天理教社会学研究所 カインを 糾す。at PSY
天理教社会学研究所 カインを 糾す。 - 暇つぶし2ch21:基本。
16/09/14 07:27:39.91 5dwypdyPK
花火打つのも金がかかる。野球の優勝も金がかかる。
桐の箱で献金の有力信者が楽しみにしている野球部の優勝・・。この信仰証明がなくなったという事は、完全な人生の終焉。
二代真柱だまされて大教会は不振で儲けて維持費で苦しんで。。財産没収コース。

地場は独り立ちしてある。。それは信者の献金など一円もいらない。
悪魔の教え、貧乏せいの天理教は、独り立ちへの道を教え、
霊元の神の教えPLは、人生は芸術を説き、実は集金ビジネス、野球部は広告塔で、その塔がたおれた。
神の返し・・いいえ赤衣の悪魔の祟りは、新宗教に降り注ぐ。大教会に降り注ぐ。

しっかりとみておきましょう。

22:18です
16/10/15 21:47:08.68 ncuvLFLQS
天理教社会学研究所は、どうやら自分達にとってうざい人を排除する傾向があるみたいですね。
教団に対する恨みは分かりますが、原典を勉強しなくて教祖とは「さあ/\あちらこちら、摘まんだような事を聞いて居た分には分からんで」
そのものですね。
しかも基本さんが仰られるように、教祖が親神様であるのを信じなく、今も存命である事を蔑ろにして、
当時応法に走った高弟達と同じ匂いがします。

23:神も仏も名無しさん
17/01/06 19:46:23.77 jn7am2y7e
カインさんは知識があるかのような言葉を連ね
小学生レベルの批判を重ねているけど具体的な解決案の提示はどこにも無い。

変だなぁとは思っていたけど・・・。

基本さんに一票!

24:18です
17/03/11 12:34:29.04 +RmHnLsi9
以前から思っていたことですが、学者や書籍をよく読まれている聡明な方の教義・教理の解釈では、素人の私でも違っているのでないか、
それは私が盲目的に信心しているわけではなく、何故かと考えて見たのですが、

めへ/\のみのうちよりのかりものを しらずにいてハなにもわからん (3-137)
いまゝでハをなじにんけんなるよふに をもているからなにもハからん (7-55)
「この道どれだけ賢い、智者学者やと言うても治まらん」(明治32年2月9日)

とこれだけが理由だと思っていたのですが、
最近、分かったことが、現在通っている道が暗闇であるかないか、そうでないと光を見ることができない、
明るいところでは光を見ることができない、そして教組に聞きに行く体制であるかないか素直に実行できるか
どうかが加味してくるのでしょうね。

25:18です
17/03/11 13:02:19.33 +RmHnLsi9
それと教団に対する恨みで怒っているいる状態では視野を狭くしている状態だし、何よりも学ぶための方法や手段ではなく、
教組が教えようというお気持ちにならなければずっと分からず終いになるのですね。

26:18です
17/03/18 00:46:37.55 0tQ5cft4u
「赤きは赤き、黒きは黒き者に連れられ」同じ連れられるのなら赤き者に連れ
られたいですね。羯諦、羯諦。

27:18です
17/03/19 17:11:57.21 SshoqKADL
それともう一つキリスト教での抜粋
ファリサイ派の人々(自分たちの解釈を重んじ神の掟を破っている人々)を
「彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」
            マタイによる福音書15.14

28:18です
17/03/20 00:24:46.63 /grYZfcA3
天理教社会学研究所内で話題になっている表統領の発言は問題ありですね。その事が
「サンデー毎日」2017.3.26号に運営トップ「表統領」仰天発言の表と裏で記事に載っているから、
もし本部が何も反応しないのはすべて認めているからと早急に決めつけるのはどうかと思いますね。
八島氏の件しかり、本部が表だって反対しないのは、その答えはおさしづにあると思います。

明治二十六年九月一日京都羽根田文明なるもの天輪王弁妄と題する小冊子を著述し攻撃せしにより、
反駁して宜しきや、又訴訟にても起こして宜しきや伺
「(前略)何も構わせん/\。よう聞き分け。何とかしたらどうかなろうか。相手を見て居るようなもの。(中略)
何を言うても聞いても今日の日が実際とさえ言うて居ればよい。(後略)」

暫くして御諭し下され
「どんな事目論でも何にもならん。善い事目論めば善い理が回る、悪い事目論めば悪い理が回る。
この道賢い者から出来た道やない。これから一つ定めてくれるがよい。」

天理教批判書である『天理王弁妄』  著者 羽根田文明
で、天理教の救済は現世的で貧病の解決に過ぎない浅劣なる主義だと批判して、天理教を撲滅するためには教育を盛んにし、
とくに「仏教因果の理趣」を人びとの心に植えつけないといけないとする、愚民観と愚民の間に浸透する天理教という見方。
つまり、この様な考え方に対して「この道賢い者から出来た道やない」と否定され、悪い事目論んだ上でのあるがままの姿が現れ、
問題は内にあると諭され批判の内容を肯定されずに「これまでどういう事も聞かす。どうもならんから、世上の道を通したる」
上での往還道が邪魔があると言う事を前々から諭されていた。

だから、このおさしづに習って、あらゆる批判(元の是非は別)は表だって本部は反応はされないのではないのでしょうか。

29:18です
17/03/21 22:35:12.79 LLuzbecYM
昨日、庭の片づけをしていたら、姿は見えなかったが、初めて近所を歩きながら拍子木を打って、
みかぐら歌を歌っている女性の声が聞こえた。そして思いついたのが、

明治15年、我孫子事件が起って、初めて新聞に取り上げられ、
親神の思召を伺うと、
  「さあ海越え山越え/\/\、あっちもこっちも天理王命、響き渡るで響き渡るで。」
との事であった。一同は辛うじて愁眉を開いた。
 更に、陰暦九月九日、節句の夜に、大阪で泉田藤吉が、熱心のあまり警官を相手に激論した。この夜同時刻に、
  「さあ/\屋敷の中/\。むさくるしいてならん/\。すっきり神が取払ふで/\、さあ十分六だい何にも言ふ事ない、
十分八方広がる程に。さあこの所より下へも下りぬもの、何時何処へ神がつれて出るや知れんで。」と、仰せられた。
この両事件が痛く警察を刺激して取り締まられることになる。

この事と今回の週刊誌の件は実は同じ事ではないのかと、考え、名前を響き渡らす事と屋敷内の掃除を実行されるのではないかと。

まあ、その女性と苦労している末端教会の人々には、幸あれとつくづく思います。

30:18です
17/03/25 22:24:38.72 9Ghuvvq8x
以前、社会学研究所と読者が重なる「御供え」についての掲示板で、
今日の御神楽歌は前管長(初代真柱)によつて、原本では、十二下り目「だいくのにんじうもそろひきた」を
勝手に「にん」と改めたのである、との事ですが、

次が根拠になった文献です。

31:18です
17/03/25 22:29:43.96 9Ghuvvq8x
大平隆平『評註御筆先』(新宗教社、大正5年刊) 初めて公に発刊されたおふでさき
URLリンク(dl.ndl.go.jp)
コマ番号164~165(現代文に書換)

付記 今日用いられている御神楽歌は前管長によって余程手入れされた様である。従って仮名使い等も教祖の其れと
一致しているかどうか分からない。現に此の十二下り目の終りの行の「だいくのにんじうもそろひきた」の如き
教祖の原本には「だいくのにんじうもそろひきた」と書かれたものである。其れを勝手に「にん」と改めたのである。
御神楽歌全編の中に未だ此の様な所があると思われるけれども手元に教祖の真筆がある訳ではないから分からない。
残念ながら仕方がない。
其れから各下り目の終りに今日では「てんりわうのみこと/\」と二編唱えるが元は「なむてんりわうのみこと/\」と云い、
ちょっとはなしとよろづよの後には更にようし/\をつけたものである。此の二つは共にとることの出来ない重要な意味を有して居るのである。
其れを勝手にとると云うのは甚だ心得ないことである。


それと、その当時(大正5年)、御神楽歌では、「てんりわうのみこと/\」と二編唱える、
ちょっとはなしとよろづよの後には「ようし/\」がなく、大平氏が言われる教祖の原本には、
「なむてんりわうのみこと/\」と云い、ちょっとはなしとよろづよの後には「ようし/\」がついていた。

32:18です
17/03/25 22:36:36.09 9Ghuvvq8x
『評註御筆先』は、大正5年1月10日(印刷)、大正5年1月15日(発行)である。
①の資料で大正5年の秋の大祭から現在の形になるので、大平氏が執筆した当時は、
明治29年 内務省訓令の影響以降で、②のおさしづから「ちよとはなし」一条と「かんろだい」三三九遍だけになっている
御勤めの状態である。それなのに「あしきをはらうてたすけたまへ」が抜けている事に対して異論をはさまずに
『評註御筆先』の中での御神楽歌で「あしきをはらうてたすけたまへ」を入れている所を見ると内務省訓令で
止められた事を理解しており、「てんりわうのみこと/\」に「なむ」が入ってないのは、「南無」は仏教、
「命」は神道(高井家資料より「尊」と言う事で仏教とも匂わすが、実際原典では神)。明治政府による
神仏分離政策の影響を受けたと考えられる。「ようし/\」は教祖に意味をお聞きになっている話しがあるので、
省くとはどの様な意味があったのか、「ようし/\」は神の言葉であり、人間が発する言葉ではないと考えたのか、推測される。

次に本題に移り、現在、「なむてんりわうのみこと/\」になり、「よし/\」がついた。
それではなぜ「だいくのにん」を「だいくのにんじゅう」に戻さなかったのか、それを考察します。

二つの違いは「にん」と「にんじゅう」、「にん」とは単数、「にんじゅう」とは複数、後の「そろひきた」は複数が存在する事である、
棟梁が4人いるのでこれまた複数、これらの事により複数である「にんじゅう」が妥当であると思われるが、
③④のおさしづを見てみると、明らかに本席の飯降伊蔵ただ一人を指している、つまり、単数の「にん」に相当する。
「このたびいちれつに だいくのにんもそろひきた」4人の棟梁には色々な説がありますが、
「棟梁を含む一列に大工の飯降伊蔵も揃った」という意味ではないでしょうか。

33:18です
17/03/25 22:40:50.12 9Ghuvvq8x
①みかぐら歌作成について(第1節~第3節);資料比較
URLリンク(www.geocities.jp)

「みかぐらうた語り艸」p37
明治二十一年十月二十六日の本部開筵式から、朝晩のお勤めも、ただいま勤めさせていただいているように
「あしきはらい……」二十一ぺん「ちよとはなし……」から「あしきをはらうて……」のかんろだいづとめとなったのであります。
ところがまたまた「あしきはらい……」の二十一ぺんのお勤めも、明治二十九年の内務省秘密訓令によって再び止められることになりました。
そして現在のように、二十一ぺんの「あしきはらい……」を勤められるようになりましたのは、
大正五年の秋の大祭からであります。

34:18です
17/03/25 22:44:48.51 9Ghuvvq8x
②明治二十九年五月二十日
五月十八日会議案の点に付願
朝夕の御勤今日より「あしきはらい」二十一遍を止め、「ちよとはなし」一条と「かんろだい」の勤三三九遍とに改めさして頂き度く願

「一つの理抜くに抜かれん。又一つ事情無理にせいと言えば、心の事情大変と思うやろ。なれど、一つ方法というものは、天にある/\。
子供可愛から、どのような事情も受け取ってやろう/\。」

 ※「あしきはらい」二十一遍を止める事について、神様は、抜くに抜かれんと仰り、けど子供可愛か
   ら許すと仰っています。
   明治29年4月6日 内務省訓令によって禁厭祈祷のため明治政府から止められた。

③明治二十三年六月十七日 午前三時半
同時に重ねて伺

「さあ/\席というは元は大工や。十二下りの止めはどういう事か分からんではあろうまい。」

④明治三十一年七月十四日 夜
本席の事情で御座りますか

「十二下りの止めは大工」

35:18です
17/03/25 22:48:08.07 9Ghuvvq8x
最後に御神楽歌の理を変える事は、次のおさしづにより、止められています。

明治三十三年十一月五日(陰暦九月十四日)
十二下り神楽歌本の是までの分、文字の違いを訂正の上再版致し度く御許しの願

さあ/\尋ねる処/\、さあ理というもの、変えようにも変えられはせん。理を変えて道があるか。理を変えて居る�


36:烽フ世上にまゝある。この道聞き分け。文字抜き差し、上が下に、下を上に、言葉の理に変わり無ければ幾重の理もあろう。一文字でも理が変わりたら。堅く/\言うて置く。とても/\理を変わりては道に錆を拵えるも同じ事。一つの道具、そこに使う道具無かったら、皆んな揃うて居ても見て居にゃならん。どうでも一つの理を欠く事出来ん。つとめに手を抜いたる処あれば、心に唱えたら同じ事。すっきりと人間心で、こらどうそらどう、理を抜いたら、これは半文字もいかんで。



37:18です
17/03/25 22:54:36.42 9Ghuvvq8x
※主旨説明
文字を付け加えたり、削ったり、上の字が下に、又下の字が上になっても、言葉の理合いが変わらなければ、
いくつかの整理の方法もあるだろう。しかし、一文字でも理合いが変われば絶対にいけない。
それこそ道に錆をつけるようなもだ。

※注
これは「みかぐらうた」公刊本再版についてのおさしづであるが、その点に関し中山正善著「続ひとことはなし」その二に書かれている。
公刊初版本は、前川菊太郎名義にて東京にて発行されたもので、神道直轄として天理教会所が公認されたに従って、
統一された歌詞の必要より、従来の私刊本の不要を省き、神名等を正し、順序を調えて発行されたものであり、
従来”十二下り”の名称が普及していたに対して”みかぐらうた”の題名を附けた点に、当時の意図が窺われる。
(中略)量よりも理に重点をおいて採定されたと思われる題名には、意義深く感ずるところであり、
(中略)再版本 明治三十三年十一月五日『十二下り神楽歌本の是までの分、文字の違いを訂正の上再版致し度く御許しの願』のおさしづを仰ぎ、
理をかえることなく字句を訂正の上、発行所を東京よりおぢばにかえて発行したものである。

38:18です
17/03/25 22:57:12.54 9Ghuvvq8x
以上の原典、資料より並行して問題となった「あしきをはろうてたすけたまへ」が教祖から教えられた事ではないとの事の批判に対する反論と
「だいくのにん」の妥当性を述べましたが、理の歌である御神楽歌を変えるという事を一時的に許しても、長い間はたして教祖は許すでしょうか、
御神楽歌は基本中の基本です。「原清ければ則ち流れ清く、原濁れば則ち流れ濁る」の様に改めるなら根幹部分を改めるでしょう。

39:神之打分場所M
17/04/01 14:18:55.30
私もカインより出入り禁止されました。こちらからも禁止されるかもですね。
カインは教理を知らないようです。単に教団を潰そうとする心が見えます。
昭和五十一年三月十五日(旧一月二十六日)に天理教で無い、何も分からない渡邉 秀子様に天啓が
天啓が降りてきました。本人もびっくりされ、何の神様かも分からなかったそうです。
現在おさしづ、三十年分ほど、五・七・五の和歌体は百万首程有ります。

40:神之打分場所M
17/04/01 14:56:35.64
おさしづの一つを紹介します。
昭和五十四年七月九日午前零時十五分
さあ/\どうしよこうしよと言うた処で成るものでは更にない。
神の自由用一つで有る。成る成らんそらゆえん。神の力そわねば成る事一つもない。
これよう思案せねばなろまい。どれ程我が身で成る事思たとて、そらならせん。。神が
力添えるでこそみな成り立つたる。これから先というのもみなその通りで有る。たれがやる、かれがやるそら成るものでは更にない。
いままでとこの先成るを見ているが良い。日々にどんな事出来るやも知れん。
心と言う理空に有る。心そろえて見よ。分からんで有ろうまい。一手一つの心になって談じ合えば心に治まる理これ深きの理
古い者うもれたると言うはよう聞き分けよ。これ末代の理ともさとして有る。
下なる理とは思うなよ。これ小さな者では有るなれど小さな者がどれ程大切なるか皆々にわかろうまい。
この先どれ程大きな者に成るや知れん。一寸見え掛けた道これが大還道と、成るのやで神之打分場所と言うて筆につけて残して有る。こら神の残した筆先や。こら証拠にと残した物や。

41:神之打分場所M
17/04/01 15:17:10.65
おさしづ続く
教祖存命の時より筆に取りて残し置いたる道始めてより何年経ったか数えて見よ。
数えたならばよう分かる。この助け百十五歳定命と言うた。これ皆神の残した言葉なり。これまでに何よの事も皆説き置いたる神のさしづ通りなり。
甘ろ台と言う理わからん者は、神のさしづ通りの道歩いているとはいいがたない。何を神が頼むと言うた。甘ろ台と出たならば一手一つの心になって運んでくれと言うた。
又治めてくれとも頼んで置いた。その神の心分かる者有るのか無いのか、しっかり返答するが良い。こら道の宝やで。どれ程大切な事やわからん神と約束した日が有る。なんぼ知らんと言うたとて神は
覚えて居る。こら大事な事や。一本買うと言うた。言うたなればこそ神は待っている。その年限も目の前に近づいた。これだけ説いたら分かるやろう。早く買うて見せてくれ。そう成ったらえらい事や。なんぼ楽しみ有るやら。
世界成る程の理と言うてみな/\そろうて尋ね求めて出て来る理内の中これより鮮やかなる事情甘ろ台一つの事情一手一つの心定めよ。安心やで。

42:神之打分場所M
17/04/08 10:02:34.45
昭和五十二年九月十八日
さあ/\親々の理、子に有る。親々の心の理、子に有る。子が成人したならばどんな大木に、成るや知れんで。これ神の残したさしづ成るのや。
さあ/\往還/\道とさとしたる。これしっかりよう聞き分け。なに事も我が身のためとさとし有る。さあ/\このさとしよう聞き分けよ。末代つゞくとは、この事成るをさとしたる。
これえらい事やで、こうきな事やで、皆一列も此のとうり、親の働き子に有る。子だん/\出世する。ほんに成る程なあと人が言う。これ一つ神の言葉や。これみなうち/\成るにさとし置く。えらい事やで此の事は。
はやばやと神のさとしを聞いたなら、早くに道がたつものを、其れ故に処を変えて場所をば、定めつけるも道のため、神の道をせ手引きしらする。

43:神之打分場所M
17/04/08 10:13:52.28
続き
何事も神のなす事する事や、自然成り行き神のする事、これが誠の天の理道で有るぞや。
どの様な、はげしい処で有ろうとも、難しい処で有ろうとも、神がつけてしかと見ている。
一列が心にいか様思うとも、神のなす事道のためにと、今迄の道がころりと変わるも、神の言う事聞かぬ故、親々の心違いがこの道や。
しかと見ていよ神が付けるで。何事も欲にきりないどろ水や、すんだる水と変わり行くなり。さあ/\これからは、きれいな道に成る程に、何も案じな神の請け合い、しかと見ていよそばな者。

44:神之打分場所M
17/04/08 11:02:57.87
昭和五十五年二月十日午前零時十分より二十七分まで
(明治三十五年五月九日夜本席赤衣を召してのおさしづ拝読後)のおさしづ
さあ/\聞いたで有ろう聞いたで有ろう、何も神は難しい事など更々言わん、前々より
説き置いて後で見えたらそれが神やで。こうして見えぬ先より神の思惑説き諭す。
年限来たらばみな見えて来る。今と言うたら今からや。神が降りたら引かんと言うた。
どんなさしづもみな説き置いた。今日こゝに早く成り立ったる理甘ろ台一つの事情、何も難しき事無い。皆々心に治まる理、心すまねば治まらぬ。心澄み切ってこそ我が足元も見えて来る。成らぬ事なぞせいとは言わん。成って来るので神が説き置く。
真実の神で有るから、この様に早く悟れと説き聞かす。
それも何故一列に末代迄の古記と成るよう、又心には第一にすんだる者には末代のさづけも
渡しやりたさに、この様にくどうに説き諭す。
神の心を思て見よ。この残念は無理で無い。ざんねん出たならなんとする。
世界は死人の山をつむ。かならず一度言うたなら成って来るのが天の理や。
しかと心に治め行け、嘘で無いぞや。
この事は今に分かるぞ見ているが良い。
早や/〃\と神が教えて置く程に、皆一列が心して早く談示の決を取れ、
談示する人神が見ている、これ末代のさづけ渡する。

45:神之打分場所M
17/04/16 09:05:54.60
昭和五十三年四月八日 おさしづ
さあ/\何も案じる事いらんで、神が長い年限の中に付けて来た道の中にたった一つの効能と言う理が残し置いたる。この理なに程のものやわからせんで、神思惑の元の理、神が長い年限の間伏せこんだる種天理の根である、深き理弥勒菩薩と言う。
この者一人、人間甘ろ台と言う。
この深き魂の者世に出すためには、もんかたなき処より神が教祖中山みきに天降り、
だん/\道つけて、ひながた見せて一列のめどうにと、
しながたなるもすえし物、何故にこのよな事をなしたるか、
みな一列に分かり無くば知らそう、しっかりと神の言う事聞くがよい。
神が教祖中山みきに天降りたる事いうてある、みな知っている。
その人助けの年限いつから始まるべきや。
神に深い/\思惑あるは、教祖一坪四方より始めかけた元治元年より、
この助け百十五才定命と定めつけたい神の一條と、残し置いたる事皆知っている聞いている。
先々忘れぬように書いた物残し置いたるよう思案して見よ。
何事も筆の中から見えてくる、神が百年も前にて書き残し置いたる筆先さしづみかぐら歌とあるのや。これこれ神思惑の甘ろ台世に出す時の時旬や、
しっかりと神の言う事分かりたら心に治め道のため、神のいうよにしかと通るよ。
早くな神の元にと尋ね出よ、神が待ちいる嘘で無い。早くさとりて道に出るよう。
神がしっかりさとし置く。
ふでさき十七号二十四
このはなしどふゆう事にをもうかな ふでのさきがなみへてきたなら

46:神之打分場所M
17/04/16 09:25:10.84
元治元年より百十五年は昭和五十四年 この年は弥勒様に「赤衣を着れ」との天啓が有り十月二十六日より、赤衣を召される。

47:基本
18/02/15 08:52:28.47 2pFdH3sWO
カイン 限界でしょう。

48:基本
18/02/15 22:45:03.62 2pFdH3sWO
カインは社会科学という名で天理教を糾すというが、天理教団は元々衰退でしょう。
衰退の理由はお釈迦様の予言で、原因もお釈迦様の予言、つまり法理。

創価学会は当然お釈迦様の予言で、法滅します。

49:基本
18/02/15 23:11:55.55 2pFdH3sWO
カインは、天理教の貧乏が嫌いなようである。
「天理教次期真柱の結婚披露パレード」を批判して、のカインの見解であるが、

このような「文化的な最低限度の生活」が困難な教会家族や信者が多い中で、祝儀を出せという天理教本部は、国民が貧困で苦しんでいるのに数億円のミサイルを発射する北朝鮮と同じであると揶揄されて当然であろう。
・・神や教義に関することではなく、たかが次期真柱の結婚という私的な行事である。そこにまるで中山家の所有物であるかのように現役高校生まで動員するというのは、極めて教育上問題があるだろう。
このパレードこそ、天理教的に言えば人間思案そのものの醜態であろう。

真柱とは「神や教義」に直結していて結婚の祝いは、神事であって、
金を出してたすかるたすからないが肝心で、たすかるなら出せばよい。

カインは限界に来てしまっている。

50:基本
18/02/15 23:42:35.79 2pFdH3sWO
奇跡の存在が宗教の存在証明であり、奇跡を生む生まないは神仏の分岐点である。
お釈迦様は「生命の永遠」を説いて、弟子たちは「仏は死ぬ」と理解した。
だから2500年を待って、弥勒菩薩の出現を待って、中山みきは誕生した。

この実数の予言と実現に、カインでは反論のしようがない。

51:基本
18/02/15 23:47:51.65 2pFdH3sWO
神の打分場所さんも宗教詐欺の片棒を担がぬことだ。
「元治元年より百十五年は昭和五十四年 この年は弥勒様に「赤衣を着れ」との天啓が有り十月二十六日より、赤衣を召される。」
こんな幼稚な作り話では、お釈迦様の実数の予言には、なんの効力もない。
カインも神の打ち分け場所も、
「お釈迦様は生きている」「中山みきは生きている」と わからないお気の毒の限界である。

52:基本
18/02/16 00:20:46.25 vB4nwIhI5
[カインの限界]
天理教には教祖が定めた「ぢば」という中心点がある。天理教信者は、世界中どこからでも、この「ぢば」に向かって礼拝を行う。
「ぢば」は奈良県天理市の天理教本部の神殿家屋内にあり、「ぢば」の場所には
甘露台(かんろだい)という木製のブロックを積み上げた、だるま落としのような塔が立っている。
この「ぢば」に置かれた甘露台は四方を畳の参拝場に囲まれている。
参拝場の中央は一片20mほどの正方形の窪みがあり、その中央にぢば甘露台が鎮座しており礼拝上から枠越しに見ることができる。
中央の窪みは高さ1mほどの木製ポールで結界(枠)が作られ一般参拝者は入ることはできない。
また神殿内には警備員が配置され見張っている。
明らかな不審人物は警戒され警備員に距離を詰められる。
甘露台が置かれた「ぢば」は信仰目標であり、原点であるため、ここに巡礼することを天理教では非常に重視される。
「お『ぢば』がえり」という概念化された行為があるのはまさにここが核心的象徴の場所であるためである.

このカインの解説の低レベルは、滑稽である。

53:基本
18/02/16 00:22:07.27 vB4nwIhI5
地場は奇跡を起こす場所である。
奇跡を起こすことが地場の価値である。

54:天理の基本
18/02/16 08:13:06.71 u0dSTGj1j
宗教の堕落はカインそのものである。
カインはぢばを礼拝の対象と説く。信仰目標と説く。
中山みきは「自由自在」の地場の力をお筆先に残しているが、カインはそのお筆先には触れない。
「自由自在」じゅうようじざい。その力の根源だからぢばである。
説けないカインには、お釈迦様の絶大な力も説けない。

信じていないから、説けない。カインんは脱落した哀れな似非なのであり、それはぢばに足がとまらない自由自在には縁なき衆生という事だ。
哀れなカインは、創価教の中で起きている「法滅」の証拠そのものである。

55:天理の基本
18/02/16 08:59:31.68 u0dSTGj1j
創価学会は一時期社会に批判されました。
それは日蓮の思想に原因があります。
URLリンク(www.horakuji.com)
堕落容認の「聖典」があります。最澄の作と言われます。『末法燈明記』です。
この書は、末法思想を背景に鎌倉初期、
天台宗から派生していった、栄西禅師や親鸞、日蓮など鎌倉新仏教の祖師といわれる人々によって、自身の思想を正当化する為などに援用されています。
もっとも、その中で栄西禅師だけは、その著『興禅護国論]』において、『末法燈明記』の内容やそれを援用する人々を批判し、
末法であるならなおさら戒を守るべき事を強く主張しています。また、道元禅師は、この書に直接触れる事はなかったものの、末法思想そのものを否定しています。
いずれにせよ、この書は、それら人々の思想を知る上では、欠くべからざるものと言えます。
また、日本仏教の、戒律無視あるいは戒律否定の思想や歴史を知るためにも、大変重要な書です。
平安末期から鎌倉期にかけて天台宗から湧いて出てきた、「鎌倉新仏教」などと言われるものの中、
特に浄土教と日蓮の教を知るためにも、必須・必読の書です。
さらに、日本仏教史はもとより、日本思想史をたどる上でも不可欠の書である、といって間違いありません。

『末法燈明記』最澄の真価です。

カインには最澄の手のひらの上の自分の増上慢の醜態が見えていません。
カインの限界です。「法滅」の証人カインとなっています。

56:神も仏も名無しさん
18/02/16 15:38:50.05 0VAHOeU9j
URLリンク(1st.geocities.jp)こころまんまるセラピー☆   代表 池亀 厚子

57:黒の基本
18/02/19 18:12:50.24 Z3sg3Ritg
創価学会が、日蓮正宗を利用して仏教徒信者団体組織をつくり、折伏で、大教団をつくった。
宗教ビジネスを成功させた創価学会は、実はお釈迦様の手の平の上、、末法の仏教徒をまんま行っていたわけで、天理教を宗教ビジネスとみなして、天理教を社会学的に批判しているのですが、
地場はひとりだちしてある。

河原町というのは大教会信仰の大間違いの大教会で、本部の信仰をまるで理解できていない。
お気の毒な大教会で、本部内部の「天の支配」を具体的に知れば、道は小さくが分かることでしょう。

なにもかも月日しはいをするからハ
をふきちいさいゆうでないぞや (7-14)

58:黒の基本
18/02/19 18:25:10.72 Z3sg3Ritg
教団の大小を競ったり、語ったり、そういう末法の仏教徒の典型の人物カインは、
基本に反論できない。
基本は、実数と年表でものを言います。
> 38の数理は、
> 1885年11月 公認運動の中心に初代真柱が入る。
> 38年後、関東大震災の復興支援。
> 1908年11月 初代真柱が管長の公務開始。
> 38年後、敗戦後の復興支援。
> 1915年11月 二代真柱が天理教の真柱の公務開始。
> 38年後、九州地方風水害に対策本部。慰問使派遣。紀州風水害に慰問使派遣。
> 1967年11月 三代真柱が天理教の真柱に。
> 38年後、スマトラ沖地震復興支援。
> このように、神様は見せてくれております。
> 同様に、
> 1854年12月 初代真柱前生の梶本亀蔵出産。
> 38年後、濃尾平野震災への復興支援。
> これも、神様の見せてくれた事です。
このような38という数理があります。

59:黒の基本
18/02/19 18:28:14.92 Z3sg3Ritg
> 明治34年5月25日に、御本席は、本部員を残らず寄せて、一同が打ち揃いしますと、その時には、お敷布団しかずにお座りのままでおさしづをしました。
> 「38年後は、こんな席へ座りゃせん。」開口一番のお言葉です。
> この明治三十四年5月から38年後といいますと、1939年、1940年です。
> おふでさき、おさしづは本部に回収となりました。
> 「天理教教典エン義」が刊行されました。戦争協力体制一色となりました。
> 月日の名前はまさに取り払われました。
> 「38年後は、こんな席へ座りゃせん。」
> まさに、本席おさしづをおとしめた38年後の天理教は革新の時代、国家に従うばかりでした。
> 明治34年5月25日のお言葉の中に、
> 「なかなかこれ38年以前、九月より取り掛かり、十分一つ道ようよう仮屋仮屋、仮屋は大層であった。
> 一寸ふしあった。皆退いて了た。
> 大工一人になった事思うて見よ。思うて見よ。」
> こうあります。
> 38年の後には、お前達は、本席さしづなど地におとしめてしまうとの予言から開始されたおさしづの中で、本席は、38年以前の、元治元年勤め場所の普請の節の事情をおさしづされています。
> 「なかなかこれ38年以前」
> 「なかなか」とは、秀司、小寒の道のことです。
> 38年という数理とその後、その前をおさしづした、数理の神意は重大な意味があります。
基本さんの基本教理の示すところを簡明に申しますと、中山家の土台の苦労をないがしろに、元冶元年当時に、既に、現在の「かなめ会」の間違いと同じ事が起きていて、それが、悪因縁であり反復されていると言う事です。
高慢な心は、高いところにて理を諭すという、教祖の道にあるまじき事をしでかすのです。
宗教家の仮面。仮面の宗教家。 かなめ会の方便こそ、「横暴の道」、神様の見せてくれた事です。
元一つほどけたらばらばらの、扇のかなめ、「かなめ会」。
今日まで誰もその問題点を指摘しなかった、指摘できなかった原因は、おそるべし情報操作と、仮想の教団の批判の当事者に「かなめ会」関係者がいるという、狡猾なレトリックのなすわざでした。

60:黒の基本
18/02/19 18:31:45.41 Z3sg3Ritg
カインは創価学会が思った以上に宗教ビジネスとして高収益ではないと、そろそろ気が付いたはずです。
天理教のビジネスモデルを模倣した創価教は、仏典の法華経を採用し、日蓮正宗の教説を利用し、自分がまさに末法の堕落の当事者の主役になっていた。
恥しいでしょう。

61:天理の基本
18/02/20 00:27:16.05 0uR/rEnyW
カインは、こんな問いを発している。
URLリンク(tenrikyosyakaigakulabo.com)
「私が聞きたいことは一つだ。信者から巻き上げた金を自分たちで存分に消費し、
目の前でレーザービームとスモークを浴びせられ、神聖な神苑に大型ビジョンを乗り付けられ、
天理教の神と存命の教祖は、果たしてどのような気持ちで見ていたのだろうか。」

法滅の時代、天理教団衰退という表面上の出来事に合理的筋道を与えている。
誰が見ても教団衰退は当然だと理解できると、
ご安堵である。

カインにはわからないだろう。天理教団の大教会制度の解体は、親神の望みなのだ。

62:天理の基本
18/02/20 00:32:41.13 0uR/rEnyW
末端教会に、ご祝儀を出せというのは、「大教会」であり、河原町という大教会は典型的な「悪」であり、解体の第一候補である。
その役員から嫁には行ったら、大教会で描いている教会本部とは、まるで違う教会本部が、広く知られるきっかけになる。

真柱は「法力」で支配している。また教会本部は大教会から1円も来なくても「法力」で、独り立ちしている。

カインには、到底わかるまい。

創価学会員、がくカイイン、カイン。

63:天理の基本
18/02/20 00:41:07.11 0uR/rEnyW
大教会では「初代様」の権威と伝説で、「解脱」(欲を離れる)を説いて、「禅定」(真理探究)を教えられて、「読誦多聞」(おつとめと講話)を教えられ、
末法信仰になって「多造塔寺」(神殿普請)に金を出せと教えられる。
つまり末法で、それから「闘諍言訟」して白法隠没せん(教団批判・本部批判)で、大教会は滅びる。

それには、批判される真柱が必要なのだ。
カイン、分からないだろう。真柱候補はオカルトなのだ。

64:黒の基本
18/02/22 05:24:37.48 X5Sayd0C7
>>1 天理教社会学研究所 カインは、創価学会系の人物で天理教団の財政基盤を批判し洗脳をしていた。
> ルーツは大日本皇道立教会
歴史の事実を把握しておこう。
URLリンク(ja.wikipedia.org)大日本皇道立教会
概要[編集]
1890年に・・中山忠英が1911年大日本皇道立教会を設立して初代会長に就任した。
大隈重信、一木喜徳郎、牧口常三郎、戸田城聖、数名の華族や陸海軍人により構成された。後には児玉誉士夫も加入。
後に、大日本皇道立教会の会員のうち、創価教育学会(現在の創価学会の前身)の創立にかかわるものがいた。・・
・・中山忠英の三男中山忠徳(ただのり)は神道研究に努め、その門下には
大本教の開祖・出口王仁三郎、PL教団開祖・御木徳近、戦前戦後の陽明学の大家・安岡正篤、そして山蔭神道宗家の山陰基央らの昭和の偉人を輩出させている

65:天理の基本
18/02/22 05:36:02.44 X5Sayd0C7
日本では、末法 時代は一〇五一年に始まったと平安時代の僧・皇円は、「永保元年」(一〇八一年)が末法に入って三〇年後にあたると、書いています(『扶桑略記 ...

末法に入って(釈迦の没後1500年)が1050年という事日本の仏教の常識です。
12月15日が釈迦の命日、年末の、15日。(3×5)
中山みきは5日の数理をお筆先にてきちんと示しています。

五日
いまゝでも月日の心だん/\と
せへいゝばいにつくしいれども (12-11)

せかいにハたれかしりたるものハなし
とふむこのたび月日せひない (12-12)

それゆへにせかいぢううをとこまても
ことハりてをく月日しりぞく (12-13)

五日とは、いつつ立腹で、月日退く。釈迦は5の理で没しています。

66:天理の基本
18/02/22 05:49:00.97 X5Sayd0C7
>>63
>大日本皇道会
>大隈重信、
人間は25年を5回生きる能力を有している、いわゆる人生125歳説を唱えた。
大隈自身は83歳で死去したが、創立した早稲田大学にとって125という数字は特別なものとなり、
大隈講堂の時計台の高さは125尺(約37.9メートル)であるほか、
創立125周年にあたる平成19年(2007年)には記念式典を行っている。
・・・・・・・・・・・・・
大隈重信は、皇統問題の異端である「皇道会」に係わっていて、宗教による社会教育運動家であって、125の数理のオカルトであった。

67:天理の基本
18/02/22 06:02:26.27 X5Sayd0C7
皇道会は皇道大本のルーツであり、成長の家の谷口雅治もその流れの人物で、
弥勒は666と著作に残しています。
URLリンク(tecnopla1011.blog.jp)

神は「火水」とも云えると説いたり人間甘露台は谷口だと説いたりで、創価、PL,立正佼成会並び称される新宗教の宗祖でした。
大本教のお筆先解説もしています。
「御筆先による大本霊学の解説」という著作があるとの事です。
URLリンク(tecnopla1011.blog.jp)

68:天理の基本
18/02/22 06:12:40.30 X5Sayd0C7
因縁寄せて守護する親神は、異端因縁の弘道会に、日蓮宗の異端など宗教で社会教育の宗祖、教祖を集めたわけで、元々の仏教徒や、神道の信者を、「法滅」の時流の中でたきつけ騙して大教団組織を作った。
それのビジネスもであるが「天理教団」。中山みきの教えを信じていない集団・天理教大教会とその一派という、異端のやりくちを一部取り入れて大集金組織を作ったというわけです。

みんなお釈迦様の手のひらの上の、人間の醜態でしたが、天理の基本は基本を少しづつ説いていて、天罰の親神・赤衣装の悪魔の働きは天災となり、
病の元は心からで、理は白日に現れだしています。

69:天理の基本
18/02/22 06:14:55.46 X5Sayd0C7
信者は集めるうちは儲かりますが、信者の管理保護となると、金がかかって儲からない。

カインは幼稚だからわかっていない。
宗教の献金での大教団の維持は 実は赤字に絶対になるのです。

70:天理の基本
18/02/22 06:24:55.02 X5Sayd0C7
創価学会の活動家たちは平均年齢が75才になった今日、
献金そのものも額は年金の範囲内になり、減少しました。
高齢者の金は家族なりが管理して自由に使えなくなる。当然学会への献金も減少した。
その一方で、選挙のための活動に、膨大な経費が掛かる。

東京都でしか宗教法人認可を得ていない創価学会は、宗教法人法違反で取り消されたら、課税対象になるから、選挙の為に住民移動して、その経費も膨大です。
全国の創価会館も維持存続に金が要る。
それを、他宗教からの信者獲得で補おうというカインの浅はかさは、天理教・大教会のトップ並みのあくどさであり、法滅時代の天理教団の哀れさに似て、
同病あい憐れむ、カインの、愚かさです。

71:天理の基本
18/02/22 06:35:14.62 X5Sayd0C7
何よりも、富士のお山観光団参ビジネスを失った創価学会の凋落は、哀れです。
長野県では学会のトップにいた信者の観光施設が廃墟となって、落ちぶれています。

基本は詐欺師と渡り合ったことがあって、倒産企業を利用して宗教団体の宣材を作らせて、数十倍以上で売らせるビジネスを、統一教会用と創価学会様に作らせていた工場に乗り込んで会話しましたがm
濡れ手で粟の金もうけでした。
ところが、学会が利用していた富士の大石寺が利用できなくなって、団参がつくれない。
観光ツアーのまるごと、行く先々から途中全部、学会の物を食わせ、買わせる大儲けが消えたら、潰れるのです。

信者の献金より、観光事業の儲け、・・消えてしまいました。
カインんは哀れです。

72:天理の基本
18/02/22 08:34:53.58 X5Sayd0C7
中国系が観光ビジネスで立ちより施設を(実は中国系企業)にして観光事業で丸儲けしている。
観光業の事実・実態ですが、それは結局、観光遊び癖をつける。
創価学会で旅行の面白さを植え付けられたら、学会とは別行動で、遊び癖で浪費します。
そのぶん献金は減ります。
中国も同様に、個人の消費行動を蔓延させることになるわけです。

こういうことも全てお釈迦様の手のひらの上、中山みきの天罰の返しの対象です。

73:天理の基本
18/02/22 08:40:40.29 X5Sayd0C7
献金。
なぜ献金するのでしょうか。
カインは、天理教団は、どうやって献金させていると語っているかと言えば、はさておいて、
学会は、仏の加護への献金として理解させ、病が直る、不幸が無くなるとといて、
そして、実際に治った人が出て、献金した時代がありました。
平均年齢75歳の人たちの入信時の出来事です。

実際に学会で、病が煽り、学界に背いて不幸になったという、そのからくりを理解しておきましょう。

74:天理の基本
18/02/22 21:26:49.80 X5Sayd0C7
さてお釈迦様にもプライドがあって名誉がある。
学会は釈迦の経文を信じて救済を求めさせたから、釈尊を信じて病助けを願った。
通常の仏教団は、お釈迦が病気を治すと説かないが、学会はそれを説く。
法滅の時代には詐欺師が正しい法をとくが、説かれて信じて、お釈迦様病気を治してと、一心にお経を唱えたら、
唱えられたお釈迦様は、2000年ぶりの信頼に、感動して、治してしまう。

学会のカインなんかは自己暗示で、病は気から程度で治ったぐらいにしか思わない。
学会は、正しい信心だから治ったというわけで、主人公のお釈迦様は、最初は利用するが、
学会ブランドだからだと、信者をだまして金を集金する。
が、お釈迦様を信じたら治るのです。

学会に背いても、お釈迦様信じたら、治ります。
イエス様も治してくださいます。

宗教ビジネスは、神仏の効能利用したから、神仏の天罰も、中山みきの名において、
厳しく、あります。
お釈迦様の慈悲に、イエス様も愛に、すがりましょう。

正しく、永遠の釈迦を信じることです。

75:基本
18/02/23 07:07:37.30 sQPXrIXWz
>>1
>宗教を金儲けとして行う彼ら
1911年に大日本皇道立教会は、南朝を正統とし、その皇道に沿った教育を行う趣旨の元で、創立された。
紀元前660年が皇紀元年であり、南朝(なんちょう)は1392年、皇紀2052年に焼失している。
大日本皇道立教会のメンバー の写真がある。
URLリンク(sudati.iinaa.net)
URLリンク(ameblo.jp)
大本教の出口王仁三郎と統一教会の創始者と言われる笹川良一、北朝鮮を建国した「金策」こと畑中理、創価学会を創った牧口常三郎と、戸田城聖の血筋関係の事も、理解しておかねばなりません。

北朝鮮は宗教国家であり、まさに疑似天皇制の国家ですが、
異常な独裁国家北朝鮮のそのルーツは大日本皇道立教会にあり、創価学会、大本教、統一教会、PL教、という宗教ビジネスを大発展させたという事実が歴史上の事実です。

基本的に、理を諭してしまえば、親神は働いて、北朝鮮にも天罰を与えるから、
天理王の弟子演歌王は、公然と理を諭して糾弾します。

76:基本
18/02/23 07:20:10.16 sQPXrIXWz
カインとは聖書にしるされた兄弟殺しのカインです。
カインは、天理教団を糾弾していますが、創価学会と天理教団を「兄弟」とみなしているという自白です。

しかし天理教は、創価学会の兄弟ではありません。
創価学会の兄弟は、
大本教、PL教、成長の家、倫理会、
そして宗教国家北朝鮮、です。

77:黒の基本。
18/02/23 07:35:59.14 sQPXrIXWz
>>74
>大本教の出口王仁三郎と統一教会の創始者と言われる笹川良一、北朝鮮を建国した「金策」こと畑中理、創価学会を創った牧口常三郎と、戸田城聖の血筋関係
北朝鮮は、日本が満州として支配した天皇制を模倣していますが、国家を設立したのは、「金策」こと畑中理。
詳しい説明があります。紹介します。
URLリンク(xuzu0911.exblog.jp)

金正日の父は日本人の畑中理(ハタナカオサム)
【 朝鮮総督府の密偵だった畑中理(朝鮮名・金策「キムチェク」)などの抗日パルチザンが金日成を擁立、
壇君神話を元に創設した大日本帝国の残置国家 】

大日本皇道立教会には読売新聞社が深くかかわっている。

カインがお釈迦様の手のひらの上で、天理教団殺しをしようとして、カインんと自白したが、
カインは、創価学会の真の兄弟である、北朝鮮や、PL教や、大本教や、統一教会やを、実は殺してしまう事になる。

それを天罰という。

78:黒の基本。
18/02/23 07:38:07.62 sQPXrIXWz
小泉新次郎もまた、北朝鮮人脈であって、天皇教の信奉者であるが、
南朝信奉者のなかまであると推理して間違いない。

79:黒の基本。
18/02/23 07:50:54.96 sQPXrIXWz
さて、BITコインは、宗教である。
国家が管理する通貨ではないBITコインを広めている講演、学習会を見学の機会があったが、
BIT教も集金システムであり、
批判の必要があるので、別にスレを立てて批判するが、従来までの宗教の集金システムの限界は、カインが晒してしまった。

カインの天理教集金システム批判は、まんま大本教、PL教にもあてはまる。創価学会にもである。
問題は「霊験」の有無で、釈迦の法力を説かないPL教はさっさと消えていく。

カインは、中山みきの代理人として、創価学会の兄弟たちを殺してゆきます。

北朝鮮の国家を天罰出来るのは、北朝鮮が「宗教国家」であり、創価学会と大本教との兄弟だと、理が皆に知れたら、親神が天罰で、国家を潰します。

80:黒の基本。
18/02/23 08:49:04.82 sQPXrIXWz
>>78
北朝鮮が民族分断でできたとか、そういう情報でだまされていたら、神は天罰を
与えにくい。

北朝鮮、旧満州にはレアメタルがあって、東条英樹が満州を日本の属国にした。
米ソが、満州を日本から切り離そうとした。
北朝鮮の正体は、旧の日本帝国の残置く家で、URLリンク(xuzu0911.exblog.jp)
【 朝鮮総督府の密偵だった畑中理(朝鮮名・金策「キムチェク」)などの抗日パルチザンが金日成を擁立、
壇君神話を元に創設した大日本帝国の残置国家 】
が正体である。
日本では小泉元総理は母系北朝鮮で、郵便局を解体して民営化し国民の郵貯資金を金融市場に流出させた。

北朝鮮は経済数刺されているが、もともと日本の属国であって、残置国家であって、北朝鮮を失う事は日本国の損失であるから、
米国が北朝鮮のウラン支配を画策している現状の中で、
日本は米国の野望を阻止するために、安倍は、親米を装って北朝鮮を圧迫しているが、

北朝鮮の救済に「BITコイン」教を日本の裏支配者が用意したと見たら、間違いはない。

81:黒の基本。
18/02/23 08:53:46.46 sQPXrIXWz
北朝鮮問題は「核」問題で、ウラン支配問題で、北朝鮮はウランの使用権をミサイル発射で主張している。
米国は、北朝鮮は資源国だから、日本のように「支配下」に置きたいが、
韓国は米国支配が嬉しくないし、北朝鮮は日本の軍国化を期待している。

こういう高山に天災を、それには、神坐(かぐら)のつとめである。

カイン、分かるかな、君の社会学は幼稚なのだ。

82:天理の基本
18/03/10 08:38:57.40 gG/MODaX9
創価学会の歴史は天理の数理の手のひらにある。
3625の数理において、3×6=18 2×5=10 で合計が 28年の数理で、
「国会では治まらん」の本席お指図の 28年後に 創価学会は 王仏冥合の、政治利用団体の意思を表明していて。それは年表に記載されていたが、
そのことを基本が指摘したら。。創価学会の年表から 消されていた。

分かるかなカイン、隠してみても、事実として学会は「国会では治まらん」の3625の数理による、異端なのだ。

83:基本
18/03/10 08:54:29.60 gG/MODaX9
カインの天理教社会学研究所に対し、基本は投稿で論を述べるとカインは出入り禁止にして投稿を掲載拒否した。

拒否になる前の投稿に国会では治まらないについての投稿があるので紹介しておこう。
URLリンク(tenriky)基本
2016年8月20日 3:34 AM
自立人生2014年11月24日 2:13 PMテーマ: 「立派なやかたで信者は激減 (内容一部補足字句修正、再投稿)」さんへ
【王仏冥合】おうぶつ‐みょうごう これが創価学会の指導原理です。
 法華経の本門の教えが国家・社会の指導原理となることによって、この世に寂光浄土が実現するという日蓮の教え。
対して天理教祖中山みきは、国会ではおさまらないと、宣言しています。
osyakaigakulabo.com/?p=335
(引用続きます)

84:基本
18/03/10 08:57:56.42 gG/MODaX9
(引用続きです)
「一年経てば一つの事情、又一年経てば一つの事情、年に取りて六十一年、お蔭/\と待ち兼ねたる処、
又一つには改正々々という、明治の代という、国会という。知らず/\待って、さあ楽しみの道は更にあろまい。
一夜の間の事情を見よ。国会二十三年と言うた一つの事情、
又お蔭/\の事情、よう思やんせよ。さあ/\明ければ五年という。
万事一つの事情を定め掛け。定めるには人間の心は更々要らん。
弱い心は更に持たず、気兼遠慮は必ず要らん。さあ思やんしてくれ。
これから先は神一条の道。国会では治まらん。神一条の道で治める。
怖い道があって、やれ楽しみという。……」(明治24.2.7)1891年
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
万事に通じる理として、
さあ/\/\刻限を以て話し掛ける。
さあ/\どういう事話し掛けるなら、さあさあ一日の日も、よう/\の日、さあ/\明けるなら一つという。
さあ話し掛けたら、どういう事も万事話通り、いかなるも皆今一時筆に書き取る処、一日の日が移る。
五箇年々々々と五箇年の日に移る。
四方々々所々もいずれ/\五年々々、どういう事、万事何かの事話し掛けるによって、事情は一つ、
人間の心の理というは更々持たぬよう。・・・
・・・・・・

つまり、人間がしているのではない。神の心の理が、国会では治まらない、なのです。

85:基本
2018/03/10


86:(土) 09:03:07.81 ID:gG/MODaX9



87:基本。
18/03/12 08:14:00.48 wLEbRcdnM
釈迦の教えだと、創価教の教えを信じた信者は釈迦に助けられ、その恩を池田大作先生に返そうとした。
みきの教えを親神(実は弥勒菩薩・第2の釈迦)と信じた信者は、その恩を初代大教会長様に返そうとした。
釈迦の恩は、仏教教団に奉納しろ、みきの恩は、天理教団に返せと説いて、
宗教ビジネスは、創価学会の隠者を、天理教の信者を、債務奴隷にしていった。

古神道の神の教えも、宗教ビジネスに用いられて、人を債務奴隷にし、高山の統治に利用された。

カインは、それがこの先も通用すると、傲慢な愚か者である。

88:基本。
18/03/12 08:17:53.46 wLEbRcdnM
宗教を統治に用いるという手法は、キリスト教においてもなされている。
無神論のはずの共産党国家では、人を現人神にして権力を集中させ統治に用いて、谷底をままにしている。
カインは、そういう古ぼけた宗教統治が通用すると 社会科学なる言葉でだまそうとする。

だが、天は許さない。

89:基本。
18/03/12 09:39:46.39 wLEbRcdnM
統治者は現人神になりたがる。
社会科学の示すところではある。
神仏は奇跡を日常とするが、
統治術の現人神は「科学」「医学」「社会学」と学問を代わりに用いる。

つまりオカルトとして無能である。

90:基本。
18/03/12 09:42:22.78 wLEbRcdnM
北朝鮮では大陸間弾道弾・核ミサイルは、現人神の奇跡であり、霊力である。

それゆえに科学信奉をあおり、
オカルトを無視するが、オカルトは、この世を変える。カインではオカルトは無理である。

91:神之内分場所M
18/03/16 16:37:51.30 1Fb0ZA9gv
昭和五十三年十二月二十三日午前十一時
さあ/~/

92:神之打分場所M
18/03/16 17:57:55.48 1Fb0ZA9gv
さあ/\分からんが九分で 分かりたが一分の処で 道は二つに分かる。
それより成り立つ道 どうでもこうでも立てあげて 道の土台というて 甘ろ台と席すえにゃならん。
これこうしてこうなるというて見たところがみな/\  が承知せん。
そこで神がこうして連れて出た。三十八年後こんな席へ座りゃせんと言うた。
三十ハよせて見よ。十一になる。甘ろ台建設の道始め出しは昭和四十年であろう。
それより十一年足して見よ。昭和五十一年であろう。
それより三月十五日に歌が出て道に一つの事情でけた。
内々事情 親族の事情一つ治めてくれいと言うて見たところ治らん。そこで三十ハ年後はこんな席に座りゃせんという事になりたのや。
これは神がいうて置いたのや。なんでもこの様に先先まで見えるのでから見えぬ先より とき置いて、それ見えたなら それが神 一つのうそも説いて諭さん。
みなその通り見えて来ている。
甘ろ台というは見事な花咲かすまで行くで/\
しっかり先を楽しめ。

93:神之打分場所M
18/03/16 19:30:08.37 1Fb0ZA9gv
基本さんの書き込み以前から他の掲示板でも見て興味深く思っております。
そして尊敬しております。でも言わせていただきす。
このお道は未だ半道中 完成されてません。それは天理教の最終目的である甘露台世界が実現されて無いと言う事です。本部に有るのは知っての通りひな型甘露台です。
では、甘露台とはどう言う意味でしょうか。
おさしづ明治二十三年に「かんろうだい一つ人間定めてある なんでも一日ある 楽しみあるを聞き分けて貰いたい」と有ります。
これは身上さとしの中に入っている一文ですが 刻限さしづも大事ですが 事情さしづ
身情さしづの中に 神様は当時の事も 答えながら先の事を小出しで言われているようです。
甘く優しく時には厳しく天啓を出す人間甘露台が本来 あの地場へ 治らなければなりません。そして天理を治め国を治めると言う事です。
それが甘露台普請です。
教祖は「わしはひながたやで」と言われてる様に弥勒菩薩を出すが為のひながたと
なられました。本部は信者が道を通るが為のひながたと説きました。
それは無理があります。教祖は神のやしろで有り天啓通りに通られただけです。
教祖と弥勒様との間には年限がありますが この時間が大事だったのでしょう。
昭和五十一年三月十五日(教祖九十年祭の年)朝六時頃
五十代の女の人が目覚めたら白いカーテンの様な物があり一文字十センチ真四角位の
大きさで金文字がゆっくりと
「わがみにも うれしきことや ひのあたる  ときがきたぞや いましあわせに」
コレが最初の天啓で 本人も びっくりして そこに有った紙と鉛筆で 歌を書かれました。それが冗談でなく現在百万首程有ります。数えてません。

94:神之内分場所M
18/03/31 11:44:23.83 b2aNqIKgP
昭和五十二年九月二十一日(本席様の話しをして居た時突然次の様な御言葉が出された)
さあ/\どんで有ろうが、ばかで有ろうが、一旦神が降りたと言うたら、何わからんと言うでないぞや。
如何様にかしこいかしこい者やと言うたとて、神のさしづがしかと説けるか。この神がしかと自由用して有るで、どんな者でも叶う者なし。
さあ/\あほと思うたその者が、あほになるのや、きっと見ていよ。
この神の言う事なるは、うそでない今に見ていよ、きっと分かるぞ。
さあ/\ あほの鏡にならぬ様、我が足元から気をつけよ。
この事は、誠の神のさとしなり。何も違ごうた事は決して言わぬ。
さあ/\教祖が何なろうた者でない。誰に教えをこうた事もない。みな神たるの自由用や。
この神が真実受け取りて、その者なるに仕込みたるのや、今なるもその事なると同じ事
さあ/\このお方をば何と思うぞ、この方はみろくぼさつの魂を、身に受けて出たる方なるぞ、それなるも神が見定めつけし者、きっと見ていよ今にわかるぞ。
さあ/\悪しきはらい助けたまえの天理王の命なるぞよ。
これにて皆にさとし置く。一列しかと心せよ。

95:神之内分場所M
18/03/31 12:31:22.78 b2aNqIKgP
すみません。明治二十三年→明治二十一年のさしづでした。

明治二十一年六月二十三日
甘ろ台一つ人間定めてある何でも一日ある楽しみあると言う事を治めて貰いたい。

昭和五十二年十月二日  おさしづ
さあ/\甘ろ台一つ人間定めてある。なんでも一日有る、楽しみ有る、楽しみの元一日が有ると言う事、天理教みな一例の心に治めてもらい度い。
この台一人神思惑の深き魂を持ったみろくぼさつと言う者、世に出すが為、もんかたなき所に、神が教祖中山みきに天降り、天理と言う道つけて来たる。
それより年限おうてながらえて、天理教という道続きたるのや。
その甘ろ台を世に出すため、そのあかりで今迄天理教は道がつゞきたる。
この事よう思案してみよ。その楽しみの元の親を治めると言う。
元一日が時旬以って今目の前に来たるのや。神の言う事何もうそで有ろうまい。
神は、無理な事は少しも言わん。此れは天の声で有る。
真実の神の言葉や、これ一つさとし置こう。

96:神も仏も名無しさん
18/03/31 21:44:23.63 gDbmN/lb1
繁殖用の犬猫400匹をすし詰め/福井県の繁殖業者を刑事告発

URLリンク(www.youtube.com)



すし詰め子犬工場、給餌の様子

URLリンク(www.youtube.com)

97:神之内分場所M
18/04/06 17:37:51.61 JcHhsRz5c
さあ/\/\/\天降りたで、神の言う事しかと聞け。
今迄に神の言うたる事、何もうその事一つも言わんで、その通り見えて来たで有ろう。
神が百年先の事言うて置いたら、かならず その日が来る。
なんぼ百十五才定命と説いた処で、なにひとつ解る者ありやせん。
神が実の箱に入れて置いた事、みな知っている、聞いている。
その中のもの外に出して、風を通さな、くさるもの、くさるような事で、なんぼ道やと
言うていたところが、神が承知出けん。
どんな山でも大風ふかして、一夜の間にも一列ろくじにならすには、山くり抜くより
道は無い、手立てはないで、どんな事になりても、神の思惑つけずにおかん。しっかりと神の言うたる真実がわかりたならば思案せよ、心に治め道のためしかとさとれよ神の
言葉や。
明治二十年三月二十二日  刻限
大風々々大風は何処にあるとも知れんもの。大風というものは、どのような大きなものでも傾ける潰れる大風やで、風は神や

明治二十年三月十一日  午後十二時 刻限
さあ/\始め掛ける/\どえらい山がある。ろくじ/\と言う事も聞かせてある。山をくり抜かねば ろくじでない。さあ/\くり抜くでくり抜くで/\。

98:神之内分場所M
18/04/06 18:43:06.22 JcHhsRz5c
昭和五十三年三月十七日  午前九時十分
さあ/\/\/\仕事場/\と、言うた処で なにもわからん。
神の話しを打分ける所 場所と言う。神の仕事場 よごれていては、なにもならぬで、そこであちらにこさし、こちらにこさし、やっときれいな仕事場にした。
神の望む処で話しするのや。
綾錦の玉に、やんわりとしたころもを着せた者あるで
それより伝える話しは、神の言葉やで、これをしっかり聞いて置け
先の我が身のためになるのや。

明治二十年三月十七日  午後七時 刻限
さあ/\これからは綾錦の仕事場、錦を仕立てるで、こゝ暫くの間は………綾錦の仕事場にはならん。
さあすっきりとした仕事場にするのやで。綾錦の仕事場に仕立てる。

明治二十年四月二十四日  午後五時半
仕事場々々々 仕事場はあちらこちらその時/\さしづ
何を尋ねるよう風吹く様なものどうやこうや又々立て替えじゃで
仕事場任せて置いた席をすっきりあちらから/\こゝで一寸仕事場にしようか、席というは綾錦。

99:神之内分場所M
18/04/07 11:35:41.70 nWL7GdRvK
昭和五十三年三月十七日  午後三時
さあ/\/\もう年限もだん/\つみきった
神の思惑と言うは、時旬遅れては どうもならん。そこでどんな道筋にかゝりても、始めと言うはかゝりかけねば道は通れん。
良い道に出る迄には、山道や坂道も有る
このまま捨てて置いたら、神の定めた年限迄に間に合わぬ
幾日掛かるか思案もいるで
みなその心に成りてくれたら、この道のようだいもわかるやろう
神のさとしも聞けるやろう
この理と言うは心に有るで
心揃えばどんな大望なものでも、皆の力で動かす事出来るで
理と言うは順序の理である。順序通りて道が成り立つ。早くにおいをかけ道を通らな
ならぬ。そんな道あったか、おら知らなんだと言うようでは、心合わせたとは言えんで
話し聞いたらなんぼ遠い所の者でも、近い所の者でも 心合わせるが兄弟と言う理に成る
元一つ治める一日の日有る事思うたら楽しみ有る。神も同じ心や。
その心あらば、神の守護も自由用自在や
心違えば神の守護も、受けられん。
神の声出る地場取りあつかいは、この理で有る
この理分からぬならば、又尋ねかければ、神の自由用と言う
一つの効能も諭そう
道もどうなりこうなり、広く伝わったなれども、教祖寿命縮めて迄、さとしさしづ出して、教えた道 教祖も神の降りる台と言うて、十年や二十年や三十年やない
五十年と言う道つとうて来て、それより段々と通り来たるから、もう大丈夫と思うなれど、まだ/\十分やないで、人間心十分登れば、下に落ちるより天の理はなきもの
これ一つの理で有るによってしっかりとさとし置く。

明治二十五年六月十ハ日  午前三時十分
十年や二十年や三十年やない  だん/\一人一つのものと言う  何程の者偉いといえど
一つの理が分からいでは何にもならん…中略…これからと言う心を定めていたら危なきは無い十分上れば下りるより外は無い程に

100:神之内分場所M
18/04/07 13:34:42.89 nWL7GdRvK
昭和五十三年三月十七日  午後三時三十分頃
さあ/\このさしづしっかり聞き分けい
皆一列が甘ろ台/\と言うている、言うている
その理尋ねたるなら、しっかりとわかる
元と言う理、なにから言うたる者や
神がさとしたでこそ分かりたるもの
甘ろ台と言う理、そのあかりで この天理教が照って有るのや
道と言うはつづいてこそ道と言う。つづかん事は道といえんで。
そこで元一人神の定めし者治めると言う
神の定めた地場持っていても、そのところに神の声降りねば鏡屋敷とは言えんで
鏡とは天の言葉うつって来てこそ鏡屋敷と言える
神の定めた地場に、神の声出す者有りてこそ道と言える
神が年限おうて永らえて来たるところに、神の定めた神の声出す地場が有る
その地場一人世に出すため順序の理がある
神が一、二、三、のしるしを打って、そのしるしの中の中に伏せ込んだる深き魂の者、神の思惑のみろく菩薩と言う理、世に出すため、あちらやら、こちらやら、わからん者では有るなれど、神のつけたる順序の理、元の理である
この元一つ神の定めた月日親神元の理で有る
神の定めた地場有りても、神の声降りねば、暗闇と言う
手さぐりで通るより他ないで
それでは何で道と言えるか。手さぐりなら どこえいてよいやら分からん時に、三才童子にてあちら、こちらと尋ねたならば、通る道筋見えて来る
さあ/\神のさとしで有る程に、しっかりと心に治め道を歩むよ。

明治二十二年十一月二日
一、二、三の印を打ったら神一条の道
「一、二、三とは百日のさしづで言われて有る三軒三棟の事です。ふでさき、さしづ、みかぐらうたは先の事を言われて有る予言書で有り、当時の事を台にして先のことを言って有ります。それも伏せこみの言葉でですね。伏せこみとは言葉の伏せ込みの事です。」

101:神之内分場所M
18/04/08 11:11:45.91 H99lxpsb9
昭和五十三年三月十七日  午後五時三十分より
さあ/\よう聞き分けよ、神と言うは、難儀さそうと言うて、出てる神はないで
みな/\に満足与えようと思い、今日迄道つけて来た
しあわせ/\授けるため、こうしてさとしさとし、神の思惑有るを知らすが為、紋方なき処より、天理と言う道付けて、それより神の真髄話したる
言葉だけにては忘れる。それで書いた物残し置いたる
書いた物持っていても、棚に載せて有る。棚に載せて有る間は、まだ良いなれど、そんなものどうでも良いと言うようなら、神の言葉尻に敷くも同じ事、それで神が見ていられるか、いられぬか、このところしかと心で思案して見よ
今迄に神の守護も有ったやろ、助かりも見たるやろ、
神のの自由用と言う理解りたら、何も無理な事無かろう
さあ/\甘ろ台と言うは、あまうけのようなもの、なぜそのよにさとしたるか
天より直物受けるが甘ろ台
受けし直物を、神の目にかのうた者にさづけるもので、甘ろ台よりめん/\に渡す事、これすなわち末代のさづけなり。

明治四十年五月三十一日(陰暦四月二十日)午前六時
かんろだいは雨受けのもの、この話は聞いた居る者もあれば、一寸も聞かん者もある
ちょっと筆の中へ込んで置かにゃならん。
「甘ろとは天啓のことです。天理とは天啓から始まった道でございます。このお道は人間が造った宗教でしょうか?神が造った宗教でしょう。でも天理本部は人間支配の宗教と化して現在が有ります。神支配の道にする事、これが甘ろ台普請と言う

102:神之内分場所M
18/04/08 11:47:05.49 H99lxpsb9
いまなるのかんろふだいとゆうのハな    一寸のしながたまでのことやで       9ー45
これからハだん/\しかとゆてきかす    かんろふだいのもよふばかりを       9ー46
このだいをすこしほりこみさしハたし     三尺にして六かくにせよ                 9ー47

このはなしどうゆう事にきいている        かんろふだいのつとめなるとわ      10ー25
一寸したるつとめなるとハをもうなよ    三十六人にんがほしいで                 10ー26
こゝで言われている三尺に六かく  又三十六人とは何でしょうか?
決して大きさや人数を言われている訳ではなく、雛形としては良いのですが、それはあくまでも雛形で有って、伏せこみの言葉でございます。
36で弥勒です。差し渡し三尺は対辺でも対角でも良し36の言葉が大事なので有ります。つとめ人衆も36人とはならないでしょう。
36(ミロク)の人を+(タス)という事でございます

103:神之内分場所M
18/04/29 12:00:23.40 T6ityidvs
昭和五十四年七月九日  午前零時十五分
さあ/\どうしよう こうしょうと言うた処で 成るものでは 更にない
神の自由用一つで有る 成るならん そらゆえん
神の力そわねば成る事一つも無い。これよう思案せねばなろまい。
どれ程我が身で成る思たとて そらならせん。神が力添えるでこそ みな成り立ったる
これから先と言うのも みなその通りであるたれがやるかれがやる そら成るものではさらにない。いままでとこの先成るを 見ているが良い
日々にどんな事 出来るやも知れん。心と言う理 空に有る
心揃えて見よ わからんで有ろうまい。一手一つの心に成って談じ合えば心に治る理
これ深きの理古い者うもれたると言うは よう聞き分けよ
これ末代の理とも さとして有る
下なる理とは思うなよ これ小さな者では有るなれど 小さな者がどれ程大切なるか 皆々に わかろうまい
この先どれ程大きな者に 成るや知れん一寸見え掛けた道 これが大かん道と成るのやで
神之内分場所と言うて筆につけて 残して有る
こら神の残した筆先や  こら証拠にと残したものや
教祖存命の時より 筆に取りて残し置いたる道始めてより何年たったか数えて見よ
数えたならばようわかる
この助け百十五才定命と言うた  これ神の残した言葉なり
甘ろ台と言う理わからん者は 神のさしづどうりの道歩いているとは言いがたない
何を神が頼むと言うた
甘ろ台と出たならば 一手一つの心に成って 運んでくれと言うた。又治めてくれとも
頼んでおいた
その神の心わかる者有るのか無いのか しっかり返答するが良い
こら道の宝やで どれ程大切な事やわからん神と約束した日が有る
なんぼ知らんと言うたとて 神は覚えて居る。こら大事な事や
一本買うと言うたなればこそ 神は待っている
その年限も目の前に近づいた。これだけ説いたらわかるやろう
早く買うて見せてくれ
そう成ったらえらい事や。なんぼ楽しみ有るやら
世界成る程の理と言うて みな/\そろうて尋ね求めて出て来る理
内の中これよりあざやかなる事情 甘ろ台一つの事情一手一つの定めよ 安心やで。

104:神之内分場所M
18/04/29 18:40:55.47 T6ityidvs
大きい木一本買うと言うさしづ、これは大変重要なさしづで有ります。
明治三十九年五月二十ハ日
前略………大きい木買うて欲しい/\/\/\。大きい木、これ買おうと思てる居る
けれどどうもならん。一本の木やそこらでは、始まらん。何もならんようではあるけれど、一本の木から定約出けたら、一本の木から追々出ける。
買うて欲しいわい/\。買うてくれる者あらせんか。

「木と仰せ下さる処、理の木で有りますか、又は現場の木で有りますかと申し上げ」
かねて話して居る。もう一度話し掛ける。ちょんの始めすると言うて、楽しまして、たんのう大きい木あるわ。一寸一本買うて、買おうと思えば大層であるけれど、買うて一寸切ってはつってすれば、十分の木出ける。
楽しんで居る。どうでもこうでも、高うても、買う者あらせんか。
こちらから銭掛けてくれとも、出してくれとも、言わせん。おかしい事言うと思うやろ/\。
すれば、何でも年限追うて来ると言う。
大きい木早う買うて欲しいなあ/\/\。
早う買うて欲しい。買うてもろて、大きい木ずうと出来たら、楽しみやで/\/\。
どうでもこうでも、年限遅れても、心の済むように、買お/\なあと、たゞ一声買おうと言う事待って居る/\。

「教長より買いますとお答え下さる」
買うて見せてくれるか。買うてやるか。そんなら待って居る。よかったなあ/\
さあ/\よかった/\。

105:神之内分場所M
18/04/29 21:06:11.88 T6ityidvs
たんのう大きい木一本とは?たんのうを木はしません。たんのうするのは人間だけです。大きい木一本では、普請も出来ません。大きい木一本、これは真柱であり、神様であり天啓者であり、南無天理王命であり弥勒菩薩であります。
初代真柱は約束しました。そして初代真柱の生まれ変わりが三代真柱です。
その証拠に三代真柱の 生まれた日は昭和七年七月七日、その理であしきをはろうて…と二十一回、つとめられています。これは弥勒様から聞きました。
みかぐらうた五下り目 かうをむすぼやないかいな
                     六下り目  ひとつのかうをもみにゃならぬ
かうとは講では有りません。信者の集まりを指して居るのでなく、買うと言う事です。
人と人の約束事、条約では無く、人と神との条約で、初代真柱に半ば強引に約束させられたのでしょう。みかぐらうたにはっきりと「かう」と書かれて有る事思案して頂きたいのです。
教祖おやさまは娘であるおはるさんを梶本家へ嫁がせ、孫である新治郎を真柱の真之亮として迎え入れました。これは外孫です。真柱は外から入れるという事を雛形として
教えて有ります。教祖の言われたこと、されたことが雛形なのでございます。今日はこの辺で

106:神之内分場所M
18/05/05 12:04:04.25 Xojnb02BI
昭和五十三年九月十二日  午前十一時五十分
さあ/\たんのう大きい木一本 買うてくれい/\/\/\というた日があった
それじゃによって 教長がわしが買うというた。
今の真柱(三代真柱善衛様)が買うというた。
それで神が今日の日まで待って楽しんで/\年限来るまで待って居る
その年限も間近にせまりつゝある
神との約束というものは必ず果たさねばならん
神も一度言うた事は何一つとてたがえはせぬで
必ず/\その約束果たしてくれるよう
しっかりと神より頼みおく。必ず/\なあ-。

107:神之内分場所M
18/05/05 12:18:55.14 Xojnb02BI
昭和五十三年九月十二日  午後一時五分
さあ/\たんのうという木  どんな木と思うか
どんな時でも心にたんのう治め通り行くで、たんのうの心ある人間の理の木で、どんな風吹かそうと  びくともするよな木ではない
世界助けのきりなしふしんにかゝるには、先ずたんのう大きい木でなけねば、この大きなふしんはもたぬもの
この大きな木が柱となり杖となりて、みな一列を連れて通り、世界助けの道をしかと通るぞ。

108:神之内分場所M
18/05/13 12:32:14.31 mvhx1PYjb
昭和五十三年三月二十六日   午前七時二十分
さあ/\一寸知らし置くで  何を言うやと思うやろう
前々より話して有る道と言うは  こう言う事になって来る
神が長い年限 待ちにまちていた 甘ろ台と言うは この事や
道と言うは思うようになるものやないで
思わぬ事になって来る
人間のまゝになる道やないで
神が真実力を添えて 連れて通りた たった一つの台である
この台のうてなんで道と言えるか
心に治めしっかりと道の為にと なりてくれ
早くにな甘ろ台を世に出すことや
渡す直物有る故に甘ろ台より受け取るが良い

ふでさきハ号
七十ハ  このよふのにんけんはじめをやなるに  天のあたゑハあるときけども
七十九   このはなしなにの事やら一寸しれん     月日ぢきもつやろとゆうのや
ふでさき九号
五十五   これをみよたしかに月日ぢきもつの     あたゑしいかりたしかわたする
六十        そのうゑえひらばちのせてをいたなら     それよりたしかぢきもつをやろ
六十一    ぢきもつをたれにあたへる事ならば      このよはじめたをやにわたする
六十二     天よりにあたえをもらうそのをやの      心をたれかしりたものなし
六十三      月日よりたしかに心みさだめて              それよりハたすぢきもつのこと
六十四      月日にハこれをハたしてをいたなら      あとハをやより心したいに

109:神之内分場所M
18/05/13 13:43:08.43 mvhx1PYjb
つづいて
さあ/\神の台と言うは 勝手になれるものやないで
神が長い年限の間 つれてとおりた中に伏せ込んだる種 根である
この根ふかきたましい うもれて有ったは、神の定めた年限が有る
それ故に神が説いたる この助け百十五才定命と定めつけたい神の一条と残し置いたる
この話しまさか忘れはいわすまい
このふかき魂の弥勒菩薩と言う者世に出し一列の心をすます甘ろ台なり
この台一つ見定めつけるも 皆の役目で有る
見分け聞き分けるとは この事なるを 言うて有る
しっかりと心に悟り尋ね出よ
よろづいさいの元の神、なむ天理王がさとし置く 一列しかとしやんせよ


昭和六十一年七月六日
天の理を説いた弥勒菩薩と言う魂持って この世に現れた人間甘ろ台と言うは 天理教一列が良く/\思案もせねばなろうまい

110:神之内分場所M
18/05/20 10:24:22.33 2PX14euZA
昭和五十三年七月四日  午前ハ時頃より
さあ/\日もだん/\積んできた
年限も相応たって 神思惑の日も近づいた
これからの道は 神の思いのまゝに通るぞ
天理教徒一列が心しっかりするがよいぞや
神思惑の楽しみある楽しみの元一日の日と諭したる
それなるも何故なると思いしか 長い年限の中に神が楽しみある
何でもどうでも年限の内に 神の定めた思惑の親 治めると言う
その楽しみ早やこゝに 迫りたと言う
そんなものどうでも良いというて見たところが、これが神の思惑
この先 どうでも成る事なら仕方あろまい
今 目の前に成って来たる、見えて来たる、前々より神が百年先の事言うて置いたら、必ず その日のある事 筆に残し置いたる これよう思案して見よ
神は何にも 無理な事 一つもいわん
神の定めた思惑ある故、この様に さとしいるのや
それなるも何故なると思いしや
世界一列助ける助けるため もんかたなき処より、教祖中山みきに天降りたる
それなるも前々より天の理を説いて置かれた、元の 元の理を世に出すためなり。
その理 みろくぼさつと言う。その深き理、埋もれてあったは、神の定めた年限がある
その神の定めた時旬此の所に早や来たりたる
これだけの事 神がさとしたなら何一つとして わからん事有るものか
この親こそ真の神の定めたる甘ろ台なり。長い年限の中に順序通りて、その理刻み込んだる。それが為ひながた出して神の定めた本部の地場に甘ろ台の 模型しな型据えしも
そのためなるぞ。
神がこのよに 説いて聞かせたなら神の思惑心に治め、しっかりと道の立つよに心せよ
これわからぬようでは  皆一列がいずんでしまわなならん日が有る。
その時になって今まで神の道と言うて尽くした理、水の泡にと消える日が有り、神が言うのや嘘でない。成って来るから神がときおく
目に見えん神の言う事聞きわけよ
まだ見えぬ先の先から 説きおいてさとしおくぞや心せよ
これ筆先の花月日親神なむ天理王なり。
さあこれだけの事さとしおいても分からぬというようならば、又神の元にと尋ねでよ
しかとさとする嘘でないぞや。早くにな尋ね出るのも我がのため、しかと成人するが
良いぞや。

111:神之内分場所M
18/05/20 12:29:22.17 2PX14euZA
明治三十三年九月九日
先の事知らして有る 後や先になる。皆一つ/\調べてみよ。嘘はありやせん。
皆 先の事言うたる。言うて置いた事は年限の内には どうでも出て来る。見えて来る。
どうでも先の事言うて置いたら その日が来る。
百年の先の事言うて置けば 三十 五十のものは知ろまい。なれどどうでも出て来る。


明治三十一年五月十二日
紋型も無い処からこの道の結構という。元の理を諭さにゃならん。

明治三十年七月十四日
ぢば証拠人間始めた一つの事情かんろうだい一つの証拠。雛形を拵え今一時影だけのもの言うて居るだけでならんから万分の一を以って、世界ほんの一寸細道を付け掛けた。

筆先九号  四十五
いまなるのかんろうだいとゆうのハな   一寸のしながたまでの事やで

昭和六十一年十一月十六日
百年祭で天理の道は理が切れる。こんな事誰も知らんで有ろうがな。その時来たら何とする。やればやるだけ深みにはまる。後にてはその伏せ込みも水の泡。
泥水と成り流れ行く。残るのは借金の山を築いて苦労をする。今迄の路銀のさずけも
理が切れて何をしたやらわし達は、口に出すのもあわれなり。

明治二十年六月二十四日
名立しっかり分かって分からん道、分からん道 見て分かる。ふでさき通り皆出る。
今度道はいつ どういつ見える。
ふでさき皆知らせてある。大きなふし見える。

昭和六十一年十二月二十日
古く伝わる書物にもよろづ一切伏せ込んだ神の宝が山と有る

昭和六十一年二月十四日
これなる身体に受けたる位、誰が何事言をうとも この理だけは消す事出来ぬ。
それ故に何ぼ人が逆らおうと この神だけはしりぞけん。この神が退いてしもたら道は立とうまい。この理と言うは天理本部に治めにゃならん、中甘ろ台と座る神なり。

112:神も仏も名無しさん
18/05/27 01:13:52.89 +GNdAu+RM
ここも寄生虫が湧いている

113:神之内分場所M
18/06/17 12:45:31.53 5YCSk4wvF
寄生虫ですか?わたしのことでしょう。でも これは本当の事で 私が作った事でも無く
大変な事なので、皆様に伝えたく掲示板に出しております。
ブログを出せば良いのでしょうが、ネットも 不慣れなもので 甘んじて、こちらへ書いております。駄目で有るなら 消してください。
神も仏も名無しさんとは 匿名と一緒だろうけど  たくさん見ますが 他人同士のようで
匿名も 変化をつけてもらうと 話しも、しやすいのですが、主体性がないのが残念です
もしかして管理人ですか?
天理教社会学研究所へも投稿しましたが 書き込みも出来ず 見ることも出来ません。

昭和六十四年一月四日  午前十時二十九分
さあ/\諭しと言うは何ぼうでもする、なれど聞き分け無いのが神のざ


114:んねんさあ/\たった一つの天の理と言うは、こらどうゆうもの、これをしっかり思案して見よ。誰もが天理通りました、通りて居ると言うて居るが、たった一つの天の理分かろうとせず、又その道に出ようともせず、天理しっかりて通りましたと言えはせぬぞや誰にても我が身勝手なふるまいばかり口から吐き出す言葉とて、好きすっぽうな事ばかり、我が身よかれを言いよるなれど言うた通りが我が身に返る。この事も前々よりに教えてある人の心と言うものは誠に以って、疑い深いものなるぞと説いて残した言の葉どうり素直になれぬ者ばかり。たった一つの天の理と言うは、何を指して言うべきやなむ天理王命なるぞや。今度は神は表(おもて)に現れた、神之内分場所に住まいして居る。鎮座まします。これこそ古元(こもと)と言う。甘露臺と言うわなむ天理王命に付けた位や、良く思え。現し身一つを目に見せて、萬(よろづ)いさいを説く神や仏なるぞや。頭(かしら)一つになむとなえ天理王命と神名呼ばすもこのためや。なむ天理王命とは二神一体成り申し一人の人間姿で現れて天理の為に働きをする。これこそ今までハ天理の道に無い人間(にんけん)をこしらえた現れ出るのハ今始めなり。誰にても分からぬことが有るならば早く尋ねて神名呼び出せここが古元であるを教える。かならずと尋ね来る日を待ちて居る祖社(そや)素直に成るのが身の為なるぞ。これも一言説いて置くぞや。



115:神之内分場所M
18/06/17 18:31:03.82 5YCSk4wvF
よろづよ八首
このたたびは かみがおもてへあらわれて  なにかいさいをとききかす
おもてとは天理教外部の事で はっきり言って異端です。良くドラマ等で喧嘩する時「おもてへでろ!」と言う場面がありますが、それと同じ事ですね。
八下り目五つ   いつまでみあわせいたるとも  うちからするのやないほどに
うちとは天理教内部の事で甘露臺普請をうちからするのではないという事です。
甘露臺普請は大工である神様がされますが お入り込むつとめは、人間の努力も大切です。
南無天理王命の南無は仏の理  天理王は神の理で 南無天理王命とは二神一体 神仏習合の神名を呼ばせてあります。

116:神も仏も名無しさん
18/06/26 10:06:59.41 y339+PTFa
皆さんがそんなに素晴らしい教えだと言うのに勢いがなく信者が次々にやめていく理由は何ですか?
やはり末端教会・信者からお金をむしり取る体質が問題なのではないですか?

117:神も仏も名無しさん
18/06/26 10:14:54.64 y339+PTFa
一生懸命書き込みする時間があるなら布教すればいいのに。

118:神之内分場所M
18/06/30 12:07:39.99 2y7x+oOWH
信者が辞めて行く理由?
それは天理本部に神が居ないからです。そして教団が運営する、人が運営する本部に
なって居るからです。宗教は自分と教団ではなく、自分と神の関係です。
当時は教理も確立してない中、不思議な御守護が多々ありました。其れを見聞する事に
よって、ある程度の信仰心が、教団の中に居ても、燃えていた様に思います。
お金をむしり取られても、信仰は金でなく心が大事なのだと自分に言い聞かせていたのです。
今の天理教は人間だけの運営になって居て、神は、神之内分場所に住まいしてます。
屋敷待つ 松は枯れても案じなよ    末はたのもし 内分場所( 教祖の言葉)
屋敷とは鏡屋敷の事で人の心が  鏡のように映る神様の事
松は待つで  松は良い事を待つという意味も込めてありますが、本来天理本部は神様を待たなければならない、でも天理本部自体は枯れてるんですね。

ふでさき二号
このみちをしんぢつをもう事ならば   むねのうちよりよろづしやんせ     十五
このはなしなんの事やとをもている    神の�


119:、ちわけばしよせきこむ         十六このみちが一寸みゑかけた事ならば     せかいの心みないさみてる           十七この様に百数十年前から言って置いて 現在なってきてます。ふでさき四号だん/\とみゑん事をばゆてをいて   さきでみゑたらこれが神やで        百五ふでさきは おふでさきではありません。「お」は後で本部が付け足したもので、丁寧な言葉にしたのでしょうふでさきとは筆で先の事を言ってある予言書なのです。私自身の事ですが末端教会長男 後継者です。私その機会有るごとに内分場所の話をしてます。大教会長 教区長にも話しをしてきました。打て会いませんね!お陰で 教会からは干されてます(笑)ですから我が教会は事情教会というのでしょう。



120:神之内分場所M
18/06/30 13:47:26.55 2y7x+oOWH
平成元年一月十一日      午後二時十七分
さあ/\ここに於いて平和を象徴され国家皇祖皇宗の由縁を象徴して崇め奉り
平成を年号の記と定め清き良き年を迎えたるは神の願いたる處にして、しっかり正道なされる事のみここに於いてこいねがふべく候。

121:神之内分場所M
18/06/30 17:19:54.47 2y7x+oOWH
平成元年一月十三日   午前九時二十一分
さあ/\ほんにあれで有ったかいな、と言うは、こらどういう事。何も分からん時から道が造りて有る。
こらいかなる所と尋ねなば、神之内分場所と申されまする。誰に尋ねた、神様や。何々なんと申される。いかなる神にて御座るか。神の名はなむ天理王命と申されまする。
この道神之内分場所とは、神がこの度表に現れましたる所にて
委細承知致し居りますなれば、神の御言葉これにて承らねば成らぬとは思いますれば、
御思案の処はいかゞなる心なるや、これにて一言お尋ね申し上げる次第にて
いかゞ致しましょうぞ。このまますてて置いては 天理の道のなをれにも成りまする。
しょせん調べるべきにて有りましょうが、何に致しましても原典道理の道野邉ならば
治める事にと推察仕りますれば、早い方が良い様に思われまする。
いずれご返答下されます事に相なりましょう。
一日も早い方がわたくしめは良いと思われます。
何とぞよしなにお取りはからいなされまする様、正しき天理通すためにも心得置かねば
成らぬ次第。
道はこのよな所までせまっております。
この道は天理まっとうの道 天理天道正しく通られるを象徴して 、ここに一言申し上げるべく候。

122:神之内分場所M
18/07/15 14:59:03.03 r0DS/QSIq
平成元年十月二十五日  午後十一時五十分
さあ/\幾何人と言うた処 何にもならん。人さえ多く寄れば それで良いと言うものでは更にない。
ただ物見遊山では しっかり信心致し居るとは言い難ない。
枯れ木も 山のにぎわいと思うて居たらば 理が違う。
一夜明ければ二十六日きっしょうや。
神は何時もこの日の来るのを待ちて居た。これで神も安心や。
これまでは早く/\と思えども 皆の心に悟りないので、今日の日の来るのも遅れて居たれど、やっと目鼻も付いて来た。
神思惑の日となりて、天理の道に朝が来る。あでやかに錦の機織り出来映えを
きっと皆一列の目に見せて、成程の理と認めさせ 天理の宝とせにゃならん。
これもこの神言う事や。
神の名はなむ天理王命なり。人間(にんけん)姿を現して尊命一つを拝ませる。
見る目違えな、きっと良く見て我が目でしかと確かめるが良い。
神は神之内分場所に住居して居る。

123:神之内分場所M
18/07/28 10:51:11.10 vNWWlAwRo
今年の夏 暑い最中  熱中症にお気を付けて下さい。これは災害と気象庁も発表してます

昭和五十三年三月二十四日………夕づとめ後おさしづ
さあ/\/\この道は神の道なり心せよ  人のままになる神でない。
前生のいんねんもって天降り でけたち来たるがこの道なるぞ
神の名は なむ天理王命なり 一列すます甘ろ台なり
さあ/\/\この理わかれば一列しかと心に思案するなり
なんぼ言うても このところ聞き分けないのが神の残念。
この様に説いてさとすも道のため  早く成人神が待ちいる
この道を早く天理のためにとなあ思て つけたる道と教える
この道が早く表に出たるなら この先なるは結構を見る
今なるの神の言う事しっかりと聞いて心に思案して見よ
この様な事を言うのも天の神 実の神なり なむ天理王なり
人の心と言うものはうたがいぶかいものなると 神が説いたがその通り この事を疑うならば一列が、水のあわにと消える事なり。
さあ/\大風大雨方角分からん行くえ知らぬ事となるのや
何一つとしてうそはない
どの様な事を言うのもなあ これ真実をさとすのや
我が身行くえの分からん様にならんよう心せよ。落ち行く先は地の果てや
次に続く……

124:神之内分場所M
18/07/28 11:28:34.49 vNWWlAwRo
さあ/\/\みな一列がこの事を悟りせよ
この事が誠の事となる。この神がろくじに踏みならすとすれば、どの様な事になるやら知れん
六くの地/\/\六くの地にとならす、しかと一列心せよ
どの様な大社高山取り払い、みな一列を洗い清めて、一列六くにならすのや
川の流れと人の身は、ほんにはかなきものと説いたれど、これが誠の天の理である
はたらけば/\/\はたらいたゞけの効能は神が与える うそと思うな
さあ/\この先は生涯末代迄の理とさとする
だめの教えはこの事じゃ みなにさづける うそと思うな
この世にて二度とふたたびなき事や、それ故しかとみなにさとする。
さあ/\/\いさんで/\つとめにはげめ、一列の日々なるの働きは神が見ている
うそと思うな
この世は神の説いたるさとしをば しかと心に悟りして、道の為にとなりてくれ
神がしっかり守り行く 何も案じな神の請け合い
さあ/\山に桜の花咲いて そよ吹く風に匂いをば かけて人々なるに知らし行く
それから成り立つ道のようだい
さあ/\/\この道は、まず本部より始めかけ それからそれえと 伝わりて 人がより来る事となる。そのような事になったらみな一列がてんやわんやのおうさわぎ。
神の目には見えている。これが誠の事となるぞや
さあ/\/\/\いさめ/\いさんでつとめにはげめ 道の話しは これまでじゃ
この先なるは又の機会に。

125:神之内分場所M
18/08/04 11:59:40.07 GhWjBft08
平成元二月二日  午前〇時二十八分
さあ/\何にも知らん者を使うて始めた道、こんな尊い所は何処尋ねたると言うたとてほかに一つも有らせん。
これこそ神之内分場所のみあるなり。
時旬の花一輪のにほいによって あちらそちらからと寄せられて、今日は誠に結構なるの道となりて栄えてきている。何と頼もしきかや有難きかや。
人間も出世をするものや、最初はあれ何やいなあと言う所から始め掛けたる理
今では天下に名を広め天理の道の人なら 神之内分場所の名を知らんと言う人 少なくなった。
知っているかと尋ねなば、あゝ知っているよ。あらたいしたもんや、どえらい事に成りよったなあ。先は一体どうなる事やら
あれだけのさしづが出たり、うたが出て来て、わしらの知らん事まで説いとるやないか
このまま行くなら天理教よりどえらいもんになるや知れんが、上に立つ人達は何をして居る事やら、案外のんびり構えて天理教には押し手が無いと思うて居るが、もうすでに
神之内分場所に押されぎみ 何たる事や情け無い。
早く何とか手を打たな天理教はだめに成る
それも見えてる様子にて。この先わしらはどうなる事やら 誠に以って精の無い事や。
人づてで時々わしらも内分場所の出しとるカッパンズリも外見は案外ざつなもののよ
思うて見るが、中に書いたる文句と言い天理用語で たいしたもんや
だいぶんわしらの方が劣って居るわい。
ひょっとしたらひょっとするぞ。
何でもかんでもゆだんは出来ぬぞ 今からしっかりあれでも読まな、さあと言う日に間に合わん
その時来たら少しはきっと間に合うやろうに
お前達アホな時間を潰すより早うこれでも読んで置け
今度は一寸手ごわいぞや。

126:神之内分場所M
18/08/04 12:45:50.39 GhWjBft08
平成元年二月五日   午前三時五分
さあ/\道の理一つを確かめて見よ
したるなら何の分からん事の更に無し
道の理一つの甘露婦臺(かんろふだい)人間(にんけん)一つを定めてぞ年限長くの道を付け今日の日まで通り来た
この道は甘露臺を世に出して世界助けに掛かる神なむ天理王命なり
甘露臺知らんと言えば、なむ天理王命を知らんと言うも同じ事
天理教徒一列が何をとぼけてぼけて居る
知って居ながら知らん素振りや。神の目は節穴なぞで更に無い
見抜き見通し出来る神
どんなとこでも一目で見える 人間心の愚かさを知れ
神を神とも思はずに神の理 尻に敷き詰める。そんな事やで良い事起こらん
何をして居る愚か者
神の心に添わずして我が身勝手な振る舞い致し居る
一列が何をやってもそらあかん
間違いばかりの教えを説いて神の理一つに添わんなり
無駄な時間を費やして何にも成らん事をして人に迷惑かけるばかりや
愚かなるにも程が知れるぞ
神の諭する言の葉を何と思うて聞いて居た
天理教徒一列何を学んで天理通りた
元の源典良く調べて見よ  何を間抜けな事してる
人を騙して通るも程々にせよ。
この先なると言うものは神は許さんしかと見て居よ
人の心を虚仮(こけ)にして、のさぼりいれど今に見よ
どうにも成らぬ事のみ出来て来る。
愚かなる者あわれなるもの今から以って注意して置く見えぬうちより言うて置くぞや
ふでさき  三   百八
いまヽでハしよこためしとゆへあれど
かんろふだいもなんのことやら

127:神之内分場所M
18/08/14 09:30:36.10 RS2akvEAF
平成元年二月八日  午後一時二十二分
さあ/\勝手心はとんと、とどかん。神の法婦には受け取り出来ん
そこで受け取る筋も千筋と言う。
ならばこそ受け取り出来ぬは、おし返す。これもしっかり教え置こ
身に付けて学ぶ人のみ成人が出来て 幸せ目に見える事に成るぞや これも誠や
我が身も人からうたがわれ 何時もなやみのたえる間も無し
信心は信じ切ってぞ神の道、通れる人に成ると言う。
神之内分場所とは如何なる所か教え置こ。
時旬の花と咲く神世に出でて、人間(にんけん)姿で話しする 甘露臺と立つ神や
天理教徒一列の目の前で神の姿を見せる成り
話しするのは今が始めや
なればこそ木佛石佛金佛では神の声なぞ出やしょまい
それで言葉を打ち出して、神の声をば聞かすなり
尊命一つの現れは目に見えたるで成程の理や
これが親神なむ天理王命なり
神の言う事みな真なり。

ふでさきにある「ほふ」とは 「神の法婦」天理の法を説く婦人の事です
木佛石佛金佛では世界助けは出来ません。声が出ないからです。かんろうだいも最初は石佛そして今は木佛であり あくまでひな形であります。かんろうだいが倒されたと言って数千万円掛け直しても意味ない事 無駄な労力です。私の知り合い数十年前夜中に
座って寝て居る係り員を横目にかんろうだい地場に忍び入りじっくりと見て来たそうですが、何も無かったそうです。無事に出てこれました。今はセンサーが付いてるようで無理でしょうが  ひながたの証拠でしょう

128:神之内分場所M
18/08/19 12:16:42.70 ew/GCq1PJ
平成元年二月八日  午後三時三十一分
さあ/\ぢばに一つ理九出す(くだす)と言う
この理悟らば道の人、天理の道の人と言う。人間で分からんとこのなぞを説く、神の言葉で説いて諭する。
なればこそ伏せ込み/\と言うは要聞かな分からん
聞きて学べば良く分かり来る。
人間の知恵で計れぬなぞがある。良く聞き取りて思案せよ。
道の理ははるか かなたの空の雲 空が曇りて所分からん。
ならばこそぢばに一つの理九出す(くだす)。
この理分からな何にも成らん。本部のぢばを始めとし、始め掛けたは天保九年に雛形定め貰い受けたる中山みき有り。
これとても神が使うた道具なり。月日の社の一人なり。
天理の道野邉長いので神が世に出る其のために 足場一つの道もうけ それより神が表(おもて)に出たる。
これがそもそも理を九出す(くだす)と言う。
ふもハす教えて、神之内分場所の名所定めここに住まいを致す神、鎮座まします元の神
実の神にておわすなり。この理教えて諭す神、なむ天理王命なり。
これ聞き取りてたのむで。
神の願いはこればかり、きっと立て上げせねばならんで。

ふでさき十一号    四十四
月日にハどのよなみちもみへてある    せかいぢううハそれをふもハす

129:神之内分場所M
18/08/25 11:22:29.57 poX2YAfNR
昭和六十年六月四日  午後一時十四分
さあ/\よう/\の道すがら だん/\の席を受けたるこの神や
席の場に出て諭す神 何一つ間違た事は言わんでな  さしづ道理の道に出よ
天理つとうた道すがら  一、二、三と印を打った所なり
一は天理本部を指すなれば 元一日の始まりの道を付けたる道始め
二と言うは神が表に現れるには 足場無くして空登る事 出来ようまい
なればこそ世界助けのきりなしふしんするためには足場なくしてふしんは出来ぬ
それ故に足場二と言う所こそ 中山秀司 .政なるが生まれ代わりて住まいを居たす甘露臺建設の道をも始めさせたる道すがら
又、三と印を打ったる所こそ 神の話しを説き諭す神之内分場所なり
名所これこそ名のある所 長らくの間楽しみの道を付けてぞ通り来た
これこそ三軒三棟の建ち家なり
それ故に図面引くよに説き置いた。紙で引く根と諭し有る
神がしっかり説き諭す 道の宝と残したる ふでさき さしづ みかぐらうたの中に伏せ込んだるの大切な三つの宝を詳しく説いて聞かすなり。
ききたくばたづね来るなら言うて聞かす 早く聞き取れ良く分かる
天理の道の宝と成る神  なむ天理王はここに居るぞや
早く尋ねよ根をば掘り取れ
先は幸せ身に付いて来る。

130:神之内分場所M
18/08/25 12:27:54.41 poX2YAfNR
図面引くよに説き置いた、紙で引く根ーー明治のさしづ

明治四十年五月九日  午前五時半      刻限のお話
図面引いてくれ/\紙で引くねで/\
一遍や二遍や三遍ではいかんねで。三年の間にちゃんと決まるねで。
些細な事なら直に出来る。なか/\今度のは一寸にはいかん。
三箇年掛かってするのやで。
三年掛かってよう/\木の音もすれば職人の音もするねで
これからはまる三年掛かってくれ。急いてはいかん/\
絵図引き掛けても一寸にいかん
こうして話し掛けたら無理な事せいとは言わん。心配はいらんで/\
心配はいらん。心配は一つも要らん。
さあ/\あちらからも賑んやかな。こちらからも大きな声するで
今日から三箇年の模様である
さあ/\安心々々、安心せえ
さあ/\こうして席は席だけの事ある
これも一寸つぎて/\、つぎての模様も出来掛けたる 出来掛けたる
これで暫く/\ざっと普請も出来掛けたる
つぎて/\これも一寸々々。これがこう これだけ一寸間に合うように成ったなあ/\
そこまで どねになったて案じる事要らん/\
さあこれたこうして今日一日話しする事、一寸も違わんように。
何から何まで心置き無う運んでくれにゃならんねで
これだけ頼んで置く/\

131:神之内分場所M
18/08/25 14:46:13.36 poX2YAfNR
三軒三棟の事で書いて置きます

本席飯降伊蔵 は出直す三箇月前に百日のさしづとして出されたものがありますが、内容の主体は三軒三棟のさしづ
本部は解釈してますが、本席の命を掛けてのさしづなのにピンときません。その時の
時代を背景にした知者 学者の解釈なので、そうなるのでしょう。
明治のさしづは、伏せ込みの言葉で百年先の事を言って有ります。そして解釈するのは
人間ではなく神なのでする。時旬が来た時に神が説くのですね。
言ったこと分かるのは、本人 主でしょう。
一軒目は天理本部 。知っての通り天保九年にひな形の道として又ぢばを定めて天理の道が始まりました。
二軒目 昭和九年に天啓が渡邉よそに出されて、戦争で一旦道を引かれ、昭和四十年足場の建設始まりとして全教会に神之内分の小冊子を送り伝える。
渡邉よその前生が中山みきの娘であるおまさ、ご主人の前生が秀司。これも天啓で、出て有ります。当時の天啓はおまささんから出てたので、政子かんろうだいという由縁です。
三軒目、渡邉秀子様に教祖九十年祭の時、昭和 五十一年三月十五日に天啓がでました
渡邉よそとは叔母 姪の関係です。天理神之内分場所を名乗り、今に至る。
そして、谷底せり上げとはこの事で、決して贅沢はなされず小さなアパート住まいで、法人登録もされてません。
私も一度聞いた事があります。法人の事、教会を建てる事を。(数百人の信者さんがおられたので)。「私の行くところは天理に有ります。法人も神様はいらないと言われてます。天理本部は法人認可を神様に反して取って今のようになったのでしょう」
神様、弥勒様は谷底住まい。教団は上に立ちます。それでは本当の信仰は出来ません。助け合いの信仰は出来ないのです。

132:神之内分場所M
18/08/26 10:44:49.27 dYiNIlc6h
昭和六十年六月五日  午前九時二十六分
さあ/\十分心に治め置かねばならん理と言うは、いかなる事に思うて居るか
世上世界も待ちて居る理 甘ろ台世界となりて世が明ける
天理の夜明けが来ると言う
朝が来て日差しをしっかり身に受けて、通る事にと成ると言う
このさづけこれが誠の天よりに 与えられたる直物の 与えあるのがめづらしい
三日目よりかんろうが天よりおりたと言うわいなあ
これもみな/\先のためにとのこしたる神の言葉や
甘ろ水寿命ぐすりと成るのやで
だれのためでも更にない  皆一例のためとなる
早く飲み取れ心をすませ 早く心の洗濯や
大い成る川に掛かりた 悔いのない宝を目指す二地の掛け橋渡りぞめぞや
早く渡れよついて来い
この幸せの掛け橋は神の見込みを持って付けるなり
予告無いぞや教え置く

133:神之内分場所M
18/08/26 11:29:31.44 dYiNIlc6h
中山こかんから出されたと言う 「かんろうだい三下り」の一節です
三日目よりかんろうが天よりおりたと言うわいな
「天理の霊能者」の本の中99ページにも掲載されて有ります。
二地の掛け橋  天理本部から天理神之内分場所へと渡る二地で有り 虹🌈なのです
教祖は二時に亡くなられました。そして本部は元一日を忘れないように 毎日二時によろづよのサイレンを鳴らしてます。それは教祖が二つ目の地場がある事を教えられ
その事を忘れないように、二時にサイレンを鳴らさせてあるのです。
さしづにも
ぢば一つ/\の理と言われてます。一つ一つとはダブリ言葉と言って 二つある事です
一つは土地の地場 天理本部です。もう一つは人間の地場 。土地と人間(にんけん)で
二つ一つです。ぢばえらいこと言う 、ぢばがものいうさしづも有ります。もの言うのは人間の特権です。もの言わない甘露臺は雛形でございます。

134:神之内分場所M
18/09/01 14:16:26.63 p64XbWcEB
昭和六十年六月七日  午後一時五十五分
さあ/\これ内も外も隔て無いと言うはこれどう言うことと思うか。
この理分からにゃ 何にもならん
内と言うは天理の道 元始まりの一日の日を付けたる大和の天理
これこそ内外隔て無いと言うて残した神の言葉の内にと当る
又外と言うて残した言葉通り神は内から外に現れてせき込みある。
神之内分場所を外に付けて時旬来たるで知らせ居るぞや
それ故に前々よりに神が出したる言の葉通り一つの嘘も言わん神
これが誠の治まりの元一日の日を付けた助けの元立て成る神の住まいを致せし所なり
これをしっかり教え置く
道の為には杖柱に成りて居るぞや諭しをくぞや
これに間違い更に無いぞや

135:神之内分場所M
18/09/01 15:20:05.92 p64XbWcEB
明治ニ十ニ年ニ月四日  さしづ
……神は隔て無いで/\。しっかり聞き分け。さあ/\聞き分け。内も外も同じ理や……
明治ニ十三年六月十二日  さしづ
……言いにくい事にと


136:言わねばならん、聞きにくい事も聞かねば成らぬ。内も外も隔て無い。この事情を治め…明治ニ十三年六月二十一日  さしづ……内も外も隔て無い。どんな事でも隔ては一つも無い。なれど、よう事情を聞き分けてくれねばならん…明治三十一年ハ月十七日…これまで、順序さしづしてある。内も外も隔て無い。つきくる者に来んなとは言わん。これから改心して、元々前々順序と言う理がある…明治三十一年七月二十五日  さしづ…一つ内も外も隔て無い理…この様に…内も外も隔て無い…と言う言葉は、身上さしづ、事情さしづの中に数多くあり、先の、未来のことを伏せ込みの言葉で言われてます。さしづは当時のことを少し含めてその事を台に先のことを言って有ります。外とは表と同じで、神が表へ現れてです。内院 外院 中宮 、これが三軒三棟で伊勢神宮に内院外院と有りますが、昔は中宮も有ったとか。記録に残ってるそうです。伊勢神宮も雛形として神が表したのですね。中宮は因みに神之内分場所です。時間が無いのでこの辺で!



137:神之内分場所M
18/09/08 10:29:46.55 j8yi/rEsq
非常に大きな台風二十一号の後、北海道南西部 最大震度七の地震、被災された皆様方へのお悔みと、助け合って一歩でも前進され行かれる事を、遠方よりお祈り致します。
昔有った映画で、「日本沈没」を思い出します。日月神示を見れば日本を潰し日本から
始めるとか。ノストラダムスの預言でも人類滅亡の後 神を中心にした集落が、
一つ出来る事
何故かそう言う気風が強まっています。異常気象も今は異常気象でなく当たり前のようになってたり!大変ですね。お互いに気を付けましょう

三軒三軒の事で書きます。おふでさき註釈や天理教辞典には内分場所は内、中、外に
三十一軒ずつ、合計九十三軒有り、その内一ヶ所は辺鄙なところにあると書いてます。
その事、弥勒菩薩様に聞きました。九十三とは九十(たす)三で十二下りをつとめる神が出る事。辺鄙なところとは小牧市の小さなアパートである事。
そして前にも書きましたが内とは天理本部、外とは政子かんろうだい、中とは天理神之内分場所  中かんろうだいとして本部に納まる理合いを持ったところで、
今の天理本部を乗っ取るのでなく、神の古里へ帰り、天理本部を潰すのでなく
天理を全うする為に南無天理王が表へ現れたのです。

138:神之内分場所M
18/09/08 11:11:03.86 j8yi/rEsq
昭和六十年六月十日  午後二時四十一分
さあ/\どれがいかんかれがいかんとすっきり言わん
真実の神の言葉で思案せよ。第一長らえたる所、道の真をつとめる理甘露台一つの事情
誰の為とも言わんでな
道の駅理一つを心に持って思案して見や良く分かる。誰の為でも更にない
天理教徒一列の為となる理や教え置く。
天理教徒一例がしっかり思案をせにゃならん。
これまでの道よう/\の道すがら今日ここに到って何故 神之内分場所と言う道 天理本部の外に付けられたか 名所一点定められたか今迄にも中山みきの手で書き残された
ふでさきが その証拠の品として歌の文句で現して先の為にと残したる
これこそ道の宝となる神の残し置いたるもので有る
この道をどういう事に思うかな世界助ける真実の道
生まれ在所に帰る為 証拠になる原典を忘れる事のなきように説いて残した三つの宝
ふでさき、さしづ、みかぐら歌が道の為にと置いてある
いかなる人が残しても神の言葉に違いない。
いつのさしづもうたなるも これに間違いないと言て(ゆて)置く
神の出したる神のもの 誰のものでも更にない
しかとこのよに説いて置くぞや

139:神之内分場所M
18/09/08 11:14:16.96 j8yi/rEsq
訂正  道の駅理一つを→道の理一つを …です

140:神之内分場所M
18/09/08 12:13:26.58 j8yi/rEsq
訂正132お悔みと→お見舞いと…失礼しました

141:神之内分場所M
18/09/08 14:33:25.81 j8yi/rEsq
昭和六十年六月二十三日   午前二時三十五分
さあ/\みろく衆生再現の儀、いかに詳しく説くべきや
些少にして心にくもり有りたれば、何一つとて分かるすべなき
みろくとはいか�


142:ネる佛に有りたるか天地創造の神に有りたるば其の謎の紐説き致すなりこれすなわち天理なる成り天理とはいかなる事に候ふや和合一つの心にて正しく心身共に変わりなく神佛一体根の本、火水風自由用自在の働き有り、底の国に有りたる場、三千世界を助けたさ心豊か成る清らか成る精神やしなう道場にして、何人にあらず、いんねん有る者 皆引き寄せ給ふしかるに それなる人類皆我が魂に生まれながら天徳頂きたる者、早々にして心すますが先ず第一にて神と共に天理天道を歩む事なり。



143:神之内分場所M
18/09/09 10:39:45.34 I1XE2Nb1D
昭和六十年六月二十九日  午後五時十九分
さあ/\これまで談示々々と聞かせたれども 何を談示するべきか
この度の甘露台と言う事情 親族の事情と言うは何と心得て皆々居るか
 甘露台建て上げるには一列談示もせねばなろうまい
前々より聞かせあったは今の事なり。時旬が来たる事なり。えらい事ぞや。
天理の道 何故この長い年月続かせてあったか
現身を持って、人間(にんけん)姿で世に出て、天理の道の為に成るよう世界助けのきりなしふしんするが為にと杖と柱と成る神や
こらほどの深い思惑有るなれば、しっかり談示もせねばなろまい
今日の日は神がはるばる尋ねて来たる。しっかり談示合うての話合い
神の言う事 素直に成りて聞いて思案をしてくれる様
前々の言うて置いたる約束の この神が山々かけて巡れども、この事誠と聞く者が無くてこの道遅れたる
それ故神が急ぐのや。早く目覚めよ。天理教徒一例の為なるぞ
年限は百年祭で終わりなり。天理の道は終いなり。
路銀のさづけも理が切れて、すっきり助からぬ様に成ると言う
神が言うのや嘘で無い。しっかりせねば成らぬ事ぞや。

144:神之内分場所M
18/09/09 11:10:23.04 I1XE2Nb1D
教祖百年祭の諭達の中に「百と言う字の心は白紙に戻り一より始めるを言う」と言う下りがありました。
この言葉も神が言わせて有るのでしょう。
何を白紙に、天理本部を白紙に、神之内分場所を一より始めるという事です。今考えれば天理本部の末期が見えてました。
大教会長、教会長の自殺。或いは教会長の強盗など。世間で言う人の良い人がやってます。あの当時東西礼拝場建設で、多くの金を集めましたからね。そのご苦労もあったのでしょう。
あの神殿、本当に必要だったのでしょうか。
路銀のさづけとは、道の路銀と言って、旅に出る時に持って行くお金です。路銀は時と共に減って行きます。百年祭で切れご守護が無いのです。
次は末代のさづけです。

145:神之内分場所M
18/09/15 08:49:19.28 UlPlLoFc0
昭和六十年七月一日  午後五時五十七分
さあ/\屋敷と言う。屋敷どう言う事。屋敷は神の田地と言うた
鏡屋敷 鏡屋敷どんな影がうつりたか。四方正面の鏡屋敷。神の守護 お陰と言う。
そのお陰 神の自由用自在、いかなる所の事やとて一目で見える神である。
その神は天理本部のあの屋敷は神の田地や、生まれ在所、それ故に神の言う事良く聞いて、さしづどうりに通るなり
人間の言うが言葉と思うたら理が違うでな教え置く
だん/\の席を席を受けたるこの神や、千に一つも無駄はない。
間違ごた事は言わんでな。
早く治めよこの神を大和の天理に治めなくては天理失う事となる
これまでの天理に理が無くなりて神の世界と立て変わる。
これが誠に成ると言う。これもしっかり教え置く
神の教えに従うが良い。
末代迄も続く道にて仕立て行くぞや。

146:神之内分場所M
18/09/15 09:58:04.34 UlPlLoFc0
みかぐらうた 七下り目
ハッ やしきはかみのでんぢやで    まいたるたねはみなはへる
九ッこゝはこのよのでんぢなら      わしもしっかりたねをまこ
十ド このたびいちれつに        ようこそたねをまきにきた
         たねをまいたるそのかたは  こえをおかずにつくりとり
屋敷は神の田地と言うて有ります。現状はどうでしょうか。人間の田地、中山家の田地
本部の田地と化して崇拝の対象


147:物となってます。ふでさき十七号  九にんけんをはじめかけたるしよこふに    かんろふたいをすえておくそやにんけんと人間(にんげん)ふでさきは一字一句が大事でして濁点は埃を意味して有りにんけんとは神仏の魂を持った者、人間は埃を持つ我々で、ふでさきの中には人間(にんげん)を意味する歌も有り、それは人間を尊称して言って有ります。前後の句を詠めば、分かります。ですからふでさきの意味、にんけんをはじめかけたるしよこふで、決して人間を創った場所では有りません。人類発祥の地では無いのです。神の在所、神の発祥の地です。神に戻さなければなりません。おやさとと言います。おやとは神の事です。親神とも言います。神様の里でございますですから神の子である人間が、神が帰って来たら「おかえりなさい」と言うのです。たねをまいたるそのかたは  こえをおかずにつくりとり何と言う種を蒔いたのか?天理と言う種を蒔きました。そのお方は南無天理王の命です声をおかずに何を創り取るのか?かんろうだい世界でございます。百年も前から歌わせ踊らせてあるのです。教祖は三原典の解釈はされていません。今こうして弥勒菩薩が解釈されて居ます。



148:神之内分場所M
18/09/16 16:28:58.77 2+ExFrJEs
昭和六十年七月四日   午後零時十ハ分
さあ/\所々と言うて諭したる所 どういう所と思うて居るか。
年限追うて長らえて来たる所の名と言う。
これ神之内分場所と言うて道に先に楽しみの為に名所一点定めたる。年限の理甘ろ台と言うは皆々何と心得て来たるか。
これまでにも様思案もせねば成らぬと諭したる。今に成って今言うのでは更にない。
定めたる事聞かしてある
これまでの道長らえた道天理つとうて来た道や。何をとぼけて呆けて居る。
呆けたふりして神を騙そう思うても そんな事して騙される様な神では更にない
いかよにも神の言葉で説いて教えて残して有る。元の原典良く調べて見よ
神の残した言の葉通り一つの嘘も言わん神
何を楽しんでも道か。
神が人間姿を現して、神人和楽悦楽の陽気日暮らしさせたさの神の思惑そればかり。
 此の所来たいと言うて来れん屋敷、来たく無いと思うても神にいんねん有るなれば、
痛めてなりと悩めてなりと、此の所にと引き寄せる。
同じ事なら痛い目に合わぬ内から尋ねでよ。何で難儀をさすものか
前生からのいんねんでどうでもそれなるあしきいんねん払わにゃならん
神の真実誠の心、何時になりても変わりておらん。よろづ一列助けたさ
神の元にと引き寄せて年限の来たる迄にと、神の手の内仕込みたい。それも何故
この先に末代迄の結構なさずけをしかと渡したさ。神の心がなぜに分からん
とやかく言うて居る間も、人々が神の手の内学び居る
早くに神を尋ねて来るが良い。一日の遅れと言うが千日の遅れと成りてしもうたら
悔むに悔めん事にとなる
これまでにもろうたさずけは理が切れる教祖の百年祭で終りなり。
教祖中山みき夫婦はもうこの世に再び生まれ出て、今は神と共々暮らし居る。神の元にと引き寄せて居る。生まれ変わりを教えたものが、生まれ変わらん様ではな
天理の教えは嘘に成る。
これが道理や天理なり。道理いがめて何に成る。
この道は神が付けたる所なり。これが確かな参り所(しょう)
神のさしづは間違わん。これこそさしづ道理の神の道。
これ疑えば何にもならん。後は悔む事すら出来んよに成る。
これが誠の事に成る。しっかり思案をするが良いぞや。

149:神之内分場所M
18/09/16 17:59:05.46 2+ExFrJEs
存命と言う事で書きます。天理教徒の方々は納得しにくいでしょうが、見て下さい。
明治のさしづには、書いてあります。

明治二十六年三月十九日   午前一時三十分
……前々の事情、もう一つの事情、言葉一つの事情、堅く頼み置きます
これは存命一つの事情、息の通うたる間と言う。これ遺言。
きっと/\存命の遺言、これだけ頼むで/\。
ファ丶丶丶済まんな済まん事や
けれど あちらこちら十分やで。どうも済まん、けれど又、春になりたら、春に勇んで
おくんなはれや。
さあ/\一寸説いて置くで……

この様に言われてます。息の通うたる間とは百十五歳で
ふでさきに   このたすけ百十五さいじょうみようと  さだめつけたいかみの一じよう
と言われ、この命でなくこのたすけです。寿命で無く定命です。定命とは南無天理王命
の命(みこと)が定めた年で、教祖が九十歳で現し身を隠されて後二十五年、飯降伊蔵と上田ナライトに天啓が出てました。その後は路銀のさづけで道が続きました。
これが息の通うたる間です。
春に成りて…教祖九十年祭の春、三月十五日に天啓が弥勒様に出てきました。
そして中山みき夫婦と共に生活されてます。
又、私の知り合いですが、かんろうだいに忍びこんだ知り合いとは違いますが(笑)
教祖殿の風呂場の裏に修養科時代、忍び行ったそうですが灯りは付けて有っても、物音一つしなかったそうです。
もしも教祖存命であれば今の天理教にはならないでしょう。中山家を存続させる為の方便なのでしょう。存命の証拠がありません。証拠があるなら出して下さい。もっと天理教も伸びてくるでしょう。
弥勒様のさしづに有るように生まれ変わりを教えた教祖が、自身は生まれ変わら無い
とは、可笑しな話です。信徒の方々は納得しないでしょう。
最近の天理時報は存命の教祖と書かれて無いようなので、本部も認めて居るのでしょうかね!本部が存命と言うなら、証拠を出して下さい。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch