古代の地中海世界at WHIS
古代の地中海世界 - 暇つぶし2ch727:世界@名無史さん
15/02/13 00:25:32.24 0.net
ビュブロスの自称がゲバルかと思ってた、、、


>>131>>136>>144>>211

世界大百科事典内のグブラの言及
【ビュブロス】より

…現在名はジュバイル。

旧約聖書ではゲバルGebal,
古代エジプト史料ではクブナ,
アッシリア史料ではグブラと呼ばれた。
ビュブロスはギリシア語名であり,ギリシア人は当地を経て輸入されたパピルスをビュブロスと呼んだことから,後世,本,聖書Bibleなどを表す語が派生した。…

728:世界@名無史さん
15/02/13 00:35:18.37 0.net
うんこっこ

729:世界@名無史さん
15/02/13 00:38:45.99 0.net
>>267
へー、へー、へー

79 : 世界@名無史さん[] 投稿日:05/02/24 00:06:16 0
現代でもモロッコやアルジェリアのベルベル人が用いている表音文字
「ティフィナグ」はフェニキア文字の流れを汲む古代リビア文字の末裔で、
名称の「フィナグ」が「フェニキア」と同語源だそうな。
余談だが「ポエニ」も同語源なんですね。

730:世界@名無史さん
15/02/13 00:40:07.84 0.net
うんこ

731:世界@名無史さん
15/02/13 21:54:49.68 0.net
>>643

どうやったんだろうねぇ
って船で渡ったってことしかわかんないなぁ


いずれにせよ、行って帰ってきたんだから
フェニキアお得意の農作物の種を持っていったんだろうね


星を見て自分の位置を調べるのは現代でも現役だし、
航行術に関してはなんとかなったんじゃなかろうか

732:世界@名無史さん
15/02/13 22:17:14.31 0.net
>>619>>620

人が長く住んでいた場所は
日干し煉瓦が風化して丘になるという
話を聞いたことがある。



ところでせっかく日本隊が発掘してるのに
カマン・カレホユックに関する書籍ってこれしかないの?
できたらもうちょっと新しいやつが読みたいなぁ。

アナトリア発掘記 ~カマン・カレホユック遺跡の二十年 (NHKブックス)

733:世界@名無史さん
15/02/14 00:13:08.76 0.net
>>643 まだ最近の話か
URLリンク(www.archeonews.net)

Wikipediaによるとリスボンから約1500km
カルタゴからガデスやタルテッソスを経由して航海したんだろうけど
大航海時代のガレオンとかじゃなくだから速度も出ないだろうし

734:世界@名無史さん
15/02/15 15:34:45.24 0.net
>>426>>430>>442

URLリンク(www.ozawa-katsuhiko.com)

勝利の神ウルスラグナ

 この神は「戦いの神」であるため当然「王侯・戦士」たちにとって最重要の神となり、こうしたタイプの神はどこの民族も主要神として持っていました。
でから「ササン朝」にはこの神の名前に由来する名前を持った王も存在していたほどです。
昔日はおそらくインドのインドラがそうであるように主神的な位置を持ち多くの機能をもっていたと思われますが、
その地位を「アフラ・マズダ」に譲った時にその機能の多くも�


735:クってただ「戦の勝利」だけを管轄するようになったのでしょう。 この神の姿は「変身」の神として謳われており、その姿は十となります。    第一にこの神は「風」の姿となって現れ、ゾロアスターに対して「我は最強にして、もっとも多くの勝利を得、悪魔と人間の敵意とを打ち砕く」と語ったと言われます。  第二にこの神は、黄金の耳と黄金の角を持つ雄牛に変身する。  第三にこの神は、黄金の耳を持ち黄金の飾りを付けた美しい白馬に変身する。  第四にこの神は、鋭い歯を持ち足が速く長い毛を持つラクダに変身する。  第五にこの神は、鋭い爪を持つ猪に変身する。  第六にこの神は、15歳の輝く若者に変身する。  第七にこの神は、どの鳥よりも早く飛ぶ大鴉に変身する。  第八にこの神は、野生の美しい雄羊に変身する。  第九にこの神は、鋭い角を持った戦う雄鹿に変身する  最期にこの神は、黄金の刃がついた太刀を持つ人間に変身して現れる。  以上の中でも第七の大鴉の羽根はとりわけ大事で、この羽根を持つ者は敵の呪いをはね返し、だから羽根の力によって誰も彼を倒すことはできなくなる。 また、戦闘があって勝負が付かないとき、両軍の間に四枚の羽根が投げられると、いち早くそれに気付いて「ウルスラグナ」を拝んだ方に勝利が与えられるという。 この神は先に指摘したようにアーリア民族の太古の神の一人でインド側では「インドラ」として展開したと考えられていますが、,、、



736:世界@名無史さん
15/02/15 16:07:37.92 0.net
ウルスラグナとインドラの関係についてだけど (以前他の板に書いたもの)

ヴェーダ時代のインド人は、ウルスラグナを礼拝しなかった。というのも、彼らの先祖たちは、
古い勝利の神をインド・イラン語族の英雄時代の戦士の原型である神インドラ(Indra)に
置き換えたとみられるからである。 (M・ボイス:ゾロアスター教 3500年の歴史)

インドラは「ヴリトラを殺す者」(Vrtrahan:最初のrの下に.がついてる)と呼ばれている。
Vrtrahan(最初のrの下に.がついてる)は、イランの勝利の神ヴルスラグナ(Verethraghna)
に対応するから、武勇神インドラの崇拝はインド・イラン共同時代にさかのぼる。
(上村勝彦:インド神話)

あとは補足で URLリンク(www.toroia.info)


M・ボイスだとウルスラグナとインドラは違う?

737:世界@名無史さん
15/02/15 16:53:35.60 0.net
>>654

なるほど
一番下の行は変身といえばヴィシュヌかな、って思ったので入れてみました

そういえば、ヴィシュヌも蛇(龍)とは関係が深くて

アナンタはこの世が始まる以前、宇宙が混沌の海だった時に、ヴィシュヌがアナンタを船の替わりにして、その上に寝ていたという。
また、この世が終わる時、全ての生物が滅び去った時も、再び世界が創造されるまでの間、ヴィシュヌはアナンタの上で眠り続けるとされる。
ヴィシュヌの使いとされる。


このバリエーションはいっぱいあるね

738:世界@名無史さん
15/02/18 23:43:15.62 0.net
アタルガティス
Atargatis

古代シリアの大女神。豊穣を司り,魚およびはとと結びつきが深く,上半身は人間の女,下半身は魚の形に表わされることもあった。
ヒエラポリスにあったその神殿は,シリアにおける最も巨大かつ豪華なもので,境内に聖魚の住む池があり,
ここではアタルガティスは,夫とみなされたハダドとともに祭られていた。

URLリンク(en.wikipedia.org)

URLリンク(upload.wikimedia.org)


739:ircher_oedipus_aegyptiacus_28_derceto.png/800px-Kircher_oedipus_aegyptiacus_28_derceto.png



740:世界@名無史さん
15/02/18 23:46:36.77 0.net
マンビジ
URLリンク(ja.wikipedia.org)

古代のマンビジはギリシャ語ではバンビュケ(Bambyce)の名で登場するが、大プリニウス(v. 23)はそのシリア語名をマボグ(Mabog, または Mabbog, Mabbogh)と述べている。
もとは古代アルメニア王国のコンマゲネ地方の聖地だと考えられるが、歴史記録への最初の登場はセレウコス朝時代であり、首都アンティオキアとチグリス河畔のセレウキアを結ぶ国道上にある拠点であった。

またシリア地方の女神アタルガティス(Atargatis、ギリシャ人は縮めてデルケトー Derketoと呼んだ)の祭祀の中心であり、
ギリシャ人はこの都市を「聖地の都市」(ヒエロポリス、?εροπολι?、Hieropolis)または「聖なる都市」(ヒエラポリス、?εραπολι?、Hierapolis)と呼んだ。
アタルガティスの神殿は、紀元前53年、パルティアとの戦いに赴くローマのマルクス・リキニウス・クラッススにより略奪された。

