☆★☆★☆南京大虐殺を語ろう53☆★☆★☆at HISTORY2
☆★☆★☆南京大虐殺を語ろう53☆★☆★☆ - 暇つぶし2ch986:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 13:32:19.98 LMDXxGX+0.net
>>941
ロシアは日清戦争以前から南下政策をとり、黒海方面や極東方面への進出を図っていた。
日清戦争後に日本に割譲された遼東半島を反日的な黄禍論を背景としてロシア、フランス、ドイツが横やりを入れて返還させた。これが1895年。
不凍港を求めて南下していたロシアは、日本がこの地域に進出してロシアの南下政策に不利益をもたらすことに反発したわけだ。
そして、この返還の見返りとしてロシアは清国に対して遼東半島の旅順を租借地として求め、獲得することに成功した。
この翌年の1896年にはロシアと清国は密約を交わし、ロシアは満州へ軍隊を駐留させ、権益を拡大した。
この露清密約が日露戦争の原因の一つとなった。
また、1900年に発生した義和団の乱の際にロシアは満州へ出兵して占領し、満州の植民地化を既成事実化しようとした。日本を含めた列強の反対が噴出したものの、ロシアは軍隊を駐留させつづけ、さらに増強を図った。
これが日露戦争の原因の一つとなる。
ロシアの南下政策が極東において、どのような具体的な姿をとるのか明らかにした事件だった。
こうしたロシアの南下政策に対してイギリスが取った対ロシア政策の一つが1902年の日英同盟だった。
こうした国際情勢の中にあって、注目されるのがアメリカにおける排日運動の発生だ。
この排日運動についてみてみよう。
日露戦争勃発に外部勢力の工作があったのかどうかをみたい。


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch