古代の地中海世界at WHIS
古代の地中海世界 - 暇つぶし2ch170:世界@名無史さん
14/04/15 22:01:12.58 0.net
>>160
ちゃんと調べた訳じゃないので憶測だが
著者は本土フェニキア人と西方ポエニ人を別けて記述してるんで
カルタゴの植民地だったりするんじゃないだろうか?

171:世界@名無史さん
14/04/15 22:03:32.49 0.net
>>155
その説だとヒッタイトは
傭兵の賃金かなんかの労働争議の末に倒れたってことになるのかな?

172:世界@名無史さん
14/04/15 22:15:40.74 0.net
>>161
ガラマンテスは砂漠の海を越えたフェニキア人だったか調べてみてくれないか?

173:世界@名無史さん
14/04/16 22:26:47.29 0.net
>>50
トロイア戦争
ミュケナイ
ミノア文明
エトルリア
海の民
ヒッタイト侵入
フェニキア
バアルとダゴン
ギルガメシュ叙事詩
ゴールデンフリース


アフガンはちょっと離れすぎか
うーん、どれやるか

174:世界@名無史さん
14/04/16 22:51:48.63 0.net
>>109
あら、ドルは別モノか
そうするとチェケル人はペリシテ人と明確に区別されるんだな

175:世界@名無史さん
14/04/17 01:21:10.83 0.net
バアル(聖書ヘブライ語(英語版): ba‘alu、ウガリット語: b‘l)は、カナン地域を中心に各所で崇められた嵐と慈雨の神。その名はセム語で「主」を意味する[1]。
URLリンク(upload.wikimedia.org)


アナト (‘nt [‘anatu]) は、ウガリット神話の愛と戦いの女神。嵐と慈雨の神バアルの妹とも妻とも言われる。
URLリンク(upload.wikimedia.org)
キプロスでは同じ戦いの女神であり、名前のよく似たアテナ (古典ギリシア語: ?ν?θ、?θην?) と同一視され、カルタゴのタニトの起源と考えられている。



右手を上げる例のポーズは宇宙人と関係あるんだろうか

176:世界@名無史さん
14/04/17 18:24:12.29 0.net
以前他で書いたものだけど、タニトの起源はアスタルテと↓にはあった
杉本智俊の図説 聖書考古学 旧約篇
URLリンク(www.kawade.co.jp)
のフェニキアについての項目で、サレプタ(シドンとティルスの間)での発掘で
アスタルテの称号の1つであったことが明らかになったみたいな記述があったと思う

ちなみにフェニキア人の崇拝したアスタルテ女神は、ギリシア人のあいだでは
アフロディテ女神と呼ばれキプロス南岸(パフォス近隣か?)の海の泡から誕生したと信じられた
URLリンク(www.kawade.co.jp) のフェニキアの項目で

177:世界@名無史さん
14/04/17 20:49:22.21 0.net
>>170
別に否定するつもりはないので気を悪くしないで聞いて欲しいんだが
アフロディーテの起源も複数あって、まだ�


178:ヌれが絶対ってのはないはず。 タニトに関しては、おそらくアスタルテっていうのは間違いないんだろうけど 習合や起源に関しては、それとはまた別問題なのだ。 ところで発掘でわかったのってなんだろうな。 タニトの印と碑文(アルファベット)が同時に見つかったとかかな?



179:世界@名無史さん
14/04/17 21:00:57.06 0.net
>>151

カルタゴはテュロスに起源を持つことははっきりしている。
そしたら、テュロス人は何処から来たんだろうか?

人が継続して活動を続けていたフェニキアの都市はビュブロスなんだけど
カルタゴ人はビュブロスではなく、ウガリトにより近い神様を信仰することにしたようだ。
もしかして、これはテュロスの起源がウガリトにあることを示していたりしないのかな?

180:世界@名無史さん
14/04/17 21:11:50.69 0.net
>>155>>168

とりあえずwikipediaだと、
チェケル人は世紀末にバギーに乗ってそうな容姿で説明されてるなぁ。

181:世界@名無史さん
14/04/17 21:14:40.98 0.net
>>171
確かに習合や出自は分りにくいよね
でもアテナやアフロディテ、アナトやアスタルテの大本は
戦闘女神であり美の女神であり大地母神でもあるイシュタルになるんじゃないの?

あと地球の歩き方のリビアでレプティス・マグナを見てて思ったんだけど
メドゥーサは、リビアからギリシアにもたらされたのかな?と
怖い顔のもあるけど美人さんなのもあったりしてさ
それともクレタのクノッソスの蛇女神が原型?

182:世界@名無史さん
14/04/17 22:07:35.08 0.net
>>174
確かにイナンナ/イシュタルとも両手を挙げた例のポーズだ
URLリンク(upload.wikimedia.org)

金星人と交信中なのかもしれない

183:世界@名無史さん
14/04/17 22:48:00.54 0.net
>>131
あ、これ貼るの忘れてた


ArcheoNews:アルケオニュース 世界の歴史・考古学
URLリンク(www.archeonews.net)
2012/03/29

古代ギリシアの医学の神アスクレピオスの聖域を発見
ギリシア中央部の高速道路建設に伴う発掘調査で、古代ギリシアの医学の神、アスクレピオスの聖域が発見された。
遺跡はアテネから北へ200km、古代の港街ダフノウンタ(Dafnounta、現在のラミア市付近)の近郊に位置している。

アスクレピオスの像(ナポリ国立考古学博物館所蔵)
紀元前5世紀に年代づけられるもので、アスクレピオスの祭祀に関わる遺跡では最古級のものであり、これまでギリシアで発見されたものの中では最も保存状態が良いそうだ。平面の規模は30m×15mある。

遺跡は2005年から2007年に行われたパトラス-アテネ-テッサロニキを結ぶ高速道路建設の際に、存在が確認されていた。
ギリシアの歴史家ストラボンは紀元後1世紀にこの地を訪れ、記録を残している。
アスクレピオスの聖域とされた根拠は、ヘビ形の供物と宝石、アスクレピオスの名前が書かれた土器片が発見されたことである。
アスクレピオスは太陽神アポロンの子であり、ヘビが巻きついた杖を持っていた。
このアスクレピオスの杖は今でも世界的に医学の象徴となっている。

聖域はちょうど高速道路の建設予定場所にあるため、石は1つ1つクレーンで取り上げられ、近傍に移設されている。
調査を主導している考古学者Maria-Fotini Papaconstantinou氏は、発掘について「時間との戦い」と述べている。
調査には期限が決められており、遺跡にブルドーザーが入る前に遺構や遺物の記録と移動を終えなければならない。
「本来は2年かかるところを、6か月でやっている」とPapaconstantinou氏は語っている。

184:世界@名無史さん
14/04/17 23:01:27.75 0.net
>>176

古代の港街ダフノウンタ(Dafnounta、現在のラミア市付近)
URLリンク(upload.wikimedia.org)


エピダウロス
URLリンク(upload.wikimedia.org)


185:Map_of_WH_epidaurus.png 伝承によれば、アポロの息子で名医のアスクレピオスが生まれた場所であるとされる。 もともとこの地域ではアポロ・マレアタス (Apollo Maleatas) (アポロと英雄マレアタスが習合された神格)が崇拝されており、丘の上の神殿もアポロ・マレアタスに捧げられたものであったが、 アポロ・マレアタス信仰が衰えた紀元前6世紀頃、アスクレピオスを崇拝する人々がこの地を聖域とした。



186:世界@名無史さん
14/04/17 23:09:14.30 0.net
>>174
メドゥーサは全然知らない。
島の場所と名前って比定されてたっけ?


っと、いま見たらかなり面白かったので、そのうち調べよう

187:世界@名無史さん
14/04/17 23:23:43.07 0.net
>>19>>168

ほんとに同意してるんだろうか、、、

URLリンク(en.wikipedia.org)
The town was dominated by the Palace of Zakro, originally built around 1900 BC, rebuilt around 1600 BC,
and destroyed around 1450 BC along with the other major centers of Minoan civilization.
Extensive ruins of the palace remain, and are a popular tourist destination.

188:世界@名無史さん
14/04/18 03:40:45.12 0.net
[Diod.3.52] 次に昔リビュアの奥地に住んでいたアマゾン族の歴史について語ろう。
多くの人は、アマゾン族はポントスの地を流れるテルモドン河周辺に住んでいたのだけだと思っているが、実際はリビュア奥地のアマゾン族の方が歴史が古い。
リビュアのアマゾン族はトロヤ戦争が終結する何世代も前に滅び去ってしまったから、
今日ほとんどの人はリビュアのアマゾン族のことを知らない。

当時リビュアには多くの好戦的な女性種族が住んでいた。
アマゾン族は世界征服を狙って、ケルネソスの町より出でて
高度な都市文明を有したアトランティスの地に攻め込んだ。
アマゾン族の女王ミュリナは3万人の歩兵、3千人の騎兵を率いて
抵抗するアトランティス人のケルネの町を占領すると、老若男女を問わず殺戮した。
そこで他の都市のアトランティス人は、アマゾン族に降伏し、占領を受け入れた。
その代わりアトランティスを襲うというゴルゴン族を倒すことを依頼した。

アマゾン族はゴルゴン族との戦いに勝利し、3千人以上の捕虜を獲得したが、
ゴルゴン族は森に逃げ込んだ。女王ミュリナはゴルゴン族を滅ぼすため
森に火を放ったが、成功せず、一旦国境まで退却した。

アマゾン族の夜の監視が手薄になっていたところで、
捕虜のゴルゴン族の女性達が反乱を起こしたが、全員殺された。
女王ミュリナは死んだ仲間を三箇所で火葬し、三つの墓を造った。
今日その地はアマゾン塚と呼ばれる。

ゴルゴン族は後に勢力を増したが、ゴルゴン族の女王がメデュサの時、
ゼウスの息子のペルセウスによって征服された。やがてゴルゴン族、アマゾン族は
ヘラクレスよって滅ぼされ、彼はその時リビュア(アフリカ)の地に二本の柱を立てた。
人類のために女性が支配する国家を今後も倒すという決意を表明したのである。
また湿地の上のトリトニスの町は地震によって崩れ、大洋の下に消えたという。

189:世界@名無史さん
14/04/18 23:45:20.97 0.net
>>180はどこから?

190:世界@名無史さん
14/04/19 01:06:17.12 0.net
どっかの過去スレのディオドロスの私訳から抜粋コピペ

191:世界@名無史さん
14/04/19 01:20:39.44 0.net
どうもありがと

192:世界@名無史さん
14/04/19 08:3


193:3:29.21 0.net



194:世界@名無史さん
14/04/19 09:31:27.64 0.net
さて、ペリシテ人といえば
ダゴンの神殿と契約の箱なんだが

この信仰は
ずっと東の内陸からもたらされたのか
それとも海沿いに伝わったのか
あるいは彼らが故郷から連れてきたものが
いつの間にか習合されてしまったのか

195:世界@名無史さん
14/04/20 02:07:10.83 0.net
>>180
あの辺りって森はあるのかな?
どんな感じなんだろ

森林資源が豊富ならエジプトが食指を伸ばしそうなもんだけどね

196:世界@名無史さん
14/04/20 10:15:35.39 0.net
>>186
あまりないというかほとんどない。

197:世界@名無史さん
14/04/20 14:53:54.57 0.net
今では赤い大地と呼ばれる荒野
ところでベルベル人は自称アマジグ族といってアマゾンと語感が似てるよね

198:世界@名無史さん
14/04/21 03:11:00.34 0.net
>>180
ほほう

URLリンク(web.kyoto-inet.or.jp)
第5章 リビュア地方の自然と神話
第2節 リビュア・アマゾネス

(4) 故郷は湖中の島
 神話作者によると、女人族が住んでいたのは島で、これが西寄りにあることから「へスペラ(西方の)」と呼び名がつき、トリトニス湖中に位置していた。
湖は大地を囲む大洋オケアノスに近く、この呼び名はトリトンという名の川がひとつ、湖中へ注ぐところから来た。湖はエチオピア地方と大洋オケアノス沿いの山脈に近い。
山はこれらの地域内で一番大きく、大洋オケアノスに向けて突き出し、ギリシア人はアトラスの名で呼ぶ。