アタルガティス神への信仰は、コンマゲネの住民であるルキアノスによるものとされる有名な小冊子『シリア女神について』(De Dea Syria) に登場する。
この文章では神殿での崇拝や飲めや歌えの大騒ぎぶり、アタルガティス神の聖なる魚が泳ぐ水槽について詳述されている。
『シリア女神について』によれば神殿では男根崇拝がされており、信者達は木や青銅でできた小さな男性像を捧げている。
大きな男根が神殿の前にオベリスクのようにそそり立ち、年に一度はよじ登る儀式が行われる。

神殿には神官しか立ち入れない聖なる部屋があり、その前には青銅の大きな祭壇が立ち奥に神像群がある。
その前庭には犠牲に捧げられる動物や鳥達がいる。神殿には300人ほどの神官が仕え、その他大勢の人が奉仕している。
聖域の中央には大きな池があり、信者達は中へ泳いで水の中に立つ祭壇を飾り付けるのが習慣となっている。
境内では自傷行為やその他の乱痴気騒ぎが行われる。また街に入ったり神殿を最初に訪れる際には複雑な儀式があるとされる。

741:世界@名無史さん
15/02/18 23:55:48.76 0.net
イナンナ

イシュタル

アタルガティス

アスタルテー( =Astavrth)
URLリンク(ja.wikipedia.org)

アフロディーテ


エジプトにおけるアースティルティトで寄り道したりとなかなかおもしろい

742:世界@名無史さん
15/02/19 01:18:13.38 0.net
マンビジは本によってはメンビジュ(ヒアラポリス)と表記されてたりする
地図でもMenbejやManbij等いろいろ

アタルガティスはイシュタルやアナトが習合したも地母神と
小川英雄の本には書かれてる

743:世界@名無史さん
15/02/19 04:43:56.46 0.net
>>658
エシュムンと関係が深いのかな?
シドンの神殿テンプルではエシュムンとともに
ベイルートのコインでは、ポセイドン、アシュタルテ、エシュムンとともに

また、ピュルジ銘板にも名前が出てくるらしい


URLリンク(en.wikipedia.org) より
URLリンク(upload.wikimedia.org)

Other major centers of Astarte's worship were the Phoenician city states of Sidon, Tyre, and Byblos.
Coins from Sidon portray a chariot in which a globe appears, presumably a stone representing Astarte.
"She was often depi


744:cted on Sidonian coins as standing on the prow of a galley, leaning forward with right hand outstretched, being thus the original of all figureheads for sailing ships." [4] In Sidon, she shared a temple with Eshmun. Coins from Beirut show Poseidon, Astarte, and Eshmun worshipped together. Other faith centers were Cythera, Malta, and Eryx in Sicily from which she became known to the Romans as Venus Erycina. A bilingual inscription on the Pyrgi Tablets dating to about 500 BC found near Caere in Etruria equates Astarte with Etruscan Uni-Astre, that is, Juno. At Carthage Astarte was worshipped alongside the goddess Tanit. Donald Harden in The Phoenicians discusses a statuette of Astarte from Tutugi (Galera) near Granada in Spain dating to the 7th or 6th century BC in which Astarte sits on a throne flanked by sphinxes holding a bowl beneath her pierced breasts. A hollow in the statue would have been filled with milk through the head and gentle heating would have melted wax plugging the holes in her breasts, producing an apparent miracle when the milk emerged. The Aramean goddess Atargatis (Semitic form ?Atar?atah) may originally have been equated with Astarte, but the first element of the name Atargatis appears to be related to the Ugaritic form of Asherah's name: Athirat.



745:世界@名無史さん
15/02/19 04:48:31.70 0.net
>>658
なぜかデロス島にも神域があるようです


ディロス島のシリアの神々の聖域 アタルガティス女神とハダド神
ディロスのシリアの神々の神域
Ιερ? των Συρ?ων Θε?ν στην Δ?λο
Sanctuary of the Syrian Gods on Delos 

URLリンク(lemonodaso.exblog.jp)
写真が豊富

シリアの神々の聖域はアタルガティス女神とハダド神を祭っています。

URLリンク(www.planetware.com)

746:世界@名無史さん
15/02/20 17:38:18.54 0.net
>>651
大村さんとこの研究成果なら、ここからその後の追跡できるよ
カマン・カレホユックに加えて、ビュクリュカレとヤッスホユックの発掘も始まってる
URLリンク(www.jiaa-kaman.org)

なんか、行事案内の方をみてると大村さんすっかりあの村の顔役っぽくなってるんだよね
アナトリア考古学研究所に加えて考古学博物館や三笠宮記念庭園も運営してるから
国のおエライさんたちもちょくちょく来るし、観光地になったことで地元の雇用も創出した

747:世界@名無史さん
15/02/21 00:33:43.50 0.net
>>662
そこあんまりないと思ったらあって
URLリンク(www.jiaa-kaman.org)
だけど、邦文があるって言ってたけど
それは見れなくて少しだけみれたけどヒゲはなくなった

748:世界@名無史さん
15/02/21 01:29:35.93 0.net
>>663
んー、「第○次発掘調査」と示してあるとこのリンク先は見てる?
論文には到底及ばないが、俺的には「アナトリア発掘紀」の6掛けくらいの情報密度はあると思ったけど
すでに、カマン・カレホユック発掘の基礎情報はあの本で仕入れ済みなことを前提とするとね

それより、飲んだ帰り?以前のレスと比べて文が乱れてるけどw

749:世界@名無史さん
15/02/23 02:51:06.84 0.net
>>664
いやいや、ビールやワインや日本酒なんてノンデナイヨ


とすると「アナトリア発掘紀」はホントに発掘記なんだね、、、

750:世界@名無史さん
15/02/25 01:14:07.40 0.net
>>146
すっごいいまさらだけど
ここにちょっとあった

URLリンク(www5.pf-x.net)

751:世界@名無史さん
15/02/25 23:36:04.62 0.net
>>654
メアリーボイスはおもしろかった?
本が読みにくくなければ読んでみたいかな

752:世界@名無史さん
15/02/25 23:59:13.57 0.net
図書館にあった筑摩のを読んだけど、読みやすかったよ
今だと講談社学術文庫から出てるけど、文庫だからか巻末に牽引一覧が無くなってて不便かも?
ただ内容はアップデートされてるから文庫のほうがいいと思う

753:世界@名無史さん
15/02/26 02:16:31.46 0.net
>>668
丁寧にありがとう

>>651
そしてなんだかんだいって読んでるww


>>438>>409
「アリンナ」はカスカの攻撃を一度も受けなかった都市らしい

754:世界@名無史さん
15/02/26 03:17:00.74 0.net
>>612
羊毛と織物はバビロニアの特産品だった希ガス。それも進入以降の
牧神ドゥムジが牧畜製品を誇っていたけどどんなだろう


羊毛のドメスティケーション
ウールの発達と紡錘車
須藤寛史

URLリンク(www.um.u-tokyo.ac.jp)
から抜粋

後述するように青銅器時代以前にもウール・タイプのヒツジは成立していたようだが、その頃の毛刈は春の生え変わりの季節に摘み取っていたものと思われる。

ところで家畜化開始期以降、ウールの有用性はどれほど認識されていたのだろうか。
先述の通り、野生あるいは家畜化初期段階のヒツジでは、繊維原料として便利なウールは、死毛や獣毛の下に隠れており、生え変わりの時期にしか表面に現れなかった。
したがってヒツジの家畜化が始まった新石器時代の人々は、柔らかなウールを目にする機会が少なく、繊維原料としての利用度が低かった可能性がある。

現在見られるような体毛がすべてウール状の柔らかい毛に発達したヒツジをウール・タイプのヒツジと呼ぶが、その最古の証拠としてよく引き合いに出されるのがイラン西部のテペ・サラブ遺跡で出土した前5,000年頃の動物土偶である。
胴体にV字の刻文が連続して刻まれており、ウール特有の縮毛を表現しているとされる(Ryder 1993:Fig.4)。しかしこれだけでは証拠として不十分だ。
ライダーが示したモデルでは、青銅器時代に獣毛あるいは死毛が細くなった品種が出現し、鉄器時代になってようやくウール・タイプのヒツジが出現するという(Ryder 1993: Fig. 3)。
西アジアでは前4千年紀末頃から文字が使用され始めるが、前3000年頃の粘土板文書にウール・タイプのヒツジが明確に区別されている(Green 1980)。
青銅器時代には意図的にウール・タイプのヒツジを利用していたことが�


