴァンダル人が住んでいる」
と言っている。
エルベ以西は地域が細分化された形で認識されていた。

291:世界@名無史さん
14/03/16 20:03:48.94 0.net
スラーヴィアには、トナカイ飼いのサーミやネネツの祖先まで入っているんじゃね?

292:世界@名無史さん
14/03/16 21:01:52.76 0.net
そういう経緯は、「アジア」認識の範囲がとめどなく拡大したのと似たようなもんか

293:世界@名無史さん
14/03/17 11:32:32.01 0.net
ちがう。
スラーヴィアの範囲はエルベ川東岸からヴィスワ川流域東端(支流のブーク川流域など)まで。
つまりヴィスワ水系がゲルマニアの東部地域ということ。
このへんは「だいたい」のためプリピャチ川あたりまでは入っていたかもしれないという程度。
(プリピャチ一帯がヴィスワ流域だと誤解されていた可能性。)「
そのためサーミやネネツの地域までは入らない。
原リトアニア(現在のリトアニア共和国のあたり)なども入らない。

294:世界@名無史さん
14/03/17 11:37:25.67 0.net
当時の人々の認識ではヴァンダル人が住んでいるところがスラーヴィアで、
少なくとも中世前期から盛期の当時、ヴァンダル人とは西スラヴ諸部族を指した。
それ以前のヴァンダル人が何語の集団なのかで議論があるが、
考古学遺物の連続性から見たらプロト・スラヴ語を母語とした集団と見るのが自然であるものの、
決定的証拠はない。
なおそれより前の1世紀のタキトゥスの時代ではゲルマン人とはゲルマニア住民の総称にすぎず、
言語系統では区別しておらず、ゲルマン人はゲルマン語派の人々という意味ではない。
このあたりが一般によく誤解されるところ。

295:世界@名無史さん
14/03/17 11:39:16.93 0.net
つまり、「ゲルマン民族の大移動」という用語があるが、それは正しくない。
「ゲルマニア地方諸部族の大移動」などと言い替えるべき。

296:世界@名無史さん
14/03/24 10:20:51.00 0.net
仙台の宮城県美術館でミュシャ展行って来たけど美人画の背景や
宝飾デザインがケルトだけじゃなくスキタイ美術も思わせるんだよな
作者のミュシャの故国チェコは歴史的地理的にもスキタイやサルマタイの
影響が及んでいた背景もあるし彼が所属していた汎スラヴ主義は
スラヴ民族スキタイ起源説を強く支持していたから美術製作にスキタイ美術
も織り込まれていたとすれば興味深い話だ

297:世界@名無史さん
14/03/24 20:52:42.87 0.net
ミュシャが汎スラヴ主義にのめりこんだのは
チェコでは既に汎スラヴ主義ブームが終わって久しい時期。
ミュシャはプラハで時代遅れの過去の流行画家として扱われた。

298:世界@名無史さん
14/03/26 19:48:22.60 0.net
>>286
しかし、ヴァンダル族のやることは、「ゲルマン人」そのものだけどね。
悪い意味で。

299:世界@名無史さん
14/03/28 17:40:34.18 0.net
スラヴ語派(あるいは非ゲルマン語派でもスラヴ語派に
近い古代語)を母語としていたら「ゲルマン人ではない」と考えているとしたら、
「ゲルマン人とは何か」が解っていないのではないか

300:世界@名無史さん
14/05/15 07:29:20.78 0.net
>>1
「スキタイ」と「アレクサンドロス」




301:アれらは栗本経済人類学者の岩明均が やっと自由に題材を選べてかつゆっくりじっくり書けるようになったからこそ 内部から出してきたテーマ。 スキタイ 「スキタイ」とは「サカ」の騎射部隊を意味する「スキト」のギリシア訛り。 サカ(スキタイ)は中央ユーラシア遊牧騎馬民族が 草原の道を通ってコーカサス地方に出現したもの。 この「中央ユーラシア」と「草原の道」が真の世界史の中心で在り続けた。 今はまだロシア語名称しか無いミヌシンスク文明と その後の遊牧騎馬民族大帝国だ世界をリードし続けた。 アレクサンドロス大王 アレクサンドロスは文明の発祥地を目指して東進した。 東イラン高原でミトラ教の救世主を名乗った時に彼は悟った。 文明の発祥地は東イラン高原よりさらに北だ、と。 『全世界史』



302:世界@名無史さん
14/05/15 07:30:26.24 0.net
>>1
キリスト教のパクリねたもとのミトラ教は東方の東イラン高原から来たと
キリスト教徒ユダヤ教は思っているから。


