邪馬壹國は北部九州に在ったpart6at HISTORY
邪馬壹國は北部九州に在ったpart6 - 暇つぶし2ch365:日本@名無史さん
17/06/21 13:18:21.66 .net
古事記では宗方三女神はニニギの天孫降臨に付き従うのだが、書によって場所が違うことがある。
筑後にも祭るところがある。

366:日本@名無史さん
17/06/21 13:20:12.13 .net
>>359
問題はその年代だよ。
3世紀の時点で九州北部を中心とした政権なのか、すでに畿内を含む西日本全体の広域国家であったのか。
後者であった考古学的証拠はない。

367:日本@名無史さん
17/06/21 13:29:49.09 .net
>>361
だから倭人伝の記述が重要なんだ
卑弥呼が伊都国に居て倭を支配していたとあるから
3世紀の時点では九州北部を中心とした政権であり
西日本もまだ未統一
朝鮮半島も三韓時代で未統一だし
日本も同じ様な状況だったんだろうな。

368:日本@名無史さん
17/06/21 16:26:38.84 .net
>>362
>卑弥呼が伊都国に居て倭を支配していたとあるから
そんなウソを言ってまで・・・

369:日本@名無史さん
17/06/21 16:31:15.03 .net
>>362
ウソにウソをつなげる循環論法・・・

370:日本@名無史さん
17/06/21 16:35:42.66 .net
怪しさ満点、東の歴博、西の糸博

371:日本@名無史さん
17/06/21 17:02:07.89 .net
■2世紀から4世紀まで
スサノオ(帥升)107年




ヒメ踏鞴  (3世紀初)神武 
ヒメ踏鞴        綏靖  
ヒメ踏鞴        安寧  
トヨ津         懿徳 孝昭 
トヨ津         孝安    ​     
     磯城の台頭  孝霊 孝元 開化
    崇神(4世紀初~前)
天才のHP
URLリンク(o-yan216.wixsite.com)

372:日本@名無史さん
17/06/21 17:02:39.10 .net
誹謗中傷しかできずに反論する能力の無い人はこんでいいw

373:日本@名無史さん
17/06/21 17:04:06.97 .net
>>362
>卑弥呼が伊都国に居て倭を支配していたとあるから
よくもまぁこんな嘘を平気で書けるもんだ。
福岡のカッペには反吐が出るぜw

374:九州王
17/06/21 17:09:19.89 .net
>>368
おれは福岡じゃないんだがな
ちゃんと反論してよwww

375:日本@名無史さん
17/06/21 17:19:40.87 .net
>>369
「世有王皆統屬女王國」  「代々国王がいて、みな女王国に統属している」

376:日本@名無史さん
17/06/21 17:42:33.43 .net
>東南陸行五百里、到伊都国、
>世有王、皆統属女王国。郡使往来常所駐。
魏の時代には伊都国に(女)王がいて、周りの国は皆が女王国(伊都国)に従っていた。
伊都国は郡使が往き来して常にとどまるところでもある。
漢の時代には倭奴国に王がいた事を意識したのかもしれないが、
漢委奴国王印は伊都国に伝えられて来たとの伝承もあるので(細石神社)、倭奴国と伊都国は本質的に同じものだったかもしれない。
それなら、魏がすんなりと卑弥呼を倭奴国の後継と承認したのも理解できる。

377:日本@名無史さん
17/06/21 17:45:56.64 .net
「世有王」
伊都国の説明の中に入っちゃってるけど、魏略と照らし合わせてみても
「倭の各国に王がいた」とすべきだと思うがなあ

378:日本@名無史さん
17/06/21 17:52:22.68 .net
>>370
それがどうした?
誰かの日本語訳を反論には使えないよ。
それが正しいかどうか?がわからないからね。
漢文の読み方の問題。
反論するなら、
伊都国王=皆としなければならない理由は?
各国=皆としてはいけない理由は?
が必要。

379:日本@名無史さん
17/06/21 17:55:45.16 .net
>>361
北部九州の邪馬台国連合がクナ国を滅ぼした勢いで出雲、吉備や四国の各国を邪馬台国連合に
吸収して東進したのが神武東征と言われてるものだと思う
難波から奈良盆地に入ろうとした邪馬台国軍が長髄彦の反撃食らったのも事実だろう
トヨの東晋朝貢から150年間暗黒時代だけど広開土王碑とか見る限り
4世紀後半には倭が朝鮮半島南部に進出してたのは明白なので
4世紀半ばまでの100年で北陸、関東まで支配するヤマト王権の基盤を固めたんだろうな
戦国時代が120年続いたけど戦国大名の規模が巨大化するに連れ統一への速度が加速度的に速まる
邪馬台国の時代も北九州連合がクナ国撃破した頃は出雲や吉備でも◯◯連合が成立しつつあり
一度戦に勝ったり、話が付けば連合の領域は巨大になるから他の


380:地域も飲み込んでいったんだろう



381:日本@名無史さん
17/06/21 17:59:37.13 .net
>>371
>魏の時代には伊都国に(女)王がいて、
(女)王? なんでそ~~なるの!
>周りの国は皆が女王国(伊都国)に従っていた。
女王国(伊都国)に従っていた? なんでそ~~なるの!

382:日本@名無史さん
17/06/21 18:00:48.11 .net
>>372
魏略に照らし合わせるとそうなるね

383:日本@名無史さん
17/06/21 18:05:17.15 .net
>>376
清代の寄せ集めの魏略に合わせる??? 清代に???  アホ?

384:日本@名無史さん
17/06/21 18:10:16.81 .net
>>372
各国に王がいたのは昔の話だろう?
魏の頃は邪馬台国と狗奴国だけだよ。

385:日本@名無史さん
17/06/21 18:13:59.72 .net
>>374
>4世紀後半には倭が朝鮮半島南部に進出してたのは明白なので
もともと倭国は対馬海峡の国として成立したことが漢書からわかる。
あと、広開土王碑は朝鮮半島北部だよね?
>4世紀半ばまでの100年で北陸、関東まで支配するヤマト王権の基盤を固めたんだろうな
九州北部からなら、朝鮮半島や北陸へは容易に侵攻できるが、関東は容易ではない。

386:日本@名無史さん
17/06/21 18:14:42.31 .net
>>378
王でなくても首長はいたでしょ

387:日本@名無史さん
17/06/21 18:16:42.61 .net
王はヒラの首長とは区別されるよ。

388:日本@名無史さん
17/06/21 18:31:11.78 .net
>4世紀半ばまでの100年で北陸、関東まで支配するヤマト王権の基盤を固めたんだろうな
北陸は、阿波から進出して日本海を制した北陸忌部が基盤を固めたんですよ。
関東は、阿波から黒潮の乗って関東に進出した関東忌部が基盤を固めたんですよ。

389:日本@名無史さん
17/06/21 18:33:43.96 .net
トヨを復立したのはヒラの首長だろ

390:日本@名無史さん
17/06/21 18:41:33.40 .net
卑弥呼は、伊都国なんかにゃいなかった。
伊都国の東の不彌国からみて、もっとずっと南のほうにいたと明記されておるわい
怪しさ満点、西の糸くず

391:日本@名無史さん
17/06/21 19:39:08.64 .net
>>355
そのHPをなにかと持ち出す人が多いのですが、
内容をよく見ていないようで嘆かわしいことです。
そのHPの古墳のうち、「世有王」の魏代、つまり3世紀前半~中期の王墓を挙げてみてください。
考古学的に、諸国に王なんていませんよね?
他によく誤引用されるケースとして、
「全時代の分布図」を持ち出して、邪馬台国の範囲とするケースがあります。
しかし、よく見てみると、
邪馬台国3世紀までの王墓は全て筑紫に集中しており、
筑後は4世紀前半の祇園山が最初
熊本に至っては5世紀に入ってからであり、邪馬台国の時代に王はいません。

392:日本@名無史さん
17/06/21 19:48:19.59 .net
>>385
王墓の定義は何?

393:日本@名無史さん
17/06/21 20:00:15.40 .net
>>385
その年代の根拠は?

394:日本@名無史さん
17/06/21 20:00:56.31 .net
副葬品

395:日本@名無史さん
17/06/21 20:07:35.19 .net
>>388
墓があるだけで王墓なんじゃないか
富める国と貧乏国との差も考慮すべきだろうし

396:日本@名無史さん
17/06/21 20:08:06.03 .net
>>385
>邪馬台国3世紀までの王墓は全て筑紫に集中しており、
糸島が伊都国などには成り得ない。
糸島市と宗像市の遺跡数を比べれば一目瞭然。
URLリンク(park20.wakwak.com)
考古学は残酷
遺跡は弥生前期・中期がほとんど。もう峠を過ぎたことが良く分かる。  @阿波

397:日本@名無史さん
17/06/21 20:12:42.09 .net
その峠を過ぎた筑紫を再興したのが、阿波から進出した、筑紫忌部なんですよ。  @阿波

398:日本@名無史さん
17/06/21 20:24:50.67 .net
>卑弥呼以死、大作冢。径百余步。徇葬者奴婢百余人。
卑弥呼の墓は、魏代の薄葬令に準拠した「冢」という形式のものだった。
「冢」は「墳」にあらず
あらゆる古墳のデータを列挙し、あらゆる古墳を調査したところでみつかるわけないわな。

399:日本@名無史さん
17/06/21 20:31:01.05 .net
>>392
「冢」がそう言うもんだって根拠でもあるの?
創作ラノベ?

400:日本@名無史さん
17/06/21 20:34:20.70 .net
4世紀までの北部九州なら、三種の神器が副葬されている、
あるいは盗掘されていても三種の神器が副葬されていた形跡がある、
というのが王墓の最低条件でしょうね。
邪馬台国時代の北部九州は王墓が減少して弱体していると指摘したのは畿内説ですが、
九州説の解答としては、
そもそも邪馬台国と狗奴国に分裂して争っていたし、
邪馬台国は女王卑弥呼に権限集中して、しかも長期政権だったから、
ゆいいつ平原遺跡だけが突出して存在している、という解答でしたね。
>>392
そうですね。古墳は大きすぎますね。
墳丘墓である平原遺跡が卑弥呼の墓には最適ですね。

401:日本@名無史さん
17/06/21 20:37:49.07 .net
>>393
おまい、諸葛孔明を知っているだろうな。
その諸葛孔明の遺命は、こうだ。
「葬漢中定軍山、因山為墳、冢足容棺、不須器物」
すなわち、「冢」は「墳」にあらずなのだ。

402:日本@名無史さん
17/06/21 20:53:15.88 .net
魏志東夷伝韓条の記述
・居處作草屋土室、形如冢
URLリンク(www.geocities.jp)
倭人伝の時代の中国では、「墳」と「冢」は使い分けられていたのである。
故に、箸墓古墳などの前方後円墳や平原の方墳は、卑弥呼の「冢」ではありえない
墳とは、被葬者以外の副室、副施設、副葬品、従者像、侍女像等々、
あの世での生活を支援する莫大な用品や人馬像などの埋葬設備・施設・スペースで、山丘のごとき大陵。
冢とは、本人の棺を収めるわずかなスペースであり、あの世で本人が起居就寝するであろう草ぶき家のごとき形状のものだったのだ。

403:日本@名無史さん
17/06/21 21:12:51.07 .net
>>396
この頭の悪さは阿波厨か?
魏志倭人伝に「径百余歩」と書かれておる
東夷伝の尺で25m
魏本国の尺だと150m

404:日本@名無史さん
17/06/21 21:18:08.80 .net
>>394
>ゆいいつ平原遺跡だけが突出して存在している、という解答でしたね。
空前絶後の豪華な副葬品を持つ平原遺跡があるので、弱体なんてありえないですね。
畿内にはこれを超える副葬品が出土しないわけですから。
>>394
>あるいは盗掘されていても三種の神器が副葬されていた形跡がある、
>というのが王墓の最低条件でしょうね。
そもそも畿内の古墳の大半が三種の神器がなかったので、畿内勢力は倭国王ですらなかったようです。

405:日本@名無史さん
17/06/21 21:20:55.82 .net
>>395
きみ学がないね

406:日本@名無史さん
17/06/21 21:23:35.96 .net
>>398
お前の空想世界じゃ貯金のある失業者とか居ないんだろうな

407:日本@名無史さん
17/06/21 21:45:27.20 .net
>>400
やっぱり阿波厨か
なんでこのスレに迷い込んできたのかな?
ここは君のような素晴らしい常識人が来るべき場所じゃあない
畿内説スレへお帰り

408:日本@名無史さん
17/06/21 21:48:13.05 .net
>>397
それが墓域の範囲か?
冢の大きさを表すか?
が不明。
大塚ではなく、大作だからな。

409:日本@名無史さん
17/06/21 21:56:26.42 .net
>>402
わかってるんだよ
誤魔化しても、ダメ

410:日本@名無史さん
17/06/21 21:57:55.12 .net
>>402
目的語が冢なんだが

411:日本@名無史さん
17/06/21 22:07:15.62 .net
魏使は周溝墓は見るの初めてだったんじゃないかな

412:日本@名無史さん
17/06/21 22:14:48.52 .net
>>400
>やっぱり阿波厨か
なんのこと? 今、風呂から出たとこ。  @阿波

413:日本@名無史さん
17/06/21 22:15:59.57 .net
>>405
珍しいと思ったらなんか書き残すだろ

414:日本@名無史さん
17/06/21 22:21:04.39 .net
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない

415:日本@名無史さん
17/06/21 22:29:53.42 .net
冢が正確に何を表すのかによるな。
>>392-396の如く、土を盛った墓であることは共通認識だが、
細かい形状や大きさについては諸説ある。
冢=土盛を含む墓域
ということも考えられるわけだ。

416:日本@名無史さん
17/06/21 22:32:47.94 .net
土盛は当然含むでしょ、問題は周溝まで含んでるのか否か

417:日本@名無史さん
17/06/21 22:50:02.97 .net
>東夷伝の尺で25m
>魏本国の尺だと150m
魏志倭人伝韓条において、家屋が冢に例えられている。
日本の竪穴住居跡で径10m弱、大型高床建物でも径20m以下。
朝鮮半島の住居も大きさは同じくらい(円形も方形も混在)だから、
径百余歩については、確実に25mだろう。
冢については決定打が無い以上、

418:岡上
17/06/21 22:52:51.19 .net
>>411
おお、なかなか!
ちゃんと纏めた論考が読みたいですね

419:日本@名無史さん
17/06/21 23:35:41.95 .net
なんで今まで気づかなかったんだ
冢が家屋=径10m弱のものであるなら、
径百余歩=25mは、径10m弱の冢が複数ある墓域
大作冢 冢を大いに作った=大き目の冢を2つも作ってるよ
墓域全体での径25mなら、平原遺跡1号2号の周溝全域に合致

420:日本@名無史さん
17/06/22 03:42:29.88 .net
>>413
冢を大いに作ったのに韓国の平民並みサイズなのか

421:日本@名無史さん
17/06/22 04:31:38.54 .net
中国ではな薄葬令が出ていて
皇帝の墳墓も20m四方程度。

422:日本@名無史さん
17/06/22 05:19:02.47 .net
315日本@名無史さん2017/06/22(木) 05:07:39.83
祇園山を連呼してウザいから調べてみた。
祇園山は方墳だよね。
URLリンク(kurumenmon.com)
そっくりなのが伯耆・後口谷1・2号
URLリンク(www.fastpic.jp)
あんたらが言う殉葬(大笑い)らしきものもあるだろ。
つまり祇園山の主は出雲系で蒲池という姓も出雲・鴨系だろう。
カモチ→カマチ
祇園山程度で卑弥呼の墓になるなら出雲にはいくらでもあるということになる。
残念でしたwww
316日本@名無史さん2017/06/22(木) 05:14:02.46
本当の卑弥呼の墓はこれだよん♪
URLリンク(goo.gl)
高天原にあるのだよん♪
御所市高天だ。

423:日本@名無史さん
17/06/22 06:05:53.70 .net
>>415
嘘つくな

424:日本@名無史さん
17/06/22 06:06:33.33 .net
これで候補が絞られたわけだ
径百余歩は東夷伝の25mで確定
100mとかは脱落ってこと

425:日本@名無史さん
17/06/22 06:31:30.31 .net
ウソと妄想で塗り固められた九州説

426:日本@名無史さん
17/06/22 18:19:53.35 .net
径百余歩の「大作冢」は、いったい何を意味したのか、

427:日本@名無史さん
17/06/22 19:47:17.91 .net
陳寿による「大作冢」の記述は、
親魏倭王たる卑弥呼の墓も、
当時の中国の薄葬令にのっとったものであったといいたかったのであろう。
豪華な前方後円墳の箸墓なんぞとんでもない説だ

428:日本@名無史さん
17/06/22 20:27:00.38 .net
大いにだから、葬式が派手だったんだろう。
八咫の鏡などの副葬品の豪華さに驚き、それを惜しげもなくバリバリ割るのを見てさらにたまげたことだろう。

429:日本@名無史さん
17/06/22 21:38:28.10 .net
>>415
曹操の墓は27m四方くらいだな。

430:日本@名無史さん
17/06/22 21:51:37.70 .net
確かに魏から倭王に任じられた卑弥呼の墓が曹操の墓よりでかいってのは変だな。

431:日本@名無史さん
17/06/23 03:25:09.22 .net
>>420
邪馬台国が九州にはないことを意味する

432:日本@名無史さん
17/06/23 08:32:05.57 .net
径百余歩が130mくらいとした場合、宗主国の魏の皇帝の墓より大きいことになるな
魏から注意を受けて後で縮小したかもな。

433:日本@名無史さん
17/06/23 08:38:16.74 .net
諸葛孔明の遺命
「葬漢中定軍山、因山為墳、冢足容棺、斂以時服、不須器物」
孔明は、定軍山を墳に見立てて・・・云々、と言い残した。
同様に卑弥呼の場合も、
径百余歩の自然の小山を墳に見立て、その頂に径十歩ほどの草ぶき家のようなとんがった冢をしつらえ、棺を容れた。
その全体の姿かたちは、径百余歩の冢のように見えた。
こんな状況だったのではないか。

434:日本@名無史さん
17/06/23 08:53:14.48 .net
平原遺跡は全体が幅200mほどの台地の上に在るな
この台地を墳に見立て径百余歩と書いたのかな。

435:日本@名無史さん
17/06/23 0


436:9:01:38.93 .net



437:日本@名無史さん
17/06/23 09:05:29.99 .net
「卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩」
卑弥呼の死後 大いに塚を作る 軽が100歩余り
塚その物の軽が100歩ではなく周囲を含めて軽が100歩だろうな
塚その物の軽が100歩じゃ主君の墓より遥かに大きいことになってしまう。

438:日本@名無史さん
17/06/23 09:25:58.42 .net
3~4世紀当時、巨大な古墳を造っていた地域は魏から冊封を受けてなかった場所だな
宮崎とか巨大古墳があるから、やはり狗奴國とかだろうな。

439:日本@名無史さん
17/06/23 09:38:33.18 .net
>>431
宮崎の大古墳は諸県一族
男狭穂塚、女狭穂塚は
仁徳の妃で美人の誉れが高かった日向髪長媛、父親の諸県君牛諸井

440:日本@名無史さん
17/06/23 09:40:52.61 .net
日向髪長媛を宮崎出身のエビちゃんだと思えばいい。
けっしてサエコや今井美樹を連想しないように。

441:日本@名無史さん
17/06/23 09:57:52.09 .net
畿内で巨大古墳が造り続けられたってことは
その後も畿内は支邦と直接交流することが無かったってことだな。

442:日本@名無史さん
17/06/23 10:14:32.26 .net
>>434
そう思うね
もともと中国王朝との交流がなかった(薄かった)ところ。
或は、交流が途絶えた時代・場所において、巨大古墳が作られるようになったのだろうね。

443:日本@名無史さん
17/06/23 10:20:07.11 .net
中国文化の常識的な知識がないから
中国文化から外れた巨大古墳に
暴走するんだろう。

444:日本@名無史さん
17/06/23 10:25:17.59 .net
>>435
>もともと中国王朝との交流がなかった(薄かった)ところ。
   或は、交流が途絶えた時代・場所において、巨大古墳が作られるようになったのだろうね。
薄墓令は唐時代。 
それまでは、倭国(阿波)から全国各地へ拓殖していった忌部一族(豪族)が巨大古墳を造り続けたんですよ。  @阿波

445:日本@名無史さん
17/06/23 10:26:38.86 .net
大仙古墳とか河内の古墳群も倭の五王とは無関係ってことだな。

446:日本@名無史さん
17/06/23 10:28:52.68 .net
>>438
>大仙古墳とか河内の古墳群も倭の五王とは無関係ってことだな。
みんな、阿波の豪族の墓なんですよ。  @阿波 

447:日本@名無史さん
17/06/23 10:29:19.34 .net
建安10年(205年)、曹操が薄葬令を発布しているよ。

448:日本@名無史さん
17/06/23 10:34:56.63 .net
>>438
いや、関係がある。
関係があるから記と紀で干支を違う事にして、わざと混乱させてる。
朝貢隠しだ。
白村江敗戦後の朝廷は「朝貢」という史実に怖ろしく神経質になっていた。

449:日本@名無史さん
17/06/23 10:36:12.42 .net
>>440
>建安10年(205年)、曹操が薄葬令を発布しているよ。
そうでしょうが、曹操の薄葬令が日本に影響を及ぼすには、時期尚早でしょう。  @阿波

450:日本@名無史さん
17/06/23 10:40:28.00 .net
>>441
>白村江敗戦後の朝廷は「朝貢」という史実に怖ろしく神経質になっていた。
それはやむを得ないでしょう。 唐に打ちのめされて間もない頃の記紀編纂ですから。 @阿波

451:日本@名無史さん
17/06/23 10:45:23.19 .net
>>443
だからそれが悪いとは言ってない。
河内の大王の朝貢の史実をわざと隠したと言ってるのだ。

452:日本@名無史さん
17/06/23 11:13:47.76 .net
>>444
>河内の大王の朝貢の史実をわざと隠したと言ってるのだ。
河内に大王はいません。 それは阿波から進出した大王臣下なのです。
歴代大王は倭国(阿波)及び山背の国(讃岐)の地におわします。 

453:日本@名無史さん
17/06/23 12:41:31.26 .net
>>442
日本でも卑弥呼の統治してる地域は魏の冊封を受けてたから魏の影響下にあり薄葬令が実行され
それ以外の地域は好き勝手に巨大古墳を造ってたってことね。

454:日本@名無史さん
17/06/23 12:41:39.01 .net
>>442
帯方太守代々の支援を受け、
魏に、数々の朝貢の品を持たせて使いを送り、
魏から親魏倭王に任ぜられ、
さらには魏から、張政ら、多数の顧問役を受け入れて指南を乞うているのにか、、、。またもわらかすかアワワ。

455:日本@名無史さん
17/06/23 12:48:18.75 .net
>>4


456:47 魏の時代、薄葬令なんてそもそも要らないんですよ。前方後円墳なんて存在しませんから。 @阿波



457:日本@名無史さん
17/06/23 13:42:44.42 .net
>>448
おい、もう少し洗練された文章に出来ないのかねえ
それではまるで、曹操の薄葬令が無駄だったと、曹操を非難しているように読めるからねえ。
それと、望ましくは過去形で書けるように練習してはどうかね・・・、
添削例;
魏の時代の倭国においては、薄葬令なんてそもそも要らなかったんですよ。麗々しい前方後円墳なんて存在していませんでしたから。 @アワワ、

458:日本@名無史さん
17/06/23 13:57:27.03 .net
>>449
添削、有難うございます。 確かにその方が意味明瞭ですね。

459:日本@名無史さん
17/06/24 12:43:06.98 .net
冢が巨大な土盛りを示す用例はありますか?

460:日本@名無史さん
17/06/24 13:05:21.71 .net
それ以外の意味があるなら教えてくれ。

461:日本@名無史さん
17/06/24 13:43:09.92 .net
冢が100メートルクラスの巨大な土盛りを示す用例はありますか?

462:日本@名無史さん
17/06/24 13:47:26.74 .net
>>453
始皇帝陵

463:日本@名無史さん
17/06/24 14:35:33.43 .net
10メートルくらいを巨大と言ったのではないか。
100メートルもあったら別の書き方をしたろう。

464:日本@名無史さん
17/06/24 14:49:04.00 .net
>>455
どうしてそんな小さなものを巨大だと言うの?

465:日本@名無史さん
17/06/24 15:14:31.45 .net
魏の皇帝の曹操の墓が30m四方ないくらいだから
親魏倭王の卑弥呼の墓は30m四方よりは小さい
「卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩」の意味を
直径130mぐらいの卑弥呼の墓を造った解釈するのは考え直すべきだな 。

466:日本@名無史さん
17/06/24 15:20:19.66 .net
>>457
さすがにコレは馬鹿すぎる
30m四方って何の大きさだと思ってるの?

467:日本@名無史さん
17/06/24 17:18:50.41 .net
曹操も曹叡もそのくらいだよ

468:日本@名無史さん
17/06/24 17:21:13.77 .net
だから何の大きさソレ

469:日本@名無史さん
17/06/24 17:23:56.88 .net
無知が九州説を作った

470:日本@名無史さん
17/06/24 17:26:58.22 .net
曹操墓の大きさはググれば出てくるよ。

471:日本@名無史さん
17/06/24 17:34:51.30 .net
卑弥呼の奥津城はここだ!!
この神社は、径150mほどのこんもりとした自然丘陵の上にある。
この自然丘陵とその本殿裏手の径約15mの築山を合わせた山陵神域こそ、
古代史から隠蔽された卑弥呼の「大作冢、径百余歩」 の現世の姿であろう。
>本殿裏の小山を周回する小径を一回り。何処かこの小山の頂上に行く経路は無い
>か周回してみましたが道無し。磐座的なにかがあるのかと思いながら確認出来ず
>残念なのでした。
>おそらくこの本殿裏の小山の頂きが、ご神体山に近い扱いなのでしょうね。。。
URLリンク(akiba9echo.exblog.jp)

472:日本@名無史さん
17/06/24 17:54:55.42 .net
>>462
だから馬鹿だ白痴だと言われる
それ、曹操墓の何の大きさだ?

