古代の地中海世界at WHIS
古代の地中海世界 - 暇つぶし2ch329:広がる交易地(港市)▼ ▼ソロモンのヒラムとの提携による紅海交易▼  ソロモンのヒラムとの提携による紅海交易 ▼中継品と加工品の交易、御用から自前の交易▼ ▼ペルシア時代の交易の拡大と艦隊の派遣▼  ペルシア支配下におけるテュロスの交易品 ▼丸い・黒い・がらんどうの船▼ ▼大規模な港湾とヘラクレスの柱への航路▼ ▼ガレーの登場、衝角、二段櫂船の開発▼ ▼ペルシア戦争で、フェニキア艦隊、連敗▼ ▼若干のまとめ▼



330:世界@名無史さん
14/05/14 00:00:52.56 0.net
>>284

さて、どこまで書いたもんかなぁ
個人的におもしろかったのは以下
とりあえず、載ってる関係のものをメモ代わりに書いておこう


(03).クレタ島
 イダ山「ゼウスの洞窟」
 シデロス岬(鉄の岬)、コモス、港町イタノス
 キュテラ島、東の港ポイニクス、対岸本土のラコニア
 最大の港ギュテイオン

(07).シチリア島
 これは長い、、、


(08).サルディニア島(ノーラ、スルチス、タッロス)

(12).スペイン
 タルシュシュ(タルテッソス)
 カディス(エリュテイア島)
 港町ウェルヴァ(リオ・ティント鉱山)
 アンダルシア地方:
  文献記録の有る都市は、マラカ(今のマラガ)、セクシ(アルムネカール)、アブデラ(アドラ)
  トスカノス

331:世界@名無史さん
14/05/14 00:24:53.29 0.net
古代ギリシャ・神話の旅 前編 
トルコからクレタ島へ
URLリンク(www.bs-asahi.co.jp)

さまざまな神や英雄、怪物が登場し壮大な物語が繰り広げられるギリシャ神話。神話の原点となった風景や出来事は実際に存在していたのか。
その誕生の背景を探るべく、歴史家ロビン・レイン・フォックスが、ギリシャ神話のエピソードを紹介しながら、今も残る古代の遺跡や地中海沿岸の名所を訪ねる。

神話を生み出した人々は、神についてどう考え、どうやって神話を生み出したのか? 
今回はギリシャ神話誕生の真実に迫る全2回シリーズの前編。

ギリシャ神話に描かれた天地創造の物語や、世界の芸術家に影響を与えてきた有名な神々。
それらはもともと、エウボイア島(現・ユービア島)に住んでいた民族エウボイア人が、地中海沿岸の各地から集めた伝承をもとに、新たに作りあげていったものだった。
彼らの足跡を追いかけながら、ギリシャ神話誕生の真実、その謎をひもとく。

332:世界@名無史さん
14/05/14 00:26:15.41 0.net
>>303

ギリシャ神話を作り出したといわれるエウボイア人。
彼らは航海技術に優れ、地中海沿岸のさまざまな国を船で渡った民族だった。

歴史家ロビン・レイン・フォックスが訪れたのは、トルコ・古代ヒッタイト帝国の首都、世界遺産ハットゥシャ。
古代、この地でエウボイア人が伝え聞いた物語が、天の神ウーラノスと大地の女神ガイア、そして息子クロノスによる、ギリシャ神話における天地創造のエピソードとなったのだという。

さらに、地中海の島々も巡る。キプロス島で訪れるのは、多くの芸術家たちを魅了し続ける女神アフロディーテが海からあがってきたとされる浜辺。
今でこそ愛と美の女神として定着しているアフロディーテだが、エウボイア人が訪れる前は、キプロス島に伝わる、豊穣(ほうじょう)多産をつかさどる女神として信仰されていた。
またギリシャ・クレタ島では、全能の神ゼウスが幼少期を過ごしたといわれる洞穴を訪れる。元々この洞穴では、子供の姿を


333:した多産の神コウロスが崇められていた。 しかし、エウボイア人がやって来たことでコウロスは、ヒッタイト遺跡から誕生した神クロノスの息子ゼウスとして生まれ変わったのだ。 各地を旅したエウボイア人は、ギリシャ神話を作り上げただけでなく、アルファベットを普及させた立役者でもあった。 また、彼らのおかげでギリシャ神話が誕生し、現代へと伝えられたのである。 古代を旅したエウボイア人と、彼らが出会った物語の数々を紹介しながら、ギリシャ神話が誕生した背景に迫る。



334:世界@名無史さん
14/05/14 00:28:24.76 0.net
>>303

古代ギリシャ・神話の旅 後編 
ギリシャからシチリア~ナポリへ
URLリンク(www.bs-asahi.co.jp)

神話誕生の真実に迫る全2回シリーズの後編。

今回の旅は、ギリシャより西側の島々へ。神々や人間、そして怪物たちがぶつかり合う戦いの伝説を中心に、それらが生まれた経緯や背景にある真実を探る。
エウボイア人は神の実体をどのようにとらえていたのか、その答えが浮かび上がる。



ギリシャ神話を作り出したエウボイア人は、自分たちの神話をさらにドラマティックな内容へと進化させた。
それは、全能の神ゼウスとヘビの怪物テューポーンの戦いを描いた物語だ。このエピソードは、実際にある場所や風景と伝説という、全く違う要素を組み合わせて作られていったものだった。
彼らは古代ヒッタイトの伝説をもとにストーリーを構成する一方で、テューポーンが住むとされた洞穴はトルコのカラペテ南西の峡谷をもとにしている。
さらに、イタリアのエトナ火山やイスキア島にも渡り、物語のクライマックスとなるテューポーンの最後を書き上げた。
番組では、それらの土地を旅しながら、全能の神ゼウスと怪物テューポーンの壮絶な戦いの物語を追う。

また、シチリア島クーマイ近郊の化石の発掘現場に赴き、エウボイア人が、マンモスなどの骨を、神と戦って敗れた巨人の骨と考えた経緯を探る。
さらに、神々が巨人達を撃退した戦場の跡地を求めてナポリへ。地中海各地の大自然や風景、エウボイア人が出会ったであろうさまざまな文化を紹介する。
ギリシャ神話誕生の背景にある真実、そしてその謎を解き明かす壮大な旅はクライマックスを迎える。

335:世界@名無史さん
14/05/14 00:44:56.38 0.net
>>305
たしかカラペテは考古遺跡あったはずなんだけど
見つからないなぁ


Category:トルコの考古遺跡
URLリンク(en.wikipedia.org)


>>302>>304 ニダ注意

イディ山
URLリンク(ja.wikipedia.org)

イディ山(イデ山、イーデー山、イダ山、ギリシア語: ?δη, Idi )またはプシロリティス(ギリシャ語:Ψηλορε?τη?、
意味は「(木のない)すべすべした山」)とは、ギリシャのクレタ島で一番高い山。レティムノ県に位置する。

ギリシア神話のレアーを祀る山として知られる。伝説によると、斜面にある洞窟でゼウスが生まれたとされる。
ギリシャ最高の突出地形(Topographic prominence)である。興味深い特徴は、ニダ高原(Ν?δα)と東側のRuvaの森である。

クレタ大学の天文台が第二の高峰スキナカスにある。


Mount Ida is the locus for a race of legendary ancient metal workers (Dactyls), whose roots are also associated with Cyprus.[2]

Along one flank of Mount Ida is the Amari Valley, a locus settled by expansion of ancient Phaistos, when the settlement of Monastiraki was established.
URLリンク(en.wikipedia.org)

336:世界@名無史さん
14/05/14 00:52:04.04 0.net
>>305

クーマエ
URLリンク(ja.wikipedia.org)

クーマエ(ラテン語: Cumae)は、現在のイタリア・ナポリ北西に築かれた古代ギリシャの植民市。イタリア半島に初


337:めて建設された古代ギリシャ植民市である。 クマエ、クーマイ等とも表記される。ウェルギリウスの『アエネーイス』に登場する「クマエのシビュラ(巫女)」でも有名。 また、この都市で使われたギリシャ文字の一種(クマエ文字)からは、ラテン文字が派生した。 歴史・文化[編集] ティレニア海に面したこの都市は、エウボイア島のギリシャ人によって建設された。 クマエ文字[編集] エウボイアの人々は、標準的なギリシャ文字(東方ギリシャ文字)とは異なる字形を持つ文字(西方ギリシア文字)を使っており、クマエでもこれが用いられた。 この系統のギリシャ文字からは、エトルリア文字をはじめとする古イタリア文字やラテン文字が派生したことが特筆され、 特に「エウボイア文字」(Euboean alphabet)、「クマエ文字」(Cumaean alphabet)とも呼ばれる。 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1d/Magna_Graecia_ancient_colonies_and_dialects.svg/440px-Magna_Graecia_ancient_colonies_and_dialects.svg.png さて、「シチリア島クーマイ近郊」ってのは?



338:世界@名無史さん
14/05/14 01:01:09.87 0.net
あと、古代ギリシャの地方用に
URLリンク(upload.wikimedia.org)

ついでに>>123

ボイオーティア
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ボイオーティア(古代ギリシア語: Βοιωτ?α / Boeotia, Beotia, B?otia)は、古代ギリシアの一地方で、アッティカの西北に位置した。中心都市はテーバイ。
「ボイオティア」「ヴィオティア」などとも表記される。ギリシャ語で「牛の国」という意味もある。

URLリンク(upload.wikimedia.org)

地理[編集]
ボイオーティアは、南にコリンティアコス湾に面し、コリントス地峡の北の付け根にあたるメガリス (Megaris) と接する。
南東にはアテナイを中心とするアッティカ地方があり、キタイロン山とそれに連なる山並みによって隔てられている。
北東はエウリプス海峡 (Euripus Strait) ・エウボイア湾 (Gulf of Euboea) を挟んでエウボイア島と向かい合い、北に東ロクリス (Opuntian Locris) 地方と隣り合う。
西にはポーキスがあった。ボイオーティア地方の中央には、現在では消滅している大きな湖、コパイス湖 (Lake Copais) が存在した。

歴史[編集]
神話上の創成期[編集]
ギリシア神話において、ボイオーティアは重要な役を演じている。
軍事的拠点として、カドモスが建国した軍事的拠点テーバイ、
進取的な商業都市として、ミニュアース人 (Minyans) の住むオルコメノス(英語版)という伝説の2つの中心地を持っていた。

伝説的なミニュアース人の重要性は考古学的な遺跡(とくにミニュアースの宝物殿[1])によって確実なものとされている。
ボイオーティア人はおそらくドーリア人の侵略以前に、北からこの土地にやってきたものと思われる。
ミニュアース人を除く先住民たちはこれら移民たちに吸収され、以後、ボイオーティア人は等質的な民族として描かれる。


だれか、これ知ってる?
>ことわざでは「鈍い」と言われていた

339:世界@名無史さん
14/05/14 02:12:04.86 0.net
>>302
(08).サルディニア島(ノーラ、スルチス、タッロス)

プメイ神がみつからなかったけど、これだと王になってるね。


URLリンク(en.wikipedia.org)

The Nora Stone or Nora Inscription is an ancient inscription found at Nora on the south coast of Sardinia in 1773.

Though its precise finding place has been forgotten, it has been dated by palaeographic methods to the late 9th century to early 8th century BCE[1]
and is still considered the oldest Phoenician inscription yet found in Sardinia.

It is conserved at the Museo archeologico nazionale, Cagliari.

A possible reference to Pygmalion of Tyre is inferred by an interpretation of the fragmentary inscription, made by Frank Moore Cross as follows:[2]

[a. He fought (?)]
[b. with the Sardinians (?)]
1. at Tarshish
2. and he drove them out.
3. Among the Sardinians
4. he is [now] at peace,
5. (and) his army is at peace:
6. Milkaton son of
7. Shubna (Shebna), general
8. of (king) Pummay.

