天理教社会学研究所 カインを 糾す。at PSY
天理教社会学研究所 カインを 糾す。 - 暇つぶし2ch91:神之内分場所M
18/03/16 16:37:51.30 1Fb0ZA9gv
昭和五十三年十二月二十三日午前十一時
さあ/~/

92:神之打分場所M
18/03/16 17:57:55.48 1Fb0ZA9gv
さあ/\分からんが九分で 分かりたが一分の処で 道は二つに分かる。
それより成り立つ道 どうでもこうでも立てあげて 道の土台というて 甘ろ台と席すえにゃならん。
これこうしてこうなるというて見たところがみな/\  が承知せん。
そこで神がこうして連れて出た。三十八年後こんな席へ座りゃせんと言うた。
三十ハよせて見よ。十一になる。甘ろ台建設の道始め出しは昭和四十年であろう。
それより十一年足して見よ。昭和五十一年であろう。
それより三月十五日に歌が出て道に一つの事情でけた。
内々事情 親族の事情一つ治めてくれいと言うて見たところ治らん。そこで三十ハ年後はこんな席に座りゃせんという事になりたのや。
これは神がいうて置いたのや。なんでもこの様に先先まで見えるのでから見えぬ先より とき置いて、それ見えたなら それが神 一つのうそも説いて諭さん。
みなその通り見えて来ている。
甘ろ台というは見事な花咲かすまで行くで/\
しっかり先を楽しめ。

93:神之打分場所M
18/03/16 19:30:08.37 1Fb0ZA9gv
基本さんの書き込み以前から他の掲示板でも見て興味深く思っております。
そして尊敬しております。でも言わせていただきす。
このお道は未だ半道中 完成されてません。それは天理教の最終目的である甘露台世界が実現されて無いと言う事です。本部に有るのは知っての通りひな型甘露台です。
では、甘露台とはどう言う意味でしょうか。
おさしづ明治二十三年に「かんろうだい一つ人間定めてある なんでも一日ある 楽しみあるを聞き分けて貰いたい」と有ります。
これは身上さとしの中に入っている一文ですが 刻限さしづも大事ですが 事情さしづ
身情さしづの中に 神様は当時の事も 答えながら先の事を小出しで言われているようです。
甘く優しく時には厳しく天啓を出す人間甘露台が本来 あの地場へ 治らなければなりません。そして天理を治め国を治めると言う事です。
それが甘露台普請です。
教祖は「わしはひながたやで」と言われてる様に弥勒菩薩を出すが為のひながたと
なられました。本部は信者が道を通るが為のひながたと説きました。
それは無理があります。教祖は神のやしろで有り天啓通りに通られただけです。
教祖と弥勒様との間には年限がありますが この時間が大事だったのでしょう。
昭和五十一年三月十五日(教祖九十年祭の年)朝六時頃
五十代の女の人が目覚めたら白いカーテンの様な物があり一文字十センチ真四角位の
大きさで金文字がゆっくりと
「わがみにも うれしきことや ひのあたる  ときがきたぞや いましあわせに」
コレが最初の天啓で 本人も びっくりして そこに有った紙と鉛筆で 歌を書かれました。それが冗談でなく現在百万首程有ります。数えてません。

94:神之内分場所M
18/03/31 11:44:23.83 b2aNqIKgP
昭和五十二年九月二十一日(本席様の話しをして居た時突然次の様な御言葉が出された)
さあ/\どんで有ろうが、ばかで有ろうが、一旦神が降りたと言うたら、何わからんと言うでないぞや。
如何様にかしこいかしこい者やと言うたとて、神のさしづがしかと説けるか。この神がしかと自由用して有るで、どんな者でも叶う者なし。
さあ/\あほと思うたその者が、あほになるのや、きっと見ていよ。
この神の言う事なるは、うそでない今に見ていよ、きっと分かるぞ。
さあ/\ あほの鏡にならぬ様、我が足元から気をつけよ。
この事は、誠の神のさとしなり。何も違ごうた事は決して言わぬ。
さあ/\教祖が何なろうた者でない。誰に教えをこうた事もない。みな神たるの自由用や。
この神が真実受け取りて、その者なるに仕込みたるのや、今なるもその事なると同じ事
さあ/\このお方をば何と思うぞ、この方はみろくぼさつの魂を、身に受けて出たる方なるぞ、それなるも神が見定めつけし者、きっと見ていよ今にわかるぞ。
さあ/\悪しきはらい助けたまえの天理王の命なるぞよ。
これにて皆にさとし置く。一列しかと心せよ。

95:神之内分場所M
18/03/31 12:31:22.78 b2aNqIKgP
すみません。明治二十三年→明治二十一年のさしづでした。

明治二十一年六月二十三日
甘ろ台一つ人間定めてある何でも一日ある楽しみあると言う事を治めて貰いたい。

昭和五十二年十月二日  おさしづ
さあ/\甘ろ台一つ人間定めてある。なんでも一日有る、楽しみ有る、楽しみの元一日が有ると言う事、天理教みな一例の心に治めてもらい度い。
この台一人神思惑の深き魂を持ったみろくぼさつと言う者、世に出すが為、もんかたなき所に、神が教祖中山みきに天降り、天理と言う道つけて来たる。
それより年限おうてながらえて、天理教という道続きたるのや。
その甘ろ台を世に出すため、そのあかりで今迄天理教は道がつゞきたる。
この事よう思案してみよ。その楽しみの元の親を治めると言う。
元一日が時旬以って今目の前に来たるのや。神の言う事何もうそで有ろうまい。
神は、無理な事は少しも言わん。此れは天の声で有る。
真実の神の言葉や、これ一つさとし置こう。

96:神も仏も名無しさん
18/03/31 21:44:23.63 gDbmN/lb1
繁殖用の犬猫400匹をすし詰め/福井県の繁殖業者を刑事告発

URLリンク(www.youtube.com)



すし詰め子犬工場、給餌の様子

URLリンク(www.youtube.com)

97:神之内分場所M
18/04/06 17:37:51.61 JcHhsRz5c
さあ/\/\/\天降りたで、神の言う事しかと聞け。
今迄に神の言うたる事、何もうその事一つも言わんで、その通り見えて来たで有ろう。
神が百年先の事言うて置いたら、かならず その日が来る。
なんぼ百十五才定命と説いた処で、なにひとつ解る者ありやせん。
神が実の箱に入れて置いた事、みな知っている、聞いている。
その中のもの外に出して、風を通さな、くさるもの、くさるような事で、なんぼ道やと
言うていたところが、神が承知出けん。
どんな山でも大風ふかして、一夜の間にも一列ろくじにならすには、山くり抜くより
道は無い、手立てはないで、どんな事になりても、神の思惑つけずにおかん。しっかりと神の言うたる真実がわかりたならば思案せよ、心に治め道のためしかとさとれよ神の
言葉や。
明治二十年三月二十二日  刻限
大風々々大風は何処にあるとも知れんもの。大風というものは、どのような大きなものでも傾ける潰れる大風やで、風は神や

明治二十年三月十一日  午後十二時 刻限
さあ/\始め掛ける/\どえらい山がある。ろくじ/\と言う事も聞かせてある。山をくり抜かねば ろくじでない。さあ/\くり抜くでくり抜くで/\。

98:神之内分場所M
18/04/06 18:43:06.22 JcHhsRz5c
昭和五十三年三月十七日  午前九時十分
さあ/\/\/\仕事場/\と、言うた処で なにもわからん。
神の話しを打分ける所 場所と言う。神の仕事場 よごれていては、なにもならぬで、そこであちらにこさし、こちらにこさし、やっときれいな仕事場にした。
神の望む処で話しするのや。
綾錦の玉に、やんわりとしたころもを着せた者あるで
それより伝える話しは、神の言葉やで、これをしっかり聞いて置け
先の我が身のためになるのや。

明治二十年三月十七日  午後七時 刻限
さあ/\これからは綾錦の仕事場、錦を仕立てるで、こゝ暫くの間は………綾錦の仕事場にはならん。
さあすっきりとした仕事場にするのやで。綾錦の仕事場に仕立てる。

明治二十年四月二十四日  午後五時半
仕事場々々々 仕事場はあちらこちらその時/\さしづ
何を尋ねるよう風吹く様なものどうやこうや又々立て替えじゃで
仕事場任せて置いた席をすっきりあちらから/\こゝで一寸仕事場にしようか、席というは綾錦。

99:神之内分場所M
18/04/07 11:35:41.70 nWL7GdRvK
昭和五十三年三月十七日  午後三時
さあ/\/\もう年限もだん/\つみきった
神の思惑と言うは、時旬遅れては どうもならん。そこでどんな道筋にかゝりても、始めと言うはかゝりかけねば道は通れん。
良い道に出る迄には、山道や坂道も有る
このまま捨てて置いたら、神の定めた年限迄に間に合わぬ
幾日掛かるか思案もいるで
みなその心に成りてくれたら、この道のようだいもわかるやろう
神のさとしも聞けるやろう
この理と言うは心に有るで
心揃えばどんな大望なものでも、皆の力で動かす事出来るで
理と言うは順序の理である。順序通りて道が成り立つ。早くにおいをかけ道を通らな
ならぬ。そんな道あったか、おら知らなんだと言うようでは、心合わせたとは言えんで
話し聞いたらなんぼ遠い所の者でも、近い所の者でも 心合わせるが兄弟と言う理に成る
元一つ治める一日の日有る事思うたら楽しみ有る。神も同じ心や。
その心あらば、神の守護も自由用自在や
心違えば神の守護も、受けられん。
神の声出る地場取りあつかいは、この理で有る
この理分からぬならば、又尋ねかければ、神の自由用と言う
一つの効能も諭そう
道もどうなりこうなり、広く伝わったなれども、教祖寿命縮めて迄、さとしさしづ出して、教えた道 教祖も神の降りる台と言うて、十年や二十年や三十年やない
五十年と言う道つとうて来て、それより段々と通り来たるから、もう大丈夫と思うなれど、まだ/\十分やないで、人間心十分登れば、下に落ちるより天の理はなきもの
これ一つの理で有るによってしっかりとさとし置く。

明治二十五年六月十ハ日  午前三時十分
十年や二十年や三十年やない  だん/\一人一つのものと言う  何程の者偉いといえど
一つの理が分からいでは何にもならん…中略…これからと言う心を定めていたら危なきは無い十分上れば下りるより外は無い程に

100:神之内分場所M
18/04/07 13:34:42.89 nWL7GdRvK
昭和五十三年三月十七日  午後三時三十分頃
さあ/\このさしづしっかり聞き分けい
皆一列が甘ろ台/\と言うている、言うている
その理尋ねたるなら、しっかりとわかる
元と言う理、なにから言うたる者や
神がさとしたでこそ分かりたるもの
甘ろ台と言う理、そのあかりで この天理教が照って有るのや
道と言うはつづいてこそ道と言う。つづかん事は道といえんで。
そこで元一人神の定めし者治めると言う
神の定めた地場持っていても、そのところに神の声降りねば鏡屋敷とは言えんで
鏡とは天の言葉うつって来てこそ鏡屋敷と言える
神の定めた地場に、神の声出す者有りてこそ道と言える
神が年限おうて永らえて来たるところに、神の定めた神の声出す地場が有る
その地場一人世に出すため順序の理がある
神が一、二、三、のしるしを打って、そのしるしの中の中に伏せ込んだる深き魂の者、神の思惑のみろく菩薩と言う理、世に出すため、あちらやら、こちらやら、わからん者では有るなれど、神のつけたる順序の理、元の理である
この元一つ神の定めた月日親神元の理で有る
神の定めた地場有りても、神の声降りねば、暗闇と言う
手さぐりで通るより他ないで
それでは何で道と言えるか。手さぐりなら どこえいてよいやら分からん時に、三才童子にてあちら、こちらと尋ねたならば、通る道筋見えて来る
さあ/\神のさとしで有る程に、しっかりと心に治め道を歩むよ。

明治二十二年十一月二日
一、二、三の印を打ったら神一条の道
「一、二、三とは百日のさしづで言われて有る三軒三棟の事です。ふでさき、さしづ、みかぐらうたは先の事を言われて有る予言書で有り、当時の事を台にして先のことを言って有ります。それも伏せこみの言葉でですね。伏せこみとは言葉の伏せ込みの事です。」

101:神之内分場所M
18/04/08 11:11:45.91 H99lxpsb9
昭和五十三年三月十七日  午後五時三十分より
さあ/\よう聞き分けよ、神と言うは、難儀さそうと言うて、出てる神はないで
みな/\に満足与えようと思い、今日迄道つけて来た
しあわせ/\授けるため、こうしてさとしさとし、神の思惑有るを知らすが為、紋方なき処より、天理と言う道付けて、それより神の真髄話したる
言葉だけにては忘れる。それで書いた物残し置いたる
書いた物持っていても、棚に載せて有る。棚に載せて有る間は、まだ良いなれど、そんなものどうでも良いと言うようなら、神の言葉尻に敷くも同じ事、それで神が見ていられるか、いられぬか、このところしかと心で思案して見よ
今迄に神の守護も有ったやろ、助かりも見たるやろ、
神のの自由用と言う理解りたら、何も無理な事無かろう
さあ/\甘ろ台と言うは、あまうけのようなもの、なぜそのよにさとしたるか
天より直物受けるが甘ろ台
受けし直物を、神の目にかのうた者にさづけるもので、甘ろ台よりめん/\に渡す事、これすなわち末代のさづけなり。

明治四十年五月三十一日(陰暦四月二十日)午前六時
かんろだいは雨受けのもの、この話は聞いた居る者もあれば、一寸も聞かん者もある
ちょっと筆の中へ込んで置かにゃならん。
「甘ろとは天啓のことです。天理とは天啓から始まった道でございます。このお道は人間が造った宗教でしょうか?神が造った宗教でしょう。でも天理本部は人間支配の宗教と化して現在が有ります。神支配の道にする事、これが甘ろ台普請と言う

102:神之内分場所M
18/04/08 11:47:05.49 H99lxpsb9
いまなるのかんろふだいとゆうのハな    一寸のしながたまでのことやで       9ー45
これからハだん/\しかとゆてきかす    かんろふだいのもよふばかりを       9ー46
このだいをすこしほりこみさしハたし     三尺にして六かくにせよ                 9ー47

このはなしどうゆう事にきいている        かんろふだいのつとめなるとわ      10ー25
一寸したるつとめなるとハをもうなよ    三十六人にんがほしいで                 10ー26
こゝで言われている三尺に六かく  又三十六人とは何でしょうか?
決して大きさや人数を言われている訳ではなく、雛形としては良いのですが、それはあくまでも雛形で有って、伏せこみの言葉でございます。
36で弥勒です。差し渡し三尺は対辺でも対角でも良し36の言葉が大事なので有ります。つとめ人衆も36人とはならないでしょう。
36(ミロク)の人を+(タス)という事でございます

103:神之内分場所M
18/04/29 12:00:23.40 T6ityidvs
昭和五十四年七月九日  午前零時十五分
さあ/\どうしよう こうしょうと言うた処で 成るものでは 更にない
神の自由用一つで有る 成るならん そらゆえん
神の力そわねば成る事一つも無い。これよう思案せねばなろまい。
どれ程我が身で成る思たとて そらならせん。神が力添えるでこそ みな成り立ったる
これから先と言うのも みなその通りであるたれがやるかれがやる そら成るものではさらにない。いままでとこの先成るを 見ているが良い
日々にどんな事 出来るやも知れん。心と言う理 空に有る
心揃えて見よ わからんで有ろうまい。一手一つの心に成って談じ合えば心に治る理
これ深きの理古い者うもれたると言うは よう聞き分けよ
これ末代の理とも さとして有る
下なる理とは思うなよ これ小さな者では有るなれど 小さな者がどれ程大切なるか 皆々に わかろうまい
この先どれ程大きな者に 成るや知れん一寸見え掛けた道 これが大かん道と成るのやで
神之内分場所と言うて筆につけて 残して有る
こら神の残した筆先や  こら証拠にと残したものや
教祖存命の時より 筆に取りて残し置いたる道始めてより何年たったか数えて見よ
数えたならばようわかる
この助け百十五才定命と言うた  これ神の残した言葉なり
甘ろ台と言う理わからん者は 神のさしづどうりの道歩いているとは言いがたない
何を神が頼むと言うた
甘ろ台と出たならば 一手一つの心に成って 運んでくれと言うた。又治めてくれとも
頼んでおいた
その神の心わかる者有るのか無いのか しっかり返答するが良い
こら道の宝やで どれ程大切な事やわからん神と約束した日が有る
なんぼ知らんと言うたとて 神は覚えて居る。こら大事な事や
一本買うと言うたなればこそ 神は待っている
その年限も目の前に近づいた。これだけ説いたらわかるやろう
早く買うて見せてくれ
そう成ったらえらい事や。なんぼ楽しみ有るやら
世界成る程の理と言うて みな/\そろうて尋ね求めて出て来る理
内の中これよりあざやかなる事情 甘ろ台一つの事情一手一つの定めよ 安心やで。

104:神之内分場所M
18/04/29 18:40:55.47 T6ityidvs
大きい木一本買うと言うさしづ、これは大変重要なさしづで有ります。
明治三十九年五月二十ハ日
前略………大きい木買うて欲しい/\/\/\。大きい木、これ買おうと思てる居る
けれどどうもならん。一本の木やそこらでは、始まらん。何もならんようではあるけれど、一本の木から定約出けたら、一本の木から追々出ける。
買うて欲しいわい/\。買うてくれる者あらせんか。

「木と仰せ下さる処、理の木で有りますか、又は現場の木で有りますかと申し上げ」
かねて話して居る。もう一度話し掛ける。ちょんの始めすると言うて、楽しまして、たんのう大きい木あるわ。一寸一本買うて、買おうと思えば大層であるけれど、買うて一寸切ってはつってすれば、十分の木出ける。
楽しんで居る。どうでもこうでも、高うても、買う者あらせんか。
こちらから銭掛けてくれとも、出してくれとも、言わせん。おかしい事言うと思うやろ/\。
すれば、何でも年限追うて来ると言う。
大きい木早う買うて欲しいなあ/\/\。
早う買うて欲しい。買うてもろて、大きい木ずうと出来たら、楽しみやで/\/\。
どうでもこうでも、年限遅れても、心の済むように、買お/\なあと、たゞ一声買おうと言う事待って居る/\。

「教長より買いますとお答え下さる」
買うて見せてくれるか。買うてやるか。そんなら待って居る。よかったなあ/\
さあ/\よかった/\。

105:神之内分場所M
18/04/29 21:06:11.88 T6ityidvs
たんのう大きい木一本とは?たんのうを木はしません。たんのうするのは人間だけです。大きい木一本では、普請も出来ません。大きい木一本、これは真柱であり、神様であり天啓者であり、南無天理王命であり弥勒菩薩であります。
初代真柱は約束しました。そして初代真柱の生まれ変わりが三代真柱です。
その証拠に三代真柱の 生まれた日は昭和七年七月七日、その理であしきをはろうて…と二十一回、つとめられています。これは弥勒様から聞きました。
みかぐらうた五下り目 かうをむすぼやないかいな
                     六下り目  ひとつのかうをもみにゃならぬ
かうとは講では有りません。信者の集まりを指して居るのでなく、買うと言う事です。
人と人の約束事、条約では無く、人と神との条約で、初代真柱に半ば強引に約束させられたのでしょう。みかぐらうたにはっきりと「かう」と書かれて有る事思案して頂きたいのです。
教祖おやさまは娘であるおはるさんを梶本家へ嫁がせ、孫である新治郎を真柱の真之亮として迎え入れました。これは外孫です。真柱は外から入れるという事を雛形として
教えて有ります。教祖の言われたこと、されたことが雛形なのでございます。今日はこの辺で

106:神之内分場所M
18/05/05 12:04:04.25 Xojnb02BI
昭和五十三年九月十二日  午前十一時五十分
さあ/\たんのう大きい木一本 買うてくれい/\/\/\というた日があった
それじゃによって 教長がわしが買うというた。
今の真柱(三代真柱善衛様)が買うというた。
それで神が今日の日まで待って楽しんで/\年限来るまで待って居る
その年限も間近にせまりつゝある
神との約束というものは必ず果たさねばならん
神も一度言うた事は何一つとてたがえはせぬで
必ず/\その約束果たしてくれるよう
しっかりと神より頼みおく。必ず/\なあ-。

107:神之内分場所M
18/05/05 12:18:55.14 Xojnb02BI
昭和五十三年九月十二日  午後一時五分
さあ/\たんのうという木  どんな木と思うか
どんな時でも心にたんのう治め通り行くで、たんのうの心ある人間の理の木で、どんな風吹かそうと  びくともするよな木ではない
世界助けのきりなしふしんにかゝるには、先ずたんのう大きい木でなけねば、この大きなふしんはもたぬもの
この大きな木が柱となり杖となりて、みな一列を連れて通り、世界助けの道をしかと通るぞ。

108:神之内分場所M
18/05/13 12:32:14.31 mvhx1PYjb
昭和五十三年三月二十六日   午前七時二十分
さあ/\一寸知らし置くで  何を言うやと思うやろう
前々より話して有る道と言うは  こう言う事になって来る
神が長い年限 待ちにまちていた 甘ろ台と言うは この事や
道と言うは思うようになるものやないで
思わぬ事になって来る
人間のまゝになる道やないで
神が真実力を添えて 連れて通りた たった一つの台である
この台のうてなんで道と言えるか
心に治めしっかりと道の為にと なりてくれ
早くにな甘ろ台を世に出すことや
渡す直物有る故に甘ろ台より受け取るが良い

ふでさきハ号
七十ハ  このよふのにんけんはじめをやなるに  天のあたゑハあるときけども
七十九   このはなしなにの事やら一寸しれん     月日ぢきもつやろとゆうのや
ふでさき九号
五十五   これをみよたしかに月日ぢきもつの     あたゑしいかりたしかわたする
六十        そのうゑえひらばちのせてをいたなら     それよりたしかぢきもつをやろ
六十一    ぢきもつをたれにあたへる事ならば      このよはじめたをやにわたする
六十二     天よりにあたえをもらうそのをやの      心をたれかしりたものなし
六十三      月日よりたしかに心みさだめて              それよりハたすぢきもつのこと
六十四      月日にハこれをハたしてをいたなら      あとハをやより心したいに

109:神之内分場所M
18/05/13 13:43:08.43 mvhx1PYjb
つづいて
さあ/\神の台と言うは 勝手になれるものやないで
神が長い年限の間 つれてとおりた中に伏せ込んだる種 根である
この根ふかきたましい うもれて有ったは、神の定めた年限が有る
それ故に神が説いたる この助け百十五才定命と定めつけたい神の一条と残し置いたる
この話しまさか忘れはいわすまい
このふかき魂の弥勒菩薩と言う者世に出し一列の心をすます甘ろ台なり
この台一つ見定めつけるも 皆の役目で有る
見分け聞き分けるとは この事なるを 言うて有る
しっかりと心に悟り尋ね出よ
よろづいさいの元の神、なむ天理王がさとし置く 一列しかとしやんせよ


昭和六十一年七月六日
天の理を説いた弥勒菩薩と言う魂持って この世に現れた人間甘ろ台と言うは 天理教一列が良く/\思案もせねばなろうまい

110:神之内分場所M
18/05/20 10:24:22.33 2PX14euZA
昭和五十三年七月四日  午前ハ時頃より
さあ/\日もだん/\積んできた
年限も相応たって 神思惑の日も近づいた
これからの道は 神の思いのまゝに通るぞ
天理教徒一列が心しっかりするがよいぞや
神思惑の楽しみある楽しみの元一日の日と諭したる
それなるも何故なると思いしか 長い年限の中に神が楽しみある
何でもどうでも年限の内に 神の定めた思惑の親 治めると言う
その楽しみ早やこゝに 迫りたと言う
そんなものどうでも良いというて見たところが、これが神の思惑
この先 どうでも成る事なら仕方あろまい
今 目の前に成って来たる、見えて来たる、前々より神が百年先の事言うて置いたら、必ず その日のある事 筆に残し置いたる これよう思案して見よ
神は何にも 無理な事 一つもいわん
神の定めた思惑ある故、この様に さとしいるのや
それなるも何故なると思いしや
世界一列助ける助けるため もんかたなき処より、教祖中山みきに天降りたる
それなるも前々より天の理を説いて置かれた、元の 元の理を世に出すためなり。
その理 みろくぼさつと言う。その深き理、埋もれてあったは、神の定めた年限がある
その神の定めた時旬此の所に早や来たりたる
これだけの事 神がさとしたなら何一つとして わからん事有るものか
この親こそ真の神の定めたる甘ろ台なり。長い年限の中に順序通りて、その理刻み込んだる。それが為ひながた出して神の定めた本部の地場に甘ろ台の 模型しな型据えしも
そのためなるぞ。
神がこのよに 説いて聞かせたなら神の思惑心に治め、しっかりと道の立つよに心せよ
これわからぬようでは  皆一列がいずんでしまわなならん日が有る。
その時になって今まで神の道と言うて尽くした理、水の泡にと消える日が有り、神が言うのや嘘でない。成って来るから神がときおく
目に見えん神の言う事聞きわけよ
まだ見えぬ先の先から 説きおいてさとしおくぞや心せよ
これ筆先の花月日親神なむ天理王なり。
さあこれだけの事さとしおいても分からぬというようならば、又神の元にと尋ねでよ
しかとさとする嘘でないぞや。早くにな尋ね出るのも我がのため、しかと成人するが
良いぞや。

111:神之内分場所M
18/05/20 12:29:22.17 2PX14euZA
明治三十三年九月九日
先の事知らして有る 後や先になる。皆一つ/\調べてみよ。嘘はありやせん。
皆 先の事言うたる。言うて置いた事は年限の内には どうでも出て来る。見えて来る。
どうでも先の事言うて置いたら その日が来る。
百年の先の事言うて置けば 三十 五十のものは知ろまい。なれどどうでも出て来る。


明治三十一年五月十二日
紋型も無い処からこの道の結構という。元の理を諭さにゃならん。

明治三十年七月十四日
ぢば証拠人間始めた一つの事情かんろうだい一つの証拠。雛形を拵え今一時影だけのもの言うて居るだけでならんから万分の一を以って、世界ほんの一寸細道を付け掛けた。

筆先九号  四十五
いまなるのかんろうだいとゆうのハな   一寸のしながたまでの事やで

昭和六十一年十一月十六日
百年祭で天理の道は理が切れる。こんな事誰も知らんで有ろうがな。その時来たら何とする。やればやるだけ深みにはまる。後にてはその伏せ込みも水の泡。
泥水と成り流れ行く。残るのは借金の山を築いて苦労をする。今迄の路銀のさずけも
理が切れて何をしたやらわし達は、口に出すのもあわれなり。

明治二十年六月二十四日
名立しっかり分かって分からん道、分からん道 見て分かる。ふでさき通り皆出る。
今度道はいつ どういつ見える。
ふでさき皆知らせてある。大きなふし見える。

昭和六十一年十二月二十日
古く伝わる書物にもよろづ一切伏せ込んだ神の宝が山と有る

昭和六十一年二月十四日
これなる身体に受けたる位、誰が何事言をうとも この理だけは消す事出来ぬ。
それ故に何ぼ人が逆らおうと この神だけはしりぞけん。この神が退いてしもたら道は立とうまい。この理と言うは天理本部に治めにゃならん、中甘ろ台と座る神なり。

112:神も仏も名無しさん
18/05/27 01:13:52.89 +GNdAu+RM
ここも寄生虫が湧いている

113:神之内分場所M
18/06/17 12:45:31.53 5YCSk4wvF
寄生虫ですか?わたしのことでしょう。でも これは本当の事で 私が作った事でも無く
大変な事なので、皆様に伝えたく掲示板に出しております。
ブログを出せば良いのでしょうが、ネットも 不慣れなもので 甘んじて、こちらへ書いております。駄目で有るなら 消してください。
神も仏も名無しさんとは 匿名と一緒だろうけど  たくさん見ますが 他人同士のようで
匿名も 変化をつけてもらうと 話しも、しやすいのですが、主体性がないのが残念です
もしかして管理人ですか?
天理教社会学研究所へも投稿しましたが 書き込みも出来ず 見ることも出来ません。

昭和六十四年一月四日  午前十時二十九分
さあ/\諭しと言うは何ぼうでもする、なれど聞き分け無いのが神のざ


114:んねんさあ/\たった一つの天の理と言うは、こらどうゆうもの、これをしっかり思案して見よ。誰もが天理通りました、通りて居ると言うて居るが、たった一つの天の理分かろうとせず、又その道に出ようともせず、天理しっかりて通りましたと言えはせぬぞや誰にても我が身勝手なふるまいばかり口から吐き出す言葉とて、好きすっぽうな事ばかり、我が身よかれを言いよるなれど言うた通りが我が身に返る。この事も前々よりに教えてある人の心と言うものは誠に以って、疑い深いものなるぞと説いて残した言の葉どうり素直になれぬ者ばかり。たった一つの天の理と言うは、何を指して言うべきやなむ天理王命なるぞや。今度は神は表(おもて)に現れた、神之内分場所に住まいして居る。鎮座まします。これこそ古元(こもと)と言う。甘露臺と言うわなむ天理王命に付けた位や、良く思え。現し身一つを目に見せて、萬(よろづ)いさいを説く神や仏なるぞや。頭(かしら)一つになむとなえ天理王命と神名呼ばすもこのためや。なむ天理王命とは二神一体成り申し一人の人間姿で現れて天理の為に働きをする。これこそ今までハ天理の道に無い人間(にんけん)をこしらえた現れ出るのハ今始めなり。誰にても分からぬことが有るならば早く尋ねて神名呼び出せここが古元であるを教える。かならずと尋ね来る日を待ちて居る祖社(そや)素直に成るのが身の為なるぞ。これも一言説いて置くぞや。



115:神之内分場所M
18/06/17 18:31:03.82 5YCSk4wvF
よろづよ八首
このたたびは かみがおもてへあらわれて  なにかいさいをとききかす
おもてとは天理教外部の事で はっきり言って異端です。良くドラマ等で喧嘩する時「おもてへでろ!」と言う場面がありますが、それと同じ事ですね。
八下り目五つ   いつまでみあわせいたるとも  うちからするのやないほどに
うちとは天理教内部の事で甘露臺普請をうちからするのではないという事です。
甘露臺普請は大工である神様がされますが お入り込むつとめは、人間の努力も大切です。
南無天理王命の南無は仏の理  天理王は神の理で 南無天理王命とは二神一体 神仏習合の神名を呼ばせてあります。

116:神も仏も名無しさん
18/06/26 10:06:59.41 y339+PTFa
皆さんがそんなに素晴らしい教えだと言うのに勢いがなく信者が次々にやめていく理由は何ですか?
やはり末端教会・信者からお金をむしり取る体質が問題なのではないですか?

117:神も仏も名無しさん
18/06/26 10:14:54.64 y339+PTFa
一生懸命書き込みする時間があるなら布教すればいいのに。

118:神之内分場所M
18/06/30 12:07:39.99 2y7x+oOWH
信者が辞めて行く理由?
それは天理本部に神が居ないからです。そして教団が運営する、人が運営する本部に
なって居るからです。宗教は自分と教団ではなく、自分と神の関係です。
当時は教理も確立してない中、不思議な御守護が多々ありました。其れを見聞する事に
よって、ある程度の信仰心が、教団の中に居ても、燃えていた様に思います。
お金をむしり取られても、信仰は金でなく心が大事なのだと自分に言い聞かせていたのです。
今の天理教は人間だけの運営になって居て、神は、神之内分場所に住まいしてます。
屋敷待つ 松は枯れても案じなよ    末はたのもし 内分場所( 教祖の言葉)
屋敷とは鏡屋敷の事で人の心が  鏡のように映る神様の事
松は待つで  松は良い事を待つという意味も込めてありますが、本来天理本部は神様を待たなければならない、でも天理本部自体は枯れてるんですね。

ふでさき二号
このみちをしんぢつをもう事ならば   むねのうちよりよろづしやんせ     十五
このはなしなんの事やとをもている    神の�


119:、ちわけばしよせきこむ         十六このみちが一寸みゑかけた事ならば     せかいの心みないさみてる           十七この様に百数十年前から言って置いて 現在なってきてます。ふでさき四号だん/\とみゑん事をばゆてをいて   さきでみゑたらこれが神やで        百五ふでさきは おふでさきではありません。「お」は後で本部が付け足したもので、丁寧な言葉にしたのでしょうふでさきとは筆で先の事を言ってある予言書なのです。私自身の事ですが末端教会長男 後継者です。私その機会有るごとに内分場所の話をしてます。大教会長 教区長にも話しをしてきました。打て会いませんね!お陰で 教会からは干されてます(笑)ですから我が教会は事情教会というのでしょう。



120:神之内分場所M
18/06/30 13:47:26.55 2y7x+oOWH
平成元年一月十一日      午後二時十七分
さあ/\ここに於いて平和を象徴され国家皇祖皇宗の由縁を象徴して崇め奉り
平成を年号の記と定め清き良き年を迎えたるは神の願いたる處にして、しっかり正道なされる事のみここに於いてこいねがふべく候。

121:神之内分場所M
18/06/30 17:19:54.47 2y7x+oOWH
平成元年一月十三日   午前九時二十一分
さあ/\ほんにあれで有ったかいな、と言うは、こらどういう事。何も分からん時から道が造りて有る。
こらいかなる所と尋ねなば、神之内分場所と申されまする。誰に尋ねた、神様や。何々なんと申される。いかなる神にて御座るか。神の名はなむ天理王命と申されまする。
この道神之内分場所とは、神がこの度表に現れましたる所にて
委細承知致し居りますなれば、神の御言葉これにて承らねば成らぬとは思いますれば、
御思案の処はいかゞなる心なるや、これにて一言お尋ね申し上げる次第にて
いかゞ致しましょうぞ。このまますてて置いては 天理の道のなをれにも成りまする。
しょせん調べるべきにて有りましょうが、何に致しましても原典道理の道野邉ならば
治める事にと推察仕りますれば、早い方が良い様に思われまする。
いずれご返答下されます事に相なりましょう。
一日も早い方がわたくしめは良いと思われます。
何とぞよしなにお取りはからいなされまする様、正しき天理通すためにも心得置かねば
成らぬ次第。
道はこのよな所までせまっております。
この道は天理まっとうの道 天理天道正しく通られるを象徴して 、ここに一言申し上げるべく候。

122:神之内分場所M
18/07/15 14:59:03.03 r0DS/QSIq
平成元年十月二十五日  午後十一時五十分
さあ/\幾何人と言うた処 何にもならん。人さえ多く寄れば それで良いと言うものでは更にない。
ただ物見遊山では しっかり信心致し居るとは言い難ない。
枯れ木も 山のにぎわいと思うて居たらば 理が違う。
一夜明ければ二十六日きっしょうや。
神は何時もこの日の来るのを待ちて居た。これで神も安心や。
これまでは早く/\と思えども 皆の心に悟りないので、今日の日の来るのも遅れて居たれど、やっと目鼻も付いて来た。
神思惑の日となりて、天理の道に朝が来る。あでやかに錦の機織り出来映えを
きっと皆一列の目に見せて、成程の理と認めさせ 天理の宝とせにゃならん。
これもこの神言う事や。
神の名はなむ天理王命なり。人間(にんけん)姿を現して尊命一つを拝ませる。
見る目違えな、きっと良く見て我が目でしかと確かめるが良い。
神は神之内分場所に住居して居る。

123:神之内分場所M
18/07/28 10:51:11.10 vNWWlAwRo
今年の夏 暑い最中  熱中症にお気を付けて下さい。これは災害と気象庁も発表してます

昭和五十三年三月二十四日………夕づとめ後おさしづ
さあ/\/\この道は神の道なり心せよ  人のままになる神でない。
前生のいんねんもって天降り でけたち来たるがこの道なるぞ
神の名は なむ天理王命なり 一列すます甘ろ台なり
さあ/\/\この理わかれば一列しかと心に思案するなり
なんぼ言うても このところ聞き分けないのが神の残念。
この様に説いてさとすも道のため  早く成人神が待ちいる
この道を早く天理のためにとなあ思て つけたる道と教える
この道が早く表に出たるなら この先なるは結構を見る
今なるの神の言う事しっかりと聞いて心に思案して見よ
この様な事を言うのも天の神 実の神なり なむ天理王なり
人の心と言うものはうたがいぶかいものなると 神が説いたがその通り この事を疑うならば一列が、水のあわにと消える事なり。
さあ/\大風大雨方角分からん行くえ知らぬ事となるのや
何一つとしてうそはない
どの様な事を言うのもなあ これ真実をさとすのや
我が身行くえの分からん様にならんよう心せよ。落ち行く先は地の果てや
次に続く……

124:神之内分場所M
18/07/28 11:28:34.49 vNWWlAwRo
さあ/\/\みな一列がこの事を悟りせよ
この事が誠の事となる。この神がろくじに踏みならすとすれば、どの様な事になるやら知れん
六くの地/\/\六くの地にとならす、しかと一列心せよ
どの様な大社高山取り払い、みな一列を洗い清めて、一列六くにならすのや
川の流れと人の身は、ほんにはかなきものと説いたれど、これが誠の天の理である
はたらけば/\/\はたらいたゞけの効能は神が与える うそと思うな
さあ/\この先は生涯末代迄の理とさとする
だめの教えはこの事じゃ みなにさづける うそと思うな
この世にて二度とふたたびなき事や、それ故しかとみなにさとする。
さあ/\/\いさんで/\つとめにはげめ、一列の日々なるの働きは神が見ている
うそと思うな
この世は神の説いたるさとしをば しかと心に悟りして、道の為にとなりてくれ
神がしっかり守り行く 何も案じな神の請け合い
さあ/\山に桜の花咲いて そよ吹く風に匂いをば かけて人々なるに知らし行く
それから成り立つ道のようだい
さあ/\/\この道は、まず本部より始めかけ それからそれえと 伝わりて 人がより来る事となる。そのような事になったらみな一列がてんやわんやのおうさわぎ。
神の目には見えている。これが誠の事となるぞや
さあ/\/\/\いさめ/\いさんでつとめにはげめ 道の話しは これまでじゃ
この先なるは又の機会に。

125:神之内分場所M
18/08/04 11:59:40.07 GhWjBft08
平成元二月二日  午前〇時二十八分
さあ/\何にも知らん者を使うて始めた道、こんな尊い所は何処尋ねたると言うたとてほかに一つも有らせん。
これこそ神之内分場所のみあるなり。
時旬の花一輪のにほいによって あちらそちらからと寄せられて、今日は誠に結構なるの道となりて栄えてきている。何と頼もしきかや有難きかや。
人間も出世をするものや、最初はあれ何やいなあと言う所から始め掛けたる理
今では天下に名を広め天理の道の人なら 神之内分場所の名を知らんと言う人 少なくなった。
知っているかと尋ねなば、あゝ知っているよ。あらたいしたもんや、どえらい事に成りよったなあ。先は一体どうなる事やら
あれだけのさしづが出たり、うたが出て来て、わしらの知らん事まで説いとるやないか
このまま行くなら天理教よりどえらいもんになるや知れんが、上に立つ人達は何をして居る事やら、案外のんびり構えて天理教には押し手が無いと思うて居るが、もうすでに
神之内分場所に押されぎみ 何たる事や情け無い。
早く何とか手を打たな天理教はだめに成る
それも見えてる様子にて。この先わしらはどうなる事やら 誠に以って精の無い事や。
人づてで時々わしらも内分場所の出しとるカッパンズリも外見は案外ざつなもののよ
思うて見るが、中に書いたる文句と言い天理用語で たいしたもんや
だいぶんわしらの方が劣って居るわい。
ひょっとしたらひょっとするぞ。
何でもかんでもゆだんは出来ぬぞ 今からしっかりあれでも読まな、さあと言う日に間に合わん
その時来たら少しはきっと間に合うやろうに
お前達アホな時間を潰すより早うこれでも読んで置け
今度は一寸手ごわいぞや。

126:神之内分場所M
18/08/04 12:45:50.39 GhWjBft08
平成元年二月五日   午前三時五分
さあ/\道の理一つを確かめて見よ
したるなら何の分からん事の更に無し
道の理一つの甘露婦臺(かんろふだい)人間(にんけん)一つを定めてぞ年限長くの道を付け今日の日まで通り来た
この道は甘露臺を世に出して世界助けに掛かる神なむ天理王命なり
甘露臺知らんと言えば、なむ天理王命を知らんと言うも同じ事
天理教徒一列が何をとぼけてぼけて居る
知って居ながら知らん素振りや。神の目は節穴なぞで更に無い
見抜き見通し出来る神
どんなとこでも一目で見える 人間心の愚かさを知れ
神を神とも思はずに神の理 尻に敷き詰める。そんな事やで良い事起こらん
何をして居る愚か者
神の心に添わずして我が身勝手な振る舞い致し居る
一列が何をやってもそらあかん
間違いばかりの教えを説いて神の理一つに添わんなり
無駄な時間を費やして何にも成らん事をして人に迷惑かけるばかりや
愚かなるにも程が知れるぞ
神の諭する言の葉を何と思うて聞いて居た
天理教徒一列何を学んで天理通りた
元の源典良く調べて見よ  何を間抜けな事してる
人を騙して通るも程々にせよ。
この先なると言うものは神は許さんしかと見て居よ
人の心を虚仮(こけ)にして、のさぼりいれど今に見よ
どうにも成らぬ事のみ出来て来る。
愚かなる者あわれなるもの今から以って注意して置く見えぬうちより言うて置くぞや
ふでさき  三   百八
いまヽでハしよこためしとゆへあれど
かんろふだいもなんのことやら

127:神之内分場所M
18/08/14 09:30:36.10 RS2akvEAF
平成元年二月八日  午後一時二十二分
さあ/\勝手心はとんと、とどかん。神の法婦には受け取り出来ん
そこで受け取る筋も千筋と言う。
ならばこそ受け取り出来ぬは、おし返す。これもしっかり教え置こ
身に付けて学ぶ人のみ成人が出来て 幸せ目に見える事に成るぞや これも誠や
我が身も人からうたがわれ 何時もなやみのたえる間も無し
信心は信じ切ってぞ神の道、通れる人に成ると言う。
神之内分場所とは如何なる所か教え置こ。
時旬の花と咲く神世に出でて、人間(にんけん)姿で話しする 甘露臺と立つ神や
天理教徒一列の目の前で神の姿を見せる成り
話しするのは今が始めや
なればこそ木佛石佛金佛では神の声なぞ出やしょまい
それで言葉を打ち出して、神の声をば聞かすなり
尊命一つの現れは目に見えたるで成程の理や
これが親神なむ天理王命なり
神の言う事みな真なり。

ふでさきにある「ほふ」とは 「神の法婦」天理の法を説く婦人の事です
木佛石佛金佛では世界助けは出来ません。声が出ないからです。かんろうだいも最初は石佛そして今は木佛であり あくまでひな形であります。かんろうだいが倒されたと言って数千万円掛け直しても意味ない事 無駄な労力です。私の知り合い数十年前夜中に
座って寝て居る係り員を横目にかんろうだい地場に忍び入りじっくりと見て来たそうですが、何も無かったそうです。無事に出てこれました。今はセンサーが付いてるようで無理でしょうが  ひながたの証拠でしょう

128:神之内分場所M
18/08/19 12:16:42.70 ew/GCq1PJ
平成元年二月八日  午後三時三十一分
さあ/\ぢばに一つ理九出す(くだす)と言う
この理悟らば道の人、天理の道の人と言う。人間で分からんとこのなぞを説く、神の言葉で説いて諭する。
なればこそ伏せ込み/\と言うは要聞かな分からん
聞きて学べば良く分かり来る。
人間の知恵で計れぬなぞがある。良く聞き取りて思案せよ。
道の理ははるか かなたの空の雲 空が曇りて所分からん。
ならばこそぢばに一つの理九出す(くだす)。
この理分からな何にも成らん。本部のぢばを始めとし、始め掛けたは天保九年に雛形定め貰い受けたる中山みき有り。
これとても神が使うた道具なり。月日の社の一人なり。
天理の道野邉長いので神が世に出る其のために 足場一つの道もうけ それより神が表(おもて)に出たる。
これがそもそも理を九出す(くだす)と言う。
ふもハす教えて、神之内分場所の名所定めここに住まいを致す神、鎮座まします元の神
実の神にておわすなり。この理教えて諭す神、なむ天理王命なり。
これ聞き取りてたのむで。
神の願いはこればかり、きっと立て上げせねばならんで。

