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「虐殺」というのは今も昔もたいてい中国人のしわざと断定できる
北伐軍は、1928年5月3日、これまで述べてきた悪行をはるかに超える悪事を働く。
済南事件である
5月3日午前9時半前、『満州日報』取次店の吉房長平宅が北伐軍に襲われた。
商埠地内の至る所で、中国兵の略奪と射撃が一斉に開始される。中国兵は、
隊伍を組んで歩き、計画的に掠奪していた。
ようやく安定した後、中国軍が日本の民間人に対して行った惨殺などが明らかに
なった。田中本から引用しよう。
五日になり、中国人から密告があり、鉄道線沿いの石油タンクの近くに人が
埋められているという。少し盛り土があった。掘り返すと、酸鼻の極みと
いうべき惨殺死体が男性十二名、女性二名の十四体も現れた。
えぐられた目、切り取られた鼻、柘榴状に切り裂かれた顔、腹を切り裂かれて
引き出された内蔵、陰茎が切断された男性、陰部に棒が突き刺された女性、
全員が縄で縛られ、熱湯をかけられたり、石油で焼き殺されたりしていた。
(150頁)
何とも、残酷な殺し方である。
ソース
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