実際は南シベリアから東イラン高原に南下して西進してメソポタミア文明に入った。

そしてパビロン第X王朝はユダヤ王国を破壊してユダヤ王とユダヤ人をバビロンに補囚した。

バビロンでミトラ教とミトラ教から東イラン高原で発生た救世主思想を教えられたユダヤ人はキリストつまり救世主を待ち望みつつミトラ教とメシアニズムを信仰し続けた。


そこに『お母ちゃんは処女なのに懐胎した。』とか言っている
少しだけ頭のおかしな大工の息子イエスが現れた。

ミトラ教とメシアニズムがなければどこにでもいる少し頭のおかしな子として見過ごされたはず。

だが、ミトラ教とメシアニズムを得たユダヤ人はイエスをメシアと設定した。
メシアを強く待ち望んでいたからだ。

そしてキリスト教が誕生した。

キリスト教はミトラ経から剽窃して教義と体系を確立した。

その後ユダヤ教が成立し旧約聖書が整理された。

303:世界@名無史さん
14/05/15 07:31:09.28 0.net
>>1
時代は少し前に戻る。

サカ(スキタイ)が南シベリアから西進して南下しローマ王国(ローマ帝国)を脅かした。

その時ミトラ教はミタンニ王国に広まった。

ローマ王国(ローマ帝国)がミタンニ王国

(ミトラのミトとアンニでミト・アンニ、ミタンニ)

と戦ったときとった捕虜から
ミトラ教を学んだローマの軍人や将軍がミトラ教を信仰し出した。


ローマ王国(ローマ帝国)にギリシア神話の丸パクリのローマ神話でなく、
先進的なミトラ教が広まった。

(ただし、ギリシア神話の元ネタは南シベリアの遊牧騎馬民族が
ティエン(天)からアスカ(人)がいかにして生まれたかを語った神話。
この神話は日本に伝わり聖徳太子がスメラミコトのフミとしてまとめ古事記日本書紀に垣間見える)


ローマ王国(帝国)のミトラ教信仰がキリスト教受け容れを準備した。

304:世界@名無史さん
14/05/15 07:31:58.29 0.net
>>1 >>685
>遊牧騎馬という生活スタイルを発明したのはスキタイ人で、

遊牧騎馬民族という生活スタイルはダナキル地塁停滞からの出アフリカから
メソポタミア、カフカスを抜けて人類が草原の道に出た時期、
つまりミヌシンスク文明と北方遊牧騎馬民族大帝国で確立されました。
そのごく一部の支流分派がサカ人(スキト人(スキタイ人))です。

>オリエント文明の流れから青銅器文明を持っていた。

移動と金属器に異常な興味と積極姿勢を見せていたのが
ミヌシンスク文明とその後継の北方遊牧騎馬民族大帝国です。

1.青銅器は南シベリアで発明されました。
2.北方遊牧騎馬民族大帝国の一部のグループアスカ人(スメル人)が南下西進し
メソポタミア入りしてメソポタミア文明を大繁栄安定運営し、
青銅器の鋳型として最適な「非食用蜜�


305:X」をメソポタミアから南シベリアに送りました。 3.南シベリアでは高度な青銅器文明が精緻を極めました。 4.北方遊牧騎馬民族大帝国の極小数のグループが南下し 支那入りし、夏王となり、殷王となり、支那人に 北方遊牧騎馬民族の知恵の移動と金属器のうち 金属器とメソポタミアの農耕と各種の種を伝えました。 5.歴代支那皇帝は二人を除き 全員北方遊牧騎馬民族大帝国出身者で占められています。 >これは周辺の遊牧騎馬民族を捕えて奴隷として使役していた為と考えられている。 奴隷は常に支那人の方ですよ(笑) >殷の青銅器は支那の歴史上最上のクォリティとされ、時間の経過とともに劣化したとされている。 殷王は北方遊牧騎馬民族の皇族ですw彼の方は支那人などではありませんw



306:世界@名無史さん
14/05/15 07:32:53.17 0.net
>>1
>>151
岩明均がヒストリエで本当に描きたかったのは

1.スキタイ人は優秀な民族であること。

2.アレクサンドロス大王の遠征はなぜ止まったのか?

だから、50%強は成し遂げているわけです。

>>154
背景も全部岩明均さんが描いていらっしゃいます。

>>156
>ところでスキタイの子孫って現在は主にどこにいるの?
ってかスキタイって見た目はアラビア系?白人系?