340:世界@名無史さん
14/05/14 02:22:21.92 0.net
>>309>>262

続き

In this rendering, Cross has restored the missing top of the tablet (estimated at two lines) based on the content of the rest of the inscription, as referring to a battle that has been fought and won.
Alternatively, "the text honours a god, most probably in thanks for the traveller's safe arrival after a storm", observes Robin Lane Fox.[3]

According to Cross the stone has been erected by a general, Milkaton, son of Shubna, victor against the Sardinians at the site of TRSS, surely Tarshish.
Cross conjectures that Tarshish here "is most easily understood as the name of a refinery town in Sardinia, presumably Nora or an ancient site nearby."[4]
He presents evidence that the name PMY ("Pummay") in the last line is a shortened form (hypocoristicon) of the name of Shubna's king, c
ontaining only the divine name, a method of shortening “not rare in Phoenician and related Canaanite dialects.”.[5]
Since there was only one king of Tyre with this hypocoristicon in the 9th century BC, Cross restores the name to pmy(y)tn or p‘mytn, which is rendered in the Greek tradition as Pygmalion.

Cross's interpretation of the Nora Stone provides additional evidence that in the late 9th century BCE,
Tyre was involved in colonizing the western Mediterranean, lending credence to the establishment of a colony in Carthage in that time frame.
Pygmalion, the Greek version of the Phoenician royal name Pumayyaton, also figures in the founding legend of Paphos in Cyprus, and Robin Lane Fox more cautiously finds a Cypriote association possible:
"The traveller even may have had links with Cyprus, suggesting the Cypriote contacts had guided Phoenicians to this island."[6]

341:世界@名無史さん
14/05/15 00:55:02.71 0.net
>>305>>306>>228


Tepe が「丘」の意だから
誤記っぽいな、おそらく

342:世界@名無史さん
14/05/15 01:08:42.23 0.net
>>311
トルコの地名は鬼門なんだよな


チャタル・ヒュユク
URLリンク(en.wikipedia.org)

Catalhoyuk (Turkish pronunciation: [t?a?ta?hojyc]; also Catal Hoyuk and Catal Huyuk; catal is Turkish for "fork", hoyuk for "mound")
was a very large Neolithic and Chalcolithic proto-city settlement in southern Anatolia, which ex


343:isted from approximately 7500 BC to 5700 BC, and flourished around 7000BC.[1] It is the largest and best-preserved Neolithic site found to date. In July 2012, it was inscribed as a UNESCO World Heritage Site.[2] チャタル‐ヒュユク 【atal Hyk】 http://kotobank.jp/word/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%A6%E3%82%AF 《「チャタルホユック」とも》アナトリア高原にある新石器時代の遺跡。現在のトルコ中南部の都市コンヤの南東約45キロメートルに位置する。 1958年に発見。紀元前7000年以上前にさかのぼる人類最古の集落跡の一つとして知られ、牛を描いた壁画や女性の彫像などが見つかっている。 hoyuk は "mound" tepe は "hill"



344:世界@名無史さん
14/05/15 06:39:45.18 0.net
>>19>>21>>121


>>155
そのサイトは図版が豊富で妄想を膨らませるにはもってこいだねww
URLリンク(realhistoryww.com)


ちょっとエトルリアっておこう
URLリンク(realhistoryww.com)
URLリンク(realhistoryww.com)
URLリンク(realhistoryww.com)

345:世界@名無史さん
14/05/15 06:43:16.86 0.net
なんでこんなページを開いちゃったんだろうか、、、
しかも無駄に詳しいww


古代ギリシャの壁画の文字を読むために古代ギリシャ語を勉強した結果wwwwwwwww
URLリンク(blog.livedoor.jp)

346:世界@名無史さん
14/05/15 07:12:11.01 0.net
>>137>>138
膨らませてばっかりもあれなので、バアル・ハモンに関して

情況としては、これで整合性は取れているんだけど、
カルタゴからの「10分の1税」も、やっぱこのときに終わったんだろうか


>>292
>カルタゴの神々の中で、バアル・ハモンの至上性は、カルタゴとテュロスの間の関係がヒメラ海戦(英語版)で壊れた後 、紀元前5世紀に遡ると信じられている[3]。

>>273
B.C.538 Phoenicia becomes a Persian province; Carthage asserts its independence.

347:世界@名無史さん
14/05/15 07:20:41.50 0.net
ちなみに>>315の「10分の1税」の記述は>>218が出典なんだけど
訳者が>>139の言うような宗教税を訳し間違った可能性は否定できないww

348:世界@名無史さん
14/05/15 17:37:42.84 0.net
>>68-76
この話は俺も見たことがあって、たぶんこれ


古代の黙示録:クレタ文明崩壊の謎
URLリンク(www.bs-asahi.co.jp)



しかし、はしゃぎすぎてしまったせいで
すっかりスレが停滞してしまったよ、、、

349:世界@名無史さん
14/05/15 21:50:05.83 0.net
>>317
さて、BBC繋がりでこれも引いておこう
とりあえずミケーネやるために資料の選定はじめたよ。



消えたアトランティスへの扉 ~水底の古代都市ヘリケの謎
URLリンク(www.bs-asahi.co.jp)
こっちは知ってたはず


地中海に沈む ギリシャ古代都市の謎(古代都市パブロペトリ)
URLリンク(www.bs-asahi.co.jp)
こっちは知らなかった

350:世界@名無史さん
14/05/15 21:59:02.18 0.net
さてさて、以下のサイトより抜粋


世界の水中に沈んだ偉大な都市:太古の歴史が今尚、生き続ける海底遺跡
URLリンク(japontimes.livedoor.biz)


1. エジプト:アレクサンドリア海底遺跡
URLリンク(www.franckgoddio.org)

エジプト・プトレマイオス朝の(紀元前331年)に、神殿に使


351:われていたとみられる柱やスフィンクスなどが発見される。 地震や津波によって沈められたと考えられている(別名クレオパトラの海底宮殿) 2. エジプト:ヘラクレイオン http://www.franckgoddio.org/projects/sunken-civilizations/heracleion.html アレクサンドリア近くのアブキール湾沖6.5kmに遺跡が沈んでいるという。 ヘラクレイオンは古代エジプトの都市であり、トロニスとしても知られている。 3. エジプト:カノープス http://www.franckgoddio.org/projects/sunken-civilizations/canopus.html アブキール湾沖にある都市「カノープス」ファラオの彫像やスフィンクスの頭部などが発見される。 アレクサンドリア海底遺跡・ヘラクレイオン・カノープスは地中海に面した町で、1992年以降、海洋考古学の学者によって発掘が開始された。



352:世界@名無史さん
14/05/15 22:06:46.92 0.net
>>318続き


7. イタリア:バイア海底遺跡
URLリンク(underwaterarchaeologicalparkbaia.blogspot.hu)
イタリアのカンパニアの町バイアにある海底遺跡でナポリの西側約15キロメートルに位置し、
古代ローマ時代の都市遺跡が海底に沈んだとされています。



8. ギリシャ:パブロペトリ遺跡>>318
URLリンク(blog.purpletravel.co.uk)
BBC - City Beneath The Waves - Pavlopetri - Greek subs
URLリンク(www.youtube.com)
約3000年前、地震や津波で海底に沈んだと考えられている都市。



9. イスラエル:アトライトヤム遺跡
URLリンク(commons.wikimedia.org)
The Mystery of Atlit Yam_Trailer.flv
URLリンク(www.youtube.com)
紀元前6000年前の新石器時代の村。

353:世界@名無史さん
14/05/15 22:14:39.54 0.net
>>319その他、これもおもしろい


5. オランダ:Saaftinge
URLリンク(www.frankfotolog.nl)
URLリンク(www.nationalgeographic.nl)
URLリンク(haulezvastgoed.wordpress.com)
1570年のすべて洪水で失われ1584年に沈没した。


6. ジャマイカ:ポート・ロイヤル
URLリンク(www.thrillist.com)
1518年に設立されポート・ロイヤルですが1692年6月7日に地震と津波が発生し
ポート・ロイヤルの町の3分の2がカリブ海に沈んでしまいました。


10. 中国:ライオンシティー(Shi Cheng)
URLリンク(english.cntv.cn)
URLリンク(www.lovethesepics.com)
ダムを作るプロジェクトの為に人工湖を作成し1959年に水没した。


11. グアテマラ:Samabaj
URLリンク(www.mayarelief.com)
URLリンク(www.prensalibre.com)
11. Samabaj, la ciudad sumergida en Atitlan, Solola
URLリンク(www.youtube.com)
約1700年前に湖が突然20メートル上昇し水没。
アティトラン火山が噴火し、その影響で泥が湖の底に出口??を塞いでしまし水位が上昇したと考えられている。

354:世界@名無史さん
14/05/15 23:00:28.57 0.net
Helike ヘリケ >>318
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(maps.google.com)


Akrotiri


355:(Santorini) >>317 たしかエジプト資料がテラだよね http://en.wikipedia.org/wiki/Akrotiri_(Santorini) http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/09/AKROTIRI_SHIP-PROCESSION-FULL_PANO-3.jpg/2500px-AKROTIRI_SHIP-PROCESSION-FULL_PANO-3.jpg 8. ギリシャ:パブロペトリ遺跡 >>318 http://en.wikipedia.org/wiki/Pavlopetri http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ae/Greece_Pavlopetir_map.png 9. イスラエル:アトライトヤム遺跡 >>320 http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Atlit-Yam http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/bf/Map_of_submerged_prehistoric_sites_along_the_Carmel_Coast.JPG/539px-Map_of_submerged_prehistoric_sites_along_the_Carmel_Coast.JPG



356:世界@名無史さん
14/05/15 23:28:05.04 0.net
URLリンク(en.wikipedia.org)

357:世界@名無史さん
14/05/15 23:41:56.63 0.net
>>323

Boura (Achaea)
URLリンク(en.wikipedia.org)(Achaea)
URLリンク(upload.wikimedia.org)


Olous
Olous or Olus (Ancient Greek: ?λου?,[1][2] or ?λουλι?[3]) is an ancient, sunken city situated at the present day town of Elounda, Crete, Greece.
URLリンク(en.wikipedia.org)


Pheia (Elis)
URLリンク(en.wikipedia.org)(Elis)
Pheia (Ancient Greek: Φει?, also Φεια? - Pheiai) was a small town and a port in Elis in the ancient country of Pisatis.[1]
It was built in a natural bay at today's Agios Andreas, Katakolo. It was destroyed in the 6th century.[2]
It was located on the isthmus connecting the cape of Katakolo with the mainland, near the river Iardanus.[3]
During the Peloponnesian War, the Athenians conquered the small town and used its ports as their base for military operations in Elis.[4]
In the location of the acropolis, a castle was built in the Middle Ages which survives today, known as Pontikokastro

URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)


Phanagoria これはセーフ?それともアウト?
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)

358:世界@名無史さん
14/05/16 00:09:37.48 0.net
>>319
ヘラクレイオンは昨年地球ドラマチックでやってた

359:世界@名無史さん
14/05/16 02:40:23.40 0.net
>>57

バビロン天文日誌の総合的研究
A syuthetic study on the Astronomical Diaries from Babylon

URLリンク(kaken.nii.ac.jp)
URLリンク(kaken.nii.ac.jp)

なお、関連して、バビロンで楔模形文字が後2-3世紀まで記されていたとする最近のゲラーの説を批判的に検討し、
その上で天文学者の活動こそがバビロンで楔形文字が最後まで残された原因である、という仮説を提示できた(アウロマン文書の研究は、この部分と関連する)。


発表文献
春田晴郎: "アウロマン文書No.3(大英図書館Or.8115)の新訳"オリエント. 44-2. 125-134 (2002)
URLリンク(ci.nii.ac.jp)


