邪馬台国畿内説 Part642at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part642 - 暇つぶし2ch381:日本@名無史さん
20/09/21 20:36:02.32 .net
>>252
大和説とは、「南→東」や「冢→前方後円墳」とか「正北抵新羅の否定」とか、
ここまでデタラメなんだね
祇園山は、不定形の基盤台上の「四隅円弧の類方形の錐体台」的墓。
大和説に都合が悪ければ、あたりまえのことも無視する

382:日本@名無史さん
20/09/21 20:37:43.91 .net
とうがいの一歩六尺はテレビドラマで計る道具と長さを出してきていたと言うだけの話よ、何れにしろ前方後円墳はそれまでの円丘方墳水を合わせ持つもので完成形とも言える、また元に戻るが266年以前にあったのか?無かったのか?卑弥呼の死で築造したわりには直ぐに争いが起き築造効果が無いとも言える。

383:日本@名無史さん
20/09/21 20:41:37.28 .net
>>253
大和説の人は、史料事実よまず、
史料事実からの帰納的確率的な推論をせずに、
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘吐き騙しをし、
嘘吐き騙しの詐欺師の大和説学者ら報告書ばかり読むから、
言うことは主観のデタラメばかりさ

384:日本@名無史さん
20/09/21 20:46:15.53 .net
>>311
つい、最も研究の進んだ最新の説、と言われてもなあ。

385:日本@名無史さん
20/09/21 20:46:39.77 .net
>>255
大和説の人は、全て、
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘吐き騙しの大和説学者らの受け売り話ばかりなので、
相互にも議論することはほとんどない
だからこの大和説スレに嘘吐き作り話を聞いてもらいにやってくる
いろいろな指摘を受けるが、
しばらくするとすっかり忘れてまた同じ作り話をもってやってくる
そうやって日々暮らしている

386:日本@名無史さん
20/09/21 20:50:49.85 .net
>>259
>百余歩(145~159.5m未満)に該当する古墳前期までの古墳って全国に
10基くらいしかないんだよね
しかも3Cまでに築造された古墳となると1基しかねえの
天理にある波多子塚古墳ただ一つ
しかも前方後方墳
しかも未盗掘なのに金属器がゼロ
ショボすぎる
どう見ても卑弥呼陵ではないよね
ふーん。
しかし、「古墳前期」とか「3世紀まで」とかが、疑問だね。

387:日本@名無史さん
20/09/21 20:59:09.54 .net
>>347
そのとおり
コンターを見れば標高54か55mあたりにテラス面があるのが
正常な人なら分かるはず
自然の山の頂上近くを水平にカットして平坦面を作り
削り残した方形部分にさらに土を持って
平坦面から数えて6mほどの方墳を築いた
平坦面は平らに削っただけだから
山の斜面に手は加えていない
つまり基壇部などは築いていない
墳丘は山から削り出し土を盛って葺石を葺いた方墳だけだ

388:日本@名無史さん
20/09/21 21:01:28.77 .net
>>351
反論せず否認するのが九州説
能力なさすぎ

389:日本@名無史さん
20/09/21 21:03:43.33 .net
そして>>352のように、ひたすら嘘をつき続ける
絶対に証拠は出さない
それが九州説

390:日本@名無史さん
20/09/21 21:07:02.9


391:8 .net



392:日本@名無史さん
20/09/21 21:09:05.10 .net
日本で弥生遺跡みたいなんが出回りだすのが紀元前10世紀なの
あまり漢とか関係ない
向こうの基準も

393:日本@名無史さん
20/09/21 21:10:11.95 .net
影響あってもそのころから何らかに影響あるから

394:日本@名無史さん
20/09/21 21:10:20.18 .net
URLリンク(ryukyushimpo.jp)

395:日本@名無史さん
20/09/21 21:10:46.56 .net
青銅器が出回り始めるのが起源前3,4世紀

396:日本@名無史さん
20/09/21 21:16:02.20 .net
>卑弥呼の冢? 聞きなれない言葉ですね。
>しかしそのヒントは『三国志』の中にありました。ズバリ、これですね。
 山に因(よ)りて墳を為し、冢は棺を容(い)るるに足る。(蜀志・諸葛亮伝)
>これは、かの諸葛孔明の遺言に出てくる一節ですが、
>孔明は〝自分の死後の墓としては、山を墳と見立てて、その山の適当な個所に土盛りの墓を作れば十分だ〟といっているのです。
こんもりとした丘陵(小山)の上にそれなりの土盛りがあるところ。それが卑弥呼の墓(墳+冢)だ。
つまり径百余歩とは、いわゆる前方後円墳などの定型墳でなく、自然丘陵(小山)の差し渡しのことであろう。

397:日本@名無史さん
20/09/21 21:17:38.91 .net
>>357
反日ど素人のみの集団内ならな
会話が不可能なので我国の学問の場では古田集団は完全除外されている

398:日本@名無史さん
20/09/21 21:18:31.94 .net
>>265
>>祇園山古墳を「方墳だ」なんて言わないよ。
「不定形基盤台上の四隅円弧の類錐体台の冢」だろう、と言って来てある。
>あんたが勝手にそう言っても世間が認めないよ
どっちにせよ、その下の山は冢でない 墳丘じゃないから当然だ
風雨や温度差が激し温帯モンスーン気候の列島では、
基盤台を造らず、段築や葺石だけの冢では、
底面斜面の流水などのために、直ぐに崩壊してしまうもの。

399:日本@名無史さん
20/09/21 21:18:48.93 .net
倭人伝では少なくとも短里であろうが投馬、女王都まで水行1ヶ月徒歩1ヶ月かかるわけで北九州は無いでしょ、それとその後東征毛人西服衆夷、違う奴等だよといってる

400:日本@名無史さん
20/09/21 21:21:26.88 .net
魏の1歩はだいたい140cmくらい
百歩は約140mなので魏志倭人伝に径百歩とある卑弥呼の墓は
畿内にある前方後円墳くらいのサイズ

401:日本@名無史さん
20/09/21 21:22:48.45 .net
>>266
実際は、
人種差別戦争狂的な権力的皇国史観宗教の大和説らの方が、
異常に好戦的、攻撃的で、口汚ない

402:日本@名無史さん
20/09/21 21:23:37.11 .net
末盧国から祇園山へ至る具体的な行程論(方角・里・道)はどうしたのだ。
さっぱり要領を得ないではないか。

403:日本@名無史さん
20/09/21 21:29:39.36 .net
>>267
大和説者らは、
「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などの、
史料事実や史料実態を曲解や否定をする嘘吐き騙しの、作り話なので,
九州説の意見に反論する知識がない
九州説から心優しく反論されると、
わりとムキになったり意固地になる
もう何回も聞いた作り話なので、
どうしても指摘が厳しくなっていく

404:日本@名無史さん
20/09/21 21:37:48.41 .net
>>268
「南」を見ても「東」という。
「冢」を見ても「前方後円墳」という。
「正北抵新羅」を見ても「北部九州ではない」という。
「四隅円弧の類方形の錐体台」を見ても、「方墳」という。
四角くないものを見て四角くないと認めない
自然の山に造られた冢を見ても墳丘だとしかと言わない
それが大和説

405:日本@名無史さん
20/09/21 21:40:45.25 .net
>>366
その説が揺らいできている。
祇園山古墳の楕円形裾部の東西差し渡しが60mほどあることから、
倭人伝の径百歩(一歩=140㎝)は張政の誤認であり、実は倭人役人が張政に伝えたのは倭人歩(半歩=70㎝)による百歩だったという考えが有力になりつつあるの。
実際、倭人伝では張政は卑弥呼にあっていず、ずっと迎賓所にいたフシがあり、倭人伝の滞在中の記事はすべて倭人役人からの伝聞である可能性が高くなっている。
径百歩は実は70mほどだったと言えそう。

406:日本@名無史さん
20/09/21 21:41:01.76 .net
>>270
>筑豊には地元市教委から否定されても
自然丘陵を超巨大前方後円墳だと言い張る素人愛好家もいる
大和説者らのように「冢だとは言わない」んなら、
まだましだ。

407:日本@名無史さん
20/09/21 21:43:00.95 .net
>>338
さて、末盧から奴、不彌、小郡、久留米、八女山門(邪馬台国)へと行く道筋は遠回りであり、むしろ末盧から東南に松浦川を遡って多久に出て、
それから吉野ケ里、鳥栖を通lり、筑後川を渡って八女山門(邪馬台国)に入るのが近道だ。

408:日本@名無史さん
20/09/21 21:43:00.99 .net
>>362
亮遺命葬漢中定軍山、因山為墳、冢足容棺、斂以時服、不須器物。
諸葛亮は漢中の定軍山に葬る事を遺命し、
山に因って墳とし、冢は棺を容れるに足る大きさで、時服にて斂め、器物は副葬させなかった。
つまり諸葛亮は大いに冢は作らせなかった

409:日本@名無史さん
20/09/21 21:49:28.94 .net
>>272
>クズ説は水行二十日、水行十日の時点で終わっている
クズ大和説は、
「水行二十日」が、不彌國から投馬國への「南への水行での所要日数」であり、
「水行十日」は、郡から女王之所都への行程の「水行移動部分の所要日数」である事が、
判らなかった時点でも、終わっている。

410:日本@名無史さん
20/09/21 21:50:09.84 .net
>>371
張政は誤認してなくて
卑弥呼の墓は魏志倭人伝の通り径140mの可能性もあるよ

411:日本@名無史さん
20/09/21 21:52:33.58 .net
>>374
>つまり諸葛亮は大いに冢は作らせなかった
「大いに・・」は大きいという意味ではない。多くの人が集まって大々的に・・という意味だ。
冢そのものの大きさはささやかでも、実際に100人もの奴婢を殉葬したわけだから、小山全体の大きさは百余歩だったのであろうな。

412:日本@名無史さん
20/09/21 21:54:49.83 .net
>>273
>>基盤台部分から成型造成がなされているんだから、
「類方形の錐体台」墓の墳裾は、当然、墳丘の一部だ。
>平らに整地しただけだ
基盤台部分を成型造成したとか、九州説らしい妄想でしかないぞ
あれは自然の山だから
自然の山や丘陵地域で平ら整地したんなら、そりゃ、成型造成だ。

413:日本@名無史さん
20/09/21 21:55:09.65 .net
>>377
祇園山古墳の親玉は大いに冢は作ってもらえなかった
あの小山の上でよかろ的な

414:日本@名無史さん
20/09/21 21:56:05.10 .net
>>368
ああ、祇園山への道程だった。
卑弥呼の祭祀所は邪馬台国の山門に設けられていて、そこで祭儀を執り行っていた。
そこで、狗奴国が玉名から大牟田に侵入して山門の卑弥呼を攻め、激しく迫ったため、卑弥呼は邪馬台国の最北端にある広川にまで避難した。
そして、そうこうするうちに、高齢の卑弥呼はその広川で急死し、広川のすぐ東にある高良山系の先端部分に造られた墳墓に葬られた。
その墳墓が祇園山古墳であり、卑弥呼の墓ということになる。
これが今議論になっている祇園山古墳の成立のいきさつの真実。
なので、末盧から邪馬台国への方角、里、道筋はすでに書いた通り。
祇園山古墳はその邪馬台国の中の山の先端部に造られた卑弥呼の墳墓ということになる。

415:日本@名無史さん
20/09/21 21:57:06.15 .net
>>274
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」などの、
存在しない情報を脳内で作るのが
大和説

416:日本@名無史さん
20/09/21 22:00:05.65 .net
>>381
九州説さん、また嘘をついてますね?

417:日本@名無史さん
20/09/21 22:00:12.37 .net
>>276の訂正
>>216
>>「冢は、高さを感じる墳だ」という意味。
>つまり冢は墳の中でも大きいものだ
違うな。
「大きさ」なんて書いていないし、説文解字は言ってもいない。
要は、「冢」を墓に関する説明文言として使う場合には、
「聳えるように高さを感じる錐体台的な形状」を示す文言である、という事だ。
大和説ばかは、孔明の言葉を取り違えて逆に、冢が大きい、と言う
本当に大和説者はばかばかりだな

418:日本@名無史さん
20/09/21 22:01:40.99 .net
3世紀前半の博多に、全長約75m、後円部(冢)の直径約48mが造られているので
九州説の場合はこれより大掛かりな冢が3世紀後半の九州の下地域になければならない

419:日本@名無史さん
20/09/21 22:02:09.17 .net
>>380
畿内の大和の箸墓古墳は
円墳部分が魏の尺度で径百歩つまり140mちょうどあるよ

420:日本@名無史さん
20/09/21 22:02:22.03 .net
>>378
>自然の山や丘陵地域で平ら整地したんなら、そりゃ、成型造成だ。
あるものを削っただけじゃ整形だな
成形ではない
盛ってないだろ?

421:日本@名無史さん
20/09/21 22:04:01.77 .net
>>371
>その説が揺らいできている。
君が空想しただけじゃ、揺らがないよ

422:日本@名無史さん
20/09/21 22:05:33.15 .net
>>383
土盛で高くする(高墳)とどうしても全体的に大きくなる
「聳えるように高さを感じる錐体台的な形状」というのは反日朝鮮人以外は言っていない

423:日本@名無史さん
20/09/21 22:07:51.75 .net
>>277
>>(説文解字は冢の説明として)「大きさ」なんて書いていないし、言ってもいない。
>言い張っても無駄だ
当時の技術的にあまり急勾配は作れない
関係がない。「冢」は「錐体(台)」的な形状を言う文言であり、
大きさの事を言っているのでもなく、急勾配の事に断定しているのではない。
高いなら高いぶん必然的に底面積も大きくなる
大和説は「冢」の現実を認めろ

424:日本@名無史さん
20/09/21 22:10:20.75 .net
つまり冢は大きい

425:日本@名無史さん
20/09/21 22:13:21.24 .net
>>279
「同墳の墳丘が地山削出しの際、周囲の埋葬主体を上面カットしたと認められる」
という情報から
「斜面成形」なんて情報はまったく出て来ない
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘吐き騙しの大和説とは、
そういうものだ
文献解釈でも、まったく書かれてない情報を作り出し
書いてある、書いてあると言い張るのだ
そういう病状としか思えない

426:日本@名無史さん
20/09/21 22:15:36.87 .net
>>380
>高齢の卑弥呼はその広川で急死し、広川のすぐ東にある高良山系の先端部分に造られた墳墓に葬られた。
この位置関係は違う。
祇園山は、広川から北へ百里(7-8㎞)行った久留米にある。そしてその久留米は邪馬台国の範囲でなくて、別の国だったと云っておるぞ。
正しくは、高良山の西端は久留米と祇園山古墳であり、この久留米から高速で1区間下ったところに広川がある。
どうやら広川と久留米、久留米と鳥栖がごっちゃになっているのではないか??

427:日本@名無史さん
20/09/21 22:19:16.11 .net
>>282
「南≠東」や「冢≠東」や「正北抵新羅」の否定の、
史料事実や史料実態の否定の嘘吐き騙しの大和説のお爺さんの作り話は、
時としてムキになったりやけのやんぱちになったりはするが
海よりも深く、空よりも広い心をもつ九州説者らは
同じ国民であるお爺さんに、
いつも温かい心で答えてあげている
我国の歴史とは何の関係もない古田反日有害活動集団は完全除されている

428:日本@名無史さん
20/09/21 22:21:38.34 .net
>>393
九州説にできることは
罵ることだけなのかい?

429:日本@名無史さん
20/09/21 22:22:10.46 .net
>>286
「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅」などの、
史料事実や史料実態の議論に負けて、無力な大和説には、
荒らししか出来ない

430:日本@名無史さん
20/09/21 22:30:17.26 .net
>>296
>>「上面かットした」→その甕棺の上部を破砕した
>「その甕棺の上部」などと書かれていない 妄想する病気?
その甕棺の中央部を破砕したら、
その中の「鏡片や刀を所持した成人女性」の体も、破砕してしまう事が免れないが、
実際には破砕されていないから、
「その甕棺の上面だけを壊した」という事になる。

431:日本@名無史さん
20/09/21 22:36:06.82 .net
>>301
>>祇園山古墳の甕棺はKVfとされる形式で、年代は240年頃とされているな。
>70年代の研究ではね 今は違う 四世紀とされる
70年代の研究ではね 
今は違う 250年頃とされる

432:日本@名無史さん
20/09/21 22:36:26.66 .net
>>395
そんな史料実態はございませんよ

433:日本@名無史さん
20/09/21 22:37:40.56 .net
>>376
その可能性もある。
しかし、そのためには張政ら使節団が卑弥呼の墓を実見していたということが前提になる。
確かに魏歩で百歩くらいある、と実測したことが推定できないとね。
今までは、実測しただろうと思い込んで、魏歩で百歩だと書いてあるとみなしていたのだけど、
張政らが卑弥呼の墓を実見していないとなると、話は違ってくる。

434:日本@名無史さん
20/09/21 22:39:25.21 .net
どっちにせよ斜面整形など行われたなんて話は空想
現地調査者は誰も言っていない
山頂を平らに削ってその上に墳丘を作っただけ
墳丘は方墳だけだ

435:日本@名無史さん
20/09/21 22:41:09.02 .net
>>397
亀棺って弥生時代じゃないの?
祇園山の周りからは亀棺から箱式石棺墓まで
およそ200年くらいに渡って形成されたと思われる墓が存在する
よってそれらはいわゆる殉葬による死者ではないとされているのさ

436:日本@名無史さん
20/09/21 22:41:38.99 .net
>>399
倭人伝にいい加減な情報が書いてあったと認めると
九州説全体が崩壊するよ

いいんだね?

