19/01/12 20:06:35.12 oC95yHrgP
>>220
考察
>>212
明治三十九年五月二十ハ日
しばらくして
大きい木買うて欲しい/\/\/\。大きい木、これ買おうと思て居る。けれど、どうもならん。
一本の木やそこらでは、始まらん、何もならんようではあるけれど、一本の木から定約出けたら、一本の木から追々出ける。
買うて欲しわい/\。買うてくれる者あらせんか。
木と仰せ下さる処、理の木でありますか、又は現場の木でありますかと申し上げ
予て話して居る。もう一度始め掛ける。手斧始めすると言うて、楽しまして、たんのう。大きい木あるわ。
一寸一本買うて、買おうと思えば大層であるけれど、買うて一寸切ってはつってすれば、十分の木出ける。
楽しんで居る。どうでもこうでも、高うても、買う者あらせんか。こちらから銭金掛けてくれとも、出してくれとも、言わせん。
可怪しい事言うと思うやろ/\。すれば、何でも年限追うて来るという。大きい木早う買うて欲しいなあ/\/\。
早う買うて欲しい。買うて貰ろて、大きい木ずうと出来たら、楽しみやで/\/\。
どうでもこうでも、年限遅れても、心の済むように、買お/\なあと、たゞ一声買おうと言う事待って居る/\。
教長より買いますと御答え下さる
買うて見せてくれるか。買うてやるか。そんなら待って居る。よかったなあ/\。さあ/\よかった/\。
もし、「たんのう大きい木」を一括りにして人間だとするなら、割書で理の木か現場の木か尋ねているので、
人間なら理の木だと言う事になり、次のおさしづで、理の木を買うといった事になる。
しかし、実際は初代真柱は、普請の為に現場の木だと理解して木を買っていた。
明らかに悟り違いなのに、翌年の明治四十年三月十三日(陰暦正月二十九日)午前八時三十分の百日のおさしづが始まるまで、
それに対してのおさしづがない。
初代真柱の悟りが正しかったからこそ用材の調達が前もって済んで、神殿