古代の地中海世界at WHIS
古代の地中海世界 - 暇つぶし2ch434:世界@名無史さん
14/07/18 01:10:53.46 0.net
ここの人達さ、分からないとき文献では何で調べてるの?
岩波の古代オリエント辞典って巻末に地図等も詳しくて気に入ってるけど
URLリンク(www.iwanami.co.jp)
値段が値段なんで図書館でしか読めない

435:世界@名無史さん
14/09/17 00:13:36.07 0.net
以下抜粋、ふーむ


欧州最古の文字が刻まれた粘土板を発見
URLリンク(www.nationalgeographic.co.jp)
April 1, 2011

 最新の研究によると、ギリシャで発見された粘土板の破片に刻まれた記号が、ヨーロッパ最古の判読可能な文字であることが判明したという。
 ギリシャ南西部にあるイクライナ(Iklaina)という村のオリーブ畑で発掘された粘土板は、紀元前1450~1350年ごろに古代ギリシャのミケーネ人書記官によって作られた。

 イクライナにもミケーネ文明初期には宮殿があったが、今回の粘土板が作成された時代にはピュロスという都市の近郊にある一集落という程度にさびれていた。
ピュロスは『イリアス』の主要登場人物の1人、ネストル王が統治した地である。

 粘土板の破片は縦2.5センチ、横4センチほどの大きさで、記された記号は初期の「線文字B」であった。
線文字Bは古代ギリシャで使われた文字で、約87種の記号で構成され、文字がそれぞれの音を表す音節文字となっている。

 ミケーネ人が線文字Bを使うケースは、支配階層が関心を持つ経済的な事柄の記録のみと考えられている。
今回の粘土板も、表側には“製造”を意味すると思われる動詞が刻まれ、裏側には名前�


436:ニ数字の一覧が記されており、おそらく資産表と推定されている。



437:世界@名無史さん
14/09/20 23:09:59.24 0.net
何にせよ
『西洋古典学事典』を読むことだ。
でなくては、話がはじまらぬ。

分かったナ!!!!!!!!

438:世界@名無史さん
14/09/21 12:56:12.87 0.net
その本持ってるけどいうほど役に立たない

439:世界@名無史さん
14/09/24 00:16:35.41 0.net
>>100>>130


遅ればせながら「甦るトロイア戦争」読んでるんだけど
マッドゥワッタ文書は検索にすらひっかからないレベルだねぇ

まぁ、アヒヤワもアカイアの一部でしか説明されてないしなぁ、、、

URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)

440:世界@名無史さん
14/09/26 23:33:26.02 0.net
>>100>>397

アヒヤワに関するヒッタイトのテクストで重要なのは
次の4つ

(1)紀元前15世紀後半のヒッタイト王トゥドハリヤシュ2世の年代記
(2)「タワガラワ書簡」
(3)「マッドゥワッタ文書」
(4)「サウスガムワ条約」


ここには一部載ってる。
URLリンク(crazyhis.web.fc2.com)
URLリンク(crazyhis.web.fc2.com)

ちなみにミラワタの位置に関しては諸説あるもよう。(マルマラ海の南岸)


ここも 有史以来(ヒッタイト、アルザワ、アヒヤワ)とある。
URLリンク(www5.pf-x.net)

URLリンク(www5.pf-x.net)

441:世界@名無史さん
14/10/01 07:57:39.82 0.net
>>100

ヒッタイト情報はほんと少ないなぁ
文書記録も豊富なのになんでこんなにマイナーなんだろうか

442:世界@名無史さん
14/10/04 21:30:06.31 0.net
400

443:400
14/10/04 22:06:23.29 0.net
やったぞwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

444:世界@名無史さん
14/10/05 12:14:25.21 0.net
何にせよ京都大学学術出版会『西洋古典学事典』を買って
きちんと読みこなすことだ。
通常の知能があれば、誰にでも出来ることだ。
よいな。

445:世界@名無史さん
14/10/05 15:24:43.20 0.net
>>399
古代エジプトのピラミッドのような遺跡がなく、クレオパトラのようなエピソードがなく、
アッシリアや新バビロニアのように聖書でメジャーじゃないからではないでしょうか

446:世界@名無史さん
14/10/05 17:31:26.52 0.net
ハットゥシャ遺跡があるし日本では「天は赤い河のほとり」というマンガまで描かれてるのに。

447:世界@名無史さん
14/10/05 20:37:08.99 0.net
>>402

どっちかというと、同じトコ出版の『地中海世界史』が読みたい

448:世界@名無史さん
14/10/07 23:42:36.27 0.net
>>403
エジプトには負けるにしても
話題にはことかかない気がするんだけどね


>>404
そのマンガが元で旅行したりしてる人がかなりいるみたいだね。


そういえば、おれは中学校のときヒッタイトを知って、好きになったのを思い出したよ。
「製鉄の秘密」 と 「戦車」
これほど中二心をくすぐるものもあるまいてww

449:世界@名無史さん
14/10/09 22:56:50.52 0.net
>>109>>130

なんかエピソードが足りない気がする、、、


URLリンク(en.wikipedia.org)

エクロン(英語Ekron)は旧約聖書に登場するペリシテ人の5つの町の内のひとつである。
「深く根ざした」という意味であると言われる。多くの学者はアキロンをエクロンである主張している。

カナン入国の際にはヨシュアによってはまだ征服されていなかったが、最初ユダ族に割り当てわれた。
その後ダン族に割り当てられ、ユダ族によって征服された。

エクロンの住民は、祭司エリの時代にペリシテ人に奪われた神の箱が災害をもたらしたのを見て、
自分の町置くことに反対して、イスラエル人に送り返すように提案した。
後に、エクロンの町はガテと共にサムエルによってイスラエルに取り返された。
ダビデがゴリアテに勝利した時には、ペリシテ軍がエクロンの門にまで退却した。

450:世界@名無史さん
14/10/10 20:24:12.20 0.net
値段を20分の1にしたなら購入を考えても良いですよ。
>>396さんと>>405さんがああおっしゃるほどの書籍なんだから。


>>395>>402=ナッ爺さん。

451:世界@名無史さん
14/10/10 22:02:23.10 0.net
>>404
さて、何度もハットゥシャを攻め落としたカスカ族とは何者なんだろうか?

いくら赤い河に囲われてないほうから来るとしたとしてもやられ過ぎな気がする。

URLリンク(en.wikipedia.org)

452:世界@名無史さん
14/10/10 22:52:46.99 0.net
先ヒッタイトのクッシャラ帝国と、古アッシリアのシャムシ・アダド1世帝国の崩壊に関連性がありそうだけど
ありそう止まりで終わりそう

453:世界@名無史さん
14/10/10 23:12:30.59 0.net
アルゴー船つながりで、セーフということにはならないだろうか?


コルキス
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ギリシア神話の中では、アイエーテースやメーデイアの母国にして、アルゴナウタイの目的地で、また、アマゾーン族のいた土地もここだろうと言われている。
この古代の地域の場所については、現在のグルジア西部とされ、
具体的には、サメグレロ(en:Samegrelo)、イメレティ(en:Imereti)、グリア(en:Guria)、 アジャリア、スヴァネティ、ラチャ(en:Racha)、アブハジア各地方、
およびトルコのリゼ県とトラブゾン・アルトヴィン県の一部と言われている[6]。
コルキス人については、青銅器時代中期には既にカフカースに定住していたものと思われる[7]。

最初期[編集]
この地域は、十分な発達を遂げた青銅器文明の中心地であった。
その文明はコルキス文明(en:Colchian culture)として知られ、青銅器時代中期にかけて出現した隣接するコバン文明(en:Koban culture)と関係があった。
少なくともコルキスの一部では、都市化のプロセスは、古代ギリシアの植民以前、紀元前2000年の終わり頃までには、十分に進んでいたように見られる。
青銅器時代後期(紀元前15世紀?紀元前8世紀)のコルキス人は、ヨーロッパでその技術が習得されるずっと以前に、金属の製錬と鋳造を始め、その専門技術の発達ぶりが確認できる。
洗練された農具も作られた。過ごしやすい風土に恵まれた、肥沃でよく灌漑された低地が、進歩的な農耕技術の成長を促進したのである。

454:世界@名無史さん
14/10/10 23:32:31.83 0.net
>>410

ここにあるこれが凄く見たい

URLリンク(crazyhis.web.fc2.com)


紺谷亮一著 ヒッタイト帝国成立の背景 筑波大学歴史人類27 1999年
 アナトリアの鉱物資源の銅と、アナトリアでは僅かにしか取れないが、当時の主流となっていた青銅を作る上で欠かせない錫の流通ルートからヒッタイトの成立状況を検討していて、
初期のヒッタイトはこの銅の産出点と錫の交易点を押さえることを主眼として支配地域を固めたようだ。
ヒッタイト初期の歴史を記録したと言われるアニッタ文書の全訳とアナトリアの銅の鉱�


455:ャ図や錫の交易図などもつけられている。



456:世界@名無史さん
14/10/11 11:36:28.51 0.net
>>412
ちょっと古くないか?
21世紀になって遺伝人類学が長足の進歩を遂げているから。

457:世界@名無史さん
14/10/13 11:45:39.05 0.net
>>413

微量元素分析とか同位体比を調べるのは、その頃にはかなりできるようになってるので
ほとんど問題ないんじゃないかという気がする。


どっちにしろヒッタイトがどうしてアナトリア南東部のカルケミシュやウガリトの支配を
地理戦略的に選択していったかという話だろうからね。

458:世界@名無史さん
14/10/13 11:53:35.83 0.net
>>414


しなみに>>100のエーベルハルト・ツァンガーの「甦るトロイア戦争」では
アヒヤワ(アシヤ)がAsiaの発祥となったとしていて、
トロイアはボヘミアの錫と強く結びついているとしているが根拠はしらない。

459:世界@名無史さん
14/10/13 13:04:14.81 0.net
へー、Asiaの語源にはそういう説もあるんだ
セム語派のAsu(Sun rise,アジア)とEreb(Sun set,ヨーロッパ)でほぼ確定してるものと思ってた

460:世界@名無史さん
14/10/13 15:53:55.02 0.net
URLリンク(harutaseiro.blog89.fc2.com)

このサイトでは、
>なお、「アシア」については、ヒッタイトのトゥドハリヤ4世の碑文に出てくる「アスワ Assuwa」の方が相対的には可能性が高そう、と考えられています:
A number of scholars believe that Assuwa is the origin of Graeco-Roman name Asia, drawing attention to the fact that the Roman province of Asia was originally centred in this region.
Trevor Bryce, The Kingdom of the HIttites, Oxford University Press, 1998, p.136.

