邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)at HISTORY
邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國) - 暇つぶし2ch1022:日本@名無史さん
21/03/13 09:25:16.81 .net
>>980
時系列が違う。
大乱は2世紀後半、卑弥呼の治世は3世紀前半。
博多湾沿岸に上陸した何者かが鉄の力を以て侵攻したのだろうが、卑弥呼はその地盤を継承しただけ。

1023:日本@名無史さん
21/03/13 09:44:19.64 .net
次スレです。
女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
スレリンク(history板)

1024:日本@名無史さん
21/03/13 10:12:02.51 .net
>>982
卑弥呼がいつ共立されたかは不明だ、が、共立以前も邪馬台国のみの女王だったと考えるべきだろう。
但し仰せの通り、卑弥呼自身が大乱の指揮を執ったとは思えないので、その前の男王(後漢書に云う大倭王)が指揮したと考えるのが順当だ。
なお、博多湾岸に上陸したのでは、倭人伝や、魏略や、廣志と合致しない。
今は佐賀県、昔は肥前だったのであるが、末盧国唐津に上陸してそのまま東南へ進み、
佐賀市(伊都国)から吉野ヶ里(不彌国)へ至って、背後から博多湾岸を襲ったとみるべきだろう。
つまり平塚川添遺跡など朝倉・甘木・筑前町の邑は、真っ先に攻撃を受けて敗走四散した・・、発掘の状況はそれを物語っているように思える。

1025:日本@名無史さん
21/03/13 10:21:39.54 .net
次スレです。
女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
スレリンク(history板)

1026:日本@名無史さん
21/03/13 10:41:52.36 .net
次スレおつ

1027:日本@名無史さん
21/03/13 12:51:59.89 .net
次スレです。
女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
スレリンク(history板)

1028:日本@名無史さん
21/03/13 15:00:28.22 .net
>>797
41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

1029:日本@名無史さん
21/03/13 15:01:16.17 .net
>>798
一切反論できない負け犬乙w

1030:日本@名無史さん
21/03/13 15:01:36.95 .net
>>799
> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

1031:日本@名無史さん
21/03/13 15:02:04.87 .net
>>800
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

1032:日本@名無史さん
21/03/13 15:02:26.69 .net
>>801
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw
日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
URLリンク(wi12000.starfree.jp)
君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

1033:日本@名無史さん
21/03/13 15:05:17.79 .net
>>802
URLリンク(hero1945.livedoor.biz)
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。
安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです
関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw
とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

1034:日本@名無史さん
21/03/13 15:06:24.00 .net
>>804
一切反論できない負け犬乙w

1035:日本@名無史さん
21/03/13 15:11:18.25 .net
>>722
倭人伝に鉄鏃を使っていると書かれていて、南の狗奴国と戦争していると書かれているのだから、これはもはや明らかに勝負あったね。

1036:日本@名無史さん
21/03/13 15:29:16.05 .net
次スレももうあるようだしここは埋めるか
2 :日本@名無史さん :2021/02/23(火) 23:24:15.78
邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
これを押さえておかないと正解には辿り着かない
【用例】
通鑑釋文辯誤卷六
URLリンク(www.kanripo.org)
>沈約宋書云汶陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上黃縣
江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける
【嘉興府志】
URLリンク(wenku.baidu.com)
>{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡
嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど
やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう
また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし

1037:日本@名無史さん
21/03/13 15:29:43.75 .net
3 :日本@名無史さん :2021/02/23(火) 23:24:29.01
>>2により邪馬台国までの所要時間は水行ならば10日、陸行ならば一ヶ月であると確定したが、
同時に行程が放射読みで書かれていることも導かれる
なぜなら前段に書かれている投馬国へは水行20日とあるので、連続読みならば、訪問者は投馬国に着いた時点で必ず船に乗っていることになる
20日間も船に乗って投馬国まで来たのに、そこからわざわざ船を乗り捨てて3倍も時間の掛かる陸路を選ぶ理由が存在しない
そのままあと10日船で行けば済む話であるから、もし連続読みで記載しているのならば投馬国からの陸路なんて記載する必要が無い
そうではなく、行程が放射読みで書かれているため、伊都国を経由して邪馬台国へ行こうとする中国人への道案内のための文章としては
彼らが船を確保できていないケースも想定しなければならない
なぜなら末廬国から伊都国までは陸行だと書いてある以上、伊都国に到着する中国人は船に乗っていないわけだからな
そのため時間さえかければ陸路でも行けることを併記する必要があった
つまり邪馬台国の場所は伊都国と地続きの範囲、すなわち九州内に限られる
水行のみで行ける場所なので海か大河のほとりであり、かつ陸行も可能なので伊都国との間に通行不能な山塊などは存在しない地域、となる

1038:日本@名無史さん
21/03/13 15:30:16.27 .net
4 :日本@名無史さん :2021/02/23(火) 23:24:41.00
BS-TBSの諸説あり!の映像らしいが、弥生時代の鉄鏃が大量に出土した場所が九州を横断するように存在している
どう見てもここが邪馬台国と狗奴国が戦闘してた戦線=国境ライン
URLリンク(i.imgur.com)
熊本も菊池川より北側あたりは女王国に属していたようだ
これは免田式土器の分布とも一致する
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

1039:日本@名無史さん
21/03/13 15:30:35.64 .net
5 :日本@名無史さん :2021/02/23(火) 23:24:55.57
383 :日本@名無史さん :2020/05/28(木) 00:59:58.44
さて、こうして狗奴国の領域を考古学的に検証してみると
以前作ったこの地図はかなり正しいように思えるな
309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

当時はまだ免田式土器の知識が足りなかったから狗奴国に阿蘇地域を含めていないなどの欠点はあるが
邪馬台国の位置検討の上では支障無いだろう

1040:日本@名無史さん
21/03/13 15:31:48.72 .net
8 :日本@名無史さん :2021/02/23(火) 23:26:10.90
考古学的にはどう見ても伊都国は当時の先進国
それは紀元前からの流れ
福岡、国内最古級の「すずり」か 糸島市の御床松原遺跡
URLリンク(www.tokyo-np.co.jp)
> 福岡県糸島市の御床松原遺跡で出土していた板状石製品は弥生時代中期前半(紀元前150年ごろ)で、国内最古級のすずりとみられることが分かったと
> 柳田康雄・国学院大客員教授(考古学)が28日、九州考古学会総会で発表した。
> 柳田氏は御床松原遺跡の発掘報告書で「くわ」とされた石製品(長さ18・6センチ、幅6・8センチ、厚さ1・2センチ)を鑑定。
> 柳田氏が2017年に墨の付着跡などから完形品のすずりと発表した薬師ノ上遺跡(同県筑前町)の石製品(長さ15・3センチ、最大幅6・3センチ、厚さ0・7センチ)と同じ形状と分かり、
> 御床松原の石製品は製作途中のすずりと判断した。
キナイコシの発言には考古学的裏付けが全くありません、ただの嘘です

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