まぁ、これはおいといて

360:世界@名無史さん
14/05/16 02:50:06.99 0.net
こんなものを見つけた
というより今まで見つけられなかった、、、

>>252>>253


オリエント
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)

361:世界@名無史さん
14/05/16 03:01:08.55 0.net
ベロッソス
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ベロッソス(Berossos あるいはBerossus, Berosus; ギリシア語: Β?ρωσσο?)はヘレニズム期バビロ�


362:jアの著述家。紀元前3世紀はじめに活躍した。 伝達と受容[編集] ベロッソスの著作はヘレニズム世界ではほとんど知られていなかった。 メソポタミアの歴史は、たいていの場合クニドスのクテシアスの『ペルシア誌』(Persica)によるものだった。 むしろベロッソスは占星術関連の著作によってよく知られていたのである。 キリスト教時代以前の著述家たちはベロッソスの『バビロニア誌』を直接には読まず、ベロッソスの著作を引用していたポセイドニオス(前135-51年)に依拠していたらしい。 ポセイドニオスの記述も現存していないが、ウィトルウィウス、プリニウス、セネカらが三次資料として現存している。 その後の時代、ポセイドニオスからいくつかの引用を経てベロッソスを伝えているものとしては アエティウス(後1-2世紀)、クレオメデス、 パウサニアス、アテナイオス、ケンソリヌス(3世紀)、パルクス(6世紀)、 アラトスの『パイノメナ』(前315-240/39年ごろ、ギリシア語)への匿名のラテン語注釈がある。



363:世界@名無史さん
14/05/16 03:06:22.75 0.net
ベロッソス『カルデア史』断片集

>>146 にある、
URLリンク(changhykw.uijin.com)

364:世界@名無史さん
14/05/16 03:10:41.36 0.net
そういえば、ポセイドニオスは
イリヤッドに無かった気がするな

3拍子揃ってると思うんだが

365:世界@名無史さん
14/05/16 21:57:33.00 0.net
>>325

俺も見ようと思ってたんだが
途中で寝ちゃったんだよな、、、

366:世界@名無史さん
14/05/16 22:12:44.16 0.net
>>309

ちゃんと全部確認した訳ではないけど、
結局>>218ではピグマリオンに関する記述はなくて
プメイ神として扱っており、キティオンとの関係性を述べているに留まる。

そんでもって、聖書の記述は尊重してて、ヒラムに関する記述は多いね。

とすると、そろそろアフロディーテをやるべきか

367:世界@名無史さん
14/05/16 22:54:12.33 0.net
せっかくなのでワイガヤと
みんなと話したかったんだが
やっぱコピペ貼りまくりはマズかった?

>>332
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

368:世界@名無史さん
14/05/17 00:32:44.39 0.net
>>333
個人的にはペースが早くて付いて行けない

369:世界@名無史さん
14/05/17 00:35:58.19 0.net
>>334
うーん、なるほど。
そうすると、同じ内容の話を続ける方がいいんだろうか?

自分でも発散しすぎだとは思うんだがww

370:世界@名無史さん
14/05/17 13:37:09.60 0.net
>>302

(03).クレタ島

(略)

キュテラ島の東の港、すなわちクレタ島から西へ向かう商船にとっては最初の寄港地となるところが
古代名をポイニクス(フェニキアをギリシア人はそう呼んだ)というのは、まるで秘密を漏らしているかのようだ。

その島とフェニキアとが深く結びついていたことは、
その島でいちばん大きいアプロディーテー・オウラニアの神殿はフェニキア人が建てたというヘロドトスの記述にも明らかだおる。

クレタ島西部と同様にキュテラ島と対岸本土のラコニアは、どちらも鉄鉱石の資源に恵まれていた。
とくにラコニア南部は純度の高い赤鉄鉱を産し、フェニキア人を引き寄せたのは当然かもしれない。

そのうえキュテラ島とラコニア最大の港のギュテイオンは、どちらもすでに前二千年紀のミノア時代に紫の染料の生産センターになっていた。
ただしどちらの港町


371:でも鉄器時代の地層がまだほとんど発掘されておらず、フェニキア人の居住を示す確かな証拠は見つかっていない。



372:世界@名無史さん
14/05/17 14:17:19.36 0.net
>>327
こんなのもあった
俺あほすぎてワラタ


地中海学研究
URLリンク(www.collegium-mediterr.org)


とりあえず気づいたこととしては、ナンバーがおしゃれ

373:世界@名無史さん
14/05/17 20:47:33.14 0.net
Dodona
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)

The shrine of Dodona was regarded as the oldest Hellenic oracle, possibly dating to the second millennium BCE according to Herodotus.
Situated in a remote region away from the main Greek poleis, it was considered second only to the oracle of Delphi in prestige.
Priestesses and priests in the sacred grove interpreted the rustling of the oak (or beech) leaves to determine the correct actions to be taken.
Aristotle considered the region around Dodona to have been part of Hellas and the region where the Hellenes originated

374:世界@名無史さん
14/05/17 20:52:47.11 0.net
なかなかおもしろい

「ギリシャ」という名まえ
URLリンク(toxa.cocolog-nifty.com)

375:世界@名無史さん
14/05/17 21:04:26.50 0.net
にしてもギリシャは難しい、、、
論客もいるだろうし、ミノアにしとこうかな


>>308

歴史上の創成期[編集]

ボイオーティアはコリントス地峡の北側に位置し、東南のアッティカ、北方のテッサリア、南方のペロポネソス半島に囲まれた形で広がっているために、政治的に大変重要な場所だった。
辺境の住民たちの戦略的強さと、広大な地域の中のコミュニケーションの容易さ故に戦略的拠点として度々戦火に見舞われたボイオーティア諸国は、外的に対抗するために「ボイオーティア連合」によって連合制をとっていた。
一方で、良港はなく、それで海運の発展を遅らせた。
ボイオーティア人の中には、ピンダロス、ヘシオドス、エパメイノンダス、ペロピダス、プルタルコスのような偉人もいたが、ことわざでは「鈍い」と言われていた。
おそらくアテナイの、近隣諸国に対する文化的優越感がそう言わせたのであろう。

現在のオロポス (Oropos) 周辺にあったと推定される都市グライア (Graea) (Γρα?α)は、ギリシアで最も古い都市であると伝えられており、地名も「古い」「古代」という意味がある。
何人かの学者は、ギリシャ神話に登場するギリシャ人の祖「グライコス」 (Graecus) (Γραικ??)と関係があるとしている[2]。
アリストテレスはこの町は大洪水前に建設されたと述べている。都市グライアの起源に関する同様の主張は、紀元前267年から紀元前263年に書かれた、古代の大理石の碑文「パロスの年代記」 (Parian Chronicle) にもある。
この年代記は1687年に発見され、現在はオックスフォードとパロス島にある。さらにこの古代都市について、ホメロス、パウサニアス、トゥキディデスの著書にも記述がある。

376:世界@名無史さん
14/05/18 19:06:29.35 0.net
>>334

とりあえずここでのコピペは止めます
カキコミ内容もちょっと考えてみるので許して

皆にも戻ってきて欲しい、、、

377:世界@名無史さん
14/05/19 21:00:30.14 0.net
>>337
貼るならこちらのほうがいいと思う
URLリンク(www.collegium-mediterr.org)
地中海学会月報へ行き�


378:竄キいし



379:世界@名無史さん
14/05/21 00:46:26.47 0.net
>>265>>332
ティマイオスの記述は存在せずとなると
引用元は何処なんだろう?

380:世界@名無史さん
14/05/21 01:01:45.00 0.net
>>343

『ピリッポス史』(Historiarum Philippicarum)
失われた文献に邦訳 があって、その名も『地中海世界史』かww

381:世界@名無史さん
14/05/22 14:55:16.02 0.net
>>341
コピペで荒らしてスレ過疎化したかったんだろ。もっと頑張れよ屑

382:世界@名無史さん
14/05/22 22:15:41.62 0.net
>>345
人間ひとりでは頑張れないんだよ、、、

383:世界@名無史さん
14/05/23 03:22:36.34 0.net
ジョン・チャドウィック『ミュケーナイ世界』
は近くの図書館に無かった

384:世界@名無史さん
14/05/25 14:18:19.30 0.net
>>218


【アッコ】 内の記述で

(略)

ペルシア時代には都会的発展に拍車がかかり、アケネメス朝の行政センターとして興隆をきわめている。
この時期には海岸に沿って市街地が拡大され、アクロポリスには一連の優れた建築物が建てられた。
その場所からフェニキア文字の刻まれた鉢の破片が発見されており、
その一つからアシュタルテ神殿があったことがわかる。
丘の上で発見された住宅街にはあきらかに都市計画が実施されていた。
ペルシア時代と次のヘレニズム時代の建築物には、フェニキア式のピア・アンド・ラブルの技術が見られる。

(略)

385:世界@名無史さん
14/05/25 19:12:07.21 0.net
>>218>>128


補遺 - フェニキア本土諸都市のアウトライン

【アトリト】
【テル・アブ・ハワル】
【アッコ】
【アクジヴ】
【テル・ケイサン - 内陸の農業都市】
【テュロス - ある大都会の地誌(トポグラフィ)】
【サレプタ - 産業の町のポートレート】
【シドン - フェニキアの港湾都市とその近郊】
【ベイルート - 新たに発掘された古代の港町】
【ビュブロス - 海岸商都の都会的発展】
【トリポリス - 鉄器時代の都市連合】
【テル・アルデ】
【ウラッサ】
【テル・アルカ】
【シーク・ゼナド】
【テル・カツェル】
【アルワド - 北の過密都市】
【アムリト】

386:世界@名無史さん
14/05/25 21:44:08.43 0.net
>>349

【アトリト】
【テル・アブ・ハワル(古代名:アクサプ)】
【アッコ】
【アクジヴ(現在:エズージブ村)】
【テル・ケイサン - 内陸の農業都市】
【テュロス(古代名:ソール、フェニキア語で「岩」) - ある大都会の地誌(トポグラフィ)】
【サレプタ(現在:サファランド) - 産業の町のポートレート】
【シドン(現在:サイダ) - フェニキアの港湾都市とその近郊】
【ベイルート(ギリシャ名:ベリュトス) - 新たに発掘された古代の港町】
【ビュブロス(古代名:ゲバル) - 海岸商都の都会的発展】
【トリポリス - 鉄器時代の都市連合】
【テル・アルデ(古代名:アルダタ)】
【ウラッサ(アマルナ文書:ウラッサ→セレウコス朝:オルトシア)】
【テル・アルカ(古代名:アルカタ)】
【シーク・ゼナド】
【テル・カツェル(古代名:シミュラと比定される)】
【アルワド(ポエニ語で「避難所」、ギリシャ名:アラドス) - 北の過密都市】
【アムリト(古代名:マラトゥス)】

387:世界@名無史さん
14/05/26 01:06:01.03 0.net
カルメル山の麓のドールは?

388:世界@名無史さん
14/05/26 02:45:46.38 0.net
>>259
ドルは書いてなかった。
たぶん、フェニキア人の都市ではないので。


>>350
【テル・アブ・ハワ厶(古代名:アクサプ)】
の間違いでした。すまそん

ちなみにここは
アッコ湾にのぞむキション川デルタにある。
カルメル山と集落の丘(テル)の間の潟ラグーンに三つの港のうちの一つがあったらしい。

389:世界@名無史さん
14/05/26 03:03:43.17 0.net
アンカミスった、ごめん


>>350
さらに間違い発見

【サレプタ(現在:サラファンド) - 産業の町のポートレート】

せっかくなのでサレプタは
前8世紀のものとみられるタニトーアシュタルテの切石積みの神殿が、ベンチや供物台神殿中央の柱と共に発見され


390:ている。 とあるから>>170のぶんと同じだろうな。 そんでもって>>259も遡るのかもしれないけど記号はどうだろね?