って書いてある

461:世界@名無史さん
14/10/14 23:15:08.76 0.net
>>417

アヒヤワ(ヒッタイト名)、アシヤ(エジプト名)、
あと>>397のアスワ同盟が、全て同じ対象を指しているかどうかはともかくとして

「海の民」襲来以降の混乱の中、ヒッタイトとその言葉が
近代になるまで長いこと忘れ去られていたことを考えると
おそらくはエジプト名なんだろうなという気はする。

でも、別にアスワの可能性がなくなったりする訳じゃないよ。

462:世界@名無史さん
14/10/14 23:31:59.01 0.net
>>418

ちなみにアシヤについてはトゥトモシス三世(トトメス3世)のための
年代記や記念碑(ステレ)に書かれた詩的な文章の中で以下のように言及されており

アシヤ地方は、銅、鉛、銀、馬匹?、シグ材、青金石(ラピスラズリ)、
そして象の牙(ママ!)の供給地として知られていたとのこと。

ちなみに、この国との接触はキプロス経由で行われていたらしい(けど根拠は追えてない)。

463:世界@名無史さん
14/10/16 03:49:05.02 0.net
>>398
意外とない



(4)「サウスガムワ条約」

ヒッタイト王トゥドハリヤシュ4世とアモリのサウスガムワ王との間に交わされた条約。
URLリンク(en.wikipedia.org)


この条約にはヒッタイトの王と同等であった王達が、しかも次のように挙げられている。
「そしてわれと同等の位階にある王達は、エジプトの王、バビロニアの王、アッシリアの王、アヒヤワの王(取消線)・・・・」

察するところ、この文章はたくさんの訂正箇所を含んだヒッタイト語の草稿だったのではないかと思われる。
この草稿は最終的な形ではアッカド語で書かれるるはずの条約のためのものであったのだろう。


URLリンク(ja.wikipedia.org)(アムル人)

アムル王国[編集]
紀元前15世紀末、レバノン北部に位置する歴史的シリア内部の山岳地域においてアブディ・アシルタを王とするアムル王国が建国された。
遊牧民を主体とするアムル王国は海岸に位置する近隣諸都市からの逃亡者を受け入れることで軍を強化し、内陸部に位置する諸都市へと拡張した。
アブディ・アシルタ死後の混乱期を越えて王国を取りまとめたアジル(英語版)の時代になると、
アムル王国は当時超大国であったエジプトとヒッタイトに挟まれた緩衝国家として両国からの重圧を強く受けるようになり、最終的にヒッタイトの従属国となった。
その後、紀元前13世紀末までヒッタイトへの従属が続きながらも独立した王国として存続していたが、
前1200年のカタストロフによるによる社会の混乱によってアムル人の独立国家は消滅した[11]。

URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(www.historyfiles.co.uk)

464:世界@名無史さん
14/10/16 03:54:12.23 0.net
>>420

Shaushkamuwaで検索するとFacebookが大量に引っかかるよww



c.1230 - 1210 BC Shaushga-muwa / Shaushkamuwa

c.1230 BC
Shaushga-muwa confirms Amurru's alliance with his brother-in-law and uncle, the Hittite king, Tudhaliya V (IV).
Amurru has to follow the Hittite lead in all international matters, provide troops, and prevent seaborne trade between Assyria and Ahhiyawa.
The last point comes from records in Ugarit and relates to the divorce of its ruler, Ammistamru II, from Shaushga-muwa's sister.


c.1200 BC
The state is sacked and destroyed by the Sea Peoples during the collapse of the Hittite empire.
Within a century the former subject city of Damas begins to flourish.

465:世界@名無史さん
14/10/16 04:01:24.66 0.net
>>421

英語も読めないのにドイツ語はきつい


URLリンク(fr.wikipedia.org)(royaume)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)


ちなみにこの辺り英語ではアマルナ文書の一部として紹介されているだけみたいだった。
アムル人の都市として有名なとこ入ってなかったりと色々と調べてみたくなる。

466:世界@名無史さん
14/10/18 01:54:00.94 0.net
>>155
ふむふむ

そんで>>100のエーベルハルト・ツァンガーの「甦るトロイア戦争」では


「サウスガムワ条約」>>420の追補部分では、
シリアのサウスガムワに対して、アヒヤワの商船をかれの港に入港させないようにとの命令を下している。
これはとりわけアッシリアに向けられた敵対行為であるようだ。


イスワの銅山を失った後、紀元前1236年に王位に付いた次のヒッタイト大王トゥドハリヤシュ4世は
次の2つの主要課題を解決しなかればならなかったとしている。
第1に、銅を入手できる他の銅鉱床を探すこと、
第2に、アッシリアの攻略行為への報復である。
まず彼は原料供給の問題を解決するため、キプロス島(アラシア)の銅山に触手を伸ばした。

同時代のテクストいわゆるアラシア文書のなかでトゥドハリヤシュ4世は、
キプロス(アラシア)を軍事的手段によって征服し、貢納義務を負った属国に変えた様子を誇らかに述べている。

467:世界@名無史さん
14/10/18 23:59


468::34.48 0.net



469:世界@名無史さん
14/10/19 19:04:18.30 0.net
>>424

URLリンク(www.hercules-movie.jp)

ふつうに「12の功業」みたいだ。

まぁ、あきらかにヒドラ映ってたからなぁ

470:世界@名無史さん
14/10/20 00:29:03.04 0.net
ヘラクレスって、古代の地中海のみならず影響を与えた存在だよね
>>132前後でも出てるメルカルトのみならず、ヘレニズム期にはメソポタミアではネルガル、
ペルシャではゾロアスター教のウルスラグナとそれぞれ同一視されてるし、大乗仏教では
執金剛神として日本にまで到達してるからさ

471:世界@名無史さん
14/10/21 03:33:09.27 0.net
>>426
ネルガルはなんとなく聞いたことがあった気がするけど
ウルスラグナは名前すら知らんかった
説明はヴィシュヌだね

どっちもなんでヘラクレスと習合されたのかイマイチわからない

472:世界@名無史さん
14/10/21 04:27:10.12 0.net
ギリシャ人が勝手にヘラクレスっぽい神を
ヘラクレスと同一視しただけだろ。

473:世界@名無史さん
14/10/21 21:54:10.83 0.net
>>428
そうでもない

少なくても>>426で出てる執金剛神なんかは
ギリシャ人が勝手に名前付け替えた訳でもないし

というか、ギリシャの神の多くがオリエントの神々のパクリだよね

474:世界@名無史さん
14/10/22 00:15:14.25 0.net
>>427
12の功業を成し遂げた(勝利した)ヘラクレスは、勝利を神格化したウルスラグナと
同一視されるのは分かるけど、ネルガルは何故か不明

アフガンのハッダ遺跡で見つかった執金剛神像はヘラクレスそのものだった
URLリンク(pds.exblog.jp)

475:世界@名無史さん
14/10/22 18:22:36.67 0.net
>>430

なんか記憶に引っ掛かってたんだが
ネルガル探してて思い出したww

476:世界@名無史さん
14/10/22 23:15:39.87 0.net
>>426

前出の辞典によると
ネルガルとヘラクレスが同一視されたのは
アケメネス朝ペルシア時代みたいだね

477:世界@名無史さん
14/10/23 00:30:40.46 0.net
URLリンク(www.yamakawa.co.jp)
URLリンク(www.iwanami.co.jp)
この2冊では、ネルガルとヘラクレスの同一視はパルティア時代と
記載あったと思うけど、もう一度図書館で確認してみる

まあどちらとも理由が載ってなかったけど

478:世界@名無史さん
14/10/23 01:02:40.05 0.net
>>433

俺も図書館で見たんだが
下の日本オリエント学会編の辞典を見たはずなんだが
色は青だったような気がするな


あとネルガルは男女入れ替わってるけどペルセポネだな。
そういえば、例のモザイク画の話はでないね。



まぁ、ぐぐる先生は偉大なのでここに載ってるし
同一視される理由っぽいエピソードも続きにある

URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
そんな黄泉の国を支配するネルガル神がどうしてヘラクレスなのか?


アケメネス朝ペルシア時代にネルガル神はアナトリア南部のキリキア地方で崇められていたということが分かっている。
タルススから発見された紀元前420年頃の硬貨には、アラム語で「nrgl trz」、つまり「タルススのネルガル」と書かれており、棍棒、弓、そして背中にライオンを背負っている姿で描かれている。
タルススはもともと紀元前16世紀頃からヒッタイトの支配下となる紀元前14世紀頃まで王国として存在していたと思われるキツワトナ王国の主要都市だ。


これらは道具や姿は、ヘラクレスの姿を表現する時に使われるものだ。
後の時代のコインにはペルシアの衣装を着て、ダブル・アクスを持った姿でネルガルが描かれているが、
棍棒、斧、ライオンなど、これもヘラクレスのシンボルと一致している。

ヘレニズム時代関連する考古学遺物にはヘラクレスとネルガルを


479:関連付けるものが、ハトラ(Hatra)やパルミラ(Palmyra)などの地から数多く出土している。



480:世界@名無史さん
14/10/23 18:19:54.41 0.net
図書館で>>433の2冊を確認してきたけど、上しか確認できなかった
下の古代オリエント事典は勘違いかも

>>434
古代オリエント事典って、もう一冊あるみたいだよ
URLリンク(www.toyoshorin.co.jp)

481:世界@名無史さん
14/10/24 23:38:07.32 0.net
>>435
それかもww


URLリンク(www.tufs.ac.jp)

5. 神々のレリーフ‐岩の神殿ヤズルカヤ‐
5-1. 遺跡の構造と描かれた神々
5-2. ヤズルカヤの機能
5-3. ヤズルカヤにおけるフリの影響
5-4. ヤズルカヤと王の役割


5-1. 遺跡の構造と描かれた神々

ヤズルカヤとはトルコ語で「描かれた岩」を意味する。その名の通り、この遺跡の岩場にはヒッタイトで信仰されてい
た多数の神々のレリーフが刻まれており、「岩の神殿」と形容される。レリーフ群は主に新王国時代後期のハットゥシリ
3 世からトゥトハリヤ 4 世にかけて造られたと考えられている。都ハットゥシャから北東に約 2km と近いが、古代名はい
まだわかっていない。

遺跡の構造は大きく分けて A 室=回廊 A と B 室=回廊 B、祭壇址と門
址の 4 つである(図 1)。A、B 室ともに自然の岩壁を利用したもので天井
はない。A 室には岩壁前面に行進する神々の像が描かれている。西側の壁
には主として男神が、東側の壁には主として女神のレリーフが刻まれ、そ
れぞれの最高神が行列の先頭に立ち、北の壁でお互いに向き合う。また、
東側にはこの遺跡最大のヒッタイト皇帝トゥトハリヤ 4 世のレリーフ像
がある。いっぽう B 室には、東壁にシャルマ神に抱かれるトゥトハリヤ 4
世(図 2)西壁には 12 神の行列、冥界の神ネルガルのレリーフが存在する。
これらは各々に独立したものであり、相互に関連性は見られない。

482:世界@名無史さん
14/10/25 00:01:27.04 0.net
URLリンク(web.kyoto-inet.or.jp)

(抜粋)
リュディアでは、ヘーラクレースは女王オムパレーの宇宙の車輪に縛りつけられた。女王は、女神の具現者であり、宇宙の中心(オムパロス)の表象だった。
ヘーラクレースは、オムパレーの夫になった一連の聖王のうちの1人 だった。
彼の直前の聖王は、オークの冠を戴いたトモロスだったが、トモロスは、この女大祭司と交わったのち、杭に串刺しにされて死んだ。
ヘーラクレース以前に車輪に縛りつけられた聖王としては、ラピテース族のイクシーオーンがいたが、彼は太陽の巡行を意味する火焔の車輪で命を失った。
たぶん、この種の供犠の風習が、車輪に縛りつけられて1 年間ぐるぐる回された(すなわち、車輪を飾っていた十二宮を1年かけて1巡した)というヘーラクレース神話の下敷きになっていたものと思われる[9]。
古代ギリシアの神話記者たちは、このヘーラクレース神話に新たな解釈を加え、ヘーラクレースは、オムパレーに仕える女たちの間で奴隷として1年間を過ごしたが、
その間、彼は女の衣装を着て、紡ぎ車で亜麻を紡いでいたと改められた。

この物語は、母権制の聖王が父権制の王へと展開していく過程にあって、王は女装をしているときにのみ女王の代行者たりえたという初期の段階を説明するために考え出されたものだった[10]。
ヘーラクレースに仕える祭司たちは、かなり後世になっても、女の衣装を身にまとっていた


483:。  別の神話によると、ヘーラクレースの前任者は半人半馬のネッソスで、彼は、巫女デーイアネイラの所有をめぐって、ヘーラクレースと戦った。 ヘーラクレースが勝って、デーイアネイラと結婚した。ネッソスは死んだが、死に際して 征服者ヘーラクレースに自分の血で赤く染まった儀式用の衣装を贈った。 のちに、巫女-妻デーイアネイラがヘーラクレースにその衣装の着用を命じたとき、彼はそれを身に着けたが、そのためにヘーラクレースは、まるで「炎に包まれた」かのように、身を焼かれてしまった。 ヘーラクレースを火葬にするための積み薪に火をつけたのは、次の王ピロクテーテースで、彼がヘーラクレースの持っていた王位のエンブレムを継承した[11]。



484:世界@名無史さん
14/10/25 00:43:10.88 0.net
>>436
ヤズルカヤなら↓のHPが結構いいと思う
URLリンク(www.ozawa-katsuhiko.com)
URLリンク(blogs.c.yimg.jp)
ネルガルは【31 小回廊、剣の神】がそうらしい

ところでアリンナってアラジャホユックが該当するの?