(5) 今あげた島はひじように広く、あらゆる種類の果樹に溢れ、地元ではこれらの巣実から食料を得ている。
島には家畜も多く、山羊と羊で、飼い主たちはこれらの家畜から乳と肉をとって、食用に供している。
この部族は総じて穀類を利用しないが、これは、自分たちの間でこの果実が不足する目に遭ったことが、これまで一度もないことによる。

(6) 最初の戦
 アマゾネス族は群を抜いたカを持ち、戦に出かけると、最初に島内の諸市を「メネ」だけ残して破却した。
この市は神市と見なされていて、そこに住みついていたのがエチオピア族系の「イクテュオパゴイ(魚喰い)」族であった。
島には大きな噴火口があり、貴石がたくさんに出て、これらをギリシア人はルビー、紅玉髄、エメラルドと名づけている。

 つぎに、近隣のリピュア族や遊牧民の大半を相手に戦って破り、
トリトニス湖内に大規模な市ひとつを建設し、その地形に因んで「ケロネソス(半島)」市と命名した。

199:世界@名無史さん
14/04/21 03:45:54.05 0.net
>>186>>187>>188
ギリシャの森林資源の衰退を扱った著作は
「文明崩壊」かと思ってたが違ったな

「土の文明史」と「天からの洪水」だったはず
古の森が世界遺産になってたと思ったが、これも違うようだ

200:世界@名無史さん
14/04/21 05:01:48.39 0.net
女王はリビュア�


201:キし、アイギュプトス(エジプト)の王であった、 イシスの息子ホルスと同盟を結んだ。そしてアラブ族と戦争し、 その多くを殺してシュリア(シリア)を支配した。 キリキア人が降伏した時は、女王は彼らを自由にした。 更にタウルス山中を平定し、カイコス川周辺を手にした。 ミュリナは支配した地域に自分の名前を冠した町を建設したほか、 部下の名前にちなんだ町、キュメ、ピタニア、プリエネなどを建てた。 これらの町の大部分は海沿いに立てられたが、内陸にも都市を計画した。 彼女はレスボス島を征服し、彼女の妹にちなんでミテュレネという町を建てた。 その後嵐に襲われ、神々の母に祈りを捧げたところ、見知らぬ土地に流れ着いた。 そこをサモトラケと名付けた。これはヘレネ(ギリシャ)の言葉で聖地を意味する。 但しそれ以前からサモスと呼ばれていたとも、トラキア人によってサモトラケと 名付けられたともいう。神々の母は、この島にある人々と彼女自身の息子達を住まわせ 聖地とした。この島は今日、女神の夫の名前にちなんで、コリュバントと呼ばれる。 やがて、トラキア人の王リュクルゴスによって故国を追放されていたトラキア人の モプソスが、亡命した男達を率いてアマゾンの地に侵略した。 トラキアの隣の地であるスキュティアより同じように追放されたスキュティア人の シピュロスも従軍していた。シピュロス・モプソス連合軍がミュリナ軍に勝利し、 ミュリナは大軍を失った。トラキア人は勝利を重ね、生き残ったアマゾン族は、 リビュアへ逃げ帰った。以上がリビュアのアマゾン族の話である イリアスでミュリナの塚という場所が登場するので アマゾン軍が敗れたのは トロイア辺りだったと俺は考える トラキアの亡命王モプソスはルウィ族かアルザワの地方を支配していたマプシュイルワ、 スキタイ亡命王シピュロスはヒッタイト王シュッピルリウマ1世のことと俺は考えているが 全く根拠はない 俺のただの妄想なのであった



202:世界@名無史さん
14/04/21 18:23:01.77 0.net
>>190
ギリシャ本土に、山の表側は浸食されてるけど
裏側には手付かずの森林が残ってる地域があるはずなんだけど
ちっと調べたけど、巧く引っかからなかった

確かそこ以外の大きな森は殆んど伐採されてしまってて
酷い土壌の流失でかなり人口減少してたはず

その後オリーブやブドウなんかの栽培に切り替わったんじゃなかったっけ?

203:世界@名無史さん
14/04/21 18:27:35.43 0.net
>>189

エチオピア族ってのは
アフリカに住んでる人の全体を表す言葉なんだっけ?
それともヌビアの辺りのごく限られた地域だったり
もしくは黒い肌を持つ人はみんなそう呼ばれるとか?

204:世界@名無史さん
14/04/21 19:10:47.36 0.net
>>192
グーグルマップ衛星写真でみたら、アテネ市街から北に10kmほどの位置に深い森林地帯があるね
Tatosの森というようだけど、アテネからみて山の背側だしコレじゃないかな?
ほかに、ペロポネス半島のド真ん中にはさらに深い緑に覆われた半径15kmほどの盆地があった
ここの地名を見るとArkoudorema野生動物保護区とあるが、画像検索したらこんな感じだった
URLリンク(www.dimokratianews.gr)

205:世界@名無史さん
14/04/21 23:09:49.33 0.net
>>194
めんどうなのにありがとう

たぶんTatosの森の方だ
ただ、昔どこかに書き込んだんじゃないかと思って
名前を探してたんだがそれもなかったよ

記憶が曖昧すぎ�


206:ト申し訳ない ギリシャの土地荒廃は複数回やってるぽいので 今度ちゃんと調べてみようと思う



207:世界@名無史さん
14/04/21 23:33:08.30 0.net
>>191
カイコス川で検索するとこれが引っかかるね


ミュシア
URLリンク(ja.wikipedia.org)

地理[編集]

ミュシアの山々では、北部のオリンポス山(標高2543m。トルコ名:ウル・ダー、ウル山 Uluda?)およびイダ山(標高1774m。
トルコ名:カズ・ダー、カズ山)と、ミュシアとリディアを分け、アドラミュティオン湾(現エドゥレミット湾)付近まで伸びる南部のテムノス山(現Demir Da?)があった。

北部の主要な河川には、ともにリディアを源流とし、プロポンティス海から約24kmのところにあるアポロニア(Apollonia)の湖で合流する、
マケストス川(現Susurlu Cay)、リュンダコス川(リンダクス川、Rhyndakos、現Adirnas Cay)があった。

南部のカイコス川(現Bak?rcay)はテムノスを源流とし、ペルガモンを通って、西のエーゲ海に流れ込んでいた。
北部には東と西からマケストス川に注がれる、2つの大きな湖Artynia(またはApolloniatis。現Abulliont Golu)、Aphnitis(現マニヤス湖 Manyas Golu)があった。

208:世界@名無史さん
14/04/22 21:01:31.12 0.net
>>188
このネタもあったね

>>187
昔からなかったのか、昔はあったのか、、、

209:世界@名無史さん
14/04/22 21:11:51.57 0.net
ギリシャの歴史
URLリンク(ja.wikipedia.org)

によると、

中青銅器時代[編集]

ギリシャを襲った災厄の後、ギリシャ本土やエーゲ海では初期青銅器時代からの文化伝統が断ち切られており、
災厄に襲われなかったクレタ島ではその継続が見られるなど、明暗がはっきりとしている。
ギリシャ本土においては集落が激減、文化的後退を見せたと考えられており、大規模な建築物が見られなくなっている。
また、この時代には灰色磨研土器「ミュニアス土器」や、中期青銅器時代の幕開けとなる「鈍彩土器」らがあるが、いずれも前後の時代と比べると創意が乏しい。
このことから、古代ギリシャ語を話す民族がギリシャに至り、定住したと考えられる。

一方、クレタ島では大規模な建築物としてクノッソス宮殿が生まれ、また「カマレス土器」のような鮮やかな彩色がされた土器や優れた工芸品が生まれており、クレタ島を除くエーゲ海の島々を文化圏に取り込んでいた。
宮殿は中青銅器時代後期に起きた地震により、被害を受けたが規模を拡大して再建されている[24]。

クレタ島における初期段階(第一宮殿時代、もしくは古宮殿時代、旧宮殿時代とも)についてははっきりした部分も少ないが、
発見されて以来、研究が進んでいるクノッソス宮殿を元とすれば、この宮殿は巨大な力を持った権力者によって建設されたと想像されてはいる
。しかし、その開放性や前1780年ごろに発生した地震・天災より破壊されたがすぐに再建されていること、城壁が存在しないことから、住民らの合意で建設されたと想像されている[25]。
このミノア文明におけるクノッソス宮殿を中心とした他の宮殿において、巨大な貯蔵庫が構築されており、再分配システムの中心を成していたと考えられている。
この再分配システムは通常、首長制の中で見られるものであり、定住型農耕社会と国家との間に現れるものであることから、
ミノア文明では強力な王権が存在したのではなく、首長制社会の典�


210:^例として考えられている[26]。



211:世界@名無史さん
14/04/22 21:17:20.31 0.net
>>198

ミノア文明[編集]

ミノア文明における再分配システムでは物資の管理を行うために「線文字A」と呼ばれる文字体系が確立された。
また、このシステムにより、各種の精巧な工芸品が生まれており、土器もこれまでのカマレス土器に変わって美しいものが生まれ始めた。
前1700年から前1500年頃にミノア文明は頂点を迎え、ケア島やミロス島、サントリーニ島などまでその文化圏が及んでいたと考えられ、
特に前1628年のサントリーニ島の爆発[# 6]により埋没したアクロティリはこの時代の情報を多く伝える貴重な存在と化している[30]。

エジプトにおいてもクレタ島を起源とする土器が発見されており、新王国時代の墓ではファラオに朝貢するクレタ人(ケフティウ)の絵も存在する。
さらにユーフラテス河畔でも確認されており、ミノア文明の活動範囲がかなり広がっていたと考えられている[30]。

また、このアクロティリには多くのフレスコ画が見つかっており、華やかなミノア文明を現在に伝え、
その中でもナイル川を描いたと思われるフレスコ画も発見されており、ミノア文明がエジプトと交流していたことも想像されている。
その証拠にエジプトにおいてもクレタ島を起源とする土器が発見されており、新王国時代の墓ではファラオに朝貢するクレタ人(ケフティウ)の絵も存在する。
さらにユーフラテス河畔でも確認されており、ミノア文明の活動範囲がかなり広がっていたと考えられている[30]。
さらに『フライパン』と呼ばれるなべ型の器や『キクラデスの偶像』と呼ばれる大理石の像があるが、これはオリエントにおける多産や豊穣を祈願したものでなく、
白い大理石が磨き上げられたものでオリエント文明とは異質な独自の文化を持っていたことが考えられている[31]。

212:世界@名無史さん
14/04/22 21:22:17.98 0.net
>>199

後期青銅器時代[編集]

(略)

ミケーネにおける宮殿はクレタ島の開放的なものとはちがい、「メガロン」と呼ばれる王の間を中心にしていることから、王への権力集中が進んでいたと考えられている。
テッサリアのイオルコス、ギリシャ中部のオルコメノス(英語版)やテーバイ、アテナイ、アルゴス平野のミケーネ、ティリンス、ミデアなどに小王国が存在していたと考えられ、
その中でもペロポネス南西部のピュロス王国(英語版)については研究が進んでいる[35]。

特にこのピュロス王国ではアメリカ合衆国の学者カール・ブレーゲンが発掘した際に「線文字B」が描かれた粘土板を発見、後にイギリスのアーサー・エヴァンズがこれを解読することに成功することができた。
この線文字Bの解読により、ミケーネ文明の人々がインド=ヨーロッパ語族に属し、さらに王国における日常業務が明らかにされることとなった[36]。

ピュロス王国には合計で16の行政区を持っており、それぞれに長が置かれ、それを王が統括したと考えられている。
そして王の名称が「ワナックス(英語版)」(線文字B: ?????? - wa-na-ka、アナックスとも)[37]と呼ばれていたが、これは神に近い存在というニュアンスが含まれており、これは西アジアからの影響と考えられている。
さらに粘土板には公有地や私有地が存在しており、外国から連れてこられた女奴隷が働き、ポセイドンやポトニア神へ祭祀を行っていたことが記載されている。