391:世界@名無史さん
14/05/26 15:53:26.78 0.net
>>352
ドール、>>132の本ではフェニキアになってた

392:世界@名無史さん
14/05/26 18:44:09.01 0.net
>>354
そっか、なんだろうね
古代名とかだったら単純にお手上げ

とりあえず、Wikipediaのチェケル人のとこには以下のようにあるので、後年は変わったのかな?

さらに紀元前1100年頃のエジプトの文学作品である『ウエンアメンの物語』の中に、カナン北部、カルメル山の南、タボル山の西にあるドルという町の住人としてチェケル人たちが登場している。
聖書によればこのドルを含んだ地域は後にマナセ人によって征服されたが、チェケル人に関する記述は何も残っていない。


ウェンアメン報告書では悪役として登場なんだがww

393:世界@名無史さん
14/05/27 23:45:36.82 0.net
>>354

マナセはイスラエルの12部族の一つ、マナセ族の先祖となった

upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/48/12_staemme_israels_cs.png/504px-12_staemme_israels_cs.png

ちなみに英語の記述には、フェニキア人の伸張があったように書いてあるね。

394:世界@名無史さん
14/05/28 00:47:15.69 0.net
URLリンク(en.wikipedia.org)
フェニキアの都市?

URLリンク(upload.wikimedia.org)
これ見ると、キュレネ辺りが未開拓だったのは、やはりもったいなかったと思う

395:世界@名無史さん
14/05/28 01:46:27.20 0.net
>>356
URLリンク(upload.wikimedia.org)

>>357
該当する記述を見つけたよ
後で書いとくね


それにしても「ウェンアメン報告書」のキプロスの女王って誰なんだろうなww

396:世界@名無史さん
14/05/28 19:25:43.87 0.net
>>218

第1;章 歴史
① 青銅器時代の地中海東海岸
② 鉄器時代
③ ペルシア時代からヘレニズム時代へ


① 青銅器時代の地中海東海岸
①-01.ビュブロスという例外
①-02.フェニキア南部の海岸都市
①-03.銅の商い
①-04.スギの商い
①-05.アマルナ後からラムセス時代へ
①-06.紀元前13世紀のキュプロス交易
①-07.フェニキア、ウガリト、メソポタミアの通商
①-08.青銅器時代後期フェニキアの全体像



②の鉄器時代のとこに記述があったはず。>>357

397:世界@名無史さん
14/05/28 19:26:26.92 0.net
>>359

② 鉄器時代
②-01.東地中海の激動期
②-02.紀元前12世紀エジプトの衰退
②-03.内陸の交代劇
②-04.『ウェンアムンの報告書』
②-05.「海の民」後の経済復興
②-06.紀元前11世紀フェニキアの商業発展
②-07.テュロス海上交易帝国の誕生
②-08.ソロモンとヒラムの共同事業
②-09.テュロスと内陸通商
②-10.紀元前10世紀のフェニキア人とアラム陣
②-11.エジプトとアッシリアのはざまで
②-12.イトバアルの商い
②-13.紀元前9世紀のフェニキア人とアッシリア
②-14.権力の幕間に- アラム-ダマスカスの台頭
②-15.アッシリアの帰還
②-16.クシュ人のエジプト
②-17.大国の終焉
②-18.バビロニアの支配


③ ペルシア時代からヘレニズム時代へ
③-01.ペルシア統治下のフェニキア人
③-02.シドンの優越
③-03.ペルシア時代のキュプロス島
③-04.西方の独立国 -カルタゴの興隆とマゴ将軍家
③-05.斜陽の帝国
③-06.ペルシア時代のフェニキア -領土拡大と市街地発展の時代
③-07.フェニキアとカルタゴのヘレニズム

398:世界@名無史さん
14/05/29 00:28:13.54 0.net
>>360


②-06.紀元前11世紀フェニキアの商業発展

(略)

旧約聖書のなかの都市ダンが、フェニキアの海岸都市と商いで緊密に結びついていたことは「士師記」にはっきり示されており、時代設定もちょうどこの時期である。
その物語


399:の中では、ダンの住民が属するアシェル族は、アッコ、シドン、アクジヴの住民を追い払わず 「彼らのなかに住み続けた」〔士師記1-31、32〕と書かれている。 別の箇所では、ダンとその住民の防備の堅さが、シドンのそれに並ぶとされている。 そのガリラヤの都市が地理的にテュロスとシドンの両方に近かったことは(40km程度)、 後のダヴィデによるイスラエルの人口調査の話にも裏付けられる。 ダンの名のすぐ後にテュロスとシドンの名が続いている。〔サムエル記下24-6、7〕 さて、このように考古資料に示されるように、前11世紀のフェニキア人都市の経済成長と都会的発展は、 フェニキアの商業拡大の波を明らかに南へと、すなわちガリラヤやイスラエル北部海岸へと押し広げていった。 ダンやドルだけでなく他の遺跡でもみられる破壊の層をフェニキア人によるものとする説がもし正しければ、この商業的進出は軍事力をともなったのかもしれない。 しかし、いずれにしてもフェニキアの通商が、カルメル半島を越えてシャロン海岸平野へと、南にむかって広がっていったことは考古資料から明らかである。



400:世界@名無史さん
14/05/29 01:03:39.89 0.net
ドールについての記載ありがと

401:世界@名無史さん
14/05/29 03:16:34.56 0.net
>>362
メインがもうひとつあるよ

ちなみにフェニキア交易の主体としては、シドン、テュロスの両方の可能性があるようだけど
おそらくシドンだろうと述べている。



>>348

URLリンク(www.hgeo.h.kyoto-u.ac.jp)
チュブルボ・マジュスの町並み。住居の壁は,縦長の石材を等間隔に配置し,その間を石で充填するやり方で作っているのがわかる(ピア・アンド・ラブル法)。正面に見えるのは,カピトル神殿。


ちなみに縦長の石材は「切石積み」とあった

402:世界@名無史さん
14/05/29 03:32:12.89 0.net
>>360

②-09.テュロスと内陸通商

(略)

ダヴィデのイスラエルによるフェリスティアの征服は、フェニキアの商業を明らかに活気付けている。
フェリスティアは既に前11世紀には、5都市(ガザ、アシュドド、アシュケロン、ガツ、エクロン)の強力な商業連合へと進化しており、
カナン南部の内陸通商路だけでなく、レヴァント南部の沿岸にまで支配の手を伸ばしていた。
そんな彼らがイスラエルに降伏すれば、フェニキアとエジプトの海上交易から侮りがたい邪魔者が消えたことになる。


もちろんイスラエル自体とその首都エルサレムも、前10世紀のフェニキアの商工業にとっては優良な市場以外の何ものでもなかった。
フェニキアの商品は二つの大きな港-北のドルと、南のヨッペから連合王国へと流れ込んだ。

ヨッペはソロモン王の下へ運ばれてきたテュロスの杉材を降ろしたエルサレムの港だが、その正確な場所はいまでもはっきりしない。
ヤッフォの東、アイヤロン側の古代の川筋に面してコトン(内陸港)が発掘されているのでもしかしたらそこかもしれない。
その建設にフェニキア人技術者が手を貸していた可能性もある。

しかし、もう一つの港のドルがフェニキア交易の中心地だったことは明らかだ。
主にイスラエル領北部との取引に使われたことが考古学的に裏づけられている。
フェニキア文化の影響を強く受けており、この時代より前にフェニキアからじかに政治的な支配を受けていたのかもしれない。

(略)

403:世界@名無史さん
14/05/31 01:51:35.63 0.net
地中海じゃないんだけどさ、タプサコスの場所ってどこかな?
URLリンク(upload.wikimedia.org)


404:ille_Emar_FR.png エマルの下辺りに位置する↓だとBが本なんかでは見かけるんだけど http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/85/Davids-kingdom_with_captions_specifiying_vassal_kingdoms-derivative-work.jpg アサド湖沿いのエマルの下に位置したとすると沈んでる?



405:世界@名無史さん
14/06/01 12:37:23.56 0.net
>>365
ちゃんと調べないとわからなそうだね
ちゃんと調べてもわかんないかもしんないけどww

というか、アブ・フレイラの絡みで
前にダムと人造湖のことを調べたことがあるのだが
たしかよくわからなかった

406:世界@名無史さん
14/06/01 14:33:51.87 0.net
>>131>>132>>216


テュロスの男性主神メルカルトは、その名前(ミルク・カルトすなわち「都市の王」 mlk )から、
主たる役どころが都市の統治者であることがわかる。

ポエニ人の宗教は東方から持ち込まれた。当然ながらカルタゴ市には、母都市テュロスの信仰が受けるがれた。
その都市で発見された現存する最古の碑文には、女神アシュタルテと男神プメイ(ピュグマリオンpmy)が登場する。
プメイはキュプロス島起源の神でサルディニア島でみつかった古いフェニキア語の碑文にも名前がみえる >ノーラストーン>>309>>310
他にレシェフ、バアル・サポン、シャドラパといった本国フェニキアの神々も信仰されたことがカルタゴの文章から知られている。

しかしなんといっても初期のカルタゴではメルカルトが最高の神だった。
けれどもカルタゴや他の西方ポエニ人都市で信仰されたメルカルトには、早くから本土出身のライバルがおり、
最終的にはその男神「バアル・ハンモン」に地位を奪われている。

エル(ギリシア神話のクロノス)の創造神としての役割は、キリキアで発見された前8世紀のフェニキア語の碑文に
”エルは大地の創造者なり”という句がみられることにも裏付けられる。
ダゴン信仰も、フェニキア地域に根付いていたことがしられている[ヨシュア記19-27]

407:世界@名無史さん
14/06/01 14:44:02.35 0.net
青銅器時代後期の他の神々も、次の鉄器時代に時期に引き続き信仰されている。
ウガリト神話の最高神で神々の父とされるエルは、カラテペで発見された前8世紀のフェニキア語の碑文に>>367にみられる。
前二千年紀に広く崇拝されたバアル・サポンも、のちのテュロスとカルタゴに現れた。
大レシェフ神はカラテペの碑文に再登場を果たし、その後シドンとキュプロス島でひじょうに広い信仰を集めたようだ。
キティオンでは”矢の王”と呼ばれたが、その前身は青銅器時代後期のウガリトにみれれるセム族の神シェドである。
前二千年紀後期に信仰されたことがよく知られている。

408:世界@名無史さん
14/06/01 14:58:26.28 0.net
>>368
ベス神(エジプト)の東部がレシェフ神への献辞が刻まれた石柱の上に乗っている。
ピュラ(キュプロス島)/前7世紀


ラシャプ
URLリンク(ja.wikipedia.org)
ラシャプ(Rassap)は、西セム系民族に伝わる疫病の神。 その名は「火をつける者、照らす者」を意味する。
別名レシェフ(Reseph)。 弓矢や死を司り、稲妻と悪疫をばら撒くため、「矢の王」の異名を持つ。



話はとぶが、これが気になる、、、

カデシュ Qadesh、Qedeshet、Qadesh


409: http://www.moonover.jp/bekkan/god/qadesh.htm 古代名:/ケデシュ/ギリシア名;/別称・別綴り:カデシュ、ケデシュト、カドシュ(シリア語)、ケドシャ(カナン語) http://www.moonover.jp/bekkan/god/Qadesh1.jpg



410:世界@名無史さん
14/06/01 16:18:51.65 0.net
いい加減、引用貼り続けて荒らすのやめろよw
電波にいっても仕方ないけど

411:世界@名無史さん
14/06/01 19:19:05.81 0.net
>>366
岩波から出てる、アッリアノス「アレクサンドロス大王東征記 付インド誌」の注釈で
タプサコスはカルケミシュか?としておきながら、遠征図には>>365のAじゃなくBの
位置なんだよね (他の書籍なんかでもB)
やはり分らないんだろうね

412:世界@名無史さん
14/06/02 00:23:25.75 0.net
>>370
どんな話がしたいのか教えて貰えれば
その方向になるよう努力するのだが

413:世界@名無史さん
14/06/02 21:31:31.81 0.net
>>371
うーん、ちらちらと見てるんだけど
気になりだすと資料ごとのタプサコスが
同じものを指しているかどうかから始めないと駄目かもしんない。

ちなみにタプサコスで俺が思い浮かべるのは
クセノフォンのアナバシスかなぁ

414:世界@名無史さん
14/06/03 00:42:17.86 0.net
W.W.ターンの「ヘレニズム文明」で巻末にある図でもBだった
これ読みにくいんだよね.....

415:世界@名無史さん
14/06/03 01:45:26.90 0.net
>>371
アレキサンダーに関してはカルケミシュ説も十分にありそうな雰囲気なんだけど
ファンの方がいっぱい居るだろうから、深くは突っ込まないつもり

かわりにアケメネス朝のサトラップをちょっと調べてみているところ
ちなみにどんな理由で知りたいの?

416:世界@名無史さん
14/06/03 19:52:30.44 0.net
単に出来るだけ正確なアレクサンドロスの遠征路を知りたいなというだけなんだけど
いろいろ見比べると結構違ってるから、>>371ので昭文社の重たい大判の地図等を
横に置いて追ってるんだけど、注釈に載ってる現代名も対象地域のせいか
見当たらなかったりもあるし

417:世界@名無史さん
14/06/03 22:05:15.05 0.net
>>376
そっか、やっぱアレキサンダー大王の足跡を知りたいってのが理由なんだね。
にしても>>374のは書評を見る限り辛そうだww

418:世界@名無史さん
14/06/05 00:33:24.12 0.net
シリアの内戦長引いてるけど、遺跡はどうなってるんだろうか?
地中海側でもウガリットやアラドス、アムリットとかあるし
それ以外もアパメイアやパルミラ、ドゥラ・エウロポス等々たくさんあるけど
かなりの遺跡が崩壊したって以前タラキアかどこかの博物館の人が
日本を訪れたときに新聞の取材に答えてたから気になる

アフガンの遺跡と同じような末路かね
URLリンク(www003.upp.so-net.ne.jp)
ハッダ遺跡のヘラクレスとテュケもしくはデメテルも破壊されたらしいし

419:世界@名無史さん
14/06/05 22:38:04.81 0.net
>>378
とりあえず保護はされてないだろうなぁ

彼らも金になることはわかってるだろうから
アフガンみたいに派手にぶっ壊したりしないだろうけど
盗掘や窃盗の標的になるんじゃないの?

エジプトも含めてアラブは頭ん中も春だよねぇ

420:世界@名無史さん
14/06/05 23:06:30.18 0.net
>>375>>377
なんで世界史板でアレクサンドロスを「アレキサンダー」と言うんだろうねぇ・・・

421:世界@名無史さん
14/06/05 23:22:48.28 0.net
じゃぁ訊くがメナンドロス1世もミ


422:リンダ王と呼んじゃイカンのか?



423:世界@名無史さん
14/06/05 23:26:47.68 0.net
もしかしたらソクラテスもソークラテースと延ばさなきゃダメか?

424:世界@名無史さん
14/06/05 23:56:49.52 0.net
>>380
検索したときにいろんなのに引っかかるようにだよ
三代目もそうしろと言っていた

425:世界@名無史さん
14/06/06 00:09:54.08 0.net
>>382
個人的には最近の若者がどう読んでるか知りたい

もしかするとギリシャ人やギリシャ神話の神さまは全滅かもしんないねww

426:世界@名無史さん
14/06/06 00:17:09.21 0.net
ギリシアの神々の呼び方はこんなだろ↓
スレリンク(min板:1番)

427:世界@名無史さん
14/06/06 01:04:36.44 0.net
>>378の修正
URLリンク(aom-tokyo.com)
ラタキアじゃなくアレッポ考古学博物館の館長さんだったみたいだ
URLリンク(www.japanforunhcr.org)
これらは危機遺産になってるみたい

428:世界@名無史さん
14/06/06 01:24:56.55 0.net
アリストテレスはアリスターテレなんだよな。

429:世界@名無史さん
14/06/06 02:35:24.83 0.net
アケメネスもダレイオスもクセルクセスも使っちゃいけないんだろうな

430:世界@名無史さん
14/06/06 07:49:33.26 0.net
>>387テレww

この辺りになると、もはや通じないかもしんない
もう最近の若者とは話ができないかも、、、

431:世界@名無史さん
14/06/06 15:30:37.44 0.net
アリスタータルか。

432:世界@名無史さん
14/06/07 01:17:13.00 0.net
URLリンク(www2u.biglobe.ne.jp)
このHP、下部にある古代アジア GOOGLE MAPと
古代ギリシア GOOGLE MAPは便利 (他は見てないから分らん)
左上の見たい地名を選択するシステムらしい

433:世界@名無史さん
14/06/07 14:49:15.28 0.net
>>391
おう、やっぱこういうの作れるのか
ありがとー

王名表もあるし、ありがたやありがたや

434:世界@名無史さん
14/07/18 01:10:53.46 0.net
ここの人達さ、分からないとき文献では何で調べてるの?
岩波の古代オリエント辞典って巻末に地図等も詳しくて気に入ってるけど
URLリンク(www.iwanami.co.jp)
値段が値段なんで図書館でしか読めない

435:世界@名無史さん
14/09/17 00:13:36.07 0.net
以下抜粋、ふーむ


欧州最古の文字が刻まれた粘土板を発見
URLリンク(www.nationalgeographic.co.jp)
April 1, 2011

 最新の研究によると、ギリシャで発見された粘土板の破片に刻まれた記号が、ヨーロッパ最古の判読可能な文字であることが判明したという。
 ギリシャ南西部にあるイクライナ(Iklaina)という村のオリーブ畑で発掘された粘土板は、紀元前1450~1350年ごろに古代ギリシャのミケーネ人書記官によって作られた。

 イクライナにもミケーネ文明初期には宮殿があったが、今回の粘土板が作成された時代にはピュロスという都市の近郊にある一集落という程度にさびれていた。
ピュロスは『イリアス』の主要登場人物の1人、ネストル王が統治した地である。

 粘土板の破片は縦2.5センチ、横4センチほどの大きさで、記された記号は初期の「線文字B」であった。
線文字Bは古代ギリシャで使われた文字で、約87種の記号で構成され、文字がそれぞれの音を表す音節文字となっている。

 ミケーネ人が線文字Bを使うケースは、支配階層が関心を持つ経済的な事柄の記録のみと考えられている。
今回の粘土板も、表側には“製造”を意味すると思われる動詞が刻まれ、裏側には名前�


436:ニ数字の一覧が記されており、おそらく資産表と推定されている。



437:世界@名無史さん
14/09/20 23:09:59.24 0.net
何にせよ
『西洋古典学事典』を読むことだ。
でなくては、話がはじまらぬ。

分かったナ!!!!!!!!

438:世界@名無史さん
14/09/21 12:56:12.87 0.net
その本持ってるけどいうほど役に立たない

439:世界@名無史さん
14/09/24 00:16:35.41 0.net
>>100>>130


遅ればせながら「甦るトロイア戦争」読んでるんだけど
マッドゥワッタ文書は検索にすらひっかからないレベルだねぇ

まぁ、アヒヤワもアカイアの一部でしか説明されてないしなぁ、、、

URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)

440:世界@名無史さん
14/09/26 23:33:26.02 0.net
>>100>>397

アヒヤワに関するヒッタイトのテクストで重要なのは
次の4つ

(1)紀元前15世紀後半のヒッタイト王トゥドハリヤシュ2世の年代記
(2)「タワガラワ書簡」
(3)「マッドゥワッタ文書」
(4)「サウスガムワ条約」


ここには一部載ってる。
URLリンク(crazyhis.web.fc2.com)
URLリンク(crazyhis.web.fc2.com)

ちなみにミラワタの位置に関しては諸説あるもよう。(マルマラ海の南岸)


ここも 有史以来(ヒッタイト、アルザワ、アヒヤワ)とある。
URLリンク(www5.pf-x.net)

URLリンク(www5.pf-x.net)

441:世界@名無史さん
14/10/01 07:57:39.82 0.net
>>100

ヒッタイト情報はほんと少ないなぁ
文書記録も豊富なのになんでこんなにマイナーなんだろうか

442:世界@名無史さん
14/10/04 21:30:06.31 0.net
400

443:400
14/10/04 22:06:23.29 0.net
やったぞwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

444:世界@名無史さん
14/10/05 12:14:25.21 0.net
何にせよ京都大学学術出版会『西洋古典学事典』を買って
きちんと読みこなすことだ。
通常の知能があれば、誰にでも出来ることだ。
よいな。

445:世界@名無史さん
14/10/05 15:24:43.20 0.net
>>399
古代エジプトのピラミッドのような遺跡がなく、クレオパトラのようなエピソードがなく、
アッシリアや新バビロニアのように聖書でメジャーじゃないからではないでしょうか

446:世界@名無史さん
14/10/05 17:31:26.52 0.net
ハットゥシャ遺跡があるし日本では「天は赤い河のほとり」というマンガまで描かれてるのに。

447:世界@名無史さん
14/10/05 20:37:08.99 0.net
>>402

どっちかというと、同じトコ出版の『地中海世界史』が読みたい

448:世界@名無史さん
14/10/07 23:42:36.27 0.net
>>403
エジプトには負けるにしても
話題にはことかかない気がするんだけどね


>>404
そのマンガが元で旅行したりしてる人がかなりいるみたいだね。


そういえば、おれは中学校のときヒッタイトを知って、好きになったのを思い出したよ。
「製鉄の秘密」 と 「戦車」
これほど中二心をくすぐるものもあるまいてww

449:世界@名無史さん
14/10/09 22:56:50.52 0.net
>>109>>130

なんかエピソードが足りない気がする、、、


URLリンク(en.wikipedia.org)

エクロン(英語Ekron)は旧約聖書に登場するペリシテ人の5つの町の内のひとつである。
「深く根ざした」という意味であると言われる。多くの学者はアキロンをエクロンである主張している。

カナン入国の際にはヨシュアによってはまだ征服されていなかったが、最初ユダ族に割り当てわれた。
その後ダン族に割り当てられ、ユダ族によって征服された。

エクロンの住民は、祭司エリの時代にペリシテ人に奪われた神の箱が災害をもたらしたのを見て、
自分の町置くことに反対して、イスラエル人に送り返すように提案した。
後に、エクロンの町はガテと共にサムエルによってイスラエルに取り返された。
ダビデがゴリアテに勝利した時には、ペリシテ軍がエクロンの門にまで退却した。

450:世界@名無史さん
14/10/10 20:24:12.20 0.net
値段を20分の1にしたなら購入を考えても良いですよ。
>>396さんと>>405さんがああおっしゃるほどの書籍なんだから。


>>395>>402=ナッ爺さん。

451:世界@名無史さん
14/10/10 22:02:23.10 0.net
>>404
さて、何度もハットゥシャを攻め落としたカスカ族とは何者なんだろうか?

いくら赤い河に囲われてないほうから来るとしたとしてもやられ過ぎな気がする。

URLリンク(en.wikipedia.org)

452:世界@名無史さん
14/10/10 22:52:46.99 0.net
先ヒッタイトのクッシャラ帝国と、古アッシリアのシャムシ・アダド1世帝国の崩壊に関連性がありそうだけど
ありそう止まりで終わりそう

453:世界@名無史さん
14/10/10 23:12:30.59 0.net
アルゴー船つながりで、セーフということにはならないだろうか?