485:世界@名無史さん
14/10/25 08:20:28.84 0.net
>>438
おっと、どもども

ヒッタイトの時代には既に
ライオンと棍棒のセットになっていたかと思ってたんだけど
なるほど

486:世界@名無史さん
14/10/25 08:24:04.81 0.net
URLリンク(wol.jw.org)

バビロニアの神々

時たつうちに,最初のバビロニア帝国の神々は増え始めました。その万神殿には三つ組の神々が幾組か含まれるようになりました。
そのような三つ組の神々の一例は,アヌ(天空の神),エンリル(大地と空気とあらしの神),およびエア(水をつかさどる神)で構成されていました。

もう一組の三つ組の神々は月神シン,太陽神シャマシュ,およびタンムズの愛人もしくは配偶者である豊饒の女神イシュタルでした。(第2巻,529ページの写真)
バビロニア人は,ラバルトゥ,ラバス,およびアッカズのような三つ組の悪魔をさえ奉じていました。天体の崇拝も顕著になり(イザ 47:13),様々な惑星が特定の神々と結び付けられるようになりました。

木星はバビロンの主神マルドゥクと同一視され,
金星は愛と多産の女神イシュタルと,
土星は戦争と狩猟の神で,
農耕の守護者でもあるニヌルタと,
水星は知恵と農耕の神ネボと,また
火星は戦争と疫病の神で,冥界の主であるネルガルとそれぞれ同一視されました。

古代バビロニアの諸都市は,幾分“守護聖人”に似た,それぞれ独自の特別の守護神を持つようになりました。

守護神はウルではシン,
エリドゥではエア,ニップールではエンリル,
クタではネルガル,
ボルシッパではネボ,そして
バビロンの都ではマルドゥク(メロダク)でした。

ハンムラビがバビロンをバビロニアの首都にした当時,その都市の人気のある神マルドゥクの重要性が高まったことは言うまでもありません。
ついに,マルドゥクにはそれ以前の神々の属性が付与され,マルドゥクはバビロニア神話の中でそれらの神々に取って代わりました。
後代になって,その「マルドゥク」という固有名は,「ベル」(「所有者」)という称号に取って代わられたため,結局,マルドゥクは一般にベルと呼ばれるようになりました。
その妻はベリト(特に,「女主人」)と呼ばれました。―「ネボ」4項; 「ベル」を参照。

487:世界@名無史さん
14/10/25 08:36:11.87 0.net
>>438
アリンナはまんまここに出てる本で読んだ記憶�


488:オかない http://ww5.enjoy.ne.jp/~s-mattsun/kouza/kouzabk04.htm ネルガル(Nergal) http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200003228 バビロニアの神。クタという都市で特に崇拝されていました。 歴史によれば,この都市はネルガルにささげられたとされています。 クト(クタ)の民は,アッシリアの王によりサマリアの領土に移住させられた後も,引き続きこの神を崇拝しました。(王二 17:24,30,33) 一部の学者の説によれば,ネルガルは元々,火や太陽の熱と結び付けられていましたが,後に戦争と狩猟の神,さらには疫病をもたらす神とみなされるようになりました。 宗教的なテキストの中でネルガルに付けられている呼称は,ネルガルが基本的には破壊者とみなされていたことを示唆しています。 ネルガルは「激怒する王」,「乱暴な者」,また「焼く者」などと呼ばれています。さらには,冥界の神,またエレシュ・キガルの配偶者ともみなされるようになりました。 人頭有翼のライオンはネルガルの象徴であったと考えられています。 ネブカドネザル王の君の一人である,ラブマグなるネルガル・シャレゼルの名は,この神にちなんで付けられたようです。―エレ 39:3,13。



489:世界@名無史さん
14/10/25 08:51:46.38 0.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)
3 ヘーラクレースの12の功業

3.1 ネメアーの獅子 (しし座)
3.2 レルネーのヒュドラー (海へび座、蟹座)
3.3 ケリュネイアの鹿 (アルテミス)
3.4 エリュマントスの猪 (プロメテウス)
3.5 アウゲイアースの家畜小屋 (エーリス王アウゲイアース)
3.6 ステュムパーリデスの鳥 (ヘパイストス)
3.7 クレーテーの牡牛 (ミノス王、ポセイドン)
3.8 ディオメーデースの人喰い馬 (トラーキア王ディオメーデースはアレースの子)
3.9 アマゾーンの女王の腰帯 (アマゾーン女王ヒッポリュテー)
3.10 ゲーリュオーンの牛 (ヘリオス、ゲーリュオーンはメドゥーサがペルセウスに殺されたときに血潮とともに飛び出したクリューサーオールの息子)
3.11 ヘスペリデスの黄金の林檎 (水神ネーレウス、りゅう座、プロメテウス、アトラス)
3.12 地獄の番犬ケルベロス (ハデス、ペルセポネ、テセウス、ペイリトオス)

490:世界@名無史さん
14/10/26 00:46:58.08 0.net
>>442

アウゲイアース

アウゲイアース (古希: Α?γε?α?, Augei?s, ラテン語: Augeas) は、ギリシア神話の人物である。
エーリス王。ヘーラクレースの「十二の功業」のうち5番目の課題である「アウゲイアースの家畜小屋掃除」に登場することで知られる。
長母音を省略してアウゲイアスとも表記する。イアーソーン率いるアルゴナウタイの1人にも数えられる。

ヘーリオスとナイシダメーの息子。異説では、父親はポセイドーン、ポルバース、エーレイオスともいう。母親についてもアムピダマースの娘ナウピダメーあるいはイーピポエーともいわれる。
兄弟にアクトール。息子にピューレウス、アガステネース、娘にエピカステー、アガメーデーがある。カール・ケレーニイによれば、アウゲイアースとは、「輝ける男」の意である。


ヘーラクレースのエーリス遠征[編集]

このことを恨んだヘーラクレースは、イリオス攻略ののち、アルカディア人の軍勢を集めてエーリスを攻撃した。
アウゲイアースはこれに対して兄弟のアクトールとモリオーネーの息子で、腰から下はひとつの身体という双子の兄弟エウリュトスとクテアトス(モリオネ)を将に任じた。
兄弟はポセイドーンの子ともいう。ヘーラクレースは遠征中に病を得て休戦したが、休戦の


491:理由を知ったエウリュトスとクテアトスがこれを襲い、ヘーラクレースは退却を余儀なくされた。 その際多くの兵が倒され、ヘーラクレースの異父兄弟イーピクレースもこのときの傷がもとで死んだという。 しばらくしてイストミア大祭が開かれ、これにエウリュトスとクテアトスが参加することを知ったヘーラクレースは、二人を待ち伏せして殺し、エーリスを陥落させた。 アウゲイアースは息子たちとともに殺された。一説には、命だけは助けられたともいう。ヘーラクレースは追放されていたピューレウスを呼び寄せてエーリスの王とした。 さらに、ヘーラクレースはこの地にオリュンピア競技を創設し、オリュンポス十二神の祭壇とペロプスの祭壇を築いたという。



492:世界@名無史さん
14/10/26 02:14:31.68 0.net
>>442>>434
棍棒と獅子はわかりやすいとして
他は弓と斧か


弓ならスキタイ

黒海地方在住のギリシア人による伝説
ヘラクレスはゲリュオネウス[1]の牛を追いながら、当時は無人であったスキュティアの地にやって来た。
ところが、折からの冬季で酷寒に見舞わされ、ヘラクレスはライオンの皮を引被って眠ってしまった。
するとその間に草を食べていた馬がいなくなってしまったため、ヘラクレスは目を覚ますなり馬を探しまわった末、ヒュライアという土地にやってきた。
ヘラクレスはこの地の洞窟で上半身は娘の姿で、下半身が蛇の姿である怪物と遭遇し、初めは驚いたものの、その蛇女に「迷った馬を見なかったか」とたずねてみた。
すると蛇女は「馬は私の許にあるが、そなたが私と交わってくれぬかぎり馬を返さん」と言うので、ヘラクレスは渋々了承し、しばらく同棲したあと馬を返してもらった。
しかし蛇女の腹には3人の子供が身ごもられており、蛇女はヘラクレスにこの子供をどうするか訊ねた。

するとヘラクレスは弓と帯を使って自分の示した仕草をした者をこの地に住まわせ、できなかった者を追放せよと蛇女に伝え、弓と金の盃のついた帯を渡して去っていった。
やがて3人の子供が成人になると、蛇女はヘラクレスに言われた通り、例の儀式を行った。
長男のアガテュルソス、次男のゲロノスはヘラクレスが示した仕草をできずに国を放逐されたが、三男のスキュテスは見事ヘラクレスが示した仕草ができたので、国に留まり、王になることができた。
以後、スキュテスの子孫が代々王となり、スキティア人は帯に盃をつけるようになった。

493:世界@名無史さん
14/10/26 02:20:31.68 0.net
>>444

もうひとつは工芸神コシャル・ハシスの弓か
大元の話はすぐには見つからなかった



アナトより

アナト (‘nt [‘anatu]) は、ウガリット神話の愛と戦いの女神。
古くは最高神イルの娘にて妻と位置付けられたが、後に嵐と慈雨の神バアルが人気を得て信仰の中心となるとバアルの妹とも妻とも言われるようになる。

ある時アナトはハルナイムの王ダニルウ(英語版)が工芸神コシャル・ハシス(英語版)に頼んで、息子アクハト(英語版)の為に特別に作らせた弓を手に入れようと考えた。
彼女はアクハトに金や銀、不死の命とその弓を交換しようと持ちかけるが、アクハトは頑としてこれを拒んだ。これに怒るアナトはイルの下へ行き、アクハトに復讐する事を告げた。
イルはこれを咎めるが彼女は聞かず、自身に仕える戦士・ヤトパンを鷲に変えて他の鷲達と共に送り込み、アクハトを殺させた。すると、アクハトの死と共に地上に乾季が訪れた。
その後の詳細は不明だが、アナトはこれを後悔してアクハトを蘇生させたと思われる。

キプロスでは同じ戦いの女神であり、名前�


494:フよく似たアテナ (古代ギリシア語: ?ν?θ、?θην?) と同一視され、カルタゴのタニトの起源と考えられている。



495:世界@名無史さん
14/10/26 02:26:27.66 0.net
ちなみに棍棒もコシャル・ハシスであったな。

>>289
定かでない記憶では投げても手元に戻ってくるはず

496:世界@名無史さん
14/10/26 08:06:29.55 0.net
蛇女ってのがそそる

497:世界@名無史さん
14/10/26 15:05:54.96 0.net
>>440>>441
サマリアより


歴史[編集]

この地には北イスラエル王国が成立したが、紀元前722年、アッシリアにより滅ぼされると、住民はアッシリア領の各地に強制移住させられ(アッシリア捕囚)、
サマリアへはバビロン、クテ、アワ、ハマテ、セファルワイムから[1]、アッシリア人やアラム人が移住してきた。
その後、人食いライオンが現れた(聖書によると、神に遣わされた)ために、捕囚されていたイスラエルの祭司の1人が連れ戻され、ベテルに住まい祭事を行うようになった[2]。
これにより、サマリアの宗教は、移民元の各地の宗教の神とイスラエルの神を共に祭る、独特のものになった。
このように、サマリアの宗教はユダヤ地域と異なる宗教形態を持ったため、ユダヤ人から忌避された。
ユダヤ人のバビロン捕囚からの帰還後、ユダヤ教団とサマリア教団の分裂は決定的になり、とくにサマリア教徒は「サマリア人」と呼ばれるようになった。[要出典]