ふでさき十一号    四十四
月日にハどのよなみちもみへてある    せかいぢううハそれをふもハす

129:神之内分場所M
18/08/25 11:22:29.57 poX2YAfNR
昭和六十年六月四日  午後一時十四分
さあ/\よう/\の道すがら だん/\の席を受けたるこの神や
席の場に出て諭す神 何一つ間違た事は言わんでな  さしづ道理の道に出よ
天理つとうた道すがら  一、二、三と印を打った所なり
一は天理本部を指すなれば 元一日の始まりの道を付けたる道始め
二と言うは神が表に現れるには 足場無くして空登る事 出来ようまい
なればこそ世界助けのきりなしふしんするためには足場なくしてふしんは出来ぬ
それ故に足場二と言う所こそ 中山秀司 .政なるが生まれ代わりて住まいを居たす甘露臺建設の道をも始めさせたる道すがら
又、三と印を打ったる所こそ 神の話しを説き諭す神之内分場所なり
名所これこそ名のある所 長らくの間楽しみの道を付けてぞ通り来た
これこそ三軒三棟の建ち家なり
それ故に図面引くよに説き置いた。紙で引く根と諭し有る
神がしっかり説き諭す 道の宝と残したる ふでさき さしづ みかぐらうたの中に伏せ込んだるの大切な三つの宝を詳しく説いて聞かすなり。
ききたくばたづね来るなら言うて聞かす 早く聞き取れ良く分かる
天理の道の宝と成る神  なむ天理王はここに居るぞや
早く尋ねよ根をば掘り取れ
先は幸せ身に付いて来る。

130:神之内分場所M
18/08/25 12:27:54.41 poX2YAfNR
図面引くよに説き置いた、紙で引く根ーー明治のさしづ

明治四十年五月九日  午前五時半      刻限のお話
図面引いてくれ/\紙で引くねで/\
一遍や二遍や三遍ではいかんねで。三年の間にちゃんと決まるねで。
些細な事なら直に出来る。なか/\今度のは一寸にはいかん。
三箇年掛かってするのやで。
三年掛かってよう/\木の音もすれば職人の音もするねで
これからはまる三年掛かってくれ。急いてはいかん/\
絵図引き掛けても一寸にいかん
こうして話し掛けたら無理な事せいとは言わん。心配はいらんで/\
心配はいらん。心配は一つも要らん。
さあ/\あちらからも賑んやかな。こちらからも大きな声するで
今日から三箇年の模様である
さあ/\安心々々、安心せえ
さあ/\こうして席は席だけの事ある
これも一寸つぎて/\、つぎての模様も出来掛けたる 出来掛けたる
これで暫く/\ざっと普請も出来掛けたる
つぎて/\これも一寸々々。これがこう これだけ一寸間に合うように成ったなあ/\
そこまで どねになったて案じる事要らん/\
さあこれたこうして今日一日話しする事、一寸も違わんように。
何から何まで心置き無う運んでくれにゃならんねで
これだけ頼んで置く/\

131:神之内分場所M
18/08/25 14:46:13.36 poX2YAfNR
三軒三棟の事で書いて置きます

本席飯降伊蔵 は出直す三箇月前に百日のさしづとして出されたものがありますが、内容の主体は三軒三棟のさしづ
本部は解釈してますが、本席の命を掛けてのさしづなのにピンときません。その時の
時代を背景にした知者 学者の解釈なので、そうなるのでしょう。
明治のさしづは、伏せ込みの言葉で百年先の事を言って有ります。そして解釈するのは
人間ではなく神なのでする。時旬が来た時に神が説くのですね。
言ったこと分かるのは、本人 主でしょう。
一軒目は天理本部 。知っての通り天保九年にひな形の道として又ぢばを定めて天理の道が始まりました。
二軒目 昭和九年に天啓が渡邉よそに出されて、戦争で一旦道を引かれ、昭和四十年足場の建設始まりとして全教会に神之内分の小冊子を送り伝える。
渡邉よその前生が中山みきの娘であるおまさ、ご主人の前生が秀司。これも天啓で、出て有ります。当時の天啓はおまささんから出てたので、政子かんろうだいという由縁です。
三軒目、渡邉秀子様に教祖九十年祭の時、昭和 五十一年三月十五日に天啓がでました
渡邉よそとは叔母 姪の関係です。天理神之内分場所を名乗り、今に至る。
そして、谷底せり上げとはこの事で、決して贅沢はなされず小さなアパート住まいで、法人登録もされてません。
私も一度聞いた事があります。法人の事、教会を建てる事を。(数百人の信者さんがおられたので)。「私の行くところは天理に有ります。法人も神様はいらないと言われてます。天理本部は法人認可を神様に反して取って今のようになったのでしょう」
神様、弥勒様は谷底住まい。教団は上に立ちます。それでは本当の信仰は出来ません。助け合いの信仰は出来ないのです。

132:神之内分場所M
18/08/26 10:44:49.27 dYiNIlc6h
昭和六十年六月五日  午前九時二十六分
さあ/\十分心に治め置かねばならん理と言うは、いかなる事に思うて居るか
世上世界も待ちて居る理 甘ろ台世界となりて世が明ける
天理の夜明けが来ると言う
朝が来て日差しをしっかり身に受けて、通る事にと成ると言う
このさづけこれが誠の天よりに 与えられたる直物の 与えあるのがめづらしい
三日目よりかんろうが天よりおりたと言うわいなあ
これもみな/\先のためにとのこしたる神の言葉や
甘ろ水寿命ぐすりと成るのやで
だれのためでも更にない  皆一例のためとなる
早く飲み取れ心をすませ 早く心の洗濯や
大い成る川に掛かりた 悔いのない宝を目指す二地の掛け橋渡りぞめぞや
早く渡れよついて来い
この幸せの掛け橋は神の見込みを持って付けるなり
予告無いぞや教え置く

133:神之内分場所M
18/08/26 11:29:31.44 dYiNIlc6h
中山こかんから出されたと言う 「かんろうだい三下り」の一節です
三日目よりかんろうが天よりおりたと言うわいな
「天理の霊能者」の本の中99ページにも掲載されて有ります。
二地の掛け橋  天理本部から天理神之内分場所へと渡る二地で有り 虹🌈なのです
教祖は二時に亡くなられました。そして本部は元一日を忘れないように 毎日二時によろづよのサイレンを鳴らしてます。それは教祖が二つ目の地場がある事を教えられ
その事を忘れないように、二時にサイレンを鳴らさせてあるのです。
さしづにも
ぢば一つ/\の理と言われてます。一つ一つとはダブリ言葉と言って 二つある事です
一つは土地の地場 天理本部です。もう一つは人間の地場 。土地と人間(にんけん)で
二つ一つです。ぢばえらいこと言う 、ぢばがものいうさしづも有ります。もの言うのは人間の特権です。もの言わない甘露臺は雛形でございます。

134:神之内分場所M
18/09/01 14:16:26.63 p64XbWcEB
昭和六十年六月七日  午後一時五十五分
さあ/\これ内も外も隔て無いと言うはこれどう言うことと思うか。
この理分からにゃ 何にもならん
内と言うは天理の道 元始まりの一日の日を付けたる大和の天理
これこそ内外隔て無いと言うて残した神の言葉の内にと当る
又外と言うて残した言葉通り神は内から外に現れてせき込みある。
神之内分場所を外に付けて時旬来たるで知らせ居るぞや
それ故に前々よりに神が出したる言の葉通り一つの嘘も言わん神
これが誠の治まりの元一日の日を付けた助けの元立て成る神の住まいを致せし所なり
これをしっかり教え置く
道の為には杖柱に成りて居るぞや諭しをくぞや
これに間違い更に無いぞや

135:神之内分場所M
18/09/01 15:20:05.92 p64XbWcEB
明治ニ十ニ年ニ月四日  さしづ
……神は隔て無いで/\。しっかり聞き分け。さあ/\聞き分け。内も外も同じ理や……
明治ニ十三年六月十二日  さしづ
……言いにくい事にと


136:言わねばならん、聞きにくい事も聞かねば成らぬ。内も外も隔て無い。この事情を治め…明治ニ十三年六月二十一日  さしづ……内も外も隔て無い。どんな事でも隔ては一つも無い。なれど、よう事情を聞き分けてくれねばならん…明治三十一年ハ月十七日…これまで、順序さしづしてある。内も外も隔て無い。つきくる者に来んなとは言わん。これから改心して、元々前々順序と言う理がある…明治三十一年七月二十五日  さしづ…一つ内も外も隔て無い理…この様に…内も外も隔て無い…と言う言葉は、身上さしづ、事情さしづの中に数多くあり、先の、未来のことを伏せ込みの言葉で言われてます。さしづは当時のことを少し含めてその事を台に先のことを言って有ります。外とは表と同じで、神が表へ現れてです。内院 外院 中宮 、これが三軒三棟で伊勢神宮に内院外院と有りますが、昔は中宮も有ったとか。記録に残ってるそうです。伊勢神宮も雛形として神が表したのですね。中宮は因みに神之内分場所です。時間が無いのでこの辺で!



137:神之内分場所M
18/09/08 10:29:46.55 j8yi/rEsq
非常に大きな台風二十一号の後、北海道南西部 最大震度七の地震、被災された皆様方へのお悔みと、助け合って一歩でも前進され行かれる事を、遠方よりお祈り致します。
昔有った映画で、「日本沈没」を思い出します。日月神示を見れば日本を潰し日本から
始めるとか。ノストラダムスの預言でも人類滅亡の後 神を中心にした集落が、
一つ出来る事
何故かそう言う気風が強まっています。異常気象も今は異常気象でなく当たり前のようになってたり!大変ですね。お互いに気を付けましょう

三軒三軒の事で書きます。おふでさき註釈や天理教辞典には内分場所は内、中、外に
三十一軒ずつ、合計九十三軒有り、その内一ヶ所は辺鄙なところにあると書いてます。
その事、弥勒菩薩様に聞きました。九十三とは九十(たす)三で十二下りをつとめる神が出る事。辺鄙なところとは小牧市の小さなアパートである事。
そして前にも書きましたが内とは天理本部、外とは政子かんろうだい、中とは天理神之内分場所  中かんろうだいとして本部に納まる理合いを持ったところで、
今の天理本部を乗っ取るのでなく、神の古里へ帰り、天理本部を潰すのでなく
天理を全うする為に南無天理王が表へ現れたのです。

138:神之内分場所M
18/09/08 11:11:03.86 j8yi/rEsq
昭和六十年六月十日  午後二時四十一分
さあ/\どれがいかんかれがいかんとすっきり言わん
真実の神の言葉で思案せよ。第一長らえたる所、道の真をつとめる理甘露台一つの事情
誰の為とも言わんでな
道の駅理一つを心に持って思案して見や良く分かる。誰の為でも更にない
天理教徒一列の為となる理や教え置く。
天理教徒一例がしっかり思案をせにゃならん。
これまでの道よう/\の道すがら今日ここに到って何故 神之内分場所と言う道 天理本部の外に付けられたか 名所一点定められたか今迄にも中山みきの手で書き残された
ふでさきが その証拠の品として歌の文句で現して先の為にと残したる
これこそ道の宝となる神の残し置いたるもので有る
この道をどういう事に思うかな世界助ける真実の道
生まれ在所に帰る為 証拠になる原典を忘れる事のなきように説いて残した三つの宝
ふでさき、さしづ、みかぐら歌が道の為にと置いてある
いかなる人が残しても神の言葉に違いない。
いつのさしづもうたなるも これに間違いないと言て(ゆて)置く
神の出したる神のもの 誰のものでも更にない
しかとこのよに説いて置くぞや

139:神之内分場所M
18/09/08 11:14:16.96 j8yi/rEsq
訂正  道の駅理一つを→道の理一つを …です

140:神之内分場所M
18/09/08 12:13:26.58 j8yi/rEsq
訂正132お悔みと→お見舞いと…失礼しました

141:神之内分場所M
18/09/08 14:33:25.81 j8yi/rEsq
昭和六十年六月二十三日   午前二時三十五分
さあ/\みろく衆生再現の儀、いかに詳しく説くべきや
些少にして心にくもり有りたれば、何一つとて分かるすべなき
みろくとはいか�


142:ネる佛に有りたるか天地創造の神に有りたるば其の謎の紐説き致すなりこれすなわち天理なる成り天理とはいかなる事に候ふや和合一つの心にて正しく心身共に変わりなく神佛一体根の本、火水風自由用自在の働き有り、底の国に有りたる場、三千世界を助けたさ心豊か成る清らか成る精神やしなう道場にして、何人にあらず、いんねん有る者 皆引き寄せ給ふしかるに それなる人類皆我が魂に生まれながら天徳頂きたる者、早々にして心すますが先ず第一にて神と共に天理天道を歩む事なり。



143:神之内分場所M
18/09/09 10:39:45.34 I1XE2Nb1D
昭和六十年六月二十九日  午後五時十九分
さあ/\これまで談示々々と聞かせたれども 何を談示するべきか
この度の甘露台と言う事情 親族の事情と言うは何と心得て皆々居るか
 甘露台建て上げるには一列談示もせねばなろうまい
前々より聞かせあったは今の事なり。時旬が来たる事なり。えらい事ぞや。
天理の道 何故この長い年月続かせてあったか
現身を持って、人間(にんけん)姿で世に出て、天理の道の為に成るよう世界助けのきりなしふしんするが為にと杖と柱と成る神や
こらほどの深い思惑有るなれば、しっかり談示もせねばなろまい
今日の日は神がはるばる尋ねて来たる。しっかり談示合うての話合い
神の言う事 素直に成りて聞いて思案をしてくれる様
前々の言うて置いたる約束の この神が山々かけて巡れども、この事誠と聞く者が無くてこの道遅れたる
それ故神が急ぐのや。早く目覚めよ。天理教徒一例の為なるぞ
年限は百年祭で終わりなり。天理の道は終いなり。
路銀のさづけも理が切れて、すっきり助からぬ様に成ると言う
神が言うのや嘘で無い。しっかりせねば成らぬ事ぞや。

144:神之内分場所M
18/09/09 11:10:23.04 I1XE2Nb1D
教祖百年祭の諭達の中に「百と言う字の心は白紙に戻り一より始めるを言う」と言う下りがありました。
この言葉も神が言わせて有るのでしょう。
何を白紙に、天理本部を白紙に、神之内分場所を一より始めるという事です。今考えれば天理本部の末期が見えてました。
大教会長、教会長の自殺。或いは教会長の強盗など。世間で言う人の良い人がやってます。あの当時東西礼拝場建設で、多くの金を集めましたからね。そのご苦労もあったのでしょう。
あの神殿、本当に必要だったのでしょうか。
路銀のさづけとは、道の路銀と言って、旅に出る時に持って行くお金です。路銀は時と共に減って行きます。百年祭で切れご守護が無いのです。
次は末代のさづけです。

145:神之内分場所M
18/09/15 08:49:19.28 UlPlLoFc0
昭和六十年七月一日  午後五時五十七分
さあ/\屋敷と言う。屋敷どう言う事。屋敷は神の田地と言うた
鏡屋敷 鏡屋敷どんな影がうつりたか。四方正面の鏡屋敷。神の守護 お陰と言う。
そのお陰 神の自由用自在、いかなる所の事やとて一目で見える神である。
その神は天理本部のあの屋敷は神の田地や、生まれ在所、それ故に神の言う事良く聞いて、さしづどうりに通るなり
人間の言うが言葉と思うたら理が違うでな教え置く
だん/\の席を席を受けたるこの神や、千に一つも無駄はない。
間違ごた事は言わんでな。
早く治めよこの神を大和の天理に治めなくては天理失う事となる
これまでの天理に理が無くなりて神の世界と立て変わる。
これが誠に成ると言う。これもしっかり教え置く
神の教えに従うが良い。
末代迄も続く道にて仕立て行くぞや。

146:神之内分場所M
18/09/15 09:58:04.34 UlPlLoFc0
みかぐらうた 七下り目
ハッ やしきはかみのでんぢやで    まいたるたねはみなはへる
九ッこゝはこのよのでんぢなら      わしもしっかりたねをまこ
十ド このたびいちれつに        ようこそたねをまきにきた
         たねをまいたるそのかたは  こえをおかずにつくりとり
屋敷は神の田地と言うて有ります。現状はどうでしょうか。人間の田地、中山家の田地
本部の田地と化して崇拝の対象


147:物となってます。ふでさき十七号  九にんけんをはじめかけたるしよこふに    かんろふたいをすえておくそやにんけんと人間(にんげん)ふでさきは一字一句が大事でして濁点は埃を意味して有りにんけんとは神仏の魂を持った者、人間は埃を持つ我々で、ふでさきの中には人間(にんげん)を意味する歌も有り、それは人間を尊称して言って有ります。前後の句を詠めば、分かります。ですからふでさきの意味、にんけんをはじめかけたるしよこふで、決して人間を創った場所では有りません。人類発祥の地では無いのです。神の在所、神の発祥の地です。神に戻さなければなりません。おやさとと言います。おやとは神の事です。親神とも言います。神様の里でございますですから神の子である人間が、神が帰って来たら「おかえりなさい」と言うのです。たねをまいたるそのかたは  こえをおかずにつくりとり何と言う種を蒔いたのか?天理と言う種を蒔きました。そのお方は南無天理王の命です声をおかずに何を創り取るのか?かんろうだい世界でございます。百年も前から歌わせ踊らせてあるのです。教祖は三原典の解釈はされていません。今こうして弥勒菩薩が解釈されて居ます。



148:神之内分場所M
18/09/16 16:28:58.77 2+ExFrJEs
昭和六十年七月四日   午後零時十ハ分
さあ/\所々と言うて諭したる所 どういう所と思うて居るか。
年限追うて長らえて来たる所の名と言う。
これ神之内分場所と言うて道に先に楽しみの為に名所一点定めたる。年限の理甘ろ台と言うは皆々何と心得て来たるか。
これまでにも様思案もせねば成らぬと諭したる。今に成って今言うのでは更にない。
定めたる事聞かしてある
これまでの道長らえた道天理つとうて来た道や。何をとぼけて呆けて居る。
呆けたふりして神を騙そう思うても そんな事して騙される様な神では更にない
いかよにも神の言葉で説いて教えて残して有る。元の原典良く調べて見よ
神の残した言の葉通り一つの嘘も言わん神
何を楽しんでも道か。
神が人間姿を現して、神人和楽悦楽の陽気日暮らしさせたさの神の思惑そればかり。
 此の所来たいと言うて来れん屋敷、来たく無いと思うても神にいんねん有るなれば、
痛めてなりと悩めてなりと、此の所にと引き寄せる。
同じ事なら痛い目に合わぬ内から尋ねでよ。何で難儀をさすものか
前生からのいんねんでどうでもそれなるあしきいんねん払わにゃならん
神の真実誠の心、何時になりても変わりておらん。よろづ一列助けたさ
神の元にと引き寄せて年限の来たる迄にと、神の手の内仕込みたい。それも何故
この先に末代迄の結構なさずけをしかと渡したさ。神の心がなぜに分からん
とやかく言うて居る間も、人々が神の手の内学び居る
早くに神を尋ねて来るが良い。一日の遅れと言うが千日の遅れと成りてしもうたら
悔むに悔めん事にとなる
これまでにもろうたさずけは理が切れる教祖の百年祭で終りなり。
教祖中山みき夫婦はもうこの世に再び生まれ出て、今は神と共々暮らし居る。神の元にと引き寄せて居る。生まれ変わりを教えたものが、生まれ変わらん様ではな
天理の教えは嘘に成る。
これが道理や天理なり。道理いがめて何に成る。
この道は神が付けたる所なり。これが確かな参り所(しょう)
神のさしづは間違わん。これこそさしづ道理の神の道。
これ疑えば何にもならん。後は悔む事すら出来んよに成る。
これが誠の事に成る。しっかり思案をするが良いぞや。

149:神之内分場所M
18/09/16 17:59:05.46 2+ExFrJEs
存命と言う事で書きます。天理教徒の方々は納得しにくいでしょうが、見て下さい。
明治のさしづには、書いてあります。

明治二十六年三月十九日   午前一時三十分
……前々の事情、もう一つの事情、言葉一つの事情、堅く頼み置きます
これは存命一つの事情、息の通うたる間と言う。これ遺言。
きっと/\存命の遺言、これだけ頼むで/\。
ファ丶丶丶済まんな済まん事や
けれど あちらこちら十分やで。どうも済まん、けれど又、春になりたら、春に勇んで
おくんなはれや。
さあ/\一寸説いて置くで……

この様に言われてます。息の通うたる間とは百十五歳で
ふでさきに   このたすけ百十五さいじょうみようと  さだめつけたいかみの一じよう
と言われ、この命でなくこのたすけです。寿命で無く定命です。定命とは南無天理王命
の命(みこと)が定めた年で、教祖が九十歳で現し身を隠されて後二十五年、飯降伊蔵と上田ナライトに天啓が出てました。その後は路銀のさづけで道が続きました。
これが息の通うたる間です。
春に成りて…教祖九十年祭の春、三月十五日に天啓が弥勒様に出てきました。
そして中山みき夫婦と共に生活されてます。
又、私の知り合いですが、かんろうだいに忍びこんだ知り合いとは違いますが(笑)
教祖殿の風呂場の裏に修養科時代、忍び行ったそうですが灯りは付けて有っても、物音一つしなかったそうです。
もしも教祖存命であれば今の天理教にはならないでしょう。中山家を存続させる為の方便なのでしょう。存命の証拠がありません。証拠があるなら出して下さい。もっと天理教も伸びてくるでしょう。
弥勒様のさしづに有るように生まれ変わりを教えた教祖が、自身は生まれ変わら無い
とは、可笑しな話です。信徒の方々は納得しないでしょう。
最近の天理時報は存命の教祖と書かれて無いようなので、本部も認めて居るのでしょうかね!本部が存命と言うなら、証拠を出して下さい。

150:神之内分場所M
18/09/22 10:47:02.11 ca7NJ4jj5
昭和五十二年九月十ハ日     おさしづ
さあ/\月日有りて天理という世界が有り、天理という世界有りていざなぎといざなみ有り。いざなぎいざなみ有りて、秀司政子という身の内有り。
身の内有りて、神の定めた甘ろ台と言う思惑有り。
神の思惑有りても、神の思惑有りても、神の思惑通り心を定める事が第一や。
さあ/\その心に実が有れば、神の方にも実が有る。
実といえば知ろまい。真実と言うは火水風の自由用 神の守護が有る。
真実の心の者には神の受け取りが有る。
それ故に誠の心に神がのって働く。
誠有れば神の方にも実が有る。実と言えば知ろまい。
実とは火水風神の自由用と言う。

明治二十年一月十三日   教祖御話
さあ/\月日が有りてこの世界あり世界有りてそれ/\あり それ/\有りて
身の内有り  身の内有りて律有り  律有りても心定めが第一やで。

さあ/\実が有れば実が有るで。実と言えば知ろまい
真実と言うは火水風。押して
さあ/\実を買うのやで 價を以って実を買うのやで

いざなぎいざなみとは教祖おやさまと夫善兵衛様です。

151:神之内分場所M
18/09/22 16:59:28.21 ca7NJ4jj5
昭和五十三年三月二十六日   午前七時二十分     おさしづ
さあ/\一寸知らし置くで、何を言うやと思うやろう
前々より話して有る道と言うは、こう言う事に成って来る
神が長い年限待ちに待ちていた甘ろ台と言うはこの事や
道と言うは思うように成るものではないで。思わぬ事に成って来る。
人間のまゝに成る道やないで
神が真実力を添えて連れて通りた たった一つの台で有る。
この台のうて何で道と言えるか、心に治めしっかりと道の為にとなりてくれ。
早くにな甘ろ台を世に出す事や。渡す直物有る故に甘ろ台より受け取るが良い。

つゞいて
さあ/\神の台と言うは、勝手になれるものではないで、
神が長い年限の間連れて通りた中に伏せ込んだる種、根で有る
この根深きたましい、埋もれて有ったは、神の定めた年限が有る。
それ故に神が説いたる、この助け百十五才定命と定めつけたい神の一条と残し置いたる
この話まさか忘れはいわすまい。
この深き魂のみろくぼさつと言う者、世に出し、一列の心をすます甘ろ台なり。
この台一つ見定めつけるも、皆の役目で有る
見分け聞き分けるとはこの事成るを言うてある。
しっかりと心に悟り尋ね出よ
よろづいさいの元の神、なむ天理王が諭し置く。一列しかと思案せよ。

152:神之内分場所M
18/09/22 17:11:38.82 ca7NJ4jj5
見分け聞き分けは、明治のおさしづの中に沢山、入ってます。見分け聞き分けとは、自分の目で見て、耳で聞いて我が心で嘘か本当か確かめよと言う事です。

153:神之内分場所M
18/09/30 10:15:09.91 tza6lI5cb
昭和五十三年十一月四日  午前七時二十分        おさしづ
さあ/\/\どうせんならん、こうせんならんと言うは 難しようなれど三年/\の間にはどうやら安心事情となりて目に見えて来る。
何かの事もよう治りて それよりあでやか一つの道と言うて
よう/\これまで難儀な処を通した たった一つの道の為皆々こうしたのやで
何程心で悔やんで見ても今となりては手遅れや
前々より筆先さしづ みかぐら歌と残し有るのや
筆の中あざやか一つの事情、道の為こうして残し置いたのや
道は広い広い道、どこから眺めても曇り一つも無い、にごりておらん
これから先というものは幾万たりと通れる道や
連れて通るぞしっかりと神の心にもたれつけ 一筋心に成りて来い。
いつ/\までもこの道は続く/\人の波
大きな波や人波や それもその筈 大かん道や本道や
皆一列の喜ぶ顔が神の目に今ここに見ているぞや
嬉しき事や満足や。ワハハハハハ……

筆先四号
 にち/\に心いさんでせきこめよ   はやくほんみちつけたことなら  七十六
  しんぢつにこのほんみちがついたなら すへハたのもしよふきづくめや 七十七
  五号
このみちをだん/\しといいくならば なんてもむこにみへるほんみち   ハ十ニ
六号
たん/\と心いさんでせきこめよ    はやくほんみちいそぎでるぞや        十七
 十七号
このみちをはやくみとふてせきこんだ さあこれからハよふきつくめや    二十三

154:神之内分場所M
18/09/30 11:02:47.40 tza6lI5cb
昭和五十三年十一月四日  午前七時五十ハ分   おさしづ
さあ/\/\なる時なら誰もする
ならん時にしてこそ効能の理と言ってある
みな/\の精神一つやで
成ってもならいでもやらして貰うという心が神にかなうのや
真実神に心添えてきてこそ道の人や
良い事ばかり望んでおって神にかのうていると思うても そうはいかん
道は今底に有る、下に埋もれて有る
早くに土もって持ち上げてこそ理にかなう
それでこそ大かん道となって来る
広い道にするにはな 皆一列の心意気  早く土もて道の為
もっこにのうてひのきしん  わしもはやばや土持や
それでこそ一荷の土なんほうの効能とも分からん  えらいことや
それでこそ万倍の理と神が言う、まだ有るならわしも行こ
夫婦そろうて一列が、勇む心に真実の神の自由用目に見えて、嬉しき事や有難き
事があらわれ助けられ、何時/\までも栄え行き末代までも古記と成って、
この世の続く限りの幸せを我が身に受けて花咲かせ良い実を結ぶ神の道
早く根を掘れしっかりと神が待ちいる嘘で無い
早く尋ねよ元の神なりなむ天理王なり
しっかりとこのよにといて諭し置く  一列しかと心せよ

みかぐらうた十一下り目
三ツ  みればせかいがだん/\と  もっこにのうてひのきしん

明治四十年三月十三日  おさしづ
一荷の土どういう事に成るとも何ぼの効能に成るとも分からん。
一つ心に成ってこれをしっかり

昭和六十一年ハ月二十一日
一荷の土何ぼうの効能なるやも知らずして何が木古も分からずに道の人には成れはせぬ

155:神之内分場所M
18/09/30 11:53:49.18 tza6lI5cb
昭和五十三年十二月十五日  午前九時ハ分     おさしづ
さあ/\これだけの事諭しても分からんと言うは神のさしづどおり通りておらぬ証拠や
そんな事で、どうなるぞ
何を思うての道か。教祖と言うて歌に歌って日を過ごし、教祖のひながためどうというて口先で人をたぶらかし神に やいば向けて天につばき吐きかけているも同じ事や
長い年限の中にたった一つの天の理を心に止めず何を思うて楽しんで通りた道や
なんたる事ぞ情け無い
道は先に成っても立つなれど人間は死するという事を心に治めていねば成らん。
どんな事有るとも知れん
その時に神の自由用受ける人、受けられぬ人皆一列心次第や
助かりするもしないのも、その心にて定めつくなり
その時に成りて神をうらんでくれるなよ
我が身勝手に通りたる成って来るのが天の理や
心通りに目の前にうつり来る姿ぞ、己


156:れが心の現れぞその時は神ものく。それで良いなら気ままに通れ。後の祭りと火も消えるなり。昭和六十二年四月二十二日   おさしづ天理教徒一列めん/\神のさしづに従わず我が意のまゝに通るなら、神に背を向けるのも同じ事、神にやいば向けるも同じ事何ぼ信心致したるとは思えても神に受け取るこころ更に無し何の自由用更に無いぞや明治四十年四月八日   午前六時手遅れ/\だめの諭しと言うたる。道は先になりても立つ内々や。何時どういう事出来るとも分からん人間というは死するという。生まれ更わり明治三十年十一月八日人間我が身から出したる 我が身からする事どうもなろうまいたゞ一時道一つ理心に一つ理人々我が身恨みという



157:神之内分場所M
18/10/13 13:48:13.13 BWI7MrfPw
毎月二十六日は本部と同じく天理神之内分場所でも月次祭です。
月次祭最中に 神さまからのおうたが出されますが、今迄の総計、約百万首程有ります
最新のおうたを書かせて頂きます

平成三十年ハ月二十六日
ふしんとハ  かたちのふしん  いうてない     神たてあげか ふしんなるそや
たてあげて  天りほんぶに  おさめなば   とうどところの  おさまりとなる
このことハ  ならぬさきより  いうてある    なってきたから  とくしんできた
このみちわ   せかい一れつ  たすけたさ     つけたるみちや   うちわけばしよ
このとこに  三つのたましい  すまいする    これもさき/\のぞみの一つや
このさきも  みな一れつを  たすけたさ      まだ/\みちわ  ながくにつゞく
これまでも  おおくの人をたすけたる      神であるそや  なむてんりわう
いらざらん  人のいうこと  なすことハ     けしてすなをに  うけるでないぞ
このことで  おゝくのまちがい  あとにてわ   なんぼなやんで  みたとてざんねん
しんじつを  さとす神なり   よくうけて     とくしんできる   これでたすかる
この神わ   よくのこころハ  もたんでな     かねで神をば  かえとわいわん
このみちわ  せかい一れつ  たすけたさ      つけたる神や   うちわけばしよ

158:神之内分場所M
18/10/14 14:18:17.82 XbObDzzoL
昭和五十三年十一月九日  午前ハ時二十分      おさしづ
さあ/\何もむつかしい事あらせん
神の思惑どうり通りて見よ。通りたならば成って来る/\のが天の理や。
今までに何よの事も説いて有る
今度現れた天の理を受けたる親にもたれたら、何不自由なきよにしてやろう
神の心にもたれつけと といてあるのも この時旬や
心もだん/\勇み来て病の根もうすれいき こんな事なら早や/\とすがれば良かった
しもた事したなぞと口々といゝ伝え国々までも鳴りひゞく大きな理やで
しっかりと神にもたれて 付いて来い。
神が言うのや。嘘でない。

明治二十年三月二十二日
今度無い世界を始めたる親にもたれて居れば生涯末代のさづけやで

みかぐらうた九下り目 二ツ
ふじゆうなきやうにしてやらう  かみのこゝろにもたれつけ

159:神之内分場所M
18/10/20 10:23:20.08 RipDmK1CV
昭和五十四年一月三十二日  午前八時十五分      おさしづ
さあ/\だん/\安心事情見えて来る
これ神の残したさしづ通りや
今日よりは理が高まりて栄え行く
世界成程の理という一つの理のため こうして来たのやで。
古い理は効能というたった一つの理がみな/\にさとせん
そんな事で何を楽しんで来た道か。心でしかと思案して先々の処 一列の心洗うて見よ
第一親がつけ元々の道 元に理がなくばなろうまい。
理なくば皆いずんでしまわねば成らん
そうなったらどうするぞ、道も立たんが身も立たん。
何を楽しんで来た道か。一つの理のため皆々こうして来たのや。
楽しんで/\長い道中道すがら余程退屈致したるやろう。
年限の内にはきっと世に出す。世に出たならどんな働きするかいまからしかと見ているが良い。
神のなす事する事がこんな事にと成るとは誰も心に思いなけねど、世界助けるには どうでもこうでも世に出す。世に出たらば神が働きせねばならん
どんな時でも働く神でなけねは この働きはでけはせぬ
みな一列一つに寄せておいて 越すに越せんその時は神の力がとものうて どんな中でも
救うてこさす。
それだけの力あるのが この神や
今に見ていよきっと分かるぞ
越すに越せんその時は、なむ天理王と唱えなば神の力が現れて一手一つにまとめて置いて さっとこさすぞ。
怖い関所がある程に。年限の内には必ず有る。その怖い処を救い上げるが神である。
目に見えぬ先の先から説き置いて それ見えたらばそれが神
神の力がともなわばどんな中でも通れる程に
しっかりと神にもたれて この先はいつ/\までも変わらじと心に治め通りなば きっと
救うて助け上げ、みなに見せる神の力を
越すに越せんその関所、神が必ずこさすから しかと見ていよ神のする事。
道のり余程隔てども神の方には見えて有る。
それ故説いて教え置くぞや
天火・火の雨海は津波で荒れくるう。神が言うのや嘘でない。

160:神之内分場所M
18/10/20 10:45:58.17 RipDmK1CV
前より続く     角目
明治三十七年三月二十九日   おさしづ
神の力は容易やない  どうなろとするで

明治二十一年十二月二十五日  午前一時三十分  刻限
一日の日がある/\と知らしたる処年明けたら えらい関がある 越すに越せん

明治三十一年十二月三十日     おさしづ
危ない道どうしたら良かろう 越すに越されん道ありたて案じにゃならんような道
神が連れて通りゃこそ通れる

明治二十一年十二月二十五日    刻限御話
年明けたらえらい関がある 越すに越せんという
えらい関は越すに越せんのその関は皆んなの心で皆一つに皆寄りて越す

ふでさき六号百十六
このはなし なんとをもふて きいている   てんぴ火のあめ うみわつなみや

161:神之内分場所M
18/10/28 09:41:53.24 ta5wj9HN5
昭和五十二年九月十ハ日  おさしづ
さあ/\月日有りて、天理と言う世界が有り、天理と言う世界有りて、いざなぎといざなみあり。いざなぎ、いざなみ有りて秀司 政子と言う身の内有り
身の内有りて、神の定めた甘ろ台と言う思惑有り
神の思惑有りても、神の思惑通り心を定める事が第一や。
さあ/\その心に実が有れば神の方にも実が有る
実といえば知ろまい。真実と言うは 火水風神の自由用の守護が有る。
真実の心の者には、神の受け取りが有る。
それ故にまことの心に神がのって働く
まこと有れば神の方にも実が有る。実と言えば知ろまい。
実とは火水風の自由用と言う。

162:神之内分場所M
18/10/28 09:54:23.56 ta5wj9HN5
続く
明治二十年一月十三日    教祖御話
さあ/\月日が有りて この世界有り 世界有りてそれ/\あり
それ/\有りて身の内あり 身の内ありて律あり
律ありても心定めが第一やで
さあ/\実が有れば実があるで。実と言えば知ろまい
真実というは火水風              押して
さあ/\実を買うのやで  価を以って実を買うのやで

いざなぎ いざなみとは 教祖中山みきと夫 中山善兵衛の事です

163:神之内分場所M
18/10/28 14:31:56.63 ta5wj9HN5
昭和六十年七月四日  午後五時三分
さあ/\これ神の自由用一人占めとはこれけしからん
前々より修理が声を聞かしたらこそ今日の天理が有るのやで
神の守護が有りたならこそここまで道を続かせたる
この理道の理甘ろ台と立つ神や
なむ天理王命と神名唱えて付いて来た。
今日の日は神は何でも言わねばならん。言わずに居ては分かろうまい。
この道の真を務める親神や。
天理の道何故この長い年月続かせてあったかよう/\の日を見てこれまでに尽くした
こうのうの理は十分満足さす処まで その結構は見せて有る。
その徳だけは付けて有る。
それ以上の強欲だけは 神は許すに許せん。
今の時旬いかにして道を通るべきか よく/\考えて見ても良く分かるやろう。
年限々々と聞かせて来た。年限の理いかに取り扱うべきや。
心で思案もせねばなろうまい
第一長らえての道すがら年限追うて今見えて来た理
現し身の神さしづを以って説き諭す。何を楽しんでの道か
何時迄下々ばかり苦しめて居る。
教祖の年祭ばかりを売り物にして下を苦しめ至る姿も見えている神
今に見ておれ我が身に難儀が振り掛かる
そんな事をも知らずして哀れなるかや 愚かなるかな
足元に火の付く事も分からずに欲の皮ばかりをば突っ張って我が身知らずの向こう見ず
何と残念おろかな事や
人のうらみ我が身に帰る。これも教えて説いて置こ。
神の言う事何も違わん。この日見るのも もう目の前や
早く改めせん事にや、その苦しみを見る事と成る
これに間違い無いと言うて置く。

164:神之打分場所M
18/11/03 14:00:27.19 85O8sQqnH
昭和六十年七月二十日  午前八時十一分    おさしづ
さあ/\これまでどんな道も通したで有ろう、通り来たで有ろう。
神の道と言うは続くが神の道  続かん事は道とは言えん。
中山家あの屋敷にいんねん有る神、屋敷は神の田地と言うた。
みろくぼさつの魂い身に受け、魂のいんねんを持って旬刻限の到来により、年限の切目
取り次ぐこの神や、なむ天理王とは このわしや。
皆々何を学んで来たる。たった一つの天の理や。 道に一つの宝なり。
国に一つの宝となる神
みろくぼさつや天の理を説いて苦労の道中は並大抵の事では無い。
人間の言うが言葉と思うなよ。皆神たるの言葉や。
これまでにも いかなる事でも言うて来た。
それなる神の言葉通り今この様に目の前に成って来たで有ろう、見えて来たで有ろう。
なむ天理王命と神名唱えてついて来た。
それなる神が人体以ってなむ天理王命を名乗り甘ろ台体位を持って天理の道の表に現われ今日に至って神之打分場所を定め その所より 神の思惑一切説き諭し居るなり。
心豊かにして神言きわまりなく胸に治め、しっかり聞き取り我が身成人なさしめて
世の人々を救い給う。
これ誰の為でも更にない。
天理教徒一列心して神の教えに従うべき。
これまで通り来て何も分からんと言うは誠真実なきにて受け取るすべなき
楽しみ一つがなぜに分からん
これ/\よう聞き分けずして この道だけは通られはせぬ。
人間思案を立て神の理尻に敷くと言う。
これ迄にもしっかり諭し来たる道の理なむ天理王命や
早く改めさしづ通りの道をあゆむよ。
これより通る所 更にない神が言うのや間違いない。
これより先は神の心にしっかりもたれ。違える事の更になきようここに一言教え置く。

165:神之打分場所M
18/11/10 11:02:38.08 ssDKG5CYC
昭和六十年七月二十一日  午後八時十三分      おさしづ
さあ/\これすなわち なぞの表現なればこそ、神がこの度現れて、謎の紐解き致すなり。それ故にすなをな心持つ人に説いて教えを致す神。
仏陀とは神の教えにそをた人、これすなわち仏の教えを広めた人間
これ王子と言うて、説いて教えは致したれども、これすなわち みろく衆生再現の儀
神と言うは男と成り女と成りて性別変わりて仏ともなりして現れ神の理 仏の理を説き
今尚 兜率天(とそつてん)にて其の説法して居る
これすなわち打ち分けて居る場所を指すなり。
なればこそ神之打分場所名所一点定めたる所こそ、人の心すます道場とも言う。
さあ/\人間凡夫の知恵では悟り取れまい。
何事も神のさしづに元付いて しかと成人するが良い。
さあ/\いかよにも説いて諭しをする神や仏なるぞや教え置く。
これまでは何か分からんなぞの紐 いんねんの糸につながれ致し居る。
よう/\にこの度世に出る時旬や、皆一列も心せよ。
神にしっかりそうたる人はけして難儀は掛けはせぬ。
先なるに良かったなぁと言える日を、きっとこの神付けるなり。
それ迄は決して心を倒すなよ。しっかり頑張れ道の為
人を助ける神の道。先成るにきっと手柄を致させる。
この神に付き来る人に幸せを、さづける神や徳さづけ神と共々陽気遊山をする事と成りて平和に暮らすなり。
これも見えてる神なれば一列心和に成りて道を進めて行くが良い。
神が付きそて通る道、道に障害更に無し。
しっかり見ていて進め行く。やがてたどるは天理なり。
今は道中半ばなり。これにて今日は筆ををく。

166:神之打分場所M
18/11/11 12:22:01.39 YC4jZ8/sF
昭和六十年七月二十九日 午前五時三十七分     おさしづ
さあ/\これまでの処 何よ運べど何にもならん。
無駄やと言うて前々より説いて聞かせて置いて有る。
さしづの中もとくと読めば良く/\分かる理や
年限も程のう間近に迫りつつ有る
神の残した言の葉は千に一つも無駄なる事は決して残して置いてない
理うけの声を頼りのこの教え、今迄皆々何を学んで居たることやら
年限の理/\と言うて言葉で誰しも語って居たれど、其の実 年限の理が何を意味して居る事やら、何を指して言う言葉なのやら 誰も分かりた者ぞなき。
いらざるふしんに力を入れて泣け無しの金を寄せ集め、人に苦労を掛けるばかりや
何が為にかたちのふしんに力を入れる。
天理の道と言うものは、教祖中山みきの百年祭で理が切れる。
それ故 これなる神が年限の切れ目の後をしっかり取り次ぎ役目を致すなり。
なればこそ年限の理をつとめる神が時旬待って 天理本部の表に現れ きっと人の心を見定めて渡す宝を胸に抱き、しっかり見る目違(たが)える事ぞ無き。
神のする事なす事に一つも無駄は更にない。
今なるは天理本部に神は住まいは致してをらん
なればこそ闇の夜や声を頼りについてこい。
夜が明けたなら成る程の理と一つの言葉も残して有る。
今なるは神は谷底住まいの日暮らしや。
人間と神と共に陽気日暮らし致し居る
これなる所 神之打分場所と言う。これも今に成って今急に定めたるのや更に無い。
前々のふでさきの中にしっかりせき込むと歌の文句で知らせても有る。
この神は一つの無駄も残してない。
(ふでさき二号 十六  このはなしなんの事やとをもている
神のうちわけばしよせきこむ)
つぎに続く

167:神之打分場所M
18/11/11 14:07:56.44 YC4jZ8/sF
続きます
神の名は、なわたまえ、はやくみたいとをもうなら  月日をしえるてゑをしいかり。
このよふにあしきをはらうてたすけたまへのなむ天理王命としっかり神の手のうち学ぶ
事をも教えて有る。
ころばぬ先の杖柱成りて、しっかり年限の理を美事につとめをはたす元の神実の神や教えをく。
誰が何事言をうとも神が見ている気をしづめ末代迄えも続き行く。
天理の道にと仕上げなならん。
神のする事なす事をきっと見ていよ今に分かるぞ
それ迄に真実誠を掛けて きっとだめの教えを致す成り
天理教山々掛けてだめおしを致す神なり教えをく。
だめの教えはこの事や。
これまでに聞かされて居た事忘れてしもたその人は早くめざめよ今がそれなる年限や
やがて百年祭で理が切れる。天理の道はをわりなり。
それ故神が急ぐのや。うっかり聞いていた人、天理失う事となる。
神の支配と立て替わる。神はここから立ち上がる。
その精神は出来て居る。早くしっかりするが良い。
いな事を言うと思うな。皆 誠、それ故先を急ぐ神。
その時は人数定めて役割をきっと致すぞ、今迄に積んだこうのう無駄にしな。
神が教えてやる程に、人間思案は持つでない。神の言うよにたしかする成り。
この神も天の理説いた一粒の種の芽生える時が来た。
あちこちと各宗派共この道に一つに寄せる時旬や。長い/\道中やった。
やっと日の目見る日が近づいた。
やっぱり良い種まかねばならん。一つも無駄に成らずにな、結構々々見る事と成る。
真実は誠と成りて目に見える。釈迦が世に出る時旬や。
みろくの世に出る時が来た。
なむ天理王命と唱えさせたもこのためや。天照大神と言うて来た、唱えさせたる時も有る

168:神之打分場所M
18/11/11 14:44:50.96 YC4jZ8/sF
 前に続く

元の神実の神とは何故か。
この元はくにとこたちとをもたりさま。時旬で名前姿も変えて来た。
なればこそ男やら女やら分からんと言うて居たのや教え置く。
神となり仏となりて世の中の人を助ける其のために、どんな中でも、
苦労をと思わず、今日の日まで、あちらそちらと道つとて、やっと思惑の日、目の前にと近づいた。
皆の者早く悟りを開くなり。聞き分けたなら我が身幸せ。
朝の日の出を拝む事にと成れる人なり。
天理天道を歩む人なり。これに間違い更にないぞや。

(ふでさき七号  七十二  なわたまへはやくみたいとをもうなら  月日をしへるてゑをしいかり   解釈ですが神の名は たまへの中にあると言う事で  あしきをはらうてたすけたまへ てんりわうのみことの座りづとめの中にたまへと有り、
その後に天理王命と唱えさせて有ります。
そして手をしっかりとは、神の手の内、しっかり学べと言う事で、天理教に出して有る
三原典、また弥勒様の出すおうた、さしづという神の手の内です。
又ダメの教えと言われます。ダメと言う意味は駄目と言う事と究極と言う二つの意味が有りますが、今迄が駄目で有り、これからがかんろうだい普請に取り掛かり究極の教えで有ります。人間支配の天理で無く、神支配の道にと変わらなければなりません。
どうぞご思案お願いします。)

169:神之打分場所M
18/11/17 10:28:53.75 VPNd7UWW3
昭和六十年ハ月一日  午前七時二十六分     おさしづ
さあ/\建家一條とも諭して有る。何と心得ているぞ。
前々のさしづの中にも説いて有る。
人間の言うが事やと思い居る。神の言葉やさしづ成り。
其の建家年限の理から建ちた物。誰の物でも更に無し。
神の御陰が有りたならこそ、神の声を聞かして来たらばこそ、今日のこの道天理が有るのや。皆一列もとくと聞け。
一人で出来たる様に思うたるなら理が違う。
この長い道中守り通した神の理分かりて居らん。
そんな事やで通理いがめて我が意のまゝや。何たる事か情けない。
前々より、それなる建家明け渡さにゃならん日の有る事は聞かして有る。
神が人間姿で以って現れる日の有る事も聞かせても来た。
神も人間共に地上で陽気日暮らしする事も、その証拠の品として、ふでさき、さしづ、
みかぐらうた この三原典が残して有る。
人の事やと思うなよ。道の為残し置いたる宝なり。
みろくぼさつ魂を持って世に出る人間の姿現す その証拠に、神の為にと残したる。
皆一列の為とも成る。神の言葉や、神のさしづや歌なるぞ。
かなもじの中にうたうた このうたに神のひがんが込められて居る。
なればこそしっかり読むよに教えたる。
そんな事我は知らんと思う人、天理失う事と成る。
人間の甘ろ台と言うのはな、なむ天理王に付けられた位なるぞや教えをく。
これが親神なむ天理王命や。この神を知らんと言う者は、これより先は神の守護、身に受ける事叶わざるにして これ我が身うらみと聞かしめて今日ここに一言神言きわまりなき教えに記すなり。
さあ/\これなる建家三軒三棟建てると言う事も神の言葉で聞かして有る。
今に成って今言うのでは更に無い。
前々よりの原典の中にしっかり説きをいて先に成る事言うて有る。
これなる所、神之打分場所と言うのも教祖中山みきの手をわずらわし、今日の日のため
ふでさきの中にしっかりそれなる名所忘れぬようにと うたの文句で残して有る。
その中もう一度さらいなをしをするが良い。
三軒の建家の三棟目、神之打分場所予の元と成るぞ。神は今ここに住居致しおる。
神の言う事千に一つも無駄は無い早く悟りて道に出よ。
二せんの道や二地の地場。
二世の本部や聞かせおこう。これに間違い更にないぞや。

170:神之打分場所M
18/11/17 13:47:56.35 VPNd7UWW3
前に続く角目
明治三十四年四月十八日(陰暦二月三十日)
別派に立って行け。建家一条はやしき中のもの
「その建家は別派に有ります。でも其の建家は庄屋敷の中に治る、中かんろうだいとと言うもので、南無天理王命で有ります。」

明治二十二年七月三十一日   (陰暦七月四日) 午前六時十七分
世界の道を以って あちらにもこちらにも本部や。
偽の本部やと言うて居る理聴かしたい。
「みかぐらうた九下り目 一つ  ひろいせかいをうちまわり  一せん二せんでたすけゆく
と有ります。一せん二せんわ一銭二銭ではありません。一宣二宣で広めると言う意味で有ります。人間の解釈には無理が有りす。
一宣は今の天理本部、二宣は別派の神之打分場所の事で有ります。
おさしづには偽の本部と書いてあります。が本来は二世の本部です。
おさしづは聞いた言葉を文書にしてあるので間違いが有ります。偽の本部をわざわざ聞かせてどうしますか?二世の本部は神之打分場所の事で、次に神支配の本部と変わる事で有ります。

171:神之打分場所M
18/11/23 10:44:05.13 x7pl0mGn2
昭和六十年八月十日  午前七時三十三分      おさしづ
さあ/\いかなる事情とて聞けばどんな事でも分かる理や
人間心理を立てて神の理尻に敷き詰める。
この道の理と言うは長らくの間楽しませて来た。
天理つとうた道すがら 神の打ち分け場所と言うて、道に其の元一つの根と言う、甘ろ台と言うて、人間姿で人神と成り表に現れてくる事は、前々よりのふでさきにその証拠が書き記し道の先の為にと残し置いたる。
神の言う事何も一つもうそは言うてない。
神之打ち分け場所と言うは、いかなる所分かり無くば知らせよう。
長い年限の間に時旬を待って、やっと神の念願かのうて、神が天理より外に現れ出て来た所、これこそ名所一点定め付け神之打ち分け場所と言う。
それなる所になむ天理王命は今尚住まいを致し居る。
これこそ古元と言うて居たる所なり。
このとこで谷底住まいの毎日や。
日々は寄り来る人にしっかりと神の手の内仕込みたる。
同じ事天理通るの心なら、神の教える手の内学べ。よろづ一さい説き諭す。
これこそ説法致し居る。
この所中山みきも引き寄せて、神と共々暮らし居る。
先所のいんねん有るがそれ故に、道の為、多くの財産投げ打って、妻のみきに使わせて
世の為人の為なるよう果たしてくれた功績は、今尚けして無駄は無い。
それなる中山善兵衛もその伏せ込みの芽がふいて、神の元にと又引き寄せて神と共々
暮らし居る。
十人のなかに三人か


172:たうでは  火水風ともしりそくと知れ。ふでさきのうたにうとたるこのうたはこれなる人の証拠や。何も知らずに口々にあくぞうもくぞう言いよるが、これが誠の事である。神が世に出た其の時は、おろかなるおのが心情悔やまなならぬ。このとこで まだ言うてない真実を詳しく説いて聞かすなり。これがまさしく神の打ち分け場所なるなり。こんな事知らずに何をぼけて居る。これが真のまいりしよたしかなるとこ二地の地場成り。道の人ならこれくらい知らんようでは何にもならん、神の用木に使われぬ。ましてこれより先の天理の道は、神の自由用受けづしていかなる人も通れまい。



173:神之打分場所M
18/11/23 11:57:35.37 x7pl0mGn2
(続きます)
これまでの長い道筋通れたも、神の自由用有りたればこそ、この先は神のさしづの分からん者に神の自由用伴なわん。
この理一つがどれほどに大切なるかがみな一列に分かりしてない。
しっかりしあんをせにやならん。ここがしやんのしどころや。
これも教えて説いて置く。早くしやんをしてかゝる成り。


ふでさき二号  十六
このはなしなんの事やとをもている    神のうちわけばしよせきこむ

せんしよのいんねんよせてしゆごふする    これハまつだいしかとをさまる 一号 七十四
「先所のいんねん有るがそれ故に………」と言われ有ります。
天理教では前生のいんねんよせてしゆごふすると、前生と言われますが、ふでさきには
せんしよと書いてあり、先所が本来の意味で有ります。
先所とは今から見た前の事で有り、天理本部の道すがらであります。
中山家に嫁いだ前川みきは、神がかりと成り、中山家の財産を投げ打ちました。
代々続いた財産を妻みきに使わせた夫善兵衛も、信仰心を持った方だと思案します。
みろく様からの天啓では教祖はいざなみで有りマリア様で有り、中山みきです。
そして夫 善兵衛はいざなぎで有りイエス キリストの魂です。

十人のなかに三人かたうでわ   火水風ともしりそくとしれ    六号 二十一
じゅうにんと読みますが、十とはタスとも言います。本部にタス人の事で、三人です。
一人はみろくぼさつでくにとこたちと をもたり様。をもたり様の体の中にくにとこたちが入り込んでいます。
後二人は中山みき様と夫善兵衛様です。
屋敷は神の田地と言うて、中山家或いは人間の田地に有りては、この天理通れないでしょう。天啓者が必要と言う事です。

174:神之打分場所M
18/12/06 10:27:07.00 j1Yv0/jxR
昭和六十年八月五日 午後零時十六分       おさしづ
さあ/\又々さしづ心一つ、理にそむかんよう。
さしづどういう理 神の言葉打ち出す所
これ分かり無くば説いて詳しく聞かせよう
いつにても並の人間なるの言葉と思て居たらば理が違う
誰にても聞き入れ無ければ是非も無い
神は無理にどうせと言わんでな。そこはめい/\の胸次第
心道理にしかと受け取る
かならずと神が見て居て付ける道。誰の為でも更にない
受け取るすじも千すじや。心一つの理に受け取る
先なるに悔む事すら出来ぬよに成りて後へは戻られん
人間が如何程かしこく有ろうとも、何になるかや この先も神が説かねば分かろまい
しっかり説いて聞かすで良く分かる
人間で出来る事ならやって見よ。
行き詰まりてぞ苦労して頭いためて先なるに何したのやわし達は、これも言う事すらも出来わせん。こんなあわれな事となる
神の言う事すなをに成りて聞かぬから これも見えてるこの神や。
今から説いて教え置こ
人間で出来る事なら この神はいらんものやと言えようが
道の為には杖柱きっとつとめるこの神や
いらんと言えば道は暗闇、一寸先は闇の世や。一寸先へも進まれん
これこそ天理の道は終わりなり
これが誠の事となるなり。

みかぐらうた
六ッ   むりにどうせといはんでな    そこはめい/\のむねしだい  七下り目
六ッ   むしゃうやたらにねがひでる    うけとるすぢぃもせんすじや   六下り

175:神之打分場所M
18/12/06 10:49:06.34 j1Yv0/jxR
昭和六十年八月五日  午後零時十六分   おさしづ
さあ/\又々さしづ心一つ理にそむかんよう
さしづどういう理神の言葉打ち出す所、これ分かり無くば説いて聞かせよう
いつにても並の人間なるの言葉と思て居たらば理が違う。神の言葉や
誰にても聞き入れ無ければ是非も無い
神は無理にどうせと言わんでな、そこはめい/\の胸次第、心道理にしかと受け取る
かならずと神が見て居て付ける道。誰の為でも更にない
受け取るすじも千すじや
心一つの理に受け取る、
先なるに悔む事すら出来ぬよに成りて後へは戻られん
人間が如何程かしこく有ろうとも何になるかやこの先も神が説かねば分かろうまい
しっかりと説いて聞かすで良く分かる
人間で出来る事ならやって見よ
行き詰まりてぞ苦労して頭痛めて先なるに何したのやわし達は、これも言う事すらも
出来わせん
こんなあわれな事となる
神の言う事すなをに成りて聞かぬから、これも�


176:ゥえてるこの神や今から説いて教え置こ人間で出来る事なら、この神はいらんものやと言えようが道の為には杖柱きっとつとめるこの神や。いらんと言えば道は暗闇、一寸先は闇の世や。一寸先へも進まれんこれこそ天理の道は終わりなりこれが誠の事となるなり。みかぐらうた六ッ  むりにどうせといわんでな    そこはめい/\のむねしだい   七下り目六ッ  むしやうやたらにねがひでる  うけとるすぢぃもせんすじや   六下り目



177:神之打分場所M
18/12/06 10:50:10.39 j1Yv0/jxR
昭和六十年八月五日

178:神之打分場所M
18/12/06 10:52:38.51 j1Yv0/jxR
昭和

179:神之打分場所M
18/12/09 09:15:34.04 SSXMcCE41
前の文章ネットの状況でおかしくなったようです。又 内分場所と間違えてたのを気付かないで載せてました。本来は打分場所です。

昭和六十年八月六日 午前三時二十九分       おさしづ
さあ/\さしづ一条紐説くと言う。みな/\何と心得て居るか。
さしづと言うは、何時のさしづも皆 同じ神の言葉やさしづなり。
誰が何事言をうとも、神が出したる神のもの
かるくあしろて神のさしづを尻に敷く
これから先と言うものは、なんぼ笑をとそしろうと、神の方には良く見える。
何ぼ遠くに離れよと一目で見える神である。尻に敷くなら敷いて見よ。
即座にそれなる理が現れる。心一つの現れが泣くも笑うも理が出る程に
目の前になって来る理で思案せよ。なって来た理で思案せよ。
したらばとくと良く分かる。己れなしたる心道理や。
なんぼ悔やめどどうにもならん。我が身うらみや教え置こ。
さあ/\いんねん有るが故から神が説く。この神も天の理説いた伏せ込みの種が芽生えて今日の日や。
月日の社と成る種は前生積んだ功徳や。これも一つの手本なり。
なむ天理王命と名乗り居るのもそれ故や。
我が身には甘ろ台の位いをも身に受けて居る親神や みろくぼさつの現れや。
皆一列も同じ事良い種のみを蒔くが良い。これも一つの教えなり
この先はどんな事でも説き諭す。誠真実有る人は神がしっかり教えの手をさしのべる
この神を私欲の為にあしらう人は帰る天の理心どうりや。
今から以って諭し置くぞや。
うかつに聞いていたならば成って来てから悔やまなならん。
これも教えて説いてをく。

180:神之打分場所M
18/12/09 10:41:07.28 SSXMcCE41
昭和六十年八月七日午前八時九分      おさしづ
さあ/\何も知らざる人間が神に逆らいはんぱつすれど先なる事を知らぬ故なり。
今日の日は何でも言わねばならんから このよに詳しく話し取り次ぐ
定かなる心で以って聞き取れば、如何なる神の言う事も何一つとて分からんで無し。
時旬の花と咲いたる甘ろ台人間姿現したなり。
それ故に甘ろ台人間一つ定めたる、こんなさしづも残したるぞや。
何時迄も知らぬふりしてぼけたふり。何をとぼけて至る事かな。
これまでの道のすがらは説いて有る。何時まで神にさからうべきか
元の原典良く見るが良い。その中に伏せ込んだるの天の理や。
天の理一つが分からんようで、何で天理が通れるものか。
この先に成って来る理で思案せよ。
よう/\ここまで連れて来た。神の真実この誠、受け取る人の心通りや。
早々と神の言う事聞き取りて、さしづ通りの道に出よ。
これまでにふでさきにても歌とて有る、神之打分場所なるぞや。
こらほどの所は外に一つとて更にないぞや予の元なるぞ。
この神はなむ天理王命や、まぎれもしない元の神実の神にそういない。
聖なる場所 神の道場とも言う。
いかよにも説いて諭しはするなれど受ける心に誠がなくば何を言うても分かる目はなし
何が為神の元にと引き寄せて居たる事かな分かろまい。
神の手の内学ばせて、まだ言うてない真実を説いて聞かせて仕込むなり。
しっかりと神の仕込みを身に付けた人、神の用木(き)と神が見定め神より渡す末代
までも、けっこうに続き行くさしづをしかと渡したさ。
これが神たる思惑や。早く悟りを開くなり。これ分からねば何にもならん。
こら程の大切なるのこの所たった一つの名所や。
この話何の事やと思て居る。神之打分場所せき込む。これが誠の事で有る。

明治二十一年六月二十三日(陰暦五月十四日)
かんろだい一つ人間定めてある。何でも一日ある、楽しみあるという事を治めて貰いたい。

おふでさき
このはなしなんのことやとをもている  かみのうちわけばしょうせきこむ 二号十六

181:神之打分場所M
18/12/15 12:23:48.92 v/hTbs/Cx
昭和六十年八月十日午前十時九分      おさしづ
さあ/\この道の理と言うは、何をほって置いても運ばにゃならん
こういう日の有る事も刻限話で聞かせても有る。
皆々何を楽しんでの道か。
神が人間姿で以ってなむ天理王を名乗り甘ろ台と言う位を身に受けこの世に現れて
来る事は その日有るのも説いて聞かせて その日の為に成る証拠も残して有る。
まさか知らぬなぞとは言われよまい。
ふでさき さしづ みかぐらうたと三つの証拠 この時の為となる物これ書いて残した道の為宝と成るのや教え置く。
その中に伏せ込んだるの天の理や。
知らぬなぞとは神は言わさん。
何時迄も強情張って居たるなら後は悔やまな成らぬように成り苦労をする事になる。
神のさしづと言うものは何時になりても腐らせて隠して居ても何もならん。
生きて世に出る時が有る。これが天理と言うものや
真実誠を言わねばならん時が来たぞや教え置く。
隠し通せるもので更にない。神が現し身を持ってこの世に出たからは見抜き見通し
するなれば いかな事でも一目で見える。
嘘の通らん世の中と言う。

182:神之打分場所M
18/12/16 06:36:55.77 GeVxrbw8p
 前に続く
明治二十三年十月一日
内々本席順序前夜刻限の事情願
しっかり筆取って置け。どういう者引き出すやら分からん。
余儀無きいんねん、ほのかのいんねん、
分からん時から何でもと尽した、心の理、いんねん三ついんねんどう成る。先ず/\の道、真実二つ三つの理、余儀無くいんねんは放って置いても成るやろう。
放って置いても退くに退かれん。ほのかのいんねんは良う成ったら行こうか、
楽しみ成ったら行こうか。何も分からん時から、何でもと運んだ心の理は真実の理、
人ともいう、一人の理という。これをよう聞き分け。
古き者に親が尽して子が尽す当り前、子が尽して親が何でもという心の理がある。
これから、要らん者にさづけを渡す。

183:神之打分場所M
18/12/16 12:27:27.54 GeVxrbw8p
昭和五十三年四月八日      おさしづ
さあ/\何も案じる事いらんで
神が長い年限の中に付けて来た道の中にたった一つの効能と言う理が残し置いたる
この理何程のものや分からせんで
神思惑の元の理、神が長い年限の間 伏せ込んだる種、天理の根である、深き理、みろくぼさつと言う。
この者一人、人間甘ろ台と言う この深き魂の者 世に出す為には、もんかたなき処より
神が教祖 中山みきに天降り、だんだん道付けてひながた見せて一列のめどうにと、
しな型なるもすえしも何故にこのよな事をなしたるか、みな一列に分かり無くば知らそう。しっかりと神の言う事聞くが良い。
神が教祖中山みきに天降りたる時、世界一列助ける為に天降りたる事いうてある。
みな知っている。
その人助けの年限いつから始まるべきや。
神に深い/\思惑あるは、教祖一坪四方より始め掛けた元治元年より、この助け百十五才定命と定め付けたい神の一條と、残し置いたる事、皆知っている聞いている。
先々忘れぬように書いた物残し置いたる、よう思案して見よ。
何事も筆の中から見えてくる。
神が百年も前にて書き残し置いたる筆先さしづ みかぐら歌と有るのや。
これこそ神思惑の甘ろ台世に出す時の時旬や。
しっかりと神の言う事わかりたら心に治め道の為、神の言うよにしかと通るよ。
早くにな神の元にと尋ね出よ。
神が待ちいる嘘で無い。早く悟りて道に出るよう神がしっかり諭し置く。

ふでさき
このたすけ百十五才ぢよみよと   さだめつけたい神の一ぢよ        三号 百
いままでにふでにつけたることハりが      さあみゑてきた心いさむで     十二号 四十四
このはなしどふゆう事にをもうかな    ふでのさきがなみへてきたなら    十七号二十四

184:神之打分場所M
18/12/22 09:31:09.12 vZNdJDifd
昭和五十三年四月二十五日
さあ/\/\どういう心こういう心みな知っているで。
さあというておゝといえばそれで良いのや。
心で応える処それで良い事あらためていう事やないで。
めん/\心どうりつなげ/\
たいそうな事すればみなめん/\心ににごり水そそぐ事になるで。
いかようつなげど心通りの理が出るで。
この道は神の道やでしっかりと心に治め通り行くなり。

185:神之打分場所M
18/12/22 09:42:56.50 vZNdJDifd
昭和五十三年四月三十日          おさしづ
さあ/\たいぎ/\心に思うなれどそうやないで。
尽くした理は神が見ている。何も心に止めるやない。
今までも神が言うたる事みな聞いている/\心に治めてくれ、人の為やないで、
みな我がの為や、心のつなぎやしかと分かるか。
人間は何時でも功能/\と思う。功能の理は神が与えるのやで、
この先なるというものは、心に止めるやないで、思うやないで、
心かなえば神が授ける。しっかりさとし置こう。

186:神之打分場所M
18/12/22 09:52:11.51 vZNdJDifd
昭和五十三年五月三日         おさしづ
さあ/\何事も人の事いうのやないで。
我が心から磨いてゆけば良いで。
人が良い人やなあというてくれてこそ、我が身も光が出る程に、
日々をしっかり成人する事や。
神の願いやしかと磨いて人の為にとなるのやで、
神からしっかりたのみ置く。

187:神之打分場所M
18/12/22 14:28:02.82 vZNdJDifd
昭和五十三年六月二十九日        おさしづ
さあ/\今までになによの事も みな説き置いたる。
その時旬早やこゝに来たりたる事、天理教徒一列なるにしっかりと知らし置く。
何故に時旬なるとさとするか。
神が天より天降りたる元一日の日がありた。
それなるも何故なると思いしや、
世界一列助ける為、もんかたなき処 、教祖中山みきに天降り、神の思惑とき置いたる
この助け百十五才定命と定め付けたも時旬なるぞ、
しっかりとこの事さとりしたならば、何分からん事あるものか。
神が言うのや嘘でない。
さあ/\心、心一つが真実や、誠となりて現れる。
良き事も悪しき事をもその心にて見分け聞き分けするべきや、神が言うのや嘘でないぞや。
しっかりと心に治め道の為、神の言うよにしかと思案せ。


明治二十年二月二十四日      おさしづ
百十五才 九十才これも分からん。二十五才不足、どうであろう、これも分からん。
どうしてもすうきり分からん。
故に二十五年を縮めた助けを急ぎ扉を開いて世界をろくじに踏み均しに出た神でのうて
この自由自在は出けようまい。

188:神之打分場所M
18/12/23 12:56:01.83 1qRUHvg+k
昭和五十三年七月四日  午前八時頃より      おさしづ
さあ/\日もだん/\つんで来た。年限も相当たって神思惑の日も近づいた
これからの道は神の思いのまゝに通るぞ
天理教徒一列が心しっかりするが良いぞや。
神思惑の楽しみある楽しみの元一日の日と諭したる。
それなるも何故なると思いしか、長い年限の中に神が楽しみある
何でもどうでも年限の内に、神の定めた思惑の親治めるという。
その楽しみ早やこゝに迫りたという
そんなものどうでも良いというて見たところが、これが神の思惑。
この先どうでも成る事なら仕方あろまい。
今目の前に成って来たる、見えて来たる。前々より神が百年先の事言うて置いたら必ず
その日のある事、筆に残し置いたる、これよう思案して見よ。
神は何にも無理な事一つも言わん。
神の定めた思惑ある故、この様に諭し居るのや。
それなるも何故なると思いしや。
世界一列助ける為、もんかたなき処より、教祖中山みきに天降りたる。
それなるも前々より天の理を説いておかれた、元の元の理を世に出す為なり。
その理みろくぼさつという。
その深き理、埋もれてあったは神の定めた年限がある。
その神の定めた時旬、此処に早や来たりたる。
これだけの事神が諭したなら 何一つとして分からん事あるものか。
この親こそ真の神の定めたる甘ろ台なり。
長い年限の中に順序通りて、その理刻み込んだる。
それが為ひながた出して、神の定めた本部の地場に甘ろ台の模型、品型据えしきも
その為なるぞ。

189:神之打分場所M
18/12/23 14:09:18.59 1qRUHvg+k
前より続きます

神がこのよに説いて聞かせたなら、神の思惑心に治め、しっかりと道の立つよに心せよ
これ分からぬようでは みな一列がいずんでしまわなならん日がある。
その時になって今まで神の道というてつくした理、水の泡にと消える日があり。
神が言うのや嘘でない。なって来るから神がとき置く。
目に見えん神の言う事聞き分けよ。
まだ見えぬ先の先から説き置いて諭し置くぞや心せよ。
これ筆先の花 月日親神なむ天理王なり。
さあこれだけの事諭し置いても分からぬというようならば、又神の元にと尋ね出よ。
しかと諭する嘘でないぞや。
早くにな尋ね出るのも我がの為しかと成人するが良いぞや。


明治三十三年九月九日      おさしづ
先の事知らしてある。後や先になる。
皆一つ調べてみよ、嘘はありやせん、皆先の事言うたる。
言うて置いたる事は年限の内には、どうでも出て来る。百年の先の事 言うて置けば、
三十五十の者は知ろまい。なれどどうでも出て来る。

明治三十一年五月十二日
紋型も無い処からこの道の結構と言う。元の理を諭さにゃならん。

おふでさき
いまなるのかんろふだいとゆうのハな    一寸のしながたまでのことやで     四十五

明治三十年七月十四日
ぢば証拠人間始めた一つの事情 かんろうだい一つの証拠雛形を拵え今一時影だけのもの言うて居るだけでならんから万分の一を以って世界ほんの一寸細道を付け掛けた

190:18です
19/01/02 03:34:06.66 WY93Ofugv
久しぶりに投稿します。

>>113>勢いがなく信者が次々にやめていく理由は何ですか?やはり末端教会・信者からお金をむしり取る体質が問題なのではないですか?果たして教祖は御在世中、信者を増やしお道が盛んになる方法を取ったでしょうか。むしろ、大和神社事件、大和神社のふしと足を引っ張る行為を高弟達にさせたでしょう。それは、広義には「ふしが栄える一つの理」といった理がある為であり、狭義には信仰していく人々が見極め見極められる証拠とためしの過程があります。つまり、正味とかすを分ける。それは、普請をするには道具がなければ造れないように神であっても道具がなければどうする事も出来ないので、その道具を選別する為です。周りにどうしようもない人がいる環境こそ澄んだ心を以って神についてきて、我が事を思う事なくたすけ一条で口と心と行いが同じ人が誠の人になり、それがたすけの実績に繋がり人が寄って来て盛んになる。その誠の人に出すお供えは誠になる。即ち、お供えでのお金は、出す場所によりけりなのではないでしょうか。信者は助かると思うから出すのであって助からなければ出しません。そして、信者からお金をむしり取った事例は直接には聞いた事はないですが、少々の名目を付けた上でのお金の要望はどの宗教もあることです。末端教会からお金をむしり取るのは、系統によりけりでしょう。問題なのはたすからないという事ではありませんか。基本さんが仰るようにお金を出してたすかるなら出したらいい。しかし、お金の多少で信心の真剣さを図る事や短絡的にお金に走るのは問題なのでしょう。



192:18です
19/01/02 03:45:51.31 WY93Ofugv
ここから人によって見解が分かれると思いますが、

私が思うに、教団は誠真実の人々が居れる規模の大きさが妥当であり、必然的に小さくなる。
そして、中で発生的な兄弟があっても身分の上下(123の序列)をつけるべきではない。
それから、八町四方神のやかたなのでぢばに寄り来る人々が多い状況が一番良い。しかし、すべての人が天理教信者になるのではなく、
来た者に対しては、ぢばから喜んで家に帰る人達がいればそれでいいのではないでしょうか。

それと天理教を信仰していれば幸せになるという勘違い、教祖はそんなことをさせないとか優しいとかメルヘンチックに捉えて信仰している方も
いらっしゃるが、刃を差し向けるのも神であり、教祖自身も現身を隠される前まで艱難辛苦の道だった。
教組が認めた本席もなる前苦労をして、なってからは刻限や本部の者の心違いで身上になり、苦労を一緒に通り抜けた妻を先に亡くし、
子供達も悶々と過ごした。秀司さんも教祖に神が天降る過程で足が悪くなり、教祖の言う通りにしないだけで亡くなり、
こかんさんも普通の人生を求めただけで亡くなった。そして、先人達は信仰しなければ命がない中で家族の不幸や貧しさ等の中を通った人が多い。

そして、今でも末端教会は貧乏な教会が多い。世間一般に昔の時代の貧乏と今の時代の貧乏の比率は全然違い、
そして医療技術の進歩、医療保険が整っているので万能ではないが病院で治療される方が多いので、身上を助けられる機会が減り、
それなら医療と関係ない事情を治めればと思うが天理教を信仰すれば事情のオンパレードであります。

初代と四代五代の苦労は比べものにはなりませんが、神と人間では幸せの価値観が違い、神の幸せの概念はどのような状況でも心の持ち方で得ることであり、
今生だけと考えてない。その上神から見れば道具として使われ、我が身を振り返る事なくたすけ一条であるからでしょう。


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