755:墲ゥる。



756:世界@名無史さん
15/02/26 23:34:05.92 0.net
>>123>>571

フェニキア人であるカドモスとハルモニアーの娘イーノーがいちまいかんでいる
ということなんだけどあんまりうまく説明できてるとは思えない、うーむ



イーノー(古希: ?ν?, ?n?)はギリシア神話に登場する人物である。長母音を省略してイノとも表記する。
テーバイの王女として生まれ、のちにボイオーティアの王妃となった。
死後、ゼウスによって女神とされ、海の女神レウコテアー(Leukothea)あるいはレウコトエー(Leukothoe)として信仰された。レウコテアーとは「白い女神」の意である。


ネペレーの子たちとイーノー

アタマースには最初の妻ネペレーとの間に二人の子、プリクソスとヘレーの兄妹があり、イーノーはこの二人に悪意を抱いていた。
イーノーは、密かに土地の女たちに種麦を焙らせて作物が実らないように工作した。
穀物が芽を出さないのを怪しんだアタマースがデルポイの神託を仰ごうと使者を送ると、イーノーはこの使者を買収し、プリクソスをゼウスの生け贄に捧げるよう神託があったといわせた。

アタマースがプリクソスを生け贄にするために山頂に引き立てたとき、ヘーラクレースがプリクソスを救った。
一説には、救ったのは実母のネペレーともいう。
プリクソスは妹のヘレーとともに金毛の羊の背に乗って逃れ、二人が乗った牡羊はコルキスの「金羊毛」として後のイアーソーンとアルゴナウタイの冒険につながる。


後は衣装と交換、、、


バッコスの饗宴にまつわる神

後になってイーノーが健在であることがわかり、アタマースは乳母といつわってイーノーを宮中に入れた
。テミストーはこれを見破り、テミストーの子には白い衣装、イーノーの子には喪服を着けさせるようイーノーにいいつけ、翌日護衛に命じて喪服の子供を殺させた。
しかし、イーノーは危険を察して子供の服を取り替えていたので、殺されたのはテミストーの子だった。アタマースはこれによって乱心したのだという。

757:世界@名無史さん
15/02/27 20:28:36.85 0.net
NHK 19時のNEWSでやってたんだけど、
「イスラム国」、イラクで古代の石像を破壊 動画公開
URLリンク(www.afpbb.com)
モスルの博物館がやられてアッシリアやヘレニズムの文化財が破壊されたらしい
ラタキアの博物館って今どうなってるんろうね?
ウガリットのが収蔵されてるんだけど...

758:世界@名無史さん
15/03/02 00:21:33.27 0.net
ダメリカがイラクから撤退したらゴキブリのように
現れたヤツら。
米軍に責任取って鎮圧させればいい。

759:世界@名無史さん
15/03/02 01:06:33.64 0.net
しかしイラクの集団間抗争を見てると、ルワンダの民族融和政策って奇跡的だな
ヨーロッパでカガメ大統領が独裁的だとか批判がポツポツ出てきてるみたいだけど、
相応の強制力ないとヤバいだろアホかと言いたいわ
チトーとかカガメみたく、ひとまず復讐の連鎖を回避させてんのがいかに凄いことなのか想像しろよと

760:世界@名無史さん
15/03/02 02:05:08.67 0.net
>>651>>662

この本が出た時点で19年だからもうかれこれ30年以上を掘り続けてるのか
ほんとに発掘紀だったけどこれはこれでよかったww


本の中ではガシュガ>>669だね
勢力圏のイキズテペ


761:遺跡ではイスタンブール大学が1974年以降発掘を続けているらしい



762:世界@名無史さん
15/03/02 02:26:52.71 0.net
>>675

ガシュガの動向が「マシャトホユック文章」にあるらしい
ちなみに日本語で検索するとこんな感じ


24 : ライラック(dion軍)[] 投稿日:2009/05/11(月) 08:02:41.77 ID:x3PDeu5T [2/2回]
>>22
 ヒッタイト帝国滅亡の原因は核戦争だった!?

“地獄の業火”--これは比喩ではない。アナトリアの数多い遺跡のこの時代の地層には、すべて大火災の跡が一面に残っているのだ。
 例えば、首都ハットゥシャシュからしてそうだ。発掘報告書によれば、この要塞都市は「原因不明の非常な高温」によって滅び去った。それは考古学者ビッテルが、
 「この町に可燃性物質がどれほど貯蔵されていたにしても、通常の火事ではこのような高温を出すことは絶対に不可能である」
 といっているほど、凄まじいものだった。
 日干しレンガの城壁や建物が融解して、赤色の塊になっていた。石は焼結して、ひびができていた。ハットゥシャシュには、想像を絶するような高熱破壊の跡が残っているのである。
 同じような高熱破壊の跡は、この時代の他の都市でも認められる。コルジュペテ、ハラバ、カラホユク、パトノス、カーノスなどという遺跡が、厚い焦土層を残している。
 マシャトホユックという遺跡は、壁という壁が強烈な熱を受けたために真っ赤にただれ、カチカチになっている。
 出土した粘土版文書の中には、強い火を受けたため、2枚が完全にくっついているものがあった。焦土層の厚さは50センチ以上にも達している。
 紀元前1200年というその時代、アナトリア高原全域がいっせいに炎と化して燃えつきた。これがヒッタイト帝国滅亡の日の姿なのである。

763:世界@名無史さん
15/03/03 02:54:42.27 0.net
>>675
これは意外な拾い物ww

URLリンク(en.wikipedia.org)

Although ?kiztepe means "twin moulds" in Turkish, the site contains four mounds and a burial ground amidst those. ?kiztepe II mound contains the earliest findings.
Most of the findings are dated to the Early Bronze Age, but the earliest finds date back to possibly the sixth millennium BCE. Finds from ?kiztepe exhibit similarities to material of the same age found elsewhere in Anatolia.
There are also parallels with findings from Eastern Europe. Among the artifacts found are pottery, metalworks and spindle whorls.

According to one theory, the Bosphorus might have been blocked temporarily during the Late Calcolithic to Early Bronze Ages,
exposing a wider shorline at the coast of the Black Sea, making it possible to easily travel from Varna to ?kiztepe region.[1]

The Hittite city of Zalpuwa is sometimes associated with ?kiztepe. However, this identification is not certain.[2]

The large amount of textile materials (spindle whorls) found in the site may indicate sailing activity.[3]

The excavations in ?kiztepe started in 1974 and continued interm


764:ittently into the 21st century.[4] http://en.wikipedia.org/wiki/Zalpuwa Zalpuwa was by a "Sea of Zalpa". It was the setting for an ancient legend about the Queen of Kanesh, which was either composed in or translated into the Hurrian language:



765:世界@名無史さん
15/03/03 03:13:10.03 0.net
>>675
本を書いたのが2004年4月で熱く鋼について語っててこの流れは熱いなww
それがしかも自分とこの遺跡っていう流れは学者冥利に尽きるだろう。


2005年05月14日
世界最古の鋼 紀元前18世紀 500年さかのぼる発見
URLリンク(www.konesite.com)

トルコのカマン・カレホユック遺跡で出土した紀元前18世紀(アッシリア植民地時代)の鉄片が鋼だったことが、岩手県立博物館の赤沼英男上席専門学芸員の分析で判明した。
これまで世界最古とされてきた紀元前14~12世紀(ヒッタイト帝国時代)の鋼を約500年さかのぼる発見。

今回の発見について、中近東文化センターアナトリア考古学研究所の大村弘所長は「メソポタミアからやってきたアッシリア商人が、優れた冶金技術をヒッタイトに伝えた可能性が出てきた。
ヒッタイトと鉄の関係を根本から考え直す必要がある」と話している。


2012年4月3日 朝日新聞
「最古の鉄鋼生産か・・トルコで発掘 前期青銅器時代」
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

中近東文化センターが発掘調査を進めているトルコのカマン・カレホユック遺跡で、紀元前2100年~前1950年ごろ(前期青銅器時代)の地層から出土した遺物に、
鉄器の原料となる鉄鉱石や、製鉄や精錬の際に出る不純物である鉄滓が含まれていることが、岩手県立博物館の赤沼英夫氏の分析でわかった。

