【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart20at HISTORY
【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart20 - 暇つぶし2ch349:日本@名無史さん
24/03/31 16:31:39.85 .net
>>344
時期的には遼河文明の開始時期ですねえ
ここで龍も玉も生まれて本来は根っこの異なる
黄河文明に引き継がれると

350:日本@名無史さん
24/03/31 16:40:49.49 .net
外見が違うから同じ人間と思ってなかったんだろう
心臓云々も羊の心臓を捧げるのと同じくらいの感覚

351:日本@名無史さん
24/03/31 17:23:00.06 .net
>>338
ほれ、おまえらチンコロ工作員のクッサイ人種wwww












d.パレモンゴリーデ(南蒙古人種)


茶黄色、低身短頭で、顔は丸くやや広鼻。中国南部から東南アジアに広く分布。











.

352:日本@名無史さん
24/03/31 17:29:46.01 .net
古モンゴロイドとインドシナ人種(ハノイ)は厳密に異なり
古モンゴロイドは北から来たのだろう
我々は浅黒い人を見ると南方だと思うのだが
たとえばオーストロアジア語族とアイヌ語が仮に
どこかで接触していたとしても
それが起こったのは遥か北方であって
現代のスンダランドでは無いのかもしれない

DはDでも違うDだという別スレが新たに立っていたが
それこそ最初のパラ・アンダマン系の集団は南方
あるいは西方からだったのかもな

353:日本@名無史さん
24/03/31 18:39:05.58 .net
>>348
47000年前にアルタイ経由して東アジアからシベリアに広がり、38000〜36000年前に
日本列島に入ってきた東アジア以北の最初のサピエンスは台形石器や石刃技法を
使う集団である
ところが南支那以南の東南アジアには13000年前くらい前まで石刃技法がない
その13000年前の石刃技法も華中以北の古モンゴロイドが南支那以南の東南アジアに
南下侵入して細石刃として伝わったものである
だから東アジアやシベリアに最初に広がった台形石器や石刃技法を使うサピエンスが
南支那以南のスンダランドから北上してきたというのはあり得ない
南支那以南のスンダロイドが北上してモンゴロイドになったという説は
あり得ないのである
遺伝学でのルート探査などは考古学や形質人類学の補助輪を使わなければ
デタラメを頻発してさっぱり使い物にならないレベルのものだという事が分かる
つまり考古学や形質人類学だけ見てた方が控えめに見ても百倍くらいルート探査の
精度が高いという事
ルート探査に遺伝学は無用の長物どころか害悪でしかない
アンダマンのDは13000年前に南下した古モンゴロイドものだとは
考えられるが、その逆はない

354:日本@名無史さん
24/03/31 18:49:38.78 .net
>>338の補足
弥生早期の長崎県佐世保の人骨のY染色体ハプログループはどれもO1b2a1a1ばっか
但しミトコンドリアDNAは、D4・D5・M7a。
それに対し、弥生後期の熊本県中部の人骨のY染色体は、D1b1やC1a1となっており、ここでは渡来系O1b2が検出されてない。
沿海地方から流入したのではなく、大陸から流入した系統だと既にバレてる。今更、誤魔化しは不可能。

355:日本@名無史さん
24/03/31 18:56:31.09 .net
>>350
で、大陸のどこから流入したのか言ってみろ
中共工作員の南支那ブタチックボルネオロピテクスの醜悪すぎるおまえ

356:日本@名無史さん
24/03/31 18:59:33.08 .net
>>349
アンダマン人は主に「東アジアの祖先」であり、
中国北部の田園洞人などの古代東アジア人と共に、
現代の東アジア人に近く、
パプア人などのオーストララシア人とは明らかに異なる。
東アジア人(北回り人類)とオーストララシア人(南回り人類)は、
紀元前58000年に分岐したと推定されている。
これも補足しておこう。
また、今日のアンダマン人が「ネグリト」と呼ばれるのは
混血の結果分類上そう呼称されるに過ぎないということだ

357:日本@名無史さん
24/03/31 19:07:34.62 .net
>>352
ただ、いくら古モンゴロイドでもアンダマン諸島まで南下入植して13000年も
経っちまえば見た目はセロイひとになっちまうけどなwwwwwwww

358:日本@名無史さん
24/03/31 19:08:14.52 .net
その一方
アンダマンのMtDNAはほぼ全て南ルート人類のものだそうだ
これもなかなか驚異的だな

359:日本@名無史さん
24/03/31 19:09:45.94 .net
>>353
どうやら母親がセロかったようだ

360:日本@名無史さん
24/03/31 19:12:13.95 .net
>>355
じゃあ、割りかし早くセロイひとになれたかもなwwwwwwww

361:日本@名無史さん
24/03/31 19:20:41.83 .net
>>350の補足
7000年前の韓国・慶尚南道南端の遺跡から出土した人骨のY染色体はC1a1、ミトコンドリアDNAはD4
弥生後期の鳥取市の人骨のY染色体はC1a1、ミトコンドリアDNAはD4・N9a
弥生後期の宮古島の人骨のY染色体はC1a1、ミトコンドリアDNAはD4
古墳時代の香川県の人骨のY染色体はC1a1、ミトコンドリアDNAはD1
O1b2が朝鮮半島で増え始めたのはせいぜい4000年前頃の話し

362:日本@名無史さん
24/03/31 19:23:09.14 .net
因みに豊臣秀吉もC1a1だった

363:日本@名無史さん
24/03/31 19:34:18.55 .net
>>352
アンダマン諸島のD1a2bは、53000年前にチベットから南下した人達
>>350-351
渡来系弥生人O1b2a1a1は山東省~江南地方にかけて住んでいた呉人
O1b2a1a2aは朝鮮半島周辺に住んでいた扶余族

364:日本@名無史さん
24/03/31 19:40:51.65 .net
渡来系弥生人は年平均75人ぐらい大陸(主に中国東岸)から来ていた。

365:日本@名無史さん
24/03/31 19:45:17.43 .net
ふむ。Dのルートや人種には異論はないのか
後はどうしても名探偵江南君なんだな

366:日本@名無史さん
24/03/31 19:54:02.82 .net
>>359
ほれ、呉の太伯が使っていた呉のあった長江下流域から出土した三本足の
生えた不思議すぎる炊飯器(嘲笑






長江下流域で出土した土器(南京博物館)
URLリンク(ak-d.tripcdn.com)






.

367:日本@名無史さん
24/03/31 20:31:36.71 .net
「日本語とビルマ系諸言語」
URLリンク(yamataikokunokai.com)

グリアソン監修の『インド言語調査(Linguistic Survey of India)』により、
インド北東のアッサム州の、ヒマラヤ山脈東端の南麓、ミャンマーの北西、ブータンの東、
ナガランド付近の「ビルマ系諸言語」(下の地図参照)のなかのいくつかの言語の

身体語と、日本語の身体語とを比較したものである(グリアソンの『インド言語調査』
には、身体語は、十二語とりあげられている。ここでとりあげた身体語は、
グリアソンのとりあげているものにあわせた)。

368:日本@名無史さん
24/03/31 20:33:19.22 .net
「ビルマ系諸言語」のなかには、「歯(tooth)」が日本語と同じく、「hā」であるものも
多い(「クキ・チン語群」では、「tooth」はだいたい「hā」である。
「hā」は、「はー」であるが、

「日本語」でも、沖縄の「首里方言」では、表に示したように、「はー」である。
「ボド語群」のなかには、「hair」が、「kamai」であるものもある。これは、

「日本語」の「かみ」に近い。また、「舌 tongue」が、「sila」であるものもある)。
「ビルマ系諸言語」のなかには、身体語ばかりでなく、数詞や代名詞、植物関係の語などに
おいても、「日本語」と偶然以上の一致を示すものがある。

369:日本@名無史さん
24/03/31 20:35:51.38 .net
そのように考えられる理由は、つぎのとおりである。
第一に、日本語とビルマ系の「ボド語群」「ナガ語群」「クキ・チン語群」などの、
身体語の近さの度合は、英語とドイツ語との身体語の近さの度合に近いことである。

そして、英語とドイツ語との分裂の時期は、今から約二千年ていどまえである。
おなじインド・ヨーロッパ語族に属する言語でも、英語の身体語とフランス語の身体語
とは、かなり異なっている。

関係のある言語のばあいでも、長い年月のあいだには、身体語が異なった形になる。
日本語とビルマ系諸言語との身体語の近さの度合は、
日本語にたいするビルマ系の言語の関与の時期が、それほど遠い昔ではなかった
ことを示している。

370:日本@名無史さん
24/03/31 20:37:36.08 .net
第二に、ふつうの日本語の基礎語は、「やま」「かわ」「とり」など、
二音節の語が多いのに、
身体語には、「め(目)」「は(歯)」「て(手)」「け(毛)」など、
一音節のものが多いことである。

「みみ」「ほほ」「もも」なども、「おめめ」「おてて」などというのと同じく、
本来は一音節語であったものが、一音節では、日本語として発音しにくいため、
音をかさねて、二音節語にしたのではないかと疑われる形をしている。

371:日本@名無史さん
24/03/31 20:39:10.98 .net
ほとんどの単語が、一音節からなる言語は、中国語、ビルマ語、タイ語、ベトナム語、
チベット語など、大陸に広くひろがっている。

「め(芽)」「ね(根)」「は(葉)」「ほ(穂)」など、
やはり一音節語が多い植物関係の語や、身体語、数詞、代名詞などは、どうやら、
中国南方の一音節語の地域からもたらされたもののようである。

372:日本@名無史さん
24/03/31 20:41:48.76 .net
韓国語で 稲イネ は ピョ。 米コメ は サル だ。
まったく語源が違う。
米コメは南中国語「ミー・マイ」に近い。飯メシ、マンマも同語源と思われる。
よってコメは朝鮮から来ていないし、朝鮮語と日本語は無関係。
これは日本語で、まったく解釈不可能だ。 数千年となりに居た民族とは思えない。
イネが朝鮮から伝来したのなら、名称が似ているはずだ。
ぴょ、ぴょ と言われても、鳥の鳴き声を真似ているとしか日本人は理解しない。
反対に 馬ウマ は古代インド=ヨーロッパ語の馬の名称である マー が入っている。
これは百済語のマールか、中国語のマーから日本語に入ってきたことがわかる。

373:日本@名無史さん
24/03/31 20:41:49.00 .net
>>363-367
ほれ、おまえらチンコロ工作員のクッサイ人種wwww






d.パレモンゴリーデ(南蒙古人種)

茶黄色、低身短頭で、顔は丸くやや広鼻。中国南部から東南アジアに広く分布。





.

