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昭和五十二年九月二十一日(本席様の話しをして居た時突然次の様な御言葉が出された)
さあ/\どんで有ろうが、ばかで有ろうが、一旦神が降りたと言うたら、何わからんと言うでないぞや。
如何様にかしこいかしこい者やと言うたとて、神のさしづがしかと説けるか。この神がしかと自由用して有るで、どんな者でも叶う者なし。
さあ/\あほと思うたその者が、あほになるのや、きっと見ていよ。
この神の言う事なるは、うそでない今に見ていよ、きっと分かるぞ。
さあ/\ あほの鏡にならぬ様、我が足元から気をつけよ。
この事は、誠の神のさとしなり。何も違ごうた事は決して言わぬ。
さあ/\教祖が何なろうた者でない。誰に教えをこうた事もない。みな神たるの自由用や。
この神が真実受け取りて、その者なるに仕込みたるのや、今なるもその事なると同じ事
さあ/\このお方をば何と思うぞ、この方はみろくぼさつの魂を、身に受けて出たる方なるぞ、それなるも神が見定めつけし者、きっと見ていよ今にわかるぞ。
さあ/\悪しきはらい助けたまえの天理王の命なるぞよ。
これにて皆にさとし置く。一列しかと心せよ。