437:日本@名無史さん
20/09/21 22:41:46.99 .net
>>314
東大理系博士号自称男が、また、
「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅」などの、
史料事実や史料実態に反論出来ずに、
口先での騙し投稿宣伝だけになっている。
大和説が負けたのか

438:日本@名無史さん
20/09/21 22:42:45.77 .net
>>399
箸墓古墳は円墳部分がちょうど径百歩に相当するから
もしかして卑弥呼の葬儀に招かれた張政が実見してたかも知れないなあ

439:日本@名無史さん
20/09/21 22:43:05.77 .net
これだと李氏朝鮮時代に家畜扱いされたのもうなずける

440:日本@名無史さん
20/09/21 22:45:38.00 .net
>>316
>卑弥呼が死んだ248年ごろの墓が発掘されたところで、
同じ年に死んで甕棺や塚や墳に葬られた貴人・諸侯は全国にたくさんいる。年代一致だけでは何の証拠にもならない。
いや、祇園山は、日本で唯一、
「大作冢,徑百餘步,徇葬者奴婢百餘人」を満たし得る墓である。

441:日本@名無史さん
20/09/21 22:49:08.61 .net
>>397
>70年代の研究ではね 
>今は違う 250年頃とされる
それは真っ赤なウソ
甕棺KVfを240年頃としたのは1970年台の橋口編年
4世紀としたのは21世紀の久住編年

442:日本@名無史さん
20/09/21 22:50:29.97 .net
>>406
そうやって自分の思想を言い張るだけ
何も情報を持っていない
理由が言えない
それが九州説

443:日本@名無史さん
20/09/21 22:51:52.60 .net
>>322
「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅」などの、
史料事実や史料実態から帰納的確率的な推論を一切せず、
漢字の意味を個人の主観で新作するとか
傲慢な真似ができるのは、
皇国史観人種差別殺戮狂の大和説老人だけ

444:日本@名無史さん
20/09/21 22:53:46.87 .net
前スレが終了してから書き込んでください。
邪馬台国畿内説 Part641
スレリンク(history板:1番)

445:日本@名無史さん
20/09/21 22:54:55.16 .net
>>327
>橋口の単純に30年割り当ては末期の甕棺の年代がおかしい
久住の年代が福岡の他地域出土甕棺と整合している
ふーん。

446:日本@名無史さん
20/09/21 22:55:06.61 .net
>>392
現地に不案内なもんでね。
確かに地図でみると、祇園山古墳から4kmほど南が八女郡広川町の町境になる。
だとすると、邪馬台国の北限は久留米市の御井町あたりだった、と変更するよ。

447:日本@名無史さん
20/09/21 22:58:57.30 .net
九州王朝説は関西の朝鮮部落民だからね
九州のことは知らない

448:日本@名無史さん
20/09/21 23:00:39.45 .net
>>333
>複合遺跡の吉武高木からは古墳時代の須恵器が多く出ている
大和説学者らの「古墳時代」は、卑弥呼の墓の頃も含む。
ど素人が分類前のコンテナを覗いただけで判断するのは無理

449:日本@名無史さん
20/09/21 23:04:06.88 .net
>>412
魏志倭人伝には邪馬台国のある場所は
九州北部から南に水行して沖縄のあたりと書いてるぞ

450:日本@名無史さん
20/09/21 23:06:18.17 .net
出土した土器を分類してる学者の通説が畿内説

451:日本@名無史さん
20/09/21 23:10:28.48 .net
>>347
>方墳の裾に甕棺他がある
その上面がカットされてたと言ってるのだから
地山から方墳部分を削り出したということ
それはⅡC期(4世紀初くらい)以降
墳頂の石棺の年代は不明
祇園山の土器は「土師器の古い方」であるから庄内であり、
筑紫の庄内は3世紀前半であるから、
祇園山は、ほぼ3世紀前半頃でよい。

452:日本@名無史さん
20/09/21 23:17:13.06 .net
>祇園山の土器は「土師器の古い方」であるから庄内であり
学問じゃないw

453:日本@名無史さん
20/09/21 23:17:46.42 .net
>>355
「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅」などに反論せず、
否認するの大和説
能力なさすぎ

454:日本@名無史さん
20/09/21 23:20:39.24 .net
>>356
そして「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅」の否認などのように、
ひたすら史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘をつき続ける
絶対に証拠は出さない
それが大和説

455:uz
20/09/21 23:30:10.18 .net
>>370 > それが大和説//
  それはオ〆の脳内大和説。
オ〆の妄想の如何に係わらず、邪馬台国は大和だよ。

456:uz
20/09/21 23:31:59.44 .net
>>420 > 絶対に証拠は出さない それが大和説//
  それはオ〆の脳内大和説。
オ〆の妄想の如何に係わらず、邪馬台国は大和だよ、エテ公。

457:日本@名無史さん
20/09/21 23:34:43.88 .net
>>365
>倭人伝では少なくとも短里であろうが投馬、女王都まで水行1ヶ月徒歩1ヶ月かかるわけで北九州は無いでしょ、
いや、そんな事は書かれていない。
不彌國や邪馬壹國女王之所都で、萬二千余里がほぼ終わり、
群から「水行二十日、陸行一月」を要した、という書き方であり、
投馬國へは南へ「水行二十日」かかる、という説明である。
>それとその後東征毛人西服衆夷、違う奴等だよといってる
倭國は「正北抵新羅」に拠って、九州にある事になり、
だから「西服衆夷」は、「服=服従」の本義は自動詞であるから、
「西は(既に)周囲の衆夷を服属せしめ済みだ」という意味。

458:uz
20/09/21 23:36:14.49 .net
>>417 > 祇園山は//
  邪馬台国とは何の関係もない荒廃墳墓だよ。
盛り土は切り崩されて、集団墓地になっただけだ。

459:日本@名無史さん
20/09/21 23:38:15.70 .net
「郡から」と書いてあればな
書いてないものを挿入したら文意が変わる

460:uz
20/09/21 23:40:27.82 .net
>>423 > 萬二千余里が//
  道程記事は、いかなる所在説の根拠にもなりえない。
まさに会稽(紹興)東冶(福州)の東なりって、
そんなとこに倭があるわけないだろヴォケ、って意味だ。

461:uz
20/09/21 23:43:54.14 .net
>>419 >否認するの大和説 能力なさすぎ//
  オウム返ししか取柄のないオ〆には、なにもかもが無理なんだよ。
莫迦は身の程を弁えな。

462:日本@名無史さん
20/09/21 23:45:32.76 .net
その通りですよ西服衆夷、衆夷六十六国、衆夷、我々とは違う種です。

463:uz
20/09/21 23:50:41.66 .net
>>423 > 倭國は「正北抵新羅」に拠って、九州にある事になり//
  ならない。九州も倭の一部、ってだけだ。
頓珍漢なオウム返しに及んでも、邪馬台国は大和なんだよ、お莫迦さんん。

464:日本@名無史さん
20/09/21 23:54:50.52 .net
実際の地理では九州島の真北は海
対馬がぎりぎり半島東南部の真南

465:日本@名無史さん
20/09/22 00:18:28.45 .net
.

◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。

「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
URLリンク(www.seibutsushi.net)
 

ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!

.

466:日本@名無史さん
20/09/22 00:21:45.69 .net
>>423
(既に)なんて原文にない言葉を書き加えて
ニセ解釈を作る九州説って
トンデモですねえ

467:日本@名無史さん
20/09/22 00:29:35.87 .net
>>407 久住猛雄は、祇園山古墳の甕棺を土器編年のⅡC期に併行するとしているようだ。 そして、このⅡC期は布留1式新相に併行するとしている。 布留1式は、従来の年代では290年~350年とされるので、このことから祇園山古墳の甕棺を4世紀と言っているのだと思うが、 しかし、最近の土器編年では庄内3式(布留0式)の終わりが250年とされるので、それに続く布留1式は250年からの年代となる。 このことからして、祇園山古墳の甕棺は決して4世紀にはならないと思うよ。



469:日本@名無史さん
20/09/22 00:40:09.83 .net
>>433
>>11
◆10 実年代目安の参考
IIC期ー 布留1中相~布留1新

470:日本@名無史さん
20/09/22 01:01:23.97 .net
>>415
その沖縄あたりにある倭人伝の邪馬台国は、古代の中国人にとっての「幻の仙人郷=邪馬台国」とでもいうような固定観念であり、
倭人伝はそこまでの行程を入念に書いている。
この沖縄あたりの邪馬台国が現実の邪馬台国でないことは明らか。
倭人伝に先行する魏略では、冒頭に倭国の東千余里にまた別の倭種の国があると書いていて、
これを地理的にみると倭国は北部九州、倭種の国は奈良であることが分かる。
なので、北部九州にあった実際の邪馬台国と古代中国人の強固な固定観念である沖縄あたりの仙人郷の邪馬台国は別に考える必要がある。
ついでに言えば、倭人伝の幻の邪馬台国までの行程は、弥生時代に九州から沖縄へゴホウラ貝を仕入れに行った行程をそのままなぞったものであり、
水行何日などのデータは博多あたりの商人から仕入れたものだろう。
だから、末盧から南東に行き、それから有明海を水行二十日などといった具体的なデータは沖縄まで行くについての実に正確なものである。
まあ、そういうわけだから、現実の邪馬台国への道筋と、沖縄あたりの幻の邪馬台国への行程は別個にとらえる必要がある。
これまで多くの学者や研究者がこの迷路にはまりこんで、行程についてとてつもない解釈をしてきたが、
そのことについては倭人伝の実態についての理解不足のなせるわざであり、ご苦労さんとしか言いようがない。
いずれにしても、南東に行く行程は古代中国人の海上の仙人郷に対する強固な固定観念にもとづいた幻の邪馬台国に行くためのものであって、
実際の卑弥呼が女王を務めていた北部九州の邪馬台国とは別物であると思わなければならない。

471:日本@名無史さん
20/09/22 01:08:48.48 .net
>>435
魏の銅鏡や大きな墓である前方後円墳など
考古学的なものは畿内で見つかるよ

472:日本@名無史さん
20/09/22 01:09:54.45 .net
>>435
「沖縄あたりの邪馬台国が現実の邪馬台国でない」から
「倭国は北部九州、倭種の国は奈良であることが分かる」へ飛躍し過ぎで
考古を完全に無視している

473:日本@名無史さん
20/09/22 01:15:04.39 .net
文献上は邪馬台国は沖縄
考古学では畿内
九州説は怪しくなって来ましたなあ

474:日本@名無史さん
20/09/22 01:15:54.90 .net
>>434
まあ、久住猛雄の祇園山古墳出土甕棺の年代がⅡC期(布留1式新相)であるとする考えが、そのまま正しいものだとだれが保証するかだけどね。