スキタイ人の子孫が日本人です。マジで

スキタイ人=スキト人=アスカ人=飛鳥びと=聖徳太子たち=日本人(武士系)

源流は北満洲で、
発展場は南シベリアで、
民族名は『アスカ』で、
国名は『アスカ』で、
起源文明は世界最古の文明『ミヌシンスク文明』で、
宇宙観は『スメラ』で、
宗教は『ミトラ教(=神道=仏教≒キリスト教)』で、
彼らはこう呼ばれています。

『北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国』

307:世界@名無史さん
14/05/15 07:33:59.88 0.net
>>1 >>156>>157>>158>>160>>165>>167
1.岩明均は栗本経済人類学徒であること。

2.スキタイ人は古代ギリシア人の勝手な呼称であり、
「サカ人」の騎射部隊をサカ人が「スキト」と呼んだため、
サカ人の特に騎射部隊を恐れた古代ギリシア都市が
「サカ人」を「スキト」と呼ぼうとして
ギリシア語訛りで「スキト」が「スキタイ」になっただけ。

3.アスカ(ヒトかつクニ)の流れ図
0-1.ミヌシンスク文明
→0-2.北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国(すべての源流。世界史の中心。)

→1.北満洲→日本人@日本帝国(日本国)(複数の王の連合制だから)
@日本列島と朝鮮半島南部
(のちに朝鮮半島からは王皇族貴族は全員引き上げ奴隷のみ残した。
 日本の奴隷たちが現代朝鮮人の祖。)
 →『スメラ』(『宇宙の中心』という意味)が天皇(王の連合制をまとめる王の中の王だから)→1-3.天皇陛下+皇族+貴族(華族)+下級武士+百姓+常人
→2.アスカ帝国(パルティア帝国)
 →ミトラ教と二重性と『アスカ』を伴ってミトラ教神官蘇我氏が日本へ渡来
 →大化の改新でくじかれる→2-4.武士系=征夷大将軍+大名+上級武士+山人
1-3と2-4が二重性(双子の重視)

→3.東のカフカスの分派→サカ人(スキタイ人)
→4.カフカス→アシュク人@アシュク帝国(カザール帝国)(のちのアシュケナージユダヤ人)
→5.フン族(ゲルマン人の祖先の一派)
→6.タタール人(タタールのくびき)

暗闘と暗殺を繰り返している白人とユダヤ人と日本人はみな親族なのでみな仲良く。

308:世界@名無史さん
14/05/15 08:02:42.69 0.net
>>6>>8
>スキタイ人はヘロドトスの時代にスキュティア(ウクライナ)にいた人々。
遊牧系と農耕系があり、遊牧系はイラン系、農耕系はスラヴ系。

スキタイ人とはサカ人の騎射部隊スキトのギリシアなまりがスキタイ。

サカ人=アスカ人=飛鳥人=日本人

ユーラシア北方遊牧騎馬民族大帝国アスカ国=直系=日本帝国
→傍系サカ人(スキタイ人)

>>7
>岩明均先生の「ヒストリエ」のお蔭です・・・感謝してます

岩明均は栗本経済人類学徒だからです。

>>10
>史料が少なすぎて

メソポタミア文明の史料以外の
ゲルマン人と支那人の歴史書は嘘を吐くためのシステム。

>>13
>キンメリア人はチャリオットぐらいは使っていただろう。

すべての馬具と武具を発明したのはユーラシア北方遊牧騎馬民族大帝国アスカ。
金属と移動に対する姿勢がアスカ大帝国だけが違う。

ミヌシンスク文明→
ユーラシア北方遊牧騎馬民族アスカ大帝国チャリオット発明
→古代ギリシア文明→古代ローマ文明

309:世界@名無史さん
14/05/15 08:16:55.36 0.net
>>295
もしかしてロスとワックス製法の変遷を
詳しく知っているようだったら教えて欲しいな

310:世界@名無史さん
14/05/15 08:47:19.87 0.net
>>15
>キンメリア以降、カフカースを越えて進軍したスキタイ、フン、モンゴル、
ティムールに至るまで主力は騎馬の軍。

これらがユーラシア北方遊牧騎馬民族アスカ大帝国の一例です。
なおスキタイ人は支流です。

>>17
>カフカス(コーカサス)はあの時代には交易ルートが確立していた

それが草原の道。

>人類で初めて車輪を開発したのがクロ・アラクセス文化

人類で初めて車輪を発明したのはミヌシンスク文明です。

>>18
>スキタイとは関係ないけど、カフカス関連でフリ人がオリエントに
馬と戦車を持ちこんだのか、アーリア人なのかどちら?

