天理教社会学研究所 カインを 糾す。at PSY
天理教社会学研究所 カインを 糾す。 - 暇つぶし2ch128:神之内分場所M
18/08/19 12:16:42.70 ew/GCq1PJ
平成元年二月八日  午後三時三十一分
さあ/\ぢばに一つ理九出す(くだす)と言う
この理悟らば道の人、天理の道の人と言う。人間で分からんとこのなぞを説く、神の言葉で説いて諭する。
なればこそ伏せ込み/\と言うは要聞かな分からん
聞きて学べば良く分かり来る。
人間の知恵で計れぬなぞがある。良く聞き取りて思案せよ。
道の理ははるか かなたの空の雲 空が曇りて所分からん。
ならばこそぢばに一つの理九出す(くだす)。
この理分からな何にも成らん。本部のぢばを始めとし、始め掛けたは天保九年に雛形定め貰い受けたる中山みき有り。
これとても神が使うた道具なり。月日の社の一人なり。
天理の道野邉長いので神が世に出る其のために 足場一つの道もうけ それより神が表(おもて)に出たる。
これがそもそも理を九出す(くだす)と言う。
ふもハす教えて、神之内分場所の名所定めここに住まいを致す神、鎮座まします元の神
実の神にておわすなり。この理教えて諭す神、なむ天理王命なり。
これ聞き取りてたのむで。
神の願いはこればかり、きっと立て上げせねばならんで。

ふでさき十一号    四十四
月日にハどのよなみちもみへてある    せかいぢううハそれをふもハす

129:神之内分場所M
18/08/25 11:22:29.57 poX2YAfNR
昭和六十年六月四日  午後一時十四分
さあ/\よう/\の道すがら だん/\の席を受けたるこの神や
席の場に出て諭す神 何一つ間違た事は言わんでな  さしづ道理の道に出よ
天理つとうた道すがら  一、二、三と印を打った所なり
一は天理本部を指すなれば 元一日の始まりの道を付けたる道始め
二と言うは神が表に現れるには 足場無くして空登る事 出来ようまい
なればこそ世界助けのきりなしふしんするためには足場なくしてふしんは出来ぬ
それ故に足場二と言う所こそ 中山秀司 .政なるが生まれ代わりて住まいを居たす甘露臺建設の道をも始めさせたる道すがら
又、三と印を打ったる所こそ 神の話しを説き諭す神之内分場所なり
名所これこそ名のある所 長らくの間楽しみの道を付けてぞ通り来た
これこそ三軒三棟の建ち家なり
それ故に図面引くよに説き置いた。紙で引く根と諭し有る
神がしっかり説き諭す 道の宝と残したる ふでさき さしづ みかぐらうたの中に伏せ込んだるの大切な三つの宝を詳しく説いて聞かすなり。
ききたくばたづね来るなら言うて聞かす 早く聞き取れ良く分かる
天理の道の宝と成る神  なむ天理王はここに居るぞや
早く尋ねよ根をば掘り取れ
先は幸せ身に付いて来る。

130:神之内分場所M
18/08/25 12:27:54.41 poX2YAfNR
図面引くよに説き置いた、紙で引く根ーー明治のさしづ

明治四十年五月九日  午前五時半      刻限のお話
図面引いてくれ/\紙で引くねで/\
一遍や二遍や三遍ではいかんねで。三年の間にちゃんと決まるねで。
些細な事なら直に出来る。なか/\今度のは一寸にはいかん。
三箇年掛かってするのやで。
三年掛かってよう/\木の音もすれば職人の音もするねで
これからはまる三年掛かってくれ。急いてはいかん/\
絵図引き掛けても一寸にいかん
こうして話し掛けたら無理な事せいとは言わん。心配はいらんで/\
心配はいらん。心配は一つも要らん。
さあ/\あちらからも賑んやかな。こちらからも大きな声するで
今日から三箇年の模様である
さあ/\安心々々、安心せえ
さあ/\こうして席は席だけの事ある
これも一寸つぎて/\、つぎての模様も出来掛けたる 出来掛けたる
これで暫く/\ざっと普請も出来掛けたる
つぎて/\これも一寸々々。これがこう これだけ一寸間に合うように成ったなあ/\
そこまで どねになったて案じる事要らん/\
さあこれたこうして今日一日話しする事、一寸も違わんように。
何から何まで心置き無う運んでくれにゃならんねで
これだけ頼んで置く/\

131:神之内分場所M
18/08/25 14:46:13.36 poX2YAfNR
三軒三棟の事で書いて置きます

本席飯降伊蔵 は出直す三箇月前に百日のさしづとして出されたものがありますが、内容の主体は三軒三棟のさしづ
本部は解釈してますが、本席の命を掛けてのさしづなのにピンときません。その時の
時代を背景にした知者 学者の解釈なので、そうなるのでしょう。
明治のさしづは、伏せ込みの言葉で百年先の事を言って有ります。そして解釈するのは
人間ではなく神なのでする。時旬が来た時に神が説くのですね。
言ったこと分かるのは、本人 主でしょう。
一軒目は天理本部 。知っての通り天保九年にひな形の道として又ぢばを定めて天理の道が始まりました。
二軒目 昭和九年に天啓が渡邉よそに出されて、戦争で一旦道を引かれ、昭和四十年足場の建設始まりとして全教会に神之内分の小冊子を送り伝える。
渡邉よその前生が中山みきの娘であるおまさ、ご主人の前生が秀司。これも天啓で、出て有ります。当時の天啓はおまささんから出てたので、政子かんろうだいという由縁です。
三軒目、渡邉秀子様に教祖九十年祭の時、昭和 五十一年三月十五日に天啓がでました
渡邉よそとは叔母 姪の関係です。天理神之内分場所を名乗り、今に至る。
そして、谷底せり上げとはこの事で、決して贅沢はなされず小さなアパート住まいで、法人登録もされてません。
私も一度聞いた事があります。法人の事、教会を建てる事を。(数百人の信者さんがおられたので)。「私の行くところは天理に有ります。法人も神様はいらないと言われてます。天理本部は法人認可を神様に反して取って今のようになったのでしょう」
神様、弥勒様は谷底住まい。教団は上に立ちます。それでは本当の信仰は出来ません。助け合いの信仰は出来ないのです。

132:神之内分場所M
18/08/26 10:44:49.27 dYiNIlc6h
昭和六十年六月五日  午前九時二十六分
さあ/\十分心に治め置かねばならん理と言うは、いかなる事に思うて居るか
世上世界も待ちて居る理 甘ろ台世界となりて世が明ける
天理の夜明けが来ると言う
朝が来て日差しをしっかり身に受けて、通る事にと成ると言う
このさづけこれが誠の天よりに 与えられたる直物の 与えあるのがめづらしい
三日目よりかんろうが天よりおりたと言うわいなあ
これもみな/\先のためにとのこしたる神の言葉や
甘ろ水寿命ぐすりと成るのやで
だれのためでも更にない  皆一例のためとなる
早く飲み取れ心をすませ 早く心の洗濯や
大い成る川に掛かりた 悔いのない宝を目指す二地の掛け橋渡りぞめぞや
早く渡れよついて来い
この幸せの掛け橋は神の見込みを持って付けるなり
予告無いぞや教え置く

133:神之内分場所M
18/08/26 11:29:31.44 dYiNIlc6h
中山こかんから出されたと言う 「かんろうだい三下り」の一節です
三日目よりかんろうが天よりおりたと言うわいな
「天理の霊能者」の本の中99ページにも掲載されて有ります。
二地の掛け橋  天理本部から天理神之内分場所へと渡る二地で有り 虹🌈なのです
教祖は二時に亡くなられました。そして本部は元一日を忘れないように 毎日二時によろづよのサイレンを鳴らしてます。それは教祖が二つ目の地場がある事を教えられ
その事を忘れないように、二時にサイレンを鳴らさせてあるのです。
さしづにも
ぢば一つ/\の理と言われてます。一つ一つとはダブリ言葉と言って 二つある事です
一つは土地の地場 天理本部です。もう一つは人間の地場 。土地と人間(にんけん)で
二つ一つです。ぢばえらいこと言う 、ぢばがものいうさしづも有ります。もの言うのは人間の特権です。もの言わない甘露臺は雛形でございます。

134:神之内分場所M
18/09/01 14:16:26.63 p64XbWcEB
昭和六十年六月七日  午後一時五十五分
さあ/\これ内も外も隔て無いと言うはこれどう言うことと思うか。
この理分からにゃ 何にもならん
内と言うは天理の道 元始まりの一日の日を付けたる大和の天理
これこそ内外隔て無いと言うて残した神の言葉の内にと当る
又外と言うて残した言葉通り神は内から外に現れてせき込みある。
神之内分場所を外に付けて時旬来たるで知らせ居るぞや
それ故に前々よりに神が出したる言の葉通り一つの嘘も言わん神
これが誠の治まりの元一日の日を付けた助けの元立て成る神の住まいを致せし所なり
これをしっかり教え置く
道の為には杖柱に成りて居るぞや諭しをくぞや
これに間違い更に無いぞや

135:神之内分場所M
18/09/01 15:20:05.92 p64XbWcEB
明治ニ十ニ年ニ月四日  さしづ
……神は隔て無いで/\。しっかり聞き分け。さあ/\聞き分け。内も外も同じ理や……
明治ニ十三年六月十二日  さしづ
……言いにくい事にと


136:言わねばならん、聞きにくい事も聞かねば成らぬ。内も外も隔て無い。この事情を治め…明治ニ十三年六月二十一日  さしづ……内も外も隔て無い。どんな事でも隔ては一つも無い。なれど、よう事情を聞き分けてくれねばならん…明治三十一年ハ月十七日…これまで、順序さしづしてある。内も外も隔て無い。つきくる者に来んなとは言わん。これから改心して、元々前々順序と言う理がある…明治三十一年七月二十五日  さしづ…一つ内も外も隔て無い理…この様に…内も外も隔て無い…と言う言葉は、身上さしづ、事情さしづの中に数多くあり、先の、未来のことを伏せ込みの言葉で言われてます。さしづは当時のことを少し含めてその事を台に先のことを言って有ります。外とは表と同じで、神が表へ現れてです。内院 外院 中宮 、これが三軒三棟で伊勢神宮に内院外院と有りますが、昔は中宮も有ったとか。記録に残ってるそうです。伊勢神宮も雛形として神が表したのですね。中宮は因みに神之内分場所です。時間が無いのでこの辺で!



137:神之内分場所M
18/09/08 10:29:46.55 j8yi/rEsq
非常に大きな台風二十一号の後、北海道南西部 最大震度七の地震、被災された皆様方へのお悔みと、助け合って一歩でも前進され行かれる事を、遠方よりお祈り致します。
昔有った映画で、「日本沈没」を思い出します。日月神示を見れば日本を潰し日本から
始めるとか。ノストラダムスの預言でも人類滅亡の後 神を中心にした集落が、
一つ出来る事
何故かそう言う気風が強まっています。異常気象も今は異常気象でなく当たり前のようになってたり!大変ですね。お互いに気を付けましょう

三軒三軒の事で書きます。おふでさき註釈や天理教辞典には内分場所は内、中、外に
三十一軒ずつ、合計九十三軒有り、その内一ヶ所は辺鄙なところにあると書いてます。
その事、弥勒菩薩様に聞きました。九十三とは九十(たす)三で十二下りをつとめる神が出る事。辺鄙なところとは小牧市の小さなアパートである事。
そして前にも書きましたが内とは天理本部、外とは政子かんろうだい、中とは天理神之内分場所  中かんろうだいとして本部に納まる理合いを持ったところで、
今の天理本部を乗っ取るのでなく、神の古里へ帰り、天理本部を潰すのでなく
天理を全うする為に南無天理王が表へ現れたのです。

138:神之内分場所M
18/09/08 11:11:03.86 j8yi/rEsq
昭和六十年六月十日  午後二時四十一分
さあ/\どれがいかんかれがいかんとすっきり言わん
真実の神の言葉で思案せよ。第一長らえたる所、道の真をつとめる理甘露台一つの事情
誰の為とも言わんでな
道の駅理一つを心に持って思案して見や良く分かる。誰の為でも更にない
天理教徒一列の為となる理や教え置く。
天理教徒一例がしっかり思案をせにゃならん。
これまでの道よう/\の道すがら今日ここに到って何故 神之内分場所と言う道 天理本部の外に付けられたか 名所一点定められたか今迄にも中山みきの手で書き残された
ふでさきが その証拠の品として歌の文句で現して先の為にと残したる
これこそ道の宝となる神の残し置いたるもので有る
この道をどういう事に思うかな世界助ける真実の道
生まれ在所に帰る為 証拠になる原典を忘れる事のなきように説いて残した三つの宝
ふでさき、さしづ、みかぐら歌が道の為にと置いてある
いかなる人が残しても神の言葉に違いない。
いつのさしづもうたなるも これに間違いないと言て(ゆて)置く
神の出したる神のもの 誰のものでも更にない
しかとこのよに説いて置くぞや