これらのことが全てに当てはまるとは言えないが、当時の社会を表していると考えられている[38]。
一方、それまで独自の発展を告げていたクレタ島は崩壊を遂げるが、これはミケーネ文明の人々による侵略が考えられている[# 8]。
このような侵略により、ミケーネ文明は後青銅器時代中ごろから後半までに(後期ヘラディックIIIA期)までに
ギリシャ本土、クレタ島、エーゲ海を覆い尽くし、さらにはシチリアや、キプロスにまで及び、ヒッタイトやエジプト新王国と肩を並べる存在であった[40]。

213:世界@名無史さん
14/04/23 03:50:11.82 0.net
フェニキアとギリシャ諸都市
URLリンク(upload.wikimedia.org)

214:世界@名無史さん
14/04/23 20:48:52


215:.22 0.net



216:世界@名無史さん
14/04/23 21:01:13.63 0.net
線文字(せんもじ)

線文字A - 紀元前1450年以前にミノア文明で使用されていたと推定される文字。未解読。
線文字B - 紀元前1450年から紀元前1375年頃まで、ミケーネ文明で使用されていた文字。マイケル・ヴェントリスとジョン・チャドウィックによって解読されている。


線文字Aはおそらくセム語系
線文字Bは印欧語


で、年代は

URLリンク(en.wikipedia.org)

Chronology[edit]

See also: Chronology of Linear B
Linear A was a contemporary and possible child of Cretan hieroglyphs and the ancestor of Linear B.
The sequence and the geographical spread of Cretan hieroglyphs, Linear A and Linear B,
the three overlapping, but distinct writing systems on Bronze Age Crete and the Greek mainland can be summarized as follows:[8]

Writing system Geographical area Time span[a]
Cretan Hieroglyphic Crete c. 1625?1500 BC
Linear A Aegean islands (Kea, Kythera, Melos, Thera), and Greek mainland (Laconia) c. 1800?1450 BC
Linear B Crete (Knossos), and mainland (Pylos, Mycenae, Thebes, Tiryns) c. 1450?1200 BC


これは意外と知らなかった

217:世界@名無史さん
14/04/23 21:15:33.31 0.net
やっぱ年表が欲しいな

しょうがないから>>142さんのやつを元にして、自作するかなぁ、、、
地図はグーグルマップで作ったの持ってるんだけど編集能力がないww

218:世界@名無史さん
14/04/23 21:20:02.05 0.net
>>202
英語ウィキみたところ、それでいいみたい
URLリンク(en.wikipedia.org)
読み方は、「Iol or Jol」と書かれているのでヨルに近いイォルって感じでないかな

219:世界@名無史さん
14/04/23 23:26:44.89 0.net
>>204
さて、とりあえずできたけど
だいぶ情報が足りないな。

各地域別で詳細なやつから拾ってくしかないね。

220:世界@名無史さん
14/04/23 23:42:52.82 0.net
アルファベット
URLリンク(ja.wikipedia.org)

現在の研究で知られている最初のアルファベットは、紀元前1700年~紀元前1500年頃に地中海東部の沿岸地域で発達したと一般に考えられている。
このアルファベットは北セム文字と呼ばれ、楔形文字とヒエログリフを組み合わせてできたものであるが、
クレタ文字やヒッタイト文字のような類縁関係にあるアルファベットから採られたものもあるようだ。
北セム文字には子音をあらわす文字しかなく、単語の中の母音は補って読まなければならなかった。

紀元前1000年頃に北セム文字が、南セム文字、カナン文字、アラム文字、ギリシア文字の4つの系統に分かれたと考える学者は多い。
ただし、南セム文字だけは北セム文字とは独立に発達したか、両者が共通の祖先から発達したのだという説もある。
南セム文字は、アラビア半島でかつて用いられていた諸言語や、現代のエチオピアの諸言語のアルファベットの起源である。

221:世界@名無史さん
14/04/23 23:45:06.77 0.net
>>207

フェニキアのアブジャドの末裔である4種の代表的な音素文字の比較。
URLリンク(upload.wikimedia.org)


左から



222: ラテン文字、 ギリシア文字、 元になったフェニキア文字、 ヘブライ文字、 アラビア文字。



223:世界@名無史さん
14/04/24 00:03:17.70 0.net
>>205
情報ありがと

224:世界@名無史さん
14/04/24 00:09:20.64 0.net
フェニキア文字
URLリンク(ja.wikipedia.org)


親の文字体系
まず、エジプト神聖文字(ヒエログリフ)から原シナイ文字が生じた。紀元前1500年頃からシナイとレバントで、恐らく初期西セム語(英語版)の話者が用いるようになった。
それがカナンで紀元前1400年頃から原カナン文字へと発展し、カナン語 (北西セム語) の表記に採用された。

系譜(俺編集)
フェニキア文字の原カナン文字は連続性が強い為、違いは字形や年代だけなので、
便宜的に紀元前11世紀半ば以降の物をフェニキア文字と呼んでいる。


音素文字の拡散

知られている最古のフェニキア文字による碑文はアヒラムの墓碑銘と呼ばれ、アヒラム王の棺に刻まれている[3]。
フェニキア人による音素文字の採用は非常な成功を収め、様々な変種が地中海で前9世紀頃から採用された。
さらには、ギリシア文字、古代イタリア文字、アナトリア文字、イベリア文字へ発展していった。その成功の理由の一つは、音声的特徴にあった。

フェニキア文字は一つの記号で一つの音を表す文字体系としては、初めて広く使われたものである。
当時使われていた楔形文字やエジプト神聖文字等の他の文字体系では多くの複雑な文字が必要で、学習が困難であったのに比べて、この体系は単純だった。
この一対一方式のおかげで、フェニキア文字は数多くの言語で採用されることになった。

フェニキア文字が成功したもう一つの理由は、音素文字の使用を北アフリカと欧州に広めた、フェニキア商人の海商文化であった[4]。
実際、フェニキア文字の碑文は遥かアイルランドにまで見つかっている。

フェニキア文字の碑文は、ビブロス (現レバノン) や北アフリカのカルタゴのような、かつてフェニキアの都市や居留地が多数あった地中海沿岸の考古学遺跡で発見されている。
後にはそれ以前にエジプトで使われた証拠も発見されている[5]。
文字は元来尖筆で刻み込まれていたので、殆どの形状は角張って直線的であるが、より曲線的な物が次第に使われるようになり、ローマ時代北アフリカの新ポエニ文字へと発展していったと後に証明された。
フェニキア文字は通常右から左に(右書き)書かれたが、牛耕式で書かれた文章もある。

225:世界@名無史さん
14/04/24 00:22:51.38 0.net
北シリアのウガリトでは楔形文字が盛んに使われていたが、前14世紀の半ばかその少し前、その書き方にカナンのアルファベットの書き方が応用された。
なんと楔形文字がアルファベットの原理を使って書かれるようになったわけだ。
当時のスペリングの教科書をみると、全部で30個の楔形文字が、後のフェニキア式の並び順とだいたい一致するような順番に並べられていたことがわかる。

(略)

ビュブロスでは前2千年紀、120個ぐらいの記号からなる音節書記法の「擬似ヒエログリフ」が使われていた。
正確な年代はわからない。
前18~17世紀とする説が以前から出されているが、前2千年紀後半の、
たぶんアルファベットが採用される直前の時期まで使われていた形跡もある。
解読は何度か試みられているが、まだ成功していない。

226:世界@名無史さん
14/04/24 01:21:45.50 0.net
>>174
そういえば、ロドス島のドラゴン伝説って知ってる?

URLリンク(curragh.sblo.jp)
とりあえず、ここのサイトしか引っかからなかったけど
ネタ元は一緒です。

(以下、抜粋)
そして後半に紹介されていた、ロードス島にいたドラゴン vs. ヨハネ騎士団騎士デュードネ・ド・ゴドンの一騎打ちの話(


227:時は第一回十字軍遠征のころ。 ほんらいヨハネ騎士団はエルサレムの巡礼者を守護するために組織された騎士修道会だったらしい )。 ちなみに色々と年代と名称が合わない気がするんだけど これは面白い話に繋がっていけるのだろうか?



228:世界@名無史さん
14/04/24 01:35:38.08 0.net
>>212
これか

URLリンク(en.wikipedia.org)

229:世界@名無史さん
14/04/24 05:07:37.28 0.net
>>100>>191
なるほど

ちなみに俺はトラキアからきた
アナトリアの王様というとミダス王が思い浮かぶ

230:世界@名無史さん
14/04/24 20:42:33.29 0.net
ギリシアがトルコのボドルムに築いた植民市ハリカルナッソスは
ドーリス系かイオニア系かどちら? 本によって違うから困る

「NHKスペシャル文明の道3 海と陸のシルクロード」で
木村凌二はイオニア系としていた
>>170の下の本や吉川弘文館の世界史年表・地図などではドーリス系

231:世界@名無史さん
14/04/24 23:12:33.02 0.net
>>132
メルカルトの捨子伝説って気になるな



いろいろな文書に語られる地域的なバアル像を総合すると、
嵐の最高神とフェニキア神界の首領という二つの性格が浮かび上がる。

 (中略)

嵐の神なら当然ながら、地方版のバアルの多くは神聖な山や岬と結びついている。

 (中略)

サポン山(いまのシリア北部のアクラ山)は、その嵐の神の本拠地だった。
ウガリトの神話では、その山に宮殿のような住まいがあった。
シリア海岸を見晴らす海抜1700mのその山は、
カルメル山やテュロスの南のナクラ岬(おそらく「岬の主人」という意味のバアル・ロシュの縄張り)
と並んで明らかに船乗りのランドマークだった。

ちなみにバアル・シャメムとバアル・サポンが嵐の神として、沖ゆく船をおどかしている。
テュロスとアッシリアの海事条約で、違反者の船を難破させる役目を頼まれているのである。
「その船の上に邪悪な風を放ち、帆を引き裂き、マストを持ち去らんことを・・・・・・」

232:世界@名無史さん
14/04/25 00:28:28.81 0.net
それはどこの文献から?

H.クレンゲル著、五味亨訳「古代シリアの歴史と文化 東西文化のかけ橋」(六興出版)
くらいしか読んだことないから出来れば書籍名等は載せて欲しい

233:世界@名無史さん
14/04/25 01:04:13.51 0.net
>>217
グレンEマーコウのフェニキア人
の翻訳版で、知名なんかは確かギリシャ語読み

>>134>>136>>143>>144
>>151>>158>>159>>211>>216

適当に微妙な編集が入ってることがあるのでご注意を
ちなみに出展の出店は書いてないことがほとんどなので
どこから拾ってきたのかはわからないのだ

234:世界@名無史さん
14/04/25 01:06:44.13 0.net
にしても、>>142は面白いわ
紹介してくれた人ありがとう

こういうの凝り始めると止まらなくなるねww

235:世界@名無史さん
14/04/25 01:18:06.83 0.net
>>218
情報どうも

236:世界@名無史さん
14/04/25 01:22:57.18 0.net
>>219
>>204の人?エクセルかなんかで自作してるのかな?

237:世界@名無史さん
14/04/25 20:23:47.67 0.net
>>221
そそ、自分で追加しないと
面白くならないんだよね

テンプレートにするにはかなり�


238:ィ手頃でした



239:世界@名無史さん
14/04/25 21:16:33.88 0.net
フェルナン・ブローデルの「地中海の記憶 先史時代と古代」って本読んだ奴いる?