374:日本@名無史さん
24/03/31 20:45:54.90 .net
日本語とは明らかに基礎語が違う、3音、4音、の音韻などは挹婁語系民族だ。
目 눈 ヌン 鼻 코 コ 口 입 イッ 耳 귀 クィ おでこ 이마 イマ アゴ 턱 トッ
ほほ 볼 ボル 頭 머리 モリ 肩 어깨 オッケ ひざ 무릎 ムルッ 足 발/다리 パル/タリ
腕 손 / 팔 ソン/パル お腹 배 ペ お尻 엉덩이 オンドンイ ひじ 팔꿈치 パルクムチ
韓国数詞 하나(ハナ)1・둘(トゥㇽ)2・셋(セッ)3・넷(ネッ)4・다섯(タソッ)5
・여섯(ヨソッ)6・일곱(イㇽゴㇷ゚)7・여덟(ヨドㇽ)8・아홉(アホㇷ゚)9・열(ヨㇽ)10

375:日本@名無史さん
24/03/31 20:47:38.34 .net
7000年前の浙江省で河姆渡文化を形成
↑これが倭人の原型

376:日本@名無史さん
24/03/31 20:49:18.57 .net
重ね重ね申し上げるがナンポーなどというのは
今現在の結果なのであって、雲南やビルマの人間と
似た言葉があるとすればもっともっと前
新モンゴロイドの南下前に共有していたものの残りだと思う
チベット人種は中間モンゴロイド、ビルマまで行くと
南方モンゴロイドになっていくがね

377:日本@名無史さん
24/03/31 20:53:10.52 .net
名探偵江南人の理屈もそんなものだと思うよ
万一似ているんだとしたらね
遺構がない以上はどこかで別れた兄弟だな

378:日本@名無史さん
24/03/31 21:02:38.95 .net
>この紋所が見えねーか、太陽神様だぞ。
>南越国内の遺跡から出土した「巴形模様が刻印された」青銅、鼎。
広東省・恵州・縛楼(木編なし)古国遺跡 始于春秋時期 3000年前
URLリンク(i1.kknews.cc)
URLリンク(www.people.com.cn)

379:日本@名無史さん
24/03/31 21:04:22.65 .net
>同じ太陽神様だ、頭が高いぞ。
>弥生時代の代表的、吉野ケ里遺跡で日本最古の銅矛の鋳型や
 巴形銅器など、全国から100点以上出土している、珍しいデザインの銅器です。
古代の日章旗と云われる。 「巴形銅器」
URLリンク(www.maibun.com)
さぬき市・森広遺跡の巴形銅器
URLリンク(doutaku.cocolog-nifty.com)

380:日本@名無史さん
24/03/31 21:12:21.19 .net
「漆塗り丸木弓
中国南部の跨湖橋新石器時代遺跡から世界最古の漆塗り丸木弓が出土しており、
この浙江省にある良渚・河姆渡遺跡そば跨湖橋遺跡が漆塗り丸木弓の発祥地と云われる。
原始和弓を含めた太平洋型長大弓の共通祖形とも考えられている。

381:日本@名無史さん
24/03/31 21:12:58.43 .net
>出るわ出るわ縄文時代の漆塗り丸木弓、全国から出土。
重要文化財に指定された、東村山市内の下宅部(しもやけべ)遺跡から出土した
漆塗りの丸木弓から、縄文時代の狩猟儀礼を考える内容。
秋田県立博物館 中山遺跡出土の漆塗り丸木弓(縄文時代晩期)
縄文晩期、青森県是川遺跡・奈良県橿原公苑遺跡に漆塗りの長弓がある。
弥生時代 唐古遺跡、登呂遺跡、の出土例では、長短2種の丸木弓がみられる。
埼玉県大木戸遺跡 縄文時代後期の黒漆塗りと赤漆塗り飾り弓が出土しました。
長弓の中には桜皮を巻いて漆を塗装したものなどの製作技術の違いがわかっている。
(国指定)金沢市中屋サワ遺跡(縄文後・晩期)弓本体の握りの部分に細い糸を丹念に
 幾重にも巻き、幾何学模様を編みだして、漆塗りの飾り弓が多数出土しています。

382:日本@名無史さん
24/03/31 21:15:19.39 .net
.

この「漆塗り丸木弓」は朝鮮半島北部や満州平原からはまるっきり出て来ない。

383:日本@名無史さん
24/03/31 21:20:15.86 .net
長江下流域、中国東南沿岸部では、いわゆる「印紋陶」が分布する地域であり
「百越」と表現されるさまざまな諸族が居住していたと思われる。
そこで、大分県日出町(ひじまち)
当町域の旧石器時代から弥生時代までの遺跡は約一〇〇ヵ所を超える。
川崎地区の早水台そうずだい遺跡は旧石器時代前期から縄文時代早期の遺跡で、
昭和三九年(一九六四)の調査で旧石器が発見されている。
同地区の橋詰はしづめ遺跡では瀬戸内海の福田II式土器が発見され、
縄文時代後期の当地域の特殊性が注目された。
日出地区の薬師やくし遺跡では、
「縄文時代晩期の三万田式土器とともに印文陶の破片が出土している。」

384:日本@名無史さん
24/03/31 21:22:27.42 .net
長崎県五島列島福江市戸岐
昭和55~56年に戸岐集落の裏が崩落。崩落止めの工事中に作業員が発見した、
昭和59年に九州歴史博物館の鑑定で
中国の春秋時代(前771~前403)に作られた「印文陶土器」と判明。
沖縄県八重山郡竹富町 宮古・八重山諸島先史時代
波照間島台地緑の下田原地区の黝灰色の印文硬陶の土器が採集されている。

385:日本@名無史さん
24/03/31 21:25:07.14 .net
韓国南部固域貝塚からも、
西周時代長江下流の江蘇、


386:浙江地帯で盛行した印文陶(湖熟文化)がみつかった。 「固城貝塚」は「伽耶(かや)」「任那(みまな)」といった、倭人が多く住み、日本に関係が深い。 また縄文遺跡の多い地域。土器と一緒に、炭化した稲籾と大麦なども発見。 さらに平形銅剣や鉄滓、フイゴロなども出土。揃っています! 他にも「全羅南道大黒山島・木浦市の80km西方」でも「印文陶器」が発見されたようです。



387:日本@名無史さん
24/03/31 21:41:15.87 .net
日本稲作の系譜 ー石包丁についてー P97
URLリンク(repository.kulib.kyoto-u.ac.jp)
北九州より数例発見、大型石包丁(25cm以上、摘まみが有る石匙形)、
中国浙江省周辺で出土する。
日本の弥生遺跡から出土する「半月形外湾刃石包丁」は主に長江流域で流行したもの。

388:日本@名無史さん
24/03/31 22:18:09.28 .net
>>363-370
ユダヤ語の方がはるかに日本語に近いぞ(嘲笑
でも、おまえ日本人の祖先がユダヤ人だと思うか?(嘲笑
言語学ではルート探査なんかぜーーーーんぜん無理だという事だ

>>371
浙江省にある7000年前の河姆渡文化の土器には鼎、竈、甑、釜、平皿という器種が
あるんだが、河姆渡文化人が倭人の原型なら何で縄文末の渡来人が遺した新型土器である
縄文末〜弥生早期までの弥生開始土器にはそれらの器種がないの?
ほれ言ってみろ
南支那ブタチックボルネオロプスの広鼻ブラックなグロすぎるおまえ

>>374-375
じゃあ何で弥生土器に陶鼎が無いの?
バカ?(嘲笑

389:日本@名無史さん
24/03/31 22:18:35.75 .net
>>376-378
日本に弓が伝わるのは縄文草創期の北日本からなんだが
青森から16000年前の鏃が出土している
跨湖橋新石器時代遺跡よりも8000年も前の考古文物だよ(嘲笑
ブタニグロ中共工作員、乙枯w

>>379-381
それ、平安期に日宋貿易で輸入したレプリカ
南支那ブタチックセロイピーノ、残念!(爆

>>382
朝鮮南部からも出土してるだろ
他人の空似(嘲笑
石包丁が長江から伝わったものなら何で最古稲作遺構菜畑の稲作開始耕作用農具に
長江のメイン耕作用農具であるスキがねえんだ中卒
脳にウジが湧いてねえか(嘲笑

390:日本@名無史さん
24/03/31 22:27:24.99 .net
遺伝学はルート探査にはほとんど使えない
例えば、九州1000体、西日本1000体、東日本1000体、北海道1000体というように全世界を500kmごとの間隔で1000体分のデータを現代から38000年前まで1000年ずつ過去にスライドしていくデータでもあれば信憑性もあるだろう
だが現代人100体分ほどのデータと数千〜数万年前の数体分のデータだけ、それも全世界のほんの一部だけで、全世界のほとんどの地域が現代人だけのデータだけという程度のものに一体何の信憑性があるというのか?
実際は現代から過去1000年以内のデータで99.9%以上のスッカスカでスッカスカのさっぱりデータに
なってないシロモノで日々逞しく妄想を膨らませているだけの、どこまでも空想の域を出ない単なる虚学のファンタジーなのである

391:日本@名無史さん
24/03/31 22:54:03.58 .net
>>363-382
ほれ、おまえらチンコロ工作員のクッサイ人種wwww












d.パレモンゴリーデ(南蒙古人種)


茶黄色、低身短頭で、顔は丸くやや広鼻。中国南部から東南アジアに広く分布。











.

392:日本@名無史さん
24/04/01 06:42:49.91 .net
近畿で銅鐸文化圏を形成していた越系弥生人O1b1が、邪馬台国東遷した燕系弥生人O2a2に滅ぼされた。その結果、京阪式アクセン


393:トが広がった。これが古事記・日本書紀に書けなかった正史。



394:日本@名無史さん
24/04/01 07:31:01.92 .net
>>383
ヘブライ語のコメは オリズ と言ってギリシャ語由来。

395:日本@名無史さん
24/04/01 07:38:33.45 .net
ギリシャ語コメ オルズ はイラン語起源だ。
ヘブライ人とイラン人の接触は古いので、ヘブライ人はオリズをイラン人から
借用したはずだが、ギリシア語系の単語の方がより近いということは、
オリズの単語が、ヘブライ人とギリシャ人の接触後に広まったことを意味する。 

396:日本@名無史さん
24/04/01 07:49:29.82 .net
弥生時代の水田跡地から出土するのは、熱帯ジャポニカ米が多く、しかも雑草の種が大量に埋まってる。
まだまだ焼畑農業的な手法で農閑期を空けて、稲作を試作していた段階。
畿内説はガセ。

397:日本@名無史さん
24/04/01 09:09:10.69 .net
鮮卑王朝 北周武帝の復元顔
Y:C2a1a1b1a2a1-FGC28857
mt:C4a1a+195
ゲノム:北東アジア70%+黄河流域30%
URLリンク(www.cnn.co.jp)

398:日本@名無史さん
24/04/01 09:15:43.60 .net
白人コンプに付け込まれる日本哀れ

399:日本@名無史さん
24/04/01 09:35:15.37 .net
>>387
ほれ、浙江省の越と河北省の燕の遺構から出土した 平皿 や
三本足の生えた不思議な炊飯器(嘲笑




越の遺構から出土した土器(浙江省)

URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)
URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)

燕の遺構から出土した土器(河北博物館)

URLリンク(stat.ameba.jp)




.

400:日本@名無史さん
24/04/01 09:36:43.02 .net
縄文末期の稲作受容には二つ段階があり
少数の移民が在来の集落に受け入れられ
実験的に稲作を行う段階と
北部九州の人口増加に圧迫され稲作人が
大挙各地へ分散していく段階(方形周溝墓の移動)がある
この人々は東(本州)へ移動するが南(南九州)へは行かない

401:日本@名無史さん
24/04/01 09:42:25.37 .net
前後するが縄文後期以降の雑穀農耕が
D1a2aの優位増加に寄与した可能性がある
ただD1a2aは北海道の離島から先島諸島まで
満遍なく広がっているため
いずれにしてもかなり長い時間が必要

402:日本@名無史さん
24/04/01 09:53:12.31 .net
突帯文土器(最晩期縄文土器)が西日本をすっかり席巻した頃
北部九州で無文土器と稲作が同時にやってきた
北九州人は稲作に手をつけながら、無文土器の技術で
突帯文土器を作るということをやり出した
強度や美観の点で優れたところがあったんだろう
弥生土器とは無文土器技術で作られた縄文土器だ
その当時朝鮮で作られていた器種が日本でも
一通り揃うまでには更に時間を要し
祭祀の受容や整備を待って高杯などの非実用的土器が
やっと作られ始める

403:日本@名無史さん
24/04/01 10:16:26.05 .net
>>388-389
言語学での比較は遺伝学と同じで、ほとんど現代のもの同士で
比較してるだけだからさっぱり意味がない
1000年前の平安時代の日本語ですらほとんど外国語だぞ
3000年前の弥生開始時代の日本列島語なら完全に外国語だよ
その点、考古文物は過去のその時代のもの同士での比較だぞ
3000年前の言葉同士での比較を持ってこいよペテン師

404:日本@名無史さん
24/04/01 10:18:36.96 .net
当時の半島無文土器人の詳細は日本人には不明だが
稲作語彙は彼らのものと思われ(断定は出来ない)
ベトナム系の古い語彙と思しきコメ
(この単語は本家オーストロアジアでは、食べ物全般を指すようだ)
それから稲(イネ・イナ)。稲穂がイナホと呼ばれるのは
初期稲作人が稲穂をイヌの尻尾に見立てた名付けらしい
犬もしくはキツネをイナと呼ぶ人が稲穂をイナホと呼んだということ
半島無文土器人も犬をイヌと呼んでいたか
あるいは日本在来人が改めて稲穂をイナホと呼んだのかは不明だ

405:日本@名無史さん
24/04/01 10:31:55.89 .net
>>398
で、3000年前の言葉同士での比較は?
はよ持ってこいペテン師!

