【日朝】 金日成主席と会って魅了された日本の人々 「世界史の宝のような方」「世界で一番大好きな方」 [03/21]at NEWS4PLUS
【日朝】 金日成主席と会って魅了された日本の人々 「世界史の宝のような方」「世界で一番大好きな方」 [03/21] - 暇つぶし2ch1:九段の社で待っててねφ ★
12/03/21 15:02:56.12

 この春、金日成主席生誕100周年を迎える。生前、主席と会い、親交を結んだ各界の人々は
多い。当時の取材メモから、主席の人柄に魅了された人々の声を再録してみよう。(粉)

「おじいさんだと思って」

 三木睦子元首相夫人は、南北統一を支援する「アジアの平和と女性の役割」呼びかけ人のほか、
国連婦人会会長、アジア婦人友好会会長などの重責を担い、内外で活躍してきた。政財界に知己も
多い。昨今の政治社会問題に警鐘を鳴らし続け、朝鮮の統一問題については深い関心を寄せ、献身
してきた。

 1992年に「アジアの平和と女性の役割」平壌セミナーが開催されたとき、主席と初めて会った印象
について、こう語っていた。「あのとき頂いたご馳走は宮廷料理で、とくに鶴の肉を出していただいた。
私は父から聞いて知っていたが、これは大変貴重なもの。味は品のある薄味で一皿ずつ運ばれてきた。
誰かがハーモニカを吹き、場がいっそう盛り上がって、楽しい雰囲気となった。『私たち年寄りは歌ったり
踊ったりせずに座っていましょう』とおっしゃったのでゆっくりお話することができた」。

 逝去直前の1994年6月に主席と再び会見。同行した孫2人に「これからは、私をおじいさんだと思って、
毎年遊びにいらっしゃい」と優しく声をかけてくれたという。三木さんは、主席の朝鮮統一への信念と情熱
に心から感銘を受け、その後も信義と誠意を尽くして日朝の国交正常化に尽力してきた。どんなに日本の
情勢がバタバタしても、隣国であることには変わりない。「同じアジアなんだから仲良くしましょう」という
主席の言葉が、日朝両国民への遺言だと受け止めていた。

「夢のような時間」

 大鷹淑子元参院議員は1975年に主席と会った。「李香蘭さんですね。昔あなたに雑誌や映画でお目に
かかったことがあります」と声をかけられ、飛び上がらんばかりに驚いたことがある。「植民地時代のことには
悪感情を持たれて当然なのに、非難するどころか『人生には一生懸命働くばかりでなく、歌を歌い、アコー
ディオンをひくことが大切なのです』との言葉を頂き、夢のような時間を過ごしました」と振り返ってくれた。

芸術仲間として

 歌手の小笠原美都子さんは、長い間、毎年のように「4月の春親善芸術祭」に参加してきた。とりわけ強烈
な印象を抱いているのは、主席逝去の直前の4月に会ったときのこと。

 主席は顔色もよく、笑みを浮かべて、「私は元気ですよ」と話したという。悲報を聞いた時は「体中の力が
抜けてしまい、涙が止まらなかった」という。

 小笠原さんが主席と初めて会ったのは、1978年。「夢にまで見た主席との出会い」が叶って以来、「世界で
最も尊敬する一番大好きな方」として慕ってきた。

 「主席はおおらかで、素敵な方でした。会う人すべてを包み込んでしまうお人柄。また、芸術を深く愛されて、
私を芸術を共に楽しむ仲間として迎えてくださったのが忘れられません」

「主席一家と共に」

 朝鮮と日本のゆがんだ近代史の生き証人として数奇な運命を歩んだ小林和子さんの夫、国正さんにも話を
聞いたことがあった。和子さんは朝鮮が解放された翌年の1946年、主席の邸宅で4カ月間過ごし、主席と
金正淑夫人はじめ一家との温かい交流を体験し1989年死去した。国正さんは「家内は敗戦の翌年、平壌で
避難生活を送っている時に、主席の住まいで家事を手伝っていたのです。その時に身内のように優しくして
くださったと、いつも子どもや私に話してくれた。日本に引き揚げて40年たっても、あんなに優しい方は見たこと
がないというのが口癖でした」と振り返った。そして、「戦前、戦後の激動の時代を国民のために戦い、生き
抜いた指導者は、世界で金日成主席ただ1人でした。世界史の宝のような方であった。日本はかつて朝鮮を
侵略した国だが、その罪を心から謝罪して、国交を結び、主席の訪日を実現するようにすべきだった」

ソース   朝鮮新報 2012年3月21日
URLリンク(jp.korea-np.co.jp)
金日成主席と会見する三木睦子さん(左から2番目、 1994年6月19日、写真提供=三木さん)と家族
URLリンク(jp.korea-np.co.jp)


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