240:世界@名無史さん
14/04/26 21:08:37.35 0.net
>>200

ピュロス (ギリシャ)
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3)

ピュロス(希:Π?λο?,英:Pylos)はギリシャのペロポネソス半島南西、メッセニアにある都市。
1939年から1952年にかけて、アメリカ人カール・ブレーゲン(英語版)によってミケーネ文明の遺跡が発掘された。この遺跡はミケーネ文明に特徴的な建築様式であるメガロン(英語版)がある。
未解読文字を記した大量の粘土板がアーサー・エヴァンズによって発見され、線文字A及び線文字Bと名付けられたが、エヴァンズは未解明のミノア文明独自の言語であると考え解読を諦めていた。
1953年、マイケル・ヴェントリスとジョン・チャドウィックが線文字Bで書かれている粘土板にはミケーネ・ギリシャ語(英語版)(古代ギリシア語の古形)の文章が書かれていることを解読することに成功した。
ギリシャ神話においてネストル王の領地(en:Palace of Nestor)としても有名である。

URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(www.maicar.com)
URLリンク(www.maicar.com)


エピロス王アイアキデスとファルサロスの将軍メノンの娘プティアとの間に生まれ
ローマと戦ったエピロス王ピュロスの名前とかとは関係あるのだろうか、、、

241:世界@名無史さん
14/04/26 21:24:14.72 0.net
>>224

ネストール
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ネストール(古希: Ν?στωρ, Nest?r)は、ギリシア神話の人物である。
長母音を省略してネストルとも表記される。メッセーネーの都市ピュロスの王で、トロイア戦争におけるギリシア軍の武将の一人。

(系譜略)ペルセウスの父

ネストールは神の好意で人間の3倍の寿命を与えられたといわれる[3]。ネストールはラピテース族とケンタウロスの戦いや[4]、
一説にアルゴナウタイやカリュドーンの猪狩りにも参加し[5]、トロイア戦争でも高齢にかかわらず参加した。
『イーリアス』におけるネストールはしばしば自分の自慢話を語って聞かせる老将で、高齢のために戦士として戦うことはなかったが軍の指揮者の1人であり、
弁舌においてはオデュッセウスと肩を並べ、献策においては常にアガメムノーンの信頼を得ており、ギリシア軍のあらゆる武将から敬意を持って遇された。

神話[編集]
青年時代[編集]
ネストールには多くの兄弟がいたが、ヘーラクレースとの戦争でみな殺された。このときネストールは幼く、ゲレーニアで育てられていたため無事だった[6]。
これにちなんで『イーリアス』では頻繁に「ゲレーニア育ちの」ネストールと呼ばれている。一説にネストールはこのときにピュロスからゲレーニアに亡命したという[7]。
またネストールはトロイアで育ったという奇説もある[8]。

(後略)

242:世界@名無史さん
14/04/26 21:53:49.48 0.net
ギリシャ都市テスピアイはアナトリアの嵐の神テシュプに由来するって説は聞いたことあるな

243:世界@名無史さん
14/04/26 23:57:48.04 0.net
>>226
へー、なるほど

テスピアイ
URLリンク(ja.wikipedia.org)

パウサニアスによると、テスピアイで最も崇拝された神はエロスだった。太古のエロスの肖像は未加工の石だったが、テスピアイには多くの美術作品があった。
その中には、古代世界の彫刻の中でも有名なものの1つ、プラクシテレスの『エロス』もあって、それを見ようと人々がテスピアイまで詣でてきた。
そのエロス像はローマ皇帝カリグラ帝がローマに持ち出し、次代のクラウディウス帝が一度返還したが、再びネロ帝が持ち出した。
リュシッポスのエロスのブロンズ像も


244:テスピアイにあった。さらにテスピアイ人はムーサも崇拝していて、ヘリコーン山の聖なる林でムーサを讃える祭を催した。 ムーサ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%B5 ムーサ(古希: Μο?σα, Musa)またはムサは、ギリシア神話で文芸(μουσικη; ムーシケー、ムシケ)を司る女神たちである。 複数形はムーサイ(Μο?σαι, Musai)。英語・フランス語のミューズ (英語・フランス語単数形: Muse、フランス語複数形 Muses) やミューゼス (英語複数形: Muses) としても知られる。 ムーサたちはパルナッソス山に住むとされる。ムーサたちを主宰するのは芸術の神・アポローンである。 しばしば叙事詩の冒頭でムーサたちに対する呼びかけ(インヴォケイション)が行われる。 なお『ホメーロス風讃歌』にはムーサたちに捧げる詩がある。



245:世界@名無史さん
14/04/28 21:33:37.92 0.net
>>155
ふーむ

URLリンク(en.wikipedia.org)

The site's eighth-century BCE bilingual inscriptions, in Phoenician and Hieroglyphic Luwian,
which trace the kings of Adana from the "house of Mopsos", given in Hieroglyphic Luwian as Moxos and in Phoenician as Mopsos in the form mps,
have served archaeologists as a Rosetta stone for deciphering Hieroglyphic Luwian. [1] [2] [3]

246:世界@名無史さん
14/04/28 21:48:29.59 0.net
おっと、ヒッタイトのサイト見れなくなってるのか

247:世界@名無史さん
14/04/28 21:54:24.46 0.net
>>155

URLリンク(www.hittitemonuments.com)

ASATIWATA SPEAKS

I am indeed Asatiwata,
The blessed of the Sun, the servant of the Storm-God,
Whom Awariku exalted, king of Adanawa.
The Storm-God made me father and mother to the city of Adanawa,
And I developed the city of Adanawa,
And I enlarged the land of Adanawa, both to the west and to the east.
And in my days the city of Adanawa had prosperity,
Satiety and comfort, and I filled the granaries of Pahara,
I added horse upon horse, shield upon shield,
Army upon army, all for the Storm-God and the Gods
I crushed the arrogance of the arrogant, all the evil that was in the land I cast outside.
I erected mansions for my lordship,
I brought prosperity to my race,
And I sat on the throne of my father, I made peace with every king.
Kings considered me their father, for my righteousness, for my wisdom,
And for the goodness of my heart.
I built mighty fortresses on all my borders,
On the borders where there had been bad men, leaders of gangs, none of whom had been subservient to the house of Muksas, I, Azatiwata put them at my feet.
I destroyed the fortresses there, I built fortresses in those places, so that the people of Adanawa might dwell in ease and in peace.
In the west
I subjugated mighty lands
Which the kings before me had not subjugated.
And I, Azatiwata subjugated them, made them my servents.
And I settled them in the east of my land,
Within my borders.

248:世界@名無史さん
14/04/28 21:57:40.44 0.net
>>230

The people of Adanawa, too, I settled there.
And in my days I enlargened the borders of Adanawa to the west as w


249:ell as to the east, so that, in the places which had formerly been feared, on the desolate roads where men would be afraid to walk, in my days women could stroll with their spindles. And in my days there was plenty, satiety, comfort and peace. And Adanawa and the land of Adanawa lived in peace and plenty. And A built this citadel, And I gave it the name of Asatiwataya, Because the Storm-God and the Gods directed me towards this, So that this citadel might protect the plain of Adana and the house of Mopsos. In my days there were in the people of Adanawa was plenty and peace, In my days none of the people of Adanawa was put to the sword. And I built this citadel, I gave it the name of Azatiwataya, There I settled the Storm-God and I made sacrifices to him; annually an ox, in the season of ploughing a sheep, in autumn a sheep I sacrificed to him. I sanctified the Storm-God,



250:世界@名無史さん
14/04/28 21:58:14.33 0.net
>>231

He granted me long days, countless years and great strength above all kings.
And the people who dwell in this land became owners of cattle, herds, plenty (of food) and wine,
Their offspring was plenty, by the grace of the Storm-God and the Gods
They rendered service to Asatiwata and to the house of Muksas.
And if any king among kings, or any prince among princes, or a person of renown,
Obliterates the name of Asatiwata in this gate and puts here another name, or even covets this city and destroys this gate which Asatiwata made, and builds another gate in its place and puts his name upon it,
Whether he destroys this gate from greed, or from hate and evil,
Then may the God of the Sky, the God of the Earth And the Sun of the Universe and all the generations of gods obliterate this king, this prince or this person of renown from the face of earth.
Only the name of Asatiwata is immortal in eternity,
Like the name of the Sun and of the Moon.

251:世界@名無史さん
14/04/28 22:18:31.08 0.net
>>228

さっぱり読めないww
URLリンク(de.wikipedia.org)

Reliefs der rechten Seite im Vorhof des Nordtores
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)


URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)


Reliefs der linken Seite im Vorhof des Nordtores
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)

252:世界@名無史さん
14/04/28 22:33:53.54 0.net
とりあえず、地図みれたから助かる

Monuments of the Hittites
URLリンク(www.hittitemonuments.com)

URLリンク(www.hittitemonuments.com)

253:世界@名無史さん
14/04/28 22:40:02.70 0.net
ちょっと勘違いしてた調教文書はボアズキョイで見つかってるんだな。


キックリ
キックリ(Kikkuli)は、ボアズキョイ遺跡から出土した、軽戦車を牽引する馬匹の調教について書かれた、
紀元前15世紀末-14世紀前半に編まれたものと推定される世界最古の馬書文書に登場するフルリ人の人名。

キックリ文書
馬の調教師(a??u??anni)キックリの文書は保存状態が良く、馬に軽戦車を牽かせる前に行うべき調教が、1080行に184日にわたり詳しく記述されている。
1906年にヒッタイトの都ボアズキョイの発掘で発見された。4枚の粘土板文書に記されており、それぞれ別の書記により書かれている。
紀元前13


254:世紀に筆写されたものであるが、表現には原典の古いままの言葉で書かれた部分もある。 またフルリ語には部分的に文法上の間違いも見られる。数詞や職名など一部にはインド=ヨーロッパ語に由来する言葉も見られる。



255:世界@名無史さん
14/04/29 07:31:39.81 0.net
ヒッタイトはR1b

256:世界@名無史さん
14/04/29 09:34:15.32 0.net
イリオス
URLリンク(ja.wikipedia.org)

イリオス(古代ギリシア語イオニア方言形:?λιο?, ?lios イーリオス)

1 伝説上のイリオス
1.1 イリオスの建設
1.2 アポロンとポセイドンによる城壁の建築
1.3 ヘーラクレースによるイリオス攻め
1.4 トロイア戦争

2.3 ヒッタイトの記録によるイリオスとトロイア

紀元前13世紀中ごろのヒッタイト王トゥドハリヤ4世時代のヒッタイト語史料に、アナトリア半島西岸アスワ地方の町としてタルウィサが登場する。
これはギリシア語史料のトロイアに相当する可能性が示唆されている。また、同史料にウィルサ王アラクサンドゥスが登場する。
これもそれぞれギリシア語史料のイリオスとアレクサンドロスに相当する可能性が示唆されている。

トゥトゥハリヤ4世の治世はヒッサリク遺跡の第VII層Aの時代と一致しており、パリスの別名がアレクサンドロスであったことが知られている。
このため、この史料の記録はギリシア史料によるトロイア戦争となんらかの関係があるのではないかと推測されている。

257:世界@名無史さん
14/04/29 10:11:16.64 0.net
>>236
アカイア、イオニア、アイオリス、ドーリスもみなR1b?

258:世界@名無史さん
14/04/29 12:50:04.27 0.net
URLリンク(en.wikipedia.org)
The short chronology is one of the chronologies of the Near Eastern Bronze and Early Iron Age, which fixes the reign of Hammurabi to 1728?1686 BC and the sack of Babylon to 1531 BC.


Early Bronze Age

URLリンク(en.wikipedia.org)
The First Kingdom monarchs

URLリンク(en.wikipedia.org)

URLリンク(en.wikipedia.org)

Gutian dynasty of Sumer

Lagash
URLリンク(en.wikipedia.org)
Second Dynasty of Lagash


Middle Bronze Age

URLリンク(history-world.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)

URLリンク(ja.wikipedia.org)ミタンニ

URLリンク(en.wikipedia.org)

URLリンク(en.wikipedia.org)
The Sealand Dynasty, (?E?-KU) or the 2nd Dynasty of Babylon, very speculatively ca. 1732?1460 BC (short chronology),

259:世界@名無史さん
14/04/29 19:28:40.73 0.net
>>215
URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(de.wikipedia.org)
URLリンク(sv.wikipedia.org)
ドーリス系でいいのかなぁ

260:世界@名無史さん
14/04/29 23:00:30.37 0.net
英語なんぞ読めるかハゲ! 