406:日本@名無史さん
24/04/01 10:37:27.48 .net
>>399
言語学の再建では声調の変化は著しく
古代日本人の発音はまったく聞き取れない
聞いた感じではシナ語のような響きだな
だからコメのような古い言葉も外国語
(日本在来語と別系という意味)とは限らない
ただ単語自体の変化は発音を除いてそれほど大きくなく
イヌはやはり昔からイヌだったようだな

407:日本@名無史さん
24/04/01 10:47:45.30 .net
>>400
で、3000年前の言葉同士での比較は? 比較は?
はよ持ってこいペテン師!

408:日本@名無史さん
24/04/01 10:52:20.41 .net
>>401
半島の無文土器人が現代に生き残っていないのだから
彼らの言葉を再建して日本古語と比較することは不可能
無文土器人は世界の支石墓の発見ベースで
その半数を作った変態文化人
支石墓は類型的には農耕文化の指標のようだが
日本ではあまり流行らず、方形周溝墓のような墳丘墓と
木棺が主体となる

409:日本@名無史さん
24/04/01 11:08:30.20 .net
支石墓と墳丘墓の多様性は半島の南へ行くほど豊かになり
半島の無文土器が日本の弥生土器の影響を受けている様子もみられる
文化の一方通行のような関係では無かった
だからこそ渡来人が日本の人種を入れ替えたなとどという
出来事も起こりようが無い
その点、半島と九州は縄文前期から交流があるのだから
縄文人ではなしえなかった
稲作や無文土器の技法の到来といった画期をもたらすため
沿海州文化人が丁度良い触媒となったのだろう

410:日本@名無史さん
24/04/01 12:06:16.97 .net
稲作とは全然関係ない渡来人が沿海州からやって来て定着して在来人に
なっただけ
稲作が始まったのはそれから1世紀くらい後の事で、ただ単に朝鮮南部から
取り入れて自分たちの手で始めただけの話
だから最初の水田遺構には農具すらない
これが稲作渡来民とやらがやって来て始めたものなら農具くらい
最初からあるはずだろ

411:日本@名無史さん
24/04/01 12:14:55.34 .net
縄文人が水田稲作をやれば弥生人と呼ばれる
それが史学の立場
沿海州人もこの定義からすると縄文人の一派となる

412:日本@名無史さん
24/04/01 12:51:22.47 .net
>>387
ほれ、呉の太伯が使っていた呉のあった長江下流域から出土した三本足の
生えた不思議すぎる炊飯器(嘲笑













長江下流域で出土した土器(南京博物館)

URLリンク(ak-d.tripcdn.com)












.

413:日本@名無史さん
24/04/01 12:52:32.03 .net
>>387
ほれ、浙江省の越と河北省の燕の遺構から出土した 平皿 や
三本足の生えた不思議な炊飯器(嘲笑








越の遺構から出土した土器(浙江省)


URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)

URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)


燕の遺構から出土した土器(河北省博物館)


URLリンク(stat.ameba.jp)








.

414:日本@名無史さん
24/04/01 13:16:03.68 .net
出アフリカした人類が日本に到達したのは4万年前?その頃の容姿は黒人に近かったんですかね?

415:日本@名無史さん
24/04/01 13:40:58.02 .net
日本列島に最初に入ってきたのは38000年くらい前な
台形石器を使う集団なんだが、中近東や中央アジアには台形石器はあるんだが
南支那以南の東南アジアには台形石器がないんだよ
つまり中近東から北回りで来た事が分かる訳
その2000年後の36000年くらい前には石刃技法を使う集団が日本列島に
入ってくるんだが、中近東や中央アジアには石刃技法学があるんだが南支那以南の
東南アジアには13000年くらい前まで石刃技法はなく、しかも細石刃として
石刃技法が現れるんだよ
やはり中近東から北回りで来たとしか考えられない訳
容貌は田園洞人から見ると黒人と白人の中間みたいな感じかな
肌の色ももう黄色だったかもな

416:日本@名無史さん
24/04/01 17:03:23.11 .net
>>387
ほれ、おまえらチンコロ工作員のクッサイ遺伝子wwww




黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!

赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。

それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
URLリンク(www3.mahoroba.ne.jp)



.

417:日本@名無史さん
24/04/01 17:50:24.53 .net
北回りなんて主張する敗北確定馬鹿がまだいるとわw

418:日本@名無史さん
24/04/01 17:56:09.29 .net
むしろ北回り以外にないやろw

419:日本@名無史さん
24/04/01 18:19:52.22 .net
>>411
おまえ鼻と口元がハノいぞ

420:日本@名無史さん
24/04/01 18:39:45.79 .net
>>410
韓国に多い短頭型は九州では少ない。
血液型A型が多いのは、中国の長江の中下流域で、西日本(特に九州・四国西部・山陰)と共通する。
血液型B型が多いのは、中国東北部で、東日本(特に東北地方)と共通する。
血液型O型が多いのは、東南アジア(約2/3)で、日本の太平洋岸と共通する。

421:日本@名無史さん
24/04/01 18:46:58.63 .net
>>414
長江中下流域から来た渡来系弥生人O1b2a1a1が血液型A型を日本にもたらした

422:日本@名無史さん
24/04/01 18:55:22.71 .net
血液型も遺伝子と同じで常に頻度が変動しているからルーツ探査にはさっぱり使えない

423:日本@名無史さん
24/04/01 19:22:57.21 .net
中国では血液型A型は2割しかいない。日本では4割。

424:日本@名無史さん
24/04/01 19:31:48.53 .net
>>417の続き
血液型A型は水田耕作に伴う結核菌に感染しにくい。だからこそ中国南部の長江中下流域で多い。

425:日本@名無史さん
24/04/01 19:41:24.60 .net
>>417-418
ほれ、呉の太伯が使っていた呉のあった長江下流域から出土した三本足の
生えた不思議すぎる炊飯器(嘲笑













長江下流域で出土した土器(南京博物館)

URLリンク(ak-d.tripcdn.com)












.

426:日本@名無史さん
24/04/01 19:46:50.33 .net
「頭長幅指数分布」と
「血液のA因子の頻度」から、
古代朝鮮と九州に文化的な交流はあっても、人的な交流は少なかったと言える。

427:日本@名無史さん
24/04/01 19:47:52.22 .net
分かってるじゃん。江南至っては没交渉だ

428:日本@名無史さん
24/04/01 19:47:55.63 .net
韓国人と九州人では頭の形が全然違う

429:日本@名無史さん
24/04/01 19:48:59.11 .net
因みに部落民は長頭型な縄文系

430:日本@名無史さん
24/04/01 19:54:14.35 .net
>>420
URLリンクは貼れなかったが、
「図録▽地域分布図から見た日本文化の重層構造」でググったら出てくる。

431:日本@名無史さん
24/04/01 20:32:02.62 .net
>>422
遺伝子からして対馬海峡による隔絶が想像以上に大きかったみたいだよね。

432:日本@名無史さん
24/04/01 20:39:07.65 .net
「日本語とビルマ系諸言語」
URLリンク(yamataikokunokai.com)
グリアソン監修の『インド言語調査(Linguistic Survey of India)』により、
インド北東のアッサム州の、ヒマラヤ山脈東端の南麓、ミャンマーの北西、ブータンの東、
ナガランド付近の「ビルマ系諸言語」(下の地図参照)のなかのいくつかの言語の
身体語と、日本語の身体語とを比較したものである(グリアソンの『インド言語調査』
には、身体語は、十二語とりあげられている。ここでとりあげた身体語は、
グリアソンのとりあげているものにあわせた)。

433:日本@名無史さん
24/04/01 20:39:27.02 .net
「ビルマ系諸言語」のなかには、「歯(tooth)」が日本語と同じく、「hā」であるものも
多い(「クキ・チン語群」では、「tooth」はだいたい「hā」である。
「hā」は、「はー」であるが、
「日本語」でも、沖縄の「首里方言」では、表に示したように、「はー」である。
「ボド語群」のなかには、「hair」が、「kamai」であるものもある。これは、
「日本語」の「かみ」に近い。また、「舌 tongue」が、「sila」であるものもある)。
「ビルマ系諸言語」のなかには、身体語ばかりでなく、数詞や代名詞、植物関係の語などに
おいても、「日本語」と偶然以上の一致を示すものがある。

434:日本@名無史さん
24/04/01 20:40:47.44 .net
そのように考えられる理由は、つぎのとおりである。
第一に、日本語とビルマ系の「ボド語群」「ナガ語群」「クキ・チン語群」などの、
身体語の近さの度合は、英語とドイツ語との身体語の近さの度合に近いことである。
そして、英語とドイツ語との分裂の時期は、今から約二千年ていどまえである。
おなじインド・ヨーロッパ語族に属する言語でも、英語の身体語とフランス語の身体語
とは、かなり異なっている。
関係のある言語のばあいでも、長い年月のあいだには、身体語が異なった形になる。
日本語とビルマ系諸言語との身体語の近さの度合は、
日本語にたいするビルマ系の言語の関与の時期が、それほど遠い昔ではなかった
ことを示している。

435:日本@名無史さん
24/04/01 20:41:20.32 .net
西日本の縄文人骨は短頭か中頭なんだが(嘲笑
で、渡来系弥生人骨は中頭なんだが

436:日本@名無史さん
24/04/01 20:41:26.05 .net
第二に、ふつうの日本語の基礎語は、「やま」「かわ」「とり」など、
二音節の語が多いのに、
身体語には、「め(目)」「は(歯)」「て(手)」「け(毛)」など、
一音節のものが多いことである。
「みみ」「ほほ」「もも」なども、「おめめ」「おてて」などというのと同じく、
本来は一音節語であったものが、一音節では、日本語として発音しにくいため、
音をかさねて、二音節語にしたのではないかと疑われる形をしている。

437:日本@名無史さん
24/04/01 20:42:12.10 .net
ほとんどの単語が、一音節からなる言語は、中国語、ビルマ語、タイ語、ベトナム語、
チベット語など、大陸に広くひろがっている。
「め(芽)」「ね(根)」「は(葉)」「ほ(穂)」など、
やはり一音節語が多い植物関係の語や、身体語、数詞、代名詞などは、どうやら、
中国南方の一音節語の地域からもたらされたもののようである。

438:日本@名無史さん
24/04/01 20:43:22.78 .net
韓国語で 稲イネ は ピョ。 米コメ は サル だ。
まったく語源が違う。
米コメは南中国語「ミー・マイ」に近い。飯メシ、マンマも同語源と思われる。
よってコメは朝鮮から来ていないし、朝鮮語と日本語は無関係。
これは日本語で、まったく解釈不可能だ。 数千年となりに居た民族とは思えない。
イネが朝鮮から伝来したのなら、名称が似ているはずだ。
ぴょ、ぴょ と言われても、鳥の鳴き声を真似ているとしか日本人は理解しない。
反対に 馬ウマ は古代インド=ヨーロッパ語の馬の名称である マー が入っている。
これは百済語のマールか、中国語のマーから日本語に入ってきたことがわかる。

439:日本@名無史さん
24/04/01 20:43:42.17 .net
日本語とは明らかに基礎語が違う、3音、4音、の音韻などは挹婁語系民族だ。
目 눈 ヌン 鼻 코 コ 口 입 イッ 耳 귀 クィ おでこ 이마 イマ アゴ 턱 トッ
ほほ 볼 ボル 頭 머리 モリ 肩 어깨 オッケ ひざ 무릎 ムルッ 足 발/다리 パル/タリ
腕 손 / 팔 ソン/パル お腹 배 ペ お尻 엉덩이 オンドンイ ひじ 팔꿈치 パルクムチ
韓国数詞 하나(ハナ)1・둘(トゥㇽ)2・셋(セッ)3・넷(ネッ)4・다섯(タソッ)5
・여섯(ヨソッ)6・일곱(イㇽゴㇷ゚)7・여덟(ヨドㇽ)8・아홉(アホㇷ゚)9・열(ヨㇽ)10

440:日本@名無史さん
24/04/01 20:44:40.26 .net
>この紋所が見えねーか、太陽神様だぞ。
>南越国内の遺跡から出土した「巴形模様が刻印された」青銅、鼎。
広東省・恵州・縛楼(木編なし)古国遺跡 始于春秋時期 3000年前
URLリンク(i1.kknews.cc)
URLリンク(www.people.com.cn)

441:日本@名無史さん
24/04/01 20:45:00.28 .net
>同じ太陽神様だ、頭が高いぞ。
>弥生時代の代表的、吉野ケ里遺跡で日本最古の銅矛の鋳型や
 巴形銅器など、全国から100点以上出土している、珍しいデザインの銅器です。
古代の日章旗と云われる。 「巴形銅器」
URLリンク(www.maibun.com)
さぬき市・森広遺跡の巴形銅器
URLリンク(doutaku.cocolog-nifty.com)

442:日本@名無史さん
24/04/01 20:46:56.04 .net
「漆塗り丸木弓
中国南部の跨湖橋新石器時代遺跡から世界最古の漆塗り丸木弓が出土しており、
この浙江省にある良渚・河姆渡遺跡そば跨湖橋遺跡が漆塗り丸木弓の発祥地と云われる。
原始和弓を含めた太平洋型長大弓の共通祖形とも考えられている。


この「漆塗り丸木弓」は朝鮮半島北部や満州平原からはまるっきり出て来ない。


.

443:日本@名無史さん
24/04/01 20:47:20.34 .net
>出るわ出るわ縄文時代の漆塗り丸木弓、全国から出土。
重要文化財に指定された、東村山市内の下宅部(しもやけべ)遺跡から出土した
漆塗りの丸木弓から、縄文時代の狩猟儀礼を考える内容。
秋田県立博物館 中山遺跡出土の漆塗り丸木弓(縄文時代晩期)
縄文晩期、青森県是川遺跡・奈良県橿原公苑遺跡に漆塗りの長弓がある。
弥生時代 唐古遺跡、登呂遺跡、の出土例では、長短2種の丸木弓がみられる。
埼玉県大木戸遺跡 縄文時代後期の黒漆塗りと赤漆塗り飾り弓が出土しました。
長弓の中には桜皮を巻いて漆を塗装したものなどの製作技術の違いがわかっている。
(国指定)金沢市中屋サワ遺跡(縄文後・晩期)弓本体の握りの部分に細い糸を丹念に
 幾重にも巻き、幾何学模様を編みだして、漆塗りの飾り弓が多数出土しています。

444:日本@名無史さん
24/04/01 20:49:59.36 .net
長江下流域、中国東南沿岸から良く出土する、いわゆる「印紋陶」、
「百越」と表現されるさまざまな諸族が居住していたと思われる。
そこで、大分県日出町(ひじまち)
当町域の旧石器時代から弥生時代までの遺跡は約一〇〇ヵ所を超える。
川崎地区の早水台そうずだい遺跡は旧石器時代前期から縄文時代早期の遺跡で、
昭和三九年(一九六四)の調査で旧石器が発見されている。
同地区の橋詰はしづめ遺跡では瀬戸内海の福田II式土器が発見され、
縄文時代後期の当地域の特殊性が注目された。
日出地区の薬師やくし遺跡では、
「縄文時代晩期の三万田式土器とともに印文陶の破片が出土している。」

445:日本@名無史さん
24/04/01 20:50:20.88 .net
長崎県五島列島福江市戸岐
昭和55~56年に戸岐集落の裏が崩落。崩落止めの工事中に作業員が発見した、
昭和59年に九州歴史博物館の鑑定で
中国の春秋時代(前771~前403)に作られた「印文陶土器」と判明。
沖縄県八重山郡竹富町 宮古・八重山諸島先史時代
波照間島台地緑の下田原地区の黝灰色の印文硬陶の土器が採集されている。

446:日本@名無史さん
24/04/01 20:51:30.68 .net
韓国南部固域貝塚からも、
西周時代長江下流の江蘇、浙江地帯で盛行した印文陶(湖熟文化)がみつかった。

「固城貝塚」は「伽耶(かや)」「任那(みまな)」といった、倭人が多く住み、日本に関係が深い。
また縄文遺跡の多い地域。土器と一緒に、炭化した稲籾と大麦なども発見。
さらに平形銅剣や鉄滓、フイゴロなども出土。揃っています!
他にも「全羅南道大黒山島・木浦市の80km西方」でも「印文陶器」が発見されたようです。

447:日本@名無史さん
24/04/01 20:52:42.04 .net
日本稲作の系譜 ー石包丁についてー P97
URLリンク(repository.kulib.kyoto-u.ac.jp)
北九州より数例発見、大型石包丁(25cm以上、摘まみが有る石匙形)、
中国浙江省周辺で出土する。
日本の弥生遺跡から出土する「半月形外湾刃石包丁」は主に長江流域で流行したもの。

448:日本@名無史さん
24/04/01 21:12:50.90 .net
必死に破たん済み材料のオンパレードで超ウケるwwwwwwww

449:日本@名無史さん
24/04/01 21:13:15.47 .net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
>嘘をつくな!

↑中卒ダマシの頻度詐欺を働く中共 五毛党 日本侵略部隊(嘲笑 
南支那から入植した考古痕跡も北上した考古痕跡も一切ない
例えばYのハプロDは起源地のアフリカではほぼ0%
一方、その地球の裏側の日本列島では3割強 
頻度は常に変化しているので、 頻度が高いからといって、そこが起源地だとは限らず、
存在しないからといって、そこが起源地ではないとは限らない
同じ遺伝子が存在すれば同じ祖先を100%共有している事が分かるのみで、
頻度が高いところから低いところに移動したとは限らないし、その遺伝子が
存在しなくても同じ祖先を共有していないとは限らない
遺伝子の頻度が起源地探査やルート探査には全く使えない事の証左
親株、子株もそうだ
起源地で親株が消滅して子株だけになり、遠方では親株しかなかった場合、
遠方の方が起源地に見えてしまう
親株、子株も起源地探査やルート探査には全く使えない事の証左
遺伝学で分かる事は、同じ遺伝子が存在すれば同じ祖先を100%共有している事が
分かるという事のみで、それ以上の事は一切何も分からないのである

450:日本@名無史さん
24/04/01 21:23:39.96 .net
>>397
>現代のもの同士で
 比較
だから比較言語学での再建が進むんだが

451:日本@名無史さん
24/04/01 21:34:47.81 .net
>>444
で、3000年前の言葉同士での比較は? 比較は?
はよ持ってこいペテン師!

452:日本@名無史さん
24/04/01 22:05:27.48 .net
>>444
ほれ、おまえらチンコロ工作員のクッサイ遺伝子wwww




黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!

赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。

それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
URLリンク(www3.mahoroba.ne.jp)



.

453:日本@名無史さん
24/04/01 23:10:06.66 .net
>>445
まず何を比較するの?
お前の頭には主語が無いの?

454:日本@名無史さん
24/04/01 23:30:59.36 .net
なんかさ日本人に多いD1a2a1は縄文人に少ないから比較的最近、大陸から来たんだって言うやついるけどさ、
六通貝塚からD1a2a1c1の縄文人見つかってる時点で日本で発生したって考えるのが現実的だよな?

この考え方って変なのか?

455:日本@名無史さん
24/04/01 23:40:31.92 .net
変じゃないよ。縄文人は遺伝的に極めて均質だから
その「比較的最近」というのが何年単位の
オーダーを想定しているのかによるね

456:日本@名無史さん
24/04/01 23:52:39.51 .net
北海道に美人が多いのは縄文の血が濃いからと
東北や北陸からの移住者が混血したからじゃないかな

457:日本@名無史さん
24/04/02 01:24:43.33 .net
日本人にはコーカソイド的美人とツングース的美人の2種類あるからな

もう亡くなったけど前者が八代亜紀さんとか後者が山口小夜子さんとかな


URLリンク(cdn-ak.f.st-hatena.com)

URLリンク(www-sponichi-co-jp.cdn.ampproject.org)

458:日本@名無史さん
24/04/02 04:00:44.82 .net
中甫洞穴(鹿児島県大島郡知名町)
URLリンク(www.jomon-no-mori.jp)
縄文時代人骨は、女性壮年骨で、頭型は長頭型で、推定身長は147.08㎝、低身長である。

459:日本@名無史さん
24/04/02 06:17:24.22 .net
>>448
は?縄文人骨からは今のところD1a2しか見つかってないのだが、頭おかしいのか?

460:日本@名無史さん
24/04/02 07:39:38.03 .net
>>447
だから3000年前の日本語とビルマ系諸言語と韓国語同士での比較に決まっとるだろが
自分で書いといて分からんのかカス
はよ持ってこいペテン師!

461:日本@名無史さん
24/04/02 07:41:34.05 .net
>>419
土器や炊飯器なんかわざわざ海外から持ち運べません、航行中に破損する
丸木船はスペースが狭く、走行不安定なので転覆しやすい
潮流や風向き、太陽や星の位置が読める水先案内人が必要だった
後の時代は海外渡航用の船だけ広島で作られてました

462:日本@名無史さん
24/04/02 07:52:05.21 .net
>>350
D1b1はフィリピン経由で来てる、日本では珍しい

463:日本@名無史さん
24/04/02 07:53:58.08 .net
>>451
八代亜紀の様な古モンゴロイド形質は日本で1~2割程度と昔からよく言われてる、今更って感じ

464:日本@名無史さん
24/04/02 08:55:38.98 .net
>>419
古代船で移動のための食糧は、海の幸に依存していた。

465:日本@名無史さん
24/04/02 09:03:11.63 .net
>>324
北欧のバルト海沿岸では、縄文土器が見つかってる。シベリアを犬ぞりで横断した様だ。

466:日本@名無史さん
24/04/02 10:12:12.43 .net
>>454
364から普通に出てるじゃん
アレか、お前も都合の悪い指摘は無視するだけの低能タイプか

467:日本@名無史さん
24/04/02 10:45:59.21 .net
>>434-435
だから何で日本に鼎がないんだよ?

それに中国の巴形銅器は?

アホだろおまえ(嘲笑



>>436-437
だから日本の弓は樺太経由で入っているから支那朝鮮とは関係ないの

16000年前の列島最古の鏃が青森から出土している



>>438-440
だから、それらは平安期に日宋貿易で搬入された印文陶のレプリカだっての(嘲笑

それが本物だったらとっくに考古学専攻学者の論文がワンサカワンサカ(嘲笑

468:日本@名無史さん
24/04/02 10:58:56.71 .net
>>461
日本の長弓が樺太から入っていると言っているの?

冗談だろ。

469:日本@名無史さん
24/04/02 11:16:50.83 .net
>>452
たまたま長頭の個体が出土しただけで九州南部から南西諸島の縄文人骨は基本的に短頭

朝鮮人にも長頭がいるのと同じ事



>>455
都合の悪きは搬入の話にすり替えてスットボケて終了ってか(嘲笑

弥生人もラピタ人もマダガスカル人も渡航入植先に土器なんか搬入してないぞ

全て渡航入植先で記憶からの再現で作られた土器だぞ



>>458
列島に入植したんだろ?

なら記憶からの再現で故郷の炊飯器だった鼎を作るよね?

弥生人は列島入植後に故郷の炊飯器だった砲弾甕を出雲地方に遺したぞ

これが日本列島最古の甕である

470:日本@名無史さん
24/04/02 11:37:10.60 .net
>>463
対馬は短頭が多く、畿内と類似してる。九州には朝鮮人が来なかったか、通過しただけ。

471:日本@名無史さん
24/04/02 11:42:51.63 .net
○韓国人と同じ短頭が多いのが畿内の特徴
○血液型A型が多いのが九州の特徴
(畿内はO型が多く、東北はB型が多い)
この2つは邪馬台国論争を考える上で、基本中の基本
1950年代からもう散々、言われ続けてる事で、今更って感じだが

472:日本@名無史さん
24/04/02 11:45:46.78 .net
>>459
その縄文土器が見つかったバルト海沿岸の遺跡はどこ?どこ?どこ?どこ?

それが縄文土器じゃなくて櫛目文土器だったら大笑いしてやるがな(嘲笑



>>460
364は3000年前の日本語とビルマ系諸言語と韓国語同士での比較ではありません

で、3000年前の日本語とビルマ系諸言語と韓国語同士での比較は?比較は?

はよ持ってこいペテン師!



>>462
旧石器時代終末期から縄文時代草創期の遺跡とみられる日本の大平山元遺跡から、
15,500-16,500年前のものとみられる旧石器時代の特徴を示す石鏃が出ているが、
これは今のところ世界で最も古い石鏃とみられている[2]。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)


大平山元遺跡はアムール川下流域と並ぶ世界最古の土器遺構

つまり日本の弓はアムール川下流域から土器とともに伝わっている

473:日本@名無史さん
24/04/02 12:12:48.37 .net
>>466
その石鏃の弓が長弓だったとは誰も主張していない。

弥生人の弓は長弓で海上での使用を前提としている。

アイヌ人の弓の形態から縄文人の弓は短弓と想定されている。

474:日本@名無史さん
24/04/02 12:13:35.34 .net
アムール川から来た倭人が九州で倭国を作った?馬鹿馬鹿しい
邪馬台国越前説と同じくらいの珍説だなー

475:日本@名無史さん
24/04/02 12:18:34.32 .net
アジアにおける長弓の起源に関する考察として、太平洋周辺の長大な弓の分布はオーストロネシア語族の
拡散域と重なり、また中国南部の跨湖橋新石器時代遺跡から世界最古の漆塗り丸木弓が出土しており、
原始和弓を含めた太平洋型長大弓の共通祖形とも考えられている。

476:日本@名無史さん
24/04/02 12:23:05.91 .net
>>467-469
ほれ、呉の太伯が使っていた呉のあった長江下流域から出土した三本足の
生えた不思議すぎる炊飯器(嘲笑













長江下流域で出土した土器(南京博物館)

URLリンク(ak-d.tripcdn.com)












.

477:日本@名無史さん
2024/04/02(火


478:) 12:23:42.19 .net



479:日本@名無史さん
24/04/02 12:25:03.38 .net
>>467-469
ほれ、越と燕の遺構から出土した 平皿 や三本足の生えた不思議な炊飯器(嘲笑








越の遺構から出土した土器(浙江省)


URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)

URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)


燕の遺構から出土した土器(河北省博物館)


URLリンク(stat.ameba.jp)








.

480:日本@名無史さん
24/04/02 13:36:29.91 .net
シベリア南西部に住むアルタイ人のY-DNAは45%がR1a、
容姿は日本人と大差ない。
D1a2aの比率にどれほど意味あるのだろうか?

481:日本@名無史さん
24/04/02 13:47:33.64 .net
>>467-469
ほれ、山東省の漢代の遺構から出土した三本足の生えたユニークすぎる炊飯器(嘲笑





URLリンク(j.people.com.cn)





.

482:日本@名無史さん
24/04/02 14:00:36.19 .net
短頭は朝鮮人
長頭は縄文人 
その中間が中国人

483:日本@名無史さん
24/04/02 17:05:27.99 .net
ヨーロッパでは青銅器文化をもたらしたヤムナ文化人(R1b系統)が印欧祖語の担い手だった。
日本も同じ。2400年前に青銅器文化をもたらした無文土器文化人(O1b2系統)が日流祖語の担い手だろう。

484:日本@名無史さん
24/04/02 17:19:31.51 .net
その頃に新たな渡来人が入植した生活痕遺構がない
けっきょく稲作と同じ
在来人が交易先の朝鮮南部から取り入れて自らの手で青銅器生産を始めただけの話

485:日本@名無史さん
24/04/02 17:21:33.45 .net
>>476
ほれ、おまえらチンコロ工作員のクッサイ顔面wwww



アー ハノイデスネー ミナミシナジンwwww



URLリンク(jump.5ch.net)


URLリンク(i.imgur.com)


URLリンク(i.imgur.com)


.

486:日本@名無史さん
24/04/02 17:54:00.38 .net
長崎県北部佐世保の弥生早期人骨8体が全てO1b2、しかもそのうち6体がO1b2a1a1
ミトコンドリアは
D4が3体、
D5が1体、
M7aが2体、
残り2体は不明。
交易先から水田稲作と青銅器技術を取り入れただけ、生活痕遺構がないから、と言う嘘がバレましたねwww

487:日本@名無史さん
24/04/02 17:59:56.98 .net
>>479
こう言う古人骨のDNAデータがこれからも続々と出てくる。
何故、北部九州~山口から渡来系弥生人骨が大量出土してるのか?
何故、畿内に渡来系弥生人骨が少ないのか?
それは、大半が山東省~江南地方からのボートピープルだったからです。

488:日本@名無史さん
24/04/02 18:33:01.95 .net
>>479-480
渡来人の入植を意味する外来土器がメインの生活痕遺構があるのは
弥生早期ではなく縄文晩期なんだが何か?
渡来人は外来土器をガッツリ遺し、しかもその外来土器は西日本中を席巻し、
西日本の土器型式にさえなった
しかしその外来土器は中国土器ではなかった
よろしいか、馬鹿すぎるクッサイ汚らしいグロすぎる南支那ブタチックボルネオロプスの
中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ

489:日本@名無史さん
24/04/02 19:25:19.74 .net
短頭・中頭・長頭
URLリンク(i.imgur.com)

490:日本@名無史さん
24/04/02 19:41:23.87 .net
縄文晩期に沿海州人が北部九州に来ていたなら、
何故、筑前式アクセントは東京式アクセントの変種なのか?
何故、出雲にズーズー弁が残っていて博多湾岸には無いのか?
何故、近畿では水田稲作より先に雑穀農耕が普及したのか?
何故、北陸弁や東北弁はハングル語訛りなのか?

491:日本@名無史さん
24/04/02 21:08:03.91 .net
新羅本紀によると、古代新羅王家には朴氏・昔氏・金氏の3つの系統が有った。新羅建国時の重臣は九州から派遣された倭人、昔氏は丹波王家の子孫、金氏の始祖は倭国連合の協力者。神功皇后は昔氏の系統。
古代新羅王の推定即位年代と系統
1 赫居世(144年/朴氏)
2 南解(174/朴)
3 儒理(184/朴)
4 脱解(201/昔氏)
5 婆娑(212/朴)
6 祇摩(228/朴)
7 逸聖(239/朴)
8 阿達羅(249/朴)
9 伐休(264/昔)←邪馬台国東遷?
10 奈解(270/昔)
11 助賁(287/昔) 
12 沾解(296/昔)
13 未鄒(303/金氏)
14 儒礼(314/昔)
15 基臨(321/昔)
16 訖解(327/昔)
17 奈勿(356/金)←三韓征伐?
18 実聖(402/金)

492:日本@名無史さん
24/04/02 21:15:54.46 .net
>>483
縄文末の渡来人が最初に定着したのは九州北部じゃないぞ
刻目突帯文土器が最初どこに伝わったのか自分で調べろ
無勉無学無知の三拍子

493:日本@名無史さん
24/04/02 21:17:42.25 .net
遺伝学はルート探査にはほとんど使えない
例えば、九州1000体、西日本1000体、東日本1000体、北海道1000体というように全世界を500kmごとの間隔で1000体分のデータを現代から38000年前まで1000年ずつ過去にスライドしていくデータでもあれば信憑性もあるだろう
だが現代人100体分ほどのデータと数千〜数万年前の数体分のデータだけ、それも全世界のほんの一部だけで、全世界のほとんどの地域が現代人だけのデータだけという程度のものに一体何の信憑性があるというのか?
実際は現代から過去1000年以内のデータで99.9%以上のスッカスカでスッカスカのさっぱりデータに
なってないシロモノで日々逞しく妄想を膨らませているだけの、どこまでも空想の域を出ない単なる虚学のファンタジーなのである

494:日本@名無史さん
24/04/02 22:20:16.01 .net
イザナギ・イザナミこそ呉太白の子孫
九州の神社伝承にちゃんと残ってる

495:日本@名無史さん
24/04/02 22:21:41.90 .net
>>486
スレチ

496:日本@名無史さん
24/04/02 22:21:49.35 .net
>>486
俺は馬鹿だぜ!と胸を張って発表w

497:日本@名無史さん
24/04/02 22:37:12.94 .net
イミフ

498:日本@名無史さん
24/04/02 23:00:51.36 .net
>>487-489
ほれ、おまえらチンコロ工作員のクッサイ顔面wwww



アー ハノイデスネー ミナミシナジンwwww



URLリンク(jump.5ch.net)


URLリンク(i.imgur.com)


URLリンク(i.imgur.com)


.

499:日本@名無史さん
24/04/02 23:23:55.06 .net
オー ミナミシナジン
広鼻ブラック!広鼻ブラック!

500:日本@名無史さん
24/04/03 04:58:51.49 .net
>>47
URLリンク(i.imgur.com)
王朝の男系ハプロ

三皇 D1 羌族
姒夏 D1 羌族
子殷 D1 羌族
姫周 D1 羌族
嬴秦 ?? 羌族
漢朝 O2 漢民族
蜀漢 O2 漢民族
曹魏 O1 漢民族
孫呉 O2 漢民族
司晋 C2 モンゴル系
劉宋 O2 漢民族
北魏 C2 モンゴル系
西魏 C2 モンゴル系
東魏 C2 モンゴル系
北斉 C2 モンゴル系
北周 C2 モンゴル系
楊隋 C2 モンゴル系
李唐 C2 モンゴル系
遼朝 N1 シベリア系
趙宋 Q1 テュルク系
西夏 D1 チベット系
金朝 O1 満州系
大元 C2 モンゴル系
明朝 O2 漢民族
大順 D1 チベット系
清朝 C2 モンゴル系

不明 新(王氏)、南斉(蕭氏)、梁(蕭氏)、陳(陳氏)

501:日本@名無史さん
24/04/03 05:02:22.74 .net
>>473
URLリンク(i.imgur.com)
モンゴル人やチベット人もコーカソイドと混血してる

502:日本@名無史さん
24/04/03 05:07:15.95 .net
>>479
>>485 
だから
長崎県北部佐世保の弥生早期人骨O1b2a1a1はどっから来たのか?
まだ誰も答えてませんね

503:日本@名無史さん
24/04/03 05:11:57.96 .net
>>47
縄文系支配下に戻ったのはようやく鎌倉時代から
それまでの2000年間は渡来系支配下
藤原家のY染色体O1b2a1a1

504:日本@名無史さん
24/04/03 05:15:42.15 .net
O1b2a1a1は中国にも90万人残ってる
殆ど遼寧省だが

505:日本@名無史さん
24/04/03 05:41:43.71 .net
短頭・面長・高身長・胴長短足の渡来系弥生人骨が北部九州から瀬戸内地方~大阪湾岸に広まったのが弥生中期
スッカスカでも妄想でも有りません、歴史的事実。
これだから素人研究家は困ったもんです。
ヤマタノオロチは邪馬台国だと言い出す程の無学。

506:日本@名無史さん
24/04/03 05:43:58.43 .net
縄文系遺伝子の残存率高いのは、山村・農村・漁村

507:日本@名無史さん
24/04/03 07:01:08.08 .net
長崎県周辺の弥生人骨の核ゲノムから、渡来人との混血が相当、進んでいた事が判明
これは九州西南部のN型アクセントに長崎県北部が含まれてないのと、一致
N型アクセント(二型アクセント)こそ縄文語の名残り

508:日本@名無史さん
24/04/03 08:21:26.25 .net
弥生初期の北部九州には、大陸系の遺物・遺構が数多く出土してるんですがね
全て無かった事で済ませたいネトウヨの妄想スレ

509:日本@名無史さん
24/04/03 08:50:41.84 .net
>>479
戦前に欧米人技術者1万人ぐらい受け入れてた。それでも欧米の先進技術に追い付くまで、100年かかった。

510:日本@名無史さん
24/04/03 08:52:49.01 .net
>>477
国産旅客機は未だに作れないけどな

511:日本@名無史さん
24/04/03 09:30:05.26 .net
>>498
渡来系弥生人骨は中頭だぞ
西日本は縄文人骨の方が短頭傾向なんだよ

512:日本@名無史さん
24/04/03 10:17:57.78 .net
弥生中期の段階で、北部九州の人骨の85%前後が渡来系、大阪以西の人骨の大半が渡来系に置き換わった。僅か数百年でこの様な急激な人骨形質の変化は、BC5世紀以降の中国の戦国時代による影響大。
その頃の朝鮮南東部では洪水が頻発しており、だからこそ水田が使い物にならず放棄されてる。まだまだ稚拙な灌漑技術しか持ってなかった証拠。

513:日本@名無史さん
24/04/03 10:42:24.61 .net
チンクが来たりてホラを吹く
中国から入植した考古痕跡はない

514:日本@名無史さん
24/04/03 10:49:33.24 .net
土器だけで判断するな
銅鐸の原材料は華北から来てる
九州には中国産の豚の骨が大量に出土してる

515:日本@名無史さん
24/04/03 11:12:25.87 .net
縄文人と弥生人(弥生人倭人説)
スンダランド(今のインドネシア辺り)にいた人類→縄文土器を作る→南方の島々から約1万5千年前に鹿児島南端に辿り着く→日本列島最初の縄文人
スンダランドにいた人類→東南アジア沿岸から長江河口まで移動し漁業を営む倭人になる→近隣のミャオ族などの少数民族(稲作開発者)の影響で半農半漁


516:民になる →黄河流域の漢民族の勢力拡大に圧迫されて、船で中国沿岸部を北上→朝鮮半島の西岸を船で南下→朝鮮半島南岸から対馬に渡る→青銅器を携えて約3千年前に九州北部に辿り着く→日本列島最初の弥生人 縄文人と弥生人がゆっくり時間をかけて(約500年間)平和的に統合 →国家成立前に日本人の原型が形作られる 稲作による疫病を恐れた縄文人のグループ→弥生人と交わらずに北上→オホーツク沿岸部の文化の影響を受ける→鎌倉時代にアイヌと呼ばれる文化になる ちなみにゾミア(東南~インド中国の丘陵地帯)にも漢民族の圧迫から避難したミャオ族などの少数民族が混在していたからか、日本人とチベット人は似ているw 結論 縄文人と弥生人は日本に来た時期こそ違いはあるものの、ルーツは同じスンダランド系なのでお互いに文化的遺伝的な親近感があり、大規模な戦争やジェノサイドが起こらなかったのが重要なポイント。



517:日本@名無史さん
24/04/03 11:12:49.05 .net
1.考古学、遺伝学、文字で書かれた史料、現存する文化習俗など全てにおいて、外来勢力が在来勢力に対して大規模戦争したりジェノサイドして日本列島を征服した痕跡がどの時代にも一切ないこと。
2.日本書紀は今のモンゴル辺りで誕生して朝鮮半島経由で入って来た天孫降臨神話(タカミムスヒ)と縄文・弥生期以来の神話(イザナギ・イザナミ~アマテラス・スサノオ~オオクニヌシ)の二元構造になっており、高句麗の王権神話が天孫降臨神話一元構造なのとは対照的である。8世紀になっても依然として強かった縄文文化の濃厚な勢力への配慮が日本書紀の編纂に大きな影響を与えたと考えられること。
3.日本では7世紀まで父系出自集団は存在しないのは古代史の定説になっているので、父系制=血統主義の部族が日本にやって来たとしても、以後は双系性になり血統の連続性は絶たれてしまっていること。
4.古今東西どの部族にも何らかのインセストタブーがあり、他部族と交わらずに近親婚を繰り返しての人口増加や勢力拡大が困難なこと。
5.紀元前の日本にまだ文字がない頃に中国では既に代数の初歩レベルまで到達。そして江戸時代の関孝和の和算は当時世界最先端の数学。
つまり文明度でようやく日本が中国に追いついたのは江戸時代なので、江戸時代までの文化の伝播の方向性はほぼ中国→日本だったこと。
6.朝鮮半島から対馬は肉眼で見えるほど距離が近くて容易に行けて、対馬には日本神道の原型祭祀と思われる神社が多いこと。
7.日本列島は自然に恵まれ食料が豊富な上に、大陸と距離が離れており日本海も海流が速いので、攻め手側が圧倒的に不利な天然の軍事要塞に等しいこと。また渡来人も国家の圧迫から逃れて来た避難民や王朝交代時の政治亡命者や難民であり、予め征服の強い意志を持ち計画的に日本に侵略して来たのは元寇が最初だったと推測されること。

518:日本@名無史さん
24/04/03 11:13:04.42 .net
以上の7点から渡来人は入って来たけど、大規模な戦争で征服したのではなく、主に婚姻を通じてゆっくり時間をかけて対等な立場で平和的に縄文人と統合したと考えられる。
その渡来人は元々長江河口に住んでいた半農半漁民だった倭人。漢民族の勢力拡大の圧迫により、中国海岸と朝鮮半島海岸を船で移動した(強敵のいないこのルートにならざるを得なかった)。当時は平均寿命は短かったので、日本列島に到着する頃には何世代もの世代交代が進んで、中国沿岸部や朝鮮半島沿岸部の文化や遺伝子が混交し、長江河口に住んでいた頃よりかなり雑多な部族になっていた。
その倭人は日本列島で約500年かけて平和的に縄文人と統合するが、統合後でも元倭人の社会が形を変えて朝鮮半島に残っていたので、その人的ネットワークを通じて仏教や律令制度などを比較的スムーズに日本に持って来ることが出来た。

519:日本@名無史さん
24/04/03 11:13:24.37 .net
日本には7世紀までは父系出自集団が存在しないのは日本古代史の定説になっているので、早くても8世紀以降、現実には名実ともに父系制に日本がなったのは平安中期頃だろう。その時代に血統を強く意識した文学作品、源氏物語も生まれた。
それ以前の日本は双系制とみて良い。
というのも仏教伝来以前の日本の宗教は呪術であり、呪術の力こそが王権の正統性になっていたからだ。
ところが3~4世紀頃にモンゴル原産で朝鮮半島経由で入って来たある思想が日本列島に大衝撃を与えた。
天孫降臨神話、父系制、血統主義のセットである。
後に崇神天皇と呼ばれるヤマトの崇神大王はその先進性に衝撃を受けて父系制を導入した。
しかし当時はまだ呪術の力が大変強くて理念倒れとなり、仏教が伝来して呪術の効力が低下し始めてから、徐々に父系制が日本列島に浸透していった。
だから古墳時代の数世紀は王権の正統性が呪術から血統主義に移った不安定な過渡期と考えられる。
まあ日本特殊な事があるとしたら、弥生人でも古墳時代からの渡来人でも、在来勢力と大規模戦争して征服した痕跡が全くない事だね。
おそらく日本に来た連中は、当時国家の圧迫から逃れて来た避難民や中国、朝鮮半島の王朝交代時に発生した政治亡命者や難民などの烏合の衆がメイン。だから征服される事なく、先進技術や文字文化だけを上手いこと摂取する事ができた。
それと縄文人は弥生人よりも1万年以上前に日本列島に来たアドバンテージがあった。それは日本各地の聖地を最初に支配出来たこと。聖地とは世俗的な力が及びにくい場所。地形や自然環境に左右されるので、かなり限りがある。地形や自然環境などは100年200年で変わるものではないので、縄文時代の聖地がそのまま古墳時代の聖地にもなっていただろうし、埋め立てなどで地形が変化した場所以外は現代でも大体一緒。少なくとも仏教伝来までは呪術に王権の正統性があったので、有力な聖地を支配していた縄文人は、先進技術では渡来人に劣るものの、呪術の力で上回っていた事で優位に立てた。
仏教が伝来すると縄文人の聖地に寺を建てるんだよね、本地垂迹とか言ってね。それ以降の日本の宗教は神仏習合という形が歴史的に一番長くなる。でも寺院の立派な本殿よりも隅っこにいる稲荷の様な神様の方が遥かに古くから日本にいる。

520:日本@名無史さん
24/04/03 11:13:46.25 .net
記紀神話自体は大昔には世界各地に似たようなものがいくらでもありふれていた。むしろ記紀神話の特殊性は記紀神話を編纂出来た事に尽きる。
あの当時でも縄文弥生期くらいの古い神話を継承している人たちは、淘汰されるか辺境にしか居なくなったからね。
でも日本では政治の中枢に強い影響力のある地方豪族がそれらの古い神話を継承していた。それで縄文弥生期以来の既に土着化していた神話を大量に取り入れる必要性が生じた。
ところがそれらの人たちの一部は中世後半になってくると、被差別民というネガティブな存在になっちゃう。
だが地域差がかなり激しくて縄文文化が濃厚だった東日本では近畿に比べて極端に少なく、鎌倉時代では皇族が移り住んでた鎌倉の一区画にしか被差別民はいなかった。
東北にはほとんどいなかったし、明治になって日本に組み込まれた北海道沖縄ではゼロ。
それに日本文化のメインストリームに縄文文化ががっちり組み込まれてたおかげで、20世紀に日本が先進国になっても縄文的感性は失われてはいなかった。
あえて飛躍するがアニメやゲームのキャラ、ゆるキャラ、萌えキャラなんかはそれこそ縄文時代の土偶を現代人の美意識に合わせてバージョンアップした様なもの。クリエイター個人の
才能だけでは説明できないほど現代日本で量産されている。
実際に外国人にはなかなかこういうキャラは作れない。欧米人だけでなくアジア人も不思議なほど作れない。
つまり縄文文化は日本の文化の古層を形成しているのである。

521:日本@名無史さん
24/04/03 12:44:16.44 .net
>>507-512
ほれ、呉の太伯が使っていた呉のあった長江下流域から出土した三本足の
生えた不思議すぎる炊飯器(嘲笑






長江下流域で出土した土器(南京博物館)
URLリンク(ak-d.tripcdn.com)






.