コルキス
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ギリシア神話の中では、アイエーテースやメーデイアの母国にして、アルゴナウタイの目的地で、また、アマゾーン族のいた土地もここだろうと言われている。
この古代の地域の場所については、現在のグルジア西部とされ、
具体的には、サメグレロ(en:Samegrelo)、イメレティ(en:Imereti)、グリア(en:Guria)、 アジャリア、スヴァネティ、ラチャ(en:Racha)、アブハジア各地方、
およびトルコのリゼ県とトラブゾン・アルトヴィン県の一部と言われている[6]。
コルキス人については、青銅器時代中期には既にカフカースに定住していたものと思われる[7]。

最初期[編集]
この地域は、十分な発達を遂げた青銅器文明の中心地であった。
その文明はコルキス文明(en:Colchian culture)として知られ、青銅器時代中期にかけて出現した隣接するコバン文明(en:Koban culture)と関係があった。
少なくともコルキスの一部では、都市化のプロセスは、古代ギリシアの植民以前、紀元前2000年の終わり頃までには、十分に進んでいたように見られる。
青銅器時代後期(紀元前15世紀?紀元前8世紀)のコルキス人は、ヨーロッパでその技術が習得されるずっと以前に、金属の製錬と鋳造を始め、その専門技術の発達ぶりが確認できる。
洗練された農具も作られた。過ごしやすい風土に恵まれた、肥沃でよく灌漑された低地が、進歩的な農耕技術の成長を促進したのである。

454:世界@名無史さん
14/10/10 23:32:31.83 0.net
>>410

ここにあるこれが凄く見たい

URLリンク(crazyhis.web.fc2.com)


紺谷亮一著 ヒッタイト帝国成立の背景 筑波大学歴史人類27 1999年
 アナトリアの鉱物資源の銅と、アナトリアでは僅かにしか取れないが、当時の主流となっていた青銅を作る上で欠かせない錫の流通ルートからヒッタイトの成立状況を検討していて、
初期のヒッタイトはこの銅の産出点と錫の交易点を押さえることを主眼として支配地域を固めたようだ。
ヒッタイト初期の歴史を記録したと言われるアニッタ文書の全訳とアナトリアの銅の鉱�


455:ャ図や錫の交易図などもつけられている。



456:世界@名無史さん
14/10/11 11:36:28.51 0.net
>>412
ちょっと古くないか?
21世紀になって遺伝人類学が長足の進歩を遂げているから。

457:世界@名無史さん
14/10/13 11:45:39.05 0.net
>>413

微量元素分析とか同位体比を調べるのは、その頃にはかなりできるようになってるので
ほとんど問題ないんじゃないかという気がする。


どっちにしろヒッタイトがどうしてアナトリア南東部のカルケミシュやウガリトの支配を
地理戦略的に選択していったかという話だろうからね。

458:世界@名無史さん
14/10/13 11:53:35.83 0.net
>>414


しなみに>>100のエーベルハルト・ツァンガーの「甦るトロイア戦争」では
アヒヤワ(アシヤ)がAsiaの発祥となったとしていて、
トロイアはボヘミアの錫と強く結びついているとしているが根拠はしらない。

459:世界@名無史さん
14/10/13 13:04:14.81 0.net
へー、Asiaの語源にはそういう説もあるんだ
セム語派のAsu(Sun rise,アジア)とEreb(Sun set,ヨーロッパ)でほぼ確定してるものと思ってた

460:世界@名無史さん
14/10/13 15:53:55.02 0.net
URLリンク(harutaseiro.blog89.fc2.com)

このサイトでは、
>なお、「アシア」については、ヒッタイトのトゥドハリヤ4世の碑文に出てくる「アスワ Assuwa」の方が相対的には可能性が高そう、と考えられています:
A number of scholars believe that Assuwa is the origin of Graeco-Roman name Asia, drawing attention to the fact that the Roman province of Asia was originally centred in this region.
Trevor Bryce, The Kingdom of the HIttites, Oxford University Press, 1998, p.136.

って書いてある

461:世界@名無史さん
14/10/14 23:15:08.76 0.net
>>417

アヒヤワ(ヒッタイト名)、アシヤ(エジプト名)、
あと>>397のアスワ同盟が、全て同じ対象を指しているかどうかはともかくとして

「海の民」襲来以降の混乱の中、ヒッタイトとその言葉が
近代になるまで長いこと忘れ去られていたことを考えると
おそらくはエジプト名なんだろうなという気はする。

でも、別にアスワの可能性がなくなったりする訳じゃないよ。

462:世界@名無史さん
14/10/14 23:31:59.01 0.net
>>418

ちなみにアシヤについてはトゥトモシス三世(トトメス3世)のための
年代記や記念碑(ステレ)に書かれた詩的な文章の中で以下のように言及されており

アシヤ地方は、銅、鉛、銀、馬匹?、シグ材、青金石(ラピスラズリ)、
そして象の牙(ママ!)の供給地として知られていたとのこと。

ちなみに、この国との接触はキプロス経由で行われていたらしい(けど根拠は追えてない)。

463:世界@名無史さん
14/10/16 03:49:05.02 0.net
>>398
意外とない



(4)「サウスガムワ条約」

ヒッタイト王トゥドハリヤシュ4世とアモリのサウスガムワ王との間に交わされた条約。
URLリンク(en.wikipedia.org)


この条約にはヒッタイトの王と同等であった王達が、しかも次のように挙げられている。
「そしてわれと同等の位階にある王達は、エジプトの王、バビロニアの王、アッシリアの王、アヒヤワの王(取消線)・・・・」

察するところ、この文章はたくさんの訂正箇所を含んだヒッタイト語の草稿だったのではないかと思われる。
この草稿は最終的な形ではアッカド語で書かれるるはずの条約のためのものであったのだろう。


URLリンク(ja.wikipedia.org)(アムル人)

アムル王国[編集]
紀元前15世紀末、レバノン北部に位置する歴史的シリア内部の山岳地域においてアブディ・アシルタを王とするアムル王国が建国された。
遊牧民を主体とするアムル王国は海岸に位置する近隣諸都市からの逃亡者を受け入れることで軍を強化し、内陸部に位置する諸都市へと拡張した。
アブディ・アシルタ死後の混乱期を越えて王国を取りまとめたアジル(英語版)の時代になると、
アムル王国は当時超大国であったエジプトとヒッタイトに挟まれた緩衝国家として両国からの重圧を強く受けるようになり、最終的にヒッタイトの従属国となった。
その後、紀元前13世紀末までヒッタイトへの従属が続きながらも独立した王国として存続していたが、
前1200年のカタストロフによるによる社会の混乱によってアムル人の独立国家は消滅した[11]。

URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(www.historyfiles.co.uk)

464:世界@名無史さん
14/10/16 03:54:12.23 0.net
>>420

Shaushkamuwaで検索するとFacebookが大量に引っかかるよww



c.1230 - 1210 BC Shaushga-muwa / Shaushkamuwa

c.1230 BC
Shaushga-muwa confirms Amurru's alliance with his brother-in-law and uncle, the Hittite king, Tudhaliya V (IV).
Amurru has to follow the Hittite lead in all international matters, provide troops, and prevent seaborne trade between Assyria and Ahhiyawa.
The last point comes from records in Ugarit and relates to the divorce of its ruler, Ammistamru II, from Shaushga-muwa's sister.


c.1200 BC
The state is sacked and destroyed by the Sea Peoples during the collapse of the Hittite empire.
Within a century the former subject city of Damas begins to flourish.

465:世界@名無史さん
14/10/16 04:01:24.66 0.net
>>421

英語も読めないのにドイツ語はきつい


URLリンク(fr.wikipedia.org)(royaume)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)


ちなみにこの辺り英語ではアマルナ文書の一部として紹介されているだけみたいだった。
アムル人の都市として有名なとこ入ってなかったりと色々と調べてみたくなる。

466:世界@名無史さん
14/10/18 01:54:00.94 0.net
>>155
ふむふむ

そんで>>100のエーベルハルト・ツァンガーの「甦るトロイア戦争」では


「サウスガムワ条約」>>420の追補部分では、
シリアのサウスガムワに対して、アヒヤワの商船をかれの港に入港させないようにとの命令を下している。
これはとりわけアッシリアに向けられた敵対行為であるようだ。


イスワの銅山を失った後、紀元前1236年に王位に付いた次のヒッタイト大王トゥドハリヤシュ4世は
次の2つの主要課題を解決しなかればならなかったとしている。
第1に、銅を入手できる他の銅鉱床を探すこと、
第2に、アッシリアの攻略行為への報復である。
まず彼は原料供給の問題を解決するため、キプロス島(アラシア)の銅山に触手を伸ばした。

同時代のテクストいわゆるアラシア文書のなかでトゥドハリヤシュ4世は、
キプロス(アラシア)を軍事的手段によって征服し、貢納義務を負った属国に変えた様子を誇らかに述べている。

467:世界@名無史さん
14/10/18 23:59


468::34.48 0.net



469:世界@名無史さん
14/10/19 19:04:18.30 0.net
>>424

URLリンク(www.hercules-movie.jp)

ふつうに「12の功業」みたいだ。

まぁ、あきらかにヒドラ映ってたからなぁ

470:世界@名無史さん
14/10/20 00:29:03.04 0.net
ヘラクレスって、古代の地中海のみならず影響を与えた存在だよね
>>132前後でも出てるメルカルトのみならず、ヘレニズム期にはメソポタミアではネルガル、
ペルシャではゾロアスター教のウルスラグナとそれぞれ同一視されてるし、大乗仏教では
執金剛神として日本にまで到達してるからさ

471:世界@名無史さん
14/10/21 03:33:09.27 0.net
>>426
ネルガルはなんとなく聞いたことがあった気がするけど
ウルスラグナは名前すら知らんかった
説明はヴィシュヌだね

どっちもなんでヘラクレスと習合されたのかイマイチわからない

472:世界@名無史さん
14/10/21 04:27:10.12 0.net
ギリシャ人が勝手にヘラクレスっぽい神を
ヘラクレスと同一視しただけだろ。

473:世界@名無史さん
14/10/21 21:54:10.83 0.net
>>428
そうでもない

少なくても>>426で出てる執金剛神なんかは
ギリシャ人が勝手に名前付け替えた訳でもないし

というか、ギリシャの神の多くがオリエントの神々のパクリだよね

474:世界@名無史さん
14/10/22 00:15:14.25 0.net
>>427
12の功業を成し遂げた(勝利した)ヘラクレスは、勝利を神格化したウルスラグナと
同一視されるのは分かるけど、ネルガルは何故か不明

アフガンのハッダ遺跡で見つかった執金剛神像はヘラクレスそのものだった
URLリンク(pds.exblog.jp)

475:世界@名無史さん
14/10/22 18:22:36.67 0.net
>>430

なんか記憶に引っ掛かってたんだが
ネルガル探してて思い出したww

476:世界@名無史さん
14/10/22 23:15:39.87 0.net
>>426

前出の辞典によると
ネルガルとヘラクレスが同一視されたのは
アケメネス朝ペルシア時代みたいだね

477:世界@名無史さん
14/10/23 00:30:40.46 0.net
URLリンク(www.yamakawa.co.jp)
URLリンク(www.iwanami.co.jp)
この2冊では、ネルガルとヘラクレスの同一視はパルティア時代と
記載あったと思うけど、もう一度図書館で確認してみる

まあどちらとも理由が載ってなかったけど

478:世界@名無史さん
14/10/23 01:02:40.05 0.net
>>433

俺も図書館で見たんだが
下の日本オリエント学会編の辞典を見たはずなんだが
色は青だったような気がするな


あとネルガルは男女入れ替わってるけどペルセポネだな。
そういえば、例のモザイク画の話はでないね。



まぁ、ぐぐる先生は偉大なのでここに載ってるし
同一視される理由っぽいエピソードも続きにある

URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
そんな黄泉の国を支配するネルガル神がどうしてヘラクレスなのか?


