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釜山東三滴貝塚からは縄文前期後半の曾畑式土器,中期の船元系土器,
後期の南福寺式土器などがまとまって出土しており,
朝鮮半島南海岸地域側の交流の重要拠点となっていたと考えられる。
新若里遺跡(註20)から後期初頭の阿高系土器,ほぼ同時期と考えられる土製耳飾,土偶
などか出土し,上老犬島貝塚(註21)から中津式系土器(九州の在地型)などが
「直接持ち込まれた」土器の確実な例としてあげられる。
次の時期,縄文時代の中期から後期(韓国新石器時代中期一後期前半)にかけては,
「直接持ち込まれた土器」の量と分布範囲は若干拡大して,遺跡数も増加する
傾向が見られる。口の印で表示された遺跡がこれにあたる。