522:日本@名無史さん
24/04/03 12:47:18.75 .net
>>507-512
ほれ、越と燕の遺構から出土した 平皿 や三本足の生えた不思議な炊飯器(嘲笑








越の遺構から出土した土器(浙江省)


URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)

URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)


燕の遺構から出土した土器(河北省博物館)


URLリンク(stat.ameba.jp)








.

523:日本@名無史さん
24/04/03 12:48:30.29 .net
>>507-512
ほれ、山東省の漢代の遺構から出土した三本足の生えたユニークすぎる炊飯器(嘲笑














URLリンク(j.people.com.cn)













.

524:日本@名無史さん
24/04/03 13:09:37.03 .net
>>314
建築技術も進んでいた

525:日本@名無史さん
24/04/03 13:24:09.24 .net
>>516
学問・制度・技術・ノウハウが何千年も遅れていた縄文人が、僅か数百年で倭人に進化出来る訳ないだろ??

526:日本@名無史さん
24/04/03 13:52:16.27 .net
>>493
こう見るとYハプロによる違い(特に優生論など)なんて実際には全くと言って良いほど存在しないな
一部でカルト的に尊ばれているハプロやサブ、多型なんぞmtハプロと同様に進化論的解釈など殆ど意味が無い
数理的なイタズラだな

527:日本@名無史さん
24/04/03 14:18:00.51 .net
>>516


日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに木骨泥墻が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では7000年前に高床式住居が登場するが木骨泥墻に吸収されて消滅し、5000年前には再び木骨泥墻に一本化するが
4000年前には早くも戸建てが登場して木骨泥墻は消滅した。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場して早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。


.

528:日本@名無史さん
24/04/03 14:35:05.53 .net
506
信用してるバカなどいないだろ
だいたいの情報は日本から行ったやつらが調べてそれで日本で発表してるだけだからな
日本の強みは世界中渡り歩きそれぞれの歴史を調べてきたことにある

529:日本@名無史さん
24/04/03 14:48:53.31 .net
.



中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から平皿という器種がありました。
あちらで平皿は盤と呼びます。
ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、平皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。
日本に平皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代で百済からです。
中国大陸には7000年前からある平皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。
その時代差、約5400年。
弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!



.

530:日本@名無史さん
24/04/03 17:01:22.80 .net
2400年前に奈良・唐古鍵遺跡を経営していたのは渡来系弥生人
162cmの高身長で面長・彫りの浅い顔

531:日本@名無史さん
24/04/03 17:07:03.60 .net
ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古


532:事実ですのでね http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf 論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36 論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の 21、26、33、45、46、47、54、55 論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7 論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50 このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は 沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる 細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の 土器型式になった時代があった訳だ 弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に 入植した集団だったと考えられる



533:日本@名無史さん
24/04/03 17:09:09.28 .net
URLリンク(detail.chieb..._detail)
または11月26日読売新聞。国立科博・篠田館長の記事。
釜山・加徳島の狼項遺跡(6300年前)の人骨の核DNA分析を ...
韓国が、釜山・加徳島の狼項遺跡(6,300年前)の人骨2体の核DNA分析を行った結果、
縄文人的と判明した。人骨2体はほぼ現在日本人のDNAと同じだと篠田館長は結論した。
弥生時代の少し前ころ韓国南部、小白山脈のライン南部、対馬海峡側には
縄文系の人達が広範囲に生活していた事が分かってきている、
最近の大勢は、「縄文人は列島から列島外に拡散していた。」に傾いている。

534:日本@名無史さん
24/04/03 17:10:58.46 .net
弥生前期の僅か300年間で、西日本の人骨形質の変化と灌漑技術の向上が急激に進んだ

535:日本@名無史さん
24/04/03 17:18:54.74 .net
>>524
縄文弥生を通して列島から半島に入植した考古痕跡はない
唯一、済州島だけにはある

536:日本@名無史さん
24/04/03 17:28:52.40 .net
>>521
考古学者はお前みたいな低能じゃない。土器とか炊飯器・食器だけで判断する馬鹿のいっちょ覚え丸出し

537:日本@名無史さん
24/04/03 17:33:20.36 .net
>>519
弥生時代はカエルの肉を食べるほど貧しかったからだ

538:日本@名無史さん
24/04/03 17:37:34.35 .net
平安時代でさえ日本人の1人当たりGDPは中国人の3/5程度
弥生時代の日本が如何に貧しかったか、魏志倭人伝を読めば分かるだろう。

539:日本@名無史さん
24/04/03 17:38:05.97 .net
>>527
建築でも判断してるけど何か?



日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに木骨泥墻が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では7000年前に高床式住居が登場するが木骨泥墻に吸収されて消滅し、5000年前には再び木骨泥墻に一本化するが
4000年前には早くも戸建てが登場して木骨泥墻は消滅した。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場して早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。




.

540:日本@名無史さん
24/04/03 17:39:27.55 .net
江戸時代中期になって、ようやく日本人の1人当たりGDPが中国に追い付いたのが実態

541:日本@名無史さん
24/04/03 18:16:00.37 .net
逆じゃね?
海産物が豊か
温暖で植物が育つ
養蚕も知っていた
日本の大多数の方が豊かに暮らしていて、
中国の大多数は王権にこき使われる奴隷だったのでは?

542:日本@名無史さん
24/04/03 18:18:19.88 .net
>>493
殷周はNだったよ

543:日本@名無史さん
24/04/03 18:19:24.36 .net
>>533
殷はO2でしょ
周は知らん

544:日本@名無史さん
24/04/03 18:33:20.90 .net
>>530
魏志倭人伝に描かれてる倭人は典型的な蛋民、つまり水上生活してる家船漁民。必要最低限の技術だけを九州に持ち込んだ。

545:日本@名無史さん
24/04/03 18:45:43.81 .net
弥生時代の食糧のうち、コメが占める割合は2割程度、他の農作物を加えても3割程度に過ぎず、
主食は依然としてドングリなど木の実で、魚介類や肉も必要不可欠だった。

546:日本@名無史さん
24/04/03 18:47:06.91 .net
愛新覚羅氏のYハプロは知らんが
清は当初後金を名乗っていた女真人の王朝だぞ
根本的に誤りだわ

547:日本@名無史さん
24/04/03 18:58:08.81 .net
534
違うよ

548:日本@名無史さん
24/04/03 18:59:31.75 .net
O2ってのはもともと長江中部より西側にしかいなかったんだよ
つまり海のことなんか見たこともない🤪ってやつらが大半だったわけな

549:日本@名無史さん
24/04/03 19:33:00.06 .net
>>532
古代中国の養蚕や絹の製法は、他国へ持ち出し禁止だった。
弥生中期に佐賀平野に上陸した徐福集団の若者3000人男女が、養蚕や絹の製法を九州にこっそり持ち込んだ。

550:日本@名無史さん
24/04/03 19:55:27.40 .net
徐福集団が事実なら戸建て住居跡や漢字の書かれた木簡や鬲鼎が
わんさか出土する中国系遺構が見つかりまくりだろが(嘲笑
漢字や袴(ズボン)のある漢服や布靴も伝わって一気に古墳時代到来(ウルトラ嘲笑

551:日本@名無史さん
24/04/03 21:21:42.76 .net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
>嘘をつくな!



↑中卒ダマシの頻度詐欺を働く中共 五毛党 日本侵略部隊(嘲笑 

南支那から入植した考古痕跡も北上した考古痕跡も一切ない

例えばYのハプロDは起源地のアフリカではほぼ0%

一方、その地球の裏側の日本列島では3割強 

頻度は常に変化しているので、 頻度が高いからといって、そこが起源地だとは限らず、
存在しないからといって、そこが起源地ではないとは限らない

同じ遺伝子が存在すれば同じ祖先を100%共有している事が分かるのみで、
頻度が高いところから低いところに移動したとは限らないし、その遺伝子が
存在しなくても同じ祖先を共有していないとは限らない

遺伝子の頻度が起源地探査やルート探査には全く使えない事の証左

親株、子株もそうだ

起源地で親株が消滅して子株だけになり、遠方では親株しかなかった場合、
遠方の方が起源地に見えてしまう

親株、子株も起源地探査やルート探査には全く使えない事の証左

遺伝学で分かる事は、同じ遺伝子が存在すれば同じ祖先を100%共有している事が
分かるという事のみで、それ以上の事は一切何も分からないのである

552:日本@名無史さん
24/04/03 21:31:34.80 .net
日本人は呉の太白の子孫

553:日本@名無史さん
24/04/03 21:31:42.75 .net
日本人は呉の太白の子孫

554:日本@名無史さん
24/04/03 21:31:46.86 .net
日本人は呉の太白の子孫

555:日本@名無史さん
24/04/03 22:03:50.27 .net
 夏王朝で宮廷儀礼に用いられたと考えられる玉璋、玉斧、玉刀、玉戈など
多種多様な大型玉器が出土し、宮廷における「礼制」が整備されたことがわかる。
金・銀などよりも翡翠などの玉石、管玉を尊ぶ文化だった。
長江下流、会稽山の麓、良渚文化期の玉器は明確な等級区別があった。
東南アジアの仮面に似た、「神徽像」を共通の神としたほか、玉琮(ぎょくそう)、
玉鉞(ぎょくえつ)、玉璧(ぎょくへき)に代表される神権、軍権、王権が
良渚社会特有の玉礼制を形成し、政教一致を特徴とする国家形態を反映していた。

556:日本@名無史さん
24/04/03 22:05:08.53 .net
夏(か、拼音: Xià、紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃[注釈 1])は、
『史記』『竹書紀年』などの史書には、初代の「禹」から末代の桀まで14世17代、
471年間続き、殷の湯王に滅ぼされたと記録されている。
長江流域、良渚文化集団の一部は北上し、黄河中流域で夏王朝を興した。
やがて夏王朝は支配下にあった東夷の后羿(こうげい)部族に倒される。
越人は夏人の�


557:門痰ゥ称し、「禹」の墓があると伝承される会稽山は越人の聖地でもある。



558:日本@名無史さん
24/04/03 22:08:41.52 .net
だったら原始漢字の書かれた木簡、竹簡、土器が出てくるはずだわな
特に姫と書かれたな(嘲笑

559:日本@名無史さん
24/04/03 22:11:18.94 .net
>>543-545
だったら原始漢字の書かれた木簡、竹簡、土器が出てくるはずだわな
特に姫と書かれたな(嘲笑

560:日本@名無史さん
24/04/03 22:15:30.21 .net
何一つ遺物がないのにどうして好き好んで
中国人の子孫と論じたがるのか理解に苦しむ

561:日本@名無史さん
24/04/03 22:15:44.07 .net
アマテラス解体新書を読もう

562:日本@名無史さん
24/04/03 22:29:24.42 .net
これって「倭」=「淮」なんだ。当て字か? 米国、美国、みたいな??
孔子時代(bc500年)頃には海の向う半島と思われる地に東夷、九夷、がいた。
「倭」わ=ウェ 越南ウェトナム=ヴェトナム 越智ヲチ=オチ、オロチ ??
「倭」
(わ、やまと、ワ、ヰ、ウェイ(中国南方音)、ゥオー(中国北方音)朝鮮語で왜ウェ)
「淮」
呉音 : ウェ(ヱ) ヱ「ゑ」(例.夷「ゑびす」→欧米語の/we/音「ウェ」
漢音 : カイ(クヮイ)・ガイ 慣用音 : ワイ
「濊」
音読み カイ・カツ・ワイ
東夷の濊・貊・穢(かい・はく・わい)蓋(がい・け)蓋国は鉅燕の南。