アケメネス朝ペルシア時代にネルガル神はアナトリア南部のキリキア地方で崇められていたということが分かっている。
タルススから発見された紀元前420年頃の硬貨には、アラム語で「nrgl trz」、つまり「タルススのネルガル」と書かれており、棍棒、弓、そして背中にライオンを背負っている姿で描かれている。
タルススはもともと紀元前16世紀頃からヒッタイトの支配下となる紀元前14世紀頃まで王国として存在していたと思われるキツワトナ王国の主要都市だ。


これらは道具や姿は、ヘラクレスの姿を表現する時に使われるものだ。
後の時代のコインにはペルシアの衣装を着て、ダブル・アクスを持った姿でネルガルが描かれているが、
棍棒、斧、ライオンなど、これもヘラクレスのシンボルと一致している。

ヘレニズム時代関連する考古学遺物にはヘラクレスとネルガルを


479:関連付けるものが、ハトラ(Hatra)やパルミラ(Palmyra)などの地から数多く出土している。



480:世界@名無史さん
14/10/23 18:19:54.41 0.net
図書館で>>433の2冊を確認してきたけど、上しか確認できなかった
下の古代オリエント事典は勘違いかも

>>434
古代オリエント事典って、もう一冊あるみたいだよ
URLリンク(www.toyoshorin.co.jp)

481:世界@名無史さん
14/10/24 23:38:07.32 0.net
>>435
それかもww


URLリンク(www.tufs.ac.jp)

5. 神々のレリーフ‐岩の神殿ヤズルカヤ‐
5-1. 遺跡の構造と描かれた神々
5-2. ヤズルカヤの機能
5-3. ヤズルカヤにおけるフリの影響
5-4. ヤズルカヤと王の役割


5-1. 遺跡の構造と描かれた神々

ヤズルカヤとはトルコ語で「描かれた岩」を意味する。その名の通り、この遺跡の岩場にはヒッタイトで信仰されてい
た多数の神々のレリーフが刻まれており、「岩の神殿」と形容される。レリーフ群は主に新王国時代後期のハットゥシリ
3 世からトゥトハリヤ 4 世にかけて造られたと考えられている。都ハットゥシャから北東に約 2km と近いが、古代名はい
まだわかっていない。

遺跡の構造は大きく分けて A 室=回廊 A と B 室=回廊 B、祭壇址と門
址の 4 つである(図 1)。A、B 室ともに自然の岩壁を利用したもので天井
はない。A 室には岩壁前面に行進する神々の像が描かれている。西側の壁
には主として男神が、東側の壁には主として女神のレリーフが刻まれ、そ
れぞれの最高神が行列の先頭に立ち、北の壁でお互いに向き合う。また、
東側にはこの遺跡最大のヒッタイト皇帝トゥトハリヤ 4 世のレリーフ像
がある。いっぽう B 室には、東壁にシャルマ神に抱かれるトゥトハリヤ 4
世(図 2)西壁には 12 神の行列、冥界の神ネルガルのレリーフが存在する。
これらは各々に独立したものであり、相互に関連性は見られない。

482:世界@名無史さん
14/10/25 00:01:27.04 0.net
URLリンク(web.kyoto-inet.or.jp)

(抜粋)
リュディアでは、ヘーラクレースは女王オムパレーの宇宙の車輪に縛りつけられた。女王は、女神の具現者であり、宇宙の中心(オムパロス)の表象だった。
ヘーラクレースは、オムパレーの夫になった一連の聖王のうちの1人 だった。
彼の直前の聖王は、オークの冠を戴いたトモロスだったが、トモロスは、この女大祭司と交わったのち、杭に串刺しにされて死んだ。
ヘーラクレース以前に車輪に縛りつけられた聖王としては、ラピテース族のイクシーオーンがいたが、彼は太陽の巡行を意味する火焔の車輪で命を失った。
たぶん、この種の供犠の風習が、車輪に縛りつけられて1 年間ぐるぐる回された(すなわち、車輪を飾っていた十二宮を1年かけて1巡した)というヘーラクレース神話の下敷きになっていたものと思われる[9]。
古代ギリシアの神話記者たちは、このヘーラクレース神話に新たな解釈を加え、ヘーラクレースは、オムパレーに仕える女たちの間で奴隷として1年間を過ごしたが、
その間、彼は女の衣装を着て、紡ぎ車で亜麻を紡いでいたと改められた。

この物語は、母権制の聖王が父権制の王へと展開していく過程にあって、王は女装をしているときにのみ女王の代行者たりえたという初期の段階を説明するために考え出されたものだった[10]。
ヘーラクレースに仕える祭司たちは、かなり後世になっても、女の衣装を身にまとっていた


483:。  別の神話によると、ヘーラクレースの前任者は半人半馬のネッソスで、彼は、巫女デーイアネイラの所有をめぐって、ヘーラクレースと戦った。 ヘーラクレースが勝って、デーイアネイラと結婚した。ネッソスは死んだが、死に際して 征服者ヘーラクレースに自分の血で赤く染まった儀式用の衣装を贈った。 のちに、巫女-妻デーイアネイラがヘーラクレースにその衣装の着用を命じたとき、彼はそれを身に着けたが、そのためにヘーラクレースは、まるで「炎に包まれた」かのように、身を焼かれてしまった。 ヘーラクレースを火葬にするための積み薪に火をつけたのは、次の王ピロクテーテースで、彼がヘーラクレースの持っていた王位のエンブレムを継承した[11]。



484:世界@名無史さん
14/10/25 00:43:10.88 0.net
>>436
ヤズルカヤなら↓のHPが結構いいと思う
URLリンク(www.ozawa-katsuhiko.com)
URLリンク(blogs.c.yimg.jp)
ネルガルは【31 小回廊、剣の神】がそうらしい

ところでアリンナってアラジャホユックが該当するの?

485:世界@名無史さん
14/10/25 08:20:28.84 0.net
>>438
おっと、どもども

ヒッタイトの時代には既に
ライオンと棍棒のセットになっていたかと思ってたんだけど
なるほど

486:世界@名無史さん
14/10/25 08:24:04.81 0.net
URLリンク(wol.jw.org)

バビロニアの神々

時たつうちに,最初のバビロニア帝国の神々は増え始めました。その万神殿には三つ組の神々が幾組か含まれるようになりました。
そのような三つ組の神々の一例は,アヌ(天空の神),エンリル(大地と空気とあらしの神),およびエア(水をつかさどる神)で構成されていました。

もう一組の三つ組の神々は月神シン,太陽神シャマシュ,およびタンムズの愛人もしくは配偶者である豊饒の女神イシュタルでした。(第2巻,529ページの写真)
バビロニア人は,ラバルトゥ,ラバス,およびアッカズのような三つ組の悪魔をさえ奉じていました。天体の崇拝も顕著になり(イザ 47:13),様々な惑星が特定の神々と結び付けられるようになりました。

木星はバビロンの主神マルドゥクと同一視され,
金星は愛と多産の女神イシュタルと,
土星は戦争と狩猟の神で,
農耕の守護者でもあるニヌルタと,
水星は知恵と農耕の神ネボと,また
火星は戦争と疫病の神で,冥界の主であるネルガルとそれぞれ同一視されました。

古代バビロニアの諸都市は,幾分“守護聖人”に似た,それぞれ独自の特別の守護神を持つようになりました。

守護神はウルではシン,
エリドゥではエア,ニップールではエンリル,
クタではネルガル,
ボルシッパではネボ,そして
バビロンの都ではマルドゥク(メロダク)でした。

ハンムラビがバビロンをバビロニアの首都にした当時,その都市の人気のある神マルドゥクの重要性が高まったことは言うまでもありません。
ついに,マルドゥクにはそれ以前の神々の属性が付与され,マルドゥクはバビロニア神話の中でそれらの神々に取って代わりました。
後代になって,その「マルドゥク」という固有名は,「ベル」(「所有者」)という称号に取って代わられたため,結局,マルドゥクは一般にベルと呼ばれるようになりました。
その妻はベリト(特に,「女主人」)と呼ばれました。―「ネボ」4項; 「ベル」を参照。

487:世界@名無史さん
14/10/25 08:36:11.87 0.net
>>438
アリンナはまんまここに出てる本で読んだ記憶�


488:オかない http://ww5.enjoy.ne.jp/~s-mattsun/kouza/kouzabk04.htm ネルガル(Nergal) http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200003228 バビロニアの神。クタという都市で特に崇拝されていました。 歴史によれば,この都市はネルガルにささげられたとされています。 クト(クタ)の民は,アッシリアの王によりサマリアの領土に移住させられた後も,引き続きこの神を崇拝しました。(王二 17:24,30,33) 一部の学者の説によれば,ネルガルは元々,火や太陽の熱と結び付けられていましたが,後に戦争と狩猟の神,さらには疫病をもたらす神とみなされるようになりました。 宗教的なテキストの中でネルガルに付けられている呼称は,ネルガルが基本的には破壊者とみなされていたことを示唆しています。 ネルガルは「激怒する王」,「乱暴な者」,また「焼く者」などと呼ばれています。さらには,冥界の神,またエレシュ・キガルの配偶者ともみなされるようになりました。 人頭有翼のライオンはネルガルの象徴であったと考えられています。 ネブカドネザル王の君の一人である,ラブマグなるネルガル・シャレゼルの名は,この神にちなんで付けられたようです。―エレ 39:3,13。



489:世界@名無史さん
14/10/25 08:51:46.38 0.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)
3 ヘーラクレースの12の功業

3.1 ネメアーの獅子 (しし座)
3.2 レルネーのヒュドラー (海へび座、蟹座)
3.3 ケリュネイアの鹿 (アルテミス)
3.4 エリュマントスの猪 (プロメテウス)
3.5 アウゲイアースの家畜小屋 (エーリス王アウゲイアース)
3.6 ステュムパーリデスの鳥 (ヘパイストス)
3.7 クレーテーの牡牛 (ミノス王、ポセイドン)
3.8 ディオメーデースの人喰い馬 (トラーキア王ディオメーデースはアレースの子)
3.9 アマゾーンの女王の腰帯 (アマゾーン女王ヒッポリュテー)
3.10 ゲーリュオーンの牛 (ヘリオス、ゲーリュオーンはメドゥーサがペルセウスに殺されたときに血潮とともに飛び出したクリューサーオールの息子)
3.11 ヘスペリデスの黄金の林檎 (水神ネーレウス、りゅう座、プロメテウス、アトラス)
3.12 地獄の番犬ケルベロス (ハデス、ペルセポネ、テセウス、ペイリトオス)

490:世界@名無史さん
14/10/26 00:46:58.08 0.net
>>442

アウゲイアース

アウゲイアース (古希: Α?γε?α?, Augei?s, ラテン語: Augeas) は、ギリシア神話の人物である。
エーリス王。ヘーラクレースの「十二の功業」のうち5番目の課題である「アウゲイアースの家畜小屋掃除」に登場することで知られる。
長母音を省略してアウゲイアスとも表記する。イアーソーン率いるアルゴナウタイの1人にも数えられる。

ヘーリオスとナイシダメーの息子。異説では、父親はポセイドーン、ポルバース、エーレイオスともいう。母親についてもアムピダマースの娘ナウピダメーあるいはイーピポエーともいわれる。
兄弟にアクトール。息子にピューレウス、アガステネース、娘にエピカステー、アガメーデーがある。カール・ケレーニイによれば、アウゲイアースとは、「輝ける男」の意である。


ヘーラクレースのエーリス遠征[編集]

