18/05/12 16:00:29.12 M9mQR4KB.net
医専上がりの開業医が子弟に病院・医院を継承するために、新設私立医を作ったのだが、1971年から1979年までに
徐々に診療報酬の適正化に応じれば、国公立医は易化したので、旧設私立医も1980年代の新設私立医程度には
易化し、実際の新設私立医は旧設私立医に入学できたろう。その上で、新設私立医分だけ国公立を設置すれば、
ここまでの矛盾はなかった。しかし、私利私欲だけで国民皆保険を食い物にした医専上がりの開業医達が、
1971年に診療報酬を釣り上げたままにしたのだから、1979年程度までに、医師免許を強制的に分割して「応能報酬」の
徹底を図るべきであった。
と、思うわけです。ですからA級医とB級医の壁は取り払わないわけです。
最後になりますが、駿台全国模試で適切に偏差値すら出せなかったらしい新設私立医の定員を埋めることが
出来たということは、日中戦争開始後に高等教育を受けたものの中で私立医専が最下層、その上が官公立臨時医専
であったことの傍証と考えます。