スキタイ人と関係はあります。スキタイ人もアスカ人だから。
ユーラシア北方遊牧騎馬民族アスカ大帝国がオリエントに馬と馬車を持ち込みました。
ゲルマン人の中にはアスカ人が入り込み、混血しました。
馬はこのアスカ人がオリエントにもたらした可能性が高いです。
それか、ギリシア人のルーツは飛鳥人なのでギリシア人という飛鳥人がオリエントに馬を持ち込んだ可能性もあります。

311:世界@名無史さん
14/05/15 08:48:11.29 0.net
阿修羅でやれ

312:世界@名無史さん
14/05/15 08:57:50.53 0.net
>>19
>フルリ人だろう
しかしフルリ人のミタンニの貴族層はアーリア系

違います。
ミタンニ=ミト・アンニ=ミトラ・アンニ=ミトラ教最高神ミトラ様・アンニ
ミタンニとはミトラ教を国教とする帝国が太陽神ミトラにちなんでつけた国名です。

古代ローマ帝国がミタンニ帝国と激戦の末、
ミタンニ将軍捕虜の潔い美しい態度を見て感服し、
ローマ将軍たちとローマ軍人たちは観たんに将軍からミトラ教を教わりました。

古代ローマ帝国国教は実質的にミトラ教になりました。

古代ローマ帝国ミトラ教が古代ローマ帝国キリスト教受容の土台となったのです。

ミトラ教のユダヤ人アレンジがキリスト教だからです。劣化アレンジバージョンですが。

313:世界@名無史さん
14/05/15 09:19:29.28 0.net
>>27
>現在のイラン系とスラブ系とを「スキタイ」で括っている理由は何だろうね。

地方人ゲルマン人には実態がつかめない中央勢力だから。

>>31
>その辺までいくと「サカ」「サカイ」になる。

「神聖な」を意味する接頭語「ア」が抜けていますけどね。
正確にはサカ人(スキタイ人)はアスカ人。

>>34
>>31
>ヘロドトスは「スキタイ」と「サカ」は単にギリシャとペルシャでの呼称の違いといっている。
『歴史』7巻64節
「この民族はスキュタイ人なのであるが、「アミュルギオンのサカイ人」とよばれていた。
ペルシア人はスキュタイ人をすべてサカイ人と呼ぶからである」

ペルシア人のほうが情報を正確に得ている。
ギリシア人はアスカ人(スキタイ人)のスキト(騎射部隊の意)怖さに
アスカ人をスキト人と呼ぼうとしてギリシア語なまりでスキタイ人と読んでいただけ。
ペルシア人は二重性が崩壊したとはいえメソポタミア文明の後継者ですから。

>>38
>中国の


314:史書に現れる「塞」はペルシャの言う「サカ」とは被るが 黒海北岸のギリシャ表記の「スキタイ」まで範疇には含まれないだろう。 仏陀が黒海北岸のスキタイが出自であるとは言わないように。 塞=サカ=スキタイ人=アスカ人 仏教はアスカ人が東イラン高原で開発・発展・文献化した。



315:世界@名無史さん
14/05/15 09:27:38.75 0.net
>>39
>中国の史書に現れる「塞」が征西してスキタイになった。

そのとおりです。よく研究なさいましたね。

>ブッダの遠い祖先に当たる民族集団が居たのはインド北西部からパキスタンに掛けて

はい。ブッダ仏陀はアスカ人です。インド自体がアスカ帝国を自称していました。
仏教はアスカ人が東イラン高原で開発・発展・文献化しました。

>>41
>釈迦族=サカ=スキタイ?

釈迦族=サカ=塞=スキタイ=アスカ人
=ユーラシア北方遊牧騎馬民族アスカ大帝国アスカ人

>>43
>いずれにせよ、かなり広範囲に分布する集団に対する呼称だねスキタイは。
それでもコーカソイドという共通性はあるか。

ユーラシア中央の覇者がアスカ人です。その分派がアスカ人(スキタイ人)です。
アスカ人は黄色人種です。
古い時期にコーカソイドはアスカ人の一派が突然変異でアルビノ化等の変異を起こした集団です。

>>44
>何かを投げるとか撃つとかいう意味の印欧祖語から
つまりスキタイとは日常的にしょっちゅう弓矢を使ってる人々とかいう意味

惜しい。スキト=騎射部隊@アスカ語
>したがって地名が先  アスカ=民族名=国名=地名

316:世界@名無史さん
14/05/15 09:37:28.17 0.net
>>51
>スキタイ、アシュケナジム、アシュグザーヤ、ソグド、サカ、塞、みな同じ

そのとおりです。
アスカ人(スキタイ人)=アシュク人=サカ(ソグド)=サカ(アスカ人)=塞(アスカ人)

>ギリシア語で語尾のai,oiは「○○族、○○人」だから
スキト・アイでスキタイ、ソグド・オイでソグドイ、サカ・アイでサカイ
スキタイの住む土地(ia)がスキティア

アスカ人騎射部隊をアスカ語でスキトと呼びました。
あとは古代ギリシア人が古代ギリシア語で活用しただけですね。
古代ギリシア文明の弱点はアスカ帝国スキトという騎射部隊が怖すぎて
国家も国民もアスカなのにアスカ帝国とアスカ人をアスカと呼べなかったことですね。

>>52
>アシュクザーヤってアッシリア人が記録したスキタイの呼称だよな
アシュケナズは聖書の創世記でヤペテの子ゴメルの子孫として出てくるな

旧約聖書はミトラ教教典の丸写しです。

>要するにセム系の連中は、印欧語のスキタイ人らが「射手」と自称してるのを呼び名にしたのかな?