このことを恨んだヘーラクレースは、イリオス攻略ののち、アルカディア人の軍勢を集めてエーリスを攻撃した。
アウゲイアースはこれに対して兄弟のアクトールとモリオーネーの息子で、腰から下はひとつの身体という双子の兄弟エウリュトスとクテアトス(モリオネ)を将に任じた。
兄弟はポセイドーンの子ともいう。ヘーラクレースは遠征中に病を得て休戦したが、休戦の


491:理由を知ったエウリュトスとクテアトスがこれを襲い、ヘーラクレースは退却を余儀なくされた。 その際多くの兵が倒され、ヘーラクレースの異父兄弟イーピクレースもこのときの傷がもとで死んだという。 しばらくしてイストミア大祭が開かれ、これにエウリュトスとクテアトスが参加することを知ったヘーラクレースは、二人を待ち伏せして殺し、エーリスを陥落させた。 アウゲイアースは息子たちとともに殺された。一説には、命だけは助けられたともいう。ヘーラクレースは追放されていたピューレウスを呼び寄せてエーリスの王とした。 さらに、ヘーラクレースはこの地にオリュンピア競技を創設し、オリュンポス十二神の祭壇とペロプスの祭壇を築いたという。



492:世界@名無史さん
14/10/26 02:14:31.68 0.net
>>442>>434
棍棒と獅子はわかりやすいとして
他は弓と斧か


弓ならスキタイ

黒海地方在住のギリシア人による伝説
ヘラクレスはゲリュオネウス[1]の牛を追いながら、当時は無人であったスキュティアの地にやって来た。
ところが、折からの冬季で酷寒に見舞わされ、ヘラクレスはライオンの皮を引被って眠ってしまった。
するとその間に草を食べていた馬がいなくなってしまったため、ヘラクレスは目を覚ますなり馬を探しまわった末、ヒュライアという土地にやってきた。
ヘラクレスはこの地の洞窟で上半身は娘の姿で、下半身が蛇の姿である怪物と遭遇し、初めは驚いたものの、その蛇女に「迷った馬を見なかったか」とたずねてみた。
すると蛇女は「馬は私の許にあるが、そなたが私と交わってくれぬかぎり馬を返さん」と言うので、ヘラクレスは渋々了承し、しばらく同棲したあと馬を返してもらった。
しかし蛇女の腹には3人の子供が身ごもられており、蛇女はヘラクレスにこの子供をどうするか訊ねた。

するとヘラクレスは弓と帯を使って自分の示した仕草をした者をこの地に住まわせ、できなかった者を追放せよと蛇女に伝え、弓と金の盃のついた帯を渡して去っていった。
やがて3人の子供が成人になると、蛇女はヘラクレスに言われた通り、例の儀式を行った。
長男のアガテュルソス、次男のゲロノスはヘラクレスが示した仕草をできずに国を放逐されたが、三男のスキュテスは見事ヘラクレスが示した仕草ができたので、国に留まり、王になることができた。
以後、スキュテスの子孫が代々王となり、スキティア人は帯に盃をつけるようになった。

493:世界@名無史さん
14/10/26 02:20:31.68 0.net
>>444

もうひとつは工芸神コシャル・ハシスの弓か
大元の話はすぐには見つからなかった



アナトより

アナト (‘nt [‘anatu]) は、ウガリット神話の愛と戦いの女神。
古くは最高神イルの娘にて妻と位置付けられたが、後に嵐と慈雨の神バアルが人気を得て信仰の中心となるとバアルの妹とも妻とも言われるようになる。

ある時アナトはハルナイムの王ダニルウ(英語版)が工芸神コシャル・ハシス(英語版)に頼んで、息子アクハト(英語版)の為に特別に作らせた弓を手に入れようと考えた。
彼女はアクハトに金や銀、不死の命とその弓を交換しようと持ちかけるが、アクハトは頑としてこれを拒んだ。これに怒るアナトはイルの下へ行き、アクハトに復讐する事を告げた。
イルはこれを咎めるが彼女は聞かず、自身に仕える戦士・ヤトパンを鷲に変えて他の鷲達と共に送り込み、アクハトを殺させた。すると、アクハトの死と共に地上に乾季が訪れた。
その後の詳細は不明だが、アナトはこれを後悔してアクハトを蘇生させたと思われる。

キプロスでは同じ戦いの女神であり、名前�


494:フよく似たアテナ (古代ギリシア語: ?ν?θ、?θην?) と同一視され、カルタゴのタニトの起源と考えられている。



495:世界@名無史さん
14/10/26 02:26:27.66 0.net
ちなみに棍棒もコシャル・ハシスであったな。

>>289
定かでない記憶では投げても手元に戻ってくるはず

496:世界@名無史さん
14/10/26 08:06:29.55 0.net
蛇女ってのがそそる

497:世界@名無史さん
14/10/26 15:05:54.96 0.net
>>440>>441
サマリアより


歴史[編集]

この地には北イスラエル王国が成立したが、紀元前722年、アッシリアにより滅ぼされると、住民はアッシリア領の各地に強制移住させられ(アッシリア捕囚)、
サマリアへはバビロン、クテ、アワ、ハマテ、セファルワイムから[1]、アッシリア人やアラム人が移住してきた。
その後、人食いライオンが現れた(聖書によると、神に遣わされた)ために、捕囚されていたイスラエルの祭司の1人が連れ戻され、ベテルに住まい祭事を行うようになった[2]。
これにより、サマリアの宗教は、移民元の各地の宗教の神とイスラエルの神を共に祭る、独特のものになった。
このように、サマリアの宗教はユダヤ地域と異なる宗教形態を持ったため、ユダヤ人から忌避された。
ユダヤ人のバビロン捕囚からの帰還後、ユダヤ教団とサマリア教団の分裂は決定的になり、とくにサマリア教徒は「サマリア人」と呼ばれるようになった。[要出典]

詳細は「サマリア人」を参照
サマリア人の聖地はショメロンと同じサマリア地方の、ナブルス市のゲリジム山にある。
サマリア教団に伝承されるモーセ五書の形態はマソラ本文と異なり、これを特に「サマリア五書」と呼ぶ。
旧約聖書成立の過程をユダヤ教団と共有しなかったため、トーラーのみを聖典とする。[要出典]

498:世界@名無史さん
14/10/26 15:12:29.32 0.net
>>448
ちなみにライオンに襲われる


列王記より
URLリンク(www.bible.com)

24  アッシリヤ王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、セファルワイムの住民を連れて来て、サマリヤの町々に住まわせました。 
 こうして、サマリヤをはじめイスラエルの町々は、アッシリヤ人のものとなったのです。 

25  アッシリヤからの移住者は、初め、神様を礼拝しませんでした。 それで、神様はライオンを送り込み、幾人かを噛み殺させたのです。

26  移住者はアッシリヤ王に使者を立て、こう報告しました。 「私たちイスラエルに植民した者は、この地の神の教えを知りません。
  その神がライオンを送り込んで、私たちを滅ぼそうとしました。 その神を礼拝しなかったからです。」

29  それでも、移住者たちは、同時にめいめいの神をも拝んだのです。 神の像は自分たちが住む町の近くにある、丘の上の礼拝所に安置しました。 

30 バビロンから来た人々はスコテ・ベノテ神、クテから来た人々はネレガル神、ハマテから来た人々はアシマ神というぐあいにです。 

31 アワ人はニブハズ神とタルタク神の像を拝み、セファルワイムから来た人々は、アデラメレク神とアナメレク神の祭壇に、わが子を火で焼いてささげました。

499:世界@名無史さん
14/10/26 15:22:10.57 0.net
>>441

サンタスSantas と 配偶者であるラズ(Laz) はよくわからん。
エレシュキガル とは別モノなんだろうか?


ネルガル
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ネルガル(Nergal)またはニルガルは、バビロニアの神の一柱で、
彼への信仰は、バビロンの北西15マイルのクター(英語版) Cuthah(今日ではテル・イブラヒムTell Ibrahimとして知られる)という都市で主要な地位を占めていた。
旧約聖書「列王記」に、ネルガルはクターの神であるとの言及がある。

ネルガルはある面では太陽神の側面を持ち、しばしばシャマシュと同一視される一方、太陽そのもののことを指しているとも考えられる。
神話や賛歌の中では、戦争と疫病の神として描かれており、正午や夏至の太陽が人類にもたらす災禍を表していると思われる。
メソポタミア人の暦では、夏の盛りは死をもたらす季節だったからだ。

ネルガルはまた、死者(アラルAraluまたはイルカラ(英語版)の名で知られる地下の大洞窟に集められると考えられていた)の国のパンテオンの頂点に立ち、黄泉の国を宰領する神でもある。
その能力から、女神アルラツ(英語版)ないしエレシュキガルと関連づけられる。
アルラツはアラルの民を統治する単独の支配者とされることもあるが、いくつかの資料では、アルラツまたはエレシュキガルが、ネルガルの息子ニナズ(英語版)を生んだとされている。

一般的にはネルガルは、配偶者であるラズ(Laz)と対にされ、標準的なイコンでは彼をライオンとして描く。

500:世界@名無史さん
14/10/26 17:58:01.27 0.net
>>444
スキタイ起源の1つだね
ヘラクレスは蛇女エドキナとの間にアガテュルソス、ゲロノス、スキュテスの
3人の子供をもうけ、末子のスキュテスが王となったというので、この時
ヘラクレスから「弓」を与えられてる場面の浮彫がある装飾容器の写真を
NHKのエルミタージュ美術館の書籍で見た (加藤九祚が解説)

蛇女エキドナなのかな?
URLリンク(blogs.c.yimg.jp)
エルミタージュ美術館にあるスキタイ工芸品らしい

501:世界@名無史さん
14/10/26 20:40:24.46 0.net
>>441>>450
出典はアマルナ出土らしい(アッシュール出土もある)


URLリンク(www.toroia.info)

ネルガルがエレシュキガルの夫となり冥界の王になった理由を物語る神話は2つあり、
それはネルガルが、エレシュキガルが神々の集会に送った特使の前で立ち上がることを拒否したことから始まる。

エレシュキガルはネルガルを呼び出して自分たちへの無礼の説明を求め、神々は天界からネルガルを追放することに同意した。
その後、知恵の神エアは追放されたネルガルに14の悪魔の護衛を与えた。
ネルガルはこの悪魔たちを使って地下世界の7つの門を差し押さえ、そしてエレシュキガルの部屋に入ると彼女の髪をつかんで床の上に投げ出した。
ネルガルはエレシュキガルの喉元にナイフを突きつけたが、エレシュキガルは彼に対して自分の妻になるように求め、冥界の王になるよう懇願した。
ネルガルはそれを受け入れ、冥界の王となった。ちなみにこの物語の資料はエジプトのテル・エル・アマルナ出土の二断片に記されたもの。

 この14の悪魔のうち12の名前が残っているが、多くが病気に関するものである。詳しい描写はないが、おそらく「名は体を表す」のだろう。
 ../ムタブリク、../シャラブダ、../ラービス、../ティリド、../イディブトゥ、../ベンヌ、../シーダーヌ、../ミキト、../ベルー・ウプリ、../ウンム、../リーブ、../フルバシュ。


 別の集団ではあるが、ネルガルに属するものとしてアッシリアの皇太子(おそらくアッシュルバニパル)の夢に出てきたものがある。
まずネルガルは玉座に座っており、双頭の槌鉾を持っていた。
そして彼の周囲を../ナムタル、../ナムタルトゥ、../ムートゥ、../シェードゥ・レムヌ、../ムキール・レーシュ・レムッティ、../フムト・タバル、
../エテンム、../ウトゥック・レムヌ、../シュラク、../マーミートゥ、../ベドゥ、../アルルハップ、../ミンマ・レムヌ、../ムフラ、
さらに名の知られていない2つの神、一人は../アンズーの頭と手足であり、もう一人は人間の姿をしているものが�



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