473:日本@名無史さん
17/06/24 18:02:08.97 .net
曹操墓
 2号墓(曹操墓)は西から東に向き、方向は約110°である。
墓坑平面は前が広い台形で、東側の最も幅の広い部分で22m、
西面で19.5m、東西長18m、墓坑総面積は400平方mに達し、
墓道を含めた墓葬全体の面積は736平方mにおよぶ。墓葬は、
以下のように、墓道・墓門・甬道・墓室・側室などから構成される。
曹叡墓
高平陵
高平陵中国三國時代魏明帝曹叡陵園,
[1] 位於河南省汝陽県内埠郷茹店村東南。
面?660平方米,墓為覆斗形,高16米,
周長200米。頂部平坦,封土?築。

474:日本@名無史さん
17/06/24 18:25:12.15 .net
だから、それが曹操墓の何の大きさだと質問してるんだが
異常に頭が悪いのかな?

475:日本@名無史さん
17/06/24 18:44:05.85 .net
>>466
聞き方も、以上によろしくないんじゃないの

476:日本@名無史さん
17/06/24 19:04:02.05 .net
>>467
と言う理由は?

477:日本@名無史さん
17/06/24 19:09:57.10 .net
>>468
どうやら曹操の墓域の小ささに、まさかと驚いているんだろ
王朝の権力で発布された薄葬令のすごさとは、こういうことだ
ま、箸墓説なんて、はなからトンデモだったわけだwww

478:日本@名無史さん
17/06/24 19:24:58.33 .net
>>469
>薄葬令のすごさとは、こういうことだ
すごさ? なにがすごい?

479:日本@名無史さん
17/06/24 19:28:05.61 .net
>>469
お前本当にバカだな
そんな情報とっくに知れ渡ってるのを知らないのか
なんの大きさだか答えられないのも泊地そのものだろう

480:日本@名無史さん
17/06/24 19:33:18.29 .net
親魏倭王卑弥呼の墓も、
とうぜんながら薄葬令にのっとったものでなくてはならぬ。
棺を蓋う盛り土は、曹操の墓より大きくてはならぬ・・・・、こういうことだな。

481:日本@名無史さん
17/06/24 19:42:04.84 .net
>>472
で、曹操の墓の棺を覆う盛り土の大きさはどれだけなのだ?

482:日本@名無史さん
17/06/24 20:22:22.59 .net
盛り土の大きさではなく、周溝の大きさが基準かもしれないな。
ならば盛り土の大きさはもっと小さいだろう。

483:日本@名無史さん
17/06/24 20:48:54.45 .net
盛り土の大きさなどは資料にないから
わからない。
盛り土がもっと大きいというのなら
それらの資料を示せば良い。

484:日本@名無史さん
17/06/24 20:55:46.22 .net
盛り土が周溝や墓域より大きいなんてことはないだろう。
ま、そう心配するな。

485:日本@名無史さん
17/06/24 21:07:23.89 .net
平原遺跡の周溝は東西18m、南北14m。
曹操墓をぎりぎり超えない。
よくできている。

486:日本@名無史さん
17/06/24 21:41:03.73 .net
畿内説にとって
薄葬令はまるきり想定外だったようだな、箸墓墓墓。

487:日本@名無史さん
17/06/24 21:56:34.62 .net
>>454
冢じゃなくて陵じゃん

488:日本@名無史さん
17/06/24 22:21:26.13 .net
曹操の薄葬令(建安25年)
「天下はまだ定まっておらず、古いしきたりに従うことはできない。…遺体は平服で埋葬し、
金銀や珍しい宝を納めてはならない。」
曹操墓発掘状況
・地面上に墳丘を築かせず、墓室埋葬はより深くなり、墓道を長くさせ、階段を設けた。
・玉衣を用いず、遺体は平服で埋葬し、前漢・後漢400 年余りの玉衣葬制を止めさせた。
・金玉珍宝を埋葬せず、副葬品は土器を主とし、少量の鉄器・銅器・玉石器を用いた。
・後漢晩期に流行した横前室墓制を改め、前後墓室の平面形状を方形に近い形にした。
・画像石や壁画で墓壁を装飾するのをやめさせた。
・地下の墓葬形態に規制を加え、後漢の王が普遍的に用いた回廊墓制をやめさせた。
墳丘なしとか金玉埋葬せずとか、倹約が主だね

489:日本@名無史さん
17/06/24 23:00:36.23 mxjjFqaTm
>>415
 >中国ではな薄葬令が出ていて皇帝の墳墓も20m四方程度

 本当ならかなり興味深い。畿内説は「日本スゴイ、スゴイ病」患者が唱える説だから、卑弥呼の墓は小さかったと考える方がしっくりくるね。

490:日本@名無史さん
17/06/24 23:14:34.53 mxjjFqaTm
考古学と古代史は「日本スゴイ、スゴイ病」が治らないとマトモな研究ができないんじゃないのかw 何しろ藤村某の捏造事件まであったわけだし www

491:日本@名無史さん
17/06/25 11:10:18.52 .net
>>480
なるほど曹操らしく倹約簡素。
銅鏡で言うならば方格規矩鏡ですな。

492:日本@名無史さん
17/06/25 11:44:32.62 .net
青龍三年銘方格規矩四神鏡
青龍三年(235)の同笵鏡が3枚
・大田南5号墳 京都府京丹後市 4世紀後半・方墳
・安満宮山古墳 大阪府高槻市安満御所 3世紀後半・長方形墳
・茨城県那珂郡 収集家蔵
丹後半島の中央
淀川沿い
那珂

493:日本@名無史さん
17/06/26 05:05:43.89 .net
青龍三年(235年) 顔氏作鏡 安満宮山古墳 6世紀後半~7世紀 4世紀に遡る古墳あり
青龍三年(235年) 顔氏作鏡 大田南5号墳 4世紀終末~5世紀初頭
景初三年(239年) 陳是作鏡 神原神社古墳 4世紀中頃
景初四年(240年) 陳是作鏡 広峯15号墳 4世紀末
景初四年(240年) 陳是作鏡 辰馬考古資料館収蔵
正始元年(240年) 陳是作鏡 蟹沢古墳 4世紀
正始元年(240年) 陳是作鏡 森尾古墳 4世紀末
正始元年(240年) 陳是作鏡 竹島古墳 4世紀前半
赤烏元年(238年) -------- 狐塚古墳 須恵器出土(5世紀以降?)
赤烏七年(244年) -------- 安倉高塚古墳 4世紀

494:日本@名無史さん
17/06/26 05:08:59.44 .net
青龍三年(235年) 顔氏作鏡 方格規矩四神鏡 大阪府 安満宮山古墳 6世紀後半~7世紀 4世紀に遡る古墳あり
青龍三年(235年) 顔氏作鏡 方格規矩四神鏡 京都府 大田南5号墳 4世紀終末~5世紀初頭
景初三年(239年) 陳是作鏡 三角縁同向式神獣鏡 島根県 神原神社古墳 4世紀中頃
景初四年(240年) 陳是作鏡 斜縁盤龍鏡 京都府 広峯15号墳 4世紀末
景初四年(240年) 陳是作鏡 斜縁盤龍鏡 兵庫県 辰馬考古資料館収蔵
正始元年(240年) 陳是作鏡 三角縁同向式神獣鏡 群馬県 蟹沢古墳 4世紀
正始元年(240年) 陳是作鏡 三角縁同向式神獣鏡 兵庫県 森尾古墳 4世紀末
正始元年(240年) 陳是作鏡 三角縁同向式神獣鏡 山口県 竹島古墳 4世紀前半
赤烏元年(238年) -------- 半円方形帯神獣鏡 山梨県 狐塚古墳 須恵器出土(5世紀以降?)
赤烏七年(244年) -------- 半円方形(格)帯神獣鏡 兵庫県 安倉高塚古墳 4世紀

495:日本@名無史さん
17/06/26 05:42:44.58 .net
>>485
>青龍三年(235年) 顔氏作鏡 安満宮山古墳 6世紀後半~7世紀 4世紀に遡る古墳あり
調査報告書では「3世紀後半の早い段階」

496:日本@名無史さん
17/06/26 06:27:33.91 .net
方格規矩四神鏡が235年まで作られていたのが確実なら平原はもちろん
三雲南小路や井原鑓溝の年代も考証し直さないとね

497:日本@名無史さん
17/06/26 07:26:15.22 .net
うん、鏡の編年はもっと重視されるべきだね。
土器だけでなく。

498:日本@名無史さん
17/06/26 07:31:13.64 .net
>>487
その年代の根拠は青龍三年鏡のようですが
そもそも、その鏡が青龍三年に作られた
ものか
どうかが議論されているわけでして。

499:日本@名無史さん
17/06/26 10:59:06.30 .net
辰馬考古資料館収蔵w

500:日本@名無史さん
17/06/26 12:23:45.28 .net
顔さんが方格規矩鏡で
陳さんが三角縁系のようですね

501:日本@名無史さん
17/06/26 12:29:16.87 .net
どの時代の作か、いまだ不明のようですが、
ともあれ
顔さんも、陳さんも、
全盛期の邪馬台国卑弥呼の御威光にあやかりたかったのでしょうねえ

502:日本@名無史さん
17/06/26 14:36:33.46 dd7KbyF7c
>>493
  >顔さんも、陳さんも、全盛期の邪馬台国卑弥呼の御威光にあやかりたかっ>たのでしょうねえ

 「日本スゴイ、スゴイ病」の典型的な症状だな w

503:日本@名無史さん
17/06/26 16:49:23.12 .net
>>490
議論の結果、青龍三年に作られたという説が圧倒的優勢なわけだね

504:日本@名無史さん
17/06/26 16:53:18.50 .net
>>488
その必要はないわけよ
倣古鏡の編年も進んでるから

505:日本@名無史さん
17/06/26 17:05:51.36 .net
つか、もう鏡種で年代を見てる時代じゃなくて意匠や細かい技術的特徴で時代性・地域性を分析してるレベル
ひと昔前とは精緻さがケタ違いなわけよ
時代に取り残されてるのは九州説さんだけ

506:日本@名無史さん
17/06/26 17:17:08.75 .net
でもその成果が議論に全く活かされていないように見えますね。

507:日本@名無史さん
17/06/26 17:17:59.22 .net
>>498
どうして?

508:日本@名無史さん
17/06/26 17:20:53.76 .net
安満宮山古墳 出土鏡
1号鏡 (三角縁「吾作」環状乳四神四獣鏡)
2号鏡 (「青龍三年」方格規矩四神鏡)
3号鏡 (三角縁「天・王・日・月・吉」獣文帯四神四獣鏡)
4号鏡 (斜縁「吾作」二神三獣鏡)
5号鏡 (平縁「陳是作」同向式神獣鏡)

509:日本@名無史さん
17/06/26 17:37:02.83 .net
>>500
これらの組み合わせから三世紀後半の早い段階という判断をしたわけだね

510:日本@名無史さん
17/06/26 18:06:33.86 .net
だって畿内説の成果は畿内説だけ
しか適用しないもんねww
だから成果が乏しく見えちゃう
お気の毒に

511:日本@名無史さん
17/06/26 18:29:03.31 .net
で、平原遺跡が卑弥呼の墓でいいのね?

512:日本@名無史さん
17/06/26 18:37:44.22 .net
>>502
そりゃあ人道的行為は猿には適用しないだろう

513:日本@名無史さん
2017/06/2


514:6(月) 19:14:33.51 .net



515:日本@名無史さん
17/06/26 19:54:25.88 .net
>>505
そんなこと誰でも知ってる
未来の年号なんて分らないんだからな

516:日本@名無史さん
17/06/26 20:36:47.83 .net
平原遺跡など糸島地域の王墓に副葬された大量の方格規矩四神鏡
別にそれらの方格規矩四神鏡が国産でも構わない。
国産なら国産で、大量の方格規矩四神鏡を製造する先進文化と生産力を有し、
世界最大の超巨大内行花文鏡を5面も独り占めする圧倒的権力を持っていた女王墓。
これだけでも卑弥呼だ。
ここから真面目に考えてみよう。
>方格規矩四神鏡が「青龍三年(235年)より後」まで作られていた
191年 董卓による洛陽炎上、洛陽住民数百万人全員を長安へ強制連行移住
ここで一旦、洛陽は壊滅している
そして洛陽が復興するのは、220年 曹丕が洛陽へ遷都
ここから235年まではたったの15年しかない。
平原遺跡の方格規矩四神鏡を国産とする根拠は、
形が今一つとか、文字の並びが後漢の厳格な鏡に比べて違うとかいうものが目立つが、
果たしてどうか?
洛陽は董卓によって物も住人も完全に破壊され、その後も激しい戦乱が続いたのだから、
190年以前の方格規矩四神鏡と、
220年以降の方格規矩四神鏡とは、別のグループとして考えるべきではなかろうか。
220年以降の方格規矩四神鏡とは
各地に散らばった弟子などが、220年に洛陽へ逃げ戻り、
若い頃の師匠からの記憶を頼りに久しぶりに製作した、
拙い方格規矩四神鏡なのである。

517:日本@名無史さん
17/06/26 21:27:21.43 .net
190年に50歳の親方なら、220年には80歳
190年に30歳の中堅でも、220年には60歳
洛陽から長安への死の行進
そして戦乱に追われて異郷から異郷への流浪の30年
まず生きていないだろうな
190年に10代後半の新人銅鏡職人なら、220年に40代後半
なんとか生き延びたかもしれんが、
長らくの戦乱で銅鏡など作る機会も無かっただろう
方格規矩四神鏡の再現には途方もなく苦労しただろうな