ヒッタイトは微妙にスレちだと思うが・・・
ヒッタイトのレリーフ
URLリンク(www.pbase.com)
URLリンク(www.hittitemonuments.com)

ヒッタイトの歴史
URLリンク(crazyhis.web.fc2.com)
ヒッタイトの軍制
URLリンク(crazyhis.web.fc2.com)

261:世界@名無史さん
14/04/30 00:02:18.83 0.net
>>241
日本語のサイトは参考文献すごいな

俺もヒッタイトは微妙にスレチだと思うけどウガリトあるし
シュメールほどは離れてないかとは思う。
個人的にはメソポタミアの話してもらっても全然楽しく聞けるけどね、、、



せっかくなので誰かミュケナイ、ミノアと線文字Bの話をしてください

262:世界@名無史さん
14/04/30 02:37:03.89 0.net
>>239
URLリンク(en.wikipedia.org)

URLリンク(en.wikipedia.org)

The sources
This Venus tablet is part of Enuma anu enlil (


263:"In the days of Anu and Enlil"), a long text dealing with Babylonian astrology, which mostly consists of omens interpreting celestial phenomena. バビロンの天文学ってかなりレベル高かったんじゃなかったっけ? >>241 は、ハゲちゃうし まぁ、俺も英語なんて読んでないけどね



264:世界@名無史さん
14/04/30 02:42:06.16 0.net
なんだ、世界史板は
バビロンもアッカドもシュメールもアッシリアも全滅なのか、、、
メソポタミアはみんな興味ないんだな

265:世界@名無史さん
14/04/30 14:08:56.89 0.net
オリエント全般興味あるけどメソポタミアは人気ないみたいだね
でも中央アジアよりは人気あるんじゃないの?
カザフスタンスレはあっても他のないからオクサス川~ヤクサルテス川に
かけてなんか語るところなんかないし

266:世界@名無史さん
14/04/30 18:36:41.83 0.net
中央アジアはその特性上しょうがないんだろうけど
関連スレが多岐にわたっててかなりの数があると思う

そんで逆にまとまりはない

267:世界@名無史さん
14/04/30 18:43:56.54 0.net
バビロニダはともかくヒッタイトのスレも
なかったのはショクだな

聖書関係も見当たらないし
知名度人気とも高いだろうに
なんでなんだろう?

むしろ俺だけ異端かww

268:世界@名無史さん
14/04/30 18:57:31.16 0.net
バビロニアと表記しないと....
>>247がNGにかかった理由を探してたらさ

269:世界@名無史さん
14/04/30 19:10:29.23 0.net
ヒッタイト:投石器のhp二倍
バビロニア:塔のhp二倍

270:世界@名無史さん
14/04/30 22:06:01.65 0.net
ヒッタイトのスレといえば、もう格納済みだけど不思議なのもあった
初めはどうしようもないクソスレなんだけど、50を超えたあたりから実質乗っ取られて、
かなりレベルの高いスレに生まれ変わった・・・昔はそういうのも結構あったもんだ
ヒッタイト=エフタル帝国
スレリンク(whis板)

271:世界@名無史さん
14/04/30 22:40:59.48 0.net
>>250
ありがと、すっごくおもしろかった
なんてこったshit!!!!!

272:世界@名無史さん
14/05/01 00:32:25.98 0.net
>>250
このレスが気になったのでコピペっとくけど
日本のオリエント学・アッシリア学のレベルは非常に高い
ってのはほんとなんだろうか、、、


101 :85:05/01/29 00:04:47 0
>>100
|ω・)ノ □ 本ドゾー  大城光正/吉田和彦『印欧アナトリア諸語概説』大学書林1990
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)

通販で購入出来るかは微妙ですが(汗 紀伊国屋やジュンクドウだったら店頭で手にはいるかも知れません。
大学書林の本はお高いのはいつものことということで(^^;

これは現在では死滅してしまった、インド=ヨーロッパ語族アナトリア語派の文法についての概説書です。
扱われてる言語はアナトリア語派に分類されるヒッタイト語、パラー語、ルウィ語、
ヒッタイトの象形文字として知られる象形文字ルウィ語、リュキア語、リュディア語の6つの言語です。
うちヒッタイト語を扱っているページ数はグロッサリーを含む全377ページ中10-123.pp、全体の三分の一ほど。
聖書ヘブライ語、アラム語のものを抜かせば、日本語で読める古代語をあつかった学術的な文法書はこれ一冊だけといえます。

欧米に比べまだ日が浅いとはいえ、日本のオリエント学・アッシリア学のレベルは非常に高いので後身のためにも
日本語でシュメール語やアッカド語(古期~新アッシリア語&バビロニア語含む)の本格的な概説書や文法書を出して欲しいと切に願います(^^;

273:世界@名無史さん
14/05/01 00:36:27.83 0.net
>>252

とりあえず、全部読んだら一生かかるなww
URLリンク(book.geocities.jp)

274:世界@名無史さん
14/05/02 04:19:32.37 0.net
>>252
㌧ 『印欧アナトリア諸語概説』その本、
碑文の内容載ってる? マットトワッタ文書やキックリ文書といった
ルウィ語のカラテペ碑文なら他の本でも読んだことあるんだが

275:世界@名無史さん
14/05/02 16:29:45.21 0.net
>>254
ごめん、読んだことがないのでわからないよ

276:世界@名無史さん
14/05/02 17:41:05.41 0.net
年代決定だと
日本は中年代説が主流で
欧米だと低年代説が主流

欧米が色々新説を出すのを、比較的距離を置いて見ているのが日本という印象がある

277:世界@名無史さん
14/05/06 00:41:46.48 0.net
>>171
タニトの印と碑文関係で
URLリンク(www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp)

278:世界@名無史さん
14/05/06 22:30:49.62 0.net
>>256
なるほど
こういうのはwikipedia調べても出てこないからおもしろいね

とりあえず上の参考に連休中で
王名表から年表とか作ったったww

279:世界@名無史さん
14/05/06 22:50:27.22 0.net
>>257
へー、アレキサンダー以後の遺物か

ほんとに分銅だとしたら重量体系はどこのが採用されてるんだろうなぁ



>タニット女神の記号はチュニジアやシチリアからの出土例が多く知られていたので、従来はカルタゴの女神といわれていた。
>現在集成を進めているが、少なくとも紀元前5世紀に遡るテラコッタ像に記されたタニット女神記号は、
>テュロス、アッコからの出土であり、この女神もまたフェニキア、テュロス起源であった可能性が指摘できる。

こっちは本格的に年代次第ってことで

280:世界@名無史さん
14/05/07 22:07:07.15 0.net
>>132>>216

とりあえず、いいサイトが見つからなかったので
捨子伝説(に近い出生伝説)を思いつくままに拾っていくよ


サルゴン大王
キュロス大王
モーゼ URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)
オイディプス URLリンク(en.wikipedia.org)
ロムルス
ペルセウス
ゼウス


他にも何かあったはず

281:世界@名無史さん
14/05/08 19:37:23.70 0.net
>>151
Wikipediaにはあまり情報がない、、、


URLリンク(en.wikipedia.org)
URLリンク(en.wikipedia.org)

そして伝説の王ヒラム
URLリンク(en.wikipedia.org)

282:世界@名無史さん
14/05/08 19:46:53.88 0.net
>>261
あれ?これ知らないわ


ピュグマリオーン
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ピュグマリオーン(古希: Πυγμαλ?ων, Pygmali?n)は、ギリシア神話に登場するキプロス島の王である。
長母音を省略してピュグマリオンとも表記される。

現実の女性に失望していたピュグマリオーンは、あるとき自ら理想の女性・ガラテアを彫刻した。
その像を見ているうちにガラテアが服を着ていないことを恥ずかしいと思い始め、服を彫り入れる。
そのうち彼は自らの彫刻に恋をするようになる。さらに彼は食事を用意したり話しかけたりするようになり、それが人間になることを願った。
その彫像から離れないようになり次第に衰弱していく姿を見かねたアプロディーテーがその願いを容れて彫像に生命を与え、ピュグマリオーンはそれを妻に迎えた。


URLリンク(en.wikipedia.org)

Pygmalion (also known as Pu'mayyaton) was king of Tyre[1] from 831 to 785 BC and a son of King Mattan I (840-832 BC).

During Pygmalion's reign, Tyre seems to have shifted the heart of its trading empire from the Middle East to the Mediterranean,
as can be judged from the building of new colonies including Kition on Cyprus, Sardinia (see Nora Stone discussion below), and, according to tradition, Carthage.
For the story surrounding the founding of Carthage, see Dido.

283:世界@名無史さん
14/05/08 23:24:11.07 0.net
何故ピグマリオンのURLじゃなくてピグマリオンコンプレックスのURLなのか?

284:世界@名無史さん
14/05/08 23:49:56.75 0.net
>>132>>136

ピグマリオン&フェニキアでググルと
なんと「金枝篇」へと繋がる

第三十一章 キュプロスにおけるアドーニス
URLリンク(homepage2.nifty.com)

URLリンク(1000ya.isis.ne.jp)

URLリンク(web.kyoto-inet.or.jp)


Wikipediaによると

金枝[編集]

イタリアのネミの村には、ネミの湖と呼ばれる聖なる湖と、切り立った崖の真下にあるアリキアの木立とよばれる聖なる木立があり、木立には聖なる樹(ヤドリギ)が生えていた。
この樹の枝(金枝)は誰も折ってはならないとされていたが、例外的に逃亡奴隷だけは折る事が許されていた。

ディアナ・ネモレンシス(森のディアナ)神をたたえたこれらの聖所には、「森の王」と呼ばれる祭司がいた。
逃亡奴隷だけがこの職につく事ができるが、「森の王」になるには二つの条件を満たさねばならなかった。
第一の条件は金枝を持ってくる事であり、第二の条件は現在の「森の王」を殺す事である。

285:世界@名無史さん
14/05/09 00:02:06.09 0.net
>>263
ごめんww
Wikipedia考古学を専攻する私としましては痛恨の極みです


>>264
まぁ、こっちは置いておいて
カルタゴ建国で有名な方の「エリッサ」の物語の方を


ディードー
URLリンク(ja.wikipedia.org)


URLリンク(www31.ocn.ne.jp)
 カルタゴは、前814年に建設されたというが、これも確かでない。カルタゴの最も古い出土品
は前8世紀後半のもので、多くは前7-6世紀のものとなっている。さらに、その建国伝説も意味
ありげである。その伝説がギリシア人によっているからなおさらである。その頃、フェニキアの
テュロスの王位にエリッサという王女がつき、アケルバスというメルカルト神の大祭司で裕福な
叔父と結婚する。ピグマリオン(在位前820-744)という弟は、王位と叔父の財産を狙って、叔父
を暗殺した。女王は亡命を決意し、部下と財産を船に積み、地中海へ乗り出した。キプロスに
立ち寄り、その後、現在のカルタゴの地へ着いたという。


URLリンク(www.vivonet.co.jp)

 チュニスが気に入ったエリッサはここに落ち着くことに決め、カルタゴの町を建設した(BC814年)。
カルタゴとは、フェニキア語でカルト・ハダシュト、新しい町という意味。

【ビュルサ】 エリッサがカルタゴを建設する時、現地人は牛


286:皮(ビュルサ)1枚で覆える土地を譲ろうと言った。 彼女は、「では」と言ってその皮を細くひも状に切って、ぐるっと広い土地を囲った。



287:世界@名無史さん
14/05/09 00:20:59.41 0.net
>>261

URLリンク(en.wikipedia.org) より

Kings of the Sidonians (with Tyre as capital), 990?785 BC[edit]

The dates for the reconstruction of the Tyrian king list from Hiram I through Pygmalion are established in three places by three independent sources:

a Biblical synchronism (Hiram's assistance to Solomon in building the Temple, from 967 BC onwards),
an Assyrian record (tribute of Baal-Eser II/Balazeros II to Shalmaneser III in 841 BC), and
a Roman historian (Pompeius Trogus, who placed the founding of Carthage or Dido's flight from her brother Pygmalion in the latter's seventh year of reign, in 825 BC, 72 years before the founding of Rome).[3]


>>265

カルタゴと言えば「ビュルサの丘」が代名詞
しかし、同じような物語が別のところにあるのは有名な話

288:世界@名無史さん
14/05/09 00:40:38.95 0.net
一応参考になりそうな過去のスレを貼っておく
■■■ フェニキア人を語るスッドレ ■■■
スレリンク(whis板)

ログ速だと
URLリンク(www.logsoku.com)

289:世界@名無史さん
14/05/09 01:13:07.68 0.net
>>267
ありがとうございます

64 : 世界@名無史さん[] 投稿日:04/11/21 19:37:58
デムパも史実も併せて載ってる良サイト
URLリンク(www.phoenicia.org)


より、フェニキア年表を

本土
URLリンク(phoenicia.org)

カルタゴ
URLリンク(phoenicia.org)

290:世界@名無史さん
14/05/09 21:11:14.32 0.net
>>267
途中までしか読んでないけど
たぶんゲームは完成しなかっただろうなww

291:世界@名無史さん
14/05/09 21:17:22.32 0.net
そんな感じやね
一生懸命凝ろうとして挫折したんじゃない?