アスカ帝国のアスカ人の騎射部隊名スキトを国名、民族名にしたわけです。

317:世界@名無史さん
14/05/15 09:42:40.19 0.net
>>53
>「塞(サカ)」が中国の史書に登場するのは漢書で、史記には一切見えない
彼らは現キルギス北部にいたが、前176年頃に月氏が匈奴に敗れて西へ遷り、塞を打ち破った
まもなく烏孫が月氏を破ってさらに西へ追いやり、塞は月氏や烏孫に従属した
彼らがイラン南東部(シースターン)に来るのは前128年で、パンジャーブには前63年にやっと来ている

アスカ大帝国とアスカ人の登場はあらゆる国家に先んじています。
支那歴史書で唯一正しいのは漢音訳の音だけです。
匈奴=キォンヌ

>しかし釈迦が活動したのは前5世紀で、全く年代が違う

仏教の発生はもっと古いです。東イラン高原において発生しました。
ミトラ教の次に古いのが仏教です。ミトラ教=仏教

>スキタイは前8世紀にはコーカサス地方に、前7世紀末にはウクライナに来ている
従って、釈迦族は(少なくとも文化的に)アーリヤ人の末裔とは言えるが、塞(サカ)の末裔では全くない

釈迦族=サカ=塞=スキタイ=アスカ人=ユーラシア北方遊牧騎馬民族アスカ大帝国アスカ人

>>55>サカイと塞は同じ民族を指す。

そのとおりです。

>また考古学的にペルシャ帝国を建国したアーリヤ人がシンドへ移動した形跡は無く
釈迦族は文化的にも遺伝的にもアーリア人の末裔ではない

釈迦族=アスカ人

318:世界@名無史さん
14/05/15 12:33:22.73 0.net
ミトラ教に次いで古いのは神道ですね。その次が仏教。

319:世界@名無史さん
14/05/15 14:18:54.20 0.net
>>57
>ダレイオスの碑文には、東から
 サカ・ハウマヴァルガー:ハオマ(麻薬酒)を飲むサカ(中央アジア東部)
 サカ・ティグラハウダー:尖がり帽子のサカ(キュルバシアを被るアミュルギオンのスキタイ)
 サカ・パラドラヤ:海/大河(ダリヤ)のかなたのサカ(カスピ海や黒海の北方のスキタイ)
の三種のサカが挙げられており、スグダ(ソグド)は別に挙げられている
尖り帽子のサカの一部はダレイオスの即位時に敵対しており、その王が捕縛された姿で描かれている

アスカ人=ユーラシア北方遊牧騎馬民族アスカ大帝国アスカ人

>>59
>言語的には古代マガダ語を話していた

アスカ人(スキタイ人)のアスカ語は日本語古語と同じ言語で
現代では日本語やキルギス語などと姉妹語。

>>60
それ、日本の埴輪と同じだから。

>>61
アスカ語ノットイコールモンゴル語

>>62
>ウクライナ人が一部のスキタイ人の子孫というのは違和感ありまくり。

アスカ人(スキタイ人)の血がウクライナ人に混じって入るけれど子孫ではない。
アスカ人の子孫は日本人。そしてアスカ大帝国の後継帝国は日本帝国だけ。
アスカ人の子孫たちは旧ソ連領と中央アジア諸国にもいる。

>>75>>76>広い意味でのスキタイ(サカ)の一種じゃないかな
言語的・文化的には似たようなもんだ 「そうだね。」

320:世界@名無史さん
14/05/15 16:38:04.15 0.net
>>80
>スキタイとサルマタイは信仰は共有していた。

それがミトラ教です。

>>82
>幾何学模様を好むのは東亜遊牧民の特徴の1つだよね

中央遊牧民と呼んでほしいな。せめて。

>>83>最西のケルトも最北のゲルマンも好む

ケルト人なんて存在しません。
アスカ人かゲルマン人です。

>>84>>85>>86>>87
月氏ことゲト人はアスカ人の一派です。

>>90>スキタイ人の子孫と言えるのは?
>ウクライナ人。

アスカ人ことスキタイ人の子孫は日本人です。

>いまウクライナは大揉め中。

アメリカ合衆国情報機関がロシアに仕掛けた謀略がウクライナ情勢

>>91
>匈奴や烏桓が鮮卑に、契丹がモンゴルに飲み込まれたように
ゴートやスキタイ、フンも出自は様々じゃね

キォンヌ(匈奴)も烏桓もシァンピ(鮮卑)もキタイ(契丹)もモンゴルもアスカ人です。

321:世界@名無史さん
14/05/16 00:04:47.83 0.net
>>97
>モンゴル系、シベリア系(というか東トルキスタン系)は
日本人に体質がものすごく近い