この層からは鋼の鉄器も出土しており、世界最古の鋼の生産が行われていた可能性が強まった。

確認されたのは、破砕された鉄鉱石が2点と鉄滓が2点。
鋼と推定される鉄片も新たに1点みつかった。
また鉄鉱石から鉄分の少ない部分を取り除いたとみられる岩石片もみつかっており、赤沼さんは「選鉱も行われていた可能性がある」と見ている。

中近東文化センター付属アナトリア考古学研究所の大村所長は、「注目すべき発見だ。今後出土した遺物の年代測定を行うとともに、鋼の生産遺構の発見に努めたい」と話している。

766:世界@名無史さん
15/03/04 22:44:10.97 0.net
>>675

いま見てる「古代のメソポタミア」に古アッシリア時代の交易路が載ってるんだけど
その中にカネシュ(キュルテペ)までの推定ルートが掲載されている。


アッシュールから出発してティグリス、ユーフラテスの両大河を使わずに

ほぼ真っ直ぐ西へハブール川を横切ってバリーフ川沿いの都市ハルランを経由して

パドナ→カルケミシュ→ウルシュムに至り

そこから北西へ折れ

マムマ→ティメルキヤ→カネシュ

へ至るという超内陸非河川ルートなんだけど、これなんでなんだろうww

767:世界@名無史さん
15/03/06 05:15:19.64 0.net
>>679

この中では天水農耕の北限としてふれられている感じだけど、それ以外の話がめちゃくちゃおもしろかった
URLリンク(jswaa.org)

内容はハブール土器と錫交易ルートを扱っているんだけど
シャムシ・アダド1世と関連付けて話が展開するのだ
ヤムハド王国や、クッシャラのアニッタ


768:、マリ王のジムリ・リムなんかもでてきて楽しいぞ



769:世界@名無史さん
15/03/07 22:15:23.33 0.net
>>679

ちなみにこのルートはおそらく▲カールムや●ワバラトゥムの分布から復元されたものなんだけど

ハットゥシャ → アラジャ・フユク を経由し北へ向かい
東へいったん蛇行した後に戻ってきて、最後は赤い河の下流の黒海近くまで
ドゥルフミト▲ → トゥフピヤ● → ザルパ●
と続いている。


さて、ここで疑問が二つ

この蛇行はなぜかという点と、
そしてなぜかザルパが地図中二2つあるのだ
ひとつは黒海のザルパ、もうひとつはバリーフ川のザルパ

770:世界@名無史さん
15/03/07 22:44:43.91 0.net
>>481

ヒッタイトの地図(アナトリア)によると
URLリンク(sitemaker.umich.edu)


>>681

北の黒海の都市はZalupuwa

バリーフ河の都市はZalpah
ちなみにこっちには▲カールムがあった



>>415
に関しても該当する話を見つけたよ

771:世界@名無史さん
15/03/08 22:33:09.06 0.net
>>677>>681>>682
というわけで二つのザルパは別もので

イキズテペ遺跡
URLリンク(en.wikipedia.org)

海のザルパ(ザルプワ)
URLリンク(en.wikipedia.org)

うーん、カールムやワバラトゥムがあるってことは古アッシリアの文章記録も出てるんだろうか

Hittite Online
URLリンク(www.utexas.edu)


あと、ハットゥシリ1世が全くでてきてなさそうだけどなんだろ
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ついでマラシャンタ川が黒海に注ぐ河口の近くにあるザルパの町を破壊し、神に多くの供物を捧げた。
彼は祖先アニッタが破壊して呪いをかけたハットゥシャを再建し、新たな首都とした。
短期間の断絶を除けば、ハットゥシャはヒッタイト帝国が滅亡するまで300年以上にわたってその首都であり続ける。彼はこの町に因んでその名を「ハットゥシリ」に改めた(つまり「ラバルナ2世」を名乗る前の本名は別にある)。
また「ハットゥシャの王」と共に「クッシャラの人」という称号を名乗り、血統的な正統性をアピールした。

772:世界@名無史さん
15/03/15 02:07:27.60 0.net
>>670

ちなみにこの詩では、白羊毛と黒羊毛への品種改良は既に実施済みなんだけど
この詩の中にはもう一つ注目すべき点があるように思う。


URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)より

 「農夫なんか、いったいどこがこの俺様より優れているというんだ。
  たかが土手と運河の世話男じゃないか。

  農夫が俺様に黒い衣服をくれるというなら、
  俺様は奴に黒い牝羊をやろうじゃないか。
  白い衣服なら、白い牝羊さ。

  最上のビールを注いでくれようというのなら、
  俺様は黄色い乳を注いでやる。

  精製ビールなら、こっちは酸乳(サワークリーム)、
  醸造ビールなら泡立て乳、混ぜ物ビールならそれなりの乳だ。

  最上の濾過ビールをくれるというなら、
  俺様は農夫に凝乳(カード)をくれてやるし、
  最上のパンなら、俺様も似合いの乳製品さ。

  小さな豆なら小さなチーズ、大きな豆なら大きなチーズ。

  奴の食べたり飲んだりが済んだなら、
  俺様はおまけのバターも、おまけのチーズも追加してやるんだ。

  その俺様よりもいったい、農夫の奴のどこが優れているというんだ」

773:世界@名無史さん
15/03/16 02:20:30.07 0.net
>>308よく間違えるやつ エレトリア http://en.wikipedia.org/wiki/Eretria 古代ギリシャのエレトリアは、エウボイア島(エヴィア島)に位置していた都市国家のひとつである。 エヴィア島の西海岸、ハルキスの南、エヴィア湾を渡ってアッティカに面した場所に位置していた。 紀元前6世紀から紀元前5世紀にかけて、エレトリアはギリシャにおいて重要なポリスであった。しかし古代においてすでに重要性を失っていた。 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/91/2010_Dimos_Eretrias.svg エヴィア島 古代ギリシアではエウボイア島(古代ギリシア語: Ε?βοια / Euboia)と呼ばれ、 またその形からマクリス島やドリケ島、あるいは居住していた民族名からエロピア島やアバンティス島などとも呼ばれていた。 ラテン語ではエウボエア島(Euboea)と呼ばれた。 エヴィア島は、もともとはギリシャ本土の一部であり、地震により分裂して島になった、と考えられている。 それは、エヴィア島の近くには断層が走っており、またかつて島の北部で地震が起きたことがあるという話を、トゥキディデスとストラボンの両者が述べているからである。 島の北端は、テッサリア地方の海岸と海峡によって隔てられており、その距離は40mにも満たない地点もある。 エヴリポス海峡と呼ばれるこの海峡の、ハルキスの町周辺は特に狭く、ギリシア神話の中でアガメムノーンの艦隊が、逆風で進めなかったことが理解できるほどである。 また、この海峡の潮流は特異であり、古代から学問の主題となってきた。それはまるで川の流れようであり、一方に流れたかと思うと、すぐに逆方向の流れが生じるのである。 ここに初めて橋が架けられたのは、ペロポネソス戦争中の紀元前410年のことであった。 ハルキスとエレトリアの商業は特に盛んであり、エウボイア島の秤やさしが、他のイオニア人都市で一般的に使用されただけでなく、アテナイでもソロンの時代まで使用されたほどであった。



775:世界@名無史さん
15/04/05 04:01:20.57 0.net
ユダヤの神ヤハウェってウガリト神話由来なんだな。
ユダヤ・オリジナルではない訳だ。

776:世界@名無史さん
15/04/06 21:05:36.95 0.net
海の民ってペリシテ人なの?

777:世界@名無史さん
15/04/06 22:58:04.25 0.net
>>575

手元に資料なくなっちゃったんで、あてにならない記憶なんだけど

シュメールの天候神Ishkurのディンギル付のを
各宗派それぞれで書き下したみたいで
バアル、ハダド、アダド、テシュプ、あともう2~3個あった気がするけど
全部同一視されてたってこってすね。

778:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/04/08 20:20:14.68 0.net
>>686

とみせかけて、
実は旧約聖書の結構な部分が
身の回りの話を無断転載しちゃってるので
むしろ確かにオリジナルという部分を探す方が難しかったりww


このスレでも
>>265ディードーの話や
>>132>>260捨子伝説
なんかがあるよ

779:世界@名無史さん
15/04/08 20:21:30.73 0.net
マニ教について語ろうぜ
スレタイ的には問題ないだろ

780:世界@名無史さん
15/04/08 20:36:09.81 0.net
いちおう本スレらしきものをご紹介、知ってるかもしれんが見つけにくいので
「思い出のマーニー教」
スレリンク(whis板)

781:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/04/08 20:37:12.86 0.net
>>690
マニ教ってグノーシスの流れはある�


782:ッど ピタゴラス教団の影響ってないの?



783:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/04/09 01:21:48.11 0.net
>>691
ダルビッシュも関係ないのかな、、、


地中海だとアウグスティヌスぐらい?
何を話していいかわからないから寝たふりしてよ>>690

784:世界@名無史さん
15/04/09 01:35:10.61 0.net
>>692
無いと思うよ

マニの思想はユダヤ系の当時の新興教団にいた時のそれと、あと「マニがそれを知った時点で既にグノーシス化してた」キリスト教の教えを融合させたもの
マニ本人はシリア語版聖書をフルで読んだことすらない(要約版は読んでた)し、マニ本人がキリスト教とグノーシス主義を融合させた訳ですらない
もちろんマニに影響を及ぼした人がピタゴラス教団の影響を受けてた的な意味で間接的な影響はあっただろうけど、マニ本人はまず影響を受けてないはず

マニの思想は良くも悪くもそれぐらい薄っぺらい
マニ教に関しては「マーニー教 再発見された古代の信仰」って本がかなり面白いよ
どうして「キリスト教マニ派」が正統派教会に負けたかまで解説されてる

785:世界@名無史さん
15/04/09 14:45:31.52 0.net
>>694
ほぼ100点の回答やね

786:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/04/09 19:51:20.27 0.net
>>694

なるほどお

まぁ、おいらの知ってるマニ教徒は
「スカラー波」を恐れるタマ一派でしかないからなぁ

特に話せる内容もない、、、

787:世界@名無史さん
15/04/11 02:55:58.03 0.net
ヤハウェ神が元々ヒッタイトの神で、
インドのヴァルナ神と関係あるかもって
のが面白いなあ。

788:世界@名無史さん
15/04/20 02:07:38.64 0.net
クレタに代表される牛崇拝と牛と人間の性交伝説が
古代地中海世界の各地にあるのが面白い。

789:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/04/21 23:04:03.21 0.net
>>698
ぱっと思いつくのはゼウスの話だけど
他にもいっぱいあるの?

790:世界@名無史さん
15/04/21 23:54:48.50 0.net
ウガリト神話にあったよ。
あと、ミノタウロスは有名だよね。
牛崇拝としてはエジプトのアピスやフェニキアのモロクとか
アロンの作った金の牛とか・・・

791:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/04/22 20:58:32.51 0.net
>>700
ごめん、後の方ばっか見てましたww

792:世界@名無史さん
15/05/06 01:23:01.13 0.net
しかし、リビア難民が地中海を渡って欧州に渡ろうとか
現代の地中海世界も大変だな。

793:世界@名無史さん
15/05/06 10:44:17.32 0.net
金髪碧眼がいない世界だったんだろう。
今のレバノンぐらいの人種かな。

794:世界@名無史さん
15/05/06 12:42:12.12 0.net
リビアにアフリカ中の難民が集まり対岸のヨーロッパに押し寄せる
人道的見地から沈めるわけにもいかん。沈めてる国もあるけど
今でさえアラブ人、トルコ人、黒人、インド亜人が大勢いて出生率も
高いのにこれからもどんどん黒い移民がヨーロッパに入って来る

200年後のヨーロッパは黒人、アラブ人国になるであろう

795:世界@名無史さん
15/05/06 13:35:19.45 0.net
>>703
クロマニヨン人も欧州侵入時は、黒人かせいぜいアラブ人程度の肌色。

796:世界@名無史さん
15/05/06 14:30:26.76 0.net
黒人はノーサンキューだろうけど、アラブ人トルコ人インド人は歓迎してやればいいのに
コーカソイドの人口増に貢献してんだから

797:世界@名無史さん
15/05/06 17:00:29.24 0.net
ちょっと質問
コーケイジャン(白人)ってコーカサス地方が原産とか?

798:世界@名無史さん
15/05/10 10:45:03.95 0.net
>>707
中近東一帯が原産地だが、主にイラン高原と言われてはいる。
コーカサスも原産地の一部。

799:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
2015/05


800:/15(金) 23:08:23.09 0.net



801:世界@名無史さん
15/05/16 07:33:04.11 0.net
>>706
じゃあ日本もモンゴロイド人口増に貢献する中国人韓国人朝鮮人は歓迎だね?

802:世界@名無史さん
15/05/17 21:57:22.50 0.net
>>709
めっさ見とるがな

(・∀⊂)イヤ—ン

803:世界@名無史さん
15/05/17 22:13:33.80 0.net
>>710
そのなかには人口増に貢献できる民族など一つも無いぞ。
モンゴロイド諸民族は少子化著しくどこも出生率世界の底辺だ。

804:世界@名無史さん
15/05/18 11:51:28.21 0.net
>>712
結果的にイスラム教徒が将来増えてくるということ?

805:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/05/18 23:00:29.08 0.net
>>711
とりあえず、
右の方にいる人は何をしようとしているか理解できるんだけど
左の方にいる人はそれをどうしようというんだろうか、、、

806:世界@名無史さん
15/05/18 23:02:48.93 0.net
まさか口にもっていくつもりじゃ・・・・馬の歯はヤバいぞ!?

807:世界@名無史さん
15/05/19 13:37:47.09 0.net
イスラム教徒も先進国に移民して二、三世代目には世俗化して出生率が大差なくなる
要は教育をどの程度受けているかで出生率は決まる

808:世界@名無史さん
15/05/20 22:43:18.99 0.net
将来的には人類そのものが減ってくるだろうな。

809:世界@名無史さん
15/05/21 00:07:56.62 0.net
今が多すぎるんだよ

810:世界@名無史さん
15/06/16 21:10:19.32 0.net
元々のユダヤ人は今のイスラム原理主義者のような保守的な人々であり、
とてもロスチャイルドのような財閥のタイプとは違っていたと思われる
たとえティルスとカルタゴが徹底破壊と殲滅を受けても、フェニキア人の都市はその二つだけではない
大坂夏の陣でも大阪市民は虐殺されたようだが、南京一つとっても皆殺しなど簡単に出来るものではない
しかし、何故かローマ人が圧倒されたフェニキア人は歴史から消え、ユダヤ人の活動にフェニキア的な性格が付与されるようになった
また、レバノンのアラブ人クリスチャンにもそのような性格は見出される

811:世界@名無史さん
15/06/16 22:10:24.74 0.net
>>683
しかし、よくあんな乾燥した寒い場所に街を造ったものだ。

812:世界@名無史さん
15/06/21 04:59:43.91 0.net
海の民とフェニキア人って時代かぶらないの?

813:世界@名無史さん
15/06/21 10:07:00.92 0.net
フェニキア人は海の伝道師
海の民は単なる野蛮人

814:世界@名無史さん
15/06/21 14:33:46.45 0.net
全く素朴な疑問だがギリシア人やフェニキア人はあのように
西地中海に伸びて行ったのになぜ先住民は彼らから文


815:明を 吸収して自分自身の文化を高めなかったんだろう。



816:世界@名無史さん
15/06/21 16:15:44.90 0.net
>>723
同じ中東系でもベドウィンはフェニキア系やギリシャ系の都市民とは価値観が
違うのではないでしょうか 伝統的な遊牧こそが最高の生き方なんだ的な

817:世界@名無史さん
15/06/21 16:35:31.35 0.net
>>723
文明・文化は高い方が低い方を駆逐するからね。

818:世界@名無史さん
15/06/21 21:16:21.81 0.net
先住民族ラテン人がギリシャ文明を吸収して古代ローマがあるんだろ。

819:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/06/22 01:30:21.67 0.net
>>721
少なくともビブロスは時代がかぶってる
海の民の侵攻は全ての都市が対象じゃなくて
虫食いで飛び飛びなんだよね


>>723>>725
アルファベット的なのはラテン語の元になったやつ以外にも
ウガリトでも楔形文字で再現されたり
イベリア半島なんかでも現地語を記録するために使われたみたい

820:世界@名無史さん
15/06/27 07:58:06.17 0.net
>文明・文化は高い方が低い方を駆逐するからね。
カタストロフやローマ末期って文化が低い連中が高い文明を略奪・破壊していたような