292:世界@名無史さん
14/05/09 21:52:15.67 0.net
>>267

321 : 世界@名無史さん[] 投稿日:2006/11/08(水) 19:56:23 O
時系列順に主だったところを並べると

リクソスはプリニウスがガデスより古い最古の植民市と論じており12CBC
ガデスが1110BC、次いでウティカ1101BC、タルテッソスが10C、
キプロスのキティオンとクレタ中部に950-900BC、
サルディニアのノラやビュティアが9C初頭、若干遅れてタロスやサルキスが9C、
カルタゴ814BC、マルタや南シケリアが8C末、
タプソスやサブラタ、ヘルマコンなどの北アフリカ諸市が800BC前後
モテュアは8-7C、パレルモとソレントは若干遅く7C初頭
バレアレス諸島はさらに遅くイビサが654/3BC


最初期の植民市(タルテッソスまで)は考古学的には証拠が確認されておらず
現実的には7C頃からの遺物しかない
これらイベリア南部の伝説的な都市を除けば
植民はキプロス・クレタ→南仏・南西・地中海西部の島々→北アフリカ
と北回りで順々に進展したと考えればいいんでない

322 : 世界@名無史さん[] 投稿日:2006/11/08(水) 21:36:57 O
スマソ
時系列と言っときながらマルタと北アフリカの順序が逆だったな
アフリカ諸市が多少落ち着くのと前後してマルタ・シケリアに移ったみたい

293:世界@名無史さん
14/05/09 21:56:23.50 0.net
スレは


294:2010年まで続いていたらしい、、、 >>270 探してるうちに、どんどん気になることが増えていくのはわかるな そして、年表も終わる気がしないww



295:世界@名無史さん
14/05/09 22:26:08.67 0.net
>>268>>271

B.C.1500 (circa) The Phoenicians settle Cyprus.
B.C.1100 Cadiz and other colonies planted on the Atlantic shores.
B.C.813 Carthage founded.

B.C.695 Spain becomes an independent Phoenician kingdom.

B.C.538 Phoenicia becomes a Persian province; Carthage asserts its independence.

ん、

296:世界@名無史さん
14/05/10 01:08:51.02 0.net
そういえば、ハムナプトラのシリーズで
確かスコーピオンキングだったかと思うんだが
各国の傭兵達?かなんかが会話してるときの言葉がアッカド語で
字幕が日本語で出てたんだけど
あれはホントにアッカド語だったんだろうか、、、

297:世界@名無史さん
14/05/10 01:25:32.21 0.net
>>274
どうやら考えるだけ無駄らしいことがわかった
映画はおもしろかった気がする

298:世界@名無史さん
14/05/11 01:47:34.87 0.net
>>271 ここら辺りの話かな
URLリンク(www31.ocn.ne.jp)
URLリンク(www31.ocn.ne.jp)
ここ今まで紹介されてた? 結構興味深いと思う

299:世界@名無史さん
14/05/11 11:20:20.05 0.net
>>276
まだ、出てないんじゃないかな

にぼん語で検索するとまず間違いなく引っかかるので
俺もときたま読んでる

行間が詰まってて読み難いのが玉に瑕で
全部を続けて読む気力がわかないんだよなww

300:世界@名無史さん
14/05/11 12:11:45.60 0.net
バアル・ヘルモン
URLリンク(ja.wikipedia.org)

バアルとヘルモン山につながりの深い語である。
『士師記』(3.3)においては山の名前として現われ、ヘルモン山と同一視される。

『歴代誌上』(5.23)においては、「ヘルモン山」および、このアモリ人による呼称とされるセニル[1]と並列で現われる地名であり、
「ヘルモン山の主(バアル)」への信仰につながりの深い場所だと考えられているものの、この場所が現在のどこにあたるかには一致した見解がない。

『歴代誌』の該当部分では、ヨルダン川東のマナセの半部族の居住地とされ、
これらの家系の長の名前と、この半部族が戒律に背いて、ヤハウェがかつて滅ぼした民の神々を拝んだことを伝える。
『ヨシュア記』(11.16、13.5)では、ヘルモン山のふもとのレバノンの谷の地名であるバアル・ガドが、マナセ半部族らへの土地の割り当てのくだりにも現われる。
このため、歴代誌の地名としての「バアル・ヘルモン」を「ヘルモン山のバアル・ガド」の誤伝とする説もある[2]。
バアル・ガドはヨルダン川源流のいくつかの地名に比定される[3]。

その一つにヘレニズム期にはパーン神信仰と結び付けられるパネアスの泉の神殿をもち、
ローマ帝国支配下ではフィリポ・カイサリア、アラブ人にバーニヤースと呼ばれた遺跡がある[4]。

301:世界@名無史さん
14/05/11 12:13:32.33 0.net
ヘルモン山
URLリンク(ja.wikipedia.org)

高点はシリアが支配しているが、南部の稜線にあたるゴラン高原は1967年の第3次中東戦争以降イスラエルの支配下にある。


聖書地名としてのヘルモン山[編集]

ヘルモン山を、アモリ人はセニル、シドンの住人はシルヨンと呼んだ(申命記 3:9; 詩篇 29:6; 歴代誌上 5:23; 雅歌 4:8; エゼキエル書 27:5)。
これらの語源は、鎖帷子または鎧であるかもしれない。

この土地は、いわゆる「約束の地」の北の境界と考えられ、旧約聖書でヨシュアに率いられたイスラエル人が征服したとされる土地の北限にあたる(ヨシュア記 11:17, 12:1, 13:5)。
ヘルモン山の高地は、カナン人によりその宗教儀礼に用いられた。
彼らはこの山をバアル・ヘルモンの山と呼んだ(士師記 3:3)。シオンという別名も現われる(申命記 4:48)。

新約聖書では、イエス・キリストが弟子を伴いガリラヤ湖畔のベトサイダからヘルモン山南麓のフィリポ・カイサリアの町へ旅したことを伝える(マタイによる福音書 16:13; マルコによる福音書 8:27)。
この地でイエスは自分の教会を建てることと、エルサレムに行き、死んで復活することを弟子たちに予告した(マタイによる福音書 16:18-21)。
ヘルモン山は、新約聖書の「主イエスの変容」、すなわち、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子を伴って祈りのために高い山にはいったというくだりの、「山」かもしれないとされる場所のひとつである。
ここでイエスは輝くように白くなり、モーセとエリヤが現われて、イエスと語り合ったとされる。

エノク書では、ヘルモン山はグリゴリ(見張り)と呼ばれる堕天使の一団が地上に降り立った場所である。
彼らはこの山上で、人間の娘たちを娶りここに戻ろうと誓い合った(エノク書 6)。

302:世界@名無史さん
14/05/11 12:26:48.90 0.net
バールベック
URLリンク(en.wikipedia.org)

バールベックとは「ベカー高原の主神」を意味し、ここにフェニキアの神ハダド(バアル)が祀られていた事に由来するといわれ、本来はフェニキア系の神々の聖地だったと考えられる。
しかし後にギリシア・ローマ系の神々と習合し、祭神はジュピター・ビーナス・バッカスと呼ばれるようになった。
遺跡はこれら三神をそれぞれ祀る三つの神殿から構成されている。世界でも有数のローマ神殿跡である。

History[edit]

Prehistory[edit]
The history of settlement in the area of Baalbeck dates back about 9,000 years, with almost continual settlement of the tell under the Temple of Jupiter, which was a temple since the pre-Hellenistic era.[4]

Nineteenth century Bible archaeologists wanted to connect Baalbeck to the "Baalgad" mentioned in Joshua 11:17, but the assertion has seldom been taken up in modern times.
In fact, this minor Phoenician city, named for the "Lord (Baal) of the Beqaa valley" lacked enough commercial or strategic importance to be rated worthy of mention in Assyrian or Egyptian records so far uncovered,
according to Helene Sader, professor of archaeology at the American University of Beirut.

Heliopolis, the City of the Sun[edit]



URLリンク(kotobank.jp)
【バールベク】より
…古代宗教都市の遺構で知られる。〈ベカーの主〉を意味するその名前からフェニキア起源と考えられるが,
アレクサンドロス大王の征服後,フェニキアのハダド神とギリシアのゼウス神が習合することによって隆盛し,
ヘリオポリスHeliopolisと改名された。

前64‐前63年ポンペイウスによるシリア征服によってローマ都市となり,アウグストゥスによって植民市と


303:なる。…



304:世界@名無史さん
14/05/11 14:31:42.99 0.net
>>134

引用対象がww
URLリンク(wol.jw.org)

キリキア
キリキア - 洞察,第1巻

山脈の南方の支脈であるアマヌス(現在のヌル)山脈によってシリアと分断されていました。この地方の古代史のほとんどの期間中,少なくともこれらがその境界線でした。
基本的に,この地域は次の二つの自然区分に分けられました。キリキア・トラケイア(起伏の多いキリキア)と呼ばれる西部と,キリキア・ペディアス(平らなキリキア)と呼ばれる東部です。
キリキア・トラケイアはタウロス山脈の未開の高原地帯で,森林に富んでいました。岩だらけの岬によって分断された,凹凸の多いその海岸は,避難所となる多くの港や入り江を供しました。
早い時期からそこは沿岸航行船をえじきにする盗賊や海賊の隠れ場となっていました。キリキア・ペディアスは,よく潤された,非常に肥沃な部分である,広大な海岸平野を擁していました。
ローマ時代には,この平野に半自治都市が散在していましたが,中でも最も際立った都市が,サウロ(パウロ)の生まれ故郷のタルソスでした。―使徒 21:39; 22:3; 23:34。

キリキアは小麦や亜麻,果物のほか,ローマ時代にキリキウムとして知られたやぎの毛を産しました。
それが天幕の製作に用いられたことは,パウロが早くから天幕作りを経験していた理由を幾らか説明するものかもしれません。

キリキアは,軍事面でも商業面でも重要な位置を占めていました。
シリアからの主要通商路は,“シリアの門”,つまりアンティオキアの北約30㌔のアマヌス(現在のヌル)山脈を抜ける主要な山道を通ってから,キリキアをタルソスまで横断し,
タウロス山脈を,“キリキアの峡門”に向かって上って行きました。“キリキアの峡門”というのは険しい隘路または裂け目で,小アジア中央部や西部への通路となっていました。

305:世界@名無史さん
14/05/11 14:41:12.51 0.net
>>281

ちなみにアマヌスで検索すると
URLリンク(ja.wikipedia.org)聖シメオン教会
URLリンク(ja.wikipedia.org)登塔者シメオン
この辺りがひっかかってくる。

URLリンク(upload.wikimedia.org)
ドラゴンにしか見えないのと、塔としていいんだろうかww


URLリンク(en.wikipedia.org)

The Nur Mountains (Turkish: Nur Da?lar?, "Mountains of Holy Light"),
also known as Gavur Mountains (Turkish: gavur, "infidel"),
the ancient Amanus (Ancient Greek: ?μαν??),
is a mountain range in the Hatay Province of south-central Turkey, which runs roughly parallel to the Gulf of ?skenderun.

The range reaches a maximum elevation of 2,240 m (7,350 ft) and divides the coastal region of Cilicia from inland Syria.
The highest peak is Bozda?. A major pass through the mountains known as the Syrian


306:Gates is located near the town of Belen. Another pass known as the Bahce Pass or Amanic Gates is further north.