トルキスタンのテュルク人=アスカ人=日本人(飛鳥人)

>>103>>109
>どう考えてもイラン高原よりインドの方が遥かに肥沃だが

答え:東イラン高原は文明の先進地だから。

人類のルート=東アフリカ→ダナキル地塁→出アフリカ
→メソポタミア地域→カフカス→草原の道
→ミヌシンスク文明→ユーラシア北方遊牧騎馬民族大帝国アスカ人
→アスカ人の一部→南下→東イラン高原→西進→メソポタミア文明

アスカ人は東イラン高原でミトラ教からメシアニズムと仏教を創造した。

>>108
>というかサカこそまさしくイランからインドに逃げ込んできてるじゃねえか

インドの自称=アスカ帝国

>>114>>115>>116
>言語学的に共通性が多いのと、神名が共有されている(善悪が逆になってることが多い)のとで、
>お互い無関係だとしたら
言語や神名がやたらに共通してるのはなんでだろうね

全員アスカ人で全員ミトラ教だから。

322:世界@名無史さん
14/05/16 00:16:04.44 0.net
>>116
>>115



323:記述されるようになったのが中世以降だからだよ 古代ペルシャ人も古代シンド人も文字はあっても書物に残す事を忌避した それがヒトの脳には正常で「無文字文明」や「無文字文化」といいます。 例外はアスカ人が誇示したメソポタミア文明と楔形文字記録。 アスカ人(スメル人(シュメル人(シュメール人)))による 文字大図書館によって古代世界史がわかるのは 彼らの誇示という性質上。 アスカ人はジッグラトなどの巨大建造物による誇示も行った。 異常なのはゲルマン人と支那人で文字による嘘吐きシステムたる歴史を駆使した。 ゲルマン人と支那人による嘘吐きシステム歴史によって世界史が混乱している。 >>126 >衝撃的な事実を教えよう。肥沃な土地では遊牧民は流行らない。 世界一肥沃な大地草原の道を支配し続け寄せ付けなかった ユーラシア北方遊牧騎馬民族アスカ大帝国アスカ人。 >>138>>139>>140 >ゲルマンとはゲルマニアの諸部族の事であり、ゲルマン人といってもゲルマン語派の話し手とは限らない 支配層がゲルマン語派なのはゴート→オクシヴィエ文化の成り立ち ゲルマン大移動とはゲルマン人がフン族に追い立てられたことと ゲルマン人は歴史を書いたが嘘で ゲルマン人はフン族とゲルマン人が呼ぶアスカ人(フン族)によって追い立てられたが ゲルマン人の移動にはフン族(アスカ人)も入っていて混血した。 そもそもはアスカ人の一部がアルビノ化などの異常をきたした一派がゲルマン人。



324:世界@名無史さん
14/05/16 00:26:51.60 0.net
>>139>>140
>>139
ふつう文化や言葉を目安に部族単位で書いてるよね、古代人は
地域で名前付けたりはしない。

アスカ=クニ=ヒトだから。

アスカとは国名でもあるし民族名でもあるし民族名が領土を意味した。
土地や地域を領土とする概念は遊牧騎馬民族にはない。

>>147
>なお「ゲルマン語」が成立するのはゴートの起源たるオクシヴィエ文化(前2世紀~)のたった300年前、前5世紀のこと(ヤストルフ文化)
ゲルマン語というのは非常に新しい言語であるという事実の認識が要る

ゲルマン人とはアスカ人の支流一派なのでもともとはアスカ語を話していた。

>>160
>ゲルマン・・・寒冷な欧州北部に追いやられた敗残部族
スキタイ・・・肥沃な黒海北岸を支配しペルシャとガチバトル

ゲルマン・・・寒冷な欧州北部に追いやられた敗残アスカ人、結果アルビノ化した。
スキタイ・・・肥沃な黒海北岸草原の道を支配しペルシャとガチバトル

>>161>>162
>日本人がチョンの血を否定するように
東欧やフィンランドの人も自分達にはモンゴロイドの血なんて流れてないと信じてるだろうな

フィンランド=フンランド=アスカ人定住国
ハンガリー=フンガリア=アスカ人定住国

325:世界@名無史さん
14/05/16 00:55:38.60 0.net
>>172->187>>190-191
>アンドロノヴォ文化というのがスキタイの原型の文化圏かのう?