475:日本@名無史さん
20/09/22 01:23:11.63 .net
>>437
完全に考古学のデータだけで邪馬台国は奈良と証明できてるなら、すでに纏向に卑弥呼の里館が建ってるはず。
それが建ってないところをみると、考古学のデータでは奈良が邪馬台国と証明できていない証拠よ。
そもそも、卑弥呼や倭国などは文献に出ているのだから、文献無視じゃ話にならんわな。

476:日本@名無史さん
20/09/22 01:24:24.15 .net
>>439
保証というのはしない
他の研究者の編年で久住の北部九州編年に異論があるかないかだけで

477:日本@名無史さん
20/09/22 01:28:08.58 .net
>>404
張政は迎賓所から出てないよ。

478:日本@名無史さん
20/09/22 01:29:03.21 .net
>>440
お前のは文献の都合が悪い記載を誤認や別個にとらえるとしてるだけ

479:日本@名無史さん
20/09/22 01:30:24.75 .net
>>441
よくは知らないが、祇園山の甕棺が4世紀だとする研究者が久住氏のほかにいるのかな。

480:日本@名無史さん
20/09/22 01:33:49.67 .net
>>444
福岡に他の編年案はないだろう

481:日本@名無史さん
20/09/22 01:38:44.03 .net
>>442
ちょっとは出たかも知れない

482:日本@名無史さん
20/09/22 01:45:52.52 .net
>>443
文脈における整合性をまず考えろよな。
そして、じっくり考えれば、その文章がどういう意図で書かれているか分かって来る。
短絡的に一か所だけみても、真相にはたどりつけんな。

483:日本@名無史さん
20/09/22 01:46:45.66 .net
>>446
伊都国を散歩したくらいだろう。

484:日本@名無史さん
20/09/22 01:49:21.48 .net
>>448
畿内に卑弥呼の大きな墓があると聞いて
瀬戸内海を船で渡って見に行ったかも知れない

485:日本@名無史さん
20/09/22 01:52:36.05 .net
>>447
お前の論拠はお前が考えた作り話だけ

486:日本@名無史さん
20/09/22 03:49:20.72 .net
>>445
まあ、橋本達也のKVf(祇園山古墳甕棺)=240年説は動かんな。
古墳時代に入ると甕棺自体が筑後地方で用いられなくなるというのが通説となっている。
しかも、その古墳時代も4世紀にまで筑後地方で甕棺が用いられていたとする論には出会わない。
久住氏の祇園山古墳甕棺ⅡC期(布留1式期)説は単独説であって、広く認められているようにはみえない。
現状としては、祇園山古墳甕棺は3世紀中頃説は動かないとみるのがよい。

487:日本@名無史さん
20/09/22 03:50:59.64 .net
>>450
否定しきれんだろ。

488:日本@名無史さん
20/09/22 04:49:30.91 .net
>>451
俺は知らない、俺はそう思わない
以外ひとことも
理由を言わないんだね
九州説ってさ

489:日本@名無史さん
20/09/22 05:03:24.16 .net
要するの九州説は
1970年代以前の旧説に無批判に依存してないと
消滅する
つまりオワコン

490:日本@名無史さん
20/09/22 05:06:00.75 .net
>>366
>魏の1歩はだいたい140cmくらい
百歩は約140mなので魏志倭人伝に径百歩とある卑弥呼の墓は
畿内にある前方後円墳くらいのサイズ
明帝や魏の役人らの1里は大体76.5m位であるから、
この大和説男も×。

491:日本@名無史さん
20/09/22 05:09:35.60 .net
>>455
あんたの言うこと、一切証拠ないよね

492:日本@名無史さん
20/09/22 05:25:52.11 .net
>>368
>末盧国から祇園山へ至る具体的な行程論(方角・里・道)はどうしたのだ。
さっぱり要領を得ないではないか。
倭人伝の行程説明を、
人類の常識通りの「出発説明+途中説明+到着説明」の順に書かれている、
として理解すれば、博多湾岸の不彌國で萬二千余里がほぼ終わっており、
その南になる邪馬壹國女王之所都は、不彌國から残り里数がほぼ0里になり、
邪馬壹国は「福岡平野中央部から筑紫平野及びその周辺丘陵地」になり、
卑弥呼の所都は、松野氏姫氏系図が記録する「大野」になり、
卑弥呼の墓は、卑弥呼の出身母体であった姫氏の居住中心地域の、
熊襲や狗奴國や伊都国や奴国のほぼ中央にある祇園山古墳になる。

493:日本@名無史さん
20/09/22 05:31:23.57 .net
新しく進んだ研究をことごとく拒否するが反論はしない
古い説を盲信するが、そっちの方が正しいという理由は一切言えない
違うか?
違うというなら反論しろよ
理由を言ってみろよ
できないだろ
そんな拒絶と盲信だけでしがみ付いてる終わった説
それが九州説だよ

494:日本@名無史さん
20/09/22 05:36:10.96 .net
>>376
>張政は誤認してなくて
卑弥呼の墓は魏志倭人伝の通り径140mの可能性もあるよ
魏朝や明帝や魏の役人らは、「1里≒76.5m」の周髀算経里を使っており、
「径百余歩」は、ほぼ25.5m~30m位になり、祇園山でピッタリであり、
張政らは誤認していない。

495:日本@名無史さん
20/09/22 05:40:59.91 .net
>>382
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘吐き騙しの大和説者さん、
また嘘をついてますね?

496:日本@名無史さん
20/09/22 05:48:28.79 .net
>>384
>3世紀前半の博多に、全長約75m、後円部(冢)の直径約48mが造られているので
九州説の場合はこれより大掛かりな冢が3世紀後半の九州の下地域になければならない
那珂八幡は、
冢ではなく前方後円墳であるから、勿論卑弥呼の墓ではなく、
また天円地方を知ったが平原1号に埋葬された壹與の墓でもなく、
壹與の次の男王らの墓になるから、3世紀後半半ば過ぎであり、
だから、この大和説?男も、×。

497:日本@名無史さん
20/09/22 05:57:35.80 .net
>>385
>畿内の大和の箸墓古墳は
円墳部分が魏の尺度で径百歩つまり140mちょうどあるよ
畿内なんて存在もしていな�


498:ゥった嘘吐き騙し文言であるから、×であり、 大和の前方後円墳は、 「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などの、 史料事実や史料実態に拠って、×であり、 しかも箸墓は、布留1であるから4世紀であり、 また「径百余歩」は当然「(方形ではない)不定形の長径表現」であるから、 箸墓は全く合わず、始めから×。



499:日本@名無史さん
20/09/22 05:59:52.14 .net
>>459-461
そうやって
なんにも理由を言わず
「俺様の主張」結論部分だけ連呼する
理由がないから九州説はお互い理解し合えない
だから九州説はいつまでも一人一説のまま連帯できない
だから少数説なんだよ

500:日本@名無史さん
20/09/22 06:03:23.08 .net
>>386
>>自然の山や丘陵地域で平ら整地したんなら、そりゃ、成型造成だ。
>あるものを削っただけじゃ整形だな 成形ではな 盛ってないだろ?
削って出てきた「土」は、当然基盤台や冢部分の成型に使うもんだ。

501:日本@名無史さん
20/09/22 06:06:50.03 .net
>>390
>つまり冢は大きい
孔明は「冢」を、
「大きい」という意味には使っていない。

502:日本@名無史さん
20/09/22 06:06:58.42 .net
>>464
その「当然」って、誰が決めたの?
あんたが一人で勝手に理由もなく決めtんでしょ
現に「基盤台」の成形なんて存在しない

503:日本@名無史さん
20/09/22 06:13:06.99 .net
>>465
使わなくたって、冢は大きい物なんだよ
それを小さく作れというのが修辞だ
対句になってるから漢文が読める者なら分かる

504:日本@名無史さん
20/09/22 07:25:20.36 .net
>>457
>倭人伝の行程説明を、
>人類の常識通りの「出発説明+途中説明+到着説明」の順に書かれている、
>として理解すれば・・・、
「として理解すれば・・」の仮定条件付きでは全く話にも議論にもならん、悪いクセだ。

505:日本@名無史さん
20/09/22 07:32:43.12 .net
>>467
大いに・・、
これは、大きい小さいの対句ではない。原文通り「大いに」であり、対句は「ささやかに」となる。

506:日本@名無史さん
20/09/22 07:36:38.84 .net
>>469
あんた何の話か分かってないだろう

507:日本@名無史さん
20/09/22 07:46:30.00 .net
>>457
>卑弥呼の所都は、松野氏姫氏系図が記録する「大野」になり、
この「大野」は、肥後と豊後の中間の大分県大野郡(大野郷)のことと見るべきだろうな。

508:日本@名無史さん
20/09/22 08:01:41.97 .net
>>471
こんなかんじで、いつも決してマトモな説明ができないのが九州説
だから他人から理解されない
それで一人一説の少数派で終わる

509:日本@名無史さん
20/09/22 08:14:12.92 .net
>>472
末盧国から邪馬台国へ至るマトモで具体的な行程論(方角・里・道)はどうしたのだ。
さっぱり要領を得ないではないか。

510:日本@名無史さん
20/09/22 08:19:11.01 .net
偽書松野なんか謳ってる頭の湧いた考古学者の論文がどこにあるんだよボケカス

511:日本@名無史さん
20/09/22 08:33:53.59 .net
華奴蘇奴国が秦王国の前身ですよ、狗奴国が河内。河内が通り難いんで投馬が出雲。

512:日本@名無史さん
20/09/22 08:52:02.22 .net
華奴蘇奴国はハナゾノ国かもな

513:日本@名無史さん
20/09/22 09:19:02.01 .net
>>393の訂正
>>282
「南≠東」や「冢≠東」や「正北抵新羅」の否定の、
史料事実や史料実態の否定の嘘吐き騙しの大和説のお爺さんの作り話は、
時としてムキになったりやけのやんぱちになったりはするが
海よりも深く、空よりも広い心をもつ九州説者らは
同じ国民であるお爺さんに、
いつも温かい心で答えてあげている
しかし、我国の歴史とは何の関係もない、
人種差別ヘイトスピーチ的な有害投稿や、
極右殺戮戦争を鼓舞扇動する有害投稿は、ほぼ完全に、黙殺排除せしめている

514:日本@名無史さん
20/09/22 09:33:58.46 .net
>>394
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘つき騙しの大和説者にできることは
国民を騙して、近隣諸国民へのヘイトスピーチで憎悪を罵り、
殺戮戦争を煽ることだけなのかい?
諸行無常。栄枯盛衰。盛者必滅。万物流転。奢る大和説者久しからず。
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と云えり。
人類皆兄弟。奢る国家国粋主義者久しからず。

515:日本@名無史さん
20/09/22 09:34:23.63 .net
土台人古田が集めた反日集団を差別したのは朝鮮の両班

516:日本@名無史さん
20/09/22 09:37:10.01 .net
花園だとしても華夷ど真ん中でやっぱ秦王国でしょ、筑紫国の次だから宇佐だね

517:日本@名無史さん
20/09/22 10:02:30.55 .net
>>402
通説大和説学者らが、
同時代の魏の役人たちの実地の見聞計測の記録を元にして陳寿が紹介した倭人伝に対して、
「いい加減な情報が書いてあった」と主張すると
大和説全体が崩壊するよ

518:日本@名無史さん
20/09/22 10:10:13.92 .net
>>404
>箸墓古墳は円墳部分がちょうど径百歩に相当するから
箸墓は前方後円墳であり、(正方形ではなく)不定形であり、
「径」は「不定形の長径」の計測であるから、
箸墓の円墳部分だけの直径で議論する大和説者自体が、×なの。
>もしかして卑弥呼の葬儀に招かれた張政が実見してたかも知れないなあ
実見していなければ「卑彌呼以死,大作冢,徑百餘步,徇葬者奴婢百餘人」なんて、
記録出来るものではない。

519:日本@名無史さん
20/09/22 10:10:39.20 .net
倭人伝に記載の倭人に特徴的な風習である卜骨が
山陰、瀬戸内、畿内、東海、関東で多く出ているのでいい加減な情報ではない
九州からは庄内式を模倣する時期に山陰、畿内の土器とともに2か所だけ出るようになる

520:longinus_bouz
20/09/22 10:17:27.82 .net
>>442 > 張政は迎賓所から出てないよ//
  そんな訳ないでしょ、物見遊山に行ったんじゃないんだから。
告諭対象の卑弥呼が既に死んでいて(以死)、
邪馬台国が騒乱状態で王も定まらない状態だったんだから、
情報求めて駆けずり回ったんだよ。辺縁国の記載もそれゆえだ。
最終的には投馬国(まぁ、出雲だ)に滞在して、
邪馬台国の後継体制が立ち上がるのを見届けて、
使命を果たしに邪馬台国へ赴いた、という事だ。
そのためには、卑弥呼墓である箸墓のあり様を、正確に記載しなければならなかった。
>>455 > 明帝や魏の役人らの1里は大体76.5m位であるから//
  短里なぞ存在しない。距離単位の里は、
定義としてはキッチリ500mであり(mと同じで、地球円周から定めた)、
1里が360歩なら、1歩は1.4m、百歩は140mであり、箸墓に一致する。
張政が見た時点では、径百歩の墳墓は箸墓しかなかったのだから、
彼は使命に基づいて、それを正確に報じる必要があった。
それゆえ後世の我々は、箸墓が卑弥呼墓である事を知ることが出来る。

521:日本@名無史さん
20/09/22 10:24:53.07 .net
>>407
>甕棺KVfを240年頃としたのは1970年台の橋口編年
橋口は、筑紫の最終甕棺のKVfを、3世紀後半にして、
それに祇園山の甕棺をくっつけていた、という記憶があるが、
彼は、祇園山に甕棺が3個ある事や、個々の甕棺の差異がある可能性を、
考慮しなかったような記憶がある。
>4世紀としたのは21世紀の久住編年
久住は、編年に関して、
「南→東」などの史料事実の曲解の大和説という、
「結論先にありき」というインチキ編年をしていた、という記憶があり、
根拠にならず、信用していない。

522:uz
20/09/22 10:25:01.03 .net
>>482 > 箸墓は前方後円墳であり、(正方形ではなく)不定形であり//
  張政が見た時点では円墳だったんだよ。既に前方後円墳だったなら、
使命ゆえに卑弥呼墓である箸墓のあり様を、正確に記載しなければならなかった彼は、
大喜びでそう書いてるよ、径百歩に方百歩の基壇あり、とでもね。
卑弥呼は突然に死んだので(以死)、墳墓は突貫工事で作らざるをえなかった。
昼は人が作り、夜は神が作ったという記紀の記載は、みるみる作られた様子を書いたのであり、
魏志の記載と一致する。

523:日本@名無史さん
20/09/22 10:28:44.35 .net
>>408
そうやって、
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」の否定などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘つき騙しをして、
自分の思想を言い張るだけで、
何も情報を持っていない
理由が言えない
それが大和説学者や大和説者

524:uz
20/09/22 10:29:11.17 .net
>>485 >「南→東」などの史料事実の曲解の大和説//
  それはオ〆の脳内大和説でしかなく、オ〆の妄想の如何に係わらず、
邪馬台国は大和なのであり、箸墓は卑弥呼墓なんだよ、エテ公。

525:日本@名無史さん
20/09/22 10:36:17.27 .net
橋口が甕棺の編年した'79はまだ吉野ヶ里すら調査されていない

526:日本@名無史さん
20/09/22 10:37:04.96 .net
>>415
>魏志倭人伝には邪馬台国のある場所は
九州北部から南に水行して沖縄のあたりと書いてるぞ
邪馬台国なんて、存在もしなかった嘘つき騙し文言であるし、
邪馬壹國を「ヤマト国」と読ませるためのインチキ読みであるから、×。
また、倭人伝の行程説明では、
九州北岸の不彌國やそのすぐ南の邪馬壹國女王之所都で、萬二千余里がほぼ終わっている記載であり、
沖縄なんてになる筈がなく、
この大和説男は、・・・・詐欺師。

527:日本@名無史さん
20/09/22 10:44:00.63 .net
>>416
>出土した土器を分類してる学者の通説が畿内説
年次が書かれた土器ではなく、単なる土器の相対編年では、
絶対年代の根拠にならず絶対年代も決められず、
そんな土器編年で、絶対年代を決定主張する通説大和説学者らの、
脳が異常。

528:日本@名無史さん
20/09/22 10:50:01.69 .net
>>491
つまり九州説は
土器編年のことを何も知らずにイチャモンつけてると
そういうことですか

529:日本@名無史さん
20/09/22 10:52:48.35 .net
>>485
>「結論先にありき」というインチキ編年をしていた、という記憶があり、
>根拠にならず、信用していない。
アナタの「結論先にあり」なインチキ記憶は
根拠にならず、誰も信用していない

530:日本@名無史さん
20/09/22 10:56:47.04 .net
土台人古田集団のような罵声専門反日チョンは日本には要らない

531:あご
20/09/22 10:58:39.55 .net
そろそろテレビの歴史番組で祇園山古墳を取り上げる勇気を持って欲しい。
いままで一度も邪馬台国を取り上げた内容で祇園山古墳を取り上げたことないと思う。

532:uz
20/09/22 11:03:41.88 .net
>>490 > 邪馬台国なんて、存在もしなかった//
  曹爽は邪馬台国なんて云ってますが、ありゃ実は邪馬一国なんですよ藁、
と、曹爽の政敵であり、晋を建国して三国志を編纂した司馬氏は云ってるんだよ。
邪馬台国は大和に存在し、邪馬一国は存在しなかった、史書の戯言の上でしかな。

533:日本@名無史さん
20/09/22 11:05:57.34 .net
>>418
>>祇園山の土器は「土師器の古い方」であるから庄内であり
>学問じゃないw
「土師器の古い方」という論になる事を主張した学者は、柳田や都出ら。

534:日本@名無史さん
20/09/22 11:12:42.81 .net
土師器の古い方であるから庄内である
などとは学者は言わない

535:日本@名無史さん
20/09/22 11:17:40.11 .net
>>430
>実際の地理では九州島の真北は海
対馬がぎりぎり半島東南部の真南
新羅の真南は、ほぼ平戸であり、
正北抵新羅になるのは北部九州であり、大和ではない。

536:日本@名無史さん
20/09/22 11:21:26.34 .net
何故日本固有の前方後円墳を拒絶し、築造年代を遅らせ
方形階段状古墳を卑弥呼の墓にしたがるかというと
朝鮮部落民だから

537:日本@名無史さん
20/09/22 11:22:34.84 .net
>>499
>新羅の真南は、ほぼ平戸であり、
じゃ、ダメじゃん九州説
方位違うわ

538:日本@名無史さん
20/09/22 11:24:51.23 .net
>>497
>「土師器の古い方」という論になる事を主張した学者は、柳田や都出ら。
真っ赤なウソ
かれらは祇園山から「土師器の古い方」が出たなんて言ってない
九州説発のデマだな

539:日本@名無史さん
20/09/22 11:24:52.22 .net
九州王朝説はやめて五島王朝説にしたらいい

540:日本@名無史さん
20/09/22 11:27:00.99 .net
末盧国から邪馬台国へ至るマトモで具体的な行程論(方角・里・道)はどうしたのだ。
ガラクタ土器の話しばかりで、さっぱり正答がないではないか。

541:日本@名無史さん
20/09/22 11:29:19.89 .net
>>495
>いままで一度も邪馬台国を取り上げた内容で祇園山古墳を取り上げたことないと思う。
そりゃそうだ
あれを「径百余歩」だなんてオンエアしたら
視聴率ガタ落ち間違いないもの

542:日本@名無史さん
20/09/22 11:30:25.62 .net
九州説はデマ多すぎだろ

543:日本@名無史さん
20/09/22 11:30:53.78 .net
>>432
>(既に)なんて原文にない言葉を書き加えて
ニセ解釈を作る九州説って
トンデモですねえ
当然、原文にはないが、その意図している事であるから、
・・・・あほの大和説者にも判るように、()をして書き足しておいた。
勿論、「東征毛人五十五國」が出来るには、
その前に、九州をほぼ服属せしめておかなければならない、
という事は当然であり、人類の常識である事だから。

544:日本@名無史さん
20/09/22 11:31:32.19 .net
KBSかKCBSに頼んだらいい

545:日本@名無史さん
20/09/22 11:32:39.05 .net
マスコミは誰もどこも祇園山をせせら笑ってるってこった(笑笑笑、、

546:日本@名無史さん
20/09/22 11:40:51.81 .net
>>504
末盧国(福津市辺り・万津浦) に上陸したら、東南の伊都国 (直方辺り) へお進みなさい。   
倭女王卑弥呼のお話しは、そこから始まります。   @阿波

547:日本@名無史さん
20/09/22 11:47:25.96 .net
>>509
その祇園山古墳は、「水銀朱」や「勾玉」「葺き石」「箱式石棺」等から、一発で筑紫忌部のお墓だと分かる。  @阿波

548:あご
20/09/22 11:47:26.70 .net
末蘆国というのは松浦国です、松浦はマツラと読みます。

549:日本@名無史さん
20/09/22 11:48:24.58 .net
その祇園山古墳は、「水銀朱」や「勾玉」「葺き石」「箱式石棺」等から、一発で筑紫忌部のお墓だと分かる。  @阿波

550:あご
20/09/22 11:50:09.98 .net
五島は伊邪国別国、倭国から西に一日水行

551:あご
20/09/22 11:52:16.37 .net
忌部氏の祖は徐福という説があります。

552:日本@名無史さん
20/09/22 11:52:20.53 .net
アゴたれw

553:日本@名無史さん
20/09/22 11:52:22.87 .net
>>507
>勿論、「東征毛人五十五國」が出来るには、
>その前に、九州をほぼ服属せしめておかなければならない、
つまり九州説は、原文にない言葉を書き足さないと不自然になる珍解釈をしてるのさ
語るに落ちたね

554:日本@名無史さん
20/09/22 11:52:50.79 .net
>>512
>末蘆国というのは松浦国です、松浦はマツラと読みます。

もし松浦や唐津や呼子が大陸からの玄関口だったら、もっと大陸の遺物が出土していなければならない。 
福津や宗像のようにね。  もっと冷静に現実を見ないとw  
また、魏使はおろか、元寇・朝鮮通信使も一度たりとも松浦や唐津や呼子に上陸していない。
あとは推して知るべし  @阿波

555:あご
20/09/22 11:54:12.81 .net
>>505
あなたの一歩は何センチですか?

556:日本@名無史さん
20/09/22 11:54:34.06 .net
九州説はニセ情報と捏造読みで出来てるからね

557:日本@名無史さん
20/09/22 11:55:43.10 .net
>>519
150センチだが、なにか?

558:あご
20/09/22 11:56:59.62 .net
遠賀川流域は面土国といわれてましたね

559:あご
20/09/22 11:58:58.46 .net
>>159
股下何センチですか?

560:日本@名無史さん
20/09/22 12:01:29.20 .net
吉野ヶ里周辺は面土国(米多郷・目達原)と呼ばれていました。

561:日本@名無史さん
20/09/22 12:03:21.26 .net
オレの股下は75㎝×2本、プラスα

562:日本@名無史さん
20/09/22 12:03:21.54 .net
>>522
誰に?

563:日本@名無史さん
20/09/22 12:08:37.97 .net
祇園山も惜しかろうが無理筋だな
時代違いだ

564:あご
20/09/22 12:09:59.21 .net
道鏡は坐ると三つこぶができ

565:あご
20/09/22 12:11:22.10 .net
祇園山古墳は3世紀中ごろですよ

566:日本@名無史さん
20/09/22 12:13:55.45 .net
>>433
>久住猛雄は、祇園山古墳の甕棺を土器編年のⅡC期に併行するとしているようだ。
そして、このⅡC期は布留1式新相に併行するとしている。
布留1式は、従来の年代では290年~350年とされるので、このことから祇園山古墳の甕棺を4世紀と言っているのだと思うが、
この書き方では、どうも、
筑紫の土器編年期と、同じタイプの土器の大和の土器編年期が同じ頃だ、
としているように見えますが、私は、筑紫の土器が先行していて、
大和や米田の越前の同じ土器は、筑紫に遅れる、という意見なんですよ。
>しかし、最近の土器編年では庄内3式(布留0式)の終わりが250年とされるので、
これも同じ。筑紫の土器編年と、同じ土器の大和の土器編年の区別が、ないようですね。
>それに続く布留1式は250年からの年代となる。
祇園山では「土師器の古い方」という説明であり、
私は筑紫の庄内だろう、という意見です。
>このことからして、祇園山古墳の甕棺は決して4世紀にはならないと思うよ。
賛成です。

567:日本@名無史さん
20/09/22 12:13:55.84 .net
>>529
根拠なし
無理筋ご苦労様

568:日本@名無史さん
20/09/22 12:15:11.32 .net
>>530
>祇園山では「土師器の古い方」という説明であり、
そんな説明は実在しないな

569:日本@名無史さん
20/09/22 12:17:25.81 .net
>>529
筑紫忌部のお墓に、そんなに一生懸命にならなくてもいいよ。 ご苦労様   わははははは   @阿波

570:日本@名無史さん
20/09/22 12:17:44.55 .net
>>530
>筑紫の土器編年期と、同じタイプの土器の大和の土器編年期が同じ頃だ、
>としているように見えますが、私は、筑紫の土器が先行していて、
>大和や米田の越前の同じ土器は、筑紫に遅れる、という意見なんですよ。
それで安物さんが庄内式九州起源論やらかして信用を完全に失った

571:日本@名無史さん
20/09/22 12:18:44.29 .net
要するに九州説は学問の常識を否定しないと成り立たない

572:日本@名無史さん
20/09/22 12:26:27.66 .net
>それで安物さんが庄内式九州起源論やらかして信用を完全に失った
安物さんは肥後嫌いで、何が何でも福岡県内に限定するからそうなるのよ
庄内式の発祥は、肥後の方保田東原遺跡などなど・・。

573:日本@名無史さん
20/09/22 12:27:54.01 .net
九州説が祇園山なんてちっさな墓を無理やり卑弥呼の墓候補に持ち上げなきゃならないのは、どんだけ九州説が不利かってことの端的なあらわれだね

574:日本@名無史さん
20/09/22 12:29:19.34 .net
>>536
あそこが糸島や博多を部下にできたと思う?
妄想だね

575:日本@名無史さん
20/09/22 12:29:51.27 .net
祇園山は古代仏教の聖地だ。
此のスレは爺やばかりで、聖地が気にはなるだろうが、残念ながら時代が違う。卑弥呼とは関係なし。

576:日本@名無史さん
20/09/22 12:30:26.55 .net
426
書いてあること見れば確かにそおなんだわな

577:日本@名無史さん
20/09/22 12:31:02.17 .net
>>537
畿内説も、近畿「忌部はん」 のお墓が大きいからと言って、舞い上がってはイカンぜよ。  わははははは   @阿波

578:日本@名無史さん
20/09/22 12:31:05.69 .net
どっちかっちゃ侵略者として日本にやってきてそれ自慢してる感じだからな

579:日本@名無史さん
20/09/22 12:32:41.88 .net
>>537
畿内説も、近畿「忌部はん」 のお墓が大きいからと言って、舞い上がってはイカンぜよ。  わははははは   @阿波

580:日本@名無史さん
20/09/22 12:32:53.71 .net
畿内にもヤマトがあり、九州にもヤマトがあった
ヤマトゥ=神の地の意味
卑弥呼は九州のヤマト
魏に対しては、我らがオールヤマトの代表ということにしたかったので、色々と嘘をついた
沖ノ島から出土した卑弥呼由来の宝物などから九州であることは明らか

581:日本@名無史さん
20/09/22 12:33:42.67 .net
>>436
>魏の銅鏡や大きな墓である前方後円墳など 考古学的なものは畿内で見つかるよ
ダメだ。畿内なんて存在もしなかったし、
大和の支配地を意図的に広くしたインチキ騙し文言であるし、
魏の銅鏡は、明帝の下賜の銅鏡百枚以外は殆ど存在せず、
それも平原や筑紫や、鏡片として使われたようで、
僅かに「青龍三年の顔氏作の方格規矩四神鏡」が可能性があるが、
それも同范鏡であるから、そんなみっともないものを明帝が下賜に選択する可能性が殆どなく、
また、その他の鏡は、殆ど「渡来の呉系楽浪鏡師」らの関与鏡にしかならないもの。
また、大和の前方後円墳は、卑弥呼の墓の冢ではないから、これも×。

582:日本@名無史さん
20/09/22 12:34:22.54 .net
>>538
おっ、いい指摘だ。
新しい渡来種族のあそこは、旧宗主国の糸島や博多と対立し、帯方郡を後ろ盾にして激しく戦ってきた。それが倭国大乱だったのよ。

583:日本@名無史さん
20/09/22 12:35:00.33 .net
ちなみに卑弥呼=日皇子は、太陽を崇拝しており、暦も太陽暦を用いていた
沖ノ島から出土した卑弥呼の銅鏡は太陽暦のカレンダーでもある

584:日本@名無史さん
20/09/22 12:36:24.98 .net
>>545
機内の銅鏡は卑弥呼の時代より後のもの
卑弥呼の属したヤマトゥが畿内に合流して、オールヤマトの本拠地が畿内になってから作られたものだろう

585:日本@名無史さん
20/09/22 12:39:59.43 .net
>>548
などと言い張るが
なにも証拠の出せない九州説

586:日本@名無史さん
20/09/22 12:40:12.61 .net
魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収
暦は何故か無かったようだ

587:日本@名無史さん
20/09/22 12:43:48.58 .net
お~お~それとな😃
天皇って呼称はかなり古くからあるらしく漢の時代あたりに書かれたのかな?って感じの向こうの文献にこ~ある
どっかの勾踐?とやら言うやつもまたどっかの天皇になったみたいなこと書かれとる

588:日本@名無史さん
20/09/22 12:45:16.81 .net
>>550
>暦は何故か無かったようだ
そりゃ月齢から潤まで計算できてこそ暦だという中国人がレベル高すぎだからだ

589:日本@名無史さん
20/09/22 12:46:58.25 .net
.

日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では7000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約5500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

.

590:日本@名無史さん
20/09/22 12:49:20.03 .net
倭人伝には、卑奴母離という副官職が登場する。
対馬や壱岐はまあそれとして、辺鄙でもない奴国や不彌国になぜ卑奴母離が要るのか。
この卑奴母離は辺地を守る武人ではなくて、邪馬台国から見て奴なる人民を守りする副官職で、
後世云うところの「○○の守」に相当したのだろう。
つまり、博多奴国や不彌国は邪馬台国の監視対象だったので、卑なる奴の守(卑那之守、卑奴母離)を�


591:uいたのだ。



592:日本@名無史さん
20/09/22 12:49:27.61 .net
>>553
あるいは渡来人はいたが貧乏人だった

593:日本@名無史さん
20/09/22 12:49:38.44 .net
そんなレベル高い中国から中国人とやらいたかよ😃

594:日本@名無史さん
20/09/22 12:52:01.02 .net
>>554
外国からの襲撃がありうる地区にはヒナモリが置かれたんだよ

595:日本@名無史さん
20/09/22 12:53:02.24 .net
>>556
いたな
高度な暦があった

596:日本@名無史さん
20/09/22 13:10:48.66 .net
>>438
>文献上は邪馬台国は沖縄 考古学では畿内 九州説は怪しくなって来ましたなあ
「邪馬台国」も「畿内」も存在もしなかった嘘つき騙し文言であるし、
「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などの、
史料事実や史料実態に拠って、文献でも考古学でも、
大和説は怪しくなって来ましたなあ

597:日本@名無史さん
20/09/22 13:16:18.49 .net
>>455
魏の1里は約430mと当時使われていた尺定規と
魏の度量衡が書いてある律歴志から判明しているぞ

598:日本@名無史さん
20/09/22 13:18:03.06 .net
>>449
>畿内に卑弥呼の大きな墓があると聞いて
瀬戸内海を船で渡って見に行ったかも知れない
畿内なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言であるから、×であり、
「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などの、
史料事実や史料実態に拠って、×。

599:日本@名無史さん
20/09/22 13:21:29.46 .net
>>453
「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などの、
史料事実や史料実態に関して、
俺は知らない、俺はそう思わない
以外ひとことも
理由を言わないんだね
大和説ってさ

600:日本@名無史さん
20/09/22 13:24:18.82 .net
>>561
魏志倭人伝には邪馬台国の位置は
会稽東治の東つまり沖縄と書いているのと
卑弥呼が貰った魏の鏡である魏年号の入った三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡が畿内から出る史料事実は
どう考えたらいいのですか

601:日本@名無史さん
20/09/22 13:24:23.21 .net
家畜層の妬み

602:日本@名無史さん
20/09/22 13:26:32.41 .net
>>454
要するに、
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」の否定などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘つき騙しの大和説は
1970年代以後の大和説に無批判に依存してないと
消滅する

603:日本@名無史さん
20/09/22 13:29:03.88 .net
>>458
「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅」などの、
新しく進んだ研究をことごとく拒否するが、反論はしない
古い説を盲信するが、そっちの方が正しいという理由は一切言えない
違うか?
違うというなら反論しろよ
理由を言ってみろよ
できないだろ
そんな拒絶と盲信だけでしがみ付いてる終わった説
それが大和説だよ

604:日本@名無史さん
20/09/22 13:33:37.51 .net
>>463
そうやって
「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などの、
史料事実や史料実態に対して、なんにも理由を言わず
「俺様の主張」結論部分だけ連呼する
理由がないから大和説者同士もはお互い理解し合えない
だから大和説は、いつまでも一人一説のまま連帯できない
だから国民や世界の中でも、少数説なんだよ

605:日本@名無史さん
20/09/22 13:38:03.26 .net
>>561
>「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などの、
>史料事実や史料実態に拠って、×。
それ、史料事実じやないよな

606:日本@名無史さん
20/09/22 13:38:43.03 .net
いたんか?

607:日本@名無史さん
20/09/22 13:40:05.15 .net
>>466
>現に「基盤台」の成形なんて存在しない
その上に、「四隅円弧の類方形の錐体台」的な墓を造るんなら、
その基盤は、ある程度、土も盛ったり、削ったりして、
平面になるように成型しておかないと、
錐体台が斜めになってしまって、崩れたりしてしまう事があるもんだよ。

608:日本@名無史さん
20/09/22 13:40:28.06 .net
>>569
かたいん

609:日本@名無史さん
20/09/22 13:42:23.91 .net
>>570
>その基盤は、ある程度、土も盛ったり、削ったりして、
>平面になるように成型しておかないと、
>錐体台が斜めになってしまって、崩れたりしてしまう事があるもんだよ。
それを実際やってない、ってことは
九州説終わりだな

610:日本@名無史さん
20/09/22 13:43:01.71 .net
>>467
>使わなくたって、冢は大きい物なんだよ
それを小さく作れというのが修辞だ
対句になってるから漢文が読める者なら分かる
孔明は、自分は墓は小さく簡素にして欲しかったんだよ。

611:日本@名無史さん
20/09/22 13:45:49.83 .net
>>468
>>倭人伝の行程説明を、
人類の常識通りの「出発説明+途中説明+到着説明」の順に書かれている、
として理解すれば・・・、
>「として理解すれば・・」の仮定条件付きでは全く話にも議論にもならん、悪いクセだ。
いや、「人類の常識通りに理解したから・・・」という意味だ。

612:日本@名無史さん
20/09/22 13:48:24.81 .net
祇園山古墳は小さいから小山のてっぺんを大雑把に平坦に削って盛れば
10人くらいでやっつけ仕事で半月だな

613:日本@名無史さん
20/09/22 13:49:43.17 .net
>>573
>孔明は、自分は墓は小さく簡素にして欲しかったんだよ。
「常識的な大きさ」よりね
つまり冢とは大きいのか、世間


614:じゃ普通



615:日本@名無史さん
20/09/22 13:54:55.81 .net
>>471
>>卑弥呼の所都は、松野氏姫氏系図が記録する「大野」になり、
>この「大野」は、肥後と豊後の中間の大分県大野郡(大野郷)のことと見るべきだろうな。
それ以外にも、
日田の近くの「黄金鉄鏡が出土した(邪馬國の)古墳?」付近にも「大野」の地名があるが、
筑前にも太宰府へ行く途中に「大野」がある。

616:日本@名無史さん
20/09/22 13:58:19.13 .net
>>472
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」の否定などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘つき騙しのように、
こんなかんじで、いつも決してマトモな説明ができないのが大和説
だから他人から理解されない
それで全員が一人一説の独自派で終わる

617:日本@名無史さん
20/09/22 14:03:21.54 .net
>>474
>偽書松野なんか謳ってる頭の湧いた考古学者の論文がどこにあるんだよボケカス
明治初期の東大教授の鈴木真年さんが収集した松野氏姫氏系図は、
国立国会図書館と静嘉堂文庫の二か所にある筈だ。

618:日本@名無史さん
20/09/22 14:05:17.14 .net
>>475
>華奴蘇奴国が秦王国の前身ですよ、狗奴国が河内。河内が通り難いんで投馬が出雲
「南≠東」や「正北抵新羅の倭國の中心は北部九州」などに拠って、×。

619:日本@名無史さん
20/09/22 14:07:17.18 .net
>>530
九州の土器編年と大和の土器編年は、どれくらいずれるという意見なんでしょうか。

