西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男at HISTORY2
西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男 - 暇つぶし2ch541:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/28 10:07:19.23 FmBdRmLi0.net
帝王学てブラックなノウハウだと考えてる人が多いけど実はホワイト
島津久光は西郷隆盛にジゴローと言われたときに、感情を出さず聞き流したというね
それが大名の正しい態度(久光は大名ではないが)
と言っても久光は西郷が帰った後に大久保になんであんなやつ連れて来たんだとキレまくったらしいですがw

542:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/28 13:23:27.54 UrZAZE2q0.net
第59代宇多天皇が遺した、天皇の心得「寛平御遺誡」
・賞罰を明らかにし、愛憎をふりまわすことなかれ。
・皆に公平に、好悪に偏るべきでない。
・万事について惑溺して度を過ごしてはいけない。
・天子たるもの喜怒を慎み、表情にだしてはいけない。等々
帝王学というのはここから来てます
現人神などという、人を超越した“設定”も、ようは帝王学の趣旨そのものなんだよな

543:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/28 14:09:23.35 734Ex8uk0.net
>>542
現人神というのは天皇支配の根拠たる架空の設定ですので帝王学とはちょっと違う
天皇が感情を出さないよう教育されていたのはほんとう
昭和天皇も能面のように表情を出さないことが多かった
今上天皇は笑いますが誰に対しても笑みを絶やさないので、あれはあれで笑ってないのと同じで、現代版の帝王学なんですよね

544:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/28 22:58:40.42 P8mk1N680.net
天皇が神格化されたのは昭和だろう
大久保、岩倉なんて天皇に嘘の報告して西郷の遣韓を握りつぶし
天皇の命令を無視して江藤を処刑

545:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/28 23:07:59.49 9Kjp0HIH0.net
偽勅、偽錦旗、なんでもあり
でも伏見宮系の坊さんを還俗させて新規に宮家を立てた
好きなように利用してただけ

546:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/28 23:13:06.47 TR32Ap/D0.net
>>533
3の西郷が馬に乗らなかった件に関しては、ちょいと異論あり
少なくても禁門の変までは馬に乗ってる(馬上で流れ弾に当たって負傷している)し
そもそも西郷が馬に乗るのを好まなかったのは、当時としては規格外の巨漢ゆえに馬を乗り潰してしまうからと高島も語ってる
有名な金玉肥大も結構晩年の話だから、いつから小西瓜サイズの陰嚢になったのかは不明
腕の障害に関しては剣で身を立てるには無理があったろうが、相撲好きだったりの腕っぷしに関する逸話は多いので、手綱を握るのに障害と言うほどではなかったろう
西郷が腕の障害で剣の道を諦めたと言う逸話はあっても、日常生活で難儀したと言う話はない
晩年ですら狩猟でライフルぶっ放しまくってるしね

547:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/28 23:16:22.88 P8mk1N680.net
そうすると正論を通し下野した西郷さんが後世に光るな
だから人気あるんだろな

548:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/29 01:23:15.93 m4Uolb400.net
>>546
高島ってあの高島鞆之助ですか?
もしかして西郷が馬上から明治天皇を叱った逸話も高島がソースなのかしら?
高島がどういう傾向の人なのかは、>>451あたりを見れば、分かります・・・

549:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/29 09:33:55.06 01Cwii4h0.net
西郷が馬に乗ってる姿を見たことがないと、当事者の明治天皇が証言してる時点で

550:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/29 13:20:53.69 xdRzxcm/0.net
URLリンク(image.news.livedoor.com)
西郷隆文(西郷隆盛の曾孫 69歳 結婚歴無し)
URLリンク(parts.news-postseven.com)
URLリンク(www.asagei.com)
URLリンク(shop.r10s.jp)
URLリンク(sinsin35.com)

551:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/29 16:38:30.33 fNuDJEjW0.net
>>544
大昔、海音寺潮五郎と司馬遼太郎の対談を読んだが、二人は維新三傑あたりは天皇の絶対中心主義みたいなものを二流と捉えてると言ってたな
三傑がいなくなって以降、徐々に強くなっていったようだ

552:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/29 16:47:13.48 wI//MbQm0.net
江戸時代まで(というか飛鳥奈良の昔から)国に君主がいて、君主が直接命令をばんばん出して
その命令には絶対服従、ってのが日本の国制そのものだったからな。鎌倉以降になって天皇の
権限が衰えて事実上の権威・権力の分離がおこっていた、なんて事実すら幕末の志士にはまったく
理解されてなかったろう。そういう史観はそれこそ近代の歴史学の成果であって、天皇さまが
国を治められるのなら天皇親政が「あたりまえ」というのが実感というか体感だったのではないか。

553:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/29 17:01:31.33 fNuDJEjW0.net
維新三傑はこれからの時代は国民主義、立憲主義という意識が天皇主義より強かったんでしょ

554:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/29 18:41:17.57 +i1rmZAK0.net
>>541
そもそも島津久光って西郷隆盛を持ち上げるために悪役扱いされた可哀想な名君だわ
確かに西郷を見出したのは斉彬公だったが、実際に西郷が大仕事を成したのは久光の指揮下での事だしね
言わば最も西郷を上手に使い活躍させたのが久光
学者肌でありながら斉彬公以上の統率力を発揮して時代を動かしたのに、あまりにも過小評価され過ぎなのよ
>>548
>>549
明治天皇を馬上から叱りつけたってのは、西郷の性格から言っても流石にありえんだろうね
ただ禁門の変では実際に馬に乗ってたわけだからねぇ
金玉肥大が何歳くらいの頃かはっきりしないが、明治維新後も狩猟で野山駆け巡ったりしてるとこ見ると、金玉肥大は結構晩年の話だわな

555:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/30 07:45:58.63 C/QeU2+D0.net
スレ主は>>533で、明治天皇の言動を「人としてふつう」と書いた。
しかし、明治天皇の立場を普通の人と同じに考えるのは無理がある、
と指摘したら、「帝王学」を持ち出した。
スレ主の考える「帝王学」は世界共通のものであるらしく、
その例として挙げたのが宇多天皇(9世紀の話)です。
それが西洋の王族にも明治天皇にも現代の社長にも通じる、という。
一神教の西洋と、八百万の神の国なんて違いは一切考えていません。
また世襲制の王族の「帝王学」と、現代の経営者の違いも考えていません。
もし子に継がせることを前提として子供に「帝王学」を施す経営者がいたら、
その会社は明らかな「ブラック」でしょうよ。
スレ主は単に自説の「好悪を明らかにしないのが帝王学」という前提を、
すべてに当てはまるようこじつけているにすぎません。
まあ「思想信条」の意味を知らなかった人ですからね。
なんでもその場しのぎです。
西郷が「敬天愛人」といったときに、天皇を中心に据えて、人民がまとまる国を考えていたのでしょう。
明治という時代の流れを考えると、その見通しは間違っていなかったと思います。

556:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/30 09:07:40.06 TGFTMMUK0.net

きみの頭の中にある「独りよがりな言葉の定義」を人に押し付けるのはやめてくれ
帝王学は>>541も書いてるけど、主君が自分を律するための
どちらかと言えばホワイトなものだよ
親が子供たちを公平に扱う
なども小さな帝王学だと思う
支配が目的だったとしてもね
言葉の定義や使い方は人によって違うし
文脈の中で変化するものでもあり、
きみの頭の中の一方的な言語観に、忖度して合わせることなど不可能だ
だいたい「天皇を中心に据えて、人民がまとまる国」などというあやふやな美辞麗句を並べ、
それで何か言った気になってるきみの言語観など一顧だにする価値も無いと思う
相容れないなら来ないほうがいいんじゃないのか

557:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/30 14:42:05.66 S7aeKEJJ0.net
てか寧ろ久光と西郷の板挟みになっていた連中が相当だったのだろうというお話かとw

558:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/30 16:14:20.40 qc0TDDtc0.net
>一顧だにする価値も無い
それならスルーすればいいだけなのにね。

559:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/30 20:11:55.06 n7PGJoaW0.net
>>557
まぁ西郷も維新後は久光と新政府の板挟みになるわけで
久光の側近連中は「我々の苦労を思い知ったか、コノヤロウ」って感じだったんじゃね?
明治に入ってからは久光と西郷の関係が意外と悪くなかったのは、こういうのも関係してるのかもね~

560:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/30 21:21:59.18 khTEB/Tv0.net
明治5年の時点では久光の西郷への怒りは収まるどころか激しさを増していて
天皇の鹿児島巡幸の際に、一緒に来た西郷が久光を無視して挨拶にも行かなかった
ことから怒りが沸騰し「十四か条の意見書」を政府に提出している
以下は西郷に対する詰問であると言われている
・君主という存在がありながら勝手に高位高官を引き受け、その地位にあること
・美風良俗を破壊し、階級を打破し、西洋に心酔すること
・高給をむさぼり、自分に従うものだけを登用し、苛政を放置していること
・御巡幸の際、供奉第一の高官として失態があったこと

561:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/30 21:23:50.12 khTEB/Tv0.net
久光の西郷への態度が柔らぐのは明治6年の政変で西郷が鹿児島へ下野してからだ
久光としては打算的に西郷を自分の陣営に取り込み、ともに政府へ圧力をかけることを狙ったようだ
西郷にとっても悪い話ではなかったはずだが、西郷はこれを断っている
久光と西郷が和解したというのは、一種の西郷伝説(西郷の懐の深さをアピールする美談?
もしくは大久保を悪者にするためか?)であり、
実際には西郷と久光の関係は最期まで冷え切ったものであった

562:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/30 21:30:32.14 vXJE7rcJ0.net
維新後の三傑
西郷 俺流を貫く
大久保 専制を目指す
木戸 憲法制定を唱える
こんな感じじゃね

563:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/30 21:34:36.87 vXJE7rcJ0.net
維新前の西郷は薩長や薩土の連携に奔走したが
下野後の西郷は板垣や江藤との提携を断り久光や私学校とも距離を散っている
何を考えていたか不明である

564:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/30 21:59:37.66 vn1AgYEA0.net
>>563
江藤との連携はありえんでしょ
西郷は政府転覆を意図して下野したわけではないんだし

565:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/30 22:16:00.67 vn1AgYEA0.net
>>560
十四か条の意見書までは確かに西郷を目の敵にしてたろうが、その後の西郷の狼狽ぶりを見て久光は十分に満足したんじゃね?
わりと茶目っ気もあるし、家臣の意見を大切にする人だったかとかと
どうも久光の明治維新後の頑固な態度を曲解されすぎてると思う
久光って権威や権力に固執するタイプじゃなく、本来は実直で学者肌の人だわ
独裁者でもなけりゃ薩摩の象徴でもなけりゃ島津家の守護者でもない
ただ本人が意図した以上に統率力を発揮してしまって、不本意ながら幕末最強レベルのリーダになってしまっただけのこと

566:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/30 23:21:03.06 khTEB/Tv0.net
西郷が政府転覆の野心を持っていたかですが、
西南戦争の時の西郷の言動
「自分は陸軍大将であるから全国の兵を率いる権限がある」
「政府軍の多くも自分のもとに馳せ参じる」
などを考えると、政府転覆どころか、自分は今だ政府軍のトップであると
考えていたことになり、そのへんが西郷が各地の不平士族(無職)と連携しなかった
最大の理由なのではと思ったりします
実際政府からは陸軍大将としての給金が鹿児島に送られており
(西郷は受け取らず県庁で預かる形になっていたようだが)
桐野利秋や篠原国幹にも同様に少将の給金が送られていたはず
つまり彼らは、後世の我々が思っているような“下野”という感覚で鹿児島にいたのではなく
一時的に政府の仕事をサポタージュしてるような感覚で
鹿児島で軍事教練に励んでいたのではないのか
そう考えれば、西郷らが佐賀戦争という無職の反乱に呼応しなかったのも納得いくし
西南戦争で自らの立場を異常に過大評価していたのも分かる
まあ仮説ですが

567:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/31 01:10:34.99 i1f9meKU0.net
妄想ですw

568:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/31 03:52:18.71 kfuLtz6t0.net
>>566
× サポタージュ
○ サボタージュ

569:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/31 06:58:46.05 RaLGKSAy0.net
明治六年の政変後も
政府から西郷へは、東京に出仕してくれるよう再三要請があった
久光にも同様の要請はあり、久光は度々政府に出仕している
西郷は出仕を断っているが、官位や陸軍大将の肩書きはそのままである
給金が自分に送られてきていることも合わせて、
政府が下手に出てくるのはまんざらでもなかったはずである
後世の西郷美談では、それを西郷と大久保の絆であるかのように説明するが
ようは大久保の巧妙な懐柔術により、西郷が壮大な勘違いをさせられていたのである

570:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/31 07:19:54.19 kfuLtz6t0.net
スレ主が、>>569にあるような自分の解釈による思い込みを、
「史実」と称して5ちゃんに書き込むのは、
テンプレにある通り。
「史実」という言葉の意味から説明しないといけないのは、いかにも難儀ですね。

571:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/31 07:35:20.40 RaLGKSAy0.net
ふつうに史実しか書いてないんだけどな
官位、給金、出仕要請、西郷の勘違い発言・・・
史実の背景を論じてるだけで
>>570
まあしかし大晦日の早朝から、大嫌いなスレの監視&必死に人のあげあし取り(しかもいつも内容ゼロ)とはなんとも歪んだ人生ですなあ・・・

572:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/31 08:25:14.68 /4BVJf3+0.net
西南戦争の出陣の際、西郷は陸軍大将の正装で出立している
西郷以下の政府軍にいた者たちもその制服で出立したと言われている
たんにそれしか軍装を持っていなかったのかもしれないが、
西郷が賊軍認定された報せを聞いて、大将の軍服を焼き捨てたことを考えると
その瞬間まで西郷は自分を政府側の人間と思い込んでいたフシがある
江戸時代までは、出仕していなくても、幕臣や藩士はそのまんま幕臣や藩士であることに
変わりはなく、西郷たちもそういう感覚でいたとしても不思議は無い
勝手に解釈すんなという人は、むしろ現代の我々の就業観で西郷たちを解釈していないか
立ち止まって考えたほうがいいと思う

573:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/31 10:44:57.25 kfuLtz6t0.net
とヒラバイトさんが申しております。

574:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/31 16:19:47.60 15grYtfi0.net
西郷の発言は挙兵後に過ぎんから
単に楽観的だったか、挙兵に正義があるという意図で言ったか分からない
突発的に起きた西南戦争を元は考えてないし
私学校が暴発した時しまったと言ってる
一方で前原の乱を喜んだりしてる

575:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/31 18:41:25.25 DZZsN03O0.net
>>574
落ち着いて整理して書こう

576:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/31 19:07:36.35 ok/N34EK0.net
【守銭奴】日本発の株式市場の崩壊は避けられない、彼らは財産を隠し、犯罪的雰囲気さえも創出している
スレリンク(liveplus板)

577:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/31 22:41:49.16 FZmeeQ4J0.net
それではアンチも信者も客観派も、皆様良いお年をお迎えください
来年は大河もあるから、良くも悪くもこのスレが盛り上がってくれることをお祈りしています
個人的には西郷信仰の犠牲となった島津久光公の再評価を…

578:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/31 23:45:49.91 DZZsN03O0.net
>>577
よいお年を

579:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/01 10:26:35.83 bOYdx6e30.net
島津久光は残ってる写真の印象で、もの凄い損してる

580:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/01 10:29:59.70 bOYdx6e30.net
逆に西郷は写真を一枚も残さなかったことにより、カリスマ性がさらに高まったよな

581:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/01 20:05:33.02 IA9VzdM10.net
>>569
史料はなに?w

582:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/01 20:06:41.65 IA9VzdM10.net
>>571
ソースは?w
>後世の西郷美談では、それを西郷と大久保の絆であるかのように説明するが
ようは大久保の巧妙な懐柔術により、西郷が壮大な勘違いをさせられていたのである

583:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/02 14:39:58.45 cm4EjUsB0.net
意味不明
西郷さんが各地の不平士族と連携せずに、政府転覆の機を逸してしまったのも
西郷さんの立場(陸軍大将)を考えれば、そうなるよなという
どちらかというと、大久保にハメられた西郷さんに同情的な解釈なのに・・・

584:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/02 14:41:07.93 cm4EjUsB0.net
信者ってのは、知識が無いだけではなく
精神的な余裕も無いからなのか、
西郷さんが何か言われている!と思うと
直ぐカッとなって反応しちゃうんだよな

585:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/02 20:07:33.17 Mz+gcCwa0.net
徳川倒幕の時に雄藩連合を組んだ結果、新政府の権力が分散し、そのせいで薩摩の力が相対的に低下、西郷自身も政府から追われる憂き目を見た。
西郷はその反省に立って第二の維新たる西郷軍挙兵は単独で実行することにこだわった
というのが司馬遼太郎の解釈だったな。

586:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/02 21:36:19.74 72uoW8Hz0.net
>>585
それは司馬遼太郎の過大評価だと思う
そもそも「政争に敗れたための下野」つうのが、西郷を新政府の要人という評価から出た誤解かと
西郷本人にしてみれば、自身は地方公務員が出向で中央政府に出仕していたに過ぎないって感覚だったのでは
だから下野では無く、勝手に出向先から帰ってきただけ
まぁ勝手に帰るっこと自体アレな感じだが
しかも西郷は帰郷したがる悪癖がある上に体調不良も抱えてて、とにかく鹿児島に隠遁したかっただけじゃないのかねぇ
身体も衰えて自身が最後の大仕事と思ってた韓国行きの話も潰され、もうやる事も無くなったんで元の薩摩藩士に帰りますって事だったんだろ

587:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/03 02:09:22.96 qE5B9WKE0.net
>>583
意味不明w

588:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/03 02:09:38.74 qE5B9WKE0.net
>>584
自己紹介すんなw

589:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/03 02:11:29.73 qE5B9WKE0.net
>>586
またお得意の妄想か馬鹿w

590:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/03 08:22:57.69 98szvj3T0.net
>>586
自分が司馬遼太郎より物が分かってる、という自信はどこから来るんだろうね。
言ってることは「帰るっこと自体アレ」とか中身がまるでないが。

591:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/03 09:51:06.56 JU9QL0w30.net
いろんな解釈があるようだけどいずれも西郷の愚かさが際立ってんな
西郷さんは担がれていただけだとか、「しもた」と言ったとか、アホか
鹿児島で反政府的な集団を放置してニヤニヤしてた張本人なのに

592:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/03 14:58:29.60 qE5B9WKE0.net
>>591
ソースは?w
> 鹿児島で反政府的な集団を放置してニヤニヤしてた張本人なのに

593:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/03 15:19:57.32 g3SILTUX0.net
西郷の下に桐野利秋という人がいたけど、われわれは桐野について深く考えることはしない
桐野はそれほど深い見識を持っていたようには見えないし、陸軍少将まで昇った人だが
それは親分の西郷が出世して、引き上げてもらったからというのを誰でも知ってるからだ
西南戦争で桐野は首謀者の一人であったが、誰もそこに深い意味を見出したりはしない

594:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/03 15:20:19.52 g3SILTUX0.net
西郷も桐野同様で、本来は深く考察しても意味の無い人なのだ
他の政府メンバーに比べて近代や対外政策についての理解は格段に劣り
軍事についても、名目上司令官に就くことが多かったが参謀がいなければ何もできない素人である

595:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/03 15:20:40.11 g3SILTUX0.net
その意味の無い人がなぜ新政府のトップまで昇り詰めたのかを深く考えることには意味があるが
西郷の行動に深い意味を見出すことには意味が無い

596:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/03 16:42:29.37 qE5B9WKE0.net
という妄想連投病気ワロタw

597:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/03 19:32:47.24 rzMRhb6z0.net
桐野も西南戦争の首謀者じゃないからな、西南戦争は私学校の弾薬庫襲撃で起きたんだし
だから西郷も「しもた」と一声上げた
さらに大久保・川路の西郷刺殺の疑いで、西郷も政府を信用できなくなったんだろうな
参謀が居なければは木戸や大久保も同じだしな

598:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/03 19:48:23.39 Za1zmLvx0.net
>>593
桐野は私学校の設立には関わったけど、実は西郷と同じくその運営にはさして関与してない
むしろ士族就農のために設立された吉野開墾社に熱心で、ひたすら吉野台地で荒地を耕して芋畑作る毎日だった
私学校党の首領扱いもそもそも間違いで、最初は私学校党の若者を抑える役目だったのだわ
それが暴発した若者達に西郷より一歩先に担ぎ出されてしまったのだわ

599:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/03 21:05:22.59 Za1zmLvx0.net
連投申し訳ないが言わずにはいられない
今度の大河って西郷と大久保が、ガキの頃からお隣さんの幼馴染って設定なの?
いやもう、なんなのよ…それ

600:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/03 22:19:47.57 g3SILTUX0.net
>>598
吉野開墾社のことは知ってるけど、西南戦争はあらゆる記録を見ても
桐野が中心だわな
旧薩摩藩士全員出陣とかのキチガイ戦略決めたのも桐野だし
最期まで徹底抗戦を主張したのも桐野だ
最初の火薬庫襲撃に関わってないから、桐野は西南戦争の首謀者ではないというのは無理ありすぎ

601:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/04 09:53:53.03 WcG/nWjk0.net
最近、書店の店頭に、西郷研究本がまたいくつか並んでたねえ。
西郷人気いまだ衰えずだ。

602:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/04 09:57:24.46 WcG/nWjk0.net
あまりに西郷について論じられることが多いから、なぜ日本人は
西郷隆盛を論じ続けるのかという、そのことをテーマにした本が
出たりしてるねw

603:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/04 12:43:51.60 3bZytTcD0.net
>>601
大河ドラマって知ってる?

604:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/04 12:47:37.59 WcG/nWjk0.net
>>603
西郷が大河ドラマにとりあげられたせいで、研究本が一斉にいくつも
出版されたという可能性はあるだろうねw 大河ドラマにいまだにとりあげ
られるくらいの人気はあるわけだね西郷にはw

605:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/04 12:51:46.68 WcG/nWjk0.net
西郷が大河ドラマになったりするのは、西郷についての誤った歴史観が
いまだに根強いせいだ!という主張もあるだろうが、それはひとつの解釈に
すぎないわけで、西郷が大河ドラマになって、研究書がいくつも出版された
というのは、単なる客観的な事実と言えようw

606:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/04 13:23:12.60 XGJbTaKA0.net
研究書WWWWWWWWWWW

607:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/04 20:52:10.60 Tm0Qr2e50.net
匿名5ちゃんでしか物を言えない御仁が、
出版物に草を生やす愚かさに気づかないのは、
哀れだね。
こう書くと、「自分だって5ちゃんやってんじゃん」と突っ込みが入るんだろうが、
5ちゃんは雑談には向いてるが、考証が必要なものには向いてない。

608:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 00:30:50.79 q1CrYR+00.net
雑談WWWWWWWWW
おまえは24時間粘着してる荒らしだろWWWWWWWWWWW

609:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 00:44:34.67 V839q9zI0.net
>>600
桐野が西南戦争の首領だったってのを否定する気は無いよ
ただ少なくても首謀者ではなかったし、首領になった事についても暴発した若者達(主に加治木衆)に担ぎ出された結果だと思う
中央政府に出仕した経験のある幹部組は、終始抑える側に回っていたわけだしね

610:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 21:14:43.67 Oxka9SCE0.net
西郷や桐野は西南戦争を起こそうと思ってないのです
別な考えがあったはず
起きた以上は首領になったのだけど

611:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 21:49:51.25 AMrb+yV+0.net
このスレ立てたキチの「桐野暗殺説」が
テレ東で都市伝説扱いでワロタw

612:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 22:04:58.87 DRXsP79w0.net
>>39 ヲイヲイ、なわけないだろ。大隈は字が下手でから日記類は全て処分をしたんだよ。

613:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 22:15:19.56 DRXsP79w0.net
>>574 ヲイヲイ、資料(小説)を切り取りすぎて、駄目だろう。そんな事が、いえるならジンギスカンは源義家だな。

614:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/06 08:27:14.36 M4Uoloyl0.net
衝撃証言! 愛に溢れたリーダー「西郷どん」は、じつは「心が狭い男」だった!
URLリンク(www.dailyshincho.jp)

615:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/09 13:36:19.72 4q/fXsco0.net
塾やってただけで、不平士族のまとめ役にされ
清和源氏なだけで、不平士族の棟梁と名指しされ
理由を調べると西郷が指定したから
会ったことも無い西郷に一方的なレッテル貼られたが、
不平士族の棟梁となって西南戦争を起こしたのは、西郷本人だった
自分の反乱を隠すために、罪のない他家を反乱分子に指定した最低の屑

616:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/13 13:41:18.60 6tSyCFAc0.net
従道と違う道を進んだ理由は?

617:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/14 02:15:18.11 gmXeqXbi0.net
西郷隆盛みたいなレイ パーだけではなく、幕末で英雄視されている奴の大半が嘘だからな。
坂本龍馬とかクズもいいところだろ。

618:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/14 10:23:01.87 ey80ew2c0.net
みんな下級武士の身分から這い上がったみたいに思われてるけど
坂本は金持ちの実家や後援者の金で毎日宴会だし
西郷も薩摩藩の身分序列では、西郷より身分の高い者は全体の2%しかいないという生まれ
本当に下級の極貧の奴は、そもそも交通費が無いので脱藩もできないし
よほどの学識が無いかぎり取り立てられることも無い
西郷の場合は、そういう者たちに情けをかけ取り立てることで人望を得、覇を成した
自分は前に出ず、人の世話に徹するというタイプではない
情けをかける自分に酔ってたと思う
本当の人格者なら西郷みたいに偉そうな書を書いて、人にあげたりしないよ

619:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/14 15:11:45.54 yr5KPnAo0.net
庄内藩が恩義を感じたのはなぜか?

620:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/14 21:36:38.43 CgRC9+6F0.net
西郷隆盛がキルヒアイスで大久保利通がオーベルシュタイン とか言う人がいるけど、むしろ本来は真逆だよな
日本人はオーベルシュタイン を好みキルヒアイスを嫌う人間だよ
西郷隆盛がオーベルシュタイン で大久保利通がキルヒアイス なのだから
日本人はオーベルシュタインをキルヒアイスと、キルヒアイスをオーベルシュタインと言う人種だよ


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