【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart20at HISTORY
【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart20 - 暇つぶし2ch519:日本@名無史さん
24/04/03 11:13:24.37 .net
日本には7世紀までは父系出自集団が存在しないのは日本古代史の定説になっているので、早くても8世紀以降、現実には名実ともに父系制に日本がなったのは平安中期頃だろう。その時代に血統を強く意識した文学作品、源氏物語も生まれた。
それ以前の日本は双系制とみて良い。
というのも仏教伝来以前の日本の宗教は呪術であり、呪術の力こそが王権の正統性になっていたからだ。
ところが3~4世紀頃にモンゴル原産で朝鮮半島経由で入って来たある思想が日本列島に大衝撃を与えた。
天孫降臨神話、父系制、血統主義のセットである。
後に崇神天皇と呼ばれるヤマトの崇神大王はその先進性に衝撃を受けて父系制を導入した。
しかし当時はまだ呪術の力が大変強くて理念倒れとなり、仏教が伝来して呪術の効力が低下し始めてから、徐々に父系制が日本列島に浸透していった。
だから古墳時代の数世紀は王権の正統性が呪術から血統主義に移った不安定な過渡期と考えられる。
まあ日本特殊な事があるとしたら、弥生人でも古墳時代からの渡来人でも、在来勢力と大規模戦争して征服した痕跡が全くない事だね。
おそらく日本に来た連中は、当時国家の圧迫から逃れて来た避難民や中国、朝鮮半島の王朝交代時に発生した政治亡命者や難民などの烏合の衆がメイン。だから征服される事なく、先進技術や文字文化だけを上手いこと摂取する事ができた。
それと縄文人は弥生人よりも1万年以上前に日本列島に来たアドバンテージがあった。それは日本各地の聖地を最初に支配出来たこと。聖地とは世俗的な力が及びにくい場所。地形や自然環境に左右されるので、かなり限りがある。地形や自然環境などは100年200年で変わるものではないので、縄文時代の聖地がそのまま古墳時代の聖地にもなっていただろうし、埋め立てなどで地形が変化した場所以外は現代でも大体一緒。少なくとも仏教伝来までは呪術に王権の正統性があったので、有力な聖地を支配していた縄文人は、先進技術では渡来人に劣るものの、呪術の力で上回っていた事で優位に立てた。
仏教が伝来すると縄文人の聖地に寺を建てるんだよね、本地垂迹とか言ってね。それ以降の日本の宗教は神仏習合という形が歴史的に一番長くなる。でも寺院の立派な本殿よりも隅っこにいる稲荷の様な神様の方が遥かに古くから日本にいる。


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