518:日本@名無史さん
17/06/26 21:47:43.15 .net
>青龍三年銘(235)方格規矩四神鏡の同笵鏡が3枚
>・大田南5号墳 京都府京丹後市 4世紀後半・方墳
>・安満宮山古墳 大阪府高槻市安満御所 3世紀後半・長方形墳
>・茨城県那珂郡 収集家蔵
220年に曹丕が洛陽へ遷都
234年 諸葛亮孔明が死去
孔明の死によって、蜀呉による魏挟撃戦線は瓦解し、
235年から曹丕はようやく内政に力を入れることができるようになる。
これを「洛陽市民の視点」で見てみる。
190年に洛陽が灰燼と化し、30年も流浪の人生を送った。
数多くの親族、友人知人が亡くなり、PTSDを患う者も多かっただろう。
そしてやっと220年に洛陽に戻って来れた。
現代の我々は、全くの娯楽として三国志を楽しみ、
「判官びいき」で孔明を応援したりするわけだが、
当時の洛陽市民にとっては洒落にもならない。
230年代の洛陽市民にとっての諸葛亮孔明とは、
蜀を指揮し、呉と組んで、魏に攻めてくる恐るべき天才軍師。
洛陽陥落という現実に起きた悪夢を呼び起こし、PTSDを悪化させる
恐怖の対象なわけである。
それが234年に死去し、蜀と呉は一気に弱体化していく。
その解放感、安心感が洛陽の街に満ちて、
そして実際に、235年に入ってから曹丕が内政を充実させる施策を次々に打ち出して、
その満ち足りた青龍三年を紀念したのが青龍三年銘(235)方格規矩四神鏡であろう。

519:日本@名無史さん
17/06/26 21:55:03.22 .net
方格規矩四神鏡は紀元50年ころの鏡で
卑弥呼のもらった鏡ではないと言われていたが
235年以降に作られたことが確定したことで
方格規矩四神鏡が卑弥呼がもらった
鏡である可能性が高まったな。

520:日本@名無史さん
17/06/26 22:27:59.75 .net
方格規矩四神鏡は平原遺跡と
おなじくご近所の井原鑓溝遺跡から
数十枚出ております

521:日本@名無史さん
17/06/26 22:48:57.17 .net
平原凄すぎる。
もう決着したも同然だな。

522:日本@名無史さん
17/06/26 22:50:29.16 .net
そうだな。
平原遺跡が発見された時点で邪馬台国論争は決着しているべきだった。

523:日本@名無史さん
17/06/26 23:04:12.84 .net
>>513
そうならなかったのには深いわけが・・・
シクシクシク

524:日本@名無史さん
17/06/27 07:54:16.40 .net
>>513
倭人伝の「東南到る伊都国」とは別の(遠絶委奴国の)こととして決着しているべきだったな

525:日本@名無史さん
17/06/27 12:49:07.43 .net
方格規矩四神鏡の青龍三年鏡が
中国製なら、方格規矩四神鏡を
もっとも多く出土する平原遺跡が
候補になる。
複製品であれば、
青龍三年鏡を含む紀年鏡群も
後世に作られた可能性が高い。
陳さんとか顔さんとか、
限られた同じ人が作っているようだからね

526:日本@名無史さん
17/06/27 13:33:21.50 .net
>>515
遠絶委奴国=遠絶委(伊:阿波国)奴国  四国は四周海に囲まれた遠絶の地なんですよ。 @阿波

527:日本@名無史さん
17/06/27 19:06:43.48 .net
>>516
東≠南
陳≠顔
紀年鏡というだけでくっつけて
大量の国産鏡群を舶載鏡に見せかける偽装工作は見苦しいだけ。
複製品であったとしても、
その複製技術の根源は、ダントツ最多32枚の方格規矩四神鏡を擁する
平原女王=卑弥呼のものであることが明らかなので、
大型内行花文鏡と同じく、複製方格規矩四神鏡もまた、
平原女王=卑弥呼の権威が遠く日本各地へ及んだ証左に他ならない。

528:日本@名無史さん
17/06/27 19:21:51.00 .net
邪馬壹國が後の日本につながるなら記紀との一致が不可欠。

529:日本@名無史さん
17/06/27 19:39:54.36 .net
>>519
だよね
畿内説に聞かせてやれよ

530:九州王
17/06/27 19:56:26.38 .net
邪馬壹國は北部九州地域で決着してますよね
問題は狗奴國が鹿児島、宮崎かだな。

531:日本@名無史さん
17/06/27 19:58:47.98 .net
狗奴国は熊本

532:日本@名無史さん
17/06/27 20:00:36.00 .net
>>521
>邪馬壹國は北部九州地域で決着してますよね
していません。 @阿波

533:日本@名無史さん
17/06/27 20:07:29.11 .net
阿波のほうが畿内との共通点が多い。
九州王朝は天皇家とは別系統。

534:日本@名無史さん
17/06/27 20:49:00.77 .net
>>524
倭国は九州王朝のこと。
卑弥呼は倭国女王なので、当然九州にいた。
畿内や阿波は属州。

535:日本@名無史さん
17/06/27 23:16:33.93 .net
>>522
根拠は?

536:日本@名無史さん
17/06/28 00:11:25.06 .net
★ロリコン性犯罪者はメガネ障害者ばかり

中学1年生(13)に3万円を渡してわいせつな行為 維新の党→自民党の議員「三浦いっせい」こと三浦一成(かずなり)を逮捕 千葉県市川市 2017/6/26
~子どもの裸の画像など約1万点を所持~
カラーコンタクト?を使用か(カラーコンタクトを使用して瞳を少しだけ大きくしたり裸眼よりもダークな色に)
二重整形? 歯並びが悪い体が左右非対称 爪を噛んで深爪 アニメ好き 靖国参拝
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

小学1年生の女の子に体液かける 小学校教諭を逮捕 神奈川・平塚 2017/6/24
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

この事案はまだ性犯罪なのか決まってないです

小林雄樹・徳島市議 2日続けて制服姿の女子生徒のスカートの中撮影で警察から3回、任意の事情聴取 2017/6/26
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

5歳児に強制わいせつ 「子どもに対して性的欲求があった。触ることでスカッとした」 北海道 2017/6/23
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

欅坂46の握手会で果物ナイフ メンバーの名前をあげ「刺して殺そうと思った」 2017年6月24日
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
体が細くて背が低くてメガネなのでアスぺの可能性が高い
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

★メガネはメガネ障害者です

537:日本@名無史さん
17/06/28 00:12:46.07 .net
卑弥呼と卑弥弓呼はおそらく同族。
だから、一方的に蛮夷として征伐もできなかった。
卑弥呼が筑後山門の出身なら、熊本県はもう目の前だ。
しかも官が菊池彦で、それらしき遺跡があり、すぐ後世には菊池城もできる。
肥国として記紀にも登場している。
鹿児島まで行くと未開の地で、王権などない。
宮崎は投馬国つまり妻。

538:日本@名無史さん
17/06/28 00:17:53.37 .net
>>528
卑弥呼が筑後山門の出身なら???
宮崎は投馬国???

539:日本@名無史さん
17/06/28 00:26:47.43 .net
倭国大乱が2世紀中旬開始
卑弥呼が朝貢したのが239年
台与が3世紀後半にまだ狗奴国と戦っている
邪馬台国と狗奴国の境界線なんぞ時代と共に押し合いへし合い変化してる
源平合戦を見てみ
最初は京都をはじめほとんど平家領域
それがほんの数年で一気に源氏領
邪馬台国と狗奴国の領土も
せめて10年区切りの年代別に論じないと意味がないぞ
アホの畿内説が転向してこないうちに
九州説でまとめてしまわないと美味しいところを奪われるぞw

540:日本@名無史さん
17/06/28 10:08:30.27 .net
順路からして投馬国は朝鮮半島南岸だから宮崎はないな
「参問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里」とある
これは有明海岸を廻る感じだから
邪馬壹国と狗奴国の境界線は熊本県中部以南だな。

541:日本@名無史さん
17/06/28 13:58:18.98 .net
青竜三年号のある方格規矩鏡が安満宮山古墳から見つかる

だから方格規矩鏡は卑弥呼の時代にも作られていた

方格規矩鏡が沢山ある九州が邪馬台国だ
何というかこう物凄い思考回路してるな

542:subo
17/06/28 15:19:33.59 .net
>>530
北部九州は源氏、南部九州は平家である

543:日本@名無史さん
17/06/28 16:43:43.69 .net
>>532
妥当なとこだと思うが
何か問題でも?

544:日本@名無史さん
17/06/28 16:46:14.73 .net
もちろん、年号は後世の創作の
可能性もあるから、
一概には言えないけどね。

545:日本@名無史さん
17/06/28 16:54:21.64 .net
年号が書いてあるなら100年も時代がズレて中国に無いおかしな遺物なのにのにアリだと言う
だがそうなると中国で作られてない三角縁神獣鏡も当然認めることになる理屈だがそれは許さないという
そしてこれが見つかったのは畿内で年号のある方格規矩鏡は九州に無いのに九州が邪馬台国だという
何か問題が?と言うならこれが問題だと思わないというのだろう

546:日本@名無史さん
17/06/28 18:04:11.54 .net
古い年号と新しい年号では意味が違うだろう

547:日本@名無史さん
17/06/28 18:19:54.25 .net
畿内にある時代のズレた中国に無い青竜三年鏡を支持すると言う事は要は積極的な畿内説の支持と同義語になるんだけど
なぜ九州説がそれを主張するのかよくわからない
その辺どういう風に解釈してるのか理解に苦しむ

548:日本@名無史さん
17/06/28 20:30:34.13 .net
講談社学術文庫の倭国伝を読んでると
やっぱり北九州(筑紫)付近にあったのかなと思ってしまうな
倭と日本は別々の国だったって知って驚いたよ
俺が思うに、北九州(筑紫)にあった倭国が大和に東征して
日本を名乗り、北九州(筑紫)にいた頃の名残で今の大和をヤマトと名付けたんだと思う
ちょっとややこしいけど

549:日本@名無史さん
17/06/28 20:34:34.81 .net
博多勢力は普通に発展していて
博多政権からあぶれた大和部族が
畿内まで移動して、新天地を開拓したのかもしれない。
あまり人がいなければ、大きな墓も作りやすいだろうし

550:日本@名無史さん
17/06/28 21:45:27.87 .net
>>540
その辺が実情に近いのかもな

551:日本@名無史さん
17/06/29 09:32:32.25 .net
0007 日本@名無史さん 2017/06/29 08:51:38
海岸線付近は侵攻される可能性がある。
だから海岸線付近は雑魚集落に任せる。
そう考えると太宰府辺りにドッシリと集落を構えた方が長く栄える事が出来る。
おまけに太宰府は東西に四王寺や天拝山などが有る。
だから万が一敵が攻めて来ても四方から攻められる事が無い。
あと南北が開けてるから海のある北だけじゃなく南の方からも人が太宰府を経由して往来してた予想される。
そうなると太宰府は北にも南にも目を光らせる事が出来るんだよ。
北は壱岐、対馬、糸島、南は吉野ヶ里~熊本まで様々な集落を束ねる事が出来るのは太宰府のみ。
だから立地的には遥か昔から大集落が形成されてたと予想するのが自然。
要するに邪馬台国は太宰府って事だね。
えっ、邪馬台国の場所?
間違いなく大宰府政庁跡(都府楼跡)の下に埋もれてるよ。
邪馬台国跡地に大宰府政庁を建てたと考えたら合点が行くだろ?
だから邪馬台国は見つからないよ。
何故なら大宰府政庁跡を掘り起こす事は出来ないからな。
あと科学が進歩し掘り起こさずに地中をスキャン出来るようになっても、大宰府政庁を建てる時に邪馬台国跡地は整地されてるだろうからね。
って死んだ婆ちゃんがアツく語ってた。

552:日本@名無史さん
17/06/29 09:46:46.41 .net
>>540
>畿内まで移動して、新天地を開拓したのかもしれない。
沼地で海にも面していない畿内の片田舎へ行かなくても、温暖で食料豊富で暮らしやすい
倭国(阿波)へ来なさい。 面倒みるから。  @阿波

553:日本@名無史さん
17/06/29 09:47:56.54 .net
太宰府周辺は弥生中期から
鎌倉時代まで何層にもなっていて
どの時代のものもあるよ。
奈良時代くらいに掘り返されたらしく
弥生土器や須恵器、瓦などが
ごちゃまぜになってるところも
何箇所かあるね。

554:日本@名無史さん
17/06/29 09:51:56.75 .net
>>543
でも神武天皇を見ると
何年も逗留してるところはあっても
永住は難しそうなんだよね。
最後はやっぱり先住民を殺らないと
永住はできなかったっぽい。

555:日本@名無史さん
17/06/29 09:56:30.59 .net
>>545
だから、根本的に間違いです。九州から新天地「うまし国」を求めて出ていくような、大スケールの話ではありません。
単なる、倭国(阿波)国内での征討物語なんですよ。 @阿波

556:日本@名無史さん
17/06/29 10:01:59.97 .net
>>545
>永住はできなかったっぽい。
だから、畿内のどこを探しても有力豪族が永住した跡なんてないでしょ。
沼地で、海にも面していなくて、暮らしにくい畿内の片田舎だから。  @阿波