詳細は「サマリア人」を参照
サマリア人の聖地はショメロンと同じサマリア地方の、ナブルス市のゲリジム山にある。
サマリア教団に伝承されるモーセ五書の形態はマソラ本文と異なり、これを特に「サマリア五書」と呼ぶ。
旧約聖書成立の過程をユダヤ教団と共有しなかったため、トーラーのみを聖典とする。[要出典]

498:世界@名無史さん
14/10/26 15:12:29.32 0.net
>>448
ちなみにライオンに襲われる


列王記より
URLリンク(www.bible.com)

24  アッシリヤ王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、セファルワイムの住民を連れて来て、サマリヤの町々に住まわせました。 
 こうして、サマリヤをはじめイスラエルの町々は、アッシリヤ人のものとなったのです。 

25  アッシリヤからの移住者は、初め、神様を礼拝しませんでした。 それで、神様はライオンを送り込み、幾人かを噛み殺させたのです。

26  移住者はアッシリヤ王に使者を立て、こう報告しました。 「私たちイスラエルに植民した者は、この地の神の教えを知りません。
  その神がライオンを送り込んで、私たちを滅ぼそうとしました。 その神を礼拝しなかったからです。」

29  それでも、移住者たちは、同時にめいめいの神をも拝んだのです。 神の像は自分たちが住む町の近くにある、丘の上の礼拝所に安置しました。 

30 バビロンから来た人々はスコテ・ベノテ神、クテから来た人々はネレガル神、ハマテから来た人々はアシマ神というぐあいにです。 

31 アワ人はニブハズ神とタルタク神の像を拝み、セファルワイムから来た人々は、アデラメレク神とアナメレク神の祭壇に、わが子を火で焼いてささげました。

499:世界@名無史さん
14/10/26 15:22:10.57 0.net
>>441

サンタスSantas と 配偶者であるラズ(Laz) はよくわからん。
エレシュキガル とは別モノなんだろうか?


ネルガル
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ネルガル(Nergal)またはニルガルは、バビロニアの神の一柱で、
彼への信仰は、バビロンの北西15マイルのクター(英語版) Cuthah(今日ではテル・イブラヒムTell Ibrahimとして知られる)という都市で主要な地位を占めていた。
旧約聖書「列王記」に、ネルガルはクターの神であるとの言及がある。

ネルガルはある面では太陽神の側面を持ち、しばしばシャマシュと同一視される一方、太陽そのもののことを指しているとも考えられる。
神話や賛歌の中では、戦争と疫病の神として描かれており、正午や夏至の太陽が人類にもたらす災禍を表していると思われる。
メソポタミア人の暦では、夏の盛りは死をもたらす季節だったからだ。

ネルガルはまた、死者(アラルAraluまたはイルカラ(英語版)の名で知られる地下の大洞窟に集められると考えられていた)の国のパンテオンの頂点に立ち、黄泉の国を宰領する神でもある。
その能力から、女神アルラツ(英語版)ないしエレシュキガルと関連づけられる。
アルラツはアラルの民を統治する単独の支配者とされることもあるが、いくつかの資料では、アルラツまたはエレシュキガルが、ネルガルの息子ニナズ(英語版)を生んだとされている。

一般的にはネルガルは、配偶者であるラズ(Laz)と対にされ、標準的なイコンでは彼をライオンとして描く。

500:世界@名無史さん
14/10/26 17:58:01.27 0.net
>>444
スキタイ起源の1つだね
ヘラクレスは蛇女エドキナとの間にアガテュルソス、ゲロノス、スキュテスの
3人の子供をもうけ、末子のスキュテスが王となったというので、この時
ヘラクレスから「弓」を与えられてる場面の浮彫がある装飾容器の写真を
NHKのエルミタージュ美術館の書籍で見た (加藤九祚が解説)

蛇女エキドナなのかな?
URLリンク(blogs.c.yimg.jp)
エルミタージュ美術館にあるスキタイ工芸品らしい

501:世界@名無史さん
14/10/26 20:40:24.46 0.net
>>441>>450
出典はアマルナ出土らしい(アッシュール出土もある)


URLリンク(www.toroia.info)

ネルガルがエレシュキガルの夫となり冥界の王になった理由を物語る神話は2つあり、
それはネルガルが、エレシュキガルが神々の集会に送った特使の前で立ち上がることを拒否したことから始まる。

エレシュキガルはネルガルを呼び出して自分たちへの無礼の説明を求め、神々は天界からネルガルを追放することに同意した。
その後、知恵の神エアは追放されたネルガルに14の悪魔の護衛を与えた。
ネルガルはこの悪魔たちを使って地下世界の7つの門を差し押さえ、そしてエレシュキガルの部屋に入ると彼女の髪をつかんで床の上に投げ出した。
ネルガルはエレシュキガルの喉元にナイフを突きつけたが、エレシュキガルは彼に対して自分の妻になるように求め、冥界の王になるよう懇願した。
ネルガルはそれを受け入れ、冥界の王となった。ちなみにこの物語の資料はエジプトのテル・エル・アマルナ出土の二断片に記されたもの。

 この14の悪魔のうち12の名前が残っているが、多くが病気に関するものである。詳しい描写はないが、おそらく「名は体を表す」のだろう。
 ../ムタブリク、../シャラブダ、../ラービス、../ティリド、../イディブトゥ、../ベンヌ、../シーダーヌ、../ミキト、../ベルー・ウプリ、../ウンム、../リーブ、../フルバシュ。


 別の集団ではあるが、ネルガルに属するものとしてアッシリアの皇太子(おそらくアッシュルバニパル)の夢に出てきたものがある。
まずネルガルは玉座に座っており、双頭の槌鉾を持っていた。
そして彼の周囲を../ナムタル、../ナムタルトゥ、../ムートゥ、../シェードゥ・レムヌ、../ムキール・レーシュ・レムッティ、../フムト・タバル、
../エテンム、../ウトゥック・レムヌ、../シュラク、../マーミートゥ、../ベドゥ、../アルルハップ、../ミンマ・レムヌ、../ムフラ、
さらに名の知られていない2つの神、一人は../アンズーの頭と手足であり、もう一人は人間の姿をしているものが�


502:「た。 ちなみにこの物語は「冥界の幻影」と呼ばれ、アッシュール出土。



503:世界@名無史さん
14/10/26 20:58:55.09 0.net
>>451
どうだろうねw


どっちにしろ>>442のヘラクレスと「12の功業」が
東地中海(というより黒海周辺)と関係が深いのは間違いない。


と、ここまでは前に調べたときにもわかりやすいんだけど
ヘラクレスの起源はいまいちわからない。
「12の功業」と季節の話が統合できるんじゃないかとも思ったが
これは単純じゃないね。

504:世界@名無史さん
14/10/26 23:53:24.73 0.net
>>442>>451

エキドナの子供達[編集]

◆テューポーンとの間に生まれた子 
ケルベロス(♂)
オルトロス(♂)
ヒュドラー(♂)
ラードーン(♂)
金羊毛の番竜(♂)
エトン(プロメーテウスを襲った鷲)(♂)
クリュンヌ(♀)
デルピュネー(♀)
パイア(♀)
キマイラ(♀)
ケートス(♂)
スキュラ(♀)

●オルトロスとの間に生まれた子
ネメアーの獅子(♂)
カルキノス(♂)
タゲス(♂)
スピンクス(♀)

▲ヘーラクレースとの間に生まれた子
アガテュルソス
ゲローノス
スキュテース

505:世界@名無史さん
14/10/26 23:55:33.79 0.net
>>451

加藤九祚というとウラルトゥの本を読もうかどうか迷ったが、
本が汚かったのでやめました。

506:世界@名無史さん
14/10/27 20:49:35.73 0.net
加藤九祚でふと思ったんだけど、オクサス川とコクチャ川の合流する地点にある
アイ・ハヌムはこのスレの対象範囲か否かどちら?

507:世界@名無史さん
14/10/27 22:05:36.11 0.net
>>456
俺はどっちでも構わない
というか、ほとんど人も居ないし
なにやっても大丈夫なんじゃないだろうかww

508:世界@名無史さん
14/10/28 21:56:17.03 0.net
「イナンナの冥界下り」は読んだ気がするけど

それに比べて
「ネルガルとエレシュキガル」は
ギリシャ神話と色々と類似もあっておもしろいな。

検索しても日本語の出典があんまり載ってなくて寂しいところ。

509:世界@名無史さん
14/10/28 22:43:54.15 0.net
>>328
>>57
>>326

バビロニアの星座の名前
URLリンク(www.kotenmon.com)



星座の起源・カルディア人羊飼い説を考える
URLリンク(www.kotenmon.com)

なぜ今欧米ではカルディア人羊飼い物語が無いのか

 アメリカの星座の本を見てもカルディア人羊飼い物語を見つけるのは難しい。既にアメリカでは「星座の起源=カルディアの羊飼い説」は子供だましとすら使われていない。
これは星座の起源について学術的研究が行われているためで、たとえば、黄道星座の発生はカルデイア王国より新しい紀元前5世紀頃であることは今は常識となっている。
 アメリカではずいぶん前にカルディア人羊飼い物語は淘汰されているので、それに関する資料をみつけるのも難しい。
その中で、先に挙げたROBERT BROWNの「Reserchs into the origin of the PRIMITIVE CONSTELLATIONS of the Greeks, Phoenicians and Babylonian」(1899)
に以下のコメントがあるので以下に引用しておく。なぜ今欧米ではカルディア人羊飼い物語が無いのか

510:世界@名無史さん
14/10/28 22:57:25.75 0.net
>>459

ユダヤ暦
URLリンク(ja.wikipedia.org)
バビロニア暦、カナン暦との対応関係が書いてあるwikipedia


「星座」の歴史
URLリンク(www.palette.furukawa.miyagi.jp)
ここはおもしろかった。

511:世界@名無史さん
14/10/30 00:13:57.36 0.net
>>460
さて、どっち?

(2)アモリ人・カッシート人・

アモリ人のが残した、今から3800年前のBC1800の記録には、荷車(おおぐま座)、天の狩人(オリオン)といった星座や、
現在も星占いの星座として知られる「黄道十二星座」のうち、いて・かに・てんびんを除く黄道9星座が登場しています。つまり、このアモリ人が、「確実に星座をつくった、とりあえず確実な人たち」ということになります。
農業を行うために、星ををよく観察し季節を知る必要性があり、やがて暦をつくっていったのでしょう。

 その後、ハンムラビ王が亡くなって、古代バビロニア=バビロン第1王朝が衰退していくと、カッシート族に国をのっとられてしまいます。

カッシートの時代は400年も続きますが、あまりよくは知られていません。しかし、境界石(クッドルー)と呼ばれる石碑が大きく注目されます。
 クッドルーは、王が領主に授けた土地所有についての誓約書のようなものだとされています。楔形文字と絵が書かれていて、その絵には動物の姿が多く描かれています。
かつては、これが星座絵だといわれていましたが、残念ながら、神々の姿(シンボルマーク)である、ということに現在は落ちついているようです。
 しかし、クッドルーの絵の中には、魚ヤギやサソリ人間、水がめをもつ女神があったりして、これが星座のもとになっていった、という見方もできそうです。



Wikipediaでは

由来と歴史[編集]
元々はさそり座のはさみの部分であったとも考えられている。後に星座として独立した。このため、黄道十二星座の中では最も新しいものと考えられている。
黄道十二星座の1つなので、元々はメソポタミア文明に由来を持つ可能性が高い。

神話[編集]
ギリシア神話では、正義と天文の女神アストライアーの所有物で、正義を計る天秤だとされる[4]。かつては秋分点がこの星座にあったので、昼夜の長さを等しく計る天秤だったという説もある[4]。
なお隣の星座であるおとめ座はアストライアーをかたどったものとする説がある[4]。

512:世界@名無史さん
14/10/31 21:27:38.61 0.net
オクサス川(南)とコクチャ川の合流する地点にあるアイ・ハヌムから出土したキュベレの金箔銀板
URLリンク(upload.wikimedia.org)

オクサス川(北)とワフシュ川の合流する地点にあるタフティ・サンギンの拝火神殿から出土した
マルシュアス像(キュベレ女神の従者らしい)
URLリンク(www.miho.or.jp)

オクサス川にアナトリアの神々が見られるのは、アケメネス朝のアルタクセルクセスⅡ世が
オクサス川の女神であるアナーヒターの像と神殿をバクトリアはもちろん、サルディスにも
建てたことからアナーヒターとキュベレは習合、かつセレウコス朝の移民政策で人々が
フリュギアやリュディアから移動したことによると前田耕作の本で見たけど
ヘレニズム期はやはり東西の混交がおもしろいね

513:世界@名無史さん
14/11/04 19:40:29.73 0.net
>>462
へー、なるほど
上のやつおもしろいな

514:世界@名無史さん
14/11/04 21:20:26.05 0.net
しかし、よくもあんな寒いところに帝国首都を置けたものだ。

515:世界@名無史さん
14/11/05 00:06:22.65 0.net
>>462 加藤九祚「シルクロードの古代都市」でも小アジアからアイハヌムへの
移動の痕跡が出土品から分かるとあったけどさ、
URLリンク(www.iwanami.co.jp)
URLリンク(www.iwanami.co.jp)
小アジアからの移動ってやはり王の道を使って?

516:世界@名無史さん
14/11/05 00:57:25.20 0.net
>>462 この辺りか
ミトラス(ミスラ)じゃなくてヘリオスなのがおもしろいところ


アイ・ハヌム
URLリンク(ja.wikipedia.org)

アイ・ハヌム(Ai-Khanoum, Ay Khanum)は、アフガニスタン北部のタハール州にあったギリシャ人による古代都市で、
アレクサンドロス3世による征服後の紀元前4世紀に作られたグレコ・バクトリア王国の主要都市。
アレクサンドリア・オクシアナ (Alexandria on the Oxus) に比定され、後のエウクラティディア(ギリシャ語版、英語版) (Eucratidia) の可能性もある。
"Ai-Khanoum" という名称はウズベク語で「月の婦人」の意[1]。

位置はアフガニスタン北西部のクンドゥーズ州内であり、オクサス(Oxus、現在のアムダリヤ川)とコクチャ川(英語版)が合流する地点にあり、インド亜大陸の玄関口にあたる。
アイ・ハヌムは約2世紀に渡り東洋におけるヘレニズム文化の中心地だったが、エウクラティデス1世の死後間もない紀元前145年ごろ遊牧民月氏の侵入によって壊滅した[2]。



その他の遺物

エウクラティデス1世の時代までのグレコ・バクトリア王国の硬貨が多数出土しているが、それ以降の貨幣は見つかっていない。
Agathocles とヒンズーの神々を描いた珍しい硬貨も出土している。
ヴェーダの神々を描いた最古の硬貨とされており、ヴィシュヌの初期のアヴァターラ、バララーマ-シェーシャ、ヴァスデーヴァ-クリシュナなどが描かれている。
これらはグレコ・バクトリア王国が北インドを侵略していた証拠と考えられる。

他にも以下のような遺物が出土している。
戦車に載ったキュベレーと炎の祭壇が描かれ、上にヘーリオスが描かれた、丸い浮き彫りのプレート
ほぼ完全な形のヘーラクレースのブロンズ像
宝石や金を使ったアクセサリ
宝物庫から見つかったインドの工芸品。エウクラティデスが遠征の際に持ち帰ったものと推測される。
アフロディーテの座像の形をした洗面所用トレイ
髭をたくわえ王冠をかぶった中年男性の浮き彫り
日時計、インク壷、食器などの各種出土品から、日常生活はギリシア風だったことがわかる。

517:世界@名無史さん
14/11/05 01:12:09.06 0.net
>>466
作成したのがアナトリア出身のギリシア系ならミスラじゃなくヘリオスなのは当然じゃない?

518:世界@名無史さん
14/11/05 17:45:51.94 0.net
>>467
ゴメン、拝火教徒の方と読み違ってた。

アナーヒタとキュベレは微妙にズレてる気もするんだが
習合するのはなんでもありなのかww

519:世界@名無史さん
14/11/05 17:52:34.93 0.net
>>465

移住政策の結果としてなら、
荷物は多かったんじゃないかという気がするんで
ユーフラテス川を下ったんじゃなかろうか

でもそこからのルートは全然わからないww

520:世界@名無史さん
14/11/05 18:56:10.89 0.net
アイ・ハヌムとミスラ関連で、アイ・ハヌムの神殿に祀られてたゼウス神像の左足
URLリンク(www.cliolamuse.com)
URLリンク(pds.exblog.jp)

発掘チームのフランツ・グリュネは、この神像をギリシア人はゼウス、
中央アジアの人々はミスラとして拝んでいたとしているけど
(NHKスペシャル文明の道 2 ヘレニズムと仏教と>>465参照)

なぜゼウス像をアフラ・マズダーでなくミスラなのか?は
青木健「アーリア人」を見ると、パルニ族ではアルサケス朝の全期間を
通じてミスラ神の人気が突


521:出してたとあるから、そのせい?



522:世界@名無史さん
14/11/05 19:30:49.04 0.net
>>465
うーん、中央集権国家の計画的な強制移住だと
私財の携帯を許さない可能性もあるかなぁ、、、


王の道
URLリンク(upload.wikimedia.org)


ラピスラズリの道
URLリンク(blogs.c.yimg.jp)

523:世界@名無史さん
14/11/05 19:39:31.44 0.net
>>470

青木健の本だったと思うけど、
ゾロアスター教も最初はアフラ・マズダを最高神として旧来の神を認めなかったが
結局のとこ人気がありすぎて何体かの神が系列に加わっており
それが、アナーヒタ、ミスラ、とあと数体だったかな。

アケネメス朝ぐらいまでしか知らないので、
その後の話はどうなったのか定かでない、、、

524:世界@名無史さん
14/11/06 00:07:28.66 0.net
>>471
単純にキリキアのタルソス辺りから東へ一直線でカスピ海の下を経由して
オクサスまでって√は無いだろうね

525:世界@名無史さん
14/11/06 01:31:18.77 0.net
アナーヒターってライオンに乗ってたりしなかった?

526:世界@名無史さん
14/11/06 18:17:29.19 0.net
アナーヒターとキュベレは共に戦車に乗るが、豹または獅子のペアを付き従わせる
のはキュベレ (アナーヒターに獅子はメアリー・ボイスの本見る限り無かった)

>>471
王の道に関して、ピエール・ブリアン(小川英雄監修)の「ペルシア帝国」に
サルディス→タルソス辺りから直線で→アルベラから南下し途中で東へ→
ベヒストゥーン→エクバタナ→テヘラン→ヒルカニアを経由して直線で→バクトラの√が載ってた

なおサルディスからスサまで徒歩で3ヶ月、早馬で数日かかるらしい

527:世界@名無史さん
14/11/06 21:49:49.07 0.net
早馬で数日・・・
そんなもんで行けるのか。
距離にして3000kmくらいありそうだけど。

528:世界@名無史さん
14/11/07 00:39:23.18 0.net
>>476
王の道の早馬はたしか駅舎で乗換式のやつ

529:世界@名無史さん
14/11/07 01:24:25.83 0.net
アケメネス朝なら汗血馬を各駅に飼っておけた?
フェルガナってキュロポリスとかあったんだから勢力範囲だろうし

530:世界@名無史さん
14/11/07 03:37:33.53 0.net
鎌つき戦車で突っ込んで来るのはやめてくださいよ、ペルシア帝国

531:世界@名無史さん
14/11/09 15:36:50.45 0.net
>>473
バイキングがカスピ海経由でアラブ商人と交易していて
バグダットまで到達しているみたいなんだけど、どこ通ったのかなぁ

日本大百科全書(ニッポニカ)
スウェーデン系

東方に進出したのはおもにスウェーデン系で、スウェーデンで発見される多数のルーン碑銘は、「東方で没した」同胞を記念したもので、
ギリシアやセルクランド(カスピ海の東部地方)に言及するものもある。
 彼らは7世紀からバルト海東岸部に進出し、9世紀には北ロシアのラドガ湖周辺に定住して、ドニエプル川と黒海によりビザンティン帝国と、
またボルガ川沿いにカスピ海を越えてイスラム教国と、おもに交易関係をもった。

『ベルタン年代記』は、839年ロシアを通過し、ビザンティン帝国の使節に随伴してルイ1世(敬虔(けいけん)王)を訪れたスウェーデン人を記録する。
1112年ごろにキエフで編纂(へんさん)された『原初年代記』によると、862年ルーシ(スウェーデン人をさすフィン語の訛(なま)り)の�


532:キリューリクは、 スラブ人らに招致されノブゴロド公国を、また部下のオレーグは、882年に遷都してドニエプル川中流にキエフ公国を建設した。 10世紀に入ると、ルーシ人はビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルに遠征し、種々の商業特権を帝国領内で獲得するが、 両者間で結ばれた912、945両年の通商条約に署名されたルーシ人名の比較から、彼らの急速なスラブ化の過程が判明する。 しかし、キエフ諸公と、オーラフ1世、オーラフ2世ら北欧諸王との親縁関係は、以後も維持された。 この時代、キエフやコンスタンティノープルで傭兵あるいは皇帝の親衛隊として勇名をはせた北欧人はワリャーグとよばれ、 ノルウェーのハラール3世は著名であるが、彼らを通じてギリシア正教、ビザンツ文化がロシア、北欧にもたらされた。  一方、9世紀ごろにノブゴロドからボルガ川中流の町ブルガルの大市へ赴き、さらにカスピ海へ下ってアラブ人と交易関係を維持した者もあるが、 彼らは9?10世紀中ごろまで北ロシアやスウェーデンにアラブ銀貨を多量に流入させ、アラブ人は彼らをルーシ商人とよんでいた。[荒川明久] 『ジャクリーヌ・シンプソン著、早野勝巳訳『ヴァイキングの世界』(1982・東京書籍) ▽熊野聰著『北の農民ヴァイキング――実力と友情の社会』(1983・平凡社)』



533:世界@名無史さん
14/11/12 20:14:07.33 0.net
>>471
>>475に近い地図があったんで
URLリンク(www.livius.org)
URLリンク(www.livius.org)
サルディスからバークトリ(バクトラ)までの道

あとスレで古地図を調べてる人いたと思うけど、ここ結構いいと思うよ
URLリンク(sitemaker.umich.edu)
(例)
URLリンク(sitemaker.umich.edu) ギリシアとフェニキア
URLリンク(sitemaker.umich.edu) アレクサンドロスの遠征路
URLリンク(sitemaker.umich.edu) ヘレニズム諸都市
(アンティオキアやアパメイア等同じ名前多すぎ...)

534:世界@名無史さん
14/11/12 21:53:36.32 0.net
>>475

べヒストゥーン碑文は
天下の往来で偉業を知らしめるために
王の道沿いに彫られたんだよね

前にテレビで見た時に
あまりに平凡な道でびっくりしたんだけど
あれは当時の王の道のとは別もんだったんだろうか、、、

535:世界@名無史さん
14/11/15 01:09:30.35 0.net
>>201>>481のギリシアとフェニキアの地図を比較して
差異を見つけるのっておもしろいね
ミシガン大学のほうも、もう少しカラーだったらもっと分かりやすいのに

536:世界@名無史さん
14/11/16 23:45:09.28 0.net
鎌戦車で特攻したらさっと左右に避けられて
そのまま直進してしまう虚しさ。

537:世界@名無史さん
14/11/18 21:07:41.49 0.net
>>465
あまりにおもしろそうだったので借りてきてしまった、、、

538:世界@名無史さん
14/11/19 00:26:30.08 0.net
ヘレニズムに関しては、前田耕作「バクトリア王国の興亡」もおもしろいよ
もし図書館にあるなら借りてみるのもいいかも

539:世界@名無史さん
14/11/20 00:29:23.05 0.net
>>481
いまさらヒッタイ�


540:gの地図を確認したけど、すんごっくおもしろいね カスカは真北の設定で アスワは決めかねてる感じか ミタンニ内の地名はしっかりしてそうなんだけど これはメソポタミアの方に情報あったりするのかな



541:世界@名無史さん
14/11/21 00:53:56.47 0.net
URLリンク(sitemaker.umich.edu)
本によるんだろうけど(自分が確認した何冊かでもそれぞれ違う)、上と異なり
アルザワがルッカの右辺り(ピシディア辺り?)で、アヒヤワがアルザワの位置に
記載されてたりで判然としないな

542:世界@名無史さん
14/11/22 00:34:28.98 0.net
>>488
良く分かってないってのがホントのところなんで
それで正しいと思うな

とりあえずこの地図だと「ミラワンダ」を「ミレトス」として同定していて
「ウィルサ」を「トロイア」に固定はしてないね

543:世界@名無史さん
14/11/24 20:38:47.76 0.net
>>486

ご丁寧にありがとう

時代的にはそんなに興味ないかなと思ったのですが
紹介にコインの写真が豊富とあるのが、、、じゅるる

544:世界@名無史さん
14/11/24 23:25:22.03 0.net
写真は白黒だから、もしカラー期待してたら外れだよ
一応ね

545:世界@名無史さん
14/11/25 21:30:14.20 0.net
>>191

ミュリナは支配した地域に自分の名前を冠した町を建設したほか、

部下の名前にちなんだ町、キュメ、ピタニア、プリエネなどを建てた。

彼女はレスボス島を征服し、彼女の妹にちなんでミテュレネという町を建てた。

その後嵐に襲われ、神々の母に祈りを捧げたところ、見知らぬ土地に流れ着いた。
そこをサモトラケと名付けた。これはヘレネ(ギリシャ)の言葉で聖地を意味する。

但しそれ以前からサモスと呼ばれていたとも、トラキア人によってサモトラケと
名付けられたともいう。神々の母は、この島にある人々と彼女自身の息子達を住まわせ聖地とした。


URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)

うーん、ピタニア以外は全部みつかるんだけど
どうみてもリディア付近の沿岸でアイオリスと呼ばれるあたりか
ピタネ(Pitane)?

URLリンク(ja.wikipedia.org)
アイオリス(古代ギリシャ語: Αιολ??, Aiolis, 英語:Aeolis)またはアイオリア(古代ギリシャ語: Αιολ?α, Aiolia, 英語:Aeolia)は、
小アジア地方の北北西に位置する地方で、アイオリス人の古代ギリシア都市国家群があった。
大部分は海岸沿いで、沖にはレスボス島などの島々もあった。
北をミュシア、南をイオニア、東をリディアとそれぞれ国境を接していた。

546:世界@名無史さん
14/11/26 23:22:04.35 0.net
>>180>>189>>191

どうみても、リビアじゃなくてリディアな気がするんだよなぁ
URLリンク(en.wikipedia.org)

そんで>>189

[55] 世界制覇へ
 アマゾネス勢は、昼間の成功に気をよくして夜間の見張りをなおざりにしていたので、捕虜の女人たちがこれを襲い、征服し切ったはずの勝者の持つ剣を引き抜いて、大勢の相手を殺した。
しかし最後には、アマゾネス勢が多勢で四方から捕虜の周りへ押し寄せたので、捕虜の女人たちは誇り高く戦いながら、ひとり残らず斬り殺された。

(2) ミュリナは、遠征仲間のなか�


547:ゥら戦にたおれた兵たちを、三つの火葬の薪のなかで茶毘に付すと、大きな塚の上に墓三つを立てた。これらを今日までアマゾネス族の土墳の名で呼ぶ。 (3) ゴルゴネス族の最期  それより後代に、ゴルゴネス族がふたたび勢力を伸ばしたが、その後ゼウスの息子ペルセウスとの戦に破れ、当時のこの族民の女王がメドゥサであった。 そして結局は、へーラクレースの手でアマゾネス族共ども完全に滅び去った。後者の英雄が西寄りの諸地域へ出かけて、リピュア地方の地に標柱を立てた折のことである。 英雄の考えでは、自分が人間族全体に功労を尽す道を選んだのに、それら諸族のなかに一部、女人支配の族民がいるのを見逃したのでは、不当なことになるからであった。 また、トリトニス湖も地震が起きた際に姿を消し、消えたのは、湖のうちで大洋オケアノス寄りになった諸地域が裂けたことによる、という。 (4) エジプトからシュリアまで  話によると、ミュリナはリピュア地方のほとんどへ出向いた。そして、エジプト内へ足を踏み入れると、 イシスの息子ホロスが当時エジプトの王位にあった許を訪れて、友好関係を結び、アラビア族との戦を遂行して多くの敵をたおし、シュリア地方を打倒した。 キリキア族は贈物を用意して女王を迎え、受けた命令を実行することに同意したので、自発的に投降したものとして自由民の資格を存続させた。 (5) カイコス川に達する  女王は、タウロス山脈一帯の諸族が格段に強力であったのをも戦に下し、大プリュギア地方を通過して(わたしたちの)海へ下った。 そして、引きつづき沿岸地方を征服地に加えた後、カイコス川を遠征の境界とした。



548:世界@名無史さん
14/11/29 21:50:49.27 0.net
>>485
やはりおもしろい

549:世界@名無史さん
14/12/02 22:14:51.08 0.net
>>154>>155>>170
>>262>>265>>304
>>358>>367

キプロス、キプロス

550:世界@名無史さん
14/12/10 20:33:49.60 0.net
>>132
>>136
メルカルト、アドニス

>>426
>>437
>>426

とりあえずこの辺りで
>>444>>451>>442
ヘラクレス→スキタイ→十二支ともっていきたい
参考書は南方熊楠あたりで

551:世界@名無史さん
14/12/20 11:23:14.12 0.net
既にネタもあるんだね。まぁ、みんな考えることは同じっぽい
が、ニュートンってのはホントなんだろうかww

>>411>>453>>496

URLリンク(ja.wikipedia.org)

黄道星座の構成要素[編集]

グレーヴスによれば、アルゴナウタイの航海と黄道十二星座の関連を指摘したのはアイザック・ニュートンである。
物語がエジプト、とりわけアレクサンドリアの十二星座の影響を受けた可能性があるとする。

星座と物語が対応する要素として挙げられるのは、
 おひつじ座→プリクソスの金毛の牡羊、
 おうし座→青銅の足を持つアイエーテースの牡牛、
 ふたご座→ディオスクーロイ(カストールとポリュデウケース)、
 しし座→ドリオニアの王キュージコスが殺したというレアーのライオン、
 おとめ座→メーデイア、
 てんびん座→ケルキューラ島でのアルキノオスの裁定、
 いて座→ヘーラクレース、やぎ座→レーム


552:ノス島での求愛の象徴、  みずがめ座→アイギーナ島での水汲み競争、である。 さらに、隠れた要素として、さそり座→蛇、かに座→再生の象徴としての黄金虫があるとする。 隠れた要素とは、航海には直接現れないが、アルゴナウタイの帰還後、 メーデイアがアテーナイを追放され、イタリアでマルビウム人たちに「蛇遣いの術」を教えたという伝承、 もうひとつはメーデイアがペリアースを謀殺したときのように、大釜を用いて再生(若返り)の魔法を使ったことを指すものと考えられる[2]。



553:世界@名無史さん
14/12/25 22:39:17.53 0.net
>>409

URLリンク(en.wikipedia.org)

Palaic is an extinct Indo-European language, attested in cuneiform tablets in Bronze Age Hattusa, the capital of the Hittites.
Its name in Hittite is palaumnili, or "of the people of Pala"; Pala was probably to the northwest of the Hittite core area, so in the northwest of present mainland Turkey.
That region was overrun by the Kaskas in the 15th century BC, and the language likely went out of daily use at that time.


URLリンク(en.wikipedia.org)

554:世界@名無史さん
14/12/26 00:27:59.81 0.net
イプソスの戦いのイプソスの現地名って誰かご存知?
URLリンク(www.lib.utexas.edu)
地図Dcにあるシュンナダの近くで、イズミルとアスペンドスを結んだ辺りが
イプソスなんだろうとは分かってるんだけど

555:世界@名無史さん
14/12/26 07:25:09.57 0.net
>>499

その地図の中のIpsusの位置の現地名ってこと?

URLリンク(catholicism.academic.ru)

556:世界@名無史さん
14/12/26 19:23:33.82 0.net
>>499の地図と自分が参照してる本2冊のイプソスの場所と違うから、Ipsusに気づかなった
本ではベイシェヒル湖とエイルディル湖の間くらいの経度に記載があったんだけど
(W.W.ターンのヘレニズム文明、前田耕作のバクトリア王国の興亡を参照)

>>500 現在のトルコにおける地名は何かな?と

557:世界@名無史さん
14/12/26 20:47:58.79 0.net
>>501
なにを何処まで極めたいのかと思ったワロスww

アレキサンダー大王については全く無知なんだけど
ディアドコイ戦争はしっとくと楽しそうだ

558:世界@名無史さん
14/12/26 21:25:19.44 0.net
>>501

URLリンク(en.wikipedia.org)

Synnada (Greek: Σ?νναδα) was an ancient town of Phrygia Salutaris in Asia Minor. Its site is now occupied by the modern Turkish town of ?uhut, in Afyonkarahisar Province.

アフヨンの辺りっぽいけど、IpsiliHissarは見つからなかった

559:世界@名無史さん
14/12/26 23:52:25.21 0.net
やはりアフヨンの辺りだよね(地球の歩き方を見ての見当で)
どうもありがと

560:世界@名無史さん
14/12/27 00:02:13.87 0.net
連投で申し訳無いけど、IpsiliHissarじゃなくiscehisarでいいのかな?
アフヨンの東斜め上に位置してる

561:世界@名無史さん
14/12/27 03:07:50.95 0.net
>>505
それはよくわからんねww
とりあえずやっぱトルこの地名は鬼門

個人的にはそのさらに東にCeltikをみかけたんだけど
ガラティアと関係あるのかどうかが気になった

562:世界@名無史さん
14/12/27 12:48:10.84 0.net
セルティックってぎりぎりフリュギアなんじゃない


563:? その上にある川を越えた先のバルヒサル(ベッシヌス)はガラティアだろうけど



564:世界@名無史さん
14/12/27 18:09:48.45 0.net
>>507
そうか、まんまケルトっぽいと思ったんだけど
まぁ、ほんとにCなのかどうかも怪しかったww

565:世界@名無史さん
14/12/30 00:05:08.59 0.net
>>131
エシュムンとアスクレピオスの話までは色々とひっかかるんだけど、
どういう経緯でそうなったのかがイマイチわからないんだよな

566:世界@名無史さん
14/12/30 01:25:08.86 0.net
何故両者が同一視されたかってこと?
そうだと仮定してだけど、エシュムンは冥府の神だから病気にすることも
逆に治すことも自在なため、祀ることによって治療の神の側面を顕現してもらうように祈願

このことからギリシア人にアスクレピオスと同一視されたと読んだ覚えがあるけど
どんな書籍でかは忘れた (うろ覚えなんで違ってたらごめん)

567:世界@名無史さん
15/01/02 00:39:48.88 0.net
URLリンク(en.wikipedia.org)
これ見ても分かりにくい...

568:世界@名無史さん
15/01/02 01:15:17.02 0.net
>>510
ありがとう

Wikipediaのエピタウロスの項を読むと
出身地とされるこの都市に神殿が建てられたのが前5世紀頃で
其れ以前は別のモノが祀られていたらしい

エシュムンの神殿は水が重要な要素なんだけど、うーむ

569:世界@名無史さん
15/01/02 19:28:50.34 0.net
遺伝子のおかげで、ドーリア・アカイア人と先住民との違いがはっきりした。

570:世界@名無史さん
15/01/02 21:20:59.58 0.net
>>513
何がどの程度異なってたのかな?

571:世界@名無史さん
15/01/02 22:54:54.72 0.net
>>513を見て思い出したけど
古代ギリシャはエジプト黒人の植民地(笑)
スレリンク(whis板)
古代ギリシャはすべての起源
スレリンク(whis板)
タイトルはアレだけど、読んでみると結構おもしろかった

他は
【植民】ギリシア語圏・ギリシア文化圏【移民】
スレリンク(whis板)

572:世界@名無史さん
15/01/04 16:32:15.63 0.net
>>515

古代ギリシャって鉄板ネタなのに
おもしろい論客が居ないのはなんでなんだろうね?

573:世界@名無史さん
15/01/04 16:40:11.63 0.net
>>516
あ、スレがおもしろくなかったという訳じゃないよ。
コテハンで長いこと頑張ってるような人が居ないなぁと思っただけで

574:世界@名無史さん
15/01/04 17:22:12.61 0.net
>>511

これとか有名な碑文なんだろうけど日本のサイトで取り扱ってるとこ見かけないね
っと思ったが紀元後2世紀ならおいらの知ってるやつじゃないな
今度探してみよう

A trilingual inscription of the 2nd century BC from Sardinia[2] also identifies Eshmun with the Greek Asclepius and the Latin Aesculapius.



>>510

なるほどレシェフ神か>>369

Pausanias[3] quotes a Sidonian as saying that the Phoenicians claim Apollo as the father of Asclepius, as do the Greeks, but unlike them do not make his mother a mortal woman.
The Sidonian then continued with an allegory which explained that Apollo represented the sun, whose changing path imparts to the air its healthiness which is to be understood as Asclepius.
This allegory seems likely a late invention. Also Apollo is usually equated with the Phoenician plague god Resheph.
This might be a


575: variant version of Eshmun's parentage, or Apollo might also be equated with Sadyk, and Sadyk might be equated with Resheph.



576:世界@名無史さん
15/01/04 17:28:04.47 0.net
>>518
>the 2nd century BC
紀元前じゃないのか?

577:世界@名無史さん
15/01/04 18:33:50.92 0.net
>>368

URLリンク(en.wikipedia.org)

URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)


ラシャプ(Rassap)は、西セム系民族に伝わる疫病の神。 その名は「火をつける者、照らす者」を意味する。
別名レシェフ(Reseph)。 弓矢や死を司り、稲妻と悪疫をばら撒くため、「矢の王」の異名を持つ。

先の尖った帽子を被り、斧または棍棒と盾を振り回した姿で現されることが多い。
非常に凶暴な神であり、アナトの夫とされることもあった。

ラシャプ信仰は広く、ウガリット・カナンはもちろん、フェニキア、エブラ、古代エジプト、キプロス、スペインでも信仰された。
人々はラシャプを祭ることにより、逆に病を退けようとしたという。

ラシャプはその信仰の広さから、他の宗教に組み込まれることも多い。例えば古代メソポタミアでは、ネルガルやナムタルに結び付けられた。
古代エジプトではレシェフと呼ばれ、在エジプト外国人に、善なる軍神として崇拝され、ローマ時代にはヘーラクレースと習合された。
キプロスではアポローンと同一視されたという。

別名であるレシェフという単語は旧約聖書にもみられ、歴代誌上の7章25節では人物名としても出てくる。
岩波文庫収録のヨブ記の日本語訳を行った関根正雄はヨブ記5章7節にある「レシェフ」を他の言葉に置き換えずにそのまま訳出し、巻末の註釈において上述の異教神として解説を加えている。
なお、新共同訳聖書だとこの部分は「火花」と訳されている。また、岩波委員会訳聖書の雅歌の解説によれば8章6節の「炎」の原語は疫病と炎を司る神からとられたレシェフであると書かれる。

578:世界@名無史さん
15/01/04 18:38:50.95 0.net
>>369
どおりで名前が似ていると思った


URLリンク(en.wikipedia.org)

URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)


Qetesh (also Kadesh /?k??d??/) is a goddess adopted into the ancient Egyptian religion from the religion of Canaan, popular during the New Kingdom.
She was a fertility goddess of sacred ecstasy and sexual pleasure.[1]

The name was probably vocalized by Egyptians as *Q?ti?a from the Semitic root Q-D-? meaning 'holy'.
Her city of worship was Qadesh.


URLリンク(upload.wikimedia.org)
Map of Syria in the second millennium BC, showing the location of Kadesh (Qadesh).

579:世界@名無史さん
15/01/04 19:15:04.36 0.net
>>519
大変申し訳ありませんww

が、おいらの知ってる併記文献はそもそもこれだったので全くの勘違いでした


日本エトルリア協会より
URLリンク(giappone-etrusco.rejec.net)

1964 年に


580:ピュルジで発掘された黄金の銘板には、 エトルリア語とフェニキア語が併記されていましたが、 アスタルトに対してユニの訳語が当てられていました。



581:世界@名無史さん
15/01/04 21:33:48.30 0.net
>>522

3枚なのでてっきり三カ国語併記だと思ってたwwアホ過ぎてワラタ


Pyrgi Tablets
URLリンク(en.wikipedia.org)

The Pyrgi Tablets, found in a 1964 excavation of a sanctuary of ancient Pyrgi on the Tyrrhenian coast of Italy (today the town of Santa Severa),
are three golden leaves that record a dedication made around 500 BCE by Thefarie Velianas, king of Caere, to the Phoenician goddess ?Ashtaret.

Pyrgi was the port of the southern Etruscan town of Caere.

Two of the tablets are inscribed in the Etruscan language, the third in Phoenician.[1]

These writings are important in providing both a bilingual text that allows researchers to use knowledge of Phoenician to interpret Etruscan, and evidence of Phoenician or Punic influence in the Western Mediterranean.
They may relate to Polybius's report (Hist. 3,22) of an ancient and almost unintelligible treaty between the Romans and the Carthaginians, which he dated to the consulships of L. Iunius Brutus and L. Tarquinius Collatinus (509 BCE).

582:世界@名無史さん
15/01/04 22:05:04.77 0.net
>>520
チンコ立ち過ぎだろ

583:世界@名無史さん
15/01/06 00:15:20.41 0.net
>>107

黒いアテネを読むかどうか迷ってるんだが
おもしろいんだろうか?


URLリンク(en.wikipedia.org)
>>497

584:世界@名無史さん
15/01/06 00:28:28.40 0.net
>>515の一番上のスレに黒いアテネについての書きこみあるね
その本に対する批判の回答しての続編も読むならありじゃない?

585:世界@名無史さん
15/01/06 01:12:15.10 0.net
>>223

これは前書きを見てさすがに古すぎるんじゃないかと思ってやめた

著者は博学らしいので
内容はおもしろいこともいっぱいありそうではあったんだが



ところでアレクサンドロス3世の足跡を追っている人は>>344は読んだんだろうか
密かにヒストリエあたりのネタ元なんじゃなかろうかと考えてるんだけど

586:世界@名無史さん
15/01/06 02:14:12.43 0.net
>>226
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)


>>368
セム族の神シェド
URLリンク(en.wikipedia.org)(deity)


>>520
なぜかHadadを貼ってしまった、、、
ほんとはこっち
URLリンク(en.wikipedia.org)

587:世界@名無史さん
15/01/06 13:16:21.03 0.net
黒いアテネよりも、黒いクロマニヨン人という本を出してほしいわ。
クロマニヨン人の身体的特徴を明確にしておく必要があるだろう。
でないと、欧州人の起源に関する議論がバラバラになってしまう。

588:世界@名無史さん
15/01/06 17:43:58.43 0.net
>>527 >>344はまだ読んでない
今はオーレル・スタインに関しての「アレクサンドロス古道」という本を読んでる
カーブルからタクシラ辺りにかけての特にスワート周辺が取り上げられてるけど
個人的には凄くおもしろい

589:世界@名無史さん
15/01/06 22:00:48.01 0.net
>>526

ぐぐってもあんまりいい書評もみつからないし
おもしろいと言ってる人もみつからない�


590:セよう http://fujiwara-shoten.co.jp/main/ki/archives/2004/06/post_877.php http://www.nekomegami.com/2012ne/black_atena.html こことかの内容みても「はぁ、そうですか」としかいいようがなさそうなのがなんとも。 前12世紀のカタストロフと火山爆発による機構変動の話もあるっぽかったが失念。 とlりあえず本の厚さ的に的に受け入れ難い気がする



591:世界@名無史さん
15/01/06 22:16:04.56 0.net
>>369


>>521 が
※ちなみに「カデシュ」は地名のカデシュとは関係ない。ラメセス2世の時代に起きた「カデシュの戦い」とは無関係。


と言い切っているのは何の理由からなんだろう、、、

592:世界@名無史さん
15/01/06 22:28:57.55 0.net
>>524
ちなみに上のサイトのミンは読んでもさっぱりわからない


ミン Min
URLリンク(www.moonover.jp)

ウィキペディアもあらな感じ
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)

Min is an Ancient Egyptian god whose cult originated in predynastic times (4th millennium BCE)
そして出典も百科事典


しかしエジプトはさぱりわからんね、、、

593:世界@名無史さん
15/01/07 10:31:58.66 0.net
ツタンカーメンがR1bだからね。
何故なのかいろいろ妄想しているが(笑)

594:世界@名無史さん
15/01/07 11:08:29.01 0.net
それどっかのスレでガセって話で落ち着いてたぞ、ソース付きで

595:世界@名無史さん
15/01/08 21:47:08.07 0.net
>>535
探してみたけどよくわからんかったね

596:世界@名無史さん
15/01/08 22:42:16.89 0.net
142 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/08/14(日) 13:47:22.98 0
 ほんまかいな・・・・って眉唾でみてるが、いちおう貼っとく。
 「欧州男性の半数、ツタンカーメンと同じ遺伝子ルーツ」
 URLリンク(jp.reuters.com)
 ツタンカーメンの父系遺伝子(Y染色体遺伝子だろうな)はコーカサス由来ってのを仮に事実として、
 考えられるのはヒクソス集団(基本セム系)の末端に印欧語系がいて、それがうまく現地民に溶け込み、
 その子孫が第3代トトメス1世(第2代の娘婿)となり、以後第12代ツタンカーメンまで父系続く・・・てなシナリオか?
 母系遺伝子なら、ミタンニ王族をいっぱい妃に迎えてるから簡単なんだが・・・。

144 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 01:14:56.96 0
 >>142 ガセに乗せられた記事らしい。

 118 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2011/09/04(日) 23:25:26.68 O
  最近、ツタンカーメンと同じDNAをヨーロッパ人の半数が持ってるとかの記事があったが?
  古代コーカソイドか、近一万年前後なのか数千年というレベルなのか?
  いずれにせよ、王家ほどの有力な血筋は古代から有力だと?

 122 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 03:02:10.55 0
  エジプト人には100人に1人くらいの頻度
  西ヨーロッパ人には2人に1人くらいの頻度
  というような遺伝子をツタンカーメンが持っていた、ただそれだけだろ。
  別に100人に1人の型をたまたま王様が持っていたって別段不思議ではないし。

 123 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 04:09:34.88 0
  URLリンク(55096962.at.webry.info)


597:7.html   ググったらこんな記事出て来ましたけど 145 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 21:25:04.66 0  自社商品のプロモーションか



598:世界@名無史さん
15/01/08 22:54:42.94 0.net
>>530
これまたおもしろそうなものを、、、


タキシラ
URLリンク(ja.wikipedia.org)

タキシラは歴史的に3つの重要な交易路が交差する場所に位置していた。
1つはマガダ国の首都パータリプトラから続く道であり、
1つがバクトリアやペシャーワルといった北西から続く道、
最後の1つがシュリーナガル、マーンセヘラー、 ハリープル渓谷を経由してシルクロードへとつながる道である。

599:世界@名無史さん
15/01/08 22:57:20.42 0.net
>>538

おっと、付け忘れた
URLリンク(bboja.blog88.fc2.com)

600:世界@名無史さん
15/01/09 21:53:55.22 0.net
>>537
なるほど、ありがとう

601:世界@名無史さん
15/01/10 07:27:19.18 0.net
R1bはアフリカ大陸にも侵入している。
カメルーンの一部部族はかなり高い割合でR1bウエイトが高い。

ただ、白人的特徴の痕跡がみられないので、
相当現地黒人系の女性と混血を繰り返したのだろうと推定されている。

602:世界@名無史さん
15/01/10 23:55:26.40 0.net
>
カッサンドロスって
マケドニアで息子につけるメジャーネームなの?
なんかこの名前だけで呪われてる気がするんだけどww

URLリンク(plaza.rakuten.co.jp)

603:世界@名無史さん
15/01/11 00:41:59.40 0.net
アポロンに関して
URLリンク(dic.nicovideo.jp)

オリュンポス十二神の一柱。ゼウスと女神レトの息子で、女神アルテミスとは双子の兄妹である。
聖地は出生地であるデロス島と神託が下される地として高名なデルポイである。

嫉妬したヘラに命じられた大蛇ピュトンは、レトを執拗に追いかけて出産を妨害し続けたが、
出生直後のアポロンは逆にピュトンを追い続けデルポイの地で射殺し、以後その地は神託の下される聖地となった。
が、これは、元々ガイアの聖地だったデルポイをアポロンを奉ずる人々が奪ったのを正当化するため、新たに作られた神話だとも言われている。

文化的な性格を持つ詩人の神であるが、「遠矢射る」アポロンとしては病疫の神として知られる。
転じて医療神としても知られ、医療神アスクレピオスの父でもある。自分の息子アスクレピオスには一匹の蛇が絡みついた杖を、
同じ十二神の一柱である弟ヘルメスには竪琴と交換で二匹の蛇が絡みついた飾り付きの杖を送ったことがある。[※1]



起源

小アジア起源の女神レトを母親に持ち、トロイア戦争では一貫してトロイ側だったように、彼もまた非ギリシャ的な側面を持つ神である。

彼はエトルリアの地ではアプル(Apulu)として信仰されたが、一方フリやヒッタイトの神話にもアプル(Aplu)という神が信仰されていた。

この小アジアの神は元来アッカドの神であり、その本来の意味はアプル・エンリル「エンリルの息子」で、この二つ名を持つ冥府の王ネルガルを指していた。
ネルガルは時にメソポタミアの太陽神シャマシュと同一視されるが、もしアポロンがその名の由来をネルガルに持つなら、
病魔の神、死の神、太陽神、そして主神の息子としての性格の多くを彼から引き継いだのであろう。

604:世界@名無史さん
15/01/11 01:07:13.13 0.net
ほう、エンリルの息子が伝播したという説もあるのか
真�


605:Uのほどはわからんが、もしそうならシュメール時代の神格が流れに流れたということになるな



606:世界@名無史さん
15/01/11 04:57:08.75 0.net
>>544
うーん、その説は厳しそうな気がしてる

URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)

The Apollo of Veii is an over-life-size painted terracotta Etruscan statue of Apollo (Aplu). Originally at Veii,
it dates from c. 510 - 500 BC and was sculpted in the so-called "international" Ionic or late-archaic Etruscan style.
It was discovered in 1916, and is now on show in the National Etruscan Museum in Rome, central Italy.



ウェイイ
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ウェイイはエトルリアの南端に位置する裕福な都市だった。300年以上にわたって共和政ローマと戦争と同盟を繰り返した。
最終的に紀元前396年、ローマのマルクス・フリウス・カミルスの軍がウェイイを陥落。
その後もローマ支配下でウェイイは存続し、トランクィッルスによればリウィアの邸宅もそこにあった。
間もなくウェイイはローマに同化し、学術文献ではそれまでを "Etruscan Veii"、それ以降を "Roman Veii" として区別する。
ローマ帝国時代には Municipium Augustum Veiens と呼ばれた。

ウェイイは彫刻で有名であり、ティベリウス像(現在はバチカンにある)、Apollo of Veii(ヴィラ・ジュリア国立博物館所蔵)などが特に知られている。
ローマが征服した後、ウェイイは徐々に衰退していった。中世になるまでに廃墟と化し、価値のあるものは全て持ち去られた。
最終的に耕地となって忘れ去られていたが、17世紀の古代史研究家 Raffaello Fabretti が再発見した。

607:世界@名無史さん
15/01/11 12:17:04.30 0.net
アポローン
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ギリシア神話に登場する男神。オリュンポス十二神の一人であり、ゼウスの息子である。
詩歌や音楽などの芸能・芸術の神として名高いが、
羊飼いの守護神にして光明の神でもあり、イーリアスにおいてはギリシア兵を次々と倒した[1]「遠矢の神」[2]であり、
疫病の矢を放ち男を頓死させる神[3]であるとともに病を払う治療神でもあり、
神託を授ける予言の神としての側面も持つなど、付与された性格は多岐に亘る。

もとは小アジアに起源をもつ神格で、本来は繁茂する植物の精霊神から転じて牧畜を司る神となったという説や、
北方の遊牧民に起源を求める説など[4]、アポローンの出自については諸説あり、複数の神格の習合を経て成立したものとも考えられている[5]。
古典期のギリシアにおいては理想の青年像と考えられ、また、ヘーリオス(太陽)と同一視されるようにもなった。

608:世界@名無史さん
15/01/11 12:18:53.61 0.net
>>546

概説[編集]

古典期のアポローンは主神ゼウスとレートーとの息子であり、アルテミスとは双生児である。
オリュンポス十二神には(諸説があるが)ほぼ確実に名を連ねる。古くから牧畜と予言の神、また、竪琴を手に執る音楽と詩歌文芸の神であった。
光明神の性格を持つことから前5世紀には時としてヘーリオスと混同されて太陽神とされ、ローマ時代にはすっかり太陽神と化した[6]。

聖獣は狼および蛇、鹿で、聖鳥はヒュペルボレオイの国から飛来する白鳥および、鴉、雄鶏、鷹、禿鷹で、蝉


609:もアポローンの使いとされる[7][8]。 聖樹は月桂樹、オリーブ、棕櫚、御柳[8]。また、イルカ(デルピス)との関係も深く、 イルカの姿に変身したという神話からデルピニオスとも呼ばれ、「デルポイ」という地名はここから来ているともいわれる[8]。(デルポイは「子宮」を意味するデルピュスが語源という説もある[9]) また、あらゆる知的文化的活動の守護神とされ、詩神ムーサイを主宰するとともに、オルペウス教の伝説的開祖である詩人オルペウスの父親ともされる。 一方、人間に当たれば苦痛なく一瞬で即死する金の矢を武器とし、姉妹神アルテミスとともに「遠矢射るアポローン」として疫病神の性格を持ち、転じて医術の神としても信仰された。 医神アスクレーピオスがアポローンの子とされるのはそのためである。 このように、アポローンの性格は理性的であると同時に人間を地上に向かって放った矢から広がる疫病で虐殺したり、 音楽の腕を競う賭けでサテュロスの1人マルシュアースを生きたまま全身の皮膚を剥いで殺すなどの冷酷さ、残忍さをも併せ持っている。 腕力も強く、イリアスではアカイア勢の築いた頑強な城壁を素手で軽々と打ち砕いて崩壊させている。ボクシングを創始した神としても知られる。 フリードリヒ・ニーチェは、理性をつかさどる神として、ディオニューソスと対照的な存在と考えた(『悲劇の誕生』)。



610:世界@名無史さん
15/01/11 12:22:33.75 0.net
>>547

非ギリシア的性格[編集]

ギリシア的な神とされるが、『イーリアス』ではつねにトロイア側に加担している。
また、母親とされるレートーは、元来は小アジアで信仰された大地の女神で、アポローンはこれに付き従う植物神を核として形成された、複数の神格の集合体と考えられている。
その名前もギリシア語に由来するものではないというのが一般的な見解である。

また、生誕後、ギリシアに現れる前の一時期を北方の民ヒュペルボレオイの国で暮らしていたとされ、北海沿岸の琥珀産地と地中海沿岸を結ぶ交易路「琥珀の道」とも深いかかわりを持つ神だと考えられている。
さらにアルテミスの起源は北アフリカとされ、この女神と双子であるという性格は、地中海周辺で崇拝されていた女神群の配偶者群(タンムーズ、アドーニス、オシーリスなど)と同列のものと考えられる。

デルポイはアポローンの神託所であるが、少なくともミケーネ文明以前の時代から開けており、元は他の別神格の信仰中心地であったと考えられる。
神話によれば、もともとガイアの聖地だったものを、番人の大蛇ピュートーンを射殺して奪ったものだという。神託は巫女ピューティアーにより詩の形で与えられた。
このほか、ヘーリオン山、生誕地とされるデーロス島、ミーレートス市近郊のディデュマもアポローンの聖地とされる。

611:世界@名無史さん
15/01/11 14:11:23.71 0.net
トロイアについただけで非ギリシア的って判断できるのかなぁ?
もちろんオリエントの要素を全く否定ししないけど

【植民】ギリシア語圏・ギリシア文化圏【移民】
スレリンク(whis板:193番)
トロイアってセストスからヘレスポントス海峡をアビュドス(チャナッカレ)に渡って
シゲイオン→イリオンの√だよね ご近所さんに思えるんだけど

612:世界@名無史さん
15/01/11 14:40:32.25 0.net
>>549

まぁ、それはウィキペディアの分類なんだししょうがないんじゃww
たぶんギリシャ語の流れではないという話なんだと思います。

イリオン=トロイア説なら環エーゲ海の一部ですね。

613:世界@名無史さん
15/01/11 15:55:16.07 0.net
アポロンを調


614:べて毎度ふしぎに思うのはこれ >また、母親とされるレートーは、元来は小アジアで信仰された大地の女神で、アポローンはこれに付き従う植物神を核として形成された、複数の神格の集合体と考えられている。



615:世界@名無史さん
15/01/11 15:58:19.30 0.net
アポッローン( =Apovllwn)
URLリンク(web.kyoto-inet.or.jp)

 アポローンの出自ならびにアポローン崇拝の起源に関する近代の学者たちの説は、文字どおり諸説紛々であるが、大別すると三つの系統に分けられる。

そのひとつは、ヴィラモーヴィツによって強力に提唱され、ニルスンに継承された説であり、
アポローンを小アジアのリューディア、リュキア地方に起源する神で、「レート-=アポローン=アルテミス」という三位一体をなすアジア的神格としてとらえる考え方である。
この説によれば、小アジアの大女神ラーダー(レートー)を母とするアポローンはリュキア辺に起源を持ち、
イオーニア海に浮かぶ諸島を伝わって、その崇拝がギリシア本土に及んだ外地からの渡来の神だということになる。

その理由としてしばしば、アポローンにとっての聖地やゆかりの地が小アジアことにもイオーニア地方に多く見出され、
クラーロスやディーデュマをはじめとするイオーニア諸都市でアポローン崇拝が盛んだったことが挙げられる。
また『イーリアス』において、アポローンが一貫してトロイア側に立ち、ギリシア人に対しては敵対的であるのも、
この神が元来は小アジア一帯において崇められていた強大な神格であったことを示唆している、というのである。


 これに対立する有力な学説は、H・J・ローズによって代表される、アポローン北方渡来説である。
アポローンがその誕生の直後に赴いて一年を過ごじたと言われ、また毎年夏になるとそこへでかけるとも伝えられていたヒュベルボレオイ人との関係を重視し、
極北ないし北方地帯にあったと想像されるこの国こそがアポローンの故地であって、北方の牧人たちによって崇められていた牧畜の守護神こそがこの神の本来の姿だと主張する説である。
(この説を唱える学者は、「リュキオス(Lykios)、「リュケイオス」(Lykeios)というアポローンの称呼を、「リュコス」(lykos 狼)という語かち出ているものと解し、
アポローンは本来「狼神」Wolf-godであり、それゆえに牧畜の守護神であったと見なしている)。


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