☆★☆★☆南京大虐殺を語ろう53☆★☆★☆at HISTORY2
☆★☆★☆南京大虐殺を語ろう53☆★☆★☆ - 暇つぶし2ch991:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/08 02:38:08.39 efT1A0+C0.net
1908年に起こった第二辰丸事件に絡んで発生した広域日貨排斥運動は中国における日貨排斥運動の先駆けとされるが、
これに続く日貨排斥運動は、日露戦争中に軍需物資運搬のために日本が満州で敷設した狭軌の簡易鉄道である安奉鉄道の標準軌への改築交渉に関連して発生した。
この簡易鉄道は瀋陽~丹東までをつなぐもので、この鉄道の軌道を標準軌に改築して、釜山から満州鉄道本線までを一本に連結することが日本の目的だった。
清国側はこの簡易鉄道は満州鉄道とは別個の鉄道と位置づけ、日本側が満州鉄道の支線とみなす考えに立っていたのとは根本的に異なる立ち位置だったとされている。
日清間の交渉は1905年10月から1909年8月まで行われ、紆余曲折しながら清国が日本の要求を受け入れて妥結するのだが、
妥結直前の8月6日には日本は清国の同意がないままに改築工事を断行する。
その一週間後の8月12日に、日本の断行に対して東京の清国からの留学生40数名が日貨ボイコットを決議し、その檄文が天津、上海、広東、香港などの新聞に掲載された。
また、満州の奉天の総商会が9月4日に日貨排斥を決議し、5000名の学生がボイコットの先頭に立ったとされ、さらに満州各地に日貨ボイコットが広がったとされている。
しかし、日本の要請を受けた清国が厳しい取り締まりを行ったために、短時日のうちにボイコット運動は収束したようだ。
この安奉鉄道改築断行に絡む日貨排斥運動は、清国の国権が損なわれたとみなしての反日運動であり、第二辰丸事件の際の日貨排斥運動と本質は同じとみることができる。
清国がこうした運動を裏工作して交渉を有利に運ぼうとしたものだとは、考えにくい。
なぜなら、鉄道改築の交渉は、日貨ボイコット運動が発生したときにはすでに妥結しているからである。
また、この交渉に際してイギリス、アメリカは日本を支持しており、ロシアは改築を歓迎しないまでも特に反対もしていないので、列強が反日運動を煽ったということはないとみられる。
このように、1909年までの中国での日貨排斥運動は、政治的背景を持った組織的な工作によるものではなかったと考えるのが妥当なようだ。
しかし、この安奉鉄道改築交渉に絡む日貨排斥運動が起きた1909年8月のすぐあとの1909年10月にハルピン駅で発生した伊藤博文暗殺事件は、見逃すことはできない。
次に、この伊藤博文暗殺事件をみてみよう。


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