557:日本@名無史さん
17/06/29 10:05:03.31 .net
>>546
自分のイメージは、一族数十人から
せいぜい200人までの
ごく小規模の話なんですよ。
遺跡状況では、阿波から兵庫にかけて
なかなかのものですが、
それだけにその辺りに割り込むのは
難しいでしょうね。
途中までは傭兵や開墾の手伝いでもしながら
神武一行は開いている土地を探したのでしょう。

558:日本@名無史さん
17/06/29 10:08:44.42 .net
>>547
いいところはすでに有力先住民がいて
武力もなかなかのものだったのでしょう。
神武一行は山中の沼地という僻地に
根を降ろさざるを得なかったのです。

559:日本@名無史さん
17/06/29 10:12:50.87 .net
>>548
>それだけにその辺りに割り込むのは
難しいでしょうね。
>途中までは傭兵や開墾の手伝いでもしながら
神武一行は開いている土地を探したのでしょう。
常識的に皆殺しにされるか、生口でしょう。  @阿波

560:日本@名無史さん
17/06/29 21:54:16.65 .net
記紀で英雄譚に仕立て上げられているが、規模はせいぜい二個中隊レベルだろう。
そうでなければあちこちにふらふらと立ち寄ることはできないし、居候もできない。
また、こっそり生駒に侵入する事も、熊野路の難路を越える事もできない。
小規模だから、ナガスネヒコに一撃で撃退され兄二人を失う大敗を喫したのだろう。
こんな小規模部隊が倭国大乱を起こし、各地に高地性集落を強要するとはありえない。
ましてや、記紀でさえ大和を進発して各地を荒らしまわった記録など僅少で、具体的
記述に欠ける。せいぜい景行天皇の九州巡行くらい。

561:日本@名無史さん
17/06/29 21:54:22.92 .net
神武が九州からヤマトに入植する前に饒速日命が九州から入植してた。

562:日本@名無史さん
17/06/29 21:57:49.85 .net
倭国大乱を治めるには、必ず軍事力の均衡が必要で、平和裏に巫女を共立女王に、
なんて妄想が吐ける学者も恥ずかしすぎる。
それならその呪力は人類史的にも一度も現れたことのないレベルの超能力だった
のか? www
そういうのって頭がちがちの畿内説馬鹿が一番嫌うことなんだけどねw 

563:日本@名無史さん
17/06/29 21:59:09.84 .net
>>552
だから、畿内のどこを探しても有力豪族が永住した跡なんてないでしょ。
沼地で、海にも面していなくて、暮らしにくい畿内の片田舎だから。  @阿波

564:日本@名無史さん
17/06/29 22:49:35.57 .net
畿内説論者は頭の中がお花畑だからね。
卑弥呼が筑後山門の出身だとすれば、背景にあったのは強大な肥国の軍事力だろう。
もともと九州には多くの女性首長がいたが、それらをさらに束ねた権力者が卑弥呼だ。
筑紫の天孫族の男王を抑えることができるのは、肥国王家の力しかありえない。
ただ、その肥国王家の中から造反が出て、それが同じ称号を分かち合う肥後狗奴国の卑弥弓呼だったろう。
卑弥呼に対抗しうる権力者は同じ肥国王家にしかありえなかったのだろう。

565:日本@名無史さん
17/06/29 22:54:48.21 .net
一方の博多湾の天津神は海洋民族で、海軍力の強さは天照の出雲攻略や神功皇后の三韓征伐などに表れている。
白村江の戦いでは数万の海軍力が動員されている。
筑紫と肥国を合わせた倭国は、陸海の兵力を統合した強大な軍事国家であり、ヤマト民族は生粋の戦闘民族だった。
その支配地域は数百年にわたり拡大を続けることになる。

566:日本@名無史さん
17/06/29 23:39:45.05 .net
>>5


567:54 有力豪族は畿内に永住なんてしてない 九州から次々に移民がやって来てた 最後に来たのが神武でヤマト王権を築いた。



568:日本@名無史さん
17/06/29 23:40:50.93 .net
>>555
何で卑弥呼が筑後山門の出身なの???

569:日本@名無史さん
17/06/30 05:35:25.80 .net
>>557
だから、畿内のどこを探しても、九州からの移民がやってきた跡なんてないでしょ。
沼地で、海にも面していなくて、暮らしにくい畿内の片田舎だから。  @阿波

570:日本@名無史さん
17/06/30 13:00:41.85 .net
弥生中期に中部瀬戸内と大阪湾岸、弥生後期に近畿地方に西方からの進入に備えたとみられる「高地性集落」が存在。
畿内では弥生時代の墳墓から鏡が全く出土しないが、古墳時代の古墳では多数鏡が出土。

571:日本@名無史さん
17/06/30 14:10:58.84 .net
高地性集落って単に津波対策なんじゃないの?

572:subo
17/06/30 16:05:20.63 .net
>>557
ヤマト王権を築いたのは崇神(天孫)天皇である(285~318)

573:日本@名無史さん
17/06/30 16:39:51.37 .net
平原の鏡って前漢と王莽時代の鏡ばっかりだな

574:日本@名無史さん
17/06/30 17:09:51.97 .net
後漢鏡の出土
井原鑓溝遺跡 19面出土
平原遺跡 32面出土

575:日本@名無史さん
17/06/30 17:11:29.29 .net
鉄器も同様だよな。
弥生末筑紫は全戸配布レベルで
一家に一台漏れなく鉄器、徐々に
東へと移っていく。

576:日本@名無史さん
17/06/30 17:13:55.24 .net
「後漢鏡」と言い張るあたりがあれだな
平原も井原も出てくる鏡は前漢と王莽前後の鏡ばっかりだから
卑弥呼と平気で100年以上ズレてる鏡ばかり
それを知ってて誤魔化してるのか、本当に知らないで卑弥呼時代の鏡が出てると思い込んでるだけなのか
こういう事ばかりするから

577:日本@名無史さん
17/06/30 17:18:42.61 .net
青竜三年鏡に飛びついたのも「九州の鏡は卑弥呼よりもずっと前の古い鏡ばかりだった」から
年代を新しくするネタが出来たと大喜びで食いついたという
でもそうすると三角縁神獣鏡も全面的に認めることになるという事に気が付いてないという間抜けぶり
そして鏡の分布時代を見ると卑弥呼の頃には鏡が急激に減少しているのが分かり、考古学の他の資料同様に九州の衰退を示す証拠にしかならない
最後の砦にしてた鏡も結局九州の衰退と畿内の隆盛を示す資料にしかなりませんでしたと言う話

578:日本@名無史さん
17/06/30 18:42:58.09 .net
>>567
内向花紋も方格規矩鏡も中国で多く出てくる
ポピュラーな鏡ですからね。
中国で出てこない三角縁ははじめから
対象外ですよ。
おっと、2015年の骨董市で
三角縁が販売されていましたかね
これが中国の三角縁の唯一の発見例ですね。

579:日本@名無史さん
17/06/30 18:52:14.78 .net
そうだね
ポピュラーで比較対象がハッキリしてるからどう見積もっても後漢の前期から中期の鏡であることが明白だね
卑弥呼には全く届かないね
日本にだけあるおかしな年代鏡をそれだけで信じるなんて出来るわけがないよね
三角縁神獣鏡を否定するのと全く同じ理由だね
でもそうなると九州の鏡は肝心の卑弥呼の時代にはスカスカで邪馬台国どころか、その時代の九州の明確な衰退を示す証拠にしかならないね
良かったね
鏡が役に立って

580:日本@名無史さん
17/06/30 18:54:47.59 .net
言えば言う程自説を否定するだけになる九州説に涙が禁じ得ない

581:日本@名無史さん
17/06/30 19:12:49.13 .net
・青竜三年鏡を否定する=九州の鏡は卑弥呼よりもずっと古い鏡であり、肝心の卑弥呼時代には九州は鏡を殆ど出してないと主張するのと同じ
・青竜三年鏡を肯定する=三角縁神獣鏡を全面的に認めるのと同じで畿内の中心性を主張するのと同じ
三角縁も、その時代にありえない年代鏡もどっちも不自然な存在であることに何の違いもない
後者は逆に比較対象の数が多い分だけそのおかしさが余計に際立ち「三角縁以外はアリ」という理屈が通ると思う方がどうかしてる
どう転んでもハマってるのに気がついてない
残念

582:日本@名無史さん
17/06/30 19:14:56.52 .net
紀年銘鏡の年代が正しいとすれば
方格規矩鏡は卑弥呼の時代まで作られており
方格規矩鏡が卑弥呼の鏡である
可能性が高くなる。
紀年銘鏡の年代が正しくなければ
他の紀年銘鏡の年代も違っている
可能性が高まる。
景初4年鏡は年代が違っている可能性を
高めるものである。

583:日本@名無史さん
17/06/30 19:15:56.61 .net
>>563
>平原の鏡って前漢と王莽時代の鏡ばっかりだな
これはひどいでっち上げ。

584:日本@名無史さん
17/06/30 19:17:49.78 .net
>>567
>そして鏡の分布時代を見ると卑弥呼の頃には鏡が急激に減少しているのが分かり、考古学の他の資料同様に九州の衰退を示す証拠にしかならない
卑弥呼の頃の墓として何を想定しているのか不明だな。
ただの印象操作だ。
こういう根拠のない中傷しかできないのかな、畿内説って。

585:日本@名無史さん
17/06/30 19:18:14.07 .net
もう一つ言うなら「年代の書いた鏡見つかるのは畿内だけ」
100歩譲ってその年代が正しいとするならその鏡を出してる場所にこそ意味が出るのが普通なのではないのかね
そして特別にその時代に作った年代鏡なら尚更それが沢山九州に無いといけない筈なのに「一つもない」
これまた畿内の補強をしてるだけという
間抜けな話だな

586:日本@名無史さん
17/06/30 19:19:50.94 .net
突然変異的に日本にだけある年代鏡を全面的に信じられるというんだからな
なら当然三角縁神獣鏡も全面肯定してますよと言う事だな
すごいな
畿内説の巣だなココw

587:日本@名無史さん
17/06/30 19:21:56.07 .net
何が言いたいのかわからん。
自分のスレに帰れよ。

588:日本@名無史さん
17/06/30 19:23:18.17 .net
そして聞こえないふりか
この意味が分からないようだから九州説とか恥ずかしいことが言えるんだろうな
せめてなんなりの反論でも来るかと期待してたが

589:日本@名無史さん
17/06/30 19:46:25.26 .net
畿内説の人の言ってることは独り善がりだなw

590:日本@名無史さん
17/06/30 19:49:26.55 .net
畿内説のスレでコテンパンにやられた畿内説のバカが
イヤガラセに書き込んでるんだよ。
九州説は畿内説の敗残兵にやさしくしてやれよ。

591:日本@名無史さん
17/06/30 19:51:32.02 .net
たとえば
畿内説のバカの書き込みに
「君のいう事もわからんでは無いが、こうじゃないかな」とか
まず、受け入れ諭してやればいい

592:日本@名無史さん
17/06/30 19:53:57.30 .net
自分達で主張してる事が全部自分達の説を覆してる事になってると分かってない辺り流石は九州説だな
見てて笑える
もっと笑わせてくれ

593:日本@名無史さん
17/06/30 20:01:41.81 OvTW96P+Z
無残なり畿内説w

594:日本@名無史さん
17/06/30 19:59:52.66 .net
畿内説のカキコミは汚い言葉が多いので、
九州説に成りすましても判定できるよ。
もし、本当に九州説の方が汚い言葉で書き込んでいたらこのスレから離れて欲しい。
いや、九州説をよく理解すれば他説には罵声は浴びせないです。
畿内説は、排他主義で成り立ってるから仕方ないですが。・・・・・・・倭人伝無視に近い畿内説

595:日本@名無史さん
17/06/30 20:09:16.76 .net
そもそもこの鏡の年号については九州説の人からも自滅になるから使うの止めとけと言われてるような話だからな
後先考えず飛びついてる人は思慮が浅い

596:日本@名無史さん
17/06/30 20:21:34.38 .net
平原から出土した方格規矩四神鏡は十二支が意味不明の文様になっている
この特徴は後漢後期(150年~)以降の特徴で後漢末期から三国時代の特徴。

597:日本@名無史さん
17/06/30 20:30:37.55 .net
紀年銘鏡の年号が正しいとすれば
平原の方格規矩鏡の可能性が高まり
紀年銘鏡の年号が違うとすれば
三角縁の可能性が下がるだけなので
九州説としてはどちらでもいいのだ。

598:日本@名無史さん
17/06/30 20:47:40.18 .net
青竜三年の方格規矩四神鏡は後漢前半の鏡を参考に作られてるな
平原から出土した方格規矩四神鏡より前のモデルだな
年号は新しいのにタイプは古い?
不思議な鏡だな。

599:日本@名無史さん
17/06/30 20:57:27.61 .net
きみにはもっと鏡のこと眺める練習が必要のようだ

600:日本@名無史さん
17/06/30 21:00:06.41 .net
普通に考えたら捏造鏡
これを認めるなら三角縁神獣鏡も疑う理由が無くなる

601:日本@名無史さん
17/06/30 21:04:36.52 .net
捏造鏡なら、景初4年鏡も納得できる。

602:日本@名無史さん
17/06/30 21:05:01.03 .net
まぁ九州には邪馬台国時代の鏡が無いからこんな与太話にすがりつくんだろう
むしろ鏡の話をすればその時代に出土が見て分かる程激減して衰退を示している証拠になってるだけだな

603:日本@名無史さん
17/06/30 21:13:22.09 .net
『三國志』には「邪馬台国」は無かった

604:日本@名無史さん
17/06/30 21:23:36.57 .net
そっくりさんが3面揃っているところで
すでにもお
少なくとも内2面は列島産のコピペ
尚方作の仙人が棗喰らってなんちゃら系の鏡の標準規格からの
大幅なズレからしたらすべて列島産に疑いなし
犬が旁の龍の字体から3世紀よかずっと後ののレポートもあったし

605:日本@名無史さん
17/06/30 21:27:23.03 .net
鏡なら日田の金銀錯嵌珠龍文鉄鏡を外してはいけない

606:日本@名無史さん
17/06/30 22:16:19.18 .net
畿内は蝦夷地の最西端だったかもしれない。
蝦夷=狗奴国?????????????

607:日本@名無史さん
17/06/30 22:24:47.14 .net
そもそも平原遺跡の鏡はほとんどが国産だろ。

608:日本@名無史さん
17/06/30 22:51:24.43 .net
平原は九州北部の明確な衰退の始まりを示す遺跡だな
この遺跡を境に鏡の出土が極端に減少して、九州北部の中心性の象徴の銅矛も無くなっていく
終わりの始まりの場所だな

609:日本@名無史さん
17/06/30 22:57:28.03 .net
平原遺跡が頂点ということだろう。
まさに卑弥呼の墓にふさわしい。

610:日本@名無史さん
17/06/30 22:59:00.96 .net
銅矛文化を塗り替える形で卑弥呼が神道による鏡文化を成立させたのが平原遺跡だな。

611:日本@名無史さん
17/06/30 23:05:59.80 .net
平原遺跡が頂点?
これ見て
URLリンク(www.netpia.jp)
その後も繁栄してるよw

612:日本@名無史さん
17/06/30 23:10:54.04 .net
平原遺跡の鏡は国産と後漢産(方格規矩四神鏡・・・後漢末)
青竜三年の方格規矩四神鏡は完全に国産鏡
三角縁神獣鏡も国産鏡

613:日本@名無史さん
17/06/30 23:18:21.63 .net
鏡、銅矛、甕棺と言う九州北部のシンボル的な物が平原の後辺りから一気に潮を引くように衰退していく
西暦で言うと150年~180年くらいから
この時代は倭国大乱の時間軸とちょうどピッタリ合う
平原や九州北部は邪馬台国ではなく倭国大乱で描かれる王統を持っていたかつての倭王の国だろうな
この国の崩壊の後に他の場所に邪馬台国が出現する

614:日本@名無史さん
17/06/30 23:22:28.14 .net
>>598
大陸からの供給が少なくなる→一極集中(平原)→その後の魏晋鏡(蝙蝠鈕座内行花文鏡や位至三公鏡等)はまだ北部九州が出土中心
神獣鏡系はやはり呉の領域の出土が圧倒的に多い→日本での出土分布を見ても別ルート入手、技術伝達の可能性もあり

615:日本@名無史さん
17/06/30 23:49:46.53 .net
尚方作の仙人が棗喰らってなんちゃら系の鏡のほんまもののは
後漢の尚方による製品であり
博局鏡の別名があるように世界の鳥瞰を背面にデザインしたものである
[故宮博物院 博局鏡]でぐぐったら良い絵があるよ
乾隆帝に「上上等」の古鏡と評価された径203mmの大型のやつね
とりあえず眺めてめえ慣らしてくれたまえ

616:日本@名無史さん
17/07/01 06:17:43.76 .net
>>603
>鏡、銅矛、甕棺と言う九州北部のシンボル的な物が平原の後辺りから一気に潮を引くように衰退していく
その、衰退していた筑紫を再興したのが、阿波から進出した、筑紫忌部なんですよ。 @阿波

>この国の崩壊の後に他の場所に邪馬台国が出現する
それがまさしく、「問倭地絶在海中洲島之上或絶或連周旋可五千餘里」である、四国の阿波なんですよ。 @阿波

617:日本@名無史さん
17/07/01 06:23:17.51 .net
神道でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
※地勢でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅矛でも、四国の阿波
銅戈でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭


618:でも、四国の阿波 何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。 ※今、ここ。



619:日本@名無史さん
17/07/01 07:01:01.97 .net
>>580
威勢のいいことを言いたい気持ちはわかりますが
畿内説をコテンパンにしたとか
あんまり妄想を書き込むのはどうかと思います

620:日本@名無史さん
17/07/01 07:55:15.86 .net
>>601
筑紫はその後も発展し続ける。
その一方で、鏡の大きさと枚数で現時点でトップが平原遺跡なのも事実。
要するに、筑紫は畿内など足元にも及ばない繁栄を卑弥呼の治世を含む数百年にわたり享受していたということ。
これで纒向みたいな貧相な遺跡が都だと言う説があるらしいが、愚かなことだ。

621:日本@名無史さん
17/07/01 07:59:33.66 .net
>>603
>鏡、銅矛、甕棺と言う九州北部のシンボル的な物が平原の後辺りから一気に潮を引くように衰退していく
象徴が変化しているだけ。
例えば彩色古墳。
財宝は右肩上がりに上がる。
>この国の崩壊の後に他の場所に邪馬台国が出現する
根拠なし。
妄想。

622:日本@名無史さん
17/07/01 08:06:23.89 .net
>>603
「共立」という言葉は何をさすか?
諸公が話し合い、前王の血族の中から立てる例が多い
全く違う王を諸公が擁立した用例はあるのだろうか?
あれば教えてほしいが

623:日本@名無史さん
17/07/01 10:13:38.07 .net
更始帝

624:日本@名無史さん
17/07/01 12:36:35.30 .net
平原で大量副葬があるのは1号墳
それ以外の弥生後期の墓からはそのような副葬品は出ない
この遺跡群が平原を最後に衰退した姿を見る事が出来る
そしてこの傾向は平原だけでなく九州全体の流れとして現れており九州そのものの衰退と連動している

625:日本@名無史さん
17/07/01 12:48:11.47 .net
>>613
>そしてこの傾向は平原だけでなく九州全体の流れとして現れており九州そのものの衰退と連動している
どこが???
URLリンク(www.netpia.jp)
その後も繁栄してるよw

626:日本@名無史さん
17/07/01 15:19:03.44 fUNucgmow
>>613
  墓の規模や副葬品だけでそのクニの盛衰を推測するのは短絡的だろ。中国だって魏の曹操は「墓は質素でいい」と下達したしな。今だって富裕層の服装なんか徹底してカジュアル化しているわけで、文化というのはそういうものだw

627:日本@名無史さん
17/07/01 18:10:08.93 .net
>>613
衰退等とは古いなぁ、久しぶりに聞いた

628:日本@名無史さん
17/07/01 18:37:21.35 fUNucgmow
歴史を文化を手掛かりに研究すると必ず誤る。歴史は生産力とかインフラストラクチャーから考察するのが王道。やはりマルクス主義的なアプローチが正しいんだよ。「日本スゴイ、スゴイ病」患者の推理はほとんど間違いだろうなw

629:日本@名無史さん
17/07/01 18:39:08.97 fUNucgmow
畿内説とは「日本スゴイ、スゴイ病」患者の考えなんだよなw まあ、九州説にもこの患者はいるけどね。

630:日本@名無史さん
17/07/01 20:31:02.53 .net
>>613
1号墓の女王が非常に強力だったということだ。
衰退とか、バカじゃないのか?

631:日本@名無史さん
17/07/01 22:35:07.68 .net
今頃まだ衰退ってwwwww
ま、こういうレトリックで人を平気でだますから古代史学が衰退したんだよなw
理系に馬鹿にされまくってさ

632:日本@名無史さん
17/07/01 23:55:11.64 .net
>>612
元来は前漢の宗室であり、光武帝劉秀の族兄に当たる人だね

633:日本@名無史さん
17/07/02 02:12:06.32 .net
>>621
前王から8代遡った皇帝の子孫だからね
前王の血族でない全く違う王が擁立された用例だね

634:日本@名無史さん
17/07/02 02:17:29.30 .net
>>613
衰退ねえ
九州が衰退しようがしまいが当時の過疎った沼地とは関係ないけどね
畿内はようやく一部の勢力が移民の力で小国日本、プレヤマト王権を立ち上げたかどうかってとこでしょ
倭国とは関係ない
倭国は大変だったのよ大乱が続いた後女王を共立したものの狗奴国との関係はよくならず
女王が死んだ後は大騒


635:ぎ、壹與が女王になってからも軍事顧問が向こうからやってくる位だからね 戦乱が国を豊かにはしない事位は分かるよね のんびりした畿内とは違うんだよ



636:日本@名無史さん
17/07/02 05:44:21.21 .net
魏志に記された、戦乱が続く倭国の状況は、畿内とは全く違っている。
畿内は倭国ではない。
卑弥呼がいた倭国は九州北部。

637:日本@名無史さん
17/07/02 07:58:48.74 .net
>>622
全く違うというのは嘘でしょ?
族兄とはわかっていて共立したのだから

638:日本@名無史さん
17/07/02 08:34:11.96 .net
>>625
>族兄とわかっていたと言う理由は何だい?

639:日本@名無史さん
17/07/02 09:03:22.29 .net
九州の大神社といえば宇佐八幡、高良大社、阿蘇神社などがある。
このように大規模で歴史ある神社はその規模から古代においての影響力が想像できる。

640:日本@名無史さん
17/07/02 09:44:44.09 .net
糸島の高祖神社
神代より鎮座あり
神功皇后により現在のところに移設
だそうな。

641:日本@名無史さん
17/07/02 09:45:16.82 .net
>>626
その血筋を共立した諸公は知らなかったと?
いや~ありえないでしょ
ウィキでも「前漢の宗室」であることから皇帝に擁立され、とあるし、それが通説じゃないの?

642:日本@名無史さん
17/07/02 09:50:45.06 .net
>>629
なんか根拠あるの?
劉氏一門だって爵位もない末流でしょ?
男子三人子供があって8代隔ったら同じ血筋が六千人以上いるんだよ

643:日本@名無史さん
17/07/02 10:16:40.85 .net
>>630
もし、仮に知らなかった(ありえないが)としても、
少なくとも著者は知っていたのは間違いないし、その上での「共立」の記載なら、全く血筋の違う人物の事としては著者はとらえていないのだよ。

644:日本@名無史さん
17/07/02 10:36:02.12 .net
>>631
血筋ってそこまで拡大解釈しちゃうもんなの?

645:日本@名無史さん
17/07/02 10:47:04.66 .net
>>631
抵抗するなあ
じゃ建武二年に共立された孫登はどうよ
こいつ誰の血筋だ?

646:日本@名無史さん
17/07/02 11:21:57.53 .net
宇佐八幡の比売大神は卑弥呼、高良大社の高良玉垂命は卑弥弓呼

647:日本@名無史さん
17/07/02 12:13:36.35 .net
>>634
そんなのは畿内説と同レベルの妄想の部類w

648:日本@名無史さん
17/07/02 12:18:11.39 .net
>>635
神社の規模からいって間違いないだろう

649:日本@名無史さん
17/07/02 12:20:17.63 .net
>>636
そんなの根拠にならないよwww

650:日本@名無史さん
17/07/02 12:23:29.85 .net
>>633
残党が天子として共立した例ですね
確かに血筋は不明ですね、予言に合わせた人物では?という事ですが
諸公が王として共立した例とはちょっと違う所は気になりますが、確かに「共立」の意味あい的にはここでは血筋は関係ないですね

651:日本@名無史さん
17/07/02 12:41:53.55 .net
>>637
『日本書紀』では、宗像三女神は宇佐に降臨したとある。
高良玉垂命は記紀には登場しない、やはり敵対国の神だからか。

652:日本@名無史さん
17/07/02 13:05:09.58 .net
>>638
義帝

653:日本@名無史さん
17/07/02 13:11:38.26 .net
『日本書紀』は卑弥呼の時代より500年後のものだし
内容も殆ど改竄されてるからな。

654:日本@名無史さん
17/07/02 13:26:44.77 .net
中国で末裔を担ぎ上げた例が劉備だな。

655:日本@名無史さん
17/07/02 13:55:45.52 .net
>>642
担ぎ上げたんじゃなくて
自力で成り上がるのに
名前も利用したんだろ

656:日本@名無史さん
17/07/02 14:01:37.70 .net
地盤を持たない劉備が覇を唱えるには、侵略戦争しかないのに
義とか仁とか言いやがって、この偽善者が
皇族の血を継ぐというのは、侵略戦争を正当化する方便

657:日本@名無史さん
17/07/02 14:10:46.53 .net
>>639
景行天皇が高良山に仮宮を築いた
という話なら載ってるよ。

658:日本@名無史さん
17/07/02 17:27:39.49 .net
>>643
田舎でひっそり暮らしているのを迎えに行ったんだろ。
魏に対抗するために担ぎ上げる神輿が欲しかったんだよ。
劉の姓があれば誰でも良かったが、つかないものが王になることはできなかった。
それくらい王の正統に気を配る時代だったので、倭国女王に金印を送るにあたり、その出自を検討したはず。

659:日本@名無史さん
17/07/02 17:29:48.92 .net
何の話をしているんだ?
頭の病院に行ってきたほうがいいぞ

660:日本@名無史さん
17/07/02 22:26:19.27 .net
>>646
そんな歴史どこに書いてあるんだ?

661:日本@名無史さん
17/07/03 07:46:39.21 .net
劉備なんて、劉邦からの詳しい家系すらわからない末裔の一人に過ぎなかったけれど、それを関羽らが迎え入れたように記憶しているけど。
典型的な傀儡だよ。

662:日本@名無史さん
17/07/03 07:51:55.35 .net
>>649
それ、なんて史料?

663:日本@名無史さん
17/07/03 07:56:15.41 .net
九州説ジイさんの歴史知識なんて、こんなもんさ

664:日本@名無史さん
17/07/03 14:02:40.78 .net
景帝は子だくさん、また玄孫という
のは血縁がないのと一緒で、系図
捏造のパターン。
つまり「これは嘘と取るのもご自由に」
と言うことw
継体も同様だよな。

665:日本@名無史さん
17/07/04 11:14:02.88 .net
九州は弥生時代後期になったら鏡も激減して明らかな衰退の様子を見せてるからな
邪馬台国の時代よりも100年も前に既に終わりを迎えてる土地
平原なんて古い鏡を鋳つぶしてかつての鏡を模倣した偽物を大量に副葬してるとかもう惨めな凋落の遺跡でしかない
かつての倭王の没落を示す遺跡だな

666:日本@名無史さん
17/07/05 06:04:11.43 .net
>>653
全然減ってないよ?

667:日本@名無史さん
17/07/05 07:16:02.85 .net
>>653
素人の発言も歓迎

668:日本@名無史さん
17/07/05 12:32:22.88 .net
鏡については弥生後期には福岡市周辺を出土の中心としていた物が急激に減少してその中心地が北九州市方面に移る
これもかつてのような大量副葬ではなく複数の遺跡に数枚の規模にまで減少していてとてもかつての王墓のような存在とは言い難い
鏡の分布も「北九州市方面が中心になった」というよりも、「福岡市方面が激減した結果、相対的に北九州市が目立つ」と言うだけでそこに何か大きな勢力が現れたわけではない
北九州市方面も土器層を見ると出雲などの山陰土器の強い影響下にあり他を優越するような勢力が存在していたとは言い難い
一方、福岡市周辺も土器層を見ても生活用具から庄内、吉備式の土器に変化していてその性質の変化は明確になっている
あらゆる点から九州が弥生時代前期、中期の頃に保っていた勢力を失っている様が見て取れる
かつての銅矛や甕棺のような中心性を無くした上でこのような鏡をはじめとした衰退の姿を見せる九州には、【九州北部でさえまとめる勢力は存在しない】のが分かる
こんなところに邪馬台国などあるはずがないのが分かる

669:日本@名無史さん
17/07/05 17:55:57.23 .net
>>656
発狂した。
夢を見ているようだ。

670:日本@名無史さん
17/07/06 02:34:29.27 .net
>>657
あなた、言い渡された事実を認めたくないばかりに発狂したの?

671:日本@名無史さん
17/07/06 05:52:06.05 .net
弥生時代、古墳時代合わせても、
奈良は福岡を越えられない。
鉄器数、銅器数、古墳数なども
すべて福岡のほうが多い
奈良が勝っているのは幾つかの古墳の大きさだけである

672:日本@名無史さん
17/07/06 06:58:03.42 .net
>>659
弥生時代後期、古墳時代合わせても、
福岡は阿波を越えられない。
鉄器数、銅器数、古墳数なども
すべて阿波のほうが多い     @阿波

673:日本@名無史さん
17/07/06 07:52:47.28 .net
>>660
いくらなんでも、それはないよ。

674:日本@名無史さん
17/07/06 08:16:40.06 .net
>>661
畿内や九州に「矢野遺跡」「名東遺跡」「庄・蔵本遺跡」「萩原遺跡」「黒谷川郡頭遺跡」等々に匹敵する遺跡があるのだろうか?
「那賀川流域」「鮎喰川流域」「大河吉野川流域」に拡がる徳島平野はまさに、「倭国の首都」に相応しいと言える。
天王日月・・・鳴門の重要遺跡群
鳴門市・板野郡(旧板野郡)には,きわめて重要な遺跡群があります.
萩原墳丘墓・・・前方後円墳のルーツ,2号墓で中国鏡の破片・中国の朱,1号墓で画文帯神獣鏡の副葬
阿王塚古墳・・・2面の画文帯神獣鏡の副葬(宮内庁所蔵の優品)
天河別古墳群,西山谷古墳群・・・国内最古級の古墳を含む古墳群
黒谷川郡頭遺跡・・・朱の精製,弥生後期~終末期の県内最大級の規模の住居遺跡
これらの遺跡群の真の重要性はまだ一般には知られていません.
しかし,ここに日本の「壱」の場所があったのです.

675:日本@名無史さん
17/07/06 10:05:00.48 .net
その古墳すら、奈良県は近畿の周辺の県より少なく、関東にも負けている。
奈良は名もなき過疎の辺境の地であった。

676:日本@名無史さん
17/07/06 10:05:19.35 .net
じゃあそこが邪馬台国って事で良いんだよね?
九州説は
奈良に勝ってるとかじゃなくて九州説の邪馬台国はどこなの?

677:日本@名無史さん
17/07/06 10:17:43.46 .net
畿内に勝ったとか訳の分からん事言う前に邪馬台国は九州のどこなのかね
それを堂々と言えば「奈良に何もかもが圧倒的に勝ってる」と言うんだからぐうの音も出ないハズだろうにね
何故かここまで完璧で隙もない凄い場所なのに邪馬台国の場所が出てこないよね
不思議だね

678:日本@名無史さん
17/07/06 10:48:28.97 .net
古墳が一番多いのは千葉県でしたっけ?

679:日本@名無史さん
17/07/06 10:52:43.00 .net
つまり多さじゃないってことだね

680:日本@名無史さん
17/07/06 10:55:04.85 .net
うんうん、そうだね

で?邪馬台国は九州のどこなの?

681:日本@名無史さん
17/07/06 12:08:13.57 .net
絶対無敵の九州説なのに邪馬台国の場所はどこだかわからないとかあり得ないよね
間違いなく確実に九州なんだから
どこを比定してくれるんだろうなぁ
楽しみだなぁ

682:日本@名無史さん
17/07/06 13:14:55.33 .net
>>668
卑弥呼がいたのは金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が発見された日田。
邪馬台国は遠賀川流域。
つまりタカミムスビが治め鷹の伝承が残る福岡県田川を中心とする地域。

683:日本@名無史さん
17/07/06 13:29:10.34 .net
へぇそこに径100歩の墓があって、卑弥呼の鏡があって、7万戸の住民がいて、5万戸の投馬国も含めた領域を支配してた国があるのか?
なんにもねぇじゃん

684:日本@名無史さん
17/07/06 13:36:22.06 .net
タカミムスビの治めていたと思われる地域と先代旧事本紀に出てくる地名が重なるので物部氏はタカミムスビにゆかりのある一族のか。

685:日本@名無史さん
17/07/06 13:38:43.65 .net
あれ?それが九州の邪馬台国なの?

686:日本@名無史さん
17/07/06 13:40:52.30 .net
>>671
筑後川と遠賀川がある、現在、流域には百万人はいるよ。

687:日本@名無史さん
17/07/06 13:45:36.61 .net
筑後と畿内は似ている地名が多い。
筑豊と畿内も似ている地名が多い。
東遷だと思う。

688:日本@名無史さん
17/07/06 13:48:32.06 .net
現在?は?
現在の人口?はぁ?
で径100歩の墓は?
魏に貰った100枚の鏡は?
宮殿は?
丹山は?
骨占は?
その領域を支配下に入れてたって言う証拠は?
え?そこが九州説の邪馬台国なの?マジで?
何一つないんだけど?本気なの?

689:日本@名無史さん
17/07/06 13:59:22.14 .net
>>676
全国に約44,000社ある八幡宮の総本社宇佐八幡も九州
『日本書紀』別の一書では、宗像三女神は宇佐に降臨したとある。

690:日本@名無史さん
17/07/06 14:02:06.53 .net
それが邪馬台国なの?
で径100歩の墓は?
魏に貰った100枚の鏡は?
宮殿は?
丹山は?
骨占は?
その領域を支配下に入れてたって言う証拠は?
日本書紀の記述?それ当てにすんの?

691:日本@名無史さん
17/07/06 14:19:25.83 .net
早く全部にちゃんと該当する畿内なんてあり得ないと一蹴できる九州説の邪馬台国を早く提示してください
期待して待ってるんですから

692:日本@名無史さん
17/07/06 14:34:09.34 .net
宇佐八幡の八幡大神はタカミムスビ、比売大神は卑弥呼

693:日本@名無史さん
17/07/06 14:37:27.16 .net
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は王が持つ鏡。
畿内にこれ以上の鏡はない。

694:日本@名無史さん
17/07/06 14:46:28.64 .net
へぇ
で径100歩の墓は?
魏に貰った100枚の鏡は?
宮殿は?
丹山は?
骨占は?
その領域を支配下に入れてたって言う証拠は?
どこにあるの?ねぇ?

695:日本@名無史さん
17/07/06 14:48:44.53 .net
畿内の神は国津神なので、太陽の神である日御子はありえない。

696:日本@名無史さん
17/07/06 14:54:24.62 .net
いやいやいや
ウソだらけの畿内なんてどうでも良いんだよ
真実100%の確実間違いなしの九州の邪馬台国の場所を聞きたいんだよ
早く教えてよ
で径100歩の墓は?
魏に貰った100枚の鏡は?
宮殿は?
丹山は?
骨占は?
九州北部全域にさらに5万戸の投馬国までの広大な領域を支配下に入れてたって言う証拠は?
どこにあるの?ねぇ?

697:日本@名無史さん
17/07/06 14:54:57.41 .net
宇佐八幡が畿内でなく九州にある時点で卑弥呼は畿内にいない。
天皇もわざわざ宇佐まで神託伺っていた、

698:日本@名無史さん
17/07/06 15:10:43.21 .net
>>685
>天皇もわざわざ宇佐まで神託伺っていた、
道鏡事件かよ  はずかしい宇佐www

699:日本@名無史さん
17/07/06 15:22:43.07 .net
だから畿内なんてどうでも良いんだよ
で径100歩の墓は?
魏に貰った100枚の鏡は?
宮殿は?
丹山は?
骨占は?
九州北部全域にさらに5万戸の投馬国までの広大な領域を支配下に入れてたって言う証拠は?
どこにあるの?ねぇ?

700:日本@名無史さん
17/07/06 15:30:15.38 .net
>>686
なぜ近くの神社でなく遠く九州の神社の信託を仰いだのか。
常識的に考えれば、都にいる天皇が田舎の神社の信託を仰ぐことは考えられない。
宇佐八幡は謎が多い。

701:日本@名無史さん
17/07/06 15:43:04.05 .net
>>687
邪馬台国は後の天皇家につながると考えるのでそんな枝葉末節は重要でない。

702:日本@名無史さん
17/07/06 15:54:40.10 .net
あーつまり何にもないけど俺が思う皇室と邪馬台国が同じというストーリー上そこにある事になってると言いたいわけだ
あーなるほどね
それが九州説なんだ

703:日本@名無史さん
17/07/06 16:01:46.93 .net
>>688
宇佐八幡応神天皇が現在の天皇家の直接の祖先だからだよ。

704:日本@名無史さん
17/07/06 16:03:17.23 .net
宮殿は伊都の高祖宮、別名を高千穂宮だな。

705:日本@名無史さん
17/07/06 16:05:15.44 .net
>>691
>宇佐八幡応神天皇が現在の天皇家の直接の祖先だからだよ。
そんなウソ、どうやって導き出したんだ?

706:日本@名無史さん
17/07/06 16:28:41.77 .net
魏に貰った100枚の鏡
というのは見つからないから邪馬台国がなかった
見つかったからそこが邪馬台国だ
ということはできない
卑弥呼から各地の支配者に配ったとすれば
一箇所からまとめて発見されることはない
東遷したとすれば鏡の移動があったわけだから
見つかった地が邪馬台国ではない
東遷ではなく戦いにより奪われて鏡が移動した場合も同じ

707:日本@名無史さん
17/07/06 16:34:07.93 .net
神功皇后(仲哀天皇からはかなりの遠縁)は、仲哀天皇の本来の皇后(仲哀天皇と同じく景行天皇の孫)とその皇子二人を暗殺した。
応神天皇が産まれたのはその後であるが、神功皇后は石を腹に当てて出産を遅らせたという。
しかしそんなことで出産が遅れるはずはないため、仲哀天皇の崩御から応神天皇の出産までの期間が長すぎることをごまかすための創作であると考えられる。
応神天皇の実父は、古来から武内宿禰と言われている。

708:日本@名無史さん
17/07/06 16:40:13.74 .net
なんにもないけどここが邪馬台国だ
なぜなら無くてもそう思ったらそれで良いからだ
でも畿内に対してはあらゆる証拠をそろえてないと許さない
これが九州説だというのが良く分かった

709:日本@名無史さん
17/07/06 16:46:37.38 .net
何もなくとも自分がそうだと確信した時そこに邪馬台国は現れるのだ!
禅問答みたいだな

710:日本@名無史さん
17/07/06 21:35:00.13 .net
畿内説は全く根拠がないのに言い張っているから。

711:日本@名無史さん
17/07/07 00:02:38.52 .net
>>691
浅井な
その裏に三女神あり
そのまた裏に大国主あり

712:日本@名無史さん
17/07/07 01:33:39.13 .net
なんで畿内とか言ってんだ?バカなの?
確実100%の九州の場所を主張すればそれで他の説なんて黙るだろ?
なんで九州の邪馬台国の場所を言えないの?
ねぇ?
その信憑性の塊の場所を早く教えてよ

713:日本@名無史さん
17/07/07 02:49:02.96 .net
八女って言ってんだろ。 高良山でも良いけど。
女王共立とか世襲性じゃない王権に持続可能性って有るか?
原始共産制の邪馬台国で暮らした魏使は裏山w

714:日本@名無史さん
17/07/07 08:37:15.11 .net
卑弥呼は記紀にイの一番に記載されてるわけで邪馬台国論争自体が終わります。
卑弥呼を生んだ2世紀前半から3世紀後半まで存在した王族の代々墓の場所も分ります。
箸墓古墳ではありません。
神武が実在したか実在しなかったかという議論も長い間ありましたが、
「神武の時代が女王国である」という「地動説」に発想を切り替えていただければすぐに理解できます。
記紀でなぜ古代天皇が100歳を超えるほど時代を大きく引き延ばしてるのかについても、
実際の卑弥呼から5世代前がスサノオになり、
日本の国史を中華皇帝への土下座という耐えられないような史実から始めれなかったというプライドの問題であることが分かります。
■2世紀から4世紀まで)
スサノオ(帥升)107年




ヒメ踏鞴  (3世紀初)神武 
ヒメ踏鞴        綏靖  
ヒメ踏鞴        安寧  
トヨ津         懿徳 孝昭 
トヨ津         孝安    ​     
    磯城の台頭  孝霊 孝元 開化
           崇神(4世紀初~前)

715:日本@名無史さん
17/07/07 09:24:21.44 .net
Q:九州のどこに邪馬台国があったんですか?
A:畿内説はうそばかりだ
会話が成り立たない九州説

716:日本@名無史さん
17/07/07 10:32:08.78 .net
邪馬台国はヤマトすなわち筑紫に都した倭国のこと。

717:日本@名無史さん
17/07/07 11:15:58.97 .net
で、邪馬台国は九州のどこなの?
径100歩の墓は?
魏に貰った100枚の鏡は?
宮殿は?
丹山は?
骨占は?
九州北部全域にさらに5万戸の投馬国までの広大な領域を支配下に入れてたって言う証拠は?
どこにあるの?

718:日本@名無史さん
17/07/07 11:43:32.22 .net
●2ちゃんねるとニコニコ動画の正体●
2ちゃんねる管理人や既得権益を批判する書き込みをすると2ちゃんねる管理人からハッキングされます。
場合によってはストーカーされます。
実際2ちゃんねる管理人が書き込みをしてる所にやってきます(ストーカー)。
2ちゃんねる管理人からマークされた人は2ちゃんねるを見てるだけで今見てるなとバレてます(書き込んでなくても)。
リアルタイムで2ちゃんのどのスレを見てるか分かるようになってます。
2ちゃんから転載されてるブログ(アルファルファモザイクなど) を荒らすと、その情報はニコニコ管理人と2ちゃんねる管理人で共有されます。
場合によってはハッキングされたりストーカーされます。
31 :可愛い奥様@転載は禁止:2014/12/25(木) 08:13:17.30 ID:gDmdUXyO0
きょう発売の宝島に2ちゃんの運営者ジム・ワトキンスのインタビューがある
どうもジム・ワトキンスはciaか米軍の工作員の可能性が高い
だから2ちゃんにアジア分断工作のスレがたくさんあるんだろうね(アジア分断工作をしてるのはアメリカ)
2ちゃんねる=ひろゆき=ジム・ワトキンス(米軍人、cia)
ニコニコ動画=2ちゃんねる=自民党
ニコニコ動画=ひろゆき
ニコニコ動画=2ちゃんから転載されてるブログ(アルファルファモザイクなど)
NAVERまとめ=ひろゆき

719:日本@名無史さん
17/07/07 11:43:41.76 .net
2013.09.17
2ちゃんねる元管理人・西村ひろゆきの申告漏れは悪質過ぎる!
URLリンク(straydog.way-nifty.com)

●この記事が出るまで2ちゃん管理人の"ひろゆき"は「自分は2ちゃん管理人ではない」と嘘をついていましたw

2012年6月29日
2ちゃん運営会社は「ペーパー会社」 登記上の役員証言
URLリンク(i.imgur.com)

ひろゆき(2ちゃん管理人)は数々の民事訴訟を抱えている。
請求されている賠償金は10億円。
ひろゆきは賠償金を1円も払っていない。
2012年6月
スレリンク(ms板:677番)

●2ちゃんの広告主、無修正エロ動画カリビアンコム

カリビアンコム…有限会社ピエロ(本社:東京都練馬区、代表取締役:陳美娟)
URLリンク(www.peeep.u)●s/3ee0ef64


覚醒剤SEX動画カリビアンコムは2ちゃんの大広告主でした
昔、2ちゃんにはカリビアンコムの広告がたくさんあったんです
覚醒剤SEX動画カリビアンコムを大きくしたのは2ちゃんねる管理人ひろゆき、です
2ちゃん管理人はハッキングとストーカーをしています(ハッキングは普通にしています)
2ちゃんは匿名の掲示板ではないです

720:日本@名無史さん
17/07/07 12:47:00.81 .net
>>705
おまえ馬鹿だろ?
世襲でもない継続不能の王権の墓が残るか?
三角縁神獣鏡は散逸してるだろ?
宮殿は 普通次期王権が建て直すんじゃねーの?
丹山は? 輸入国だろ。
骨占は? 随所で出てるだろ
九州北部全域にさらに5万戸の投馬国までの広大な領域を支配下に入れてたって言う証拠は?
筑紫国になってるだろが、地域全部が考古学的証拠になるかよ。
考古学の限界って理解できるか?
邪馬台国は倭人伝と言う文献が示す通りの王朝だって言ってんのが九州説。
箸墓とか言ってる奴は馬鹿。 黙って、世界中を掘り返せwww

721:日本@名無史さん
17/07/07 13:11:11.60 .net
>>708
ご覧ください
バカがバカを晒してます

722:日本@名無史さん
17/07/07 13:12:40.45 .net
キュウシュウセツって倭人伝も考古学も知らないアホの集団なんだなぁ
このバカに代表みたいな顔して書かせておかない方が良いぞ他の九州説は

723:日本@名無史さん
17/07/07 13:26:03.26 .net
無能な味方ほど邪魔な物はないという標本だな

724:日本@名無史さん
17/07/08 01:28:39.98 .net
帥升は福岡県山門郡の”面の上”にいたんですよ。(倭面上国)
その子孫が卑弥呼と田油津媛。

725:日本@名無史さん
17/07/09 17:34:16.48 .net
方角が分からないキナイセツは倭人伝の文章をさまよう亡霊だ

726:日本@名無史さん
17/07/09 18:36:06.78 .net
>>710
いい加減にしろキチガイのクズ
自分で何も調べない、わからないのに人を罵倒する馬鹿はs

727:日本@名無史さん
17/07/09 19:42:21.87 .net
>>710
は知識があるのなら、その正解とやらの説を披露すべきだな

728:日本@名無史さん
17/07/09 19:48:47.22 .net
>>685
勘違いしてるけど
神託が出たと言われたから聞きに行ったんで
神託を伺いに行った訳じゃないよ

729:日本@名無史さん
17/07/09 19:50:59.19 .net
じいーちゃんなんだからあんまり言ったら気の毒だろww
耄碌して記憶があやふやなまま書き込んでるんだよww

730:日本@名無史さん
17/07/09 19:58:08.52 .net
で?九州説は九州のどこが邪馬台国だと言ってるの?
ここまで自信たっぷりなんだから間違いない場所あるんだよね?
どこなの?
ほら、早く言えよ

731:subo
17/07/09 20:01:42.36 .net
>>718
佐賀のたんぼ(何回もいわすな

732:日本@名無史さん
17/07/09 20:11:09.80 .net
佐賀は経由するが
邪馬台国は熊本でしょう。
奈良時代でさえ旧国で最大生産国

733:日本@名無史さん
17/07/09 20:50:57.42 .net
熊本が狗奴国だから、邪馬台国それを南に見ることができる、筑紫から肥前にかけてでしょう。

734:日本@名無史さん
17/07/09 23:04:54.06 .net
>>716
宇佐八幡のサイトより引用
八幡大神とお供の宇佐宮の女禰宜(めねぎ)・大神杜女(おおがのもりめ)が大仏を拝するため、紫の輿(こし)に乗って転害門(てがいもん)をくぐりました。
紫の輿とは天皇が使用する高貴なものでした。

735:日本@名無史さん
17/07/09 23:12:01.51 .net
>>716
東大寺では八幡神を迎え、聖武太上(しょうむだいじょう)天皇、考謙(こうけん)天皇、光明皇太后(こうみょうこうたいごう)の行幸のもと、
僧侶5000人の読経(どきょう)、呉楽(くれがく)、五節舞(ごせちのまい)などの法要が賑々しく営まれました。
宇佐八幡は別格の扱い。

736:日本@名無史さん
17/07/09 23:28:23.75 .net
>>722
>紫の輿とは天皇が使用する高貴なものでした。
八幡様は皇祖である応神天皇なので、天皇と同格かそれ以上の扱いになるのですね。

737:日本@名無史さん
17/07/10 01:07:53.15 .net
それと神託とどう関係してんだ?
いよいよボケたのか?
年寄りは早く寝ろww

738:日本@名無史さん
17/07/10 01:14:01.30 .net
要は8世紀になっても阿組の血筋をひく女大酋長どもが
女王ごっこの続きをしでかしているとゆうことさ

739:日本@名無史さん
17/07/10 06:38:56.19 .net
>>725
宇佐八幡の神託は権威があり権力者達はそれを利用しようと色々と根回ししていた。

740:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/07/10 07:51:08.63 .net
宇佐八幡宮のそのまた起こりは、
大分日向境にある祖母山のふもとの天孫降臨の高千穂神社だな。衰退を見かねて、宇佐の禰宜の大賀が再興に赴いた。

741:日本@名無史さん
17/07/10 21:04:35.14 .net
いつの話だよ?

742:日本@名無史さん
17/07/10 21:38:37.03 .net
肥後・豊後・日向三国境の高千穂郷(三田井)への天孫降臨は3世紀で、
宇佐神宮の禰宜大賀氏による三田井の高千穂神社等の再興は平安時代のころだな

743:日本@名無史さん
17/07/10 22:05:37.09 .net
年寄りには時間の概念が無くなるのか

744:日本@名無史さん
17/07/10 22:11:49.35 .net
魏志倭人伝に登場する国を我見で比定してみた
己百支国は山口県の石城山
伊邪国は鳥取県の揖屋
鬼国は岡山県の鬼城山城
巴利国は兵庫県の播磨城山城
これらに共通するのは神籠石山城があるってこと

745:日本@名無史さん
17/07/10 22:26:24.55 .net
進路が東になっている説はどうもしっくりこない

746:日本@名無史さん
17/07/10 22:59:06.64 .net
しゃかしゃか じゅぼっ むわーん

747:subo
17/07/10 22:59:52.62 .net
>>732
己百支国は田平から佐世保、九十九島を含む
伊邪国は平戸(本国)五島(分国)
巴利国は佐賀県の佐里
長崎廻りで3千里である

748:日本@名無史さん
17/07/11 00:17:21.54 .net
進路が南になってる説もしっくりこないからね
行程論以外で考えないとね

749:日本@名無史さん
17/07/11 00:26:54.39 .net
陳寿は東夷伝は書いたけど、西戎伝はあえて書かなかった
このあたりに政治的な思惑があったのは間違いないだろう

750:日本@名無史さん
17/07/11 07:26:06.13 .net
そら、書いた当時は司馬氏の世の中だし

751:日本@名無史さん
17/07/11 08:46:55.40 .net
>>735
奴国から反時計回りに見える。
逆に言うと、それから外れるところは比定が誤っている。
【邪馬台国の周辺の国】
1番目の斯馬国は旧志摩(しま、嶋)郡(福岡県糸島市)
2番目の己百支国は九十九島(長崎県佐世保市)
3番目の伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)
4番目の都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番目の彌奴国は嶺(三根)、佐賀県神埼郡三根村にある吉野ヶ里遺跡
6番目の好古都国は?
7番目の不呼国は?
8番目の姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番目の對蘇国は鳥栖の安永田遺跡(佐賀県鳥栖市柚比町)
10番目の蘇奴国は?
11番目の呼邑国は?
12番目の華奴蘇奴国は?
13番目の鬼国は?
14番目の爲吾国は?
15番目の鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番目の邪馬国は八女の室岡・亀ノ甲遺跡(福岡県八女市)
17番目の躬臣國は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番目の巴利国は杷木(福岡県朝倉市)
19番目の支惟國は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番目の烏奴國は大野城趾(福岡県大野城市)
21番目の奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

これで周旋五千里くらいか。
ほぼ筑紫と肥前だ。
筑紫と肥国から、肥後狗奴国が分離した程度。


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