307:世界@名無史さん
14/05/11 14:47:27.64 0.net
>>282

ちなみに俺はアンティオキアはシリアだと思っていた、、、


イスケンデルン湾
URLリンク(ja.wikipedia.org)

イスケンデルン湾(トルコ語:?skenderun Korfezi、英語:アレクサンドレッタ湾 Gulf of Alexandretta)は、トルコ中央部南部に位置する湾である。
湾の幅は70km、奥行きは150km。北東から南西に向かってU字形に開き、地中海の最北東端に面する。このため、トルコ国内でも大波で有名な湾である。

歴史[編集]
アレクサンダー大王は遠征時に現在のアンカラから南東に軍を進めている。
紀元前333年には、イスケンデルン湾最奥部に位置するイッソスで、3万のマケドニア・ギリシア連合軍がダリウス3世率いる10万のペルシャ軍と戦う(イッソスの戦い)。
海岸に山が迫っているため、3km弱の幅しかない隘路になっていた。このときペルシャ軍を破った大王はエジプトに向かって南に進んでいる。

アレクサンダー大王の死後、イスケンデルン湾周辺に大王の後継者の一人であるセレウコス1世がセレウコス朝シリアを築く。
現在のイスケンデルンの南50kmに首都アンティオキア(現在はトルコ領アンタキヤ)を定め、後に人口数十万を数える東地中海随一の大都会となった。
しかしながら、イスケンデルン湾は海上、陸上交通には適していなかったため、古代の通商路は、アンティオキアから東のサマンダグ近郊を通り、そのまま地中海に抜けていた。

8世紀前半にイスラム帝国アッバース朝の版図が最も広がると、イスケンデルン湾は帝国の地中海北東部の辺境となった。
同時期、アフリカ大陸北岸とイベリア半島もイスラム帝国の版図となっている。

308:世界@名無史さん
14/05/11 15:22:46.83 0.net
>>218

第7章 海外への商業発展

フェニキア人の海外植民地と地中海貿易

(01).キュプロス島
(02).ロードス島
(03).クレタ島
(04).エーゲ海北部
(05).エーゲ海中部とギリシア本土
(06).イオニア海ルート
(07).シチリア島
(08).サルディニア島
(09).イタリア中部
(10).マルタ諸島
(11).北アフリカ
(12).スペイン
(13).バレアレス諸島とイビサ島
(14).フェニキア人の大西洋交易-モロッコ
(15).フェニキア人のはるかなる探検

ポエニ人の海外発展
・カルタゴ人の冒険の旅

309:世界@名無史さん
14/05/11 15:25:06.67 0.net
それにしてもマイナーなフェニキア人の話を適当に振っていれば
誰かが滔々とギリシャ人の話を始めてくれるんじゃないかと期待しているのだが、、、

310:世界@名無史さん
14/05/11 18:32:54.92 0.net
>>277
情報量は多いけど読みにくくて途中で挫折するよね
配色のせいでもあると思うけど

>>283
アンティオキア(アンタキヤ)は地球の歩き方「トルコ」で紹介されてるくらいだよ
URLリンク(www.tourismturkey.jp)

>>216
サポン山(いまのシリア北部のアクラ山)って、Mount Zephon (modern-day Jebel Aqra)
URLリンク(en.wikipedia.org) ここであってる?

311:世界@名無史さん
14/05/11 19:14:53.53 0.net
>>286
色々と書いてあるし合ってると思うよ。


にしてもYamですらも日本語ページはないのか、、、

URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF)

ヤム (yam) - 植物の一群。芋�


312:フる。 ヤム・ブランズ (Yum Brands) - アメリカのファーストフード企業。 サイモン・ヤム (Simon Yam) - 香港の俳優 (1955?)。 ヤム・ハナル (Yam) - ウガリット神話の海神。 おいおいww



313:世界@名無史さん
14/05/11 19:23:11.93 0.net
バアル
URLリンク(ja.wikipedia.org)

カナン地域を中心に各所で崇められた嵐と慈雨の神。その名はセム語で「主」を意味する[1]。バールや、バビロニア式発音のベール[1]、およびベルとも表記される

歴史[編集]

もともとはハッドゥまたはハダドという名で、アッカドの雷神アダドの前身でもある。この名は恐らく雷鳴の擬音と考えられる。しかしハッドゥが主神、すなわちバアルと呼ばれ崇められているうちに、その呼称が固有名詞化し、後にはもっぱらバアルと呼ばれるようになった。
本来、カナン人の高位の神だったが、その信仰は周辺に広まり、旧約聖書の列王記下などにもその名がある。
また、ヒクソスによるエジプト第15王朝・エジプト第16王朝ではエジプト神話にも取り入れられ同じ嵐の神のセトと同一視された。
フェニキアやその植民地カルタゴの最高神バアル・ハンモンをモレクと結びつける説もある。さらにギリシアでもバアル(古典ギリシア語: Β?αλ)の名で崇められた。
足を前後に開き右手を挙げている独特のポーズで表されることが多い。


ウガリット神話におけるバアル[編集]

ウガリット神話では最高神イルと全ての神々の母アーシラトまたはアスタルトの息子と呼ばれる。
またダゴンの子バアル(b‘l bn dgn)とも呼ばれる。勝利の女神アナトの兄にして夫。またアスタルトを妻とする解釈もある。

彫像などでは、右手で矛を振りかざし、左手に稲妻を握る戦士の姿で表される。
豊穣神として崇められ、竜神ヤム・ナハル(英語版)や死の神モートの敵対者とされる。
ヤムとの戦いは彼が荒々しい自然界の水を征する利水・治水の神であることを象徴し、
モートとの戦いは彼が慈雨によって実りをもたらし、命を養う糧を与える神であることを象徴する。

314:世界@名無史さん
14/05/11 19:25:19.28 0.net
ヤム
URLリンク(dic.pixiv.net)

ヤムまたはヤム・ナハル(Yam,Yam Nahar)は、ウガリット、カナン神話に登場す海神。


概要

ウガリット神話におけるヤムは、“審きの川”、“海流の支配者”の称号を持つ海の支配者であり、至高神エルの息子である。

至高神エルはバアルに玉座を奪われ、「河川の源」「冥界の果て」に追いやられる。
嘆き悲しんだエルは仲間に助力を請い、それに対して真っ先に答えたのがヤムである(または神々の集会で脅迫を行う)。
そして、ヤムはエルの祝福を受けて後継者の資格と、バアルを奴隷とする権利を獲得する。

これを受けて激怒したバアルは、「ヤムは王権を簒奪し、そのために殺される」と公言し侮辱し、ヤムからの使者に対して鞭打つ。
だが、エルはヤムの使者に対して「バアルはヤムの僕であり、貢物をささげる。
バアルはたやすく征伐できる」といいつのって承服しており、これに対してバアルは武器を振り上げて跳び上がり、いよいよ怒り狂う。
それに対し、アナトとアスタルテはバアルを押しとどめ、彼がヤムと戦う準備を整える。
ヤムとの戦端を開いたバアルに対して、鍛治神コシャル・ワ・ハシスはバアルに対して二本の棍棒(電光)を託す。
バアルはまずヤグルシ(追放)を投じてヤムの肩と胸を打つがそれでも退けるに至らず、
続けてアイムール(撃退)を投じてついに頭部を打ち、制圧に成功する。とどめを刺されたヤムは殺されて死体をばら撒かれてしまう。

神話におけるヤムは、神でありながら駆逐されるべき悪魔、荒ぶる自然の象徴、洪水をもたらす河川、荒れ狂う海原を表徴するとされる。
そして、メソポタミア神話におけるティアマトのように、分割された肉体と王権の標章やマルドゥクの秩序による混沌の制覇との照応、
また、秩序だった雨による不毛・破局を内蔵する海と地下水に対する勝利を意味するとされ、さらに海を支配する竜の撃破による英雄神(バアル)の台頭を描くものとされる。
そして、ヤムはこれ以後も死に絶えることなく、「生の循環」に則って何度もバアルと争うとされる。

315:世界@名無史さん
14/05/11 19:53:54.96 0.net
ちなみに以下に対してググルと
アンティオキア 約 125,000 件 (0.19 秒)

① シリア 約 13,800 件 (0.21 秒)
② トルコ 約 11,400 件 (0.24 秒)
③ アナトリア 約 11,300 件 (0.29 秒)

①>②≒③ ということらしい

316:世界@名無史さん
14/05/11 20:57:59.09 0.net
フェニキア人は地中海全域に自分たちの遺伝子をばらまいたようだ。
例えばマラリア耐性のある遺伝子とか。

317:世界@名無史さん
14/05/11 21:16:59.51 0.net
>>132>>134
>>172


バアル・ハモン
URLリンク(ja.wikipedia.org)

バアル・ハモン(“群集の支配者”)はカルタゴの主神。
彼は空と植物の神格で、髭を生やし、曲がった羊の角をつけた老人として描かれていた[1]。
バアル・ハモンの妻はタニト(英語版)だった[2]。


文化と属性[編集]

バアル・ハモンの崇拝はカルタゴのフェニキア人植民地の間で盛んだった。
カルタゴの神々の中で、バアル・ハモンの至上性は、カルタゴとテュロスの間の関係がヒメラ海戦(英語版)で壊れた後 、紀元前5世紀に遡ると信じられている[3]。
現代の諸学者は、この神を北西セム語族の神 エール (神)または ダゴンに結びつけている[4]。

北アフリカとカルタゴにおいて、バアル・ハモンは特に羊と結び付けられ、
カルタゴ湾を横切ったところにある聖域ジェベル・ブ・コルネイン(二本角の丘)にて、バアル・カルナイム(二本角の主)としても崇拝された[要出典]。

バアルはメルカルト(英語版)とは同一視されていなかったと考えられている(古くは同一視する説もあった)[要出典]。

古代ギリシアの著作家達はタイタン族のクロノス と同一視し、古代ローマにおいてはサートゥルヌスと同一視され、
第二次ポエニ戦役に結果を受けたローマとカルタゴの間での文化的変容は古代ローマの宗教祭祀である古代ローマの宗教祭祀(英語版)であるサートゥルナーリア祭に影響を与えた[5]。

318:世界@名無史さん
14/05/11 21:23:25.12 0.net
ちなみに英語の方も文献と場所は載ってない
バアルの角の方は勝手に牛と勘違いしてたな


>>292

名称と性格[編集]
ハモン(またはハンモン)の意味は不明で、19世紀にエルネスト・ルナンが現在の テュルスとアッコの間にあるハモン(?ammon)の遺跡(現在のUmm al-‘Awamid )を発掘し
エール・ハモン(El-Hammon)に捧げられた二つのフェニキア語碑文を発見した。
エールは通常クロノスにあたると考えられており、 Ba‘al Hammon はクロノスに相当するものとされていたことから、エールとバアル・ハモンは同じものであるとされた。

またしばしたヘブライ語/フェニキア語の ?amm?nは、'火鉢'を意味するとの説が唱えられ、”火鉢の主(Baal)”という文脈から、彼は太陽の神格�


319:揩ツものとされた[7] イガエル・ヤディン は彼を月の神と考え、エドワード・リピンスキー(英語版)は ダゴン神であると考えた[8]。 フランク・ムーア・クロスは Kham?nとの関連を論じ、ウガリット語と アッカド語のアマノス山(シリアとキリキアを分ける山脈)の名称との関連性を論じた。 Kham?nをHaman山の一つとして、エール神のウガリット表記に由来すると論じた。 バアル・ハモンに与えられた古代の月の神である"二本角の主"という名は 前2112年頃支配していたウル・ナンム朝時代の北シリアで崇拝されていた。 これは聖書にある、カナンの征服の約束が与えられる前のアブラハムと彼の祖先達がシリアに滞在していた頃、ヘブライ族の祖先によって崇拝されていた。 クロノスやサトゥルーヌスへのバアル・ハモンの関連づけは古代メソポタミアの史料には無く、古代バビロニアの史料は、明確にバアル・ハモンをエール神の息子としている。 このエールは、"天空の主" と称された古代シュメールのニップール市の主神であったエンリル神と同じ神格を持っていた。 彼の二人の息子がシン(またはナンナ・スエン)という月の神、及びアスタルト(または“雲の乗り手”バアル)として知られていた。 月の神の娘は金星の神イシュタルで、ウガリットやカナン文字の古代史料では、バアル・アスタルト(Baal Ishkur)の妻となった。



320:世界@名無史さん
14/05/11 21:31:41.78 0.net
>>293>>279

地名学[編集]

バアル・ハモン(Ba'al-Hamon、Ba'al-Hammon, Ba'al Khamon, Baal-Ammonなどの表記がある)はソロモンの歌8:11で言及されている。
それはソロモン王が所有していた生産性の高いワイン畑の場所を示し、王は畑を貸し出して1000シェケル の収入を得ていた。
その場所は Baal-gadに比定されていて、アシェル族の Hammon にも比定されている(ヨシュア記 19:28)。
パレスチナ中部のDothaim近郊のBelamonに比定する学者もいる。
一部の学者は、直接に場所を示しているのではなく、ソロモンが支配した領域が富める場所であったことの比喩であるとの見方を提案している。


URLリンク(en.wikipedia.org)

A place in ancient Israel, Baal-Gad was a Canaanite town in the valley of Lebanon at the foot of Hermon, near the source of Jordan River. (Josh. 13:5; 11:17; 12:7)
It was the most northern point to which Joshua's conquests extended.
It probably derived its name from the worship of Baal.
Its exact location is uncertain, but it is generally considered to be Hasbaya in Wadi et-Teim or a site nearby.


