14/05/29 03:32:12.89 0.net
>>360
②-09.テュロスと内陸通商
(略)
ダヴィデのイスラエルによるフェリスティアの征服は、フェニキアの商業を明らかに活気付けている。
フェリスティアは既に前11世紀には、5都市(ガザ、アシュドド、アシュケロン、ガツ、エクロン)の強力な商業連合へと進化しており、
カナン南部の内陸通商路だけでなく、レヴァント南部の沿岸にまで支配の手を伸ばしていた。
そんな彼らがイスラエルに降伏すれば、フェニキアとエジプトの海上交易から侮りがたい邪魔者が消えたことになる。
もちろんイスラエル自体とその首都エルサレムも、前10世紀のフェニキアの商工業にとっては優良な市場以外の何ものでもなかった。
フェニキアの商品は二つの大きな港-北のドルと、南のヨッペから連合王国へと流れ込んだ。
ヨッペはソロモン王の下へ運ばれてきたテュロスの杉材を降ろしたエルサレムの港だが、その正確な場所はいまでもはっきりしない。
ヤッフォの東、アイヤロン側の古代の川筋に面してコトン(内陸港)が発掘されているのでもしかしたらそこかもしれない。
その建設にフェニキア人技術者が手を貸していた可能性もある。
しかし、もう一つの港のドルがフェニキア交易の中心地だったことは明らかだ。
主にイスラエル領北部との取引に使われたことが考古学的に裏づけられている。
フェニキア文化の影響を強く受けており、この時代より前にフェニキアからじかに政治的な支配を受けていたのかもしれない。
(略)