620:日本@名無史さん
20/09/22 14:11:18.44 .net
>>484
>最終的には投馬国(まぁ、出雲だ)に滞在して、
邪馬台国の後継体制が立ち上がるのを見届けて、
使命を果たしに邪馬台国へ赴いた、という事だ。
「南≠東」や「正北抵新羅の倭國の中心は北部九州」などの史料事実や史料実態に拠って、×。

621:日本@名無史さん
20/09/22 14:12:04.87 .net
松野氏姫氏系図は熊襲の梟師の取石鹿文が書かれた
江戸時代の熊襲偽僭説の偽系図

622:日本@名無史さん
20/09/22 14:15:58.29 .net
毎日大量にデマと反日罵声流してるから
総連系企業から金もらってるんだろうね

623:日本@名無史さん
20/09/22 14:19:54.13 .net
>>486
大和の墓は、大手建設会社の試算では、相当な築造期間になるとされとるようだが。
書紀の記述は、倭人伝の記述をあてはめただけ。
書紀は大和が邪馬台国だと刷り込みたくて、必死だよ。
あの大和の墓を短期間でつくるのは無理。

624:日本@名無史さん
20/09/22 14:26:27.00 .net
>>484
無理無理。
檄を送って難升米へも台与へも告諭したんだから、直接会ってない。
ずっと迎賓所にいたのよ。
すべて倭国の役人からの伝聞情報だ。
卑弥呼の墓を実見してない。

625:日本@名無史さん
20/09/22 14:29:59.79 .net
>>506
>九州説はデマ多すぎだろ
大和説は「邪馬台国」や「畿内」や、
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などのように、
全部デマだろ。

626:日本@名無史さん
20/09/22 14:30:24.64 .net
>>574
>いや、「人類の常識通りに理解したから・・・」という意味だ。
その「常識」をどう決めたのかね?
お前さんの欲望でか?

627:日本@名無史さん
20/09/22 14:32:38.47 .net
>>482
径百歩や殉葬奴婢百余人だけの記述では実見とは言い難い。
これくらいなら、伝聞で十分書ける。
冊封国の王が死んで葬儀が行われたという記事にしては、細部が一切書かれてない。

628:日本@名無史さん
20/09/22 14:36:07.67 .net
>>589
>冊封国の王が死んで葬儀が行われたという記事にしては、細部が一切書かれてない。
それ、ほかの冊封国の王が死んで葬儀が行われて、細部が書かれる実例とか、あんの?
また九州説オウンゴール

629:日本@名無史さん
20/09/22 14:36:18.03 .net
>>579
誰も所蔵先なんか聞いてないんだが
おまえ国語力ゼロのパッパラパーなんじゃねえの?

偽書松野なんか謳ってる頭の湧いた考古学者の
 『論文』 がどこにあるんだよ

と言ってるんだが

630:日本@名無史さん
20/09/22 14:40:15.56 .net
>>520
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は北部九州」などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘吐き騙しの大和説は、
ニセ情報と捏造読みで出来てるからね

631:日本@名無史さん
20/09/22 14:42:24.68 .net
>>527
箸墓も惜しかろうが無理筋だな
時代違いだ

632:日本@名無史さん
20/09/22 14:47:24.67 .net
>>535
要するに、
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の倭国は北部九州」の否定などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘吐き騙しの大和説は、
学問や人類の常識を否定しないと成り立たない

633:日本@名無史さん
20/09/22 14:50:25.28 .net
>>537
大和説が
箸墓なんてでっか過ぎる墓を、
無理やり卑弥呼の墓候補に持ち上げなきゃならないのは、
どんだけ九州説が不利かってことの端的なあらわれだね

634:日本@名無史さん
20/09/22 14:51:54.57 .net
こういう罵声スピーカーの仕事は考える人は無理だな
オウム返


635:しは2、3人でやってる可能性もある こいつらを集めるのが朝鮮土台人古田の仕事だった



636:日本@名無史さん
20/09/22 15:06:35.98 .net
投馬国(ドゥマコク)が岡山の玉と出雲のどちらなのか?
発音から見ると玉なんだけど、陸行一月から見ると出雲なんだよな
山陰にドゥマという発音に近い場所ないか?

637:日本@名無史さん
20/09/22 15:19:16.80 .net
9000年前に作られた「石仮面」、旧石器時代から見つめるその不気味な眼差し
スレリンク(newsplus板)
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638:日本@名無史さん
20/09/22 15:46:37.47 .net
>>549
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の否定」などと言い張るが
なにも証拠の出せない大和説

639:日本@名無史さん
20/09/22 16:05:43.30 .net
>>554
倭人伝の卑奴母離の卑奴(ヒナ)は鄙(ヒ=田舎)の意味であると考えられているが、この田舎の意味は比較的新しいものであり、
3世紀当時に卑奴(ヒナ)は果たして田舎の意味で用いられていたかどうかはっきりしないのではないか。
この卑奴(ヒナ)は、次のように考えることができるように思う。
まず、倭人伝の卑奴(ヒナ)の言葉と狗奴国の狗奴(クナ)の言葉は対照している言葉だと仮定する。
そして、いずれも場所に関連する言葉とみなす。
そうすると、狗奴(クナ)のクは熊本(隈本)のクとし、その隅(ク)は奥まって薄暗いの意味が考えられる。
では狗奴(クナ)の奴(ナ)は何をあらわしているのかということになるが、この奴(ナ)は中(ナカ)のナと同じ言葉だと想定することができる。
中(ナカ)はナ・カの構成であり、カは場所を意味する処(カ=棲み処など)の意味を表しているとすることが可能だ。
となると、中(ナカ)のナは、例えば穴(アナ)の言葉をみると、穴(アナ)のアは開く、空くの意味を表し、何もない空間を意味しているとみなすことができ、
そして、その何も無い空間を表す空(ア)の言葉に「内側の場所」を表すナを加えて「何も無い内側の場所」を表したのが、穴(アナ)の言葉だと考えることができる。
そうすると、中(ナカ)のナもカ(処)と同じく場所を表している言葉であることが推定されるが、
場所を表すナとカのそれぞれの違いは、ナが「内側の場所」と場所の位置を示していることだといえる。
例えば、川の中洲に土塁を設けて浸水を防いだ居住区域を輪中(わじゅう、わなか)と呼ぶが、この場合の中(ナカ)は土塁の内側を意味しているので、
中(ナカ)のナが内側の場所を表す言葉であることの説明がつく。
このように考えると、狗奴国の奴(ナ)は「内側の場所」を表している言葉だとすることができ、
狗(ク)は隈(クマ)のクだとすると、狗奴(クナ)とは「奥まった(木々に囲まれた)薄暗い場所」の意味であることが考えられるのである。
では、卑奴(ヒナ)とはどのような場所を指しているのかということになる。(続く)

640:日本@名無史さん
20/09/22 16:12:15.96 .net
>>590
いや、張政が卑弥呼の墓を実見したのなら、もう少し詳しく書けるんじゃないかってこと。
前方後円墳の箸墓なら、「円墳と方墳あり、その差し渡し長大」とかなんとかね。

641:日本@名無史さん
20/09/22 16:40:37.17 .net
>>560
>魏の1里は約430mと当時使われていた尺定規と
尺定規は尺寸系の定規であり、里歩系の里の長さとは関係がないから、
論拠になっていない。
>魏の度量衡が書いてある律歴志から判明しているぞ
律歴志も、誰が何時、どこで?、書いたものなのか?が問題になり、
魏朝では、初代文帝の「度量衡の同一化」の指示の詔書や、
重臣たちの「周制への復古」の上表や、
明帝の周髀算経の一寸千里の里(短里)の採用で、
明帝も魏の役人らも、短里を採用し使用していた。

642:日本@名無史さん
20/09/22 16:43:15.81 .net
倭人伝には、卑奴母離という副官


643:が登場する。 対馬や壱岐はまあそれとして、 世有王の伊都国のすぐ隣の、全く辺鄙でない奴国(博多)や不彌国(宇美)になぜ卑奴母離が要るのか。



644:日本@名無史さん
20/09/22 16:47:41.91 .net
>>601
東夷伝では各国をそれほど詳しくは書いてない

645:日本@名無史さん
20/09/22 16:48:20.50 .net
>>600
狗奴国の狗奴(クナ)は以上のような意味の言葉だとすると、卑奴母離の卑奴(ヒナ)の意味は次のように推定することが可能だ。
卑奴(ヒナ)のナは「内側の場所」の意味とすると、卑(ヒ)は何を意味しているのかということであるが、
後代にヒナ(鄙)は田舎の意味に用いられるようになるので、では田舎とはどのような場所であるのかを考えると、
田舎は稲穂が揺れる水田があり、広々とした空間が開けている情景は3世紀頃も今と変わらないであろう。
そうすると、稲穂の揺れる水田が広がる空間には、日が溢れんばかりに射していることになる。
稲には日照が不可欠であるから、水田には日陰はなく、そこは日射しが溢れる場所だということである。
その日射しが溢れる水田の場所は、日本の場合はたいがいが谷筋に作られていて、周りは木々が生い茂る山が取り囲んでいる。
この水田の景観を表現すれば、「山々に囲まれた内側の日射しの多い明るい場所」がヒナであり、そのヒは日を表していると考えることができる。
そして、狗奴(クナ)が「木々に囲まれた奥まった薄暗い場所」の意味であるとしたのとは対照的に、卑奴(ヒナ)は「山々に囲まれた内側の日射しの多い明るい場所」を表した言葉だと推定することができるのである。
この水田のある場所が家並みが続く都市と比べて田舎(いなか)と観念されるようになる前は、ヒナは単に水田の多い明るい場所という意味であったとみなすことができるのではないだろうか。


そうすると、この水田


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