URLリンク(en.wikipedia.org)

321:世界@名無史さん
14/05/12 18:34:40.33 0.net
>>291
そしたらフェニキア人は何処から持ってきたの?

322:世界@名無史さん
14/05/13 01:54:53.76 0.net
>>292

ヒメラの戦い
URLリンク(en.wikipedia.org)(480_BC)

Background[edit]
The Phoenicians had planted trading posts all over the coast of Sicily after 900 BC, but had never penetrated far inland.
They had traded with the Elymian, Sicani and Siculi communities and ultimately withdrew without resistance to Motya, Panormus and Solus when the Greek colonists arrived after 750 BC.[7]
These cities remained independent until becoming part of the Carthaginian hegemony after 540 BC, probably when Malchus of Carthage "conquered all Sicily" and sent the ca


323:ptured booty to Tyre .[8] ヒメラの戦い: その史料分析を中心にして (1) http://ci.nii.ac.jp/els/110006608773.pdf?id=ART0008578059&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1399913099&cp= つづく、、、 おいらの参考図書には対したこと書いてなかったはず じつは>>267が詳しいかもね



324:世界@名無史さん
14/05/13 02:14:56.10 0.net
>>292

In Carthage and North Africa Ba?al Hammon was especially associated with the ram
and was worshiped also as Ba?al Qarnaim ("Lord of Two Horns") in an open-air sanctuary at Jebel Bu Kornein ("the two-horned hill") across the bay from Carthage


カルタゴ湾に浮かぶ山
Djebel Bou Kornein山(ブーコロニーノ 角が 2本 標高600m位)   
URLリンク(stat.ameba.jp)

325:世界@名無史さん
14/05/13 03:05:15.40 0.net
>>297

チェニス南西のこの辺り
URLリンク(maps.google.co.jp)


アフリカの「ヘラクレスの柱」ってこれにしとくか

326:世界@名無史さん
14/05/13 20:47:30.70 0.net
>>276

第1部 古代
「海上交易圏の形成」
(前30世紀頃~後6世紀頃)
URLリンク(www31.ocn.ne.jp)


【掲載目次】

第1章 海上交易圏の模索―文明発祥の地―
1・1・1 エジプト―外国人商人に依存―
1・1・2 オリエント―遠隔地交易人の登場―
1・1・3 インダス―海上交易圏の登場―

第2章 海上交易圏への架橋―東地中海の世界―
1・2・1 ビブロス、ウガリット―古代文明の十字路―
1・2・2 キプロス、クレタ―地中海世界への橋脚―

第3章 海上交易圏の形成―フェニキア、ギリシア、ローマ―
1・3・1 フェニキア―海上交易国の誕生―
1・3・2 ギリシア―エーゲ海限りの海上帝国―
1・3・3 カルタゴ、アレクサンドリア―地中海の棲み分け―
1・3・4 ローマ―単一支配の海上交易圏―

結章 古代海上交易論
1・4・1 古代の海上交易の形態
1・4・2 古代の船の発達―技術史的意味―
1・4・3 古代の航海、航海術、そして船員

327:世界@名無史さん
14/05/13 22:57:16.10 0.net
>>299

1・2・1 ビブロス、ウガリット―古代文明の十字路―
URLリンク(www31.ocn.ne.jp)

▼ビブロス、エジプトの橋頭堡▼
▼レバノン杉の交易と輸送▼
 ソロモンとヒラムの贈答交易
 エゼキエル、テュロスの領主ヒラムを断罪する
▼地中海への出口、ウガリット▼
▼生え抜きの商人と異国の商人▼
▼海事裁判を仕切る船乗りの長▼
▼若干のまとめ▼


1・2・2 キプロス、クレタ―地中海世界への橋脚―
URLリンク(www31.ocn.ne.jp)

▼キプロスの銅の交易▼
▼銅交易・工房船の遭難▼
▼クレタ、ミュケナイ、エーゲ海に勃興▼
▼東地中海アジアの船と航海▼
▼東地中海アジアの海賊ルッカ人▼
▼若干のまとめ▼

328:世界@名無史さん
14/05/13 23:03:06.16 0.net
>>299

1・3・1 フェニキア―海上交易国の誕生―
URLリンク(www31.ocn.ne.jp)

▼文明、交易、遠征の世界史の十字路▼
▼フェニキア、アッシリアに贈り物や貢ぎ物▼
▼大国からの独立でえる飛躍の機会▼
▼地中海全域に


329:広がる交易地(港市)▼ ▼ソロモンのヒラムとの提携による紅海交易▼  ソロモンのヒラムとの提携による紅海交易 ▼中継品と加工品の交易、御用から自前の交易▼ ▼ペルシア時代の交易の拡大と艦隊の派遣▼  ペルシア支配下におけるテュロスの交易品 ▼丸い・黒い・がらんどうの船▼ ▼大規模な港湾とヘラクレスの柱への航路▼ ▼ガレーの登場、衝角、二段櫂船の開発▼ ▼ペルシア戦争で、フェニキア艦隊、連敗▼ ▼若干のまとめ▼



330:世界@名無史さん
14/05/14 00:00:52.56 0.net
>>284

さて、どこまで書いたもんかなぁ
個人的におもしろかったのは以下
とりあえず、載ってる関係のものをメモ代わりに書いておこう


(03).クレタ島
 イダ山「ゼウスの洞窟」
 シデロス岬(鉄の岬)、コモス、港町イタノス
 キュテラ島、東の港ポイニクス、対岸本土のラコニア
 最大の港ギュテイオン

(07).シチリア島
 これは長い、、、


(08).サルディニア島(ノーラ、スルチス、タッロス)

(12).スペイン
 タルシュシュ(タルテッソス)
 カディス(エリュテイア島)
 港町ウェルヴァ(リオ・ティント鉱山)
 アンダルシア地方:
  文献記録の有る都市は、マラカ(今のマラガ)、セクシ(アルムネカール)、アブデラ(アドラ)
  トスカノス

331:世界@名無史さん
14/05/14 00:24:53.29 0.net
古代ギリシャ・神話の旅 前編 
トルコからクレタ島へ
URLリンク(www.bs-asahi.co.jp)

さまざまな神や英雄、怪物が登場し壮大な物語が繰り広げられるギリシャ神話。神話の原点となった風景や出来事は実際に存在していたのか。
その誕生の背景を探るべく、歴史家ロビン・レイン・フォックスが、ギリシャ神話のエピソードを紹介しながら、今も残る古代の遺跡や地中海沿岸の名所を訪ねる。

神話を生み出した人々は、神についてどう考え、どうやって神話を生み出したのか? 
今回はギリシャ神話誕生の真実に迫る全2回シリーズの前編。

ギリシャ神話に描かれた天地創造の物語や、世界の芸術家に影響を与えてきた有名な神々。
それらはもともと、エウボイア島(現・ユービア島)に住んでいた民族エウボイア人が、地中海沿岸の各地から集めた伝承をもとに、新たに作りあげていったものだった。
彼らの足跡を追いかけながら、ギリシャ神話誕生の真実、その謎をひもとく。

332:世界@名無史さん
14/05/14 00:26:15.41 0.net
>>303

ギリシャ神話を作り出したといわれるエウボイア人。
彼らは航海技術に優れ、地中海沿岸のさまざまな国を船で渡った民族だった。

歴史家ロビン・レイン・フォックスが訪れたのは、トルコ・古代ヒッタイト帝国の首都、世界遺産ハットゥシャ。
古代、この地でエウボイア人が伝え聞いた物語が、天の神ウーラノスと大地の女神ガイア、そして息子クロノスによる、ギリシャ神話における天地創造のエピソードとなったのだという。

さらに、地中海の島々も巡る。キプロス島で訪れるのは、多くの芸術家たちを魅了し続ける女神アフロディーテが海からあがってきたとされる浜辺。
今でこそ愛と美の女神として定着しているアフロディーテだが、エウボイア人が訪れる前は、キプロス島に伝わる、豊穣(ほうじょう)多産をつかさどる女神として信仰されていた。
またギリシャ・クレタ島では、全能の神ゼウスが幼少期を過ごしたといわれる洞穴を訪れる。元々この洞穴では、子供の姿を


333:した多産の神コウロスが崇められていた。 しかし、エウボイア人がやって来たことでコウロスは、ヒッタイト遺跡から誕生した神クロノスの息子ゼウスとして生まれ変わったのだ。 各地を旅したエウボイア人は、ギリシャ神話を作り上げただけでなく、アルファベットを普及させた立役者でもあった。 また、彼らのおかげでギリシャ神話が誕生し、現代へと伝えられたのである。 古代を旅したエウボイア人と、彼らが出会った物語の数々を紹介しながら、ギリシャ神話が誕生した背景に迫る。



334:世界@名無史さん
14/05/14 00:28:24.76 0.net
>>303

古代ギリシャ・神話の旅 後編 
ギリシャからシチリア~ナポリへ
URLリンク(www.bs-asahi.co.jp)

神話誕生の真実に迫る全2回シリーズの後編。

今回の旅は、ギリシャより西側の島々へ。神々や人間、そして怪物たちがぶつかり合う戦いの伝説を中心に、それらが生まれた経緯や背景にある真実を探る。
エウボイア人は神の実体をどのようにとらえていたのか、その答えが浮かび上がる。



ギリシャ神話を作り出したエウボイア人は、自分たちの神話をさらにドラマティックな内容へと進化させた。
それは、全能の神ゼウスとヘビの怪物テューポーンの戦いを描いた物語だ。このエピソードは、実際にある場所や風景と伝説という、全く違う要素を組み合わせて作られていったものだった。
彼らは古代ヒッタイトの伝説をもとにストーリーを構成する一方で、テューポーンが住むとされた洞穴はトルコのカラペテ南西の峡谷をもとにしている。
さらに、イタリアのエトナ火山やイスキア島にも渡り、物語のクライマックスとなるテューポーンの最後を書き上げた。
番組では、それらの土地を旅しながら、全能の神ゼウスと怪物テューポーンの壮絶な戦いの物語を追う。

また、シチリア島クーマイ近郊の化石の発掘現場に赴き、エウボイア人が、マンモスなどの骨を、神と戦って敗れた巨人の骨と考えた経緯を探る。
さらに、神々が巨人達を撃退した戦場の跡地を求めてナポリへ。地中海各地の大自然や風景、エウボイア人が出会ったであろうさまざまな文化を紹介する。
ギリシャ神話誕生の背景にある真実、そしてその謎を解き明かす壮大な旅はクライマックスを迎える。


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