16/11/10 10:36:54.03 FMFY4bou.net
2世3世が覚醒する事も善い事だし(善い意味の覚醒なら)脱会も善い事だ(善い意味での退転なら)
逆に、本人の価値観で毎日十分幸せに生きて行けるなら学会員で居続ける事を否定してはいけない
ただ、私の身近に不思議な学会員がいて、どう解釈して良いか分からない。もちろん学会への批判では無い。
友人学会員は3世、他界した父親は本部職員だった。職業人としては極めて真面目で皆から好感度が高い。
仕事の話だろうが、世間話だろうが、全ての話の中に「信心」という言葉が入ってくる。
私も学会員だから左程不思議とは思わなかったのだが、最近いきなり彼は鬱病というか抑うつ状態になった。
心配になり私に何か出来る事があれば、、、と私は話しかけた。
相変わらず彼の言質には「信心だとか境涯(学会的な意味での」の言葉が頻繁に混じる。
また時々発する「広布や本流」の言葉も気になった。
私は彼の身を案じて普遍的な話、話し方をしたかったのだが彼は拒絶するかのように「信心」に結びつけたがる
つまり彼は、既に話が出来ない人間。キツい言い方をすると「話しかけてはいけない人間」に変わっていた。
私は学会員だが、彼が何か信仰に対して別の見方を初めてしまったのなら、過去の学会員人生を自己批判して
落ち込んでも不思議では無いよと、様々な表現を用いて語った。
今は様々な情報が得やすい時代。その情報の中にはクソも味噌も一緒の玉石混淆だが
彼は最後に言った。「もう学会員としてやっていく自信が無くなった。でも、」
「でも、長い事学会員であった自分が学会を去っても存在する場所がどこにあるのだろう?」
「自分の過去を冷徹に客観的に見つめなおす事ほど残酷な事は無い、、、」と
信教の自由は認める。ただ後にやって来るかもしれない自己批判でこれほど苦しめられる人間が出現する
宗教団体は、少なくとも機能不全だと言い切れる。
だからといって、何も答えは無いのだが。