西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男at HISTORY2
西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男 - 暇つぶし2ch2:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/13 17:53:58.62 r0jtN97D0.net
もう一人、西郷をよく知る人物の西郷評を紹介します。
市来四郎。西郷とともに島津斉彬の片腕として働き、集成館事業を遂行した人です。
「 西郷は掛け軸などの書をよく描くだけで、学識は無く、文章をつくる能力も無かった。
 性質は粗暴で理財にうとく、実務も執れなかった。
 いつも少年とばかり付き合い、同年代の人との付き合いは二、三人しかいなかった。
 西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
 ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、捨てられる者も多かった。
 器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か同県人かで、態度や言動が変わった。
 議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
 そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった。」

3:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/13 17:56:40.32 r0jtN97D0.net
■ 西郷隆盛 その伝説と史実 ■
伝説 : 比類無き大度量・大至誠の人。誰もがその巨眼に引き込まれ敬愛した
史実 : 実際に会った人の証言 「偏狭であった」「人の悪口が多い」「人望を得ようと計算している」
伝説 : 「おいの体をあげもそ」と西南戦争を決起
史実 : 玉砕の5日前に“自分だけ”政府軍に助命嘆願 → 拒否られている
伝説 : 「晋どん、ここらでよか」と潔く自決
史実 : 玉砕当日城山の洞窟から逃走 → 桐野利秋に見つかり射殺された
伝説 : 清貧、高潔、質素な食事
史実 : 政府からの給料が現在価値で月2千万円 年収2億4千万円
     豚の霜降り肉の食べ過ぎで超肥満に
伝説 : 自宅は雨漏りするボロ屋
史実 : 千百坪の超大豪邸に暮らす。使用人20人、飼い犬20匹
伝説 : 「子孫の為に美田を買わず」西郷家家訓
史実 : 西郷一族で東京ドーム117個分の土地を買い占め
伝説 : 「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」坂本龍馬による西郷評
史実 : 勝海舟による創作
伝説 : 幕府から指名手配された親友月照を不憫に思い心中を試みる
史実 : 藩命により、死ぬ気など無かった月照を海に突き落として殺害
伝説 : 江戸総攻撃を中止させ江戸百万人を救う
史実 : そもそも総攻撃を主張していたのが西郷本人だった
     総攻撃に反対する英国大使パークスの圧力により断念
伝説 : 道義を貫きとおした巨星
史実 : 浪士を雇い、江戸で放火、掠奪、強姦、卑劣の限りを尽くし幕府を挑発

4:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/13 17:57:42.45 r0jtN97D0.net
伝説 : 大久保利通とは幼少時からの親友。大久保家が困窮した時期、
     利通少年は西郷家で食事を摂らせて貰っていた
史実 : 同じ町内の顔見知り程度で、個人的な付き合いは一切無し
     親しくなったのは青年期以降に精忠組で一緒になってから
伝説 : 大久保利通による西郷暗殺指令
史実 : 鹿児島士族が政府の密偵を凄惨な拷問にかけて自白を強要しており、信憑性無し
伝説 : 奄美人を大切にした西郷さん
史実 : 子供を二人産ませた奄美の妻アイカナを捨てる
      旧知の奄美人たちを西南の役に強制従軍 → 死亡
伝説 : 西郷さんは「征韓論」ではなく「遣韓論」。西郷さんはあくまで隣国に礼儀を尽くそうとしていただけ
史実 : 西郷が板垣退助に韓半島出兵の算段を相談している
     部下の有馬藤太には韓半島制圧後の統治プランを指示している
伝説 : 鹿児島私学校では西郷さん自ら若者たちに敬天愛人思想を講義
史実 : 当時の生徒の証言「西郷さんが私学校で講義したことは一回もありませんでした」
伝説 : 「西郷南洲翁遺訓」 西郷の教え41条
史実 :  東北庄内人による創作
伝説 : 民百姓にも慕われた西郷どん
史実 : 鹿児島で西郷さんが外出するときは、地上での土下座では恐れ多いと、
    百姓たちを道のわき溝に飛びこませ水から首だけ出して出迎えさせた
    西南戦争では、百姓たちは木の上から見物、
    西郷軍兵士が死ぬと身ぐるみを剥ぎ、売る

5:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/13 17:58:27.03 r0jtN97D0.net
Q : 大河ドラマなどで描かれる西郷隆盛は虚像なの?
A :
大河で西郷が好意的に描かれている、
逆に言えばネガティブな史実や描写がごっそり抜けている
のは右翼団体や鹿児島人やが抗議してくるからだそうです。
どんな大河でもNHKに抗議は来ますが、
西郷ネタ、薩摩ネタに対する右翼団体と鹿児島人の抗議が一番多いらしい。
史実と違う、という抗議ならよいのですが、
史実通りネガティブな場面を入れると、「一方的で偏向的で悪意を感じる」という抗議が
執拗にくるらしいです。
反対に幕府方からの抗議はあまり無いらしい。
徳川子孫の方が「我らに後ろめたきことなど何も無し、抗議すること自体がナンセンス」
と語ったとか。
かの司馬遼太郎も抗議を憂慮してか、
「跳ぶが如く」ではあえて筆を鈍らした、という話しを読んだことがあります。
「跳ぶが如く」の歯切れの悪い、奥歯にものがはさまったような書き方は
そんなところに理由があるのかもしれませんね。

6:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/13 18:00:13.39 r0jtN97D0.net
Q : 西郷隆盛と大久保利通が薩摩の二大英雄とされ、鹿児島では誇りにされていると聞きました
A :
大久保は、西南戦争で西郷を殺し薩摩を滅ぼそうとした張本人として、
鹿児島では憎まれ嫌われ、近年まで地元への納骨すら避けられていました。
現在、鹿児島市には大久保の銅像がありますが、これは西南戦争百周年に際して東京から
「なぜ鹿児島に大久保の銅像がないのか」と言われて、渋々作ったそうです。
現在では、鹿児島でも大久保の再評価がされていますが、しばらく前までは
大久保の話も出来ないほどでありました。

7:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/13 18:02:43.26 r0jtN97D0.net
Q : 西郷さんの度量の広さが、江戸無血開城を成さしめ、江戸の町を戦火から救ったんですよね?
A :そもそも江戸総攻撃を強硬に主張していた張本人が西郷隆盛です
  幕府を憎悪していた長州の木戸でさえ江戸総攻撃には反対していました
  イギリス公使のパークスから攻撃をやめるよう圧力があったとも言われていますが、
  ともかく西郷は態度を変え、攻撃は中止されました
  西郷はいわば自分で振り上げた拳をひっこめただけなのですが、
  後世なぜか、暴走寸前の官軍を西郷が抑え、総攻撃を中止させたかのように美談化されました

8:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/13 18:04:43.87 r0jtN97D0.net
Q : 西郷さんが征韓論というのは間違いで、ほんとうは遣韓論なんですよね?
   西郷さんは丸腰で交渉に行って戦争を避けようとしたと聞きました。
A :
鹿児島県が発行している『鹿児島県史西南戦争』第三巻(一九八〇年)のなかに、
広瀬為興稿「明治十年西南ノ戦役土佐挙兵計画」という文書が載っている。
これは高知県出身で板垣退助に近かった林有造の主張を記録したものである。
参議の西郷隆盛、副島種臣、板垣退助に加えて、
左院副議長伊地知正治が謀議に参加した征韓計画の謀議が載っている。
西郷は「先ツ兵ヲ北韓ニ上陸セシメ、平壌ヨリ京城ヲ包撃スルノ謀」を主張し、副島は賛成した。
しかし板垣は「先ツ其君主ヲ檎(とりこ)ニスルヲ主眼トスル」点では賛成しながらも、
北方からの包囲は難事とし、三分の一の兵を釜山に上陸させて、朝鮮軍の迎撃を待ち、
残り三分の二の兵力をもって江華湾方面に送って「突如京城ニ肉薄」し、その間に
釜山の兵力も海路平壌に送って敵の退路を断つという戦略を主張した。
伊地知正治は少し大規模の兵力派遣を主張したという。
西郷は板垣、伊地知を信頼して謀議を行なったようである。
「其進軍ノ戦略ニ就テハ板垣伊地知ノ二氏ニ委スヘシトノ事ニ門下中ノ領袖ニ漏洩シアリト云フ」
と記されていることも興味深い。
また当時司法省出仕だった有馬純雄(藤太)の回想『維新史の片鱗』によると、
有馬は西郷から朝鮮占領後の民政官任命を内示され、
当該地域の地図を探したという挿話を述べている。

9:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/13 18:05:53.02 r0jtN97D0.net
Q :西南戦争は西郷さんと鹿児島士族にとって、
  行き場所を失った士族たちとともに、日本のため自ら滅ぶつもりの戦いだったんですよね?
A :
西郷はかねて回りの者に、
「熊本城に着けば、熊本鎮台は城門を開いて降るだろう。
そうなれば、熊本を拠点に九州を従え、広島(鎮台)を攻め、
大阪(鎮台)を破って海陸路で東上し、一戦も交えず入京でき、
東京で花見ができるだろう」(東京日日新聞)
と気持ち良さそうに語っていた。
またこうも語った。「自分は陸軍大将である。たとえ全国の兵を率いても
 陛下の許されるところであり心配無用 」(「新編西南戦史」)
結果はみなさんご存知の通り、熊本城政府軍の徹底抗戦に遭った西郷軍は
緒戦から消耗し、戦わずして東上するつもりでいた西郷軍の敗色はこの時点で決定的になった。

10:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/13 18:07:16.02 r0jtN97D0.net
Q : 西郷さんは民百姓のために戦ったんでしょ?
A :
確かに西郷どんは薩摩や大日本帝国の将来のために
粉骨砕身した偶像であり鑑であるかもしれない。
しかしながら、実は西郷は単に薩摩や士族たちの
象徴であったにすぎないのではないのか。
それどころか、彼はだれよりも奄美と縁が深かったのに、
「敬天愛人」どころか義理も人情もなく奄美を
踏みにじった薩摩士族の大親分としか映ってこないのだ。
西郷はかつて大島・徳之島・沖永良部島に流されたが、
薩摩へあてた手紙では道之島の人々のことを
「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
そして島妻アイカナとの間にもうけた菊次郎・菊子を
薩摩で教育する際、奄美出身者ということを他言するなと厳しく禁じた。
島に残された母アイカナは非業の死をとげる。
これは西郷という人間像の一コマではあるが、
実は次に述べる彼の政策論とも表裏一体をなしているとしか思えない。

11:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/13 18:07:59.61 r0jtN97D0.net
旧藩時代、薩摩は植民地奄美の黒糖収奪によって
財政を建て直し明治政権を樹立した。
奄美の黒糖地獄をだれよりも目のあたりにしてきたのが西郷だが、
彼は、禄支給廃止にあった士族の生活権にしか思いはなかったらしく、
桂久武に命じて不法な独占「大島商社」を維新後に設立させたのである。
これによって薩摩は再び収奪をほしいままにすることができ、
奄美は旧藩以上の窮状にあえぐことになった。
そこで明治十年、奄美から「大島商社解散」を要求する
五十五人の嘆願団が上鹿したが、いきなり全員投獄。
老人などを除いた三十五人は田原坂から敗戦中の
西郷軍に強制出陣させられた。
うち戦死した者六人、残りは官軍に投降。
許されて島へ帰還する途中、二人を除いて全員遭難し、
結局生存者はわずかに二十四人であった。
(前田長英著『黒糖騒動記』参照)

12:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/13 18:20:29.86 r0jtN97D0.net
Q : 西郷さんのおかげで明治政府は廃藩置県を断行し、旧体制からの決別を出来たんですよね?
A : 明治3年、新政府は廃藩置県に先立ち、
鹿児島の西郷隆盛と5千人の薩摩藩士を御親兵として東京に出仕させました。
廃藩置県に反発する武士層の反乱が予想されたため、
これを鎮圧するのに、薩摩兵とこれを束ねる西郷の力が必要であったのだが、
もっとも反乱を起こしそうなのが鹿児島住みの薩摩藩士と西郷であったために、
これを未然に懐柔しておくためでもあった。
ではなぜ西郷は懐柔されたのか。
西郷にとっての廃藩置県は、藩主に権力を返上させ、その下にいた士族が実権を持つ
という意味であったからだ。
西郷は、出仕の際に出した意見書(「西郷吉之助意見書」)で、
「新政府に必要なのは士族を中心とした軍備強化と農本主義的な国家経営であり、
近代工業や鉄道などの建設を推進する政府は「商人」のようである」と糾弾しており、
廃藩置県には同意しても、士族中心の国体を固守する考えに変わりはなかった。
旧弊にとらわれない中央集権国家を目指す新政府とは同床異夢であったといえる。
新政府からの同様の懐柔措置は長州と土佐に対しても行われており、
いずれも御親兵を東京に出仕させている。
つまり西郷隆盛はあくまで、廃藩置県に協力した一人である、
という話なのです。
よく言われる、岩倉使節団が洋行しているあいだに、
西郷がその声望と求心力で、廃藩置県を断行した、という類の話しも
まったくのデタラメです。
新政府が廃藩置県を断行した後に、岩倉使節団は出発しています。

13:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/13 21:46:47.26 bVU2afav0.net
>>91
▂▅▇█▓▒ (’ω’) ▒▓█▇▅▂うわぁぁぁ!!

14:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 05:31:40.91 SNeBFCGW0.net
>>1
前スレ
西郷隆盛とは何だったのか 弐
スレリンク(history2板)

15:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 05:48:15.85 Z29Jx+260.net
「勝てば官軍」って、当時からそう言われてたよね? 西郷も常にそれを意識していたのでは?

16:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 05:50:51.77 SNeBFCGW0.net
>>15
釣れますか?w

17:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 06:03:26.01 lh1OSlLf0.net
というか実は明治維新などやらずに江戸幕府のままでも良かった。西郷も含めて、
明治政府の人々は自らの栄達を第一目標としていた。

18:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 07:05:19.66 4+MzTBd60.net
>>17
釣れますか?w

19:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 10:38:17.47 7g6QN+vX0.net
また24時間監視かよw  どんだけ暇やねん発狂マンwwwwwwww

20:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 11:21:59.48 fxnwglwr0.net
コロコロ妄想暇人マンワロタwwwww
また24時間監視かよw
どんだけ暇やねん発狂マンwwwwwwww
>>19
978 名無しさん@お腹いっぱい。 2017/09/10(日) 11:52:03.16 ID:EuvhppSL0
【火病】 発狂マン 30分で13連投www 【暇杉】
911名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 16:54:43.52ID:AxW2s4NA0
 (1分53秒後↓)
912名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 16:56:36.71ID:AxW2s4NA0
  (1分26秒)
913名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 16:58:02.37ID:AxW2s4NA0
  (1分38秒)
914名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 16:59:40.27ID:AxW2s4NA0
  (5分51秒  トイレ休憩)
915名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:05:31.32ID:AxW2s4NA0
  〈6分26秒  連投規制で充電中に火病w〉
917名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:11:57.62ID:AxW2s4NA0
  〈27秒  再発狂で最速記録達成w〉
918名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:12:24.46ID:AxW2s4NA0
  (60秒  少し疲れる)
919名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:13:24.87ID:AxW2s4NA0
  (47秒  加速)
921名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:14:11.97ID:AxW2s4NA0
  (34秒  加速)
922名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:14:45.76ID:AxW2s4NA0
  〈43秒  ペースダウン)
923名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:15:28.05ID:AxW2s4NA0
  (1分37秒 電池残量少)
924名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:17:05.15ID:AxW2s4NA0
  (7分36秒 電池交換)
925名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:24:41.13ID:AxW2s4NA0

21:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 11:23:42.25 fxnwglwr0.net
スレ主のくせに他人のふりしてる妄想マンwwwwwwww

22:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 13:31:20.11 7g6QN+vX0.net
「発狂マン」って呼ばれてすぐ返事してんじゃねーよwwwwwww
自分以外 全部スレ主に見える馬鹿wwwww
しかもてめえの基地ガイ13連投を自分で貼って自己紹介してやがるwwww
西郷なんて鹿児島土民のカルトヒーローで他県民にはどうでもいい人物

23:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 18:05:54.39 KXmR1x1Z0.net
Q : 西南戦争で薩摩士族は自ら滅び、鹿児島にも新しい時代がやって来たんですよね?
   それもこれも西郷さんの捨て身の深謀遠慮のおかげなんですよね?
A :
薩摩士族は自ら滅ぶどころか、4人に3人は投降などして生き延びました。
西郷さんや幹部の城下士たちは九州中を6カ月以上も逃げ回りました。
その姿はどう見ても、自ら死を選び、滅ぶつもりの者たちの姿ではありませんでした。
戦役後、鹿児島では実権が城下士から郷士に移っただけで、士族支配であることになんら変わらなかったのです。
『薩摩見聞記』はこう記しています。
「明治中期の鹿児島では平民社会の
状態をみると, それはまことに哀れなもので,
鹿児島城下のわずかな一部の商人のほかは
財産もなく, 知識もなく, 勢力もなく, 士族との間には
なお甚だしい格差があって, 容易に融和しそうにもない。
藩政が崩壊してすでに20年にもなろうとしているのに、
薩摩だけはなお依然たる封建の地である。
政治、役人、教育、警察等の世界において
士族の勢力が強いこと、日本全国にその類をみない」
とあり、この状態はなんと太平洋戦争後まで続いたのです。

24:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 18:48:54.62 KXmR1x1Z0.net
Q : 新政府の高官たちが富貴や汚職にはしる中、西郷さんは質素倹約をして国家と国民のことを考えていたんですよね?
A :
はい、西郷さんが賄賂を貰ったとか私腹を肥やしたなどの記録は一切ありません
ただ、質素倹約をしていたというのはどうでしょうか・・・
西郷さんが政府から貰っていた給金は現在の価値に換算すると月給2千万円
年収は2億4千万円です
住まいも江戸では元旗本屋敷、鹿児島では島津一族の元屋敷とかなりリッチな
生活をしていたようです
また自らの側近たちを軍の高官に大量抜擢させるなど、人事の私物化(多くの犠牲を払い新政府を打ち立てた
薩摩藩士からすれば当然のご褒美かもしれませんが)はありました
西郷さん的には民間の豪商などと癒着するのは絶対NGだったようですが、
政府のポストや金を自らの息のかかった子分たちに分配するのはOKだったようですね

25:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 20:12:32.88 fxnwglwr0.net
>>22
コロコロ妄想暇人マンワロタwwwww
また24時間監視かよw
どんだけ暇やねん発狂マンwwwwwwww
>>19
978 名無しさん@お腹いっぱい。 2017/09/10(日) 11:52:03.16 ID:EuvhppSL0
【火病】 発狂マン 30分で13連投www 【暇杉】
911名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 16:54:43.52ID:AxW2s4NA0
 (1分53秒後↓)
912名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 16:56:36.71ID:AxW2s4NA0
  (1分26秒)
913名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 16:58:02.37ID:AxW2s4NA0
  (1分38秒)
914名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 16:59:40.27ID:AxW2s4NA0
  (5分51秒  トイレ休憩)
915名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:05:31.32ID:AxW2s4NA0
  〈6分26秒  連投規制で充電中に火病w〉
917名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:11:57.62ID:AxW2s4NA0
  〈27秒  再発狂で最速記録達成w〉
918名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:12:24.46ID:AxW2s4NA0
  (60秒  少し疲れる)
919名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:13:24.87ID:AxW2s4NA0
  (47秒  加速)
921名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:14:11.97ID:AxW2s4NA0
  (34秒  加速)
922名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:14:45.76ID:AxW2s4NA0
  〈43秒  ペースダウン)
923名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:15:28.05ID:AxW2s4NA0
  (1分37秒 電池残量少)
924名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:17:05.15ID:AxW2s4NA0
  (7分36秒 電池交換)
925名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/06(水) 17:24:41.13ID:AxW2s4NA0

26:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 20:12:52.06 fxnwglwr0.net
スレ主のくせに他人のふりしてる妄想マンwwwwwwww

27:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 20:15:57.85 fxnwglwr0.net
>>22
まず日本語で書け馬鹿wwww

28:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 21:36:11.93 Ii6JHUGI0.net
13連投が恥ずかしいという自覚はあるようだなコイツ↑

29:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 22:19:23.19 zFfGpCYs0.net
余程気にしたのか新スレになってから連投が控えめでうけるw

30:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 22:33:40.28 fxnwglwr0.net
>>29
>>28
さすがコロコロ妄想暇人マンwwwwww
都合のいい妄想はお手のものwwww

31:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 22:35:00.03 fxnwglwr0.net
連投が恥ずかしいとか言っといて連投してる妄想コロコロ暇人マンwwwwwwww

32:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 22:54:02.52 Ii6JHUGI0.net
自分以外は皆同一人物に見えるタイプか?
どうせ自分がコロコロID変えたことがあるから他人も同じ手口やってると思ってるんだろうな。
>>30
俺は別に連投してないけど? 妄想?

33:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 23:02:49.65 fxnwglwr0.net
>>32
ワロタwwww
やはりスレ主wwww
お前のダブル回線は前スレでバレたじゃんwwwwwwww

34:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 23:04:55.48 fxnwglwr0.net
コロコロダブル回線マンwwwwwwww
暇人妄想マンwwwwwwwwwwww
スレ主の自演が面白いwwwwwwww

35:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 23:05:42.67 fxnwglwr0.net
PCとスマホwwwwwwww

36:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 23:21:32.38 Ii6JHUGI0.net
>PCとスマホ
ああ、それがあんたの過去の手口ね。 自白乙。
西郷隆盛を過大評価だと思っている人間は世の中ではスレ主一人と妄想しているわけかw
スレ主が過去に自演したかどうかは知らんけど(スレ主に自演癖があるのかどうか過去スレ全部読んでないので知らん)
俺はスレ主や29氏とは別人だし、あんたの妄想に付き合う気もない。
>>1
もし、あんたに自演癖あるならやめた方がいいよ。 白けるだけだから。

37:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 23:48:39.81 fxnwglwr0.net
>>36
ワロタwwwwwwww
俺のもうひとつの回線てどれですか?wwww

38:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/15 05:58:47.17 Eo7PlbcP0.net
五十六さんは英雄ってことですね
URLリンク(doradoradora.exblog.jp)

39:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/15 21:25:36.29 fw5UqIdX0.net
西郷隆盛は日記の類を書かなかったようで残っていない
西郷の行動の真意などが謎だったり盛られたりしている理由の一つはそれである
後世の者たちが勝手に想像を膨らませたり、そこに深謀遠慮があるかのように錯覚するのである
当時のインテリ層は日記を書くのが常識化していたようで、
木戸孝允も大久保利通も相当量の日記を残している
ちなみに大隈重信は日記を残していない
記憶力が抜群だったため、文書で記録を残す必要性が無かったそうだ

40:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/20 20:21:14.17 UxSkvgrC0.net
最近になって近代史に興味が出てきたけど目からうろこが多すぎる

41:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/21 10:01:24.97 Q1+/PzqH0.net
>>40
新史料が色々出てきたことと、インターネットの普及で様々な視点からモノを言える時代になったからね。
大手のマスメディアが情報や知見を独占し都合のいいものだけを世に出す、 文化人・言論人といった連中も同じで、
ネット時代以前は情報・知識は「流す側」と「受け取る側」に分化していた。
で、現在は従来の「受け取る側」が情報発信しだした。 このスレ関連で言えば、
既存の固定概念を死守したい側と異議申し立てしたい側が論争しているわけだ。

42:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/21 11:01:07.21 bvi+dIs/0.net
>>41
その出てきた新史料てなんだよw
昔からある史料だろw

43:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/21 11:45:55.47 lm5wy1OL0.net
実際は逆だったりするけどね
叩いている奴は昔からある怪しい情報のコピペをくり返すだけ
そこは新情報が出ていてこれこれだから違うぞと言うとレッテルを貼る

44:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/21 13:44:55.74 k2J88ZA30.net
西郷は幕府を破壊しただけで
新しい政権構想は無かったでしょ

45:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/21 13:50:52.85 z1f+Jjhk0.net
ネットが普及する前も、美辞麗句を使っただけの西郷論を疑う人たちはいたわけですが
多数派の盲信や黙殺の前では、その声はかき消されてしまっていたのでしょう
このスレでお馴染みの重野安繹や市来四郎の書き残したもの、城川市二の証言などなど
比較的近年では歴史学の原口虎雄氏などがそうでしょうか
原口氏は鹿児島出身でありながら是々非々で西郷を論じてましたね
「非々」の部分はほぼスルーされていたようですが・・・

46:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/21 13:51:57.33 z1f+Jjhk0.net
以下は原口虎雄氏の文章の引用
これまで鹿児島に赴任する人々の間では、「南洲と斉彬の悪口は言うな」という、鹿児島社
会の風潮を恐れるタブーがあったそうであるが、顧みるにこの私も尖鋭な西郷絶対論者の一人
であったから、恥ずかしい。
庄内藩士書き留むるところの「南洲先生遺訓」や西郷の詩文、親しみ深い「上野の西郷さん銅像」
や「キヨソネの西郷肖像」などが、わたしと西郷を結びつけてくれた。
私の母校の田上小学校の門標は西郷の直筆で、この学校を出、県立一中や第七高等学校への
通行の途には武の西郷屋敷があった。
七高では敬天会に入り南洲寺にもよく参禅したが、なかんずく西郷糸子夫人の生家、岩山先生
の御宅には朝夕にお世話になり、立派な温かい家風を慕った。
幼時から青年期まで武の西郷屋敷附近で育った私にとっては、西郷は神様であった。
西郷の一言一動が価値の尺度であった。
少しでも西郷を批判する者がいたら、すなわち私の敵であり、「打ち殺せ」という気分にかられた。
しかしのち東大法学部に法制史を学び、さらに薩摩史を専攻するようになってからは、私の思考
の軌跡に変化が生じた。
-中略-

47:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/21 13:52:43.65 z1f+Jjhk0.net

西郷は道義国家の建設を目標としていた理想家だから維新革命に身命を賭したが、それ故に
第二、第三の維新を夢見た永遠の不平家である。
彼と同輩、または年長の人で尊敬したのは島津斉彬ぐらいで、他はおおかた彼の酷評の的に
なっている。
『西郷先生遺訓』は彼の理想であるが、現実の姿ではない。
維新草創の際、政府収入源は農村に求めざるを得ず、仮借なく封建貢租を取り立てたから、
明治元年から10年までの百姓一揆は維新前より頻発した。
少ない財源のうち4割を旧士族に与えねばならぬ当局の苦しみを西郷は知らなかったのだろうか。
米が1石、5、6円のころに1500円の巨大な年俸を受け、対外膨張論を唱えている。
西郷を取り巻く、財政も経済も世界情勢も知らない粗暴な私学校と袂をわかって、
多くの良識派の薩人が政府に残って近代国家建設の苦難に耐えたことを忘れてはならない。
弟の従道や従弟の大山巌、そのほか多年の朋友の心底は悲壮である。
もともと薩摩は日本南端の門戸で、黒潮岸辺を洗い、季節風が中国や異国の船を運んできた
外国と日本との接点である。
だから真っ先に外国文化の洗礼を受け、ハイカラ性が薩摩を支えてきた。
薩英戦争の結果、こだわりもなく英国文明の偉大さを学ぼうとして欧米に留学生を派遣した
聡明さや、敵味方を一様に供養する博愛の精神は、島津日新以来の薩摩の伝統である。
私学校の猛者たちの剛勇は、「薩摩的美学」の両面性の一つ、隼人以来の「バンカラ性」の
伝統であって、もう一つの美学「ハイカラ性」の欠落である。
太平洋戦争の誤りを二度と犯さぬためにも、「西郷神格論」からの脱却は今日的課題である。

48:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/21 15:16:01.73 bvi+dIs/0.net
馬鹿だろコイツwwww
原口氏の言ってることは全くその通りだが、コイツがいつも言ってるただの捏造と一緒にすんな馬鹿wwww

49:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/21 15:33:57.78 bvi+dIs/0.net
虎の威を借るキチガイゴキブリがwww

50:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/21 23:06:42.22 VDN9yUHo0.net
>>39で西郷の軌跡が謎めいている一つの要因は、西郷が日記を残さなかったからだと書いた
もちろんそれだけではない
資料的な要因で言えば、西南戦争の際に政府軍が鹿児島に上陸する間際、
当時の公文書や記録が鹿児島士族の手で燃やされてしまった
その中には鹿児島で天皇化していた西郷についての文書も相当数あったはずである

51:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/21 23:07:25.59 VDN9yUHo0.net
以下は西郷個人とは関係無い余談だが、重野安繹は明治18年、全国的な歴史資料調査を行った
それまでの歴史書は軍記物語の類に依存してきたが、重野にとってこれらの物語は
「参考」に供すべきものにすぎず、確実な「根拠」となるのは古文書・日記の類であるとし、
全国に調査団を派遣、地方の社寺や旧家に埋もれる史料を探索することから始めたのである。
明治18年の関東六県での探索では、文書が8089通、書籍767部、系図58種を収集した

52:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/21 23:08:27.02 VDN9yUHo0.net
この「大日本編年史」の史料探索は明治20年鹿児島でも行われた
この時の重野の手紙が残されている
このなかで、重野は、旧主である島津家に対し、当時鹿児島で保存されていた
島津家文書の閲覧を許可するよう求めたが、島津家がこれに難色を示している
という顛末を記している
結局、この調査は途中で断念されたという
戦国島津や薩摩藩に関して、島津家の軍記物を根拠とした、あり得ないようなミラクル物語が、否定されず
なんとなく信じられているのも、この時の不完全な調査が原因かもしれない・・

53:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/21 23:41:53.41 v/u40MXp0.net
>>46
まあ西郷は鹿児島のご当地カルトヒーローで、県民全部が信者だからなあ。
おっと こう書くと発狂マンのw連打の5連投が来そうだ。 あいつ24時間スレ監視しているからなあ。

54:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/22 00:59:17.75 6621cxAa0.net
このスレで言ってる「イメージ」ってどれのことなん?
A. 主に鹿児島県内だけで、西南戦争参加者の子孫が自己正当化のために広めている西郷のイメージ
B.東京など他府県で学校で教えている西郷のイメージ
C.坂本龍馬・新選組・会津などを美化したフィクション・テレビ番組・一般書でねつ造されまくってる悪役西郷のイメージ
D.明治10年代から旧幕臣・土佐などを中心に新聞や大衆向けの出版物で大量に流布された噂話のたぐい
ここで必死に叩いてる人はAを否定して、CとDは正しいと主張してるように見えるが
Aを一般的に広まってるイメージのように語るのは適切なんだろうか

55:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/22 02:50:14.79 qDZnbCRd0.net
AからDまで全部イメージでしょ
一般的には、大度量の人格者というイメージかな
「思い切ってやりなさい。責任はわたしが取る」という
ところでCの悪役西郷として描いたものってそんな多いだろうか?
具体的にどんなフィクションや作品で捏造されているか教えて欲しい

56:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/22 06:22:32.60 6621cxAa0.net
「思い切ってやりなさい。責任はわたしが取る」って大久保の発言だろ
西郷がそんなふうに描かれているものは見たことない
近い話でも、勝海舟が美化されている話では最初は攻撃的だが説得されたって流れだし
大村益次郎を美化する話でも、その後に海江田を押さえられない奴って薩摩sageが入る

57:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/22 06:28:26.00 jyDakmDN0.net
>>53
また勝手な妄想マンワロタwwww
また的外れな事言ってるwww

58:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/22 06:37:08.33 jyDakmDN0.net
>>52
さすがニワカwwww
薩摩で嫌われ者になった久光の子孫が嫌がっただけwwww
それが近年、玉里島津家文書として出されたんだろ馬鹿wwww
知らないのか馬鹿wwww

59:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/22 06:47:16.43 jyDakmDN0.net
てか勝手に妄想マンのレスの内容のなさwwww
毎度毎度連投がどうとか監視がどうとかお得意の暇人コビペwwww
歴史のスレなのにも歴史話しない馬鹿wwww
歴史知らないからしょうがないwwww

60:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/22 08:28:55.65 j/1x58Wu0.net
おまえ、すぐ釣り針に喰らいつくから、 鹿児島ご当地ヒーローの話より
おまえをおちょくってる方がおもろいw

61:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/22 08:58:09.63 jyDakmDN0.net
>>60
また言い訳妄想マンワロタwwww
歴史知らないからしょうがないwwww

62:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/22 11:39:26.75 vMUXJw+Q0.net
>>61
URLリンク(www.youtube.com)
これお前だろ

63:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/22 13:12:06.84 yeAglLjG0.net
>言い訳妄想マンワロタwwww

64:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/22 13:53:32.53 jyDakmDN0.net
>>62
わざわざ開くかよ馬鹿言い訳暇人妄想マンwwww
歴史知らない言い訳暇人妄想マンwwww

65:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/22 13:55:13.02 jyDakmDN0.net
>>63
コロコロマン?wwwwwwww

66:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/22 14:08:33.52 yeAglLjG0.net
>コロコロマン?wwwwwwww

67:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/22 15:37:56.99 jyDakmDN0.net
>>66
馬鹿だからオウム返ししか出来ないwwww
これもまたオウム返しですねwwww

68:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/22 16:00:12.49 yeAglLjG0.net
>馬鹿だからオウム返ししか出来ないwwww
>これもまたオウム返しですねwwww

69:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/22 16:23:57.32 jyDakmDN0.net
>>68
馬鹿だからオウム返ししか出来ないwwww
これもまたオウム返しですねwwww

70:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/23 06:54:29.61 nPFItUmt0.net
>>60
鹿児島の「ご当地ヒーロー」は薩摩剣士隼人
言葉の意味まちがえてるよ

71:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/24 09:47:28.17 I0fRlA560.net
■ 西南戦争 その伝説と史実 ■
伝説 : 西郷隆盛と大久保利通は幼少時からの親友。大久保家が困窮した時期、
     利通少年は西郷家で食事を摂らせて貰っていた
史実 : 同じ町内の顔見知り程度で、個人的な付き合いは一切無く
     親しくなったのは青年期以降に精忠組で一緒になってから
伝説 : 西郷さんは比類無き大度量・大至誠の人。誰もがその巨眼に引き込まれ三日で愛に変わった
史実 : 実際に近しくした人の証言 「偏狭であった」「人の悪口が多い」「人望を得ようと計算している」
伝説 : 西郷さんは薩摩士族を胸に抱き、自ら滅ぶつもりで戦争を始めた
史実 : 西郷「熊本城に着けば政府軍は我が軍に下る。一戦も交えず入京でき、
     東京で花見ができるだろう」(東京日日新聞の記者の取材に答えて)
伝説 : 「おいの体をあげもそ」と西南戦争を決起
史実 : 玉砕の5日前に“自分だけ”政府軍に助命嘆願 → 拒否られている
伝説 : 「晋どん、ここらでよか」と潔く自決
史実 : 玉砕当日城山の洞窟から逃走 → 桐野利秋に見つかり射殺された
伝説 : 西南戦争で薩摩士族は滅び、鹿児島にも新時代が到来した
史実 : 薩摩士族は4人に3人は投降などして生き延びた
     政治、役人、教育、警察等の世界ではなお士族の子孫しかその職に就くことができず
     鹿児島ではそのような士族王国状態が第二次大戦後まで続いた
伝説 : 大久保利通による西郷暗殺指令
史実 : 鹿児島士族が政府の密偵を凄惨な拷問にかけて自白を強要しており、信憑性無し
伝説 : 奄美人を大切にした西郷さん
史実 : 子供を二人産ませた奄美の妻アイカナを捨てる
     旧知の奄美人たちを西南の役に強制従軍 → 死亡
伝説 : 鹿児島私学校では西郷さん自ら若者たちに敬天愛人思想を講義
史実 : 当時の生徒の証言「西郷さんが私学校で講義したことは一回もありませんでした」
伝説 : 「西郷南洲翁遺訓」 西郷の教え41条
史実 :  東北庄内人によるほぼ創作
伝説 : 民百姓にも慕われた西郷どん
史実 : 鹿児島で西郷さんが外出するときは、地上での土下座では恐れ多いと、
     百姓たちを道のわき溝に飛びこませ水から首だけ出して出迎えさせた
     西南戦争では、百姓たちは木の上から見物、
     西郷軍兵士が死ぬと身ぐるみを剥ぎ、売る

72:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/24 10:02:04.81 P843jRnG0.net
いつも同じコピペだとNGが楽でいいね

73:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/24 16:28:11.84 6O99eCyf0.net
コピペのやつは3~40代の底辺なんだろうが内容は強ち間違いではない
つまり龍馬暗殺の主犯は「西郷」

74:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/24 16:43:30.75 mE5/L4VB0.net
龍馬などとどうでもいいやつを持ち上げるある層が存在する
しかもしつこい

75:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/24 17:51:34.91 P843jRnG0.net
いまだに龍馬暗殺は西郷などと言っているのは相当な年寄りだな

76:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/24 19:21:12.10 GcFqhf3V0.net
>>73
詳しく教えて

77:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/24 20:02:53.33 6O99eCyf0.net
ん?
上記な性格な西郷であればそう考えてもおかしくないだろ?という話
「可愛さ余って憎さ百倍」じゃないが、
討幕で一致していたはずなのにいつのまにか幕府と故意やんか?と
桐野がちくった

78:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/24 20:21:54.30 GcFqhf3V0.net
>>77
ん?証拠は?

79:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/24 21:29:26.19 P843jRnG0.net
証拠一切なしの妄想で、推定有罪なわけねw
西郷は大政奉還後に鹿児島に帰って、龍馬が京都に戻って来たことすら知らんのだが
大昔の創作を骨とう品のテープレコーダーのように繰り返す年寄り

80:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/24 22:13:20.06 me/QIfNX0.net
桐野は過去に坂本妻のおりょうを強姦未遂したことがあるからな
その時に、坂本さんには言わないでくれとおりょうに口止めを懇願したそうだけど
眠れない日々が続いていたことは想像に難くない

81:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/25 07:05:28.70 14MakNdL0.net
大政奉還 上表 慶応3年 10月14日 翌17日 西郷他京を出立
その前 慶応3年 10月「10日」 龍馬、永井玄蕃に将軍に大政奉還を説得
しかも同17日に吉井から「藩邸へ来い」と言われる、鬼の居ぬ間なのか?
ちなみに桐野とは11月に散歩中に合っている

82:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/25 08:39:52.51 X8yvBFS+0.net
龍馬関係の本しか読んだことない人が必死に断片情報を集めたのねw

83:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/25 11:53:50.27 etlc2LuN0.net
>>81
意味不明

84:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/25 13:06:12.75 14MakNdL0.net
つか単に可能性の話をしているのに逆に否定するのが必死すぎに思えるわww

85:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/25 13:37:13.26 X8yvBFS+0.net
この手の情報が古い人にありがちの流れ
最初は断定
>つまり龍馬暗殺の主犯は「西郷」
その説古いよと匂わせてやったところで気づけばいいのに、偉そうな態度で粘る
ツッコミ入れられて窮すると、説が古くてアヤフヤだと言ってるだけの相手に
>可能性の話をしているのに逆に否定する
とか言い出すwwww

86:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/25 14:29:42.57 etlc2LuN0.net
この馬鹿はどうして小松西郷大久保が京を急いで離れたのか、恐らく理由を知らない

87:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/25 14:33:14.91 etlc2LuN0.net
吉井友実と龍馬の関係性も知らないらしい

88:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/26 12:03:55.61 e8OPa36r0.net
ダメだこのスレ
チンカスなみの歴史なんもしらんニワカしかいない

89:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/26 13:19:50.29 X8BEQDWo0.net
>つまり龍馬暗殺の主犯は「西郷」

90:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/26 16:02:42.58 tQfvvkne0.net
>>88
確かにw
龍馬暗殺の黒幕西郷てw馬鹿だろw

91:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/26 22:20:58.77 i8/fhHg40.net
てか「歴史を知らない」って言い方自体がレベル低くね?
幕末くわしい人は、こいつ誰々の何々を知らないとピンポイントで言うよね

92:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/27 10:01:35.90 pcVqYKor0.net
ほんダメだこのスレ
こんなことしか言えん歴史自体そのものを知らん低レベルのニワカチンカスしかいない

93:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/27 10:12:21.19 MGjd/X4i0.net
みんなは、西郷さんは現代の人物で言えは誰にあたると思う?

94:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/27 10:27:10.28 8AsIrSKc0.net
現代の人物で言えば…とか、まじに歴史しらん奴の言いそうな質問w
まあスレ主も明らかに「西郷南洲逸話」を読んでないし
そこで書いてる敵って中山中左衛門のことだよと言っても誰それ?だろうし

95:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/27 11:42:31.79 ENaTtStQ0.net
>>92
自己紹介w

96:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/27 13:05:22.88 dz0KyBa+0.net
>>93
トランプ?
支持層
トランプ ←没落無能白人
西郷 ←没落無能士族
追い詰められ方は金正恩という気もするが

97:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/27 13:29:05.23 8AsIrSKc0.net
西郷絡みの細かい人物関係つっこまれて窮すると、幕末明治以外の話を始めるw
これもよくある流れ

98:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/27 15:12:32.43 in5hkmk/0.net
>>95
典型的な情けないレスだな

99:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/27 15:47:23.69 MKBZSq6t0.net
佐賀の七賢人
なんて言葉があったの?
URLリンク(doradoradora.exblog.jp)

100:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/27 17:17:42.01 ENaTtStQ0.net
>>98
コロコロの自己紹介w

101:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/27 17:19:25.02 ENaTtStQ0.net
>>88
何度も自己紹介w

102:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 13:56:08.78 yPudo5ty0.net
そしてこの程度の低脳な返ししかできんチンカスしかいなくなった…

103:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 13:59:25.12 FV7nwatW0.net
西郷よりも坂本のほうがヒドくね?

104:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 15:32:00.84 O+jVzkAv0.net
そもそも>>1は重野安繹の西郷南洲逸話を読んだ事あるんかいな
見りゃわかるが奄美時代のまだ血気盛んで若い西郷と親しくしてたが故の、辛辣で気安さも込めた人間臭い西郷を語ってるようにしか読めんのだが
ちなみに西郷南洲逸話にゃ西郷の義侠心を評価する内容や、それで重野安繹自身が命を救われたとも語ってるんだけどね
まぁ抹殺博士の異名を持つ重野安繹なんで、あちこちに微毒をまぶしてる如き西郷評は流石と言うか、いかにも抹殺博士らしいって感じだね~

105:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 16:08:06.16 ousK3brB0.net
>>102
この程度てw
そもそもお前がその程度w

106:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 16:09:40.97 ousK3brB0.net
そもそもチンカスがどうとか言ってる程度w
中身ゼロw
はい論破w

107:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 16:46:29.75 KP69Rdjf0.net
>>104
読んでないだろ
不正をしている役人やお由羅騒動に関わった斉興の側近を辞めさせろと西郷が斉彬公に何度も訴えてたしなめられて
斉彬公は度量が大きい、それに比べると自分は度量が小さくて敵を作る性質があると西郷が反省して重野に言ったなんて
エピソードは大河ドラマにも出て来る定番中の定番なのに、イメージが違うってなあ

108:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 17:07:03.01 dG8ssmlz0.net
>>107
大河ドラマに重野が出てきたことあるの??

109:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 17:35:04.68 O+jVzkAv0.net
>>107
西郷南洲逸話って重野安繹が西郷を酷評してるって捉えてる人が多いみたいだけど、内容を見るととてもそうは思えないんだよねぇ
批難した後にはサッとフォローいれてる感じ
なにせ若い頃の西郷ってそれなりに優秀だけど、反面頑固で反骨精神剥き出しの若造だったろうからなぁ
自分を取り立てて可愛がってくれた島津斉彬とマジ口論して、しばらく双方口も聞かなかったなんて余話もあるくらいで(西郷は御庭番的ポジションなのに殿様とケンカ!)
重野安繹が直接面識を持ってたのは元気坊な頃の西郷で、重野安繹自身も同じく反骨の人だし親近感あったんじゃないかなぁ
歳とって角がとれて思想家然としてる晩年の西郷や、それを聖人君子の如く評価して神格化してる西郷信者が面白くなかったんだろな
「お前ら西郷を大人物だと信じてるようだが、あいつ若い頃は頑固で意外と厄介な奴だったんだぜ」なんてニヤニヤしながら語ってる重野安繹を想像しちまうわ

110:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 18:20:09.52 KP69Rdjf0.net
>>109
重野に限らず若いころの西郷を知ってる人の話はそんな感じだよね
逆に重野って年取ってからは西郷の近くで仕事してないんで、あんまり詳しく知らないんじゃないかなあ
このスレで西郷南洲逸話について、重野が西郷をdisってるみたいに決めつけてる人は単に読んでないからじゃない?
まあ、勝田孫弥の本が出た翌年の講演で、聴衆はみんな西郷について詳しいという前提で話してる上に
何ページも脱線した後でいきなり前の話に戻ったりするから、わかりにくいと言えばわかりにくいけど

111:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 18:45:37.63 dG8ssmlz0.net
>>110
大河ドラマに重野が出てきたことあるの??
それとも嘘ついたん??

112:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 19:38:41.07 1uVIiYws0.net
西郷の若い頃の評判は原口虎雄氏の言う通り酷評が多いですね
海江田信義 「奢り高ぶっているわけではないのだが・・・」
重野安繹 「偏狭である」
市来四郎 「君主の風采無し」

113:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 19:39:22.52 1uVIiYws0.net
島津斉彬が西郷を御庭方に取り立てようとした際も、
斉彬の側近たちは西郷の人間としての評判が悪すぎるとしてみな反対した
「城下では、西郷のことを粗暴で郡方での人間関係も良くないと誹謗する者が多いと聞いた。
しかし役に立つ者は必ず俗人に誹謗されるものである。」
と斉彬は側近たちに言い、西郷を抜擢したそうです(鹿児島県史料、斉彬公史料)

114:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 19:40:21.15 1uVIiYws0.net
いかにも、という美談ですが、西郷信者ともいえる斉彬が西郷の酷評されぶりを
認めているぐらいですから、西郷を白眼視する者が多かったのは事実なんでしょう
若い頃から農民の味方で、同僚からも慕われていたかのような「西郷どん」イメージは完全にデタラメと言えます
まあそれは後世の人がでっち上げただけで、西郷には責任はありませんが

115:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 19:41:46.69 1uVIiYws0.net
西郷の人物像は重野安繹の以下の西郷評がもっとも正確なところなんじゃないでしょうか
“士卒が手傷を負へば、その傷を啜ったりするようなことは、しはずさぬ(ぬかりなくやる)人物”
などという分析は、西郷をよく見てるなと思います
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」
「西郷の人となりは、今申す通り度量は狭いが、人と艱苦を共にするというところが持前で、
古人の謂ふ士卒の下なる者と飲食を共にする風であった。支那の戦国では呉起(軍事思想家)などが
そうであったという。
士卒が手傷を負へば、その傷を啜ったりするようなことは、しはずさぬ(ぬかりなくやる)人物で、
自分より目下の人の信用を得ることが多いので、西郷のためならば死を極めてやるという、
いわゆる死士を得ることは自然に出来るので、それが面白くてたまらない。
何でも下の者を己の手足のように使ひ廻すのが、一生の手際(自分のおはこ?)と思って居るから、
自分も努めてする。
幕府を倒すのもそれから起って居る。そうして一時成功したのは、士卒の心を得ているからである。
しかしながら西南の役になっては、それが自分の身を亡ぼす元になって来た。
西南の役は西郷に人心が就かなければ、あれ程の事は出来はしないであったろうが、
薩摩の者は申すに及ばず、他国の婦女子までも、西郷先生ならばと云って、皆戦争に出る気になった。
西郷が人から惚れられるのは、そこに在るのだ。その方には人心があった。」

116:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 19:52:00.90 KP69Rdjf0.net
「古の英雄とは皆そうしたものであろう」とか重野がほめてる語句をことごとく削りまくってるけど
ネット情報の孫引きなんかねww

117:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 19:52:15.83 yPudo5ty0.net
チンカスというキーワードにこれほど過剰に反応するチンカスがひとりいるな
チンカスあぶり出しにまんまとひっかかる低脳チンカス決定

118:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 20:04:37.14 ousK3brB0.net
そしてこの程度の低脳な返ししかできんチンカスw

119:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 20:06:06.92 ousK3brB0.net
チンカスというキーワードにこれほど使用するチンカスがひとりいるなw
チンカスあぶり出しにまんまとひっかかる低脳チンカス決定w

120:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 20:34:22.15 1uVIiYws0.net
コピペですけど、なんで西郷が嫌われるのかが何となく分かるエピソードを一つ紹介
西郷が久光に、上洛、江戸出府の意見を求められて、
「時期尚早ですし、地ゴロ(田舎者)のあなたが上京しても何もできやしません」という発言が有名だけど。
「西郷隆盛伝説の虚実」安藤優一郎著によれば、この時西郷は久光のみならず、
久光の側近たちにも、偉そうに
「貴様などは御供して上京してどうするつもりだ、
ただ一人、二人の浪士(越後の本間精一郎など)が我が藩に来て、
御上京が宜しいと説いたといっても、それは書生論である。
浮浪輩の書生論、畳の上の水練で、世の中の事が出来るものか、
(中略)貴様たち、君側に居て御止め申しはせず、何とした短慮ぞ」
と叱りつけ、久光側近たちの面目を潰したという。
 重野安繹 『西郷南洲逸話』
これで西郷は、久光と側近たちの不興を買い、再び島に流される遠因になった。
ちなみに久光と側近たちはその後、実質西郷抜きで上京・江戸出府を成功させ、
彼らの展望が間違っていなかったこと、また西郷が久光を過小評価していたことを証明して見せた。

121:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 20:38:40.44 yPudo5ty0.net
オウム返ししかできん低学歴のチンカスが必死で草

122:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 21:14:56.07 KP69Rdjf0.net
なるほどねえ
アンチ西郷によくある都合のわるい語句を削除して反対の意味にするってテクニックに騙されてるわけか
全体の文章を読めば、けなしていないことがすぐわかるのに

123:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 21:18:25.81 O+jVzkAv0.net
>>120
まぁ島津久光を過小評価する失敗は確かだけどねぇ
しかし1回目の上京では西郷の危惧した通り、久光上京に刺激された精忠組の突出グループが行動を起こそうとし、それを粛清した寺田屋事件が発生
江戸行きは武力を背景にした圧力で幕府へのごり押しに成功したものの、久光自身が単なる藩主の父と言う無冠の身で交渉の表舞台に出れずに終わる
帰路では生麦事件を起し薩英戦争勃発
2度目の上京も尊皇志士の暴走を懸念してわずか5日で帰鹿
3度目は参預会議を実現させ、雄藩合議による幕政改革と言う斉彬から受け継いだ悲願の第一歩を踏み出すが、すでに時期を逸していると言う西郷の警告通りに参預会議は空中分解の結末となる
これが結果的に倒幕へと薩摩藩の舵を切らせ、明治維新までの動きを急加速させることにはなるのだけどね
久光の予想だにしない強力なリーダーシップが政局を強引に前進させたのは事実だけど、西郷が危惧した心配事がほぼ当たっていたとも言えるのだわ

124:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 21:25:40.39 ousK3brB0.net
>>121
オウム返しはお前のお得意のだろコロコロ馬鹿w

125:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/28 23:31:55.89 KP69Rdjf0.net
つかさ、西郷は久光に失言したけどすぐ反省して謝ったので二人の仲は悪くない
その後にこじれたのはすべて中山が悪いんだってのは重野がもっとも力を入れて語った部分でさ
アンチ君のレス内容はそれを読んでないのがバレバレなんだわ

126:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/29 09:05:16.94 3q1Hi6zv0.net
>>123
それらって西郷隆盛とはなんも関係無い、結果論じゃん

127:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/29 09:07:09.53 3q1Hi6zv0.net
誰しも胸の中に西郷隆盛を飼っている

128:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/29 15:49:19.26 GMC7vqv10.net
>はい論破w

129:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/29 21:36:25.56 iBmG9QXq0.net
>>128
オウム返しはお前のお得意のだろコロコロ妄想マンw

130:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/30 12:08:17.01 RAGCACtc0.net
URLリンク(i.imgur.com)
鹿児島や西郷を叩いてるのは朝鮮人で間違いないよ

131:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/30 14:17:46.70 i9RHVgDb0.net
>コロコロ妄想マンw

132:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/30 15:06:51.25 GDnRty0i0.net
チンカスがまたファビョってて草

133:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/30 21:01:17.92 dh9xV+p30.net
> チンカスがまたファビョってて草

134:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/30 22:59:44.78 ILy1JV2A0.net
鹿児島県は在日人数最低で、共産党員数も最低レベルだったかと
そのわりにパチンコ店舗数は日本一多いのが鹿児島県
県外の企業が鹿児島に進出するには、鹿児島地場の企業と合弁という形でないと
進出できなかった(単独や在日だと県内官民からの様々な妨害にあう)と聞いた
セブンイレブンもそのような鹿児島の排斥性を嫌い、長い間進出しなかった
ヤクザの山口組も鹿児島県には直系団体は出せていません(三次団体以下が天文館などにはいるが)
広島や沖縄は地元ヤクザが凶暴すぎて山口組も進出できないようですが
鹿児島の場合はよそ者には絶対仕事を回さない風潮があるそうで
山口組も進出しても意味が無いから進出しないそうだ
旧藩以来、今にいたるまで中央からの介入を嫌い、独自の王国を続けているのが鹿児島です

135:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/02 11:58:22.18 ybSX+sWn0.net
旨いもの食ってデブになろうが東京に屋敷持って召し使い20人いようが土地買いまくってようが
維新の功労者に相応しい報酬を倉に寝かせるよりマシなんだからどこが問題かわからん
合わない奴を冷遇したり、上下関係や嫁妾の扱いが厳しいのも
時代と土地柄を考えれば西郷の性格の良し悪しとは関係ない
問題は人間の多面的な面を何故か隠して政治手腕や数学の才能の割に性格が裸の大将並の聖人池◯にされてる点
特に西郷のこの辺のタブー視は却って西郷の政治力を不利にするからよくない
目に魅力ない、男尊女卑だし保守だし自己節制できない好き嫌い別れる男が
如何にして薩摩のボスになったかを考えた方が面白いと思うがね

136:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/02 13:15:11.04 Ta8ZSqN/0.net
別に薩摩のボスではないんだけどね
仕事の担当が対外交渉や若い連中のとりまとめだったのでもっとも顔が売れてたのと
別の人物Aを持ち上げたい連中にとって、西郷ひとりが薩摩を動かしたことにしておくと
西郷と話したら少しほめられただけの話を、時代を動かしたのはAだと吹聴することが可能になる

137:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/02 23:20:27.55 O2tZtOg10.net
>>135
単純に志士として最古参だったからでしょ
長州の桂も同じ理由だし

138:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/03 02:14:31.95 KaVbOUje0.net
ここでイメージがーと語ってる人のイメージってすごい偏ってると思う
なぜか知らんが西南戦争の薩軍側の連中の言い分しか耳に入ってない感じ
ふつう人格形成って言ったら幼少期から前半生だろう
重野も秩父崩れや順聖院崩れが西郷の性格にどう影響したかを語ってるんだから素直に読めばいいのに

139:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/03 04:54:27.05 /2d9H/510.net
結論ありきの馬鹿スレ主だから無駄w

140:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/03 17:20:22.43 qsLgPySR0.net
んでも写真等な対応を見ると意固地っぽいのは確かに思うな

141:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/05 15:42:18.41 G9E3EVNH0.net
>>140
西郷の写真嫌いに関しちゃ、日本で初めての写真が西郷が崇拝する島津斉彬によるものだってのも関係あるかもね
西郷的には「写真ってのは斉彬公くらいの偉い人物じゃなきゃ気安く撮るもんじゃない、まして藩士ごときが写真なんぞ」ってなもんかもなぁ
大久保の髭写真を酷評した手紙は、まぁ親しいからこそズケズケと書いたろうから、また西郷の写真嫌いとは別の話だけどね

142:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/05 16:43:42.71 o+bIKU3E0.net
集成館事業の一環として実験的に撮った写真が
なんで身分が高い人じゃないと許されないなんて話になるんだ?
ここ小説スレじゃないぞ

143:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/05 21:38:52.52 p5ug5CYC0.net
斉彬のことを尊敬しているはずなのに、やる事は斉彬の意とは正反対だったしな

144:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/06 00:35:14.02 MKdCYrMM0.net
>>135
司馬遼太郎の「坂の上の雲」にそういうの書いてあったな。
薩摩の人は偉くなるほど自分を茫洋とさせる、みたいな。
そら小説に過ぎないんだけど、そんな俺カッコいい、そんなボスカッコいい的な風潮があるんじゃない?

145:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/06 07:29:40.17 v/6qmzQD0.net
「大きく打てば大きく響く、小さく打てば小さく響く(龍馬)」
「懐深くて人望厚い爺さんだが長期的に物事見れなくて困る(木戸)」
本人が持て余すレベルの天性のカリスマ性があるが、本人の思想や政策方針は場当たり的で人に左右されやすいって事か
あと木戸(多分)が度重なる長州攻めも決して悪気があった事ではなく
話し合いの末お互いの思いは氷解したって持ち上げてたけど
江戸城攻め提案をあっさり翻した事も含め、その辺の気軽さは悪気があるよりたちわるくないか

146:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/06 08:25:36.45 jAQuQy5G0.net
なるほどねー
ここで断片的な知識+山ほどの妄想で西郷sageしてたのは木戸オタでしたか

147:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/06 09:31:04.25 MTQ5AkIG0.net
江戸城攻め中止をひとりで決められるわけねーじゃん
勝との面談は儀式だろ

148:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/07 00:17:57.86 atsj4e+b0.net
>>145
西郷本人が自分自身の事を新政府の要人となってる事実を認めたがらなくて、単なるピンチヒッターとしか振る舞ってなかったって事だろね
だから自分の役目が終わったらさっさと鹿児島に引っ込みたがる
西郷の人格とか能力とか以前に、西郷の帰郷癖と言うかすぐに引っ込みたがる思考が、木戸とか大久保にとっては一番厄介だったと思うよ

149:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/07 02:23:28.53 +xoI+F840.net
>>148
鹿児島の改革してたのが西郷w
そんなのも知らんのか馬鹿w

150:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/07 07:12:35.74 yGZbFE2R0.net
西郷が改革WWWWWWWWWWW

151:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/07 09:34:13.67 AOjVr8yu0.net
>>150
ほらやっぱり知らないwwwwwwww

152:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/07 09:35:26.88 AOjVr8yu0.net
知らないから草生やすしかない馬鹿wwwwwwww

153:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/07 10:03:25.96 LluiTxwP0.net
最近は木戸オタもレベル下がってるなあ
ここで他の人物の重箱の隅つついてねちっこくケチをつける木戸を再現して
ファンも本人も痛いなあ…とイメージ下げてどうするよ

154:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/07 12:50:54.44 nGOOsfjD0.net
1レスに2度言い返す格好の悪さ

155:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/07 14:37:08.90 AOjVr8yu0.net
いちいちレスするたんびにID変えてくるコロコロ妄想マンのカッコ悪さwwwwwwww

156:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/07 18:08:23.69 HQ4iyk/G0.net
Q : 維新後、西郷さんは中央政府から遠ざかっていた時期に鹿児島の改革をしていたというのは本当ですか?
A : はい
上野戦争後に政府軍トップの地位を大村益次郎に譲り、鹿児島に帰郷した西郷は
薩摩藩参政(当時は廃藩置県前で藩だった)として藩政改革に取り組みました
西郷改革の概観を一言でいうと「城下士の城下士による城下士のための薩摩」でした
≪ 薩摩藩の家格と持ち高の上限 ≫
        享保13年     明治 2年
一門     1万石以上    1500石
一所持    7000石       ↓
一所持格  5000石       200石
寄合     3000石       ↓
寄合並    2000石       ↓
小番      500石       ↓
新番      300石       ↓
小姓組     200石       ↓
郷士      100石        50石

上の表の石高はあくまで上限である
この改革で損をしないのは西郷が出た小姓組(城下士)だけである
西郷ととりまき達はほとんど小姓組の出である
この表では底辺家格のようにも見えるが、
石高の上限が200石というのはかなり良いものだ(長州藩上級藩士の木戸孝允は150石だった)
上級家格が減らされるのは分かる
戊辰戦争の功が大きかった城下士を優遇するというのも分かる
しかし郷士もが、もともと少ないうえにさらに半減とはどういうことだろう
ようは上と下を減らして浮いた分を、城下士で分け合うという“論功行賞”がこの改革の実態であった
結果、鹿児島城下士階級のあいだでの西郷隆盛の名声はますます高まりました

157:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/08 12:17:01.37 5pM80JSg0.net
田舎の土建政治家の原型が西郷隆盛にあるって感じ

158:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/08 12:29:47.97 MsZeQX3c0.net
意味不明w

159:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/08 20:52:57.98 fJ5rDpD90.net
>いちいちレスするたんびにID変えてくるコロコロ妄想マンのカッコ悪さwwwwwwww

160:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/09 07:43:53.14 TqNKFdkc0.net
コロコロ妄想マンwwwwwwww

161:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/09 12:28:10.94 Rduv5Ryh0.net
>コロコロ妄想マンwwwwwwww

162:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/09 13:08:05.42 TqNKFdkc0.net
>>161
悔しいのうwwwwコロコロwwwwwwww

163:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/09 13:26:49.68 Rduv5Ryh0.net
>悔しいのうwwwwコロコロwwwwwwww

164:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/09 16:48:08.85 gSXHnyUc0.net
ダメだこのスレ
生きる価値もない低学歴低所得のチンカスしかいない

165:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/09 16:51:09.95 TqNKFdkc0.net
>>163
悔しいのうコロコロwwww

166:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/09 16:51:29.12 TqNKFdkc0.net
>>164
そもそもチンカスがどうとか言ってる程度w
中身ゼロw
はい論破w

167:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/09 17:17:35.54 gSXHnyUc0.net
自分がチンカスだということだけは理解してるんだなこのチンカスはw

168:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/10 01:34:11.71 +IKcXTdI0.net
チンカスがどうとか言ってるコロコロ妄想マンw
中身ゼロw
はい論破w

169:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/10 15:12:17.96 wHw9xEwx0.net
>はい論破w

170:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/12 23:57:10.06 +L1SV+tL0.net
■石橋和歩 容疑者(いしばし かずほ)25歳 2017年10月10日逮捕
093 246 2617
[住居地]: 福岡県中間市扇ケ浦1丁目19-5 松ケ岡荘
[本籍地]: 福岡県鞍手郡
[勤務先]: 石橋建設工業株式会社
[代表者]: 石橋 秀文 (※実父)
[勤務先所在地]: 福岡県北九州市八幡西区楠橋西3丁目18-6
[勤務先電話番号]: 093-617-2250 [従業員数]: 15名
[事業内容]: 全国の発電プラントの電気設備工事全般
[事件時使用車]ホンダ ストリーム 白色 北九州537ひ830
■【事件時の同乗者】
●中尾美穂 (なかお みほ) 名古屋在住 無職 22歳
[最終卒業校]: 福岡女学院大学 福岡女学院大学短期大学部
石橋和歩 容疑者と交際期間3年
石橋容疑者と共に車外へ出て、腰の骨を折る重傷

171:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/13 23:24:00.27 wsFwfBri0.net
韓半島?

172:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/14 18:47:01.12 tIj+l5X/0.net
福沢諭吉は維新三傑なんて言ってるが西郷が突出して衆望を集めていた
西郷の留守政府は民が不平を言わず安定してたと評価してたな

173:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/14 20:57:13.40 igzxhNIL0.net
西郷のやり方では近代国家にはなれない

174:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/14 23:23:12.72 dcfVb7CY0.net
福沢諭吉の西郷びいきは、勝海舟の西郷びいきと同様、
政府から距離を置いた(置かれた)自分の反政府心情を西郷に仮託させて語ってる面があるからなあ

175:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/14 23:23:54.20 dcfVb7CY0.net
また福沢は適塾時代に大村益次郎と不仲だったそうで、秀才のくせに秀才を嫌う性質があって
西郷のような人情派みたいな人間が好みではあったんだろう

176:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/14 23:24:25.84 dcfVb7CY0.net
もっとも福沢は西郷と会ったことは無いはずなので、福沢の頭の中にいる観念上の西郷に共感を持っていたにすぎないと思うが

177:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/14 23:24:44.95 dcfVb7CY0.net
その点、西郷と身近で接していたことがある重野安繹の西郷分析のほうが本当なんではないだろうか

178:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/14 23:31:55.70 BE0vXkPd0.net
キチガイの連投

179:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 12:10:20.15 V2e7QcOH0.net
重野基本的には西郷を支持している。アンチ西郷は重野の一部の文脈を抜き出し、印象操作している。

180:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 13:56:21.13 EfiQb1he0.net
支持してるとか支持してないとかほんとうにキショイ
信者ならではの思考回路
重野は是々非々で西郷の性格を分析してるだけ

181:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 14:12:02.33 kzM0byu00.net
まーた重野の「西郷南洲逸話」を読んでない奴が来た

182:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 14:21:42.80 tNhBToF30.net
読んでいるから必ずしも「正確に」誰しもが分析・理解出来るとは限らないのだなw

183:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 14:23:01.62 QqeJJX5Z0.net
>>180
スレ主のことだなw

184:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 14:24:25.80 QqeJJX5Z0.net
スレ主のキモさ半端なしw

185:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 14:30:51.49 kzM0byu00.net
読んでもわかってなかったのか…
まあ、秩父崩れって何?島津某って何?の人なら理解できないかもね

186:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 15:06:16.14 EfiQb1he0.net
秩父崩れの残党に育てられたのが西郷の性格を決定づけた、という重野の見解か
べつに関係無いんじゃない?
精忠組自体が秩父崩れで粛清された人たちの流れを汲む派閥であり
西郷の性格関係無く精忠組は敵対派閥や島津久宝を目の敵にしていたと思う

187:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 15:06:46.69 EfiQb1he0.net
西郷がそういう派閥の人間になったのは秩父崩れ残党の影響が大ではあったろうが、
その後に徳川慶喜を敵対視したり、政府の大隈重信や井上馨を口撃したり、
はては弟従道とは口もきかぬ仲になり、大久保利通とは殺し合うまでになったのは
西郷の素の「敵をつくる」性格であったと思われる

188:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 15:13:54.38 kzM0byu00.net
重野の見解は関係ないとか本当だとか
自分に都合よく話を捻じ曲げすぎwwwww

189:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 15:17:45.13 kzM0byu00.net
まあいつもの明治後のことしか知らない人だということは分かった
そりゃ理解できないよね

190:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 15:25:06.22 EfiQb1he0.net
重野が書いてることが全部正解だと思うほうが狂ってる
重野自身も書いてるが、西郷についての逸話は人によって言うことが違うし、
重野自身が書いてることもそのようなものとして読むべきであると
秩父崩れの残党と西郷の関係についての重野の見解はやや筆足らずで、真意は>>187のようなものであったと思うがな

191:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 15:36:08.56 kzM0byu00.net
ほんと日本語読解力がないやつだなwwww
>精忠組自体が秩父崩れで粛清された人たちの流れを汲む派閥であり
とか、重野が「敵をつくる」とは具体的にどういうことかを延々と説明している部分を読んで思ったのなら
日本語が理解ができない人なのか、読んだと嘘をついてるかどっちかだな
今までのこいつの反応から見て、たぶん後者かw
読んでないなら相手してもつまらんから、もういいや

192:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 15:43:06.17 EfiQb1he0.net
>>191
君こそ自分の言いたいこと整理してから言ったほうがいいんじゃない?
まあ、分が悪いから逃げます、ということは行間から伝わってきたがな

193:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 15:57:01.28 V2e7QcOH0.net
スレ主は重野は正しいと言ってみたり、間違ってると言ってみたり、、
以前から東大教授の重野は信頼出来ると言ってたよな。
どうせ得意の逃げ道、「是々非々」とか言うんだろ。卑怯者w

194:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 16:15:13.75 QqeJJX5Z0.net
>>193
それそれw

195:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 16:45:25.62 EfiQb1he0.net
卑怯者ねえ・・・
重野自身がそう言ってるんだけどね、重野自身が書いたものも是々非々で読むべきであると
たとえば重野は西郷と月照の入水のことをけっこう詳しく書いているんだが、
西郷と月照は心中を約束していたわけではないが、
言葉に出さずとも月照も以心伝心で承知しているはずなので西郷は月照を抱いて海に飛び降りた
と西郷の行動を正当化するような都合のよいことを書いている

196:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 16:45:55.84 EfiQb1he0.net
さらに、何分とは明確には書いてはないが救助までに相当の時間がかかったにもかかわらず月照だけが死亡し、
西郷は何の後遺症も伴わずその後回復したと
海の底で発見された時、西郷と月照は抱き合っていたとも書いているんだが、
そんなことがありえようか? 抱き合ってるとか
そして同じ条件で一方は死に、一方は長時間海の底に沈んでいたにもかかわらず後遺症も無く回復

197:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 16:46:46.30 EfiQb1he0.net
明らかにおかしいのだが、重野もこの逸話はおかしいと思ったのか、
このことは「西郷からの直話」であると念を押すように書き記している
これは西郷本人が自分にそう説明したのだから事実である
ということを言いたいのではなく、この場合はたぶん、西郷がそのように私に説明したことであり
私はべつに証拠を集めて事実を確認したわけではない
ということなのだ!
むろん、西郷が月照殺害を正当化するために心中を主張したのではないか?などとは書いていない
このへんのニュアンスが分からない西郷信者はこの章を読むと、ああやはり西郷と月照は以心伝心で心中を試みたのだな、となる

198:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 17:52:24.43 EfiQb1he0.net
重野とは関係無いが、月照殺害のことを西郷が自分で語ったとされる記録がもう一つある
コピペですがどうぞ
昭和12年鹿児島県教育会発行の「南洲翁逸話」の冒頭に、
伊集院の郷士本田元右衛門と西郷の対話として、
「自分が最も遺憾に思うのは、僧月照の身の上だ。
月照が船のトモに出て小便をしている所を後ろから抱きこんで飛び込んだら、
月照のみは死し、自分が生き残ったのは至極遺憾なわけである」との記述がある。
戦前の日置郡伊集院小学校の調査報告による、とあるから信頼性は高い。
ようするに心中ではなく、死ぬ気の無い月照が小便しているところを
背後から西郷が抱きついて海中に引きずり込んだのだ、
と西郷自身がポロっと漏らしているのです。
殺害したとなると世間の聞こえが悪いので、心中であったかのように偽装したのでしょうか?
事件後、月照の辞世の句とされる書き付けが出てきたと言われています。
”月照”と署名が入っていたそうなんですが、月照の生前の署名はほとんど”忍向”という雅号であり、
果たして月照本人が書いたものか非常に怪しい。
しかもこの書き付け、西郷の懐中から出てきたそうです。
自殺に見せかけるために偽の辞世句を計画的に
準備していたとしたら、なんとも後味の悪い話しですが、
この時の西郷は30歳になったばかりの若者。薩摩藩での立場も強いものではなく、
藩命には逆らえなかったのかもしれません。

199:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 18:08:51.94 EfiQb1he0.net
上の「自分が生き残ったのは至極遺憾なわけである」と西郷が悔いていたという同様の記述が
重野の「西郷南洲逸話」にも出てくる
複数の史料で確認できるはおそらく史実であろう
月照に死ぬ気が無かったのも
重野の見解ではこの時の、月照に気の毒なことをし、自分だけが生き長らえたという体験が
その後の西郷に「始終死を急ぐ心持ち」を抱かせたのではないかと分析しているが・・・

200:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 19:05:03.55 QqeJJX5Z0.net
重野信者が信者信者言ってるw

201:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 19:23:30.30 tNhBToF30.net
単に重野が「俺はこう見たよ?」的な話やんw

202:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 21:46:11.74 V2e7QcOH0.net
スレ主の長文、駄文は読みにくいが、よく読んでみると、殆んどは、スレ主の主観、妄想をちりばめてるだけじゃねーかよ。

203:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 21:55:03.70 WmQuxtee0.net
>>199
月照の場合、ここで入水しなくても日向送りが決まってたわけで
ちなみに薩摩で「日向送り」といえば、日向国に連行する途中で暗殺することを意味してる
田中親子もそうだったしね
つまりどのみち月照は死んでたわけで、西郷が無理心中を悔やんだところで結果は同じ
後悔なんて生き残った者の矜持に過ぎんわ

204:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 22:40:05.74 EfiQb1he0.net
重野は藩で自分の立場が悪くなった時に西郷には味方してもらった恩義があると書いてるわりに
文章の行間からは西郷に対するリスペクトはまるで感じられないところが逆に信用できる
薩摩造士館はむろん江戸昌平黌でも随一の学識を誇った重野博士が、珍獣を見るような目線で西郷を分析してるのがいい

205:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/15 23:22:52.41 QqeJJX5Z0.net
珍獣がなんか言ってるw

206:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/16 18:03:16.13 lwi+jL+m0.net
んなもん2ch覗けばありとあらゆるジャンルでネタになった当人の学歴の有無で
あ~だこうだ言っているのと「変わりはない」

207:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/16 19:16:45.98 9U1xkIxc0.net
>>204
そうか?
むしろ重野は無鉄砲で扱いづらかったが、なぜか人を惹き付ける若い頃の西郷を懐かしんでた気がするが
重野から見たら思想家然とした晩年の西郷よか、反骨精神剥き出しの若い頃の西郷の方が魅力だったんだろ
だからこそ斉彬公も、優秀だが生意気な若造の西郷を可愛がってたのかもしれん
「西郷は優秀だがワシにしか上手く使えない」なんて斉彬公の言葉を入れてくる辺り、重野も若輩ゆえに人を惹き付ける西郷を評価してたとしか思えないよ
そんな面白い若者だった西郷が、いつの間にか周りに担がれ挙げ句に自滅へと進んでいった、その理由を抹殺博士らしい斜めの視点から分析して見せたんじゃない?

208:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/16 19:54:09.03 lwi+jL+m0.net
そりゃ~久光上洛の件で無学な奴から頭ごなしに否定されりゃ~
忘れようとしても無理だろうw

209:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/16 21:38:37.36 VyNlpc8P0.net
>>207
どのように解釈するかは人の自由なので異論は無いが、
西郷の晩年が思想家然としていた、というような記述は「西郷南洲逸話」には一切無いと思う
むしろ西郷の若い頃に、誰々の思想の影響を受けたとかの話が非常に多く
西郷の後半生については「敵をつくる」性格から征韓論や西南戦争が起こった、とほぼそれしか書かれていない
また斉彬の「西郷は優秀だがワシにしか上手く使えない」という挿話も入って無かったと思う
もしかしてあんた個人の西郷観がいつのまにか、「西郷南洲逸話」に含まれていたかのように錯覚しているのでは?
あんたこそたぶん持ってないでしょ? この史料
どっかで借りたかして読んだだけで
まあ読んでるだけましなんで非難はしないよ

210:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/16 22:20:10.24 jTrupibq0.net
単純に重野評は浅いというか表面的だよね
龍馬の「西郷というやつは、わからぬやつでした。釣り鐘に例えると、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。
もし、バカなら大きなバカで、利口なら大きな利口だろうと思います。」
の方が深く西郷を分析している様に感じる

211:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/16 23:29:19.46 VyNlpc8P0.net
上のレスの坂本龍馬の言葉(勝海舟作?)はたしかに西郷の本質をついた言葉かもしれない
実は重野の言っていることもほとんど同じなのだ
>>210がたぶん思ってるような、西郷には何か深いものある、という意味ではない
単純に西郷という鐘はその時その時で響き方が変わるという意味でだ
世間の人は西郷を、大変度量が広く、なにか深い考えを秘めて進退した人
のように思っているが、“そうではないのだ”と重野安繹は言う
・派閥活動大好き
・偉い人に取り入って権勢をふるう奴が大嫌い
・しかし自分(大西郷)の懐に飛び込んできて権勢を得る後輩は大好き
・したがって敵味方がはっきりできる
・抗争、政争が起こる
・最終的に西南戦争が引き起こり西郷自身も倒れた
それが重野の分析
つまり西郷には世間の人が思っているような深謀遠慮のようなものは無く、そう見えるだけだ、
世間の人は錯覚しているのだ、と重野は言うのだ
単純にその時その時の派閥の力学で、あっちに味方したり自分が出張ったり、向こうを敵にまわしたりと
突かれる鐘のごとく西郷は進退していただけなのだと

212:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 04:31:09.14 0DHIB0+v0.net
>>211
重野の言いたい事はもっと単純だと思うよ
西郷個人が嫌いだったのではなく、西郷を神格化して担ぎ上げて結果的に死地に追い込んだ連中が嫌い
そしてそんな連中を自ら吸い寄せてしまうところが、西郷の美点であり欠点であり悲劇だったと

213:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 07:53:22.03 nc4WsQXy0.net
>>212
ほんと失礼な言い方して申し訳ないけど
重野が嫌いなのは、あなたのような曖昧な西郷観でろくに調べもせず、中身の無い美辞麗句を使って西郷をなんとなく祭り上げてる人々だろうね
すいません

214:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 09:24:24.17 CP6HPaYl0.net
西郷アンチの人って「西郷南洲逸話」を読んだといいつつ
ネットの引用しか読んでないんじゃないかな
度量の大小にしたって、原文を読めば斉彬公との対比で言っていることはわかるし
逆に明治後のことなんて一行くらいしか触れていない

215:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 10:06:48.39 cU5xOvg70.net
>>214
読んだとか読んでないとかそんな低レベルな争いやめましょうよ
読んだというか、ふつうに持ってます
持ってないのはあなただ
斉彬は度量が大きい人で、
西郷が、家臣の誰々は奸臣であるとする悪口を斉彬に吹き込んでも、斉彬はその家臣を遠ざけることは無かった
という解説はたしかにある
しかし重野は「西郷南洲逸話」全編で、ことあるごとに西郷の度量の小ささ(自分と意見や派閥が違う人間にはすぐ“奸臣”や“俗吏”のレッテルを貼って攻撃してしまう)
を言ってるわな
まあ、違うというなら「西郷南洲逸話」から何か引用して反論してみ

216:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 10:16:13.84 cU5xOvg70.net
ちょって分かりにくかったかもしれないので言い直す
西郷は家臣の誰々は奸臣であるとみなしその者の悪口を斉彬に吹き込んでいたが、
斉彬は西郷の思惑通りには動かず、敵対派閥の家臣であっても遠ざけることはなかった

217:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 10:37:37.00 cU5xOvg70.net
そして、斉彬の死後は(西郷から見た)奸臣がますます跋扈し、
西郷はそれが気に入らずやけくそになって月照と海に飛び込んだ、ということを重野は書いてるが
そのへんは重野の憶測と言うか飛躍しすぎだとは思う

218:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 11:16:47.53 cU5xOvg70.net
さらにこう続く・・・  ( )の中は引用者の注釈
西郷はそういう人物であるから、度量が大きいとはいわれない。
またその後も大島から赦免になって帰って来た時は、久光公の君側の某々が小人で、
これ等がほしいままにするというのが不平で、それを敵と見て排斥するということになって、
(しかし反撃を食らった西郷は)再びの遠島となった。
とにかく世の中の小人などをば、自分の度量内に入れてやるということは乏しい。
明治の以後になってもそうである。大敵と思う幕府は倒れてしまった。
せっかく御一新の政府になったところで、もう政府の間に悪い空気がはいったという積りで、
参議連中が姑息じゃとか、富貴を貪っているとか言って政府の人をば憎む。
政府の人を憎むところから、征韓論が起こって、
また党派争いで、自分につく者とつかない者と二つに岐れて、
征韓論が通らないで、また自分の敵が起こって来た。
そうして大臣をはじめ皆富貴に慣れて、御一新後わずかばかりの間にわがままをするということが(西郷の)腹に在って、
遂に西南の乱となった。
どうも西郷は一生世の中に敵を持つ性質で、敵が居らぬとさびしくてたまらないようであった。

219:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 12:39:11.96 3XJymins0.net
倒幕のその先を考えてなかった無責任野郎

220:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 19:39:46.47 JPUb8Z0H0.net
西郷は西南戦争で敗れた為に過小評価されてる
明治にも廃藩置県や徴兵制という大変革を行っているし
外交面の対韓問題も大きくかかわった
途中から政権取った大久保がさも近代化をした様に美化されている
江藤新平や板垣退助などは大久保よりも進んだ民権的な考えを持っていたし
西郷らが政争で勝ってたらもっと進んだ国になっていたかもしれない

221:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 19:45:36.06 YVEm+aR80.net
政争で西郷木戸が敗れて、勝利した大久保が自ら内務卿となり政権を握ったまでは良かったのでは?
大久保暗殺が色々とその後を狂わしたと思う

222:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 20:05:33.17 JGz5zEAx0.net
>>219
重野の見解では、倒幕の前から西郷は何も考えてなかった、となる
いや西郷なりに斉彬や藤田東湖などに私淑し勉強していたようだが、
斉彬や水戸斉昭の「鎖国と見せかけて攘夷派を鎮め、その先で開国する」という国家戦略を、当時の西郷は理解していなかった、
と重野はさりげなくディスっているし
とはいえ重野は西郷の存在を否定しているわけではない
もともと重野は西郷と張り合う気なども無く、
学識的に圧倒的な上から目線で西郷の義侠心などは大いに評価していたようである
たぶん西郷のような珍獣でなければ薩摩のような面倒くさい藩の舵を大きく切ることはできなかった
ぐらいには思っているのではないかな

223:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 21:09:28.73 Ly4DQHyr0.net
重野安繹という人は、「西郷のことを悪く言った」という形で、
必ず西郷とセットで語られる。
これが市来四郎の場合は、まず日本最初の写真技師、島津斉彬の肖像を撮った人物として名が挙げられる。必ずしも西郷とセットということはない。
重野の功績はなんだろう。
万国公法の翻訳も、開成所版の五年後のもので、いくつかある諸本の一つ。
日本最初の文学博士、東大教授というけれど、これは大久保閥によるものだ。
史学の分野でも法学の分野でも、後世に大きく影響を与えるような功績があるんだろうか。
「抹殺博士」というあだ名があった、ということぐらいしか残っていないのではないか。
重野は東大教授として高給を得た。それで大金を持って島女房を迎えに行った。
しかし、別の男と所帯を持っていた島女房に、金だけ置いて帰って行った。
重野は、精一杯の誠実さを表そうとしたように思える。
それに引き替え、愛加那から子供二人を取り上げた西郷はひどい奴だ、
と「横目で見た郷土史」(片岡吾庵堂著)にあって、スレ主がわが意を得たりとばかりにテンプレにあげている。
しかし実際は、重野も娘を自分のもとに引き取っている。片岡氏はそれは知らなかったらしい。
ほとんど忘れられていた重野が、再び取りざたされるようになったのは、
恐らく司馬遼太郎が「翔ぶが如く」の中で「西郷を悪く言った男」として取り上げたからだろう。
それのみで語られることを一番残念に思っているのは、泉下の重野自身じゃないんだろうか。

224:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 21:29:13.99 JQ30PmO80.net
片岡氏は鹿児島経済大学出身じゃなかった?

225:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 22:24:03.44 JGIltKbU0.net
重野安繹 プロフィール
水戸藩の大日本史をはじめ従来の歴史学は大名家の家伝や
軍記物を根拠に構成されていた
重野安繹はこれらの史料は権力者や大名家の史観により粉飾されているので
参考に供すべきものにすぎず、
歴史の本当の姿を実証するためには、現存する古文書・手紙・実在した人物の日記を
根拠に歴史を構成すべきであるとし(現代ではあたりまえの方法であるが)
自らそれを実践した日本で最初の歴史学者である
明治政府による「大日本編年史」の編纂事業がそれであり、重野は責任者であった
全国に調査団を派遣、地方の社寺や旧家に埋もれる史料を探索することから始めたのである
明治18年の関東六県での探索では、文書が8089通、書籍767部、系図58種を収集した

226:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 22:25:16.51 JGIltKbU0.net
ちなみに「大日本編年史」の史料探索は明治20年鹿児島でも行われた
この時の重野の手紙が残されている
このなかで、重野は、旧主である島津家に対し、当時鹿児島で保存されていた
島津家文書の閲覧を許可するよう求めたが、島津家がこれに難色を示している
という顛末を記している
結局、この調査は途中で断念されたという
戦国島津や薩摩藩に関して、島津家発のあり得ないようなミラクル戦記が、否定されず
なんとなく信じられているのも、この時の不完全な調査が原因かもしれない・・

227:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 22:34:38.89 zBPJOtgb0.net
それは悪役になった久光出身の玉里島津家が嫌がった訳だが、近年公開されたの知らんのか馬鹿w
教えてやっただろ馬鹿w
>>52
>>58

228:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 22:35:41.86 zBPJOtgb0.net
長州の馬鹿スレ主w

229:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 23:02:50.29 JQ30PmO80.net
スレ主、いつも論破されてるね。

230:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/17 23:50:13.89 dlK6Fj3W0.net
いやぁ~現代にも通じるネタだよな~
理詰めで全てを再構築しようとする人間と体感的に強引に進めようとする人間
一見すると後者のがやはり真理なのか?と思うかもだが
「実は」全てが前者で構築された世界なの「かもね?」という話w

231:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/18 05:54:57.87 BnIkRPzs0.net
>>224
>片岡氏は鹿児島経済大学出身じゃなかった?
スレ主は条件反射で何か書こうとして、よく意図の分からないことを書いています。
ちなみに「鹿児島経済大学」は2000年に「鹿児島国際大学」に改称しています。
現代のレスであれば「片岡氏は鹿児島国際大学出身じゃなかった?」と書くべきところ。
しかし1996年発行の「横目で見た郷土史」には片岡氏は「鹿児島高等商業(現鹿児島経済大学)昭和12年卒」とあるので、
そのまま書いたのでしょう。
スレ主の情報があるところで止まっているのが、よく分かりますね。

232:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/18 14:06:41.39 t/5cOou10.net
長州の馬鹿スレ主w

233:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/18 14:10:40.33 fCFuDZx40.net
山縣とか井上とか
汚職でヤバい状態だったのに西郷に助けてもらったんだろ

234:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/18 18:02:18.85 ebQAhDJd0.net
そもそも山県を窮地に追い込んだのが西郷の手下として権勢を得ていた桐野利秋ら西郷系軍人である

235:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/18 18:02:58.71 ebQAhDJd0.net
しかし山県はかねてから西郷個人には取り入っていたようで、西郷の庇護のおかげか
汚職は実際にあったと言われているのに、山県の司法責任は問われず、軍の要職を辞任したにとどまる
その後、すぐに陸軍卿として復帰
後年の解釈では、西郷が山県の軍政の才能を惜しみ救済したとも言われている

236:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/18 18:03:48.03 ebQAhDJd0.net
しかしこの事件の行間からは、西郷の本能的な政治的気質がチラチラとかいま見えるのだ
すなわち、西郷の政治判断の基準は「そこに正義があるかどうか」「不正があるかどうか」ではなく
「西郷におもねっているか」「西郷にしっかり根回ししているか」なのではないか

237:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/18 18:04:27.18 ebQAhDJd0.net
井上馨の一件は、江藤新平VS井上馨という構図であり、西郷は直接関係無いようであるが
かねてから西郷に「三井の番頭さん、うろちょろするな」とヘイトされていた井上は政府を追放された
山県と井上の処分の違いは、西郷に気に入られていたか嫌われていたか、と見るのは自分だけではないだろう

238:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/18 22:39:45.71 sBciopm70.net
気に入られるかどうか、自分の言うことを聞くか奴かどうか、組織の中では、普通に重要だろ。w

239:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/19 02:20:40.82 y1u7O3Ad0.net
長州の馬鹿スレ主w

240:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/19 06:10:43.58 XNdDFTXY0.net
>>234-237
長州人同士の山懸と井上の扱いの差なら、
その「阿り」やら「お気に入り」で説明がつくかもしれないが、
肝心の桐野ら子飼いの薩摩郷党の意向より、山懸の地位を優先した点は、
その「行間」とやらにはなんて書いてあるの?

241:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/19 07:02:00.40 bYEAed6B0.net
それだけ山縣と西郷のパイプが強かったってことだろ
徴兵制を推進する山縣を庇護したってことは
西郷の政治判断基準が士族温存(霧野派)か徴兵推進(山縣派)か、という思想信条によるものではないってことだろう
西郷を親分と仰ぎ、懐に飛び込んで来る者があれば誰であれ可愛くなって庇護していたのではないか
山縣は長州人ではあるが、大村益次郎系の長州軍人とは不仲であったので
西郷を後ろ盾として頼む気持ちが強かったはずだ
西南戦争時の山縣と西郷の手紙のやり取りを見ても、師弟関係的な趣があったし
もっとも、政治能力の異様に高い山縣のことだから
徴兵はあくまで士族軍の下に置きます的な方便を用いて、西郷を納得させていたのかもしれないが

242:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/19 07:08:22.34 IzxgA5lC0.net
これは何かのプロパガンダかね?

243:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/19 14:15:42.04 BnY2hKiT0.net
山縣井上の汚職追及に執念を燃やしたのは初代司法卿江藤

244:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/19 17:52:58.59 3Sp15UeC0.net
その初代司法卿の首をわざわざ写して後世に残すほどってどんだけ?と
大久保さんw

245:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/19 20:25:03.56 nprYS2LB0.net
大久保も大概だけど
政府要人たちが集まるパーティーの席上で
井上馨を「三井の番頭さんウロロチョロするな」と面罵した西郷も
とんだパワハラおじさんだよな
西郷の“人望”の中には
「こいつに嫌われたら何言われるか分からないからいちおう立てておこう」
という消極的追従が多分に含まれていたはず

246:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/19 20:41:24.96 RH/EKnvw0.net
井上なんて山県と違い証拠も握られ本来監獄行きを辞職ですんでるだろう
辞職ですんだ山県と待遇に差があるとは思わないな
自分で大事件起こして救われてるのに西郷がわざわざ敵を作ったなんて評はあてにならない
三井の番頭さん発言も史実なの?

247:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 01:07:15.60 HA1zOR1b0.net
>>246
それに関しちゃ西郷が薩摩藩士だってのが大きいと思う
なぜだか知らんが鹿児島は昔から商売人を軽視すると言うか、商売で稼ぐことを下賎の行いって風潮かあってねぇ
戦前くらいまではそんな気風が続いてたのだわ
商人から甘い汁を吸ってた山県は嫌々ながら庇っても、有力政商とタッグを組んでた井上を西郷が小馬鹿にした発言は不思議じゃない

248:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 04:26:45.95 EtLawsyc0.net
>>241はどうも分からない。
>>235 >山県はかねてから西郷個人には取り入っていたようで
>>236 >しかしこの事件の行間からは、西郷の本能的な政治的気質がチラチラとかいま見えるのだ
>>237 >西郷に気に入られていたか嫌われていたか、と見るのは自分だけではないだろう
「ようで」「行間からかいま見える」「ないだろう」とスレ主の推量ばかりで、具体的な理由は一つもない。
それが>>241ではいきなり、
>それだけ山縣と西郷のパイプが強かったってことだろ
と根拠もなしにパイプが太かったからだ、と断定している。
最初に国民皆兵・徴兵制を主張したのはそもそも大村益次郎だ。
薩摩や西国の蜂起を警戒していたのははっきりしていたから、
桐野らが反発したのは当然。
しかし、その自分を警戒していた大村の徴兵制を、西郷が採用したのを、
>西郷の政治判断基準が士族温存(霧野派)か徴兵推進(山縣派)か、
>という思想信条によるものではないってことだろう
とスレ主が主張するのは、訳が分からない。
西郷が桐野らの士分兵制を採用したなら、「身びいきだ」「保身だ」と非難されても仕方ないかもしれない。
しかし、徴兵制を採用したのを「山懸とのパイプが太かったから」とするのは、どう考えても無理がある。
むしろ、大義による思想信条そのものだろう。
実際、桐野らの士分兵制より、大村の徴兵制の方が強かったことを身をもって証明したのは、
皮肉にも西郷自身だし。
西郷と山懸に師弟関係があったというなら、
明治六年の政変で、西郷とともに薩摩に下野した連中は、みな西郷と師弟関係があった。
スレ主は、自分の願望が事実だと思い込む。
でもそれを普通は妄想と呼びますね。

249:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 07:35:59.84 BOdYUsRl0.net
>>246
私腹を肥やしているとか公私の区別がないとか言われる御仁であったが
一方で困窮している旧知な人らには援助も惜しまなかったという
元来が金を動かす知恵はあったようで幕末期は何かと藩上層から金を引き出す役目だったとか
勿論維新を成就する上での資金源(+αw)とかね
当然ながらそういった所謂金庫役wな連中らとの付き合いは明治以降もあったようだし
それをよしとしない連中から見れば卑しく見えたのかもしれんと

250:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 07:55:02.65 ezQUAEVZ0.net
>>248
厳然たる事実として西郷は霧野と山縣という相反する人間をどちらも大切にして
どちらの思想も否定しなかった
つまり西郷の政治判断の最優先事項は思想信条ではないってことだろ?
矛盾したことやってんだから

251:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 08:01:22.80 xPguQyle0.net
上の場合の思想信条とは、具体的な政策論ということで、
大義、みたいな抽象的なことでは無いんで

252:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 08:02:01.57 xPguQyle0.net
250と251は同一人物です

253:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 08:02:17.99 xtMAEyBP0.net
長州の馬鹿スレ主w

254:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 11:27:26.08 qd6q/kDf0.net
>>249
西郷から見たら、井上馨は政商にとりいる奸臣ということになるんだろうな
薩藩時代に、島津久宝や中山忠左衛門に奸臣のレッテルを貼り、攻撃したように
西郷に潰された薩摩の彼らも決して無能なわけではなく、西郷とはウマが合わなかっただけで、
西郷派閥以外の人から見れば彼らは決して奸臣ではなかったと思う

255:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 11:43:19.95 xtMAEyBP0.net
と思うwwwwwwww

256:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 11:43:41.92 xtMAEyBP0.net
証拠はないwwwwwwww

257:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 12:03:26.41 ot1yVEYn0.net
中山忠左衛門は島津久光に忠義を尽くしてるよ
久光をさんざん利用したすえ切り捨てた大久保利通の
殺害計画を実行に移そうとしたぐらいの一種の忠臣だよ
中山はもともと薩摩藩のエース藩士だったが西郷と確執があって失脚
冷や飯を食らわされた

258:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 12:50:08.03 BOdYUsRl0.net
なんだかんだ言いつつも近代になって久光と西郷の血が「結実w」した訳なんで
草葉の陰でどう思っているのかが気になるなぁwww

259:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 14:28:01.71 bCTmE2+60.net
人斬り半次郎の親分ですから

260:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 15:55:27.08 vkKT0WDH0.net
無抵抗の学者を一人斬っただけで、人斬り半次郎と呼ばれるようになった桐野利秋さんのことか

261:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 17:00:20.31 tqXrzseL0.net
■幕末の四大人斬り
・岡田以蔵(土佐藩士)
・田中新兵衛(薩摩出身)
上の二人は行動をともにすることも多く、分かっているだけでも以下の人物たちを斬っている
本間精一郎、井上佐市郎、宇郷重国、猿の文吉、四与力、平野屋寿三郎、煎餅屋半兵衛
多田帯刀、池内大学、賀川肇、渡辺金三郎、大河原重蔵、森孫六、上田助之丞、姉小路公知
・河上彦斎(熊本藩士)
佐久間象山ほか多数を斬ったとされる 「るろうに剣心」のモデル
・桐野利秋(薩摩藩士)
薩摩藩出入りの学者、赤松小三郎を勘違い殺人 被害者は無抵抗
桐野が斬った学者の人(実写真)
URLリンク(stat.ameba.jp)

262:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 18:07:37.61 s9/nlJ000.net
西郷を酷評?していた市来さんもこと桐野に関しては爆上げだっけ?w

263:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 20:16:55.59 zGvkSs+l0.net
桐野が切った赤松は薩摩藩へのスパイだった。 薩摩藩の指令かどうか分からないが正当な理由。
また、赤松は銃で反撃しようとしたが、桐野の刀の方が早かった。公式の人斬りの記録はこの件だけだが、新撰組にも恐れられていたのは、それなりの理由が有ろう。

264:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 20:33:52.31 2HfG+geJ0.net
鹿児島の小学校ではそのように教えられてるんだWWWWWWWW

265:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 21:19:49.07 pQzf2IHw0.net
>WWWWWWWW

266:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/21 00:26:21.85 wl6S0HnW0.net
>>250>>251は誠に不思議な日本語だ。
>西郷の政治判断の最優先事項は思想信条ではないってことだろ?
>矛盾したことやってんだから
>上の場合の思想信条とは、具体的な政策論ということで、
>大義、みたいな抽象的なことでは無いんで
国語辞書にはこうあります。
「思想」思いめぐらす。ある物事に対する個々の考えや理論ではなく、世界や人生に対する、あるまとまった考え・体系をいう。
「信条」かたく信ずる事柄。
スレ主は「思想信条」を「具体的な政策論ということ」と言ってのけますが、
辞書にははっきり「ある物事に対する個々の考えや理論ではない」と書いてあります。
前提になる日本語がいい加減なんだから、そりゃ理論的でないのは仕方がない。

267:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/21 01:11:24.24 Fg9KaoRm0.net
長州の馬鹿スレ主w

268:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/21 04:25:00.04 8uX8cZ0G0.net
・増山麗奈
「政治家の皆さんと一緒によく会合をもたれて…お酒の席ですね、やられてる、映画によく出資をしているT会長から直接お聞ききした話いきます。
竹中平蔵がもっている変態バーがあり、そこにはよくAKBの子たちが来る。
パンツはもう紐みたいなモノで、履いていないも同じで、前にかがむと具(中身)が見えるという状況の中で、夜な夜な政治家と出資をされる経済界の方の会合があるそうです。
そこには常連として安倍総理も来てるという話でした。
また、Gリキさんという有名な女優さんなどもそーいった会合にも参加され、そこで接待や枕営業というものが日常的にあるんだとおっしゃっていました。
また、安倍晋三さんの性癖としましては生きた人間よりも人形が好きということがあるみたいです。」

・朝堂院大覚「安倍晋三やAKBの秋元康ら史上最低の人種たちによって日本の倫理、道徳が総崩れになった」
・朝堂院大覚「吉本の島田紳助は『俺の紹介した女を使え!俺は山口組だ!山健組だ!文句あるのかコラァ!』とテレビ局のプロデューサーを殴っていた。」
・朝堂院大覚「高市早苗は森喜朗と安倍晋三の愛人」
↓ ↓ ↓ ↓
飲み屋で芸能社長に聞いた芸能界の枕業界事情【NET TV ニュース】月刊タイムス 2017/09/13
URLリンク(www.youtube.com)
>AKBの子たちが来る
>Gリキさん
>安倍晋三さんの性癖としましては生きた人間よりも人形が好き

269:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/21 07:25:27.10 g+aUE9el0.net
西郷隆盛が本来いるべきポジションてもっと下なんだよな
大局に立って動いてる聡明な主人の下で極秘の仕事や汚れ仕事を引き受ける、みたいなポジ
島津斉彬に私淑して使われてた時のポジが本来のポジなんでは

270:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/21 07:26:04.14 g+aUE9el0.net
大久保が西郷を島流しから引っ張り戻して、一般藩士の最高位に置くような扱いをした時から
へんな歪みが生まれて、さらに御一新で上層武士が吹っ飛ぶと同時に、西郷がすべての士族の最高位に繰り上がるという
能力のポテンシャルを考えれば、あっちゃいけない(森喜朗が首相になるような)歪んだ形が生まれた

271:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/21 11:16:59.36 JYiUqkkh0.net
結局ジャイアンだったんだろwwwwww

272:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/21 13:19:48.05 LW5HQS850.net
外国籍、反日プロパガンダ必死すぎ

273:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/21 14:23:21.71 mRTuAMP10.net
↑ コイツの巣
スレリンク(history板)

274:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/21 16:53:01.63 lVS3ZsLJ0.net
> 西郷は家臣の誰々は奸臣であるとみなしその者の悪口を斉彬に吹き込んでいたが、
> 斉彬は西郷の思惑通りには動かず、敵対派閥の家臣であっても遠ざけることはなかった
人間小さすぎてワロタ

275:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/21 21:55:21.85 Fg9KaoRm0.net
>>274
妄想でワロタw

276:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/21 21:58:47.95 So2p0r2m0.net
時代の節目がゆえのポジションアップだろうにwんなもん歴史を振り返ればいくらでもある

277:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/21 22:43:50.04 bZX95rXe0.net
ほんとなら天才山縣有朋の下あたりでDQN下士官に睨みをきかすぐらいのポジションなのにな、西郷さん

278:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/21 23:08:48.12 Fg9KaoRm0.net
>>277
どこが天才なのかw
国葬なのに誰も来なくて翌日の新聞にボロクソ書かれた嫌われもんw

279:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/21 23:17:14.15 Fg9KaoRm0.net
『 山縣有朋』
長州藩 足軽以下の最下級武士出身 高杉晋作のパシリ 終生…刀を嫌う 何故? 帯刀を許されない身分 よって 剣術を習う事を許されず 槍術だけの修練のみ
彼が 国民…皆…軍隊への 徴兵制度を創ります
山縣自身は生涯 「自分は松陰先生門下である」が 口癖で、誇りにしていたが ただの自称であり 久坂玄瑞の縁で 松下村塾に入塾するも その直後に 吉田松陰は投獄され死罪となる いわゆる籍だけがあった 松下村塾のテンプラ塾生
出っ歯で有名 歩いている時 人とぶつかり 相手を出っ歯で 怪我させた話もある マジ話です 確か…親戚の結婚式で 廊下を歩いている時)
維新の三勲 西郷、大久保、木戸が 相次いで亡くなったため 一躍…政治、軍のトップになります
政党政治→大嫌いの男 ( 政党がナンボのモンじゃい! 軍隊が一番じゃ 自由民権運動? ビシバシ弾圧じゃ! 板垣退助しばくぞ!)
軍隊が1番じゃ‼
陸軍の権力拡大を計りました 昭和の陸軍の暴走は 彼の軍部拡大が 元凶とも言われています
権力、勲章くれくれで 勲章コレクター
物欲…激しく 伊藤博文は メチャ女好きでしたが
山縣は 女? 女より、おりゃ金じゃ で…お金大好き人間
大正天皇は 山縣を遠くに見たとき おい、 山縣に何か くれてやるモノないか? (つまり山縣に何かモノをやって 追い返せ…の意味)
また 山縣は陸軍出入りの商人 山城屋和助に陸軍の公金を 不正融資して焦げ付かせる
いわゆる山城屋事件を引き起こす
この事件は 近代日本初の 大規模な汚職疑惑であり 戦前、戦後を貫く 日本の汚職まみれの政治史は 彼が先鞭をつけたといえる
流石に彼も観念したのか 辞表を提出したが (直属の部下が腹を切っています) ・・・ またすぐ復活を果たし 陸軍卿となった


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