草原の道=北満州からコーカサスにかけての草原の道というハイウェイで肥沃な大地

ミヌシンスク文明=アファナシェボ文明+アンドロノボ文明+カラスク文明

「スキタイ人とは、ほぼ間違いなく前10世紀にアンドロノボ文化を終えた
アンドロン人が前8世紀頃西へ動き出した形態である。」
『栗本慎一郎の全世界史』栗本慎一郎より引用

ミヌシンスク文明=スキト・シベリア文明

>>187
>スキタイやサルマタイは欧州では印欧語系(大半は後のスラブ、
つまりウクライナの農耕定住民)に、中央アジアの方では他の遊牧民
つまりチュルク系に吸収されてしまったんだろうな。

テュルク人=アスカ人

>>196
>自分たちを一個の独立した血統集団とは考えなかった(遊牧民の特徴)

ユーラシア北方遊牧騎馬民族アスカ大帝国アスカ人とは
ヒトを国家概念とする。アスカ=ヒト=クニ。

>>217>>224-225
>>212
その地図で黒土地帯の3分の1くらいはテュルク系遊牧民のブルガールが住んでいるのは無視かね?

テュルク人=アスカ人

326:世界@名無史さん
14/05/16 01:22:02.24 0.net
>>226
>遺伝子研究の発達がスキタイ人とスラブ人の関係を明らかにしてしまった。
良いことなんだが、少し寂しくもある。

スキタイ人≠スラブ人
スキタイ人=アスカ人=ユーラシア北方遊牧騎馬民族アスカ大帝国アスカ人

ゲルマン人@コーカサス=スキタイ人の一部
ゲルマン人=北ゲルマン+西ゲルマン+東ゲルマン

「彼ら(ゲルマン人)は要するに、広義のスキタイの分派であって、スキタイの非主流派でもある。」『栗本慎一郎の全世界史』栗本慎一郎より引用

「■ゲルマン人、表舞台へ
ゲルマン人は遊牧民の中ではごく初期にヨーロッパに入った民族である。

最初は青銅器時代の末期(前5世紀~前4世紀)に
南スウェーデン、デンマーク半島、北部ドイツに入って居住した。
これらデーン人やノルマン人などを便宜上、北ゲルマンと呼ぶ。

このほか、西ヨーロッパ地域に入ったゲルマン人は西ゲルマンと呼ばれ、
アングル人、アラマン人、サクソン人およびフランク人などがある。
北ゲルマンはパルティアができる以前からヨーロッパに入ったが
パルティアが出来上がっていった過程が影響したことは間違いない。

 彼らは要するに、広義のスキタイの分派であって、スキタイの非主流派でもある。

西ゲルマンは明らかにパルティアが構築される過程で西へ出た。

他方、パルティアの領域内、あるいは草原ルートの領域内に残ったのが
東ゲルマンと呼ばれるグループだった。」
『栗本慎一郎の全世界史』栗本慎一郎より引用

327:世界@名無史さん
14/05/16 01:45:15.45 0.net
>>227
>スラブ語そのものがゲルマン語(統語論的に同種)のスキタイ訛り(サテム音韻)と言える構造だからな。

「だから、純現代フランス風にはシャルル・ルマーニュであるが、

9世紀や10世紀のゲルマン人たちはすべてドイツ語に近い言葉を使っていた

のであって、カルルと呼ぶのが正しかろう。」『栗本慎一郎の全世界史』栗本慎一郎より引用

>>231>>234-247
「ゲルマン人は10万年ほど前、コーカサス地方において
突然変異により集団的に白子化した遊牧民であるから、
当然、多民族より色は白く日照に対し弱かったはずである。

白人たちが自らをコーカサス人種と呼ぶのは
人類学が発達する前からのことだ。
ということは民族の「記憶」があったからであろう。」

『栗本慎一郎の全世界史』栗本慎一郎より引用

>>252-256
アスカ人の特徴が「移動」と「金属」だから。

「このフンは間違いなくキォンヌであり、
シァンピの西方移動によってモンゴル高原を追われたものである。」
『栗本慎一郎の全世界史』栗本慎一郎より引用

>>254
フン族というアスカ人一派はアスカ人の特徴である
移動と金属に対する積極姿勢を持っており、馬具や武具が優れていた。

328:世界@名無史さん
14/05/16 02:52:56.66 0.net
>>257
アメリカ合衆国情報機関がロシアに仕掛けた謀略がウクライナ情勢です

>>260
五胡十六国の五胡とはアスカ人国家群のこと。

>>262>>270>>273>>277>>279
上述参照のこと。

>>262>>273>>274>>276>>277>>278>>280-283
>>285>>286>>287>>290>>291
「旧来の土地に残った人びと(東西ゴート族、ヴァンダル族、ブルグンド族ら)である東ゲルマン人も、必ずしもスキタイ人のなかで中心的な存在だったとは言えない。

