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箸墓古墳は、墳長が約278メートル、後円部の直径が約150メートルであり「百余歩」よりも桁違いに大きい。
長里なら、「百余歩」は、180メートル強だから、後円部の直径にほぼ等しいが、墳長としては短い。
だから、箸墓古墳は、最初円墳として築造され、後に前方部分が付け加えられたという後円部先行説がかつて唱えられた。
『三国志』魏書東夷伝倭人条を含む『三国志』では、「塚(冢)」と「墳」が
区別されていたことに注意しよう。
『三国志』には「山に因りて墳を為し、冢は棺を容るるに足る」という諸葛亮伝
の発言や、通常、大君公侯の墓が「墳」であったという記事があり、高さのある
人工の大きな墓を「墳」と呼び、棺を入れるのに十分な程度の高さしかない墓を
「冢」というように区別していたことが窺える。
よって畿内説は破綻しました