821:世界@名無史さん
15/06/27 18:47:07.48 0.net
>>728
でも、ゲルマン人はローマ文化を採り入れていたけどな。

822:世界@名無史さん
15/06/27 19:48:36.19 0.net
ゲルマン人はローマを征服したはずなのにローマの牝牛になっちゃった
不思議な関係よ どっちが征服者でどっちが上なのか分からん

823:世界@名無史さん
15/06/28 14:45:09.12 0.net
ペリシテ人の神ダゴンってウガリト神話に出てくる海神だよね。
ウガリトと海の民が共通の神を崇めていたのが面白い。

824:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/06/28 22:59:37.21 0.net
東のユーフラテス川沿いのマリ
そこから見つかったマリ文書には
王名にダゴンを頂く支配者が複数おり
かなりの信仰を集めていたようですね

825:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/07/01 00:45:01.96 0.net
>>185

王妃アビシムティと豊穣神イナンナ
URLリンク(dspace.wul.waseda.ac.jp)

アビシムティが行った西方的宗教儀礼とは、
第一にダガン神の祭
第二にハブリトゥム神の祭
第三にイナンナ新のウナアの祭
第四に聖婚儀礼である。


URLリンク(ja.wikipedia.org)
アビシムティ(紀元前21世紀半ば - 紀元前2029年頃)は古代メソポタミア、ウル第3王朝の王アマル・シンの王妃。
シュ・シンによる王位簒奪を手助けし、大后として権勢を振るった。

来歴[編集]

シリア地方、ハブール川流域の出身であるとされる。アビシムティに限らずウル第3王朝の王妃には辺境の出身者が多い。
ウル第3王朝においては王が死んだ際、その王妃は殉死する習慣があったが、
アビシムティは夫アマル・シンの死に際して殉死することはなく、同王朝の王妃の中では例外的な存在である。
アマル・シンとシュ・シンが王位を巡って争うと、夫アマル・シンを見限ってシュ・シンに付きその王位簒奪を助けた。

シュ・シンが王位に付くと、弟を補佐役として大后として権勢を振るったと推定されている。
彼女はダガン神崇拝や新月祭など、シリア地方の宗教をシュメールに持ち込みんでおり、
後にメソポタミアの王にとって重要な儀式となる聖婚儀礼の成立にも影響したという説もある。
シュ・シン王が死ぬと彼の王妃、クバティムとともにアビシムティも殉死した。

アビシムティが夫の死に際して殉死しなかったのは、つまるところアマル・シンがシュ・シンによって王位を奪われ、
王妃であるアビシムティが


826:簒奪者の側に与するという特殊な状況において発生した事象であり、 最終的には彼女も1代遅れて殉死することになったと考えられている。



827:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/07/19 18:24:27.64 0.net
世界遺産でヌラーゲやってるな
最初の方を見逃しちゃったぞ

828:世界@名無史さん
15/07/19 20:08:34.43 0.net
>>734
最近発掘されたという巨人像のことは知らんかった。
あとジッグラト風の建物も・・・。なかなか面白かったわ。

829:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/07/19 21:07:13.71 0.net
>>735
へー、巨人像っすか
どんなやつなんだろう

830:世界@名無史さん
15/07/19 21:16:32.79 0.net
>>736
こんなやつ、まぁ巨人といっても2mくらいだけど
URLリンク(www.ilnavigatorecurioso.it)

831:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/07/19 21:24:03.22 0.net
>>737
こいつはだいぶ彫りが深いですねww
いつ頃発見されたんだろう

832:世界@名無史さん
15/07/19 21:41:18.40 0.net
レバノン杉山正明

833:世界@名無史さん
15/07/19 21:52:50.45 0.net
>>723
野蛮なギリシア人はフェニキア人からアルファベットと学んだじゃないか

834:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/07/19 22:04:59.79 0.net
>>734
抜粋するとこんな感じなのかな


URLリンク(portocervo.exblog.jp)

ヌラーゲSantu Antineの発掘作業は御馴染みのイタリアの考古学者Antonio Taramelli(1868-1939)によって1935年に発掘され、
続いて1964年には発掘と修復がフイレンツェ出身のこれまた有名な考古学者Guglielmo maetzk(グリエルモ・メツケ)(1915-2008)によって行われたが
Santu Antineのヌラーゲ遺跡下、周辺にはまだたくさんの遺跡が残存していることがはっきりと確認されており、
今後も考古学者研究グループによって発掘作業は継続されるらしい。


URLリンク(portocervo.exblog.jp)

ヌラーゲは主に"I protonuraghi"(プロトヌラーゲ)と"I nuraghi a tholos"(トロス式ヌラーゲ)の2つのタイプに分けられる。
初期ヌラーゲ時代(紀元前1800年~1500年)ではプロトヌラーゲ(初期に建造されたヌラーゲの原型)が建造されており、
サルデーニャ島で一番最初に建造されたヌラーゲがメディオ・カンピダーノ県のGesturi(ジェストゥリ)市にあるプロトヌラーゲのBruncu Maduguiと言われている。

現在、確認されているプロトヌラーゲは300基とされている。

そして中期青銅器時代(紀元前16世紀~15世紀頃)になるとトロス式ヌラーゲが現れるようになる。
プロトヌラーゲとトロス式ヌラーゲを合せておおよそ7,000基ほどのヌラーゲが確認されているらしいが、
実際には大部分が崩壊されてしまっていて、保存状態が良いヌラーゲはほんのわずかである。
これには2つの出来事が関連しており、19世紀の中頃に農民や牧畜者の土地に境界線を引く為に石垣を設置する法律が制定された為、
活用されなくなったヌラーゲから石を持ち運び出されヌラーゲが破壊されてしまったこと。
もう1つにはカリアリ市とポルト・トッレス市間を結ぶ主要幹線道路"Carlo Felice"を皮切りに道路網の発達のために
舗装道路の路盤に使用する石を得る為にヌラーゲの塔の解体が行われたことによる。

835:世界@名無史さん
15/07/19 23:03:37.42 0.net
>>738
番組内で、たしか2014年だか2013年だかそのへんを言ってた気がする。
とにかくごく最近の話だよ。

836:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/07/19 23:07:44.35 0.net
>>742
へー、


837:ありがとうございます このマキマキしてるのは髪の毛編んでたんだろうか



838:世界@名無史さん
15/07/19 23:14:11.66 0.net
それ、編んだ髪なのかこういう首筋の表現なのか測りかねている
URLリンク(gendai.ismedia.jp)

839:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/07/19 23:26:09.84 0.net
>>744
これマキマキってよりはムキムキしてるんじゃww

840:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/08/02 17:38:57.86 0.net
>>577
とーちゃんの方が先に判明ぽい


【考古学】アレクサンドロス大王の父(フィリッポス2世)の墳墓を特定か 古代文献に記された脚の傷跡を分析、従来説覆すか [転載禁止](c)2ch.net
スレリンク(scienceplus板:1番)

1 名前:もろ禿 ◆SHINE.1vOk もろ禿HINE! ★@転載は禁止[sage] 投稿日:2015/07/24(金) 17:58:55.49 ID:???
アレクサンドロス大王の父の墳墓を特定か | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
URLリンク(natgeo.nikkeibp.co.jp)
URLリンク(natgeo.nikkeibp.co.jp)
URLリンク(natgeo.nikkeibp.co.jp)

1970年代の終わりにギリシャのヴェルギナでこの墳墓を発掘した考古学者らは、被葬者は古代マケドニア王フィリッポス2世だと結論付けた。
しかし、フィリッポス2世は近くにある別の墳墓に埋葬されていることを示唆する新しい証拠が見つかった。(Photograph by Petros Giannakouris, AP )
URLリンク(natgeo.nikkeibp.co.jp)
遺骨を元に復元を試みた フィリッポス2世の肖像。フィリッポス2世は敵の矢に打たれ片目を失明したが、名だたる息子、アレクサンドロス大王を除いては右に出る者のない、洞察力のある指導者だった。
(Photograph by James L. Stanfield, National Geographic Creative)


 新たな法医学的研究により、アレクサンドロス大王の父、古代マケドニア王フィリッポス2世の埋葬地を巡る長年の論争に終止符が打たれるかもしれない。

 1977年および1978年にギリシャのヴェルギナで王家の墳墓3基が発掘されて以来、フィリッポス2世はこのうち第2墳墓(「フィリッポスの墓」と呼ばれる)に埋葬されたものと多くの考古学者が考えていた。
ところが、このほど第1墳墓から発掘された成人男性の脚の骨を分析した結果、大きな槍傷の跡が見つかり、古代の文献にフィリッポス2世が339年の戦いで負ったと書かれている傷と一致することが
わかった。(参考記事:「ギリシャの墳墓、眠るのは大王の親族?」)

841:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/08/02 17:40:16.34 0.net
>>746

 今月20日、「Proceedings of the National Academy of Sciences」誌に発表された研究論文によると、今回の発見はフィリッポス2世の埋葬場所を特定する初の証拠であるだけでなく、第2墳墓の
副葬品のいくつかがアレクサンドロス大王のものであった可能性を示すものだという。

 第1墳墓に埋葬された3体の遺骨を分析したのは、今回の研究チームが初めて。遺骨は中年男性と、死亡時に18才くらいだったと推定される若い女性、そして性別の不明な新生児のものであることが
わかった。この法医学的証拠も、古代の文献に記されたフィリッポス2世と7人の妻のうちの最後の妻、そして子どもの死亡時の年齢と一致する。

 紀元前336年に暗殺される3年前、フィリッポス2世はスキタイ人との戦いで得た戦利


842:品の分配話がこじれた結果、トラキアのトリバリ人と争いになり、瀕死の重傷を負った。セネカ、プルタルコス、 デモステネスなどが古代ギリシャの文献で記述した傷の厳密な位置は異なっているものの、どの文献もフィリッポス2世がその傷が原因で脚が不自由になったとしている。  第1墳墓から発掘された成人男性の脚の骨には左膝の部分に大きな穴が開き、骨が癒着して関節が動かなくなる重傷の関節強直がみられる。  脛骨と大腿骨の長さから、負傷前のフィリッポス2世は身長1メートル80センチ近くあり、当時にしてはかなり背が高かったとみられる。おそらく負傷してからは、フィリッポス2世の足はおぼつかなくなり、 体のバランスを取るために頭を右側に傾けて歩いたと推測される。(参考記事:「アレクサンドロス大王時代の墳墓の謎深まる」) 「証拠」から読みとる事実  第2墳墓から見つかった、脛を保護するための鎧の脛当ては左右で長さが異なっていた。脚の長さの違う人物用に特別に作られたことを示唆しているため、考古学者の多くがこの脛当てはフィリッポス2世の ものに違いないと主張してきた。  しかし今回の論文の筆頭著者の一人、アントニオス・バルトシオカス氏は、この脛当てはアレクサンドロス大王の異母兄弟アリダイオスの妻、エウリュディケのものだったと考えている。「エウリュディケは多くの 戦いに参加した女性戦士でした」と同氏は述べる。エウリュディケもまた、長さの違う脛当てが必要となるような傷を負っていた可能性がある。



843:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/08/02 17:41:56.83 0.net
>>747

 フィリッポス2世が第1墳墓に埋葬されていたことを示す新しい証拠が見つかったことで、バルトシオカス氏らの研究チームは、
第2墳墓に埋葬されている遺骨はアリダイオスとエウリュディケのものであると論じている。
これが正しければ、アレクサンドロス大王の鎧のいくつかはこの夫婦の遺体とともに埋葬された可能性がある。

 アリダイオス自身は戦いには加わらなかったが、323年に王に即位したとき、アレクサンドロス大王の衣服を着用した。
また、第2墳墓で見つかった手作りの繊細な鉄製の兜は、プルタルコスが記したアレクサンドロス大王の兜の記述と一致しており、
このことも世界の制覇者アレクサンドロス大王の鎧の一部が兄の墓に埋葬されたことを示唆している。

(参考記事:「古代シナゴーグで発見された“場違いな”もの」)
文=Nick Romeo/訳=キーツマン智香

844:世界@名無史さん
15/08/02 21:11:51.91 0.net
フィリッポス2世の遺伝子がわかればアレクサンドロスも同じはずだからね。

845:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/08/02 21:31:25.42 0.net
それをいったら同じレベルで
アリダイオスさんも一緒なんじゃww

846:世界@名無史さん
15/08/02 21:50:03.41 0.net
王二人を同じ墓に入れるのか?

847:世界@名無史さん
15/08/03 19:06:20.88 0.net
それはない。
王に失礼だろ。

848:世界@名無史さん
15/08/03 22:01:56.42 0.net
まあアリダイオスは殺されたから扱いも悪かったかも・・・

849:世界@名無史さん
15/08/06 09:53:11.17 0.net
何はともあれ、京都大学学術出版会の『西洋古典学事典』を
じっくりと読むことだ。

わかったな。

皆の者。

850:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/08/06 21:36:15.87 0.net
>>751
お墓じゃなくて
王様が王子様達に半分づつ詰めてます

851:世界@名無史さん
15/08/24 00:36:32.79 0.net
大王の墳墓はアレキサンドリアのどっかに埋もれてる・・・

852:世界@名無史さん
15/08/24 11:22:17.44 0.net
作品社『図説 ホモセクシャルの世界史』
を読め。
分かったな。
皆の者!

853:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/08/24 23:22:11.82 0.net
>>756
いっぱいある中の
どのアレキサンドリアですか?

も、もしかして新大陸の、、、?

854:世界@名無史さん
15/08/24 23:35:23.73 0.net
大王の墓がエジプトにあったのは有名だろ。

855:世界@名無史さん
15/08/26 19:01:07.63 0.net
3月の2chの仕様変更から見るだけだったけど、書き込まずにいられない

パルミラのバアル・シャミン神殿がついに破壊されたみたいだね
本当にがっかりだ
ベル神殿とかも壊されてなくても時間の問題か

856:世界@名無史さん
15/08/29 18:29:03.58 47N4Oxa0b
海の民と海から来た神との間に関係は…無いか

857:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/09/25 20:40:40.16 0.net
>>576
イルルヤンカシュについで
うなぎ神をみつけました、、、


古代エジプトのウナギのミイラ箱 アトゥムの神聖動物の驚きの正体・・・!
URLリンク(55096962.at.webry.info)

858:世界@名無史さん
15/09/26 19:26:55.57 0.net
クレタ文明が発展した理由は何なんだろう?
人口とかが多かったようには思えん。

859:世界@名無史さん
15/09/26 19:43:34.84 0.net
交易
それとはるか昔だけど木材

860:世界@名無史さん
15/09/27 02:34:29.29 0.net
>>763
昔はギリシャと陸続きだったからだぞ
半島の先端だったから港が栄えた

861:世界@名無史さん
15/10/21 22:13:21.20 0.net
まんまアラブ人だろうな
昔は肌が浅黒かったらしいし

862:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/11/05 01:11:03.14 0.net
>>543
>>553>>552

ヒッタイトの有翼日輪は
エジプト経由だったかアジア経由だったか
どっちだっけかな


3000年を経た美しい有翼日輪(円盤)
URLリンク(mphot.exblog.jp)

 さて、この門の装飾でとくに彩色が美しいのが有翼日輪である。

有翼日輪は、エジプトにその形が早くから見られた。
太陽神のラー信仰と王権の象徴であったホルスの翼が合わさったものと見られる。
したがって、第5王朝ぐらいに始まり。
トゥト・アンク・アメン(ツタンカーメン)王の父であったアクエンアテンがアテン神を信仰したときはないが、
その時代が終わると又、有翼円盤は表されてくる。

 このように、エジプトではるか4000年前から使われていた有翼日輪は、
のちにアッシリアでみられ、またペルシアのゾロアスター教の象徴へも影響してきていると考えられる。

863:世界@名無史さん
15/11/07 18:56:06.92 0.net
今更黒いアテナ読んだけど
>>100のシピュロスとシュッピルリウマとか
ミュルティロスをムルシリに結びつけてたのは面白かった

歴史時代のギリシャに全くヒッタイトの記憶が無いのはどういうことなんだろうなあ

864:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/11/09 22:05:57.45 0.net
>>768
なんでまた、ムルシリさんがそんなことになってるんですか?

865:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/11/11 01:17:26.01 0.net
>>767

バイソンマンが有翼日輪を捧げ持ってるように見えるのだが
元は何処の遺物なんだろうか、、、

URLリンク(shinsengumi3.seesaa.net)
URLリンク(shinsengumi3.up.n.seesaa.net)

866:世界@名無史さん
15/11/11 02:46:44.98 0.net
>>770
テル・ハラフ遺跡の、ギルガメシュ(3人のうちの中央)を彫ったレリーフ
URLリンク(www.hittitemonuments.com)
ここは前9世紀、アラム人のビト・バヒアニ王国(新アッシリア帝国の支配下にあった)の遺跡
ギルガメシュ自体はシュメール時代の人物だが、このレリーフ自体はそんな古くないということ
有翼日輪を含め様式は新アッシリア時代のものだな、かなり電波的に使われてる画像のようだが

867:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/11/11


868:20:46:47.68 0.net



869:世界@名無史さん
15/11/12 08:44:10.68 0.net
>>744
かっこいい筋肉。なかやまきんに君はもうあれ以上いかないのかな。
あれはすごいとかかっこいいとか感じないな…

870:世界@名無史さん
15/11/21 21:43:43.81 0.net
>>772
蛇とナイフでは?

871:世界@名無史さん
15/11/23 22:55:06.73 0.net
地中海人は昔はアラブ人だったと発表されてなかったっけ

872:世界@名無史さん
15/11/24 00:50:21.94 0.net
古代エジプト人はアラブ人という研究もあったな

873:世界@名無史さん
15/11/24 02:39:25.25 0.net
そのへんはもうだいぶ前に否定されてるよ

874:世界@名無史さん
15/11/24 16:09:12.62 0.net
古代エジプト人は黒人
ナイジェリアでは常識

875:世界@名無史さん
15/12/06 19:17:34.40 0.net
誤解が弘まっているようですね。
古代エジプト人を含めて、古代地中海世界に関する事柄であれば、
何はあれ先づ、京都大学学術出版会から刊行されている名作
『西洋古典学事典』を一読されるのが、よろしいでしょう。
ヴァージョン・アップされた電子書籍版『西洋古典学事典アプリ』も出ているそうですから。

876:世界@名無史さん
15/12/06 19:20:24.43 0.net
ツタンカーメン展で古代エジプト人が白人であったとする嘘の展示に抗議する人々
URLリンク(www.youtube.com)

877:世界@名無史さん
15/12/06 20:15:01.78 0.net
西洋古典学事典をNGワード推奨

878:世界@名無史さん
15/12/06 20:26:40.25 0.net
「古代エジプト人は黒人」はナイジェリアあたりでは
ナショナリズムに利用されているからな

879:世界@名無史さん
15/12/06 20:33:17.91 0.net
どっちにしろバントゥー系のお前らには関係ないじゃん、てツッコミしたら殺られるんだろうか
ジャマイカ黒人とかがエチオピアをやたら持ち上げてたのにも通じるけど

880:世界@名無史さん
15/12/06 20:35:15.69 0.net
アメリカの黒人はイエスもムハンマドも黒人だったと主張してる

881:世界@名無史さん
15/12/06 21:24:44.78 0.net
今のエジプト人は古代エジプト人に対して特別な気持ちはないよね
観光資源残してくれてありがとさん位の感じでしょ

882:世界@名無史さん
15/12/06 22:01:04.87 0.net
フランス人が古代ガリア人に抱いてる気持ちと比べてどうなんだろ?

883:世界@名無史さん
15/12/07 17:03:25.08 0.net
日本人が縄文人に抱いてるくらいの気持ちじゃない?

884:世界@名無史さん
15/12/11 19:23:18.83 0.net
何十年か前にカエサルに抵抗したベルキンゲトリクス?が
フランスで英雄扱いされているという記事があった
自分たちの先祖という感覚はあるようだ

885:世界@名無史さん
15/12/11 19:30:13.04 0.net
古代エジプト人は現代のアラブ人やインド人と同じで日焼けして一見黒人のように見えるだけの白人だろ
ピラミッド壁画でも、古代エジプト人と黒人は肌の色で塗り分けられている

886:世界@名無史さん
15/12/11 22:12:46.61 0.net
ウェルキンゲトリクス

887:世界@名無史さん
15/12/11 22:41:24.89 0.net
褐色肌を黒人に分類するからその辺が紛らわしくなる

888:世界@名無史さん
15/12/12 12:28:34.48 0.net
欧州の先住狩猟採集民は北欧以外褐色の肌だったらしい
今年の国際人類学会の話

889:世界@名無史さん
15/12/12 16:23:28.74 0.net
少なくとも出アフリカした人々は本来褐色肌だろうからな

890:世界@名無史さん
15/12/13 11:59:18.15 0.net
URLリンク(www.shinchosha.co.jp)
ギリシア人の物語I 民主政のはじまり
塩野七生/著

あの不朽の名作『ローマ人の物語』完結から九年―。「それ以前の世界」が
描かれる待望の新シリーズ第一作は、民主主義の始祖ギリシア人�


891:スちの世界。 民主政はいかにして生まれ、いかにして機能したのか――。そこにはわれわれの 知らない、苛烈な戦争があった!



892:世界@名無史さん
15/12/13 13:48:29.79 0.net
婆さん生きてるうちに大丈夫か?
と思ったら全3巻なら大丈夫そうだな

893:世界@名無史さん
15/12/22 21:19:33.28 0.net
塩野七生、古代ギリシャ語読めたのか!?

894:世界@名無史さん
15/12/27 01:12:02.28 0.net
アヒヤワ アルザワ アスワ アサガヤ

895:世界@名無史さん
15/12/27 01:15:40.92 0.net
アレクサンドロス大王がギリシアの仇として
ペルセポリスの宮殿を焼いたが、ペルシア戦争
の時ってマケドニアは日和見で何の被害も受けて
ないのにな。
都市を破壊されたアテナイ人が焼くなら分かるが。

896:世界@名無史さん
15/12/27 01:19:14.93 0.net
>>794
ギリシア人「全3巻!?短か!」

>>796
現代ギリシャ語も無理じゃないか、多分

897:世界@名無史さん
15/12/27 02:23:06.37 0.net
地中海世界と似た特徴の世界は他にないですか?

898:世界@名無史さん
15/12/27 02:38:05.08 0.net
>>800
古典期メソアメリカ

899:世界@名無史さん
15/12/27 09:49:24.09 0.net
>>801
どこが?

900:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/12/27 17:39:52.88 0.net
>>800

エリュトゥラー海ですかねぇ

でもこっちは、季節風への依存度が高いので
地中海とはちょっと違うかなぁ

901:世界@名無史さん
15/12/27 20:55:40.80 0.net
>>803
おカマ野郎さすが!

902:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
15/12/27 21:17:29.95 0.net
>>800

こっちも内海ですが
地中海世界と繋がっちゃってますね


ハンザ同盟や交易や市場を語ろう
スレリンク(whis板:231番)

231 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2015/12/21(月) 22:45:20.67 0
北海・バルト海の商業世界 斯波 照雄 (編集), 玉木 俊明 (編集)
中世盛期から近世にかけて、広大なヒンターランドと豊かな森林資源を有するがゆえに、
北海・バルト海に囲まれた北方ヨーロッパは、一見、華やかに見える地中海世界以上に繁栄を誇った。
ハンザ都市を中心とした交易ネットワークをフルに活用し、やがては資本主義を生みだすことになる地域の歴史を、海洋・陸上双方の側面から多角的に論じた、わが国初めての試み。

903:世界@名無史さん
15/12/27 23:00:57.93 0.net
『ギリシア人の物語Ⅰ 民主制のはじまり』の67ページ、
アッティカの白地レキュトスの写真に「女性の装束を描いたコリント・スタイルの壺」
というキャプションがついてる…

904:世界@名無史さん
16/03/24 21:47:08.37 0.net
ここの人たち的にヘロドトスの歴史ってどんなイメージなんだろうか

905:世界@名無史さん
16/03/25 08:41:01.74 0.net
ジャーナリストの紀行本
おもしろい代わりに、ガセネタもいっぱいつかんでる

906:世界@名無史さん
16/04/11 06:08:21.47 0.net
何だかんだ言って自分が名付けた都市名がギリシャ第二の
都市として残ったカッサンドロスは歴史の勝ち組か。

907:世界@名無史さん
16/04/11 23:10:13.27 0.net
マケドニアをボコり、トルコ中部にまで攻め入って
国まで作ったケルト人すげえな。

908:過去ログ ★
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