それでも東ゲルマン人は軍事的に強力になり、
まず東からやってきたキォンヌ(フン)の皇帝の下で
マジャール人(ハンガリー人)と並んで重要な位置を占めた。

ただ、フン「帝国」が分解する前から東ゲルマンはその連合から離脱する傾向にあった。

ゴート族のうち西部分はフン族が来る以前から
今日のルーマニアに居住していたし、
黒海北岸に王国を建設していた東ゴートは
フン族の主要部隊に西に追われることになったからだ。

つまり、ゲルマン民族は広い意味でフン族の一部であって、
かつ非主流派の重要民族だったことになる。」

『栗本慎一郎の全世界史』栗本慎一郎

329:世界@名無史さん
14/05/16 02:54:47.07 0.net
>>267
アシュケナージユダヤ人�


330:<Aシュク人@アシュク帝国(カザール帝国)=アスカ人 「それから、アシュケナージ・ユダヤ人権力派が 自己の儲けのために国家の赤字を隠蔽する介入を行って、 事を見えにくくしたことも忘れてはならない。 自らも潰れそうになっていた2000年代初め、 自分の儲けのためにギリシア財政の陰で 暗躍したのがゴールドマンサックスなどのユダヤ資本であった。」 『栗本慎一郎の全世界史』栗本慎一郎より引用 >>277 現代ドイツ人はドイツ語を古ゲルマン語に戻そう戻そうとしていますね。 あらゆる外来語はゲルマン和語に翻訳されますし。 >>278>>279>>281>>288 アスカ語=スキタイ語→ゲルマン語 >>284 >そういう経緯は、「アジア」認識の範囲がとめどなく拡大したのと似たようなもんか アジア@古代中世=ユーラシア=草原ルート@ユーラシア北方遊牧騎馬民族大帝国



331:世界@名無史さん
14/05/16 02:55:46.69 0.net
>>288
>仙台の宮城県美術館でミュシャ展行って来たけど美人画の背景や
宝飾デザインがケルトだけじゃなくスキタイ美術も思わせるんだよな

ミヌシンスク文明という「南シベリアの草原と雪の中における文明は、
船や馬や馬車での移動と金属の積極利用の姿勢を
人類史に持ち込むものだったのである。」

「侵入したとたんに彼らはヒッタイト発の鉄器技術を習得して、
強力な鉄製武器と馬具を手に入れるのであった。
姿勢が「先端的」だったというゆえんだ。」

『栗本慎一郎の全世界史』栗本慎一郎より引用

332:世界@名無史さん
14/05/16 02:57:55.35 0.net
>>299
>>295
>もしかしてロスとワックス製法の変遷を
詳しく知っているようだったら教えて欲しいな

ミヌシンスク文明の影響下で、
「 北方東アジアにも存在した紀元前の青銅器文明は
メソポタミアからのある交易材がなければ成立できなかった。

 北メソポタミアに採れた「非食用の蜜蝋」である。

 これで型を取らねば青銅器は出来ない。
絹のごとき贅沢品、装飾品と違って
大量に安定的に供給されていなければいけないたものであったわけで、
草原のルートは移動路としては
少なくとも青銅器文明時代には確立されていたことになる。」

『栗本慎一郎の全世界史』栗本慎一郎より引用

333:世界@名無史さん
14/05/16 03:41:05.48 0.net
>>138>>139>>140
「白人の覚せい剤好きは「白人特有の病」の一種だから。」みを

「「白人特有の病」にはアルビノ、糖尿病にならない異常体質、
異常にアルコールに強い肝臓、全員覚せい剤大好き、
全員ペドフィリア(ロリコン)とか、いっぱいあるよ。」みを

「特にぃ、あたしたちにとっては、ペドフィリアが一番恐ろしいよ。
日本人は幼くみられるし色白だしで
日本人女子高生は拉致られて
白人小学生扱いでレイプされまくって
最後は食べられちゃうんだからっ!!!」みを

「人類最強のタブー食人ぐらい守れっての。」みを

「ほんと、白人はガチでシャレになんないよ。」みを

「ゆっこってば!聴いてる?

すべての白人を恐れておかないと、
ゆっこも小学生扱いで白人に拉致られて、
白人に食べられちゃうんだからね。」みを


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