24/03/23 11:28:47.55 IWjzd/KB0.net
伊藤和子との裁判の本質は女性差別主義者なるレッテルの妥当性ぐらいのものだろう。
暇空が女性差別主義者かどうかなんて判定はどうでもいいことで
男女の性差に基づく生物学的な違いを指摘したり女性支援団体の公金不正を追及することを以て
女性差別主義者というレッテルを貼ることに合理的な理由があるかどうかの話。
女性差別主義者だからフェミニストと対立しているのではなく
何でも女性差別主義者というレッテルを貼るフェミニストの振る舞いへの違和感が主張の動機にある
場合がほとんどで、女性差別主義者なんて定義の曖昧な蔑称の真贋を争ってもしょうがないし
レッテルそのものではなく貼る行為に対する批判であり適用範囲が無限に拡大していくことへの
批判が争点なんだろう。