563:日本@名無史さん
24/04/03 22:32:56.71 .net
>>550
まだ分かんないのか(嘲笑
中共工作員だから
中共 五毛党 日本侵略部隊だから

564:日本@名無史さん
24/04/03 22:49:43.46 .net
 民俗学者には長江流域からの稲作民の渡来を強く指摘する、
石毛直道(いしげなおみち)は、考古学的遺物としての収穫用石包丁、
特に穂刈り用の 「半月形外彎刀」 は、長江下流、南朝鮮、北九州にしか
分布していないとし、これによって江南渡来説を支持した。
URLリンク(repository.kulib.kyoto-u.ac.jp)
 P106 第五図 石包丁型式別分布図

565:日本@名無史さん
24/04/03 22:52:12.47 .net
長 江 下流 地 帯 で 地 方 的 な形 式 と し て ,半月形 外 彎刃 石庖丁 が 生 れ ,
半月形 直線 刃形 式 と併用 され る 。半月形 外 彎 刃形式 を 多 く出土 するの は ,
印文陶 ・有段 石斧 を出土 し ,青銅器 の 出現 す る 湖熟 文化 で あ り,
そ の 年 代は 殷 末よ り単尾国手弋}こ い た る と考 え られ る。こ れ ら,
長江 下 流 地 帯の 遣 跡 より主 要作 物 として 稲 の 出土す るこ とが 注 目 され る 。
長 江 下流 の モ ンス ーン 地 帯に 伝播 し て ,稲 の 穂摘具 と レて 転 用 され ,
そ の うちに 半 月形 外彎 刃形 式 が地 方的 なタ イ プ と し て 発 生 す る 。
この形式は ,稲作とともに , 南鮮 ・北九州に伝 え られ た もの と考 え られ る。

566:日本@名無史さん
24/04/03 23:08:03.53 .net
石毛直道は考古学専攻学者ではない
だいたい長江から稲作が伝わったなら日本の最古稲作遺構の最古イネに中粒種が
あるはずだろ
同期する長江のイネは中粒種が半分くらい混ざったイネなんだから
ところが最古稲作遺構のイネは短粒種だけ
しかも最古稲作遺構の水田の第一層には農具が一切なかった
稲作渡来民とやらが来たなら最初から農具くらいあるはずだろ
ない
在来人が朝鮮南部から稲作を取り入れて自らの手で始めただけだからだ
第三層あたりからようやく耕作用農具が現れるんだが、その耕作用農具は
同期する中国大陸にはないはずのクワであった
当時の中国大陸の耕作用農具はスキだけでクワはない
しかも中国大陸から伝わったなら石刃であるはずなのに木刃であった
日本にスキという耕作用農具が伝わったのは稲作開始から300年くらい経ってからで、
やはり石刃ではなく木刃であった

567:日本@名無史さん
24/04/03 23:08:06.81 .net
姫氏は中国人じゃねえけどな😃

568:日本@名無史さん
24/04/03 23:11:04.89 .net
シュメールや古代バビロニアの三種の神器である
武神のシンボルの剣
日像鏡
月像の首飾り
日本の三種の神器
草薙の剣(くさなぎのつるぎ)(スサノオ)
八咫鏡(やたのかがみ) (天照大神)
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)(勾玉は月像、月読み)

中東では「勾玉」のデザインが良く使われる
欧州「ペイズリー」ペルシャ「ボテ(Boteh)」インドでは「ブータ」「カルカ」など。

569:日本@名無史さん
24/04/03 23:13:13.17 .net
日本の神話には8つの首を持つヤマタノオロチを退治したときに、
草薙の剣を得たという話があります。
シュメールの神話にも、7つの首を持つ龍を退治して、剣を得たという話があります。
これらを関連付けると、
日本の三種の神器はシュメールの神から授かったものという見方もできます。
じゃあ、日本にシュメール神話を伝えた者たちが居た、中東出身説のある秦氏か???
古代バビロニアの楔形文字で書かれた粘土板の物語りを記憶してた民族て事か???

570:日本@名無史さん
24/04/03 23:16:28.30 .net
頭がムー

571:日本@名無史さん
24/04/03 23:26:27.87 .net
先生はスーーーーンゴク重要な事言ったから暗記しろよ


石毛直道は考古学専攻学者ではない
だいたい長江から稲作が伝わったなら日本の最古稲作遺構の最古イネに中粒種が
あるはずだろ
同期する長江のイネは中粒種が半分くらい混ざったイネなんだから
ところが最古稲作遺構のイネは短粒種だけ
しかも最古稲作遺構の水田の第一層には農具が一切なかった
稲作渡来民とやらが来たなら最初から農具くらいあるはずだろ
ない
在来人が朝鮮南部から稲作を取り入れて自らの手で始めただけだからだ
第三層あたりからようやく耕作用農具が現れるんだが、その耕作用農具は
同期する中国大陸にはないはずのクワであった
当時の中国大陸の耕作用農具はスキだけでクワはない
しかも中国大陸から伝わったなら石刃であるはずなのに木刃であった
日本にスキという耕作用農具が伝わったのは稲作開始から300年くらい経ってからで、
やはり石刃ではなく木刃であった

572:日本@名無史さん
24/04/03 23:33:47.28 .net
アマテラス解体新書を読もう

573:日本@名無史さん
24/04/03 23:41:49.16 .net
時として、考古学者などのカチカチのコンコンチキチキの頭より
想像力のたくましい作家さんの方が真実を発見する可能性が高い。
賢すぎは静岡 川勝知事のようにポンコツのアタオカな人物が多い。

574:日本@名無史さん
24/04/03 23:53:20.96 .net
アマテラス解体新書 たくさんさんの感想・レビュー
[たくさん]
古事記は読んだので日本神話の神の知識を古代アナトリアに当てはめると
古事記の疑問がすっと合点がいった。細かいところは諸説あったり変遷していたと
しても大雑把な神話の原点の捉え方として劇的にベースが広がった。
同一であるという仮定の表も見て再読するとわかりやすい。
言葉の発音や逸話の同一性というのは元は一緒と捉えるのに信憑性が高いと私は思います。
YAP遺伝子やアムール、エラム、シュメールとか天津神国津神、ウガヤフキアエズ、
周王朝など勉強したいなって思います。
あと163ページ下「秦の前進」は「秦の前身」の誤字ですね。

575:日本@名無史さん
24/04/04 00:17:46.26 .net
>>563
人国記ってやっぱり凄いわ
静岡 川勝平太知事の川勝家のDNAは京都府亀岡市
亀岡市は古来の令制国別では丹波国に属する土地柄
人国記に記録されてある丹波国という土地の人間を見抜いた現代語訳

丹波の人は非情で独善的、傲慢で人を馬鹿にして、人を褒めようともせず
『お前よりあの人の方が凄い』などと他の人と比較してでも
馬鹿にしようとして、言動自体が悉く女々しく価値がない人間が多い
本来行うべき畑仕事を放り出し商売に手を出して、大儲けして
豪奢に過ごしたいと常日頃から企んでおり、実にみっともない。
全くを以て勇気が無く、媚び諂いが著しく、昨日の味方は今日の敵となり
ころころと立ち位置を変え立ち回る様はもはや哀れとしか言いようがない。
それでも有能な人が生まれたら、伸び伸びと育つだろうから
比肩する者の無き人物ともなるであろう。
乱世にあっては丹後国の人間を制圧するのは五日も有れば十分な土地だ。

576:日本@名無史さん
24/04/04 00:23:09.46 .net
現在判明している世界最古のヒスイの加工は、日本国内の新潟県糸魚川市において約5,000年前に始まったものである世界最古の翡翠大珠が同国内の山梨県で見つかっている。2016年時点では国内の翡翠加工史は7千年前とされている。

577:日本@名無史さん
24/04/04 00:31:48.83 .net
川勝平太の川勝家のDNAは京都府亀岡市
亀岡市は古来の令制国別では丹波国に属する土地柄
怖いほど当たってるw
「 丹波の人は非情で独善的、傲慢で人の欠点ばかりを取り上げ
何かと馬鹿にしては人を褒めることはせず
『お前よりあの人の方が凄い』などと他の人と比較してでも
他人を馬鹿にしようとする性質がある。」
【 人国記 】 丹波国編より

578:日本@名無史さん
24/04/04 04:24:39.83 .net
>>554
新潟県の神社伝承によると、
ニギハヤヒが大阪湾岸の人達を連れて来て、
航海・漁業・農業・製塩・養蚕の各種技術を伝え、越後国を開拓してくれたそうで、
いかにも長江流域から来た稲作漁労民O1b2の子孫。

579:日本@名無史さん
24/04/04 06:30:32.83 .net
福岡県の宗像神社には海の神が祀られてる。記紀によれば日本最古の神社の1つ。
稲作文化を伝えた弥生人O1b系統

12000年前まではスンダランドにいて、稲作文明をマダガスカル含め、世界各地に広めた、半農半魚の海洋交易民。

580:日本@名無史さん
24/04/04 06:34:05.38 .net
完全なデマ
O1b1とO1b2は3万年前には分岐しており、
長江流域からO1b2が稲作を伝えたなら、今の長江流域からO1b2が見つからないとおかしい。

581:日本@名無史さん
24/04/04 08:01:30.38 .net
李氏朝鮮でさえ、洪水の多い海岸沿いや大河川流域は避け、谷底低地に限定して水田稲作やってたくらい、稚拙な治水技術しか持ってなかった。
弥生前期の西日本に高度な灌漑技術を伝えたのは、長江流域の稲作漁労民以外は考えられませんね。大規模な土木技術が必要な河口栽培が普及した時期に相当する。

582:日本@名無史さん
24/04/04 08:02:37.67 .net
日本に🐴が現れたのが5、6世紀ころどから
モンゴル人の司馬達等が日本に🐴を最初に持ち込んだ可能性が高くなってきたわけだな😳

583:日本@名無史さん
24/04/04 08:03:32.81 .net
まったく"嘘"ばかり書かれてそれ信じろみたいなバカいて参ったぜ😄

584:日本@名無史さん
24/04/04 08:45:12.25 .net
日本列島は海の幸にも山の幸にも大変恵まれていた。
縄文人がわざわざ好き好んで疫病リスクの極めて高い稲作を自発的に始める動機は全くないので、長江河口の倭人が長い道のりを経て日本列島に伝えた、と思われる。稲作と深く関わっている太陽の神と一緒に。

585:日本@名無史さん
24/04/04 08:56:58.88 .net
呉王の子孫を名乗った松野氏が持つ系図は結局熊襲のもの
その点は九州らしいといえばらしいが
日本国内の呉越の扱いや評価はその程度ということ

それから日本の稲作開始は一言で言えば
「体系的な渡来ではなかった」ということだわな

586:日本@名無史さん
24/04/04 09:05:10.91 .net
>>568-575
ほれ、呉の太伯が使っていた呉のあった長江下流域から出土した三本足の
生えた不思議すぎる炊飯器(嘲笑













長江下流域で出土した土器(南京博物館)

URLリンク(ak-d.tripcdn.com)












.

587:日本@名無史さん
24/04/04 10:19:14.20 .net
モンゴル系のやつらが漢内にも入り込み司馬系の職種に着いていたわけやな

588:日本@名無史さん
24/04/04 12:13:40.74 .net
>>568-575
ほれ、越と燕の遺構から出土した 平皿 や三本足の生えた不思議な炊飯器(嘲笑




越の遺構から出土した土器(浙江省)

URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)
URLリンク(afpbb.ismcdn.jp)

燕の遺構から出土した土器(河北省博物館)

URLリンク(stat.ameba.jp)




.

589:日本@名無史さん
24/04/04 12:14:39.05 .net
>>568-575
ほれ、山東省の漢代の遺構から出土した三本足の生えたユニークすぎる炊飯器(嘲笑







URLリンク(j.people.com.cn)






.


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch