天理教社会学研究所 カインを 糾す。at PSY
天理教社会学研究所 カインを 糾す。 - 暇つぶし2ch170:神之打分場所M
18/11/17 13:47:56.35 VPNd7UWW3
前に続く角目
明治三十四年四月十八日(陰暦二月三十日)
別派に立って行け。建家一条はやしき中のもの
「その建家は別派に有ります。でも其の建家は庄屋敷の中に治る、中かんろうだいとと言うもので、南無天理王命で有ります。」

明治二十二年七月三十一日   (陰暦七月四日) 午前六時十七分
世界の道を以って あちらにもこちらにも本部や。
偽の本部やと言うて居る理聴かしたい。
「みかぐらうた九下り目 一つ  ひろいせかいをうちまわり  一せん二せんでたすけゆく
と有ります。一せん二せんわ一銭二銭ではありません。一宣二宣で広めると言う意味で有ります。人間の解釈には無理が有りす。
一宣は今の天理本部、二宣は別派の神之打分場所の事で有ります。
おさしづには偽の本部と書いてあります。が本来は二世の本部です。
おさしづは聞いた言葉を文書にしてあるので間違いが有ります。偽の本部をわざわざ聞かせてどうしますか?二世の本部は神之打分場所の事で、次に神支配の本部と変わる事で有ります。

171:神之打分場所M
18/11/23 10:44:05.13 x7pl0mGn2
昭和六十年八月十日  午前七時三十三分      おさしづ
さあ/\いかなる事情とて聞けばどんな事でも分かる理や
人間心理を立てて神の理尻に敷き詰める。
この道の理と言うは長らくの間楽しませて来た。
天理つとうた道すがら 神の打ち分け場所と言うて、道に其の元一つの根と言う、甘ろ台と言うて、人間姿で人神と成り表に現れてくる事は、前々よりのふでさきにその証拠が書き記し道の先の為にと残し置いたる。
神の言う事何も一つもうそは言うてない。
神之打ち分け場所と言うは、いかなる所分かり無くば知らせよう。
長い年限の間に時旬を待って、やっと神の念願かのうて、神が天理より外に現れ出て来た所、これこそ名所一点定め付け神之打ち分け場所と言う。
それなる所になむ天理王命は今尚住まいを致し居る。
これこそ古元と言うて居たる所なり。
このとこで谷底住まいの毎日や。
日々は寄り来る人にしっかりと神の手の内仕込みたる。
同じ事天理通るの心なら、神の教える手の内学べ。よろづ一さい説き諭す。
これこそ説法致し居る。
この所中山みきも引き寄せて、神と共々暮らし居る。
先所のいんねん有るがそれ故に、道の為、多くの財産投げ打って、妻のみきに使わせて
世の為人の為なるよう果たしてくれた功績は、今尚けして無駄は無い。
それなる中山善兵衛もその伏せ込みの芽がふいて、神の元にと又引き寄せて神と共々
暮らし居る。
十人のなかに三人か


172:たうでは  火水風ともしりそくと知れ。ふでさきのうたにうとたるこのうたはこれなる人の証拠や。何も知らずに口々にあくぞうもくぞう言いよるが、これが誠の事である。神が世に出た其の時は、おろかなるおのが心情悔やまなならぬ。このとこで まだ言うてない真実を詳しく説いて聞かすなり。これがまさしく神の打ち分け場所なるなり。こんな事知らずに何をぼけて居る。これが真のまいりしよたしかなるとこ二地の地場成り。道の人ならこれくらい知らんようでは何にもならん、神の用木に使われぬ。ましてこれより先の天理の道は、神の自由用受けづしていかなる人も通れまい。



173:神之打分場所M
18/11/23 11:57:35.37 x7pl0mGn2
(続きます)
これまでの長い道筋通れたも、神の自由用有りたればこそ、この先は神のさしづの分からん者に神の自由用伴なわん。
この理一つがどれほどに大切なるかがみな一列に分かりしてない。
しっかりしあんをせにやならん。ここがしやんのしどころや。
これも教えて説いて置く。早くしやんをしてかゝる成り。


ふでさき二号  十六
このはなしなんの事やとをもている    神のうちわけばしよせきこむ

せんしよのいんねんよせてしゆごふする    これハまつだいしかとをさまる 一号 七十四
「先所のいんねん有るがそれ故に………」と言われ有ります。
天理教では前生のいんねんよせてしゆごふすると、前生と言われますが、ふでさきには
せんしよと書いてあり、先所が本来の意味で有ります。
先所とは今から見た前の事で有り、天理本部の道すがらであります。
中山家に嫁いだ前川みきは、神がかりと成り、中山家の財産を投げ打ちました。
代々続いた財産を妻みきに使わせた夫善兵衛も、信仰心を持った方だと思案します。
みろく様からの天啓では教祖はいざなみで有りマリア様で有り、中山みきです。
そして夫 善兵衛はいざなぎで有りイエス キリストの魂です。

十人のなかに三人かたうでわ   火水風ともしりそくとしれ    六号 二十一
じゅうにんと読みますが、十とはタスとも言います。本部にタス人の事で、三人です。
一人はみろくぼさつでくにとこたちと をもたり様。をもたり様の体の中にくにとこたちが入り込んでいます。
後二人は中山みき様と夫善兵衛様です。
屋敷は神の田地と言うて、中山家或いは人間の田地に有りては、この天理通れないでしょう。天啓者が必要と言う事です。

174:神之打分場所M
18/12/06 10:27:07.00 j1Yv0/jxR
昭和六十年八月五日 午後零時十六分       おさしづ
さあ/\又々さしづ心一つ、理にそむかんよう。
さしづどういう理 神の言葉打ち出す所
これ分かり無くば説いて詳しく聞かせよう
いつにても並の人間なるの言葉と思て居たらば理が違う
誰にても聞き入れ無ければ是非も無い
神は無理にどうせと言わんでな。そこはめい/\の胸次第
心道理にしかと受け取る
かならずと神が見て居て付ける道。誰の為でも更にない
受け取るすじも千すじや。心一つの理に受け取る
先なるに悔む事すら出来ぬよに成りて後へは戻られん
人間が如何程かしこく有ろうとも、何になるかや この先も神が説かねば分かろまい
しっかり説いて聞かすで良く分かる
人間で出来る事ならやって見よ。
行き詰まりてぞ苦労して頭いためて先なるに何したのやわし達は、これも言う事すらも出来わせん。こんなあわれな事となる
神の言う事すなをに成りて聞かぬから これも見えてるこの神や。
今から説いて教え置こ
人間で出来る事なら この神はいらんものやと言えようが
道の為には杖柱きっとつとめるこの神や
いらんと言えば道は暗闇、一寸先は闇の世や。一寸先へも進まれん
これこそ天理の道は終わりなり
これが誠の事となるなり。

みかぐらうた
六ッ   むりにどうせといはんでな    そこはめい/\のむねしだい  七下り目
六ッ   むしゃうやたらにねがひでる    うけとるすぢぃもせんすじや   六下り

175:神之打分場所M
18/12/06 10:49:06.34 j1Yv0/jxR
昭和六十年八月五日  午後零時十六分   おさしづ
さあ/\又々さしづ心一つ理にそむかんよう
さしづどういう理神の言葉打ち出す所、これ分かり無くば説いて聞かせよう
いつにても並の人間なるの言葉と思て居たらば理が違う。神の言葉や
誰にても聞き入れ無ければ是非も無い
神は無理にどうせと言わんでな、そこはめい/\の胸次第、心道理にしかと受け取る
かならずと神が見て居て付ける道。誰の為でも更にない
受け取るすじも千すじや
心一つの理に受け取る、
先なるに悔む事すら出来ぬよに成りて後へは戻られん
人間が如何程かしこく有ろうとも何になるかやこの先も神が説かねば分かろうまい
しっかりと説いて聞かすで良く分かる
人間で出来る事ならやって見よ
行き詰まりてぞ苦労して頭痛めて先なるに何したのやわし達は、これも言う事すらも
出来わせん
こんなあわれな事となる
神の言う事すなをに成りて聞かぬから、これも�


176:ゥえてるこの神や今から説いて教え置こ人間で出来る事なら、この神はいらんものやと言えようが道の為には杖柱きっとつとめるこの神や。いらんと言えば道は暗闇、一寸先は闇の世や。一寸先へも進まれんこれこそ天理の道は終わりなりこれが誠の事となるなり。みかぐらうた六ッ  むりにどうせといわんでな    そこはめい/\のむねしだい   七下り目六ッ  むしやうやたらにねがひでる  うけとるすぢぃもせんすじや   六下り目



177:神之打分場所M
18/12/06 10:50:10.39 j1Yv0/jxR
昭和六十年八月五日

178:神之打分場所M
18/12/06 10:52:38.51 j1Yv0/jxR
昭和

179:神之打分場所M
18/12/09 09:15:34.04 SSXMcCE41
前の文章ネットの状況でおかしくなったようです。又 内分場所と間違えてたのを気付かないで載せてました。本来は打分場所です。

昭和六十年八月六日 午前三時二十九分       おさしづ
さあ/\さしづ一条紐説くと言う。みな/\何と心得て居るか。
さしづと言うは、何時のさしづも皆 同じ神の言葉やさしづなり。
誰が何事言をうとも、神が出したる神のもの
かるくあしろて神のさしづを尻に敷く
これから先と言うものは、なんぼ笑をとそしろうと、神の方には良く見える。
何ぼ遠くに離れよと一目で見える神である。尻に敷くなら敷いて見よ。
即座にそれなる理が現れる。心一つの現れが泣くも笑うも理が出る程に
目の前になって来る理で思案せよ。なって来た理で思案せよ。
したらばとくと良く分かる。己れなしたる心道理や。
なんぼ悔やめどどうにもならん。我が身うらみや教え置こ。
さあ/\いんねん有るが故から神が説く。この神も天の理説いた伏せ込みの種が芽生えて今日の日や。
月日の社と成る種は前生積んだ功徳や。これも一つの手本なり。
なむ天理王命と名乗り居るのもそれ故や。
我が身には甘ろ台の位いをも身に受けて居る親神や みろくぼさつの現れや。
皆一列も同じ事良い種のみを蒔くが良い。これも一つの教えなり
この先はどんな事でも説き諭す。誠真実有る人は神がしっかり教えの手をさしのべる
この神を私欲の為にあしらう人は帰る天の理心どうりや。
今から以って諭し置くぞや。
うかつに聞いていたならば成って来てから悔やまなならん。
これも教えて説いてをく。

180:神之打分場所M
18/12/09 10:41:07.28 SSXMcCE41
昭和六十年八月七日午前八時九分      おさしづ
さあ/\何も知らざる人間が神に逆らいはんぱつすれど先なる事を知らぬ故なり。
今日の日は何でも言わねばならんから このよに詳しく話し取り次ぐ
定かなる心で以って聞き取れば、如何なる神の言う事も何一つとて分からんで無し。
時旬の花と咲いたる甘ろ台人間姿現したなり。
それ故に甘ろ台人間一つ定めたる、こんなさしづも残したるぞや。
何時迄も知らぬふりしてぼけたふり。何をとぼけて至る事かな。
これまでの道のすがらは説いて有る。何時まで神にさからうべきか
元の原典良く見るが良い。その中に伏せ込んだるの天の理や。
天の理一つが分からんようで、何で天理が通れるものか。
この先に成って来る理で思案せよ。
よう/\ここまで連れて来た。神の真実この誠、受け取る人の心通りや。
早々と神の言う事聞き取りて、さしづ通りの道に出よ。
これまでにふでさきにても歌とて有る、神之打分場所なるぞや。
こらほどの所は外に一つとて更にないぞや予の元なるぞ。
この神はなむ天理王命や、まぎれもしない元の神実の神にそういない。
聖なる場所 神の道場とも言う。
いかよにも説いて諭しはするなれど受ける心に誠がなくば何を言うても分かる目はなし
何が為神の元にと引き寄せて居たる事かな分かろまい。
神の手の内学ばせて、まだ言うてない真実を説いて聞かせて仕込むなり。
しっかりと神の仕込みを身に付けた人、神の用木(き)と神が見定め神より渡す末代
までも、けっこうに続き行くさしづをしかと渡したさ。
これが神たる思惑や。早く悟りを開くなり。これ分からねば何にもならん。
こら程の大切なるのこの所たった一つの名所や。
この話何の事やと思て居る。神之打分場所せき込む。これが誠の事で有る。

明治二十一年六月二十三日(陰暦五月十四日)
かんろだい一つ人間定めてある。何でも一日ある、楽しみあるという事を治めて貰いたい。

おふでさき
このはなしなんのことやとをもている  かみのうちわけばしょうせきこむ 二号十六

181:神之打分場所M
18/12/15 12:23:48.92 v/hTbs/Cx
昭和六十年八月十日午前十時九分      おさしづ
さあ/\この道の理と言うは、何をほって置いても運ばにゃならん
こういう日の有る事も刻限話で聞かせても有る。
皆々何を楽しんでの道か。
神が人間姿で以ってなむ天理王を名乗り甘ろ台と言う位を身に受けこの世に現れて
来る事は その日有るのも説いて聞かせて その日の為に成る証拠も残して有る。
まさか知らぬなぞとは言われよまい。
ふでさき さしづ みかぐらうたと三つの証拠 この時の為となる物これ書いて残した道の為宝と成るのや教え置く。
その中に伏せ込んだるの天の理や。
知らぬなぞとは神は言わさん。
何時迄も強情張って居たるなら後は悔やまな成らぬように成り苦労をする事になる。
神のさしづと言うものは何時になりても腐らせて隠して居ても何もならん。
生きて世に出る時が有る。これが天理と言うものや
真実誠を言わねばならん時が来たぞや教え置く。
隠し通せるもので更にない。神が現し身を持ってこの世に出たからは見抜き見通し
するなれば いかな事でも一目で見える。
嘘の通らん世の中と言う。

182:神之打分場所M
18/12/16 06:36:55.77 GeVxrbw8p
 前に続く
明治二十三年十月一日
内々本席順序前夜刻限の事情願
しっかり筆取って置け。どういう者引き出すやら分からん。
余儀無きいんねん、ほのかのいんねん、
分からん時から何でもと尽した、心の理、いんねん三ついんねんどう成る。先ず/\の道、真実二つ三つの理、余儀無くいんねんは放って置いても成るやろう。
放って置いても退くに退かれん。ほのかのいんねんは良う成ったら行こうか、
楽しみ成ったら行こうか。何も分からん時から、何でもと運んだ心の理は真実の理、
人ともいう、一人の理という。これをよう聞き分け。
古き者に親が尽して子が尽す当り前、子が尽して親が何でもという心の理がある。
これから、要らん者にさづけを渡す。

183:神之打分場所M
18/12/16 12:27:27.54 GeVxrbw8p
昭和五十三年四月八日      おさしづ
さあ/\何も案じる事いらんで
神が長い年限の中に付けて来た道の中にたった一つの効能と言う理が残し置いたる
この理何程のものや分からせんで
神思惑の元の理、神が長い年限の間 伏せ込んだる種、天理の根である、深き理、みろくぼさつと言う。
この者一人、人間甘ろ台と言う この深き魂の者 世に出す為には、もんかたなき処より
神が教祖 中山みきに天降り、だんだん道付けてひながた見せて一列のめどうにと、
しな型なるもすえしも何故にこのよな事をなしたるか、みな一列に分かり無くば知らそう。しっかりと神の言う事聞くが良い。
神が教祖中山みきに天降りたる時、世界一列助ける為に天降りたる事いうてある。
みな知っている。
その人助けの年限いつから始まるべきや。
神に深い/\思惑あるは、教祖一坪四方より始め掛けた元治元年より、この助け百十五才定命と定め付けたい神の一條と、残し置いたる事、皆知っている聞いている。
先々忘れぬように書いた物残し置いたる、よう思案して見よ。
何事も筆の中から見えてくる。
神が百年も前にて書き残し置いたる筆先さしづ みかぐら歌と有るのや。
これこそ神思惑の甘ろ台世に出す時の時旬や。
しっかりと神の言う事わかりたら心に治め道の為、神の言うよにしかと通るよ。
早くにな神の元にと尋ね出よ。
神が待ちいる嘘で無い。早く悟りて道に出るよう神がしっかり諭し置く。

ふでさき
このたすけ百十五才ぢよみよと   さだめつけたい神の一ぢよ        三号 百
いままでにふでにつけたることハりが      さあみゑてきた心いさむで     十二号 四十四
このはなしどふゆう事にをもうかな    ふでのさきがなみへてきたなら    十七号二十四

184:神之打分場所M
18/12/22 09:31:09.12 vZNdJDifd
昭和五十三年四月二十五日
さあ/\/\どういう心こういう心みな知っているで。
さあというておゝといえばそれで良いのや。
心で応える処それで良い事あらためていう事やないで。
めん/\心どうりつなげ/\
たいそうな事すればみなめん/\心ににごり水そそぐ事になるで。
いかようつなげど心通りの理が出るで。
この道は神の道やでしっかりと心に治め通り行くなり。

185:神之打分場所M
18/12/22 09:42:56.50 vZNdJDifd
昭和五十三年四月三十日          おさしづ
さあ/\たいぎ/\心に思うなれどそうやないで。
尽くした理は神が見ている。何も心に止めるやない。
今までも神が言うたる事みな聞いている/\心に治めてくれ、人の為やないで、
みな我がの為や、心のつなぎやしかと分かるか。
人間は何時でも功能/\と思う。功能の理は神が与えるのやで、
この先なるというものは、心に止めるやないで、思うやないで、
心かなえば神が授ける。しっかりさとし置こう。

186:神之打分場所M
18/12/22 09:52:11.51 vZNdJDifd
昭和五十三年五月三日         おさしづ
さあ/\何事も人の事いうのやないで。
我が心から磨いてゆけば良いで。
人が良い人やなあというてくれてこそ、我が身も光が出る程に、
日々をしっかり成人する事や。
神の願いやしかと磨いて人の為にとなるのやで、
神からしっかりたのみ置く。

187:神之打分場所M
18/12/22 14:28:02.82 vZNdJDifd
昭和五十三年六月二十九日        おさしづ
さあ/\今までになによの事も みな説き置いたる。
その時旬早やこゝに来たりたる事、天理教徒一列なるにしっかりと知らし置く。
何故に時旬なるとさとするか。
神が天より天降りたる元一日の日がありた。
それなるも何故なると思いしや、
世界一列助ける為、もんかたなき処 、教祖中山みきに天降り、神の思惑とき置いたる
この助け百十五才定命と定め付けたも時旬なるぞ、
しっかりとこの事さとりしたならば、何分からん事あるものか。
神が言うのや嘘でない。
さあ/\心、心一つが真実や、誠となりて現れる。
良き事も悪しき事をもその心にて見分け聞き分けするべきや、神が言うのや嘘でないぞや。
しっかりと心に治め道の為、神の言うよにしかと思案せ。


明治二十年二月二十四日      おさしづ
百十五才 九十才これも分からん。二十五才不足、どうであろう、これも分からん。
どうしてもすうきり分からん。
故に二十五年を縮めた助けを急ぎ扉を開いて世界をろくじに踏み均しに出た神でのうて
この自由自在は出けようまい。

188:神之打分場所M
18/12/23 12:56:01.83 1qRUHvg+k
昭和五十三年七月四日  午前八時頃より      おさしづ
さあ/\日もだん/\つんで来た。年限も相当たって神思惑の日も近づいた
これからの道は神の思いのまゝに通るぞ
天理教徒一列が心しっかりするが良いぞや。
神思惑の楽しみある楽しみの元一日の日と諭したる。
それなるも何故なると思いしか、長い年限の中に神が楽しみある
何でもどうでも年限の内に、神の定めた思惑の親治めるという。
その楽しみ早やこゝに迫りたという
そんなものどうでも良いというて見たところが、これが神の思惑。
この先どうでも成る事なら仕方あろまい。
今目の前に成って来たる、見えて来たる。前々より神が百年先の事言うて置いたら必ず
その日のある事、筆に残し置いたる、これよう思案して見よ。
神は何にも無理な事一つも言わん。
神の定めた思惑ある故、この様に諭し居るのや。
それなるも何故なると思いしや。
世界一列助ける為、もんかたなき処より、教祖中山みきに天降りたる。
それなるも前々より天の理を説いておかれた、元の元の理を世に出す為なり。
その理みろくぼさつという。
その深き理、埋もれてあったは神の定めた年限がある。
その神の定めた時旬、此処に早や来たりたる。
これだけの事神が諭したなら 何一つとして分からん事あるものか。
この親こそ真の神の定めたる甘ろ台なり。
長い年限の中に順序通りて、その理刻み込んだる。
それが為ひながた出して、神の定めた本部の地場に甘ろ台の模型、品型据えしきも
その為なるぞ。

189:神之打分場所M
18/12/23 14:09:18.59 1qRUHvg+k
前より続きます

神がこのよに説いて聞かせたなら、神の思惑心に治め、しっかりと道の立つよに心せよ
これ分からぬようでは みな一列がいずんでしまわなならん日がある。
その時になって今まで神の道というてつくした理、水の泡にと消える日があり。
神が言うのや嘘でない。なって来るから神がとき置く。
目に見えん神の言う事聞き分けよ。
まだ見えぬ先の先から説き置いて諭し置くぞや心せよ。
これ筆先の花 月日親神なむ天理王なり。
さあこれだけの事諭し置いても分からぬというようならば、又神の元にと尋ね出よ。
しかと諭する嘘でないぞや。
早くにな尋ね出るのも我がの為しかと成人するが良いぞや。


明治三十三年九月九日      おさしづ
先の事知らしてある。後や先になる。
皆一つ調べてみよ、嘘はありやせん、皆先の事言うたる。
言うて置いたる事は年限の内には、どうでも出て来る。百年の先の事 言うて置けば、
三十五十の者は知ろまい。なれどどうでも出て来る。

明治三十一年五月十二日
紋型も無い処からこの道の結構と言う。元の理を諭さにゃならん。

おふでさき
いまなるのかんろふだいとゆうのハな    一寸のしながたまでのことやで     四十五

明治三十年七月十四日
ぢば証拠人間始めた一つの事情 かんろうだい一つの証拠雛形を拵え今一時影だけのもの言うて居るだけでならんから万分の一を以って世界ほんの一寸細道を付け掛けた

190:18です
19/01/02 03:34:06.66 WY93Ofugv
久しぶりに投稿します。

>>113>勢いがなく信者が次々にやめていく理由は何ですか?やはり末端教会・信者からお金をむしり取る体質が問題なのではないですか?果たして教祖は御在世中、信者を増やしお道が盛んになる方法を取ったでしょうか。むしろ、大和神社事件、大和神社のふしと足を引っ張る行為を高弟達にさせたでしょう。それは、広義には「ふしが栄える一つの理」といった理がある為であり、狭義には信仰していく人々が見極め見極められる証拠とためしの過程があります。つまり、正味とかすを分ける。それは、普請をするには道具がなければ造れないように神であっても道具がなければどうする事も出来ないので、その道具を選別する為です。周りにどうしようもない人がいる環境こそ澄んだ心を以って神についてきて、我が事を思う事なくたすけ一条で口と心と行いが同じ人が誠の人になり、それがたすけの実績に繋がり人が寄って来て盛んになる。その誠の人に出すお供えは誠になる。即ち、お供えでのお金は、出す場所によりけりなのではないでしょうか。信者は助かると思うから出すのであって助からなければ出しません。そして、信者からお金をむしり取った事例は直接には聞いた事はないですが、少々の名目を付けた上でのお金の要望はどの宗教もあることです。末端教会からお金をむしり取るのは、系統によりけりでしょう。問題なのはたすからないという事ではありませんか。基本さんが仰るようにお金を出してたすかるなら出したらいい。しかし、お金の多少で信心の真剣さを図る事や短絡的にお金に走るのは問題なのでしょう。



192:18です
19/01/02 03:45:51.31 WY93Ofugv
ここから人によって見解が分かれると思いますが、

私が思うに、教団は誠真実の人々が居れる規模の大きさが妥当であり、必然的に小さくなる。
そして、中で発生的な兄弟があっても身分の上下(123の序列)をつけるべきではない。
それから、八町四方神のやかたなのでぢばに寄り来る人々が多い状況が一番良い。しかし、すべての人が天理教信者になるのではなく、
来た者に対しては、ぢばから喜んで家に帰る人達がいればそれでいいのではないでしょうか。

それと天理教を信仰していれば幸せになるという勘違い、教祖はそんなことをさせないとか優しいとかメルヘンチックに捉えて信仰している方も
いらっしゃるが、刃を差し向けるのも神であり、教祖自身も現身を隠される前まで艱難辛苦の道だった。
教組が認めた本席もなる前苦労をして、なってからは刻限や本部の者の心違いで身上になり、苦労を一緒に通り抜けた妻を先に亡くし、
子供達も悶々と過ごした。秀司さんも教祖に神が天降る過程で足が悪くなり、教祖の言う通りにしないだけで亡くなり、
こかんさんも普通の人生を求めただけで亡くなった。そして、先人達は信仰しなければ命がない中で家族の不幸や貧しさ等の中を通った人が多い。

そして、今でも末端教会は貧乏な教会が多い。世間一般に昔の時代の貧乏と今の時代の貧乏の比率は全然違い、
そして医療技術の進歩、医療保険が整っているので万能ではないが病院で治療される方が多いので、身上を助けられる機会が減り、
それなら医療と関係ない事情を治めればと思うが天理教を信仰すれば事情のオンパレードであります。

初代と四代五代の苦労は比べものにはなりませんが、神と人間では幸せの価値観が違い、神の幸せの概念はどのような状況でも心の持ち方で得ることであり、
今生だけと考えてない。その上神から見れば道具として使われ、我が身を振り返る事なくたすけ一条であるからでしょう。

193:18です
19/01/02 03:52:15.42 WY93Ofugv
その上、何時まで信心したとても 陽気づくめであり、
教祖と本席の守り役で「末はたのもし、打ち分け場所」、針の芯、息のさづけ、肥のさづけ、
誠の人の増井りん曰く「この教えは楽しみ勇んで、陽気づくめで通る道でござります。」と言い、
その増井りんさんに教祖は「さあ/\着物、食い物、小遣い与えてやるのやで。長あいこと勤めるのやで。さあ/\楽しめ、楽しめ、楽しめ。」と仰り、

そして、教組が山中忠七さんに永代の物種を授け下されたように不自由しない(心配ない((案じない=陽気)))
一つに必要な物があるかどうかですが、それも「贅沢して居ては道付けられん」ように、
本席は物を大事にして始末した暮らしをしていましたが、ある時、すぐに帰るのに家の部屋の火(行灯)を消して出かけたので、
供の者が火を消さなくてもいいのにと言うと「私はこの世での徳を来生まで持ってゆきたいから、こうして火を消しておくのや」
と来生まで目した行いに徹していた。

そして、教団擁護や教団批判者、異端者、他が出るのもその人達がいるからであり、いなければその声もあがってこない。
それは、先祖や初めに信仰した人が純粋に助かった事に対して感謝しておたすけに回った人がいたからこそ存在している。
中山家も「もし不承知とあらば、この家、粉も無いようにする。」と脅迫された形で認めさせられ、苦労の道中を通った後で今がある。

親神中山みき様がもう一度人間を始めようとしても、それを否定するなら人間や家は存在してないと同じ事でもあるので、
初めの心を大切にして人を潰さないようにしたならどういった形でも尽した家系が続くように親神様の計らいがそこにあるのだと思います。

194:18です
19/01/02 22:34:29.97 WY93Ofugv
ハンドルネームを天理教Hに変えます。

久しぶりに覗いてみたら、天理教の事ではなく神之内分場所になっていて、放っておいたらしつこいほど投稿し続けている。
〔天理教社会学研究所 カインを糾す〕でなく〔天理教を糾す〕の内容になっている。
そして、以下の投稿を教理を知り尽くした基本さんが覗く掲示板に投稿することを迷っていましたが、
しかし、去年皆の前で話をする夢を見て、何を話すか迷っていた所、三下り目の解釈が書いているメモを手に入れ、
話の順番を聞いている所で目が覚めた。起きてから3下り目を改めて見ると

三下り目
一ッ ひのもとしよやしきの つとめのばしよハよのもとや
 日の本の庄屋敷(正味のある屋敷、生屋敷)のつとめ場所は世の元や

そして、解釈を「みかぐらうた語り艸 桝井孝四郎」で確認すると
「わしや人間はつれて行くことはできても、中山五番やしきは、どうすることもできまいやろうがな、そこに大きな台を建てるのやで」と、
かように教祖が仰せくだされまして、と書かれています。

※中山五番屋敷…中山家の元の地番で当時このように呼ばれていた。

195:天理教H
19/01/02 22:38:54.59 WY93Ofugv
人間甘露台を説く方に共通していることは、天理教の教会長や信者に、膨大なおさしづを主に論戦を挑んで、
教理が不勉強な人やおさしづに余り目を通してない人を論破して我の信者に取り込もうとすること。
だから、天理教の信者が集まる所でないといけないので、天理教や教団に対して批判をしている方が集まっている
天理教社会学研究所は絶好の布教場と思っていた。しかし、ブロックされたのでこちらに流れたということでしょう。

でも普通に考えれば、ここの掲示板は、カイン信奉者が多い天理教社会学研究所の読者は不愉快だと思うので僅かしか訪れない上に、
神之内分場所Mさんが難解なおさしづを並べているので、良くても斜め読みで読んでいる人はいないでしょう。
他に訪れる人は教理研究で基本さんから学びたい人、その様な人は三原典の基本を学んでいるので信じない。
後は偶々訪れたという人でしょう。でも全部合わせてもこの提示板の訪問総数は知れているのではないでしょうか。

他からの書き込みがほとんどないので人気のない掲示板です。ここでの教義・教理展開は無意味でしょう。
とんちんかんな投稿や感情的な投稿がないだけましですが。

基本さんは多忙な方で、外なる異端にはあまり反応されないと思います。基本さんと解釈が違う部分があるかもしれませんが、
人間甘露台の方が正当だと見ている方が誤解されたら困るので反論します。まあ全部読む方はほとんどいらっしゃらないと思いますが。

では、長文なので短時間の内の連投で書き込み禁止になるのを防ぐ為、日にちを分けて投稿します。

196:天理教H
19/01/03 00:08:44.39 8udh8Z7a2
神之内分場所Mさんは、本席のおさしづと渡邉秀子氏の啓示から一、二、三の印は、天理教本部→政子甘露台→神之内分場所と言われますが、
自分が甘露台と言っている天啓者は調べた範囲の中で以下の人達がいました。

〇ほんみち    (大正2年)  大西愛治郎→大西泰彦
〇天理三輪講 (昭和6年)  勝ひさの
〇政子甘露台  (昭和9年)  渡邉よそ
〇天理神之打明場所 (昭和12年) 山田梅次郎
〇天理甘露台  (昭和17年) 上野のぶ子
〇神一条打明場所(神一条教) (昭和17年)  米谷クニ
〇おうかんみち (昭和21年) 江上寿胤
〇ほんぶしん  (昭和37年) 大西玉→武田宗真
〇神之内分場所  (昭和51年) 渡邉秀子

63年の間に10人もいるのです。そして重なっている人もいるのです。無くなった団体もいます。
これだけたくさんの人が自分が甘露台であると言ってます。即ち、ほとんどが本席のおさしづや自分の啓示から解釈して
自分自身が正統であると言っています。天啓者だけにすれば他にもっと多くの人がいます。
だから、その中の一人を信用できるわけがないでしょう。

そして、この様な人達が共通しているのは、おさしづを主要な資料としている事だが、先に本席のおさしづがあり、
後からその中の一人のさしづを絡ませるのは後出しじゃんけんのように信頼性に欠ける。

197:天理教H
19/01/03 00:12:29.44 8udh8Z7a2
そして、渡邉秀子氏は、政子甘露台の渡邉よそ氏とは叔母 姪の関係らしいですが、
渡邉よその前生が中山みきの娘であるおまさ、ご主人の前生が秀司と天啓で出てますと言いますが、
おまささんは、教祖の前半のひながたを伝える貴重な存在意義はあり、嫌味を言って正味とかすを分ける「箕の役」でしたが、
酒ぐせが悪くて、その頃の人々から持て余し者で「ほこりの屋形」と言われていた人ですね。

秀司さんの生まれかわりは2代真柱です。2代真柱が生まれた時の本席の言動が証明しています。
それと誰々の生まれかわりで価値を見出そうとするおぞましさ、おふでさきの中に屋敷内の人に前生が道具、雛形であったとは述べてますが、
つとめ人衆は多くの用木の心を見てその中から親神様の思召しに叶う者を役割にすると述べてます。
教祖でさえ40年間、月日が心を見澄まされた上で天降ってます。そして、本席は前生が道具、雛形ではありませんでした。

つまり、それは前生のいんねんはあるが親神様は今生の心の在り方に重きを得ているのではないでしょうか。
天理教の教祖と関係なく人が助かっていく手段の一つ各宗教の教主が教える教義ならいいですが、
それを天理教の教組の存在が雛形で渡邉秀子氏が実物であり人間の地場だと言うのでしたら違います。

それでは、解ったふりでツッコミどころ満載やとおぼろげながら非難する訳ではなく、実際に一つ一つを挙げていきましょう。

198:天理教H
19/01/03 00:15:56.51 8udh8Z7a2
>>44-45

元治元年のつとめ場所棟上と115歳定命をかけていますが、教祖は「この普請は、三十年の見込み。」と仰せになり、
史実では其れに関わった本席が元治元年から数えで30年後明治26年に竣工した本席御用場に移っています。
これの意味するところは、「つとめ」と「さづけ」に関する事。だから、つとめ場所棟上と115歳定命の事柄は関係ありません。

199:天理教H
19/01/03 00:18:59.24 8udh8Z7a2
>>91
>教祖は「わしはひながたやで」と言われてる様に弥勒菩薩を出すが為のひな
>がたとなられました。本部は信者が道を通るが為のひながたと説きました。
>それは無理があります。教祖は神のやしろで有り天啓通りに通られただけです。

教祖は「わしはひながたやで」と仰られたのも、自ら歩んで助かる道を示され「どんな道も親が通りた道である」と仰っています。
親が子供たちが道を通るのに迷わない様に先に道を通ったのです。それは、山の中で道をつける事と同じであり、
その道がなければ遭難します。教祖は人間の親です。その親が子に解りやすいように自ら通る事によって見せたのです。
それがひながたと言うのです。

「をや一つの道、どういう道を通りたなあ」M22.8.12
「どのような道も皆々五十年の間の道を手本にしてくれねばならんで。」M20.陰5

200:天理教H
19/01/03 00:24:09.12 8udh8Z7a2
教祖は神の社になってから親神様であり、我が子である人間をたすけたい、成人させたいとばかり思う教祖しか存在しません。

にち/\にをやのしやんとゆうものわ たすけるもよふばかりをもてる (14-35)

その教祖は今も”ぢば”に居て皆が知ろうか信じまいか関係なく日々働いているのです。
だから、教祖は弥勒菩薩のひながたではありません。教祖は多くの人々を救済する仏教で言ったら弥勒菩薩でもあります。

ひながた”かんろだい”も石造りにたいして木製であるからであり、もし人間が”かんろだい”であるなら、
ひながた”かんろだい”も人間の形をしていなければならないでしょう。教祖直々に”かんろだい”の寸法を指導され、
そして、「このよふハりいでせめたるせかいなり」とかんろだい寸法の理もあります。

かんろたいすへるところをしいかりと ぢばのところを心づもりを (9-19)
このやしきかんろふだいをすへるのハ にんけんはじめかけたしよこふ (10-79)
にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや (17-9)

つまり、”かんろだい”とは、人間始めた元なるぢばに、その証拠として据える台で、人間の創造と、その成人の理とを現して形造っています。

このはなしどふゆう事であろをなら かんろふたいにひらばちをのせ (8-80)
人間に平鉢を載せるのですか?

そのうゑゝひらばちのせてをいたなら それよりたしかぢきもつをやろ (9-60)
成人したその先に、病まず死なず弱らずの甘露を授けようとしているのです。
それを形造っているのです。

そして、
このたいがみなそろいさいしたならば どんな事をがかなハんでなし (17-10)
「皆揃いさえしたならば」とお書きになっているので、複数の人間甘露台�


201:ェ必要なのですか?そうではなく、石造りの台が十三段全部揃ったならば、どのような願いも叶わんということはないと言う意味です。



202:天理教H
19/01/03 00:29:21.95 8udh8Z7a2
>>91
>昭和五十一年三月十五日(教祖九十年祭の年)朝六時頃
>五十代の女の人が目覚めたら白いカーテンの様な物があり一文字十センチ真四角位の
>大きさで金文字がゆっくりと
>「わがみにも うれしきことや ひのあたる  ときがきたぞや いましあわせに」
>コレが最初の天啓で 本人も びっくりして そこに有った紙と鉛筆で 歌を書かれました

教祖に月日が天降った時は、我が嬉しいとか日の当たるとか今幸せになるとか教祖の思いは、何一つ出てこないし、
月日も教祖自身に了承を取ったわけではないのです。そして、教祖の心には我を思う心なく子をたすけたい心しかありません。

203:天理教H
19/01/03 08:01:19.33 8udh8Z7a2
>>91 >>93 >>170
>明治二十一年六月二十三日
>甘ろ台一つ人間定めてある何でも一日ある楽しみあると言う事を治めて貰いたい。

人間甘露台を説いている方が良く引用されているおさしづでありますが、伺いのさしづの中に刻限のさしづを混ぜることはありますが、
おさしづ編纂をした桝井孝四郎曰く「おさしづとその時の事情とを切り離した時には、全くさとりの方向もつかないものも出来てくる。
だからおさしづは史実と言うものと切る事に出来ない関係がある。」と述べています。

例えば一例を挙げるなら、
「人が障りがあればあれほこりやと言う。どうも情無い。」(M22.10.9)
では、文言だけを見れば、身上の人をあれは埃が現れていると言う人は情けないと言った意味と捉えやすいですが、
そうでなくその時の事情を考慮に入れれば、本部の人達が刻限を聞き分ける事が出来ない為に現した身上を埃だと
片付ける事に対して情けないと仰った事だと分かります。

そして、
「かんろだい一つ人間定めてある。何でも一日ある、楽しみある、という事を治めて貰いたい。」

このおさしづは、明治二十一年六月二十三日(陰暦五月十四日)に、ぢばに於て分教会所設置の件を伺っているおさしづです。
当時としては、教会本部を東京で認可をもらっていたのだが、さかのぼること認可を貰う発端となったのは、
かぐらつとめを夜明け前の早朝にして、隠密に執行しようとした教祖1年祭が自然と参拝人が集まり、
大神教会の告げ口で警察によって祭典中止にさせられたことです。

204:天理教H
19/01/03 08:12:07.03 8udh8Z7a2
そこで明治二十一年三月九日(陰暦正月二十七日)に伺い「ふしからふしからの芽が出てある。こんな中から芽が出る。
一寸の芽は一寸取れる、すっきり取れる。すっきり掃除。」
 →大神教会の傘下からの脱却。
※明治18年から明治21年まで所属、4月10日の神道直轄天理教会認可で大神教会との関係がなくなる。
追て伺「十分道と言えば、世界から付けに来る。世界からろくぢという道を付き来る。」
 →こっそりかぐらつとめを勤めていたのを公の機関によって堂々と勤められるようになる。
天理教会設立の伺「どんな道も連れて通ろう。一つ理も立てよ/\。十分の理を立つものと、一つの所に日々一つの道を付けようと思う。」
 →ちばから許しだす天理教会の道。
又、教会設立を運ぶに付心得「一つ所本部々々。これまでも伝えてある。あちらも本部々々、どんと十分の所に行かんと、
思案々々。……ぢば一つ理は、独り立ち出来てあるのやで。今一時の所を変えて。」
 →ぢば以外に本部を置くのは、十分に治まらない。ぢばは他から許可をもらって成り立っている訳ではなく独り成り立っている所であるが、
一時的に別の場所で他からの許可をもらう。

天理教会設立認可出願先を飯田宅で会議して東京に決定。

明治二十一年三月十一日
清水与之助、諸井国三郎の両人、教会本部設置願の件に付東京行伺
「いずれの理一つの事情という。……幾重の道も連れて通る。」
 →いずれぢばに本部を移さなければならないが、どんな道も連れて通る。

明治二十一年四月十日 「神道直轄天理教会」東京府知事より認可。

親神様は本部をぢばに移して秋に天理教会本部開筵式で忙しい事を、
明治二十一年四月十七日 夜九時の刻限
「これまで秋を合図と言うてある。十分運び出来てある。こんな忙しい、世界も忙し年に、一度忙し刻限、
皆それ/\へ合図立て合い、刻限それ/\へも伝えて教えて置け。」で知らせ、

本部移転を、本席御障りに付おさしづ(明治二十一年六月三日 十時頃)から段々と、本席身上おさしづ(明治二十一年六月五日)で
日柄刻限外さんように、御諭(明治二十一年六月八日)で早くと仰られ、本席の御障りに付きおさしづ(明治二十一年六月二十一日)で、
せかされているのです。

205:天理教H
19/01/03 08:16:53.61 8udh8Z7a2
しかし、高弟達は”ぢば”に本部でなく分教会を設置しようとしたので

「かんろだい一つ」→元なるぢばを教える。
いまゝでハこのよはしめたにんけんの もとなるぢばわたれもしらんで (17-34)
このたびハこのしんちつをせかへちうゑ どふぞしいかりをしゑたいから (17-35)
それゆへにかんろふたいをはじめたわ ほんもとなるのところなるのや (17-36)

「人間(をたすけたいから)定めてある。」
こんな事はじめかけるとゆうのもな せかいぢううをたすけたいから (17-37)

「何でも一日ある、楽しみある、という事を治めて貰いたい。」
かんろたいすへるところをしいかりと ぢばのところを心づもりを (9-19)
これさいかたしかさだめてをいたなら とんな事でもあふなきハない (9-20)

ぢば定めから始まる一日であると言う事と楽しみ(案じるでない、治まっていく)という事を治めてもらいたいと言うおさしづがあるのです。

206:天理教H
19/01/03 08:26:59.46 8udh8Z7a2
そして次のおさしづ
明治二十一年六月二十七日(陰暦五月十八日)本席御障りに付伺
「一寸細々の道を許してある。これまで通り替わりてある。早く理を運び替え。一寸世界から押されぬよう、細々の道なら早くに運んで了え。」
 →天理教会は許してある。世間に押されない様に早く本部をぢばに運び替えよ。

明治二十一年七月二日(陰暦五月二十三日)午前六時
本席腹下るに付伺
「遠く/\の理は、一寸世界の理。神の理は、さあ/\一時ならん。一時の間にも、一時急ぐ/\処は急がねばならん。
急がいでも/\よい事を急いでならん。」
 →本部を東京に置くのは、遠くの理で世界の理。ぢばに本部を置く神の理とは違う。早く移転を急がねばならない。
分教会設置を急がなくてもよい事を急ぐでない。

右に付、教会本部をぢばへ引移りの事を押して願
「世界で所を変えて本部々々と言うて、今上も言うて居れども、あちらにも本部と言うて居れど、何にも分からん。
ぢばに一つの理があればこそ、世界は治まる。ぢばがありて、世界治まる。さあ/\心定めよ。」

明治二十一年七月三日(陰暦五月二十四日)
本席の御障りに付おさしづ
「本部々々、あちらも本部。変わる出ける残る理と、かんろうだい一つ、何にも分からんでない。出掛けたら見にゃならん/\。
第一の理が分からん。大層であろう/\。よう聞け。何でも道を出さねばならん。先ず/\このぢば・かんろうだい一つ、
何でも彼でも運ばにゃならん。どんな道、世界の道、ほんの気休めである。発端の道、何か急いで取り掛かれ/\。」
 →世界の道は気休めなのだが、ぢば・かんろうだい一つは、発端の道であり、この道は出さねばならない。

明治二十一年七月十一日(陰暦六月三日)
本部をおぢばへ移転するに付、奈良県庁へ届書にして宜しきや、又、願にして宜しきや伺
「この度皆世界から押されるから、一寸細い道を許したもの。どうでもこうでも、一つの道通らにゃならん。そこで早く/\道を運んで了え。」

207:天理教H
19/01/03 08:28:24.53 8udh8Z7a2
明治二十一年七月十三日
東京本局へ、奈良県への届を書し、添書頼みに行くに付願
「神一条の道を胸に治めて、世界の理を運ぶよう。まあ暫くの処と思う者もある。なれど神が入り込み守護をする。安心の道運ぶ。
道だけ早く早く運んで了うよう。」
 →暫く本部を東京に置いていればと言う者もあるが、その者に神が入りうまく事が運ぶように守護する。

明治二十一年七月二十三日
東京より届書の添書帰りて願
「さあ/\神一条の理は一夜の間にも入り込むなら、どうしようとままや。朝あちら向いて居るを、こちら向けるは何でもない。」
 →神一条の心で運ぶ事柄は、意に反する者を思い通りにするのは何でもない。

そして、同日(明治二十一年七月二十三日)に奈良県庁に天理教会所移転御届を神道管長の添書、東京府認可の写しなどを出願して、
即刻受理されたので、晴れて本部移転がかなったのです。
そして、明治二十一年十一月十一日(陰暦十月二十六日)教会本部開筵式で初めて公然とかぐらつとめが勤められたのです。
この日から三日間にわたる祝典は、お屋敷内は盛況をきわめた。

208:天理教H
19/01/03 16:29:14.87 8udh8Z7a2
なにもかもあきをあいづにみへかける よふきづとめにはやくかゝれよ (6-13)
明治八年にぢば定め、つとめが全体にわたって整えられ、それ以降つとめ人衆を揃えられた。
明治十五年に教祖は、「合図立合い、/\。」と仰せられ、一列澄ます為のかんろだい普請がかんろだいの石が没収、
そして、一列澄ましてに変更になり、たすけを急ぐ為に十月十二日から十月二十六日まで、
教祖自ら北の上段の間にお出ましの上、毎日々々つとめが行われた。即ち、善と悪が立合い。
そして、扉を開いて明治二十一年の秋に今までこっそりと(陰気に)勤めていたかぐらつとめが堂々と(陽気に)勤められたのである。

おふでさき第六号の執筆は、明治七年十二月(M7.12.1?陰M7.10.23?~陽M7.12.31?陰M7.11.23?)より
明治八年一月(M8.1.1?陰M7.11.24?~陽M8.1.31?陰M7.12.24?)までです。
その第六号十三は、一~十六で一区切りなので明治七年十二月中に執筆されたと思いますので、それから丁度十四年後、
数えで十五年後の秋、公然とかぐらつとめが勤められた。
たん/\と十五日よりみゑかける 善とあくとハみなあらハれる (2-44)

この様におふでさきの予言から数々のおさしづの刻限で旬を外さない様に史実へと繋がるのです。

親神様の神意にすぐに本部の移転があって、しかし、高弟達は、東京で認可してすぐに奈良に
本部を移せば世間からどのように思われるかも知れないその中で、とりあえず”ぢば”に分教会設置を伺ったのです。
そこで親神様は、かんろだいは一つであり、それはぢばに据えられているのであり、ぢば以外に本部を置くのは、
それはぢはに一つの理とはならないので、分教会を設置するのでなく本部をちばに移しなさいと仰っているのです。
それは、ぢばに一つの理があればこそ、世界は治まるのです。

それなのになぜ”かんろだい”が人間になる刻限を入れなければならないのですか?
前後のおさしづと史実と文脈を考えれば違うというところが解ると思いますが。
だから「かんろだい一つ(を)人間(に)定めてある」ではなく、おそらく「かんろだい一つ(据える所の”ぢば”は)
人間(をたすけたいから)定めてある」になるのでしょう。

209:天理教H
19/01/03 16:49:56.71 8udh8Z7a2
にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや (17-9)
このたいがみなそろいさいしたならば どんな事をがかなハんでなし (17-10)
それまでにせかいぢううをとこまでも むねのそふぢをせねばならんで (17-11)

石造りのかんろだいの完成が先ではなく、かんろだい(本元の真実)一条によって人々の心を澄ますのを先にしなければならないと言うことです。

あしきをはらうてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい
このかんろだいの部分のお手振りはかんろだいの形を現しています。

そしてそれが
いまゝでも今がこのよのはじまりと ゆうてあれどもなんの事やら (7-35)
太古の昔にぢばで人間を始められた事と同じく、天保九年、親神様がこの世の表に現れ陽気ゆさんの世界を初めていた。

いまゝてにない事ばかりゆいかけて よろづたすけのつとめをしへる (6-29)
つとめでもどふゆうつとめするならば かんろふだいのつとめいちゞよ (10-21)
はや/\と心そろをてしいかりと つとめするならせかいをさまる (14-92)
このよふをはじめかけたもをなぢ事 ないにんけんをはちめかけたで (15-54)
これさいかはじめかけたる事ならば とんなたすけもみなうけやうで (15-55)

それを目に見える形でかんろだいを建てて、そこを芯として、心を揃えてつとめをする事によって御守護を見せようとした


210:。それが、かんろだいの石の取り払いという迫害干渉にあって「いちれつすますかんろだい」から「いちれつすましてかんろだい」へとおつとめか変わり、人々の心を澄ましてからに変更になったが、それらを含めても明治八年六月二十九日(陰暦五月二十六日)のぢば定めが一日であり、月日が最初に中山みきに天降ったのもちばの所です。それから始まる一日であり、それぞれの人間がお道に出会い話をぢばで聞く事も一日であり、天理教教会の許可する事も、それは全てぢばから始まる姿であって、皆の心が伴って、それが治まっていく事に繋がっていくのです。



211:天理教H
19/01/03 17:13:34.48 8udh8Z7a2
>>95
>神が実の箱に入れて置いた事、みな知っている、聞いている。
>その中のもの外に出して、風を通さな、くさるもの、くさるような事で、なんぼ道やと
>言うていたところが、神が承知出けん。
>どんな山でも大風ふかして、一夜の間にも一列ろくじにならすには、山くり抜くより
>道は無い、

これと明治二十年三月二十二日(陰暦二月二十八日)二時 刻限御話と明治二十年三月十一日(陰暦二月十七日)午後十二時 刻限御話をかけていますが、
明治二十年三月二十二日のおさしづの「風は神や。風がかりもの無うては、箱に物を入れて蓋を閉め切りた如く、
腐ろうより仕様の無いもの。風がそよ/\あるので、半日や一日は送れるで。」は外に出して風を通す事でなく、
少しの風があればこそ腐らないと仰ったのです。それは多少の事情は、それは腐らない為の少しの風と仰るのです。

しかし、今は大風だがそれに歯向かえば自ら倒れる事になるので放って置き、「今までに教えたるは腹の立たぬよう、
何も心に掛けぬよう、心澄み切る教やで。」と仰せのように人から何か腹立たしい事や気にかかる言動を気にするなと仰っているのです。
史実でも教祖の御遺骸を一旦、頭光寺の中山家の墓地へ埋葬され今後の新墓地の話をされていて、
その過程で色んな問題や腹の立つような意見を聞いていたのです。

おさしづでの大風の用い方は、人間にとって感じる悪い例え話であり、おふでさきの直接指す「をふかぜ」と違うのです。
だから、おさしづの大風は山を刳り抜くためのおさしづと繋がらないのです。

212:天理教H
19/01/03 17:21:08.96 8udh8Z7a2
>>96
>仕事場/\と、言うた処で なにもわからん。
>神の話しを打分ける所 場所と言う。神の仕事場 よごれていては、なにもならぬで、そこであちらにこさし、こちらにこさし、
>やっときれいな仕事場にした。
>神の望む処で話しするのや。

仕事場は場所ではありません。

明治二十年三月二十五日 午前五時三十分 刻限御話
「心の働きを見て、心の尽したるを受け取りてあるから、やりたいものが沢山にありながら、今までの仕事場では、渡した処が、
今までの昵懇の中である故に、心安い間柄で渡したように思うであろう。この渡しものというは、天のあたゑで、それに区別がある。
この通りに、受け取りてあるものがある。それを渡すには、どうも今の処の仕事場と言うた事を消して、本席と定めて渡そうと思えども、
このまゝでは残念々々。さあさあ本席と承知が出けたか/\。さあ、一体承知か。」

真之亮より、飯降伊蔵の身上差上げ、妻子は私引受け、本席と承知の旨申上ぐれば、引続いて
「一寸頼み置くと言うは、席と定めたるといえども、今一時にどうせいと言うでない。三人五人十人同じ同席という。
その内に、綾錦のその上へ絹を着せたようなものである。それから伝える話もある。」

と仕事場から本席となる飯降伊蔵の事なのです。

213:天理教H
19/01/04 00:11:11.51 RgUl2cWNG
>>98
>明治二十二年十一月二日
>一、二、三の印を打ったら神一条の道
>「一、二、三とは百日のさしづで言われて有る三軒三棟の事です。ふでさき、さしづ、みかぐらうたは先の事を
>言われて有る予言書で有り、当時の事を台にして先のことを言って有ります。それも伏せこみの言葉でですね。
>伏せこみとは言葉の伏せ込みの事です。」

三軒三棟が建つ事は順序が成り立つ事でありますが、それは二の部分です。その二には真柱も含まれています。
三軒三棟の直接の意味は、「掛かり親子諸共親子諸共伏せ込んだ理、親子諸共の理、棟三軒の理」
つまり、親子諸共伏せ込んだ飯降家です。

一二三は、順序ですが、
明治二十二年十一月二日(陰暦十月十日)午後九時 本席身上障り願
「往還道通すと、どんと油断してどうもならん。長い間、道理上の道を通れとは言わん。何年々々の切りを切りて置こう。
さあ/\一二三々々々の切りを切りて置こう。一二三の印の間、世界の道理上で通る。道理上ばかりで通す。
……どうでもこうでも、言わにゃならん、聞かにゃならん、聞かさにゃならん。三つ理を。」

その三つ理は、
明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話
「まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。」
明治二十二年十一月九日(陰暦十月十七日)午後十時半 刻限御話
「遠く事情世界と言う。成らん事情を無理に通れ。長く事情やない。さあ/\まあ一寸今という今、もうこれ譬え一つの理を諭して、
もうこれ三年々々という理を諭し掛けたら、どういう事であろう。三年の理を待ち兼ねる/\。一寸一日二日三日つい経つものや。
三年と言えば長いように思う。一度定めた心は生涯という。」と「三つ理」は「三つ」と「三年の理」と同じであります。
明治二十五年七月二十七日のおさしづで「三年という、千日というて定めたる。千日先というはこうなる。三年以前に諭したる。」
があるように、つまり、三つ理は三年のひながたの道であり、一二三の切りは、三年の通りにくい道なのです。

214:天理教H
19/01/04 00:17:38.86 RgUl2cWNG
そして、一二三の印は、明治二十五年七月二十七日のおさしづで「一二三との印を打って尋ねる。」とあり、
それは割書で「前おさしづより一同決議の上左の項を分かちて願」と伺っているので前おさしづが解ることが一二三との印を打つこと同じであります。

その前の明治二十五年七月二十五日のおさしづを見てみると「一席という、又一席、又一席、よく聞いて事情に道があれば道がある。
理があれば理がある。支教会や支教会、分教会を題として、支教会出張所と言う。つゝまる処、一人とも言うであろ。
これまでの事情には、とんと分かり難ない。一日々々の理の治まり、一つ/\の道の理、どれだけ切なみ悩んで居るといえど、
何時なりと諭す。なれど、聞き分けにゃ何にもならん。高い所出ける、多く出来る。一時に聞かす。何ぼ尋ねたとて、
理に聞き分け無くば、納してあるも同じ事。悟りというは、幾重の理もある。一日勤まらん、二日勤まらん、三日勤まらん。今度は計られん。」

大意
別席の話をよく聞いて事情の中で用いれば道がある。それは理があることでもある。分教会を中心に置き支教会出張所と言うが
行く着くところ一人(教祖)と言うだろう。これまで皆は全然解ってない。一日一日の理の治まり、一つ一つの道の理を
皆がやりきれなくて悩んでいても何時でも諭す。しかし聞き分けなければ何もならない。明治政府から多く意見が出る。
それで何度もおさしづを伺っても理を聞き分けなければしまってある事と同じである。そして、悟りも多岐に亘る。
聞き分けできなければ一日、二日、三日と勤まらない。そうなれば今度の事情(本席が三日席御休みになり肩凝り付ける)はおしはかることができない。

215:天理教H
19/01/04 00:18:26.41 RgUl2cWNG
つまり、「一二三との印」は一日の理の治まり、一つの道の理を聞き分ける事が一つの印となり(一日?一年?の治まり)、
それを二日、三日(二年、三年)と新たに聞き分ける事が二三との印になる。それが神一条の道となるのです。
簡単に言えば刻限を出して一つ一つ組み合わせるように皆が聞き分けることです。

そして、それが一二三の切りの間は世界の道理上の道を通るが一二三との印を打って神一条の道を通り、
その三の切りの間を超せば「三年経てば、偉い事に成るのやで。」と仰るように、
史実でも明治二十二年から数えで三年後の明治二十四年に盛況を極め滞りなく教組五年祭が勤め終


216:えれ、翌年も教祖墓地改葬で各教会からの協力と多くの人がひのきしんに参加する壮大な光景であった。これ以後の教勢は目覚ましく躍進を遂げる事になります。



217:天理教H
19/01/04 00:23:44.14 RgUl2cWNG
追記 訂正?は、二重括弧です。

218:天理教H
19/01/04 00:26:10.54 RgUl2cWNG
基本さんの解釈は、二代真柱は復元の真柱であって、明治22年の刻限の123 123の切りの予言がある。
>>14 の 刻限で諭された内容 123で30年、最初の復元(増野鼓雪の青年会)、次の123で60年。
天理教教義は復元されました。それが天理教教典です。

即ち三十年で復元です。
123の切りが三十年でいくと教祖が扉を開かれて数えで三十年後(1916年)には、
内務省訓令で改められていた朝夕のおつとめが復元(あしきをはらうてが唱えられるようになる)。
それから三十年後(1946年)には、二代真柱が復元の徹底のためにふでさき講義や各地を巡教とそれぞれ復元しています。

どちらも、一、二、三とは百日のさしづで言われて有る三軒三棟の事ではありません。

刻限自体は、決まった理を知らす事情、当時の事の言っているなら、当時の事柄を先でこうしなさいと言う事であり、
何も伏せ込む言葉ではありません。むしろ解るようにしなければ「刻限遅れると皆遅れる。どきはきの道を通らにゃならん。」
となるのです。そして、おさしづを悟り様で甘いものでも辛いと言えば無意味なもの。

219:天理教H
19/01/04 00:31:24.56 RgUl2cWNG
>>99
>甘ろとは天啓のことです

違います。
かんろとは、仏教では、スッタニパータでの甘露の原語amataは「不死」という意味もあります。

「本草綱目」という本には、甘露というものは、膏のような露である。また瑞露と言ってめでたい露である。
また、天酒と言って天から下される御酒である。また神様の下さる飲み物、即ち神漿である。
「北史節要」「文徳実録」には、甘露が降ったと書いてあります。大和にも降ったと記録されています。                                            (おかぐらのうた 上田嘉成)

つまり、中華世界古代の伝承で、天から降る甘い液体とサンスクリット語の不死を同一視した漢訳仏典があり、
その後、日本でも空から降ってくる薬と言う認識があったのです。故に教祖は、「かんろ』の意味が解って受け入れられやすい環境で説いたのです。

つとめに天からかんろを降ろすとおっしゃる。肝心要のかんろとおっしゃる。その人によって寿命を違う、
その寿命の継ぎ目の肝心な時に継いでもらうのがかんろである。それで寿命薬である。
神様はかんろをやるとおっしゃる。しかし人の心の澄むまでは、かんろを与えても、出した手が引けぬ(手がしゃちこばって動かなくなる)。
しゃちこばれば恐ろしい神様やというて人は怖がる。それで話をよく聞かして心を澄まし切ってからかんろを与えるとおっしゃる。
                  (みかぐらうた語り艸 桝井孝四郎)

だから、かんろは寿命薬です。
かんろだいが完成したその暁には天から寿命薬であるぢきもつ(かんろ)を授けられ、教祖から各自の心を見定められ渡されるのです。

220:天理教H
19/01/04 00:31:58.48 RgUl2cWNG
死は誰にでも、必ず訪れます。そして、人間は誰しも死ぬと解っていても死が間近に迫れば恐怖があります、
それが若ければなおさらです、愛する者を亡くす辛さも持っています。その人間の心の叫びを執着心を捨てる、
極楽や天国に行く、来生や復活に思いをはせる事によって拭うてきた「死」に対する重い課題に対して、

神の心の真実は、
だん/\とせかいぢううをしんぢつに たすけるもよふはかりするぞや (4-36)
そのゝちハやまずしなすによハらすに 心したいにいつまでもいよ (4-37)
またさきハねんけんたちた事ならば としをよるめハさらにないぞや (4-38)
115歳定命を超えたその先の寿命を授けるための思いがあるのです。

221:神も仏も名無しさん
19/01/04 13:09:14.45 nIXrD742W
児玉健次教諭と、愛媛県伊予市の『濱田屋』の息子が「誰だってイヤだ!」
という意味のことを言ってきたが、
☆凄くモテるS川クンから中学の部活で「お前、かわいいんよ!」とか「こんなかわいい奴がこの世に存在してええん?!」
と言われたり、
☆小学校高学年で3人から好きになられたり、小学校2年生の3学期にモテるK下クンと友達でした。

なのに、「港南中学校にいた松尾多美子」教諭が「誰が相手にするんで!!」だの言い
【伊予高校】にいた【愛媛県松山市在住の冨田徳生】教諭が「誰もが鬱陶しいと思うとらい!!」「百人中百人が!」
と言い、その冨田徳生の
当時の同僚の『橋本(=堀川映子)』や古茂田は偽善者だからキレイごとを言いながら頭では冨田徳生と同じようにバカにしてた。←まともだったころのボクも知らずに!!!!!!!

【高校教師の橋本(=堀川映子】偽善者がバカにしてた【北橋やバカの山中】

☆本当にわかってくれた(無知じゃなかった)のは『戒田育子先生♪』『池田和子先生』『高田恭子先生♪☆』『神野正憲先生☆』♪、、。。
尊敬してたのは『福田尚睦先生☆♪』☆

222:神も仏も名無しさん
19/01/04 13:23:44.95 nIXrD742W
URLリンク(www.asahi.com)

URLリンク(www.tbs.co.jp)

URLリンク(www.fujitv.co.jp)

URLリンク(www.eat.jp)

223:神之打分場所M
19/01/04 14:44:32.54 Oy5R3Hbrv
カインは教理を知らず社会学上、問題提起して本部を改革しようとしています。
それも一つの道理でしよう。
色々書いて下さり参考になります。
今私は出先なので資料もない中ですが書かせて頂きます。
平行線になるだろうと思いますが、
明治二十一年六月二十三日
「かんろだい一つ人間定めてある。何でも一日ある、楽しみある、という事を治めて貰いたい。」
さしづは素直に読むことも大切では無いでしようか。
中に字を差し込むと違った意味になり、我が身勝手の解釈となりやすい。
でもさしづはその時を台にして先の事を言って有ります。意味がわからないように言って有るのです。そして先で分かるように。
高弟の桝井孝四郎が言われてもです。おふでさきのかんろふだいと言うもじは
かんろふたい(甘露婦体)かんろふ大(甘露婦大)かんろふだい(甘露婦台)かんろたい(甘露体)まだ有ると思いますが。
甘露とは天啓の事で婦人の体に天啓が降りる事を伏せ込んで有ります。
天啓で始まった天理教にどうして神様を治め無いのでしようか?
おふでさきにもありますが
このよふをはじめてからにないつとめ  またはじめかけたしかおさめる  と
でも此処に書いておきます。渡邉秀子様 昨年十二月三十一日に安らかに眠りにつかれました。齢九十八歳で今日がお通やです。

224:天理教H
19/01/04 20:10:12.40 RgUl2cWNG
>>209
>さしづは素直に読むことも大切では無いでしようか。
>中に字を差し込むと違った意味になり、我が身勝手の解釈となりやすい。

我が身勝手の解釈でなく、史実やおふでさき、おさしづから導き出した解釈です。
後での投稿についての反論は随時載せていきますが、出来れば神之打分場所Mさんの方から人間甘露台が正しい前程としてではなく、
客観的な共通の資料に基づき、根拠を示しながら反論して頂きたい。

>おふでさきのかんろふだいと言うもじは
>かんろふたい(甘露婦体)かんろふ大(甘露婦大)かんろふだい(甘露婦台)かんろたい(甘露体)まだ
>有ると思いますが。
>甘露とは天啓の事で婦人の体に天啓が降りる事を伏せ込んで有ります。

おふでさきの「かんろふたい」の「ふ」は、歴史的仮名遣いで現代仮名遣いに直せば「う」です。
他のおふでさきの語句も歴史的仮名遣いでお書きになっている所があります。
「ふ」を「婦」にする。それこそ我が身勝手な解釈ではありませんか?

225:天理教H
19/01/04 23:18:50.53 RgUl2cWNG
>>100
>三尺に六かく  又三十六人とは何でしょうか?
>決して大きさや人数を言われている訳ではなく、雛形としては良いのですが、
>それはあくまでも雛形で有って、伏せこみの言葉でございます。
>36で弥勒です。差し渡し三尺は対辺でも対角でも良し36の言葉が大事な
>ので有ります。つとめ人衆も36人とはならないでしょう。

三尺は三日三夜に宿し込み、三年三月留まった理。六角は人間はじまりの元六台。
36人もつとめ人衆すべてでなく「てをどり」6人6組で36人に当てはまります。
36の言葉が大事でなく3と6が大事なのです。
3は、身につく、三日三夜の宿し込み、三年三月留り、おさづけも三三三、おびや御供も三つ渡されます。
6は、六だいおさまる、6人6組、「六だい一つの理、それより理を始める」、
六台はくにとこたち、をもたり、くにさづち、月よみ、いざなぎ、いざなみのみことです。
実物のかんろだいの形こそ深い意味が込められているのです。

226:天理教H
19/01/04 23:21:53.36 RgUl2cWNG
>>102
>楽しまして、たんのう大きい木あるわ。
>>103
>たんのうを木はしません。たんのうするのは人間だけです。

初めに公刊されたおさしづも現在のおさしづ改修版も、「楽しまして、たんのう。大きい木あるわ。」
とたんのうの後ろには句読点があるのでたんのうと大きい木は区切ります。
即ち、普請の段取りをはじめる事により本席を楽しませ満足させなければならないと言う事です。

>大きい木一本では、普請も出来ません。

明治三十九年五月二十ハ日
木と仰せ下さる処、理の木でありますか、又は現場の木でありますかと申し上げ
「一本一本買うて、買おうと思えば大層であるけれど、買うて一寸切ってはつってすれば、十分の木出ける。」

大意
買い足して行こうと思えば大層だけど、大きい木一本を買って切って削っておけば、普請に十分の木が出ける。

そして、それが「一本の木から定約出けたら、一本の木から追々出ける。」先で多くの木を買い入れる事が出来るのです。

227:天理教H
19/01/04 23:28:37.03 RgUl2cWNG
>>103
>みかぐらうた五下り目 かうをむすぼやないかいな
             六下り目  ひとつのかうをもみにゃならぬ
>かうとは講では有りません。信者の集まりを指して居るのでなく、買うと言う事です。
>人と人の約束事、条約では無く、人と神との条約で、初代真柱に半ば強引に約束させられたのでしょう。
>みかぐらうたにはっきりと「かう」と書かれて有る事思案して頂きたいのです。
>教祖おやさまは娘であるおはるさんを梶本家へ嫁がせ、孫である新治郎を真柱の真之亮として迎え入れま
>した。これは外孫です。真柱は外から入れるという事を雛形として教えて有ります。

みかぐらうた「買う」とおさしづ「大きい木」、外から真柱を向かい入れた雛形より、外から渡邉秀子氏を迎え入れるという的外れな解釈をしてますが、
現代仮名遣いの「こう」は、歴史的仮名遣いで「かう」であり、もし、「かう」が買うなら歴史的仮名遣いでは「かふ」になります。
だから、「かう」を「こう(講)」と解釈するのが正解です。

教祖伝でも『明治十一年:「講を結べ。」と、お急込み頂いたのは、文久、元治の頃に始まり、早くもその萌しはあったが、
明治十一年四月頃には、秀司を講元とする真明講が結ばれて居た。』とあり、それより前に慶応3年に矢部村講中、七条村講中があったのです。
つまり、教祖のお言葉があり講が出来たのです。そして「結ぶ」は約束ではなく、繋がりなのです。

逸話編にこかんさんの出直しによって教祖の言葉を考え、懺悔して改め、皆が信仰していくために講を結ぶ事(各自の心の動きが勇んで一つになる)
に教祖は大層喜ばれたのです。
そして、真柱を外から入れる事を強調した訳ではなく、心低い母の娘元始まりにいんねんあるお秀の魂をたまへとして、
これまた元始まりにいんねんある教祖に理解があり若い時からこうのうを積んでいた前川の父半七正信の魂を眞之亮、
その二人を夫婦とするため、道具の製造・修理をする鍛冶屋から生屋敷に迎え入れたのです。

そして、六下り目の「かう」は、次の「このたびみえました あふぎのうかゞひこれふしぎ」とあるので「かう」は効能の「効」です。

228:天理教H
19/01/04 23:30:54.94 RgUl2cWNG
>>106
>ふでさき九号
>五十五   これをみよたしかに月日ぢきもつの     あたゑしいかりたしかわたする
>六十     そのうゑえひらばちのせてをいたなら     それよりたしかぢきもつをやろ
>六十一   ぢきもつをたれにあたへる事ならば      このよはじめたをやにわたする

五十九 このだいもたん/\/\とつみあけて またそのゆへハ二尺四すんに
このおふでさき一首を抜かしたらいけませんね。

229:天理教H
19/01/07 23:03:22.34 6QG6EyUso
まだまだ投稿しようとした文がありますが、もうやめておきます。

>>181
補足として、勘違いするのが、
子が可愛いとか「神というものは、難儀さそう、困らそうという神は出て居んで。」だから、教祖は優しいのではありません。
教祖は這い上がれない子を捨てずに根気よく待つが、我が子を千尋の谷に落とすような育て方をします。
思惑があるので助けるばかりが神ではありません。
教祖伝でも、『刻限々々にお言葉があって、「此処、とめに来るのも出て来るも、皆、親神のする事や。」と。
教祖の御苦労については、「親神が連れて行くのや。」と。』教祖も本席に苦労をさせろと仰せになり、

やまさかやいばらぐろふもがけみちも つるぎのなかもとふりぬけたら (1-47)
まだみへるひのなかもありふちなかも それをこしたらほそいみちあり (1-48)
ほそみちをだん/\こせばをふみちや これがたしかなほんみちである (1-49)
とこれが道です。

道中「紙より薄い物でも、真実積み重ねたら、神が、どんな刃差し向けようがどんな大砲放そうが受けんが、神の自由。これまで説いたる。」
刃を差し向けたその先に真実の積み重ね方によって自由自在の守護があるのです。
しかし、言いかえれば真実の積み重ねが無ければ、神の躊躇はないのです。

一れつハみな/\わがみきをつけよ 月日ゑんりよわさらにないぞや (6-93)

そして、教祖が商売繁盛になると説くよりも「貧乏せ」と仰せになる。
恐ろしいや親神中山みき様。

>>21 基本さんから引用
>地場は独り立ちしてある。。それは信者の献金など一円もいらない。
>悪魔の教え、貧乏せいの天理教は、独り立ちへの道を教え、
>霊元の神の教えPLは、人生は芸術を説き、実は集金ビジネス、野球部は広告塔で、その塔がたおれた。
>神の返し・・いいえ赤衣の悪魔の祟りは、新宗教に降り注ぐ。大教会に降り注ぐ。

230:神之打分場所M
19/01/08 22:28:32.01 rHMPuFG5h
>189
>教祖は神の社になってから親神様であり、我が子である人間をたすけたい、成人させ>たいとばかり思う教祖しか


231:存在しません。教祖は神の社になられてから親神様ですか?教祖は教祖でしょう。教典に天理王命とじばと教祖はその理一つであると言われますが、それもおかしい。では教会に祭ってある親神様と教祖をなぜ一つにしませんか。月次祭で一つ社が無くなればお供え物も少なく出来て、経済的にも助かります。教祖を親神様と言うのは、中山家を教団の真に持って行く方便なのでは……明治二十一年一月八日  おさしづ元聞き分けて貰いたい。何処其処で誰それという者でない。ほん何でもない百姓屋の者。何にも知らん女一人何でもない者や。それだめの教えを説くと言う処の理を聞き分け。このさしづを見ても教祖が親神様とは言えません。教祖は月日が入った神の社です。このあかいきものをなんとをもている    なかに月日がこもりいるそや     ふでさきだから神と一体化しているため、神に聞く事も出来れば、神の言葉を伝える事も出来ます。でも私的時間もあります。それが鏡池の事件、夫善兵衛に死を願う事件が代表的なものでしょう。弥勒様に天啓の事について聞いた事があります。どの様にして出るのかと。曰く「例えば同じ言葉が何回も出て来る。日々に/\/\/\と。書けば次の言葉が出て来ます」と言う事です。私の目の前でさあ/\/\/\と出てきた事もあります。それともう一つ、教祖が何故百姓だったか。それは百年祭に女が生まれと書きます。それが弥勒菩薩です。日本語も神様が人の頭を使って造られたという事です。教祖も百年先の事言うて置けば見えてくると言われています。



232:天理教H
19/01/09 00:35:47.65 1bMVFcXsx
>>216
>教祖は神の社になられてから親神様ですか?教祖は教祖でしょう。

このつとめ十人にんぢうそのなかに もとはじまりのをやがいるなり (6-30)
このよふをはぢめだしたるやしきなり にんけんはじめもとのをやなり (6-55)
月日よりそれをみすましあまくだり なにかよろづをしらしたいから (6-56)
にんけんをはじめだしたるこのをやハ そんめゑでいるこれがまことや (8-37)
にんけんをはじめたをやがも一にん どこにあるならたつねいてみよ (8-75)
いまなるの月日のをもう事なるわ くちわにんけん心月日や (12-67)
しかときけくちハ月日がみなかりて 心は月日みなかしている (12-68)

これらのおふでさきを見ればおやが誰なのか解るでしょう。教祖自身が元始りのおやです。
明治二十一年一月八日(陰暦十一月二十五日)の何にも知らん女一人云々のおさしづは、「女の処入り込んで理を弘める処」と月日が教祖に入り込む前の状況を仰せになったのです。教祖が月日の社になってから人間から親神になったのです。
社が二つあるのも真ん中は天理王命の神名を授けた地場に対してのもの、もう一つは教祖です。
鏡池の事件は、差し迫った時に自由自在の守護があるひながたであり、夫善兵衛に死を願う事件は教祖を陥れる捏造でしょう。

教祖を親神だと解らなければ教理は何にも解らない。

233:天理教H
19/01/09 06:26:33.36 1bMVFcXsx
その教理ですが、教祖が月日の社になり、それが単なる神の言葉を伝える天啓者になるだけと思えば
言葉で聞き取れる限られた期間である考えに至るのです。
実際には元の理で起こった事がもう一度天保九年十月二十六日に起こり、この世を初めているその道中であるからこそ
教祖は永遠に親神なのです。それが他の天啓者と万全たる違いがあるのです。

いまゝでも今がこのよのはじまりと ゆうてあれどもなんの事やら (7-35)

234:神之打分場所M
19/01/12 12:04:39.35 oy+L6yxj2
歴史的仮名遣い、現代仮名遣いはわかります。
分かった上での話しです。
私が神之打分場所へ行った最初の頃、弥勒様は「ふでさきにやまとのしばのかみがたと
と書いてあります。」と言われました。
その後「お爺さんはしばかりに、お婆さんは川へ洗濯に」と言われ、変な話しをするなーと。
そしてしばについて、長く話されました。
事実後でふでさきを調べたら、しばと書いてあります。
やまとのじばと思ってましたが。しばも歴史的仮名遣いでしょうか。
ふでさきは一言一句間違えはないと聞いております。

句読点の問題。私も分かってて句点を消して分かり易く書いて見ました。
おさしづは伊蔵から出た言葉を、高弟たちが編纂したものです。
その時の伊蔵さんでさえも「分かりません」と答えて有ります。
句読点の使い方で意味も大きく変わります。
私のおさしづ本は教祖八十年祭に出版されたものですが、最初ページの凡例に
「教祖五十年祭に出版したものは読点、即ち  、 のみであったが、今度は句読点即ち
    。と  、とを併用した。」と書いてあります。
即ち編纂時も都合により、変更すると言う事です。

235:天理教H
19/01/12 19:58:55.19 oC95yHrgP
>>219
>やまとのじばと思ってましたが。しばも歴史的仮名遣いでしょうか。

おふでさきの文字は、特殊文字が用いられている場合があり、
ぢばの部分で「しバ」とおふでさきにお書きになっているのは、第一号 四だけで、他6首はすべて「ぢば」です。

このところやまとのしバのかみがたと ゆうていれども元ハしろまい (1-4)
この「やまとのしバ」が含まれるおふでさきは、第一号 一 ~ 第一号 八までは、みかぐら歌の「よろづよ八首」と同じで、
このところやまとのぢばのかみがたと いうていれどももとしらぬ
に当てはまります。つまり「しバ」は「ぢば」に該当します。

>句読点の問題。私も分かってて句点を消して分かり易く書いて見ました。

他の人間甘露台を説いている方のおさしづで「楽しまして、たんのう大きい木あるわ。」と書かれていたのを見たことがあったので、
同じだと思いましたが、
原典から引用して、間違いは仕方無いですけど、例え句読点であっても一字一句違いないようにするのが正しい引用の仕方でしょう。
そこに意図が入り、形を変える事はしてはならない事だと思います。

おさしづ自体、口述を筆録したもの、実際にはそこに句読点があるかないかは解らないでしょう。
句読点あっての読み方も出てきますが、句読点を無しでその文を続けて読もうとする事も読み手の都合により出てくる事もあり得る事です。
だから、おさしづ本の再編集が決まると「こふき委員会」が結成され、元々のおさしづ全巻を総見直して、編集刊行された。
その原典に倣うのが教義、教理を語る上で最低限必要な事ではないでしょうか。

236:天理教H
19/01/12 20:06:35.12 oC95yHrgP
>>220
考察

>>212
明治三十九年五月二十ハ日
しばらくして
大きい木買うて欲しい/\/\/\。大きい木、これ買おうと思て居る。けれど、どうもならん。
一本の木やそこらでは、始まらん、何もならんようではあるけれど、一本の木から定約出けたら、一本の木から追々出ける。
買うて欲しわい/\。買うてくれる者あらせんか。

木と仰せ下さる処、理の木でありますか、又は現場の木でありますかと申し上げ
予て話して居る。もう一度始め掛ける。手斧始めすると言うて、楽しまして、たんのう。大きい木あるわ。
一寸一本買うて、買おうと思えば大層であるけれど、買うて一寸切ってはつってすれば、十分の木出ける。
楽しんで居る。どうでもこうでも、高うても、買う者あらせんか。こちらから銭金掛けてくれとも、出してくれとも、言わせん。
可怪しい事言うと思うやろ/\。すれば、何でも年限追うて来るという。大きい木早う買うて欲しいなあ/\/\。
早う買うて欲しい。買うて貰ろて、大きい木ずうと出来たら、楽しみやで/\/\。
どうでもこうでも、年限遅れても、心の済むように、買お/\なあと、たゞ一声買おうと言う事待って居る/\。

教長より買いますと御答え下さる
買うて見せてくれるか。買うてやるか。そんなら待って居る。よかったなあ/\。さあ/\よかった/\。

もし、「たんのう大きい木」を一括りにして人間だとするなら、割書で理の木か現場の木か尋ねているので、
人間なら理の木だと言う事になり、次のおさしづで、理の木を買うといった事になる。
しかし、実際は初代真柱は、普請の為に現場の木だと理解して木を買っていた。

明らかに悟り違いなのに、翌年の明治四十年三月十三日(陰暦正月二十九日)午前八時三十分の百日のおさしづが始まるまで、
それに対してのおさしづがない。
初代真柱の悟りが正しかったからこそ用材の調達が前もって済んで、神殿


237:普請に関する明確な指示がある百日のおさしづに繋がるのではないでしょうか。



238:神之打分場所M
19/01/13 10:54:51.55 CECHl72B0
みかぐら歌も口述で筆録したもので、教祖が書かれたと言うみかぐら歌は無いと
聞いております。
山澤本とか梅谷本とか数冊を編集したもの。
ぢばで間違いないと思いますが、しばもそれなりの意味があります。

おさしづは句読点の問題もありますが、御本部は御本部の立場での解釈、異端は異端での解釈でしょうが異端はもっと大きな意味での天理を望んでいます。
「可笑しい事言うと思うやろ/\。すれば、何でも年限追うて来るという。大きい木早う買うて欲しいなあ/\/\。」
何でも年限追うて来るという。ーーー
何が来るか?人間が来る事です。木は歩いて来ません。

当時の高弟たちは、その時を背景としておさしづを解釈しました。それはそれでいいと思いますが、神はその時を台にして先の事を言ってあります。
後々で意味合いが有るおさしづなのです。
自身の事をも含めて書きますが、私の専修科の先輩も教会長でありながら高所からの
飛び降り自殺、専修科の有名な講師の方も夫婦で飛び降り自殺。
天理時報の出直欄に名前が載っただけで、事件にはなっていません。
我が大教会では無理なお供えの取立てはしてないにもかかわらず、プレッシャーはあります。
それは天理教内における仕組みではないでしょうか。
今の天理教を本来の天理に変えなければならないのです。

239:天理教H
19/01/13 19:10:49.40 5m3uhtQnw
>>222
今も教内の方でしたか、ハンドルネームが神之打分場所なので、全く今は関係のない方だと思っていました。失礼致しました。

自立できない依存体制とお供え至上主義や教団の説く一部間違った教理により、不幸になった事例がある事に対しては
心が痛み腹立たしさも感じます。
しかし、それを解決するため人間甘露台を置く事が正しいとは思いません。
それは、現在の天理教のトップを替える事で本来の天理に戻そうとするのは、拝み祈祷の延長上にある
神輿を替える事と何ら変わらないのです。
「いちれつすまして かんろだい」先ず、神から一列を澄ますのでなく、一列から澄ます。その事が大事なのではないでしょうか。

みかぐら歌の原本は発見されてないのは知っていますけど、「続ひとことはなし その2」で
標準本と用字の異なる部分を載せられている写本や私刊本は、どれも「ぢば」の部分で「しバ(しば)」と書かれたものはありません。
教組が「し」という文字を何故お書きになったか、教組が大和言葉でお話になられたように、当時の人々には解る事なのか、
それとも五十音順の順番で母音が同じなので「し」が「ぢ」になる順番を現しているのか、私には解りません。

240:天理教H
19/01/13 19:12:11.98 5m3uhtQnw
「来る」ですが
コトバンク
URLリンク(kotobank.jp)
くる【来る】
1 空間的に離れているものが自分のいる方・所へ向かって動く。また、近づく。
 ?こちらに近づいたり着いたりする。接近・到着する。訪れる。「バスがきた」「留守に友人がきた」「霜のこないうちに取り入れを済ませる」
 ?自分が今いる所を、再び、また以前にたずねる。やってくる。「いつかきた町」「また明日きます」
 ?物が届く。「便りがくる」「ようやく注文した本がきた」
 ?鉄道・水道などの設備が通じる。「この町にはまだガスがきていない」
2 時間的に近づく。ある季節・時期・時間になる。
 「春がきた」「時間がきたので終


241:わりにする」「行く年くる年」3 事態が進んで、ある状態に至る。 「もはや救いようのないところまできている」「使いづめでがたがくる」「もともと体が弱いところへきて、   この暑さですっかりまいってしまった」4 (「…からくる」の形で) ?そのことが原因・契機になってある事態が生じる。起因する。「疲労からきた病気」「倒産は経営の不手際からきている」「信念からくる実行力」 ?由来する。「ギリシャ語からきた言葉」5 何かによって、ある反応・感覚・感情が起こる。 「ぴんとくる」「胸にじんとくる温かい言葉」以下略と解説はこれだけあります。つまり、1の空間的に離れているものが自分のいる方・所へ向かって動く。また、近づく。だけではないと言う事、このおさしづの用い方は、2の時間的に近づく。ある季節・時期・時間になる。との意味です。「年限追うて来る」は成って来ると同じ意味です。それは、誰に頼みはしないけど皆が寄り合って出来て来る不思議な普請です。



242:神之打分場所M
19/01/19 10:50:35.89 sNwHs3oJ3
>223
>それを解決するため人間甘露台を置く事が正しいとは思いません。

人間甘露台を置くと言う事は天啓者を置くと言う事、南無天理王命を置き、天理を伺い立てて治めると言う事です。
大西愛治郎は天理本部へ「甘露台は人間である」と言う事を訴えて、相手にされず
天理本道を始めました。
元から御本部は異端とは馴染め無いのでしょう。と言うより、最初から異端と思うのでしょう。
おふでさき八号
にんけんをはじめたをやがもう一にん   どこにあるならたつねいてみよ     七十一
と言われるように教祖は助造事件の針ヶ別所村や水屋敷事件の飯田岩治郎宅へも足を
運ばれています。これがひながたではないでしょうか。たつねいてみよです。
決して天理教の為の天理王命でなく、この世助ける為に天下った天理王命です。
増野鼓雪でさえも、天理に天啓者が居なくなれば、天理教は衰退するだろうと言われてます。

243:天理教H
19/01/20 19:11:39.70 0H1UZjc+1
>>225
>天理を伺い立てて治めると言う事です。

たすけでもをかみきとふでいくてなし うかがいたてゝいくでなけれど (3-45)
教祖は、はっきりと伺い立てていくではないと仰っています。
教組が助造事件で足を運ばれたのも親がもう一人何処にあるか訪ねたのではなく、元の理非を明らかにしたひながたであります。
教祖御在世時、飯田岩治郎宅に足をお運びになりましたが飯田宅だけではありません。
水屋敷事件時は教祖は現身を隠されていらっしゃらなくて本席は足を運んでいません。

異端が出るのも内の掃除であり、その水屋敷事件が起こったのも本部がおさしづを用いない(聞き分け出来ない)背景があっての事情、
明治三十年六月三日安堵村飯田岩治郎事情願(事情は神様下がると言うに付将来治め方に付願)にて、
その神意は、飯田岩治郎の事云々でなく、上田ナライトの事、明治二十七年七月、上田ナライトは気の間違いのようになったので、
明治二十七年七月二十八日に「心休ますよう」とおさしづを仰ぎ、実家に帰っていたのを呼び戻しなさいと仰っているのです。
だから、両事件とも八号 七十五のおふでさきを言いえたわけでないのです。

244:天理教H
19/01/20 19:14:25.78 0H1UZjc+1
天理教の為の天理王命でないは、賛同します。天理王命が天理教の発展の為なら小さくならざるを得ない。

増野鼓雪先生がそのような事を言っていたのは知りませんでした。真意は解りませんが、
ぢばに天啓者が居なくなれば、皆がぢば中心でなく教会中心となり、天理教は衰退すると言いたかったのではないでしょうか?

史実では、
天理教の教勢100年
URLリンク(opac.tenri-u.ac.jp)
本席が出直しされ、一派独立してから教勢は大きく伸びています。
不幸な歴史があり、それから数十年後衰退が始まったが、それこそ天理教の発展の為の天理王命と捉えるから小さくなります。
明らかに


245:世の中は、教組が仰った寝ておぢばに帰れる、人が空を飛ぶ、針金がもの言った通りになり、女松男松の隔てない世界、平等の世界、長寿に向かっています。天理教の衰退、いやいや世界が発展している素晴らしい事ではありませんか。



246:天理教H
19/01/20 19:20:21.82 0H1UZjc+1
大西愛治郎が何故人間甘露台を説いたのかは、自らの身体の異変がきっかけとなり、根拠を求めて原典を研究した。
当時としては、おふでさきも昭和3年に注釈付きが公刊されるまで、実際教祖から直々に教えを受けた人達が会議を重ねた注釈がない私刊本であり、
それぞれ独自の解釈が出回っていた時代である。
大西は、布教に成果があがらずに悶々としていた時におさしづ全巻(私刊本)を手に入れたので、おさしづ研究が主となり、
しかも個人で各史実を調べられる訳ではないので、おさしづに書かれた文言だけで判断した。
それが結果的におふでさきと共に史実を無視した形となった。そして、肝心の「一つの理」が悟れなかった事が誤解の大きな原因だったのでしょう。

しかし、この事柄も教祖がさせた事であり、この大西愛治郎のおふでさき、おさしづの曲解から不敬事件となり、
警察当局が熱心に教義の研究を始めて本部の方へ解釈の問い合わせがあり、
その事柄が注釈付きおふでさきの公刊、おさしづの年次を追って公刊となる旬が訪れたのです。

247:神も仏も名無しさん
19/01/20 19:29:33.47 xu37yNdHf
どこに有る?
現に今無いではないか
有るんならとっくにヤっとる

248:神も仏も名無しさん
19/01/20 19:41:21.34 xu37yNdHf
「見えます」ってのはね
脳の病気で幻覚が見える人に失礼なの
とんないのとんないの

249:神之打分場所M
19/01/26 12:24:01.50 80yyKCjb8
>おふでさき八号
にんけんをはじめたをやがもう一にん   どこにあるならたつねいてみよ     七十一

七十一→七十五で間違えてました。
当時の時代背景を参考に説明して頂き、ありがとうございます。
上のふでさきに類したさしづを書いて見ます。

明治三十一年十月十九日  身上さしづ
親という、もう一人の親という理は大切。
さあ/\順序話すによってよう聞き分けねばならん。
さあ/\親という二代なる子というを前々から一つどうやこうや楽しんで居る、
よいか、一日なりとも休息場へ出て楽しますがよい。
二代一つの理と初め順序の理を夫々、皆々の中こうと治まる。

私は専修科卒業でもありますが、その当時ふでさきを全文墨書で書かされました。
その中にふでさき第六号ー八
このよふをはじめてからにないつとめ    またはじめかけたしかをさめる
とあるふでさきを書いた時 電気が身体の中を走るのを覚え、聞いた事も、見た事も無い思いに晒されておふでさき注釈で確認しましたが、納得出来ませんでした。
神之打分場所へ行って色々納得出来たわけです。
何も論破しようとは思って居ません。事実を語っているだけでぢばを中心とした
天理を、元の神実の神で有る南無天理王命を治めこの世に現したいだけです。

250:神之打分場所M
19/01/26 12:47:12.50 80yyKCjb8
平成二年九月十二日  さしづ
この道は又始め掛けたるもう一度
手斧の始めをすると言うて聞かし来て、紋型無き所より始め掛けたる道
教祖中山みきも道のひな形、神の道婦具や。
神が仕込んで使うてきたる。何するも神のする事。神思惑の台を世に出す為に、先に道を歩かせたるぞ。
なればこそ、ひな形道理に見えて来た。
これが確かな参り所。
又始め掛けたる手斧の二せんの道や、一つの印を打ったる神の道
何も知らずに道を通りて到るよに思い居るのは理が違う。
今の時旬、神を世に出す時節到来
この事の分からんようで何ぼ信心致し居るように思えても神の思惑とは一寸違うぞ
なむ天理王命を甘露台と立て上げのふしんや
立て上げて道の宝


251:とせにゃ成らん天理の宝とせにゃならん末代までも栄え行く道の宝や治めにゃ成らん治めなくして宝と言えん。言えるようにと心するなり。



252:天理教H
19/01/28 20:40:47.32 i83QjiwFZ
>>231
人が救われるのは、天理教だけでなく、他の宗教でもある事なので、その人が救われればどの様な宗教でもいいと思っています。
また離れるのも一つの方法だと思っています。そこにこだわるほど天理王命は小さい神ではないと思っています。
逆に下手にこだわって自らを責め終わらせるよりか良いと思います。知らなくて結構だと言う事もあるでしょう。

しかし、問題なのは永遠に変わらない元を他に拵える事、教祖から「人の心の理から、どんな神もできるのやで」
とお聞かせてもらっています。その人の言葉を信じるか信じないかは各自の自由だと思いますが、
それを元として人に説く事は私は違うと言いたいのです。
私自身の悟りも間違っている所があるかもしれません。でも元だけは間違わない様にしたいと思っています。
人間を始めた親は、中山みき様以外は、どこにも居ないのです。そしてそのお方は今もぢばにお姿が見えないけど
存命で働いていらっしゃるのです。

そのぢばに据えるのはかんろだい、天理教としては、真柱を芯とする事です。

253:天理教H
19/01/28 20:51:36.06 i83QjiwFZ
このよふをはじめてからにないつとめ またはじめかけたしかをさめる (6-8)


「またはじめかけ」の「また」は再び初める。初める「つとめ」、それは、10億年前にこの世人間を創造した事と
天保九年十月から「かんろだいのつとめ」とに分けてます。
この世の始まりを無視して、天保九年十月からの道をつとめではないと言う事です。

明治三十一年十月十九日のおさしづですが、個人の身上伺いであるので、事情をすべて知りえた訳ではないので
少ない情報から推測すると、割書で桝井きく七十四才身上願と書いてます。
桝井きくは、桝井伊三郎の母、伊三郎は、おさしづを悟る第一人者、きくは、八十八歳まで生きてます。
これらの事より、このおさしづを伺っての悟りは間違いがなかったでしょう。

あくまで自説ですが、
「親という、もう一人の親という理は大切。」この親は教祖を指し示し、そして、もう一人の親と仰った訳でなく、
親は、桝井きく、そしてもう一人の親は、桝井伊三郎の父。親思いの桝井伊三郎に対してのお諭です。
「親という、二代なる子という」これは、桝井伊三郎の父が桝井伊三郎の長男「安松」として生まれ変わり、
「二代一つの理と初め順序の理」は、二代「安松」は、桝井伊三郎の父と一つの理(同じ)であり、
それは、桝井家は、桝井伊三郎の父の喘息の身上から母が参って初まったのが順序だったのです。
「ほんにそうやという親大切なる理である。」そのように納得すれば親が大切になり、それが順序の台の順序の理となり、
親であった「安松」をこれからも楽しませなさいと仰せになっているのです。

桝井伊三郎は、教祖から言われてから家で叱ることはしなかったが、理に厳しい人だったので、
子供に対しては厳しく叱らなくてもいいのだろうかの迷いがあったのかもしれません。
そして心得として、このような「二代一つの勤め方」は、一代での勤め方と変わりないと仰ったのでしょう。

254:天理教H
19/01/28 20:58:14.37 i83QjiwFZ
それと桝井きくさんが初めておぢばで教祖にお会いになった時に、
教祖は、「待っていた、待っていた。」
と、可愛い我が子がはるばると帰って来たのを迎える、やさしい温かなお言葉を下された。
それで、キクは、「今日まで、あっちこっちと、 詣り信心をしておりました。」と、申し上げると、
教祖は、「あんた、あっちこっちとえらい遠廻わりをしておいでたんやなあ。 おかしいなあ。ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに。」と、
仰せられて、やさしくお笑いになった。このお言葉を聞いて、「ほんに成る程、これこそ本当の親や。」と、
何んとも言えぬ慕わしさが、キクの胸の底まで沁みわたり、強い感激に打たれたのであった。
             (教祖伝逸話篇 一〇 えらい遠廻わりをして)

おぢばには、すべての神様がおいでになる事と教祖は本当の親と強い感激に打たれた桝井きくさんの姿があったのです。

255:神之打分場所M
19/02/03 13:52:40.66 OOOqRM+i4
>>233
人間を始めた親は、中山みき様以外は、どこにも居ないのです。そしてそのお方は今もぢばにお姿が見えないけど
存命で働いていらっしゃるのです。


人間を始めた親が中山みき、教祖ですか。
それは違いますねー
おさしづにも有るように、

明治二十一年一月八日
「なんでもない百姓家の者、何にも知らん女一人、
何でもない者や、それだめの教えを説くという処の理を聞き分け。
何処へ見に行ったでなし、何習うたやなし、女の処入り込んで理を弘める処、よう聞き分けてくれ」

明治二十年十二月六日
「何でもない百姓家の出、女一人十三歳の年より入り込み、誠々々天然自然の道付くという処も聞いて居るであろう。」
どちらも女に入り込むとあります。
月日の社所以であります。本当のこと、納得がいくようにこの天理を知りたいのです。
確かに教祖は子供の頃から人並み優れたものをお持ちでした。
教祖伝には十二、三歳の頃には浄土和讃を覚えられたと書いてあります。
やはりその魂はありました。
神が入り込み月日の社として天理を説かれました。
教えたのは神であり南無天理王命です。
キリストでさえもゴルゴダの丘で「天に在します我らの父よ……」と、キリストの上の神に言葉を発しています。それと同じ事で教祖は神の社であり現人神であり
人間を始めた親ではありません。
その当時の神の代理を務められた人であり、ひながたであられました。

256:神之打分場所M
19/02/03 15:11:21.37 OOOqRM+i4
>>233
そのぢばに据えるのはかんろだい、天理教としては、真柱を芯とする事です。

かんろだいを据えるのは石ですか。花崗岩の切石で造るのが本来の目的ですか?
世界一列の心澄ませてから据えますか?
天理の中でさえも澄んで無いのに、世界一列澄ますのは何時になることでしょう。
いつまでも夢の話しでしょうか?
又、どうして真柱様はその存命と言われる教祖殿のお社から落ちて怪我までされたのでしょうか。

明治三十一年七月十四日 夜
どういう話しから伝えるなら、裏は鍛冶屋表は大工、聞き分けば神の守護、
十二下りの止めは大工、これさえ聞き分けたら、苦労したいと言うても出けんが神の
守護、働き分かりたか。

この裏は鍛冶屋表大工というのは、表裏一体と言いまして、ひながたとして鍛冶屋は
梶本家で真之亮(真柱)大工は飯降伊蔵(本席、人足社、天啓者)、この一体を
言われています。
真柱と天啓者の一体です。
当時、信仰としては本席が、天理教の運営としては真柱が中心となって二本路線で
進んできました。
でも天理の中心は神であり天啓者で無ければなりません。そしてぢばとは神の
ふるさとであり昔から言う所の高天原であります。
それを教えるが為、神はぢばを教えました。
神が戻ったあかつきに、子供である我々が「おかえりなさい」と言うのです。
神を中心とするふしんそれがかんろうだいふしんであり、ふしんを行う神を大工にと
例えて教えて有ります。

257:天理教H
19/02/03 23:13:52.06 eKigWemnH
>>236
月日のやしろ
「やしろ」は社で、一般的に神が鎮まりいます所を意味する。したがって、「月日のやしろ」とは、
何よりもまず、親神の所在を表現したものと言える。親神が直接この人間世界に顕現され、
人間救済の意志と、それを実現する道を啓示された事実は、「教祖を通して」、ないしは「教祖において」であった。
                                                   (改訂 天理教辞典)
この事によって、誠に、人は、ただ教祖によつて、初めて親神を拝し、親神の思召を知ることが出来る。
にんけんをはじめだしたるこのをやハ そんめゑでいるこれがまことや (8-37)
教祖こそ、地上の月日におわし、我等の親です。

それが解らない人に以下のおふでさきがあるのです。
いまゝでハをなじにんけんなるよふに をもているからなにもハからん (7-55)
これからハなにをゆうにもなす事も にんけんなるとさらにをもうな (7-56)

258:天理教H
19/02/03 23:18:50.52 eKigWemnH
同じ質問を繰り返されてますが、その時の背景を述べておきます。
明治二十一年一月八日(陰暦十一月二十五日)のおさしづは、多少学問の素養などもあった頭の良い松村吉太郎先生に
対するおさしづです。だから、その信仰の道すがらを自分の理知によって判断しようとした事に対して
「何にも知らん女一人」「何処へ見に行ったでなし、何習うたやなし」のお言葉があり、「元五十年前より始まった。」
その道が「この道は、智恵学問の道やない」と仰せになっているのです。
つまり、このお言葉で教祖は人間だと強調された訳ではないのです。

明治二十年十二月六日「女一人十三才の年より入り込み」のおさしづは、文化七年九月十五日、
振袖姿で駕籠に乗り、五荷の荷を持って、庄屋敷村の中山家の人となられた。時に、教祖十三歳であった。
この事を仰っているのです。

そして、イエス・キリストと中山みきが同じだと言われますが、
キリスト教自体、イエスをキリストと言う呼び名に油を注がれた者=神の子という意味が含まれ、
それ故にユダヤ教やイスラム教はキリストと呼ぶ事を否定していますが、父なる神のひとり子として、
この世に生まれた人間である。つまり、人となった神でもあると説かれています。
「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、
権威ある者としてお教えになったからである。(マタイによる福音書 第7章)」
イエスは、自分が神であるように振舞い律法の教えを覆しています。そして、一方で律法を守りなさいと仰っています。
条件付きで人々を神の子とイエスは認めていますが、明らかに自ずから神の子(神)と仰り、
信徒も神の子(救世主)だと思っています。神の子だから刑に処せられ、人間が原罪から救われたのでしょう。

中山みきは、自ら神の子だと仰らずに人間は神の子供だと説きます。
明らかに違いがあるのにイエス・キリストと中山みきが同じだと言う根拠をキリスト教の教えから(聖書等)
でもいいので教えてもらいたい。

259:天理教H
19/02/03 23:27:06.79 eKigWemnH
>>237
>かんろだいを据えるのは石ですか。花崗岩の切石で造るのが本来の目的ですか?
>世界一列の心澄ませてから据えますか?
>天理の中でさえも澄んで無いのに、世界一列澄ますのは何時になることでしょう。

明治三十一年七月十四日 夜昨朝本席御身上御願い申し上げば、夜深に尋ね出よとの仰せに付願
「かんろうだいも、世界分からんから取り払われた。あれでもう仕舞やと言うた日もあった。
世界どんな事あっても、付け掛けた道は、付けずに置かん。かんろだいはいつの事と思う。
つとめ一条の台にも勤めて居るやろ。皆、話して居るやろ。なれど、何やら彼やら分からん。
どうでもこうでも、かんろだい積み建てる/\。」
親神様がかんろだいをどうでもこうでも積み建てると宣言してらっしゃるではないですか。

>どうして真柱様はその存命と言われる教祖殿のお社から落ちて怪我までされたのでしょうか。

一昨年の夏にかんろだいが倒れ、それから約一年後に真柱様が怪我、それを内だけの問題と見るのか。

日本の異常気象
URLリンク(www.data.jma.go.jp)
平成30年(2018年)の異常気象の多さ
日本での災害
2017年7月5日から6日 九州北部豪雨
2018年6月18日 大阪府北部地震
2018年6月28日から7月8日 西日本中心の集中豪雨
2018年9月 25年ぶりに「非常に強い」勢力の台風第21号で近畿地方を中心に大きな被害を出した。
2018年9月6日 北海道胆振東部地震

世界各地で最高気温を記録した7月
URLリンク(tocana.jp)
内も外も隔てなくそれぞれが考えなければならないと言う事です。

260:天理教H
19/02/03 23:28:13.05 eKigWemnH
>真柱と天啓者の一体です。

大工は飯降伊蔵本人を指す場合が多いが大工=天啓者でなく、大工は、心の普請、世界の普請をする者です。
十二下り目 三ッ みなせかいからだん/\と きたるだいくににほいかけ
と大工は一人だけでなく複数の人間を必要としています。
真柱様が一人だけ居ても普請は出来ない。そこで大工や棟梁や用木が必要となって来るわけです。

261:神之打分場所M
19/02/10 15:13:39.13 w8o16zsdY
真柱様の怪我や身情、かんろうだいの倒壊を地震や異常気象にもってくるのは
少しひねりすぎでしょう。
真柱様もある程度の年齢でも有り、各大教会等へ出向かれて祝宴を催されれば、糖尿や通風にもなりやすいでしょう。
かんろうだいの問題でも、関わった大教会は数千万円のお供えをされたとか。
明治二十四年二月十七日   おさしづ
「かんろだいの雛形破損に付き、木にて新調仕りますや、又は修復致して宜しう御座りますや願い」
さあ/\つくらいにして置くがよい、つくらいでよいで。
さあ/\つくらいにして置くがよい、つくらいでよいで。

このように言われています。こんなもの元へ戻すだけで良いのに数千万円。これが今の
天理教です。そのお金の裏には相当な苦労をしてる人もいるのです。これが今の教団です。末端教会は何時も御用御用で昔の銭形平次ですよ。
地震も昨年は数カ所起きました。沢山の被害者が出られ亡くなられたました。
外国でも大きな地震があってます。
此れはプレートの問題で予測出来る事、出来ない事。
でも最近多くなっていると感じるのは私だけじゃないと思います。
これに対して天理教は、かんろだい倒壊が報せであるならば、それに対して対処出来るのですか?
ただ報せは報せで、待つだけですか?
今度の東京オリンピックを、ある占い師は(東北大地震を当てた人)無いと言われています。それから行くなら我々も皆さま方も気を引き締めて掛から無ければなりません。
天理教を信仰してれば助かると言う保証はどこにも有りませんから。

温暖化の問題、此れは今すぐになったのではなく、数十年前から言われてました。
所謂人災で、文化文明の発達と共に人間が引き起こしたもの、真柱とは関係ないのです
地球全体で考え無ければなりません。又、我々はそう言う中に生かされているのです。
子供や孫の世代に良い世界をバトンタッチしなければならないのです。
悪いことは悪い、良い事は良いとして
すみません、ちょっと意見がそれました。

262:神之打分場所M
19/02/16 12:14:05.51 gJaaMWeWV
昭和六十年八月十二日   午後零時二十七分     おさしづ
さあ/\十分働くは心の理に有る
心一つの理と言うが、どれ程大切なるか誰も分からん。
今日の日のさしづと言うは何処から発して居るか。
皆 神の言葉と言う。人間の言うが言葉や更にない。
これまでの道、さあ/\どんな理も出したであろう。
この道と言うは長らくの間通り来て、神一條の道にするまで、ひながた道具も使うて来た。
これも皆一列のためとも言う。先に成りたら真の神の現れて来る日まで長らえさすには
時旬来るまでは、如何なる手段もいといなく、みな/\道具ひながた、これも神で有ればなれこそ、どんな苦労もいといなく続かせて来た。
これも道の為と思えばこそや
早々と心に治めくれたなら道も早くに建つなれど、神の言う事誠やと思うて聞く者
数少なくてずいぶん遅れて来てしもた。
このまゝで天理の道は続く事無し。
先を案じて居たる神。
天の理一つを建て上げな道はこのまゝ枯れて行く。
それも何故、根の元一つが分からずに我が身だけをば栄えさす。
そんな心の持ち方で なんで栄えて良いものか。
根が栄えなば枝葉はそれより先に枯れて行く。
これが天理や理の当然や。それ故に早く悟りを開くなり。
こんな大事な時旬や。今がそれなる時で有る。
天理教徒一列に早く知らせてくれる様、神が頼みや心せよ。
時遅れたら天理失う。これが誠になると言う。

263:天理教H
19/02/17 07:40:44.94 CwkQtAK7X
>>242
>真柱様の怪我や身情、かんろうだいの倒壊を地震や異常気象にもってくるのは
>少しひねりすぎでしょう。

しんぢつに神の心のせきこみわ しんのはしらをはやくいれたい (3-8)
親神が心から急きこんでいるのは、一日も早く中心を定めたいという事である。
本教では、おつとめの時はかんろだいをさし、人の時にはこの道の中心になられる方をさし、
心の時には中心思想を言う(註釈)。
先ず、真柱様とかんろだいは、切り離せない関係があり、
そして、真柱様の身上は、個人の間違いより鏡やしきでの間違いを現したもの、それが世界に映る関係でもあり、
そして、またぢばも世界の理が映る関係です。

明治三十年二月一日
「ぢばも鏡なら、世上も鏡、世上の理も映れば、ぢばの曇りも皆映る。」
だからこそ、それぞれが考えなければならないと言う事です。

264:天理教H
19/02/17 07:44:48.02 CwkQtAK7X
>真柱様もある程度の年齢でも有り、各大教会等へ出向かれて祝宴を催されれば、糖尿や通風にもなりやすいでしょう。

病気になるのは、生活習慣だけが原因でしょうか。それなら、生活習慣を改善したらいいだけであって、
教祖も食生活や適度な運動を心掛けよと仰ったのでしょうか?
まして、それならたすけづとめやおさづけも要らないでしょう。

このよふにやまいとゆうてないほどに みのうちさハりみなしやんせよ (2-23)
親神様はこの世に病はない、身の内障り皆思案せよと仰ってます。

ぢばで起こる事を世界なみの判断をするなら、かんろだいを石造りにして倒れにくくして、
真柱様の身上も老齢や個人の健康管理の問題だと片付ければ、
>>237
>どうして真柱様はその存命と言われる教祖殿のお社から落ちて怪我までされたのでしょうか。
事柄に対して教祖存命の問題提起する事自体矛盾しています。

まさか屋敷内は教祖存命なら不慮の事故、身上が起こらないと考えてらっしゃるのでしょうか?
教祖御在世時や本席様の時に数々の身上のお諭、事情のお諭と沢山あるでしょう。
おさしづをよく引用されるなら、その中で本席様の時に伺った人の立場による違いによっておさしづが違う事も分かるでしょう。

265:天理教H
19/02/17 07:47:27.90 CwkQtAK7X
明治二十四年二月十七日のおさしづを引用してますが、人間甘露台を説かれる立場としては
「つくらい(繕う)」は、むしろ不都合な文言ではないでしょうか?

>これに対して天理教は、かんろだい倒壊が報せであるならば、それに対して対処出来るのですか?

神からの返しはすぐに出る事ではなく、知らせがあってからは、防ぐ事は出来ないのです。
むしろ、先で起こる事に対しての心構えであり、起こった事柄に対して思案をしなければならない。
そして、屋敷内の事は心を入れ替えなければ事柄によって「我が身思案」や「道の中の反対」は掃除される対象です。

>天理教を信仰してれば助かると言う保証はどこにも有りませんから。

教祖は信仰してれば助かると一言も仰ってないでしょう。そこに心と行為が伴い、
釈迦やイエス・キリストも信仰だけしていれば助かると説いてないでしょう。
神之打分場所は自らが本部に治まり信仰してれば助かると説いていらっしゃるのですか?

266:天理教H
19/02/17 07:49:51.01 CwkQtAK7X
異常気象を引き起こす地球の温暖化は、人間の産業活動に伴って排出された二酸化炭素・
メタンなどの温室効果ガスが主因となって引き起こされているとされていますが、
その中で二酸化炭素が最も影響が大きいとされています。原因は、非効率的なエネルギー政策、
それ故に各国の京都議定書の批准が進められ、議定が2005年から発効されている。
それは、効率的なエネルギー政策や植林で改善される。

教祖は物を大切にする事を教えられ、本席も将来を考えて物を大切にしています。
それが経済発展を優先させ神からの守護である物を蔑ろにしてきた結果ではないでしょうか。

そして、おふでさきで、
月日よりたん/\心つくしきり そのゆへなるのにんけんである (6-88)
それしらす今のところハ高山ハ みなはびかりてまゝにしている (6-89)
この月日大一これがさんねんな どんなかやしをするやしれんで (6-90)
このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく (6-91)
人間は一列兄弟でありながら、経済発展の為に下の人間を好き勝手に使っている高山に対して意見があると言う事です。

267:天理教H
19/02/17 07:52:09.13 CwkQtAK7X
このところ元なるぢばの事ならば はぢまりだしをしらん事なし (7-4)
上たるゑこのしんぢつをはや/\と しらしてやろと月日をもゑど (7-5)
上たるハそれをしらすにめへ/\の わがみしやんをばかりをもをて (7-6)
月日にハたん/\みへるみちすぢに こわきあふなきみちがあるので (7-7)
月日よりそのみちはやくしらそふと をもてしんバいしているとこそ (7-8)
にんけんのわが子をもうもをなぢ事 こわきあふなきみちをあんぢる (7-9)
それしらすみな一れハめへ/\に みなうゝかりとくらしいるなり (7-10)
その上に対して我が身思案ばかりして通っているから恐ろしい道筋があるのです。

たん/\となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ (3-40)
このよふのぢいと天とハぢつのをや それよりでけたにんけんである (10-54)
人間は、天地抱き合わせの親神様の懐住居をさせて頂き、日夜親神様の御守護を頂いて暮らしているのである(註釈)。
だから、天災は親神様と関係なくもなくて、そして、その親神様はぢばにいらっしゃるのです。

宇宙は親神様の身体や人間の身体は親神様のかりものと学んでいるのにもかかわらずに解釈として、
親神様と別々に考える方がどれほどいらっしゃるか、道を離れての解釈は自由であってもいいのですが、
天理を名乗るからには、真理が書かれているおふでさきで思案しなければならないのではないでしょうか。


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