139:神之内分場所M
18/09/08 11:14:16.96 j8yi/rEsq
訂正  道の駅理一つを→道の理一つを …です

140:神之内分場所M
18/09/08 12:13:26.58 j8yi/rEsq
訂正132お悔みと→お見舞いと…失礼しました

141:神之内分場所M
18/09/08 14:33:25.81 j8yi/rEsq
昭和六十年六月二十三日   午前二時三十五分
さあ/\みろく衆生再現の儀、いかに詳しく説くべきや
些少にして心にくもり有りたれば、何一つとて分かるすべなき
みろくとはいか�


142:ネる佛に有りたるか天地創造の神に有りたるば其の謎の紐説き致すなりこれすなわち天理なる成り天理とはいかなる事に候ふや和合一つの心にて正しく心身共に変わりなく神佛一体根の本、火水風自由用自在の働き有り、底の国に有りたる場、三千世界を助けたさ心豊か成る清らか成る精神やしなう道場にして、何人にあらず、いんねん有る者 皆引き寄せ給ふしかるに それなる人類皆我が魂に生まれながら天徳頂きたる者、早々にして心すますが先ず第一にて神と共に天理天道を歩む事なり。



143:神之内分場所M
18/09/09 10:39:45.34 I1XE2Nb1D
昭和六十年六月二十九日  午後五時十九分
さあ/\これまで談示々々と聞かせたれども 何を談示するべきか
この度の甘露台と言う事情 親族の事情と言うは何と心得て皆々居るか
 甘露台建て上げるには一列談示もせねばなろうまい
前々より聞かせあったは今の事なり。時旬が来たる事なり。えらい事ぞや。
天理の道 何故この長い年月続かせてあったか
現身を持って、人間(にんけん)姿で世に出て、天理の道の為に成るよう世界助けのきりなしふしんするが為にと杖と柱と成る神や
こらほどの深い思惑有るなれば、しっかり談示もせねばなろまい
今日の日は神がはるばる尋ねて来たる。しっかり談示合うての話合い
神の言う事 素直に成りて聞いて思案をしてくれる様
前々の言うて置いたる約束の この神が山々かけて巡れども、この事誠と聞く者が無くてこの道遅れたる
それ故神が急ぐのや。早く目覚めよ。天理教徒一例の為なるぞ
年限は百年祭で終わりなり。天理の道は終いなり。
路銀のさづけも理が切れて、すっきり助からぬ様に成ると言う
神が言うのや嘘で無い。しっかりせねば成らぬ事ぞや。

144:神之内分場所M
18/09/09 11:10:23.04 I1XE2Nb1D
教祖百年祭の諭達の中に「百と言う字の心は白紙に戻り一より始めるを言う」と言う下りがありました。
この言葉も神が言わせて有るのでしょう。
何を白紙に、天理本部を白紙に、神之内分場所を一より始めるという事です。今考えれば天理本部の末期が見えてました。
大教会長、教会長の自殺。或いは教会長の強盗など。世間で言う人の良い人がやってます。あの当時東西礼拝場建設で、多くの金を集めましたからね。そのご苦労もあったのでしょう。
あの神殿、本当に必要だったのでしょうか。
路銀のさづけとは、道の路銀と言って、旅に出る時に持って行くお金です。路銀は時と共に減って行きます。百年祭で切れご守護が無いのです。
次は末代のさづけです。

145:神之内分場所M
18/09/15 08:49:19.28 UlPlLoFc0
昭和六十年七月一日  午後五時五十七分
さあ/\屋敷と言う。屋敷どう言う事。屋敷は神の田地と言うた
鏡屋敷 鏡屋敷どんな影がうつりたか。四方正面の鏡屋敷。神の守護 お陰と言う。
そのお陰 神の自由用自在、いかなる所の事やとて一目で見える神である。
その神は天理本部のあの屋敷は神の田地や、生まれ在所、それ故に神の言う事良く聞いて、さしづどうりに通るなり
人間の言うが言葉と思うたら理が違うでな教え置く
だん/\の席を席を受けたるこの神や、千に一つも無駄はない。
間違ごた事は言わんでな。
早く治めよこの神を大和の天理に治めなくては天理失う事となる
これまでの天理に理が無くなりて神の世界と立て変わる。
これが誠に成ると言う。これもしっかり教え置く
神の教えに従うが良い。
末代迄も続く道にて仕立て行くぞや。

146:神之内分場所M
18/09/15 09:58:04.34 UlPlLoFc0
みかぐらうた 七下り目
ハッ やしきはかみのでんぢやで    まいたるたねはみなはへる
九ッこゝはこのよのでんぢなら      わしもしっかりたねをまこ
十ド このたびいちれつに        ようこそたねをまきにきた
         たねをまいたるそのかたは  こえをおかずにつくりとり
屋敷は神の田地と言うて有ります。現状はどうでしょうか。人間の田地、中山家の田地
本部の田地と化して崇拝の対象


147:物となってます。ふでさき十七号  九にんけんをはじめかけたるしよこふに    かんろふたいをすえておくそやにんけんと人間(にんげん)ふでさきは一字一句が大事でして濁点は埃を意味して有りにんけんとは神仏の魂を持った者、人間は埃を持つ我々で、ふでさきの中には人間(にんげん)を意味する歌も有り、それは人間を尊称して言って有ります。前後の句を詠めば、分かります。ですからふでさきの意味、にんけんをはじめかけたるしよこふで、決して人間を創った場所では有りません。人類発祥の地では無いのです。神の在所、神の発祥の地です。神に戻さなければなりません。おやさとと言います。おやとは神の事です。親神とも言います。神様の里でございますですから神の子である人間が、神が帰って来たら「おかえりなさい」と言うのです。たねをまいたるそのかたは  こえをおかずにつくりとり何と言う種を蒔いたのか?天理と言う種を蒔きました。そのお方は南無天理王の命です声をおかずに何を創り取るのか?かんろうだい世界でございます。百年も前から歌わせ踊らせてあるのです。教祖は三原典の解釈はされていません。今こうして弥勒菩薩が解釈されて居ます。



148:神之内分場所M
18/09/16 16:28:58.77 2+ExFrJEs
昭和六十年七月四日   午後零時十ハ分
さあ/\所々と言うて諭したる所 どういう所と思うて居るか。
年限追うて長らえて来たる所の名と言う。
これ神之内分場所と言うて道に先に楽しみの為に名所一点定めたる。年限の理甘ろ台と言うは皆々何と心得て来たるか。
これまでにも様思案もせねば成らぬと諭したる。今に成って今言うのでは更にない。
定めたる事聞かしてある
これまでの道長らえた道天理つとうて来た道や。何をとぼけて呆けて居る。
呆けたふりして神を騙そう思うても そんな事して騙される様な神では更にない
いかよにも神の言葉で説いて教えて残して有る。元の原典良く調べて見よ
神の残した言の葉通り一つの嘘も言わん神
何を楽しんでも道か。
神が人間姿を現して、神人和楽悦楽の陽気日暮らしさせたさの神の思惑そればかり。
 此の所来たいと言うて来れん屋敷、来たく無いと思うても神にいんねん有るなれば、
痛めてなりと悩めてなりと、此の所にと引き寄せる。
同じ事なら痛い目に合わぬ内から尋ねでよ。何で難儀をさすものか
前生からのいんねんでどうでもそれなるあしきいんねん払わにゃならん
神の真実誠の心、何時になりても変わりておらん。よろづ一列助けたさ
神の元にと引き寄せて年限の来たる迄にと、神の手の内仕込みたい。それも何故
この先に末代迄の結構なさずけをしかと渡したさ。神の心がなぜに分からん
とやかく言うて居る間も、人々が神の手の内学び居る
早くに神を尋ねて来るが良い。一日の遅れと言うが千日の遅れと成りてしもうたら
悔むに悔めん事にとなる
これまでにもろうたさずけは理が切れる教祖の百年祭で終りなり。
教祖中山みき夫婦はもうこの世に再び生まれ出て、今は神と共々暮らし居る。神の元にと引き寄せて居る。生まれ変わりを教えたものが、生まれ変わらん様ではな
天理の教えは嘘に成る。
これが道理や天理なり。道理いがめて何に成る。
この道は神が付けたる所なり。これが確かな参り所(しょう)
神のさしづは間違わん。これこそさしづ道理の神の道。
これ疑えば何にもならん。後は悔む事すら出来んよに成る。
これが誠の事に成る。しっかり思案をするが良いぞや。

149:神之内分場所M
18/09/16 17:59:05.46 2+ExFrJEs
存命と言う事で書きます。天理教徒の方々は納得しにくいでしょうが、見て下さい。
明治のさしづには、書いてあります。

明治二十六年三月十九日   午前一時三十分
……前々の事情、もう一つの事情、言葉一つの事情、堅く頼み置きます
これは存命一つの事情、息の通うたる間と言う。これ遺言。
きっと/\存命の遺言、これだけ頼むで/\。
ファ丶丶丶済まんな済まん事や
けれど あちらこちら十分やで。どうも済まん、けれど又、春になりたら、春に勇んで
おくんなはれや。
さあ/\一寸説いて置くで……

この様に言われてます。息の通うたる間とは百十五歳で
ふでさきに   このたすけ百十五さいじょうみようと  さだめつけたいかみの一じよう
と言われ、この命でなくこのたすけです。寿命で無く定命です。定命とは南無天理王命
の命(みこと)が定めた年で、教祖が九十歳で現し身を隠されて後二十五年、飯降伊蔵と上田ナライトに天啓が出てました。その後は路銀のさづけで道が続きました。
これが息の通うたる間です。
春に成りて…教祖九十年祭の春、三月十五日に天啓が弥勒様に出てきました。
そして中山みき夫婦と共に生活されてます。
又、私の知り合いですが、かんろうだいに忍びこんだ知り合いとは違いますが(笑)
教祖殿の風呂場の裏に修養科時代、忍び行ったそうですが灯りは付けて有っても、物音一つしなかったそうです。
もしも教祖存命であれば今の天理教にはならないでしょう。中山家を存続させる為の方便なのでしょう。存命の証拠がありません。証拠があるなら出して下さい。もっと天理教も伸びてくるでしょう。
弥勒様のさしづに有るように生まれ変わりを教えた教祖が、自身は生まれ変わら無い
とは、可笑しな話です。信徒の方々は納得しないでしょう。
最近の天理時報は存命の教祖と書かれて無いようなので、本部も認めて居るのでしょうかね!本部が存命と言うなら、証拠を出して下さい。

150:神之内分場所M
18/09/22 10:47:02.11 ca7NJ4jj5
昭和五十二年九月十ハ日     おさしづ
さあ/\月日有りて天理という世界が有り、天理という世界有りていざなぎといざなみ有り。いざなぎいざなみ有りて、秀司政子という身の内有り。
身の内有りて、神の定めた甘ろ台と言う思惑有り。
神の思惑有りても、神の思惑有りても、神の思惑通り心を定める事が第一や。
さあ/\その心に実が有れば、神の方にも実が有る。
実といえば知ろまい。真実と言うは火水風の自由用 神の守護が有る。
真実の心の者には神の受け取りが有る。
それ故に誠の心に神がのって働く。
誠有れば神の方にも実が有る。実と言えば知ろまい。
実とは火水風神の自由用と言う。

明治二十年一月十三日   教祖御話
さあ/\月日が有りてこの世界あり世界有りてそれ/\あり それ/\有りて
身の内有り  身の内有りて律有り  律有りても心定めが第一やで。

さあ/\実が有れば実が有るで。実と言えば知ろまい
真実と言うは火水風。押して
さあ/\実を買うのやで 價を以って実を買うのやで

いざなぎいざなみとは教祖おやさまと夫善兵衛様です。

151:神之内分場所M
18/09/22 16:59:28.21 ca7NJ4jj5
昭和五十三年三月二十六日   午前七時二十分     おさしづ
さあ/\一寸知らし置くで、何を言うやと思うやろう
前々より話して有る道と言うは、こう言う事に成って来る
神が長い年限待ちに待ちていた甘ろ台と言うはこの事や
道と言うは思うように成るものではないで。思わぬ事に成って来る。
人間のまゝに成る道やないで
神が真実力を添えて連れて通りた たった一つの台で有る。
この台のうて何で道と言えるか、心に治めしっかりと道の為にとなりてくれ。
早くにな甘ろ台を世に出す事や。渡す直物有る故に甘ろ台より受け取るが良い。

つゞいて
さあ/\神の台と言うは、勝手になれるものではないで、
神が長い年限の間連れて通りた中に伏せ込んだる種、根で有る
この根深きたましい、埋もれて有ったは、神の定めた年限が有る。
それ故に神が説いたる、この助け百十五才定命と定めつけたい神の一条と残し置いたる
この話まさか忘れはいわすまい。
この深き魂のみろくぼさつと言う者、世に出し、一列の心をすます甘ろ台なり。
この台一つ見定めつけるも、皆の役目で有る
見分け聞き分けるとはこの事成るを言うてある。
しっかりと心に悟り尋ね出よ
よろづいさいの元の神、なむ天理王が諭し置く。一列しかと思案せよ。

152:神之内分場所M
18/09/22 17:11:38.82 ca7NJ4jj5
見分け聞き分けは、明治のおさしづの中に沢山、入ってます。見分け聞き分けとは、自分の目で見て、耳で聞いて我が心で嘘か本当か確かめよと言う事です。

153:神之内分場所M
18/09/30 10:15:09.91 tza6lI5cb
昭和五十三年十一月四日  午前七時二十分        おさしづ
さあ/\/\どうせんならん、こうせんならんと言うは 難しようなれど三年/\の間にはどうやら安心事情となりて目に見えて来る。
何かの事もよう治りて それよりあでやか一つの道と言うて
よう/\これまで難儀な処を通した たった一つの道の為皆々こうしたのやで
何程心で悔やんで見ても今となりては手遅れや
前々より筆先さしづ みかぐら歌と残し有るのや
筆の中あざやか一つの事情、道の為こうして残し置いたのや
道は広い広い道、どこから眺めても曇り一つも無い、にごりておらん
これから先というものは幾万たりと通れる道や
連れて通るぞしっかりと神の心にもたれつけ 一筋心に成りて来い。
いつ/\までもこの道は続く/\人の波
大きな波や人波や それもその筈 大かん道や本道や
皆一列の喜ぶ顔が神の目に今ここに見ているぞや
嬉しき事や満足や。ワハハハハハ……

筆先四号
 にち/\に心いさんでせきこめよ   はやくほんみちつけたことなら  七十六
  しんぢつにこのほんみちがついたなら すへハたのもしよふきづくめや 七十七
  五号
このみちをだん/\しといいくならば なんてもむこにみへるほんみち   ハ十ニ
六号
たん/\と心いさんでせきこめよ    はやくほんみちいそぎでるぞや        十七
 十七号
このみちをはやくみとふてせきこんだ さあこれからハよふきつくめや    二十三

154:神之内分場所M
18/09/30 11:02:47.40 tza6lI5cb
昭和五十三年十一月四日  午前七時五十ハ分   おさしづ
さあ/\/\なる時なら誰もする
ならん時にしてこそ効能の理と言ってある
みな/\の精神一つやで
成ってもならいでもやらして貰うという心が神にかなうのや
真実神に心添えてきてこそ道の人や
良い事ばかり望んでおって神にかのうていると思うても そうはいかん
道は今底に有る、下に埋もれて有る
早くに土もって持ち上げてこそ理にかなう
それでこそ大かん道となって来る
広い道にするにはな 皆一列の心意気  早く土もて道の為
もっこにのうてひのきしん  わしもはやばや土持や
それでこそ一荷の土なんほうの効能とも分からん  えらいことや
それでこそ万倍の理と神が言う、まだ有るならわしも行こ
夫婦そろうて一列が、勇む心に真実の神の自由用目に見えて、嬉しき事や有難き
事があらわれ助けられ、何時/\までも栄え行き末代までも古記と成って、
この世の続く限りの幸せを我が身に受けて花咲かせ良い実を結ぶ神の道
早く根を掘れしっかりと神が待ちいる嘘で無い
早く尋ねよ元の神なりなむ天理王なり
しっかりとこのよにといて諭し置く  一列しかと心せよ

みかぐらうた十一下り目
三ツ  みればせかいがだん/\と  もっこにのうてひのきしん

明治四十年三月十三日  おさしづ
一荷の土どういう事に成るとも何ぼの効能に成るとも分からん。
一つ心に成ってこれをしっかり

昭和六十一年ハ月二十一日
一荷の土何ぼうの効能なるやも知らずして何が木古も分からずに道の人には成れはせぬ

155:神之内分場所M
18/09/30 11:53:49.18 tza6lI5cb
昭和五十三年十二月十五日  午前九時ハ分     おさしづ
さあ/\これだけの事諭しても分からんと言うは神のさしづどおり通りておらぬ証拠や
そんな事で、どうなるぞ
何を思うての道か。教祖と言うて歌に歌って日を過ごし、教祖のひながためどうというて口先で人をたぶらかし神に やいば向けて天につばき吐きかけているも同じ事や
長い年限の中にたった一つの天の理を心に止めず何を思うて楽しんで通りた道や
なんたる事ぞ情け無い
道は先に成っても立つなれど人間は死するという事を心に治めていねば成らん。
どんな事有るとも知れん
その時に神の自由用受ける人、受けられぬ人皆一列心次第や
助かりするもしないのも、その心にて定めつくなり
その時に成りて神をうらんでくれるなよ
我が身勝手に通りたる成って来るのが天の理や
心通りに目の前にうつり来る姿ぞ、己


156:れが心の現れぞその時は神ものく。それで良いなら気ままに通れ。後の祭りと火も消えるなり。昭和六十二年四月二十二日   おさしづ天理教徒一列めん/\神のさしづに従わず我が意のまゝに通るなら、神に背を向けるのも同じ事、神にやいば向けるも同じ事何ぼ信心致したるとは思えても神に受け取るこころ更に無し何の自由用更に無いぞや明治四十年四月八日   午前六時手遅れ/\だめの諭しと言うたる。道は先になりても立つ内々や。何時どういう事出来るとも分からん人間というは死するという。生まれ更わり明治三十年十一月八日人間我が身から出したる 我が身からする事どうもなろうまいたゞ一時道一つ理心に一つ理人々我が身恨みという



157:神之内分場所M
18/10/13 13:48:13.13 BWI7MrfPw
毎月二十六日は本部と同じく天理神之内分場所でも月次祭です。
月次祭最中に 神さまからのおうたが出されますが、今迄の総計、約百万首程有ります
最新のおうたを書かせて頂きます

平成三十年ハ月二十六日
ふしんとハ  かたちのふしん  いうてない     神たてあげか ふしんなるそや
たてあげて  天りほんぶに  おさめなば   とうどところの  おさまりとなる
このことハ  ならぬさきより  いうてある    なってきたから  とくしんできた
このみちわ   せかい一れつ  たすけたさ     つけたるみちや   うちわけばしよ
このとこに  三つのたましい  すまいする    これもさき/\のぞみの一つや
このさきも  みな一れつを  たすけたさ      まだ/\みちわ  ながくにつゞく
これまでも  おおくの人をたすけたる      神であるそや  なむてんりわう
いらざらん  人のいうこと  なすことハ     けしてすなをに  うけるでないぞ
このことで  おゝくのまちがい  あとにてわ   なんぼなやんで  みたとてざんねん
しんじつを  さとす神なり   よくうけて     とくしんできる   これでたすかる
この神わ   よくのこころハ  もたんでな     かねで神をば  かえとわいわん
このみちわ  せかい一れつ  たすけたさ      つけたる神や   うちわけばしよ

158:神之内分場所M
18/10/14 14:18:17.82 XbObDzzoL
昭和五十三年十一月九日  午前ハ時二十分      おさしづ
さあ/\何もむつかしい事あらせん
神の思惑どうり通りて見よ。通りたならば成って来る/\のが天の理や。
今までに何よの事も説いて有る
今度現れた天の理を受けたる親にもたれたら、何不自由なきよにしてやろう
神の心にもたれつけと といてあるのも この時旬や
心もだん/\勇み来て病の根もうすれいき こんな事なら早や/\とすがれば良かった
しもた事したなぞと口々といゝ伝え国々までも鳴りひゞく大きな理やで
しっかりと神にもたれて 付いて来い。
神が言うのや。嘘でない。

明治二十年三月二十二日
今度無い世界を始めたる親にもたれて居れば生涯末代のさづけやで

みかぐらうた九下り目 二ツ
ふじゆうなきやうにしてやらう  かみのこゝろにもたれつけ

159:神之内分場所M
18/10/20 10:23:20.08 RipDmK1CV
昭和五十四年一月三十二日  午前八時十五分      おさしづ
さあ/\だん/\安心事情見えて来る
これ神の残したさしづ通りや
今日よりは理が高まりて栄え行く
世界成程の理という一つの理のため こうして来たのやで。
古い理は効能というたった一つの理がみな/\にさとせん
そんな事で何を楽しんで来た道か。心でしかと思案して先々の処 一列の心洗うて見よ
第一親がつけ元々の道 元に理がなくばなろうまい。
理なくば皆いずんでしまわねば成らん
そうなったらどうするぞ、道も立たんが身も立たん。
何を楽しんで来た道か。一つの理のため皆々こうして来たのや。
楽しんで/\長い道中道すがら余程退屈致したるやろう。
年限の内にはきっと世に出す。世に出たならどんな働きするかいまからしかと見ているが良い。
神のなす事する事がこんな事にと成るとは誰も心に思いなけねど、世界助けるには どうでもこうでも世に出す。世に出たらば神が働きせねばならん
どんな時でも働く神でなけねは この働きはでけはせぬ
みな一列一つに寄せておいて 越すに越せんその時は神の力がとものうて どんな中でも
救うてこさす。
それだけの力あるのが この神や
今に見ていよきっと分かるぞ
越すに越せんその時は、なむ天理王と唱えなば神の力が現れて一手一つにまとめて置いて さっとこさすぞ。
怖い関所がある程に。年限の内には必ず有る。その怖い処を救い上げるが神である。
目に見えぬ先の先から説き置いて それ見えたらばそれが神
神の力がともなわばどんな中でも通れる程に
しっかりと神にもたれて この先はいつ/\までも変わらじと心に治め通りなば きっと
救うて助け上げ、みなに見せる神の力を
越すに越せんその関所、神が必ずこさすから しかと見ていよ神のする事。
道のり余程隔てども神の方には見えて有る。
それ故説いて教え置くぞや
天火・火の雨海は津波で荒れくるう。神が言うのや嘘でない。

160:神之内分場所M
18/10/20 10:45:58.17 RipDmK1CV
前より続く     角目
明治三十七年三月二十九日   おさしづ
神の力は容易やない  どうなろとするで

明治二十一年十二月二十五日  午前一時三十分  刻限
一日の日がある/\と知らしたる処年明けたら えらい関がある 越すに越せん

明治三十一年十二月三十日     おさしづ
危ない道どうしたら良かろう 越すに越されん道ありたて案じにゃならんような道
神が連れて通りゃこそ通れる

明治二十一年十二月二十五日    刻限御話
年明けたらえらい関がある 越すに越せんという
えらい関は越すに越せんのその関は皆んなの心で皆一つに皆寄りて越す

ふでさき六号百十六
このはなし なんとをもふて きいている   てんぴ火のあめ うみわつなみや

161:神之内分場所M
18/10/28 09:41:53.24 ta5wj9HN5
昭和五十二年九月十ハ日  おさしづ
さあ/\月日有りて、天理と言う世界が有り、天理と言う世界有りて、いざなぎといざなみあり。いざなぎ、いざなみ有りて秀司 政子と言う身の内有り
身の内有りて、神の定めた甘ろ台と言う思惑有り
神の思惑有りても、神の思惑通り心を定める事が第一や。
さあ/\その心に実が有れば神の方にも実が有る
実といえば知ろまい。真実と言うは 火水風神の自由用の守護が有る。
真実の心の者には、神の受け取りが有る。
それ故にまことの心に神がのって働く
まこと有れば神の方にも実が有る。実と言えば知ろまい。
実とは火水風の自由用と言う。

162:神之内分場所M
18/10/28 09:54:23.56 ta5wj9HN5
続く
明治二十年一月十三日    教祖御話
さあ/\月日が有りて この世界有り 世界有りてそれ/\あり
それ/\有りて身の内あり 身の内ありて律あり
律ありても心定めが第一やで
さあ/\実が有れば実があるで。実と言えば知ろまい
真実というは火水風              押して
さあ/\実を買うのやで  価を以って実を買うのやで

いざなぎ いざなみとは 教祖中山みきと夫 中山善兵衛の事です

163:神之内分場所M
18/10/28 14:31:56.63 ta5wj9HN5
昭和六十年七月四日  午後五時三分
さあ/\これ神の自由用一人占めとはこれけしからん
前々より修理が声を聞かしたらこそ今日の天理が有るのやで
神の守護が有りたならこそここまで道を続かせたる
この理道の理甘ろ台と立つ神や
なむ天理王命と神名唱えて付いて来た。
今日の日は神は何でも言わねばならん。言わずに居ては分かろうまい。
この道の真を務める親神や。
天理の道何故この長い年月続かせてあったかよう/\の日を見てこれまでに尽くした
こうのうの理は十分満足さす処まで その結構は見せて有る。
その徳だけは付けて有る。
それ以上の強欲だけは 神は許すに許せん。
今の時旬いかにして道を通るべきか よく/\考えて見ても良く分かるやろう。
年限々々と聞かせて来た。年限の理いかに取り扱うべきや。
心で思案もせねばなろうまい
第一長らえての道すがら年限追うて今見えて来た理
現し身の神さしづを以って説き諭す。何を楽しんでの道か
何時迄下々ばかり苦しめて居る。
教祖の年祭ばかりを売り物にして下を苦しめ至る姿も見えている神
今に見ておれ我が身に難儀が振り掛かる
そんな事をも知らずして哀れなるかや 愚かなるかな
足元に火の付く事も分からずに欲の皮ばかりをば突っ張って我が身知らずの向こう見ず
何と残念おろかな事や
人のうらみ我が身に帰る。これも教えて説いて置こ。
神の言う事何も違わん。この日見るのも もう目の前や
早く改めせん事にや、その苦しみを見る事と成る
これに間違い無いと言うて置く。

164:神之打分場所M
18/11/03 14:00:27.19 85O8sQqnH
昭和六十年七月二十日  午前八時十一分    おさしづ
さあ/\これまでどんな道も通したで有ろう、通り来たで有ろう。
神の道と言うは続くが神の道  続かん事は道とは言えん。
中山家あの屋敷にいんねん有る神、屋敷は神の田地と言うた。
みろくぼさつの魂い身に受け、魂のいんねんを持って旬刻限の到来により、年限の切目
取り次ぐこの神や、なむ天理王とは このわしや。
皆々何を学んで来たる。たった一つの天の理や。 道に一つの宝なり。
国に一つの宝となる神
みろくぼさつや天の理を説いて苦労の道中は並大抵の事では無い。
人間の言うが言葉と思うなよ。皆神たるの言葉や。
これまでにも いかなる事でも言うて来た。
それなる神の言葉通り今この様に目の前に成って来たで有ろう、見えて来たで有ろう。
なむ天理王命と神名唱えてついて来た。
それなる神が人体以ってなむ天理王命を名乗り甘ろ台体位を持って天理の道の表に現われ今日に至って神之打分場所を定め その所より 神の思惑一切説き諭し居るなり。
心豊かにして神言きわまりなく胸に治め、しっかり聞き取り我が身成人なさしめて
世の人々を救い給う。
これ誰の為でも更にない。
天理教徒一列心して神の教えに従うべき。
これまで通り来て何も分からんと言うは誠真実なきにて受け取るすべなき
楽しみ一つがなぜに分からん
これ/\よう聞き分けずして この道だけは通られはせぬ。
人間思案を立て神の理尻に敷くと言う。
これ迄にもしっかり諭し来たる道の理なむ天理王命や
早く改めさしづ通りの道をあゆむよ。
これより通る所 更にない神が言うのや間違いない。
これより先は神の心にしっかりもたれ。違える事の更になきようここに一言教え置く。

165:神之打分場所M
18/11/10 11:02:38.08 ssDKG5CYC
昭和六十年七月二十一日  午後八時十三分      おさしづ
さあ/\これすなわち なぞの表現なればこそ、神がこの度現れて、謎の紐解き致すなり。それ故にすなをな心持つ人に説いて教えを致す神。
仏陀とは神の教えにそをた人、これすなわち仏の教えを広めた人間
これ王子と言うて、説いて教えは致したれども、これすなわち みろく衆生再現の儀
神と言うは男と成り女と成りて性別変わりて仏ともなりして現れ神の理 仏の理を説き
今尚 兜率天(とそつてん)にて其の説法して居る
これすなわち打ち分けて居る場所を指すなり。
なればこそ神之打分場所名所一点定めたる所こそ、人の心すます道場とも言う。
さあ/\人間凡夫の知恵では悟り取れまい。
何事も神のさしづに元付いて しかと成人するが良い。
さあ/\いかよにも説いて諭しをする神や仏なるぞや教え置く。
これまでは何か分からんなぞの紐 いんねんの糸につながれ致し居る。
よう/\にこの度世に出る時旬や、皆一列も心せよ。
神にしっかりそうたる人はけして難儀は掛けはせぬ。
先なるに良かったなぁと言える日を、きっとこの神付けるなり。
それ迄は決して心を倒すなよ。しっかり頑張れ道の為
人を助ける神の道。先成るにきっと手柄を致させる。
この神に付き来る人に幸せを、さづける神や徳さづけ神と共々陽気遊山をする事と成りて平和に暮らすなり。
これも見えてる神なれば一列心和に成りて道を進めて行くが良い。
神が付きそて通る道、道に障害更に無し。
しっかり見ていて進め行く。やがてたどるは天理なり。
今は道中半ばなり。これにて今日は筆ををく。

166:神之打分場所M
18/11/11 12:22:01.39 YC4jZ8/sF
昭和六十年七月二十九日 午前五時三十七分     おさしづ
さあ/\これまでの処 何よ運べど何にもならん。
無駄やと言うて前々より説いて聞かせて置いて有る。
さしづの中もとくと読めば良く/\分かる理や
年限も程のう間近に迫りつつ有る
神の残した言の葉は千に一つも無駄なる事は決して残して置いてない
理うけの声を頼りのこの教え、今迄皆々何を学んで居たることやら
年限の理/\と言うて言葉で誰しも語って居たれど、其の実 年限の理が何を意味して居る事やら、何を指して言う言葉なのやら 誰も分かりた者ぞなき。
いらざるふしんに力を入れて泣け無しの金を寄せ集め、人に苦労を掛けるばかりや
何が為にかたちのふしんに力を入れる。
天理の道と言うものは、教祖中山みきの百年祭で理が切れる。
それ故 これなる神が年限の切れ目の後をしっかり取り次ぎ役目を致すなり。
なればこそ年限の理をつとめる神が時旬待って 天理本部の表に現れ きっと人の心を見定めて渡す宝を胸に抱き、しっかり見る目違(たが)える事ぞ無き。
神のする事なす事に一つも無駄は更にない。
今なるは天理本部に神は住まいは致してをらん
なればこそ闇の夜や声を頼りについてこい。
夜が明けたなら成る程の理と一つの言葉も残して有る。
今なるは神は谷底住まいの日暮らしや。
人間と神と共に陽気日暮らし致し居る
これなる所 神之打分場所と言う。これも今に成って今急に定めたるのや更に無い。
前々のふでさきの中にしっかりせき込むと歌の文句で知らせても有る。
この神は一つの無駄も残してない。
(ふでさき二号 十六  このはなしなんの事やとをもている
神のうちわけばしよせきこむ)
つぎに続く

167:神之打分場所M
18/11/11 14:07:56.44 YC4jZ8/sF
続きます
神の名は、なわたまえ、はやくみたいとをもうなら  月日をしえるてゑをしいかり。
このよふにあしきをはらうてたすけたまへのなむ天理王命としっかり神の手のうち学ぶ
事をも教えて有る。
ころばぬ先の杖柱成りて、しっかり年限の理を美事につとめをはたす元の神実の神や教えをく。
誰が何事言をうとも神が見ている気をしづめ末代迄えも続き行く。
天理の道にと仕上げなならん。
神のする事なす事をきっと見ていよ今に分かるぞ
それ迄に真実誠を掛けて きっとだめの教えを致す成り
天理教山々掛けてだめおしを致す神なり教えをく。
だめの教えはこの事や。
これまでに聞かされて居た事忘れてしもたその人は早くめざめよ今がそれなる年限や
やがて百年祭で理が切れる。天理の道はをわりなり。
それ故神が急ぐのや。うっかり聞いていた人、天理失う事となる。
神の支配と立て替わる。神はここから立ち上がる。
その精神は出来て居る。早くしっかりするが良い。
いな事を言うと思うな。皆 誠、それ故先を急ぐ神。
その時は人数定めて役割をきっと致すぞ、今迄に積んだこうのう無駄にしな。
神が教えてやる程に、人間思案は持つでない。神の言うよにたしかする成り。
この神も天の理説いた一粒の種の芽生える時が来た。
あちこちと各宗派共この道に一つに寄せる時旬や。長い/\道中やった。
やっと日の目見る日が近づいた。
やっぱり良い種まかねばならん。一つも無駄に成らずにな、結構々々見る事と成る。
真実は誠と成りて目に見える。釈迦が世に出る時旬や。
みろくの世に出る時が来た。
なむ天理王命と唱えさせたもこのためや。天照大神と言うて来た、唱えさせたる時も有る

168:神之打分場所M
18/11/11 14:44:50.96 YC4jZ8/sF
 前に続く

元の神実の神とは何故か。
この元はくにとこたちとをもたりさま。時旬で名前姿も変えて来た。
なればこそ男やら女やら分からんと言うて居たのや教え置く。
神となり仏となりて世の中の人を助ける其のために、どんな中でも、
苦労をと思わず、今日の日まで、あちらそちらと道つとて、やっと思惑の日、目の前にと近づいた。
皆の者早く悟りを開くなり。聞き分けたなら我が身幸せ。
朝の日の出を拝む事にと成れる人なり。
天理天道を歩む人なり。これに間違い更にないぞや。

(ふでさき七号  七十二  なわたまへはやくみたいとをもうなら  月日をしへるてゑをしいかり   解釈ですが神の名は たまへの中にあると言う事で  あしきをはらうてたすけたまへ てんりわうのみことの座りづとめの中にたまへと有り、
その後に天理王命と唱えさせて有ります。
そして手をしっかりとは、神の手の内、しっかり学べと言う事で、天理教に出して有る
三原典、また弥勒様の出すおうた、さしづという神の手の内です。
又ダメの教えと言われます。ダメと言う意味は駄目と言う事と究極と言う二つの意味が有りますが、今迄が駄目で有り、これからがかんろうだい普請に取り掛かり究極の教えで有ります。人間支配の天理で無く、神支配の道にと変わらなければなりません。
どうぞご思案お願いします。)

169:神之打分場所M
18/11/17 10:28:53.75 VPNd7UWW3
昭和六十年ハ月一日  午前七時二十六分     おさしづ
さあ/\建家一條とも諭して有る。何と心得ているぞ。
前々のさしづの中にも説いて有る。
人間の言うが事やと思い居る。神の言葉やさしづ成り。
其の建家年限の理から建ちた物。誰の物でも更に無し。
神の御陰が有りたならこそ、神の声を聞かして来たらばこそ、今日のこの道天理が有るのや。皆一列もとくと聞け。
一人で出来たる様に思うたるなら理が違う。
この長い道中守り通した神の理分かりて居らん。
そんな事やで通理いがめて我が意のまゝや。何たる事か情けない。
前々より、それなる建家明け渡さにゃならん日の有る事は聞かして有る。
神が人間姿で以って現れる日の有る事も聞かせても来た。
神も人間共に地上で陽気日暮らしする事も、その証拠の品として、ふでさき、さしづ、
みかぐらうた この三原典が残して有る。
人の事やと思うなよ。道の為残し置いたる宝なり。
みろくぼさつ魂を持って世に出る人間の姿現す その証拠に、神の為にと残したる。
皆一列の為とも成る。神の言葉や、神のさしづや歌なるぞ。
かなもじの中にうたうた このうたに神のひがんが込められて居る。
なればこそしっかり読むよに教えたる。
そんな事我は知らんと思う人、天理失う事と成る。
人間の甘ろ台と言うのはな、なむ天理王に付けられた位なるぞや教えをく。
これが親神なむ天理王命や。この神を知らんと言う者は、これより先は神の守護、身に受ける事叶わざるにして これ我が身うらみと聞かしめて今日ここに一言神言きわまりなき教えに記すなり。
さあ/\これなる建家三軒三棟建てると言う事も神の言葉で聞かして有る。
今に成って今言うのでは更に無い。
前々よりの原典の中にしっかり説きをいて先に成る事言うて有る。
これなる所、神之打分場所と言うのも教祖中山みきの手をわずらわし、今日の日のため
ふでさきの中にしっかりそれなる名所忘れぬようにと うたの文句で残して有る。
その中もう一度さらいなをしをするが良い。
三軒の建家の三棟目、神之打分場所予の元と成るぞ。神は今ここに住居致しおる。
神の言う事千に一つも無駄は無い早く悟りて道に出よ。
二せんの道や二地の地場。
二世の本部や聞かせおこう。これに間違い更にないぞや。

170:神之打分場所M
18/11/17 13:47:56.35 VPNd7UWW3
前に続く角目
明治三十四年四月十八日(陰暦二月三十日)
別派に立って行け。建家一条はやしき中のもの
「その建家は別派に有ります。でも其の建家は庄屋敷の中に治る、中かんろうだいとと言うもので、南無天理王命で有ります。」

明治二十二年七月三十一日   (陰暦七月四日) 午前六時十七分
世界の道を以って あちらにもこちらにも本部や。
偽の本部やと言うて居る理聴かしたい。
「みかぐらうた九下り目 一つ  ひろいせかいをうちまわり  一せん二せんでたすけゆく
と有ります。一せん二せんわ一銭二銭ではありません。一宣二宣で広めると言う意味で有ります。人間の解釈には無理が有りす。
一宣は今の天理本部、二宣は別派の神之打分場所の事で有ります。
おさしづには偽の本部と書いてあります。が本来は二世の本部です。
おさしづは聞いた言葉を文書にしてあるので間違いが有ります。偽の本部をわざわざ聞かせてどうしますか?二世の本部は神之打分場所の事で、次に神支配の本部と変わる事で有ります。

171:神之打分場所M
18/11/23 10:44:05.13 x7pl0mGn2
昭和六十年八月十日  午前七時三十三分      おさしづ
さあ/\いかなる事情とて聞けばどんな事でも分かる理や
人間心理を立てて神の理尻に敷き詰める。
この道の理と言うは長らくの間楽しませて来た。
天理つとうた道すがら 神の打ち分け場所と言うて、道に其の元一つの根と言う、甘ろ台と言うて、人間姿で人神と成り表に現れてくる事は、前々よりのふでさきにその証拠が書き記し道の先の為にと残し置いたる。
神の言う事何も一つもうそは言うてない。
神之打ち分け場所と言うは、いかなる所分かり無くば知らせよう。
長い年限の間に時旬を待って、やっと神の念願かのうて、神が天理より外に現れ出て来た所、これこそ名所一点定め付け神之打ち分け場所と言う。
それなる所になむ天理王命は今尚住まいを致し居る。
これこそ古元と言うて居たる所なり。
このとこで谷底住まいの毎日や。
日々は寄り来る人にしっかりと神の手の内仕込みたる。
同じ事天理通るの心なら、神の教える手の内学べ。よろづ一さい説き諭す。
これこそ説法致し居る。
この所中山みきも引き寄せて、神と共々暮らし居る。
先所のいんねん有るがそれ故に、道の為、多くの財産投げ打って、妻のみきに使わせて
世の為人の為なるよう果たしてくれた功績は、今尚けして無駄は無い。
それなる中山善兵衛もその伏せ込みの芽がふいて、神の元にと又引き寄せて神と共々
暮らし居る。
十人のなかに三人か


172:たうでは  火水風ともしりそくと知れ。ふでさきのうたにうとたるこのうたはこれなる人の証拠や。何も知らずに口々にあくぞうもくぞう言いよるが、これが誠の事である。神が世に出た其の時は、おろかなるおのが心情悔やまなならぬ。このとこで まだ言うてない真実を詳しく説いて聞かすなり。これがまさしく神の打ち分け場所なるなり。こんな事知らずに何をぼけて居る。これが真のまいりしよたしかなるとこ二地の地場成り。道の人ならこれくらい知らんようでは何にもならん、神の用木に使われぬ。ましてこれより先の天理の道は、神の自由用受けづしていかなる人も通れまい。



173:神之打分場所M
18/11/23 11:57:35.37 x7pl0mGn2
(続きます)
これまでの長い道筋通れたも、神の自由用有りたればこそ、この先は神のさしづの分からん者に神の自由用伴なわん。
この理一つがどれほどに大切なるかがみな一列に分かりしてない。
しっかりしあんをせにやならん。ここがしやんのしどころや。
これも教えて説いて置く。早くしやんをしてかゝる成り。


ふでさき二号  十六
このはなしなんの事やとをもている    神のうちわけばしよせきこむ

せんしよのいんねんよせてしゆごふする    これハまつだいしかとをさまる 一号 七十四
「先所のいんねん有るがそれ故に………」と言われ有ります。
天理教では前生のいんねんよせてしゆごふすると、前生と言われますが、ふでさきには
せんしよと書いてあり、先所が本来の意味で有ります。
先所とは今から見た前の事で有り、天理本部の道すがらであります。
中山家に嫁いだ前川みきは、神がかりと成り、中山家の財産を投げ打ちました。
代々続いた財産を妻みきに使わせた夫善兵衛も、信仰心を持った方だと思案します。
みろく様からの天啓では教祖はいざなみで有りマリア様で有り、中山みきです。
そして夫 善兵衛はいざなぎで有りイエス キリストの魂です。

十人のなかに三人かたうでわ   火水風ともしりそくとしれ    六号 二十一
じゅうにんと読みますが、十とはタスとも言います。本部にタス人の事で、三人です。
一人はみろくぼさつでくにとこたちと をもたり様。をもたり様の体の中にくにとこたちが入り込んでいます。
後二人は中山みき様と夫善兵衛様です。
屋敷は神の田地と言うて、中山家或いは人間の田地に有りては、この天理通れないでしょう。天啓者が必要と言う事です。

174:神之打分場所M
18/12/06 10:27:07.00 j1Yv0/jxR
昭和六十年八月五日 午後零時十六分       おさしづ
さあ/\又々さしづ心一つ、理にそむかんよう。
さしづどういう理 神の言葉打ち出す所
これ分かり無くば説いて詳しく聞かせよう
いつにても並の人間なるの言葉と思て居たらば理が違う
誰にても聞き入れ無ければ是非も無い
神は無理にどうせと言わんでな。そこはめい/\の胸次第
心道理にしかと受け取る
かならずと神が見て居て付ける道。誰の為でも更にない
受け取るすじも千すじや。心一つの理に受け取る
先なるに悔む事すら出来ぬよに成りて後へは戻られん
人間が如何程かしこく有ろうとも、何になるかや この先も神が説かねば分かろまい
しっかり説いて聞かすで良く分かる
人間で出来る事ならやって見よ。
行き詰まりてぞ苦労して頭いためて先なるに何したのやわし達は、これも言う事すらも出来わせん。こんなあわれな事となる
神の言う事すなをに成りて聞かぬから これも見えてるこの神や。
今から説いて教え置こ
人間で出来る事なら この神はいらんものやと言えようが
道の為には杖柱きっとつとめるこの神や
いらんと言えば道は暗闇、一寸先は闇の世や。一寸先へも進まれん
これこそ天理の道は終わりなり
これが誠の事となるなり。

みかぐらうた
六ッ   むりにどうせといはんでな    そこはめい/\のむねしだい  七下り目
六ッ   むしゃうやたらにねがひでる    うけとるすぢぃもせんすじや   六下り

175:神之打分場所M
18/12/06 10:49:06.34 j1Yv0/jxR
昭和六十年八月五日  午後零時十六分   おさしづ
さあ/\又々さしづ心一つ理にそむかんよう
さしづどういう理神の言葉打ち出す所、これ分かり無くば説いて聞かせよう
いつにても並の人間なるの言葉と思て居たらば理が違う。神の言葉や
誰にても聞き入れ無ければ是非も無い
神は無理にどうせと言わんでな、そこはめい/\の胸次第、心道理にしかと受け取る
かならずと神が見て居て付ける道。誰の為でも更にない
受け取るすじも千すじや
心一つの理に受け取る、
先なるに悔む事すら出来ぬよに成りて後へは戻られん
人間が如何程かしこく有ろうとも何になるかやこの先も神が説かねば分かろうまい
しっかりと説いて聞かすで良く分かる
人間で出来る事ならやって見よ
行き詰まりてぞ苦労して頭痛めて先なるに何したのやわし達は、これも言う事すらも
出来わせん
こんなあわれな事となる
神の言う事すなをに成りて聞かぬから、これも�


176:ゥえてるこの神や今から説いて教え置こ人間で出来る事なら、この神はいらんものやと言えようが道の為には杖柱きっとつとめるこの神や。いらんと言えば道は暗闇、一寸先は闇の世や。一寸先へも進まれんこれこそ天理の道は終わりなりこれが誠の事となるなり。みかぐらうた六ッ  むりにどうせといわんでな    そこはめい/\のむねしだい   七下り目六ッ  むしやうやたらにねがひでる  うけとるすぢぃもせんすじや   六下り目



177:神之打分場所M
18/12/06 10:50:10.39 j1Yv0/jxR
昭和六十年八月五日

178:神之打分場所M
18/12/06 10:52:38.51 j1Yv0/jxR
昭和

179:神之打分場所M
18/12/09 09:15:34.04 SSXMcCE41
前の文章ネットの状況でおかしくなったようです。又 内分場所と間違えてたのを気付かないで載せてました。本来は打分場所です。

昭和六十年八月六日 午前三時二十九分       おさしづ
さあ/\さしづ一条紐説くと言う。みな/\何と心得て居るか。
さしづと言うは、何時のさしづも皆 同じ神の言葉やさしづなり。
誰が何事言をうとも、神が出したる神のもの
かるくあしろて神のさしづを尻に敷く
これから先と言うものは、なんぼ笑をとそしろうと、神の方には良く見える。
何ぼ遠くに離れよと一目で見える神である。尻に敷くなら敷いて見よ。
即座にそれなる理が現れる。心一つの現れが泣くも笑うも理が出る程に
目の前になって来る理で思案せよ。なって来た理で思案せよ。
したらばとくと良く分かる。己れなしたる心道理や。
なんぼ悔やめどどうにもならん。我が身うらみや教え置こ。
さあ/\いんねん有るが故から神が説く。この神も天の理説いた伏せ込みの種が芽生えて今日の日や。
月日の社と成る種は前生積んだ功徳や。これも一つの手本なり。
なむ天理王命と名乗り居るのもそれ故や。
我が身には甘ろ台の位いをも身に受けて居る親神や みろくぼさつの現れや。
皆一列も同じ事良い種のみを蒔くが良い。これも一つの教えなり
この先はどんな事でも説き諭す。誠真実有る人は神がしっかり教えの手をさしのべる
この神を私欲の為にあしらう人は帰る天の理心どうりや。
今から以って諭し置くぞや。
うかつに聞いていたならば成って来てから悔やまなならん。
これも教えて説いてをく。

180:神之打分場所M
18/12/09 10:41:07.28 SSXMcCE41
昭和六十年八月七日午前八時九分      おさしづ
さあ/\何も知らざる人間が神に逆らいはんぱつすれど先なる事を知らぬ故なり。
今日の日は何でも言わねばならんから このよに詳しく話し取り次ぐ
定かなる心で以って聞き取れば、如何なる神の言う事も何一つとて分からんで無し。
時旬の花と咲いたる甘ろ台人間姿現したなり。
それ故に甘ろ台人間一つ定めたる、こんなさしづも残したるぞや。
何時迄も知らぬふりしてぼけたふり。何をとぼけて至る事かな。
これまでの道のすがらは説いて有る。何時まで神にさからうべきか
元の原典良く見るが良い。その中に伏せ込んだるの天の理や。
天の理一つが分からんようで、何で天理が通れるものか。
この先に成って来る理で思案せよ。
よう/\ここまで連れて来た。神の真実この誠、受け取る人の心通りや。
早々と神の言う事聞き取りて、さしづ通りの道に出よ。
これまでにふでさきにても歌とて有る、神之打分場所なるぞや。
こらほどの所は外に一つとて更にないぞや予の元なるぞ。
この神はなむ天理王命や、まぎれもしない元の神実の神にそういない。
聖なる場所 神の道場とも言う。
いかよにも説いて諭しはするなれど受ける心に誠がなくば何を言うても分かる目はなし
何が為神の元にと引き寄せて居たる事かな分かろまい。
神の手の内学ばせて、まだ言うてない真実を説いて聞かせて仕込むなり。
しっかりと神の仕込みを身に付けた人、神の用木(き)と神が見定め神より渡す末代
までも、けっこうに続き行くさしづをしかと渡したさ。
これが神たる思惑や。早く悟りを開くなり。これ分からねば何にもならん。
こら程の大切なるのこの所たった一つの名所や。
この話何の事やと思て居る。神之打分場所せき込む。これが誠の事で有る。

明治二十一年六月二十三日(陰暦五月十四日)
かんろだい一つ人間定めてある。何でも一日ある、楽しみあるという事を治めて貰いたい。

おふでさき
このはなしなんのことやとをもている  かみのうちわけばしょうせきこむ 二号十六

181:神之打分場所M
18/12/15 12:23:48.92 v/hTbs/Cx
昭和六十年八月十日午前十時九分      おさしづ
さあ/\この道の理と言うは、何をほって置いても運ばにゃならん
こういう日の有る事も刻限話で聞かせても有る。
皆々何を楽しんでの道か。
神が人間姿で以ってなむ天理王を名乗り甘ろ台と言う位を身に受けこの世に現れて
来る事は その日有るのも説いて聞かせて その日の為に成る証拠も残して有る。
まさか知らぬなぞとは言われよまい。
ふでさき さしづ みかぐらうたと三つの証拠 この時の為となる物これ書いて残した道の為宝と成るのや教え置く。
その中に伏せ込んだるの天の理や。
知らぬなぞとは神は言わさん。
何時迄も強情張って居たるなら後は悔やまな成らぬように成り苦労をする事になる。
神のさしづと言うものは何時になりても腐らせて隠して居ても何もならん。
生きて世に出る時が有る。これが天理と言うものや
真実誠を言わねばならん時が来たぞや教え置く。
隠し通せるもので更にない。神が現し身を持ってこの世に出たからは見抜き見通し
するなれば いかな事でも一目で見える。
嘘の通らん世の中と言う。

182:神之打分場所M
18/12/16 06:36:55.77 GeVxrbw8p
 前に続く
明治二十三年十月一日
内々本席順序前夜刻限の事情願
しっかり筆取って置け。どういう者引き出すやら分からん。
余儀無きいんねん、ほのかのいんねん、
分からん時から何でもと尽した、心の理、いんねん三ついんねんどう成る。先ず/\の道、真実二つ三つの理、余儀無くいんねんは放って置いても成るやろう。
放って置いても退くに退かれん。ほのかのいんねんは良う成ったら行こうか、
楽しみ成ったら行こうか。何も分からん時から、何でもと運んだ心の理は真実の理、
人ともいう、一人の理という。これをよう聞き分け。
古き者に親が尽して子が尽す当り前、子が尽して親が何でもという心の理がある。
これから、要らん者にさづけを渡す。

183:神之打分場所M
18/12/16 12:27:27.54 GeVxrbw8p
昭和五十三年四月八日      おさしづ
さあ/\何も案じる事いらんで
神が長い年限の中に付けて来た道の中にたった一つの効能と言う理が残し置いたる
この理何程のものや分からせんで
神思惑の元の理、神が長い年限の間 伏せ込んだる種、天理の根である、深き理、みろくぼさつと言う。
この者一人、人間甘ろ台と言う この深き魂の者 世に出す為には、もんかたなき処より
神が教祖 中山みきに天降り、だんだん道付けてひながた見せて一列のめどうにと、
しな型なるもすえしも何故にこのよな事をなしたるか、みな一列に分かり無くば知らそう。しっかりと神の言う事聞くが良い。
神が教祖中山みきに天降りたる時、世界一列助ける為に天降りたる事いうてある。
みな知っている。
その人助けの年限いつから始まるべきや。
神に深い/\思惑あるは、教祖一坪四方より始め掛けた元治元年より、この助け百十五才定命と定め付けたい神の一條と、残し置いたる事、皆知っている聞いている。
先々忘れぬように書いた物残し置いたる、よう思案して見よ。
何事も筆の中から見えてくる。
神が百年も前にて書き残し置いたる筆先さしづ みかぐら歌と有るのや。
これこそ神思惑の甘ろ台世に出す時の時旬や。
しっかりと神の言う事わかりたら心に治め道の為、神の言うよにしかと通るよ。
早くにな神の元にと尋ね出よ。
神が待ちいる嘘で無い。早く悟りて道に出るよう神がしっかり諭し置く。

ふでさき
このたすけ百十五才ぢよみよと   さだめつけたい神の一ぢよ        三号 百
いままでにふでにつけたることハりが      さあみゑてきた心いさむで     十二号 四十四
このはなしどふゆう事にをもうかな    ふでのさきがなみへてきたなら    十七号二十四

184:神之打分場所M
18/12/22 09:31:09.12 vZNdJDifd
昭和五十三年四月二十五日
さあ/\/\どういう心こういう心みな知っているで。
さあというておゝといえばそれで良いのや。
心で応える処それで良い事あらためていう事やないで。
めん/\心どうりつなげ/\
たいそうな事すればみなめん/\心ににごり水そそぐ事になるで。
いかようつなげど心通りの理が出るで。
この道は神の道やでしっかりと心に治め通り行くなり。

185:神之打分場所M
18/12/22 09:42:56.50 vZNdJDifd
昭和五十三年四月三十日          おさしづ
さあ/\たいぎ/\心に思うなれどそうやないで。
尽くした理は神が見ている。何も心に止めるやない。
今までも神が言うたる事みな聞いている/\心に治めてくれ、人の為やないで、
みな我がの為や、心のつなぎやしかと分かるか。
人間は何時でも功能/\と思う。功能の理は神が与えるのやで、
この先なるというものは、心に止めるやないで、思うやないで、
心かなえば神が授ける。しっかりさとし置こう。

186:神之打分場所M
18/12/22 09:52:11.51 vZNdJDifd
昭和五十三年五月三日         おさしづ
さあ/\何事も人の事いうのやないで。
我が心から磨いてゆけば良いで。
人が良い人やなあというてくれてこそ、我が身も光が出る程に、
日々をしっかり成人する事や。
神の願いやしかと磨いて人の為にとなるのやで、
神からしっかりたのみ置く。

187:神之打分場所M
18/12/22 14:28:02.82 vZNdJDifd
昭和五十三年六月二十九日        おさしづ
さあ/\今までになによの事も みな説き置いたる。
その時旬早やこゝに来たりたる事、天理教徒一列なるにしっかりと知らし置く。
何故に時旬なるとさとするか。
神が天より天降りたる元一日の日がありた。
それなるも何故なると思いしや、
世界一列助ける為、もんかたなき処 、教祖中山みきに天降り、神の思惑とき置いたる
この助け百十五才定命と定め付けたも時旬なるぞ、
しっかりとこの事さとりしたならば、何分からん事あるものか。
神が言うのや嘘でない。
さあ/\心、心一つが真実や、誠となりて現れる。
良き事も悪しき事をもその心にて見分け聞き分けするべきや、神が言うのや嘘でないぞや。
しっかりと心に治め道の為、神の言うよにしかと思案せ。


明治二十年二月二十四日      おさしづ
百十五才 九十才これも分からん。二十五才不足、どうであろう、これも分からん。
どうしてもすうきり分からん。
故に二十五年を縮めた助けを急ぎ扉を開いて世界をろくじに踏み均しに出た神でのうて
この自由自在は出けようまい。

188:神之打分場所M
18/12/23 12:56:01.83 1qRUHvg+k
昭和五十三年七月四日  午前八時頃より      おさしづ
さあ/\日もだん/\つんで来た。年限も相当たって神思惑の日も近づいた
これからの道は神の思いのまゝに通るぞ
天理教徒一列が心しっかりするが良いぞや。
神思惑の楽しみある楽しみの元一日の日と諭したる。
それなるも何故なると思いしか、長い年限の中に神が楽しみある
何でもどうでも年限の内に、神の定めた思惑の親治めるという。
その楽しみ早やこゝに迫りたという
そんなものどうでも良いというて見たところが、これが神の思惑。
この先どうでも成る事なら仕方あろまい。
今目の前に成って来たる、見えて来たる。前々より神が百年先の事言うて置いたら必ず
その日のある事、筆に残し置いたる、これよう思案して見よ。
神は何にも無理な事一つも言わん。
神の定めた思惑ある故、この様に諭し居るのや。
それなるも何故なると思いしや。
世界一列助ける為、もんかたなき処より、教祖中山みきに天降りたる。
それなるも前々より天の理を説いておかれた、元の元の理を世に出す為なり。
その理みろくぼさつという。
その深き理、埋もれてあったは神の定めた年限がある。
その神の定めた時旬、此処に早や来たりたる。
これだけの事神が諭したなら 何一つとして分からん事あるものか。
この親こそ真の神の定めたる甘ろ台なり。
長い年限の中に順序通りて、その理刻み込んだる。
それが為ひながた出して、神の定めた本部の地場に甘ろ台の模型、品型据えしきも
その為なるぞ。

189:神之打分場所M
18/12/23 14:09:18.59 1qRUHvg+k
前より続きます

神がこのよに説いて聞かせたなら、神の思惑心に治め、しっかりと道の立つよに心せよ
これ分からぬようでは みな一列がいずんでしまわなならん日がある。
その時になって今まで神の道というてつくした理、水の泡にと消える日があり。
神が言うのや嘘でない。なって来るから神がとき置く。
目に見えん神の言う事聞き分けよ。
まだ見えぬ先の先から説き置いて諭し置くぞや心せよ。
これ筆先の花 月日親神なむ天理王なり。
さあこれだけの事諭し置いても分からぬというようならば、又神の元にと尋ね出よ。
しかと諭する嘘でないぞや。
早くにな尋ね出るのも我がの為しかと成人するが良いぞや。


明治三十三年九月九日      おさしづ
先の事知らしてある。後や先になる。
皆一つ調べてみよ、嘘はありやせん、皆先の事言うたる。
言うて置いたる事は年限の内には、どうでも出て来る。百年の先の事 言うて置けば、
三十五十の者は知ろまい。なれどどうでも出て来る。

明治三十一年五月十二日
紋型も無い処からこの道の結構と言う。元の理を諭さにゃならん。

おふでさき
いまなるのかんろふだいとゆうのハな    一寸のしながたまでのことやで     四十五

明治三十年七月十四日
ぢば証拠人間始めた一つの事情 かんろうだい一つの証拠雛形を拵え今一時影だけのもの言うて居るだけでならんから万分の一を以って世界ほんの一寸細道を付け掛けた

190:18です
19/01/02 03:34:06.66 WY93Ofugv
久しぶりに投稿します。

>>113>勢いがなく信者が次々にやめていく理由は何ですか?やはり末端教会・信者からお金をむしり取る体質が問題なのではないですか?果たして教祖は御在世中、信者を増やしお道が盛んになる方法を取ったでしょうか。むしろ、大和神社事件、大和神社のふしと足を引っ張る行為を高弟達にさせたでしょう。それは、広義には「ふしが栄える一つの理」といった理がある為であり、狭義には信仰していく人々が見極め見極められる証拠とためしの過程があります。つまり、正味とかすを分ける。それは、普請をするには道具がなければ造れないように神であっても道具がなければどうする事も出来ないので、その道具を選別する為です。周りにどうしようもない人がいる環境こそ澄んだ心を以って神についてきて、我が事を思う事なくたすけ一条で口と心と行いが同じ人が誠の人になり、それがたすけの実績に繋がり人が寄って来て盛んになる。その誠の人に出すお供えは誠になる。即ち、お供えでのお金は、出す場所によりけりなのではないでしょうか。信者は助かると思うから出すのであって助からなければ出しません。そして、信者からお金をむしり取った事例は直接には聞いた事はないですが、少々の名目を付けた上でのお金の要望はどの宗教もあることです。末端教会からお金をむしり取るのは、系統によりけりでしょう。問題なのはたすからないという事ではありませんか。基本さんが仰るようにお金を出してたすかるなら出したらいい。しかし、お金の多少で信心の真剣さを図る事や短絡的にお金に走るのは問題なのでしょう。



192:18です
19/01/02 03:45:51.31 WY93Ofugv
ここから人によって見解が分かれると思いますが、

私が思うに、教団は誠真実の人々が居れる規模の大きさが妥当であり、必然的に小さくなる。
そして、中で発生的な兄弟があっても身分の上下(123の序列)をつけるべきではない。
それから、八町四方神のやかたなのでぢばに寄り来る人々が多い状況が一番良い。しかし、すべての人が天理教信者になるのではなく、
来た者に対しては、ぢばから喜んで家に帰る人達がいればそれでいいのではないでしょうか。

それと天理教を信仰していれば幸せになるという勘違い、教祖はそんなことをさせないとか優しいとかメルヘンチックに捉えて信仰している方も
いらっしゃるが、刃を差し向けるのも神であり、教祖自身も現身を隠される前まで艱難辛苦の道だった。
教組が認めた本席もなる前苦労をして、なってからは刻限や本部の者の心違いで身上になり、苦労を一緒に通り抜けた妻を先に亡くし、
子供達も悶々と過ごした。秀司さんも教祖に神が天降る過程で足が悪くなり、教祖の言う通りにしないだけで亡くなり、
こかんさんも普通の人生を求めただけで亡くなった。そして、先人達は信仰しなければ命がない中で家族の不幸や貧しさ等の中を通った人が多い。

そして、今でも末端教会は貧乏な教会が多い。世間一般に昔の時代の貧乏と今の時代の貧乏の比率は全然違い、
そして医療技術の進歩、医療保険が整っているので万能ではないが病院で治療される方が多いので、身上を助けられる機会が減り、
それなら医療と関係ない事情を治めればと思うが天理教を信仰すれば事情のオンパレードであります。

初代と四代五代の苦労は比べものにはなりませんが、神と人間では幸せの価値観が違い、神の幸せの概念はどのような状況でも心の持ち方で得ることであり、
今生だけと考えてない。その上神から見れば道具として使われ、我が身を振り返る事なくたすけ一条であるからでしょう。

193:18です
19/01/02 03:52:15.42 WY93Ofugv
その上、何時まで信心したとても 陽気づくめであり、
教祖と本席の守り役で「末はたのもし、打ち分け場所」、針の芯、息のさづけ、肥のさづけ、
誠の人の増井りん曰く「この教えは楽しみ勇んで、陽気づくめで通る道でござります。」と言い、
その増井りんさんに教祖は「さあ/\着物、食い物、小遣い与えてやるのやで。長あいこと勤めるのやで。さあ/\楽しめ、楽しめ、楽しめ。」と仰り、

そして、教組が山中忠七さんに永代の物種を授け下されたように不自由しない(心配ない((案じない=陽気)))
一つに必要な物があるかどうかですが、それも「贅沢して居ては道付けられん」ように、
本席は物を大事にして始末した暮らしをしていましたが、ある時、すぐに帰るのに家の部屋の火(行灯)を消して出かけたので、
供の者が火を消さなくてもいいのにと言うと「私はこの世での徳を来生まで持ってゆきたいから、こうして火を消しておくのや」
と来生まで目した行いに徹していた。

そして、教団擁護や教団批判者、異端者、他が出るのもその人達がいるからであり、いなければその声もあがってこない。
それは、先祖や初めに信仰した人が純粋に助かった事に対して感謝しておたすけに回った人がいたからこそ存在している。
中山家も「もし不承知とあらば、この家、粉も無いようにする。」と脅迫された形で認めさせられ、苦労の道中を通った後で今がある。

親神中山みき様がもう一度人間を始めようとしても、それを否定するなら人間や家は存在してないと同じ事でもあるので、
初めの心を大切にして人を潰さないようにしたならどういった形でも尽した家系が続くように親神様の計らいがそこにあるのだと思います。

194:18です
19/01/02 22:34:29.97 WY93Ofugv
ハンドルネームを天理教Hに変えます。

久しぶりに覗いてみたら、天理教の事ではなく神之内分場所になっていて、放っておいたらしつこいほど投稿し続けている。
〔天理教社会学研究所 カインを糾す〕でなく〔天理教を糾す〕の内容になっている。
そして、以下の投稿を教理を知り尽くした基本さんが覗く掲示板に投稿することを迷っていましたが、
しかし、去年皆の前で話をする夢を見て、何を話すか迷っていた所、三下り目の解釈が書いているメモを手に入れ、
話の順番を聞いている所で目が覚めた。起きてから3下り目を改めて見ると

三下り目
一ッ ひのもとしよやしきの つとめのばしよハよのもとや
 日の本の庄屋敷(正味のある屋敷、生屋敷)のつとめ場所は世の元や

そして、解釈を「みかぐらうた語り艸 桝井孝四郎」で確認すると
「わしや人間はつれて行くことはできても、中山五番やしきは、どうすることもできまいやろうがな、そこに大きな台を建てるのやで」と、
かように教祖が仰せくだされまして、と書かれています。

※中山五番屋敷…中山家の元の地番で当時このように呼ばれていた。

195:天理教H
19/01/02 22:38:54.59 WY93Ofugv
人間甘露台を説く方に共通していることは、天理教の教会長や信者に、膨大なおさしづを主に論戦を挑んで、
教理が不勉強な人やおさしづに余り目を通してない人を論破して我の信者に取り込もうとすること。
だから、天理教の信者が集まる所でないといけないので、天理教や教団に対して批判をしている方が集まっている
天理教社会学研究所は絶好の布教場と思っていた。しかし、ブロックされたのでこちらに流れたということでしょう。

でも普通に考えれば、ここの掲示板は、カイン信奉者が多い天理教社会学研究所の読者は不愉快だと思うので僅かしか訪れない上に、
神之内分場所Mさんが難解なおさしづを並べているので、良くても斜め読みで読んでいる人はいないでしょう。
他に訪れる人は教理研究で基本さんから学びたい人、その様な人は三原典の基本を学んでいるので信じない。
後は偶々訪れたという人でしょう。でも全部合わせてもこの提示板の訪問総数は知れているのではないでしょうか。

他からの書き込みがほとんどないので人気のない掲示板です。ここでの教義・教理展開は無意味でしょう。
とんちんかんな投稿や感情的な投稿がないだけましですが。

基本さんは多忙な方で、外なる異端にはあまり反応されないと思います。基本さんと解釈が違う部分があるかもしれませんが、
人間甘露台の方が正当だと見ている方が誤解されたら困るので反論します。まあ全部読む方はほとんどいらっしゃらないと思いますが。

では、長文なので短時間の内の連投で書き込み禁止になるのを防ぐ為、日にちを分けて投稿します。

196:天理教H
19/01/03 00:08:44.39 8udh8Z7a2
神之内分場所Mさんは、本席のおさしづと渡邉秀子氏の啓示から一、二、三の印は、天理教本部→政子甘露台→神之内分場所と言われますが、
自分が甘露台と言っている天啓者は調べた範囲の中で以下の人達がいました。

〇ほんみち    (大正2年)  大西愛治郎→大西泰彦
〇天理三輪講 (昭和6年)  勝ひさの
〇政子甘露台  (昭和9年)  渡邉よそ
〇天理神之打明場所 (昭和12年) 山田梅次郎
〇天理甘露台  (昭和17年) 上野のぶ子
〇神一条打明場所(神一条教) (昭和17年)  米谷クニ
〇おうかんみち (昭和21年) 江上寿胤
〇ほんぶしん  (昭和37年) 大西玉→武田宗真
〇神之内分場所  (昭和51年) 渡邉秀子

63年の間に10人もいるのです。そして重なっている人もいるのです。無くなった団体もいます。
これだけたくさんの人が自分が甘露台であると言ってます。即ち、ほとんどが本席のおさしづや自分の啓示から解釈して
自分自身が正統であると言っています。天啓者だけにすれば他にもっと多くの人がいます。
だから、その中の一人を信用できるわけがないでしょう。

そして、この様な人達が共通しているのは、おさしづを主要な資料としている事だが、先に本席のおさしづがあり、
後からその中の一人のさしづを絡ませるのは後出しじゃんけんのように信頼性に欠ける。

197:天理教H
19/01/03 00:12:29.44 8udh8Z7a2
そして、渡邉秀子氏は、政子甘露台の渡邉よそ氏とは叔母 姪の関係らしいですが、
渡邉よその前生が中山みきの娘であるおまさ、ご主人の前生が秀司と天啓で出てますと言いますが、
おまささんは、教祖の前半のひながたを伝える貴重な存在意義はあり、嫌味を言って正味とかすを分ける「箕の役」でしたが、
酒ぐせが悪くて、その頃の人々から持て余し者で「ほこりの屋形」と言われていた人ですね。

秀司さんの生まれかわりは2代真柱です。2代真柱が生まれた時の本席の言動が証明しています。
それと誰々の生まれかわりで価値を見出そうとするおぞましさ、おふでさきの中に屋敷内の人に前生が道具、雛形であったとは述べてますが、
つとめ人衆は多くの用木の心を見てその中から親神様の思召しに叶う者を役割にすると述べてます。
教祖でさえ40年間、月日が心を見澄まされた上で天降ってます。そして、本席は前生が道具、雛形ではありませんでした。

つまり、それは前生のいんねんはあるが親神様は今生の心の在り方に重きを得ているのではないでしょうか。
天理教の教祖と関係なく人が助かっていく手段の一つ各宗教の教主が教える教義ならいいですが、
それを天理教の教組の存在が雛形で渡邉秀子氏が実物であり人間の地場だと言うのでしたら違います。

それでは、解ったふりでツッコミどころ満載やとおぼろげながら非難する訳ではなく、実際に一つ一つを挙げていきましょう。

198:天理教H
19/01/03 00:15:56.51 8udh8Z7a2
>>44-45

元治元年のつとめ場所棟上と115歳定命をかけていますが、教祖は「この普請は、三十年の見込み。」と仰せになり、
史実では其れに関わった本席が元治元年から数えで30年後明治26年に竣工した本席御用場に移っています。
これの意味するところは、「つとめ」と「さづけ」に関する事。だから、つとめ場所棟上と115歳定命の事柄は関係ありません。

199:天理教H
19/01/03 00:18:59.24 8udh8Z7a2
>>91
>教祖は「わしはひながたやで」と言われてる様に弥勒菩薩を出すが為のひな
>がたとなられました。本部は信者が道を通るが為のひながたと説きました。
>それは無理があります。教祖は神のやしろで有り天啓通りに通られただけです。

教祖は「わしはひながたやで」と仰られたのも、自ら歩んで助かる道を示され「どんな道も親が通りた道である」と仰っています。
親が子供たちが道を通るのに迷わない様に先に道を通ったのです。それは、山の中で道をつける事と同じであり、
その道がなければ遭難します。教祖は人間の親です。その親が子に解りやすいように自ら通る事によって見せたのです。
それがひながたと言うのです。

「をや一つの道、どういう道を通りたなあ」M22.8.12
「どのような道も皆々五十年の間の道を手本にしてくれねばならんで。」M20.陰5

200:天理教H
19/01/03 00:24:09.12 8udh8Z7a2
教祖は神の社になってから親神様であり、我が子である人間をたすけたい、成人させたいとばかり思う教祖しか存在しません。

にち/\にをやのしやんとゆうものわ たすけるもよふばかりをもてる (14-35)

その教祖は今も”ぢば”に居て皆が知ろうか信じまいか関係なく日々働いているのです。
だから、教祖は弥勒菩薩のひながたではありません。教祖は多くの人々を救済する仏教で言ったら弥勒菩薩でもあります。

ひながた”かんろだい”も石造りにたいして木製であるからであり、もし人間が”かんろだい”であるなら、
ひながた”かんろだい”も人間の形をしていなければならないでしょう。教祖直々に”かんろだい”の寸法を指導され、
そして、「このよふハりいでせめたるせかいなり」とかんろだい寸法の理もあります。

かんろたいすへるところをしいかりと ぢばのところを心づもりを (9-19)
このやしきかんろふだいをすへるのハ にんけんはじめかけたしよこふ (10-79)
にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや (17-9)

つまり、”かんろだい”とは、人間始めた元なるぢばに、その証拠として据える台で、人間の創造と、その成人の理とを現して形造っています。

このはなしどふゆう事であろをなら かんろふたいにひらばちをのせ (8-80)
人間に平鉢を載せるのですか?

そのうゑゝひらばちのせてをいたなら それよりたしかぢきもつをやろ (9-60)
成人したその先に、病まず死なず弱らずの甘露を授けようとしているのです。
それを形造っているのです。

そして、
このたいがみなそろいさいしたならば どんな事をがかなハんでなし (17-10)
「皆揃いさえしたならば」とお書きになっているので、複数の人間甘露台�


201:ェ必要なのですか?そうではなく、石造りの台が十三段全部揃ったならば、どのような願いも叶わんということはないと言う意味です。



202:天理教H
19/01/03 00:29:21.95 8udh8Z7a2
>>91
>昭和五十一年三月十五日(教祖九十年祭の年)朝六時頃
>五十代の女の人が目覚めたら白いカーテンの様な物があり一文字十センチ真四角位の
>大きさで金文字がゆっくりと
>「わがみにも うれしきことや ひのあたる  ときがきたぞや いましあわせに」
>コレが最初の天啓で 本人も びっくりして そこに有った紙と鉛筆で 歌を書かれました

教祖に月日が天降った時は、我が嬉しいとか日の当たるとか今幸せになるとか教祖の思いは、何一つ出てこないし、
月日も教祖自身に了承を取ったわけではないのです。そして、教祖の心には我を思う心なく子をたすけたい心しかありません。

203:天理教H
19/01/03 08:01:19.33 8udh8Z7a2
>>91 >>93 >>170
>明治二十一年六月二十三日
>甘ろ台一つ人間定めてある何でも一日ある楽しみあると言う事を治めて貰いたい。

人間甘露台を説いている方が良く引用されているおさしづでありますが、伺いのさしづの中に刻限のさしづを混ぜることはありますが、
おさしづ編纂をした桝井孝四郎曰く「おさしづとその時の事情とを切り離した時には、全くさとりの方向もつかないものも出来てくる。
だからおさしづは史実と言うものと切る事に出来ない関係がある。」と述べています。

例えば一例を挙げるなら、
「人が障りがあればあれほこりやと言う。どうも情無い。」(M22.10.9)
では、文言だけを見れば、身上の人をあれは埃が現れていると言う人は情けないと言った意味と捉えやすいですが、
そうでなくその時の事情を考慮に入れれば、本部の人達が刻限を聞き分ける事が出来ない為に現した身上を埃だと
片付ける事に対して情けないと仰った事だと分かります。

そして、
「かんろだい一つ人間定めてある。何でも一日ある、楽しみある、という事を治めて貰いたい。」

このおさしづは、明治二十一年六月二十三日(陰暦五月十四日)に、ぢばに於て分教会所設置の件を伺っているおさしづです。
当時としては、教会本部を東京で認可をもらっていたのだが、さかのぼること認可を貰う発端となったのは、
かぐらつとめを夜明け前の早朝にして、隠密に執行しようとした教祖1年祭が自然と参拝人が集まり、
大神教会の告げ口で警察によって祭典中止にさせられたことです。

204:天理教H
19/01/03 08:12:07.03 8udh8Z7a2
そこで明治二十一年三月九日(陰暦正月二十七日)に伺い「ふしからふしからの芽が出てある。こんな中から芽が出る。
一寸の芽は一寸取れる、すっきり取れる。すっきり掃除。」
 →大神教会の傘下からの脱却。
※明治18年から明治21年まで所属、4月10日の神道直轄天理教会認可で大神教会との関係がなくなる。
追て伺「十分道と言えば、世界から付けに来る。世界からろくぢという道を付き来る。」
 →こっそりかぐらつとめを勤めていたのを公の機関によって堂々と勤められるようになる。
天理教会設立の伺「どんな道も連れて通ろう。一つ理も立てよ/\。十分の理を立つものと、一つの所に日々一つの道を付けようと思う。」
 →ちばから許しだす天理教会の道。
又、教会設立を運ぶに付心得「一つ所本部々々。これまでも伝えてある。あちらも本部々々、どんと十分の所に行かんと、
思案々々。……ぢば一つ理は、独り立ち出来てあるのやで。今一時の所を変えて。」
 →ぢば以外に本部を置くのは、十分に治まらない。ぢばは他から許可をもらって成り立っている訳ではなく独り成り立っている所であるが、
一時的に別の場所で他からの許可をもらう。

天理教会設立認可出願先を飯田宅で会議して東京に決定。

明治二十一年三月十一日
清水与之助、諸井国三郎の両人、教会本部設置願の件に付東京行伺
「いずれの理一つの事情という。……幾重の道も連れて通る。」
 →いずれぢばに本部を移さなければならないが、どんな道も連れて通る。

明治二十一年四月十日 「神道直轄天理教会」東京府知事より認可。

親神様は本部をぢばに移して秋に天理教会本部開筵式で忙しい事を、
明治二十一年四月十七日 夜九時の刻限
「これまで秋を合図と言うてある。十分運び出来てある。こんな忙しい、世界も忙し年に、一度忙し刻限、
皆それ/\へ合図立て合い、刻限それ/\へも伝えて教えて置け。」で知らせ、

本部移転を、本席御障りに付おさしづ(明治二十一年六月三日 十時頃)から段々と、本席身上おさしづ(明治二十一年六月五日)で
日柄刻限外さんように、御諭(明治二十一年六月八日)で早くと仰られ、本席の御障りに付きおさしづ(明治二十一年六月二十一日)で、
せかされているのです。

205:天理教H
19/01/03 08:16:53.61 8udh8Z7a2
しかし、高弟達は”ぢば”に本部でなく分教会を設置しようとしたので

「かんろだい一つ」→元なるぢばを教える。
いまゝでハこのよはしめたにんけんの もとなるぢばわたれもしらんで (17-34)
このたびハこのしんちつをせかへちうゑ どふぞしいかりをしゑたいから (17-35)
それゆへにかんろふたいをはじめたわ ほんもとなるのところなるのや (17-36)

「人間(をたすけたいから)定めてある。」
こんな事はじめかけるとゆうのもな せかいぢううをたすけたいから (17-37)

「何でも一日ある、楽しみある、という事を治めて貰いたい。」
かんろたいすへるところをしいかりと ぢばのところを心づもりを (9-19)
これさいかたしかさだめてをいたなら とんな事でもあふなきハない (9-20)

ぢば定めから始まる一日であると言う事と楽しみ(案じるでない、治まっていく)という事を治めてもらいたいと言うおさしづがあるのです。

206:天理教H
19/01/03 08:26:59.46 8udh8Z7a2
そして次のおさしづ
明治二十一年六月二十七日(陰暦五月十八日)本席御障りに付伺
「一寸細々の道を許してある。これまで通り替わりてある。早く理を運び替え。一寸世界から押されぬよう、細々の道なら早くに運んで了え。」
 →天理教会は許してある。世間に押されない様に早く本部をぢばに運び替えよ。

明治二十一年七月二日(陰暦五月二十三日)午前六時
本席腹下るに付伺
「遠く/\の理は、一寸世界の理。神の理は、さあ/\一時ならん。一時の間にも、一時急ぐ/\処は急がねばならん。
急がいでも/\よい事を急いでならん。」
 →本部を東京に置くのは、遠くの理で世界の理。ぢばに本部を置く神の理とは違う。早く移転を急がねばならない。
分教会設置を急がなくてもよい事を急ぐでない。

右に付、教会本部をぢばへ引移りの事を押して願
「世界で所を変えて本部々々と言うて、今上も言うて居れども、あちらにも本部と言うて居れど、何にも分からん。
ぢばに一つの理があればこそ、世界は治まる。ぢばがありて、世界治まる。さあ/\心定めよ。」

明治二十一年七月三日(陰暦五月二十四日)
本席の御障りに付おさしづ
「本部々々、あちらも本部。変わる出ける残る理と、かんろうだい一つ、何にも分からんでない。出掛けたら見にゃならん/\。
第一の理が分からん。大層であろう/\。よう聞け。何でも道を出さねばならん。先ず/\このぢば・かんろうだい一つ、
何でも彼でも運ばにゃならん。どんな道、世界の道、ほんの気休めである。発端の道、何か急いで取り掛かれ/\。」
 →世界の道は気休めなのだが、ぢば・かんろうだい一つは、発端の道であり、この道は出さねばならない。

明治二十一年七月十一日(陰暦六月三日)
本部をおぢばへ移転するに付、奈良県庁へ届書にして宜しきや、又、願にして宜しきや伺
「この度皆世界から押されるから、一寸細い道を許したもの。どうでもこうでも、一つの道通らにゃならん。そこで早く/\道を運んで了え。」

207:天理教H
19/01/03 08:28:24.53 8udh8Z7a2
明治二十一年七月十三日
東京本局へ、奈良県への届を書し、添書頼みに行くに付願
「神一条の道を胸に治めて、世界の理を運ぶよう。まあ暫くの処と思う者もある。なれど神が入り込み守護をする。安心の道運ぶ。
道だけ早く早く運んで了うよう。」
 →暫く本部を東京に置いていればと言う者もあるが、その者に神が入りうまく事が運ぶように守護する。

明治二十一年七月二十三日
東京より届書の添書帰りて願
「さあ/\神一条の理は一夜の間にも入り込むなら、どうしようとままや。朝あちら向いて居るを、こちら向けるは何でもない。」
 →神一条の心で運ぶ事柄は、意に反する者を思い通りにするのは何でもない。

そして、同日(明治二十一年七月二十三日)に奈良県庁に天理教会所移転御届を神道管長の添書、東京府認可の写しなどを出願して、
即刻受理されたので、晴れて本部移転がかなったのです。
そして、明治二十一年十一月十一日(陰暦十月二十六日)教会本部開筵式で初めて公然とかぐらつとめが勤められたのです。
この日から三日間にわたる祝典は、お屋敷内は盛況をきわめた。

208:天理教H
19/01/03 16:29:14.87 8udh8Z7a2
なにもかもあきをあいづにみへかける よふきづとめにはやくかゝれよ (6-13)
明治八年にぢば定め、つとめが全体にわたって整えられ、それ以降つとめ人衆を揃えられた。
明治十五年に教祖は、「合図立合い、/\。」と仰せられ、一列澄ます為のかんろだい普請がかんろだいの石が没収、
そして、一列澄ましてに変更になり、たすけを急ぐ為に十月十二日から十月二十六日まで、
教祖自ら北の上段の間にお出ましの上、毎日々々つとめが行われた。即ち、善と悪が立合い。
そして、扉を開いて明治二十一年の秋に今までこっそりと(陰気に)勤めていたかぐらつとめが堂々と(陽気に)勤められたのである。

おふでさき第六号の執筆は、明治七年十二月(M7.12.1?陰M7.10.23?~陽M7.12.31?陰M7.11.23?)より
明治八年一月(M8.1.1?陰M7.11.24?~陽M8.1.31?陰M7.12.24?)までです。
その第六号十三は、一~十六で一区切りなので明治七年十二月中に執筆されたと思いますので、それから丁度十四年後、
数えで十五年後の秋、公然とかぐらつとめが勤められた。
たん/\と十五日よりみゑかける 善とあくとハみなあらハれる (2-44)

この様におふでさきの予言から数々のおさしづの刻限で旬を外さない様に史実へと繋がるのです。

親神様の神意にすぐに本部の移転があって、しかし、高弟達は、東京で認可してすぐに奈良に
本部を移せば世間からどのように思われるかも知れないその中で、とりあえず”ぢば”に分教会設置を伺ったのです。
そこで親神様は、かんろだいは一つであり、それはぢばに据えられているのであり、ぢば以外に本部を置くのは、
それはぢはに一つの理とはならないので、分教会を設置するのでなく本部をちばに移しなさいと仰っているのです。
それは、ぢばに一つの理があればこそ、世界は治まるのです。

それなのになぜ”かんろだい”が人間になる刻限を入れなければならないのですか?
前後のおさしづと史実と文脈を考えれば違うというところが解ると思いますが。
だから「かんろだい一つ(を)人間(に)定めてある」ではなく、おそらく「かんろだい一つ(据える所の”ぢば”は)
人間(をたすけたいから)定めてある」になるのでしょう。

209:天理教H
19/01/03 16:49:56.71 8udh8Z7a2
にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや (17-9)
このたいがみなそろいさいしたならば どんな事をがかなハんでなし (17-10)
それまでにせかいぢううをとこまでも むねのそふぢをせねばならんで (17-11)

石造りのかんろだいの完成が先ではなく、かんろだい(本元の真実)一条によって人々の心を澄ますのを先にしなければならないと言うことです。

あしきをはらうてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい
このかんろだいの部分のお手振りはかんろだいの形を現しています。

そしてそれが
いまゝでも今がこのよのはじまりと ゆうてあれどもなんの事やら (7-35)
太古の昔にぢばで人間を始められた事と同じく、天保九年、親神様がこの世の表に現れ陽気ゆさんの世界を初めていた。

いまゝてにない事ばかりゆいかけて よろづたすけのつとめをしへる (6-29)
つとめでもどふゆうつとめするならば かんろふだいのつとめいちゞよ (10-21)
はや/\と心そろをてしいかりと つとめするならせかいをさまる (14-92)
このよふをはじめかけたもをなぢ事 ないにんけんをはちめかけたで (15-54)
これさいかはじめかけたる事ならば とんなたすけもみなうけやうで (15-55)

それを目に見える形でかんろだいを建てて、そこを芯として、心を揃えてつとめをする事によって御守護を見せようとした


210:。それが、かんろだいの石の取り払いという迫害干渉にあって「いちれつすますかんろだい」から「いちれつすましてかんろだい」へとおつとめか変わり、人々の心を澄ましてからに変更になったが、それらを含めても明治八年六月二十九日(陰暦五月二十六日)のぢば定めが一日であり、月日が最初に中山みきに天降ったのもちばの所です。それから始まる一日であり、それぞれの人間がお道に出会い話をぢばで聞く事も一日であり、天理教教会の許可する事も、それは全てぢばから始まる姿であって、皆の心が伴って、それが治まっていく事に繋がっていくのです。



211:天理教H
19/01/03 17:13:34.48 8udh8Z7a2
>>95
>神が実の箱に入れて置いた事、みな知っている、聞いている。
>その中のもの外に出して、風を通さな、くさるもの、くさるような事で、なんぼ道やと
>言うていたところが、神が承知出けん。
>どんな山でも大風ふかして、一夜の間にも一列ろくじにならすには、山くり抜くより
>道は無い、

これと明治二十年三月二十二日(陰暦二月二十八日)二時 刻限御話と明治二十年三月十一日(陰暦二月十七日)午後十二時 刻限御話をかけていますが、
明治二十年三月二十二日のおさしづの「風は神や。風がかりもの無うては、箱に物を入れて蓋を閉め切りた如く、
腐ろうより仕様の無いもの。風がそよ/\あるので、半日や一日は送れるで。」は外に出して風を通す事でなく、
少しの風があればこそ腐らないと仰ったのです。それは多少の事情は、それは腐らない為の少しの風と仰るのです。

しかし、今は大風だがそれに歯向かえば自ら倒れる事になるので放って置き、「今までに教えたるは腹の立たぬよう、
何も心に掛けぬよう、心澄み切る教やで。」と仰せのように人から何か腹立たしい事や気にかかる言動を気にするなと仰っているのです。
史実でも教祖の御遺骸を一旦、頭光寺の中山家の墓地へ埋葬され今後の新墓地の話をされていて、
その過程で色んな問題や腹の立つような意見を聞いていたのです。

おさしづでの大風の用い方は、人間にとって感じる悪い例え話であり、おふでさきの直接指す「をふかぜ」と違うのです。
だから、おさしづの大風は山を刳り抜くためのおさしづと繋がらないのです。

212:天理教H
19/01/03 17:21:08.96 8udh8Z7a2
>>96
>仕事場/\と、言うた処で なにもわからん。
>神の話しを打分ける所 場所と言う。神の仕事場 よごれていては、なにもならぬで、そこであちらにこさし、こちらにこさし、
>やっときれいな仕事場にした。
>神の望む処で話しするのや。

仕事場は場所ではありません。

明治二十年三月二十五日 午前五時三十分 刻限御話
「心の働きを見て、心の尽したるを受け取りてあるから、やりたいものが沢山にありながら、今までの仕事場では、渡した処が、
今までの昵懇の中である故に、心安い間柄で渡したように思うであろう。この渡しものというは、天のあたゑで、それに区別がある。
この通りに、受け取りてあるものがある。それを渡すには、どうも今の処の仕事場と言うた事を消して、本席と定めて渡そうと思えども、
このまゝでは残念々々。さあさあ本席と承知が出けたか/\。さあ、一体承知か。」

真之亮より、飯降伊蔵の身上差上げ、妻子は私引受け、本席と承知の旨申上ぐれば、引続いて
「一寸頼み置くと言うは、席と定めたるといえども、今一時にどうせいと言うでない。三人五人十人同じ同席という。
その内に、綾錦のその上へ絹を着せたようなものである。それから伝える話もある。」

と仕事場から本席となる飯降伊蔵の事なのです。

213:天理教H
19/01/04 00:11:11.51 RgUl2cWNG
>>98
>明治二十二年十一月二日
>一、二、三の印を打ったら神一条の道
>「一、二、三とは百日のさしづで言われて有る三軒三棟の事です。ふでさき、さしづ、みかぐらうたは先の事を
>言われて有る予言書で有り、当時の事を台にして先のことを言って有ります。それも伏せこみの言葉でですね。
>伏せこみとは言葉の伏せ込みの事です。」

三軒三棟が建つ事は順序が成り立つ事でありますが、それは二の部分です。その二には真柱も含まれています。
三軒三棟の直接の意味は、「掛かり親子諸共親子諸共伏せ込んだ理、親子諸共の理、棟三軒の理」
つまり、親子諸共伏せ込んだ飯降家です。

一二三は、順序ですが、
明治二十二年十一月二日(陰暦十月十日)午後九時 本席身上障り願
「往還道通すと、どんと油断してどうもならん。長い間、道理上の道を通れとは言わん。何年々々の切りを切りて置こう。
さあ/\一二三々々々の切りを切りて置こう。一二三の印の間、世界の道理上で通る。道理上ばかりで通す。
……どうでもこうでも、言わにゃならん、聞かにゃならん、聞かさにゃならん。三つ理を。」

その三つ理は、
明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話
「まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。」
明治二十二年十一月九日(陰暦十月十七日)午後十時半 刻限御話
「遠く事情世界と言う。成らん事情を無理に通れ。長く事情やない。さあ/\まあ一寸今という今、もうこれ譬え一つの理を諭して、
もうこれ三年々々という理を諭し掛けたら、どういう事であろう。三年の理を待ち兼ねる/\。一寸一日二日三日つい経つものや。
三年と言えば長いように思う。一度定めた心は生涯という。」と「三つ理」は「三つ」と「三年の理」と同じであります。
明治二十五年七月二十七日のおさしづで「三年という、千日というて定めたる。千日先というはこうなる。三年以前に諭したる。」
があるように、つまり、三つ理は三年のひながたの道であり、一二三の切りは、三年の通りにくい道なのです。

214:天理教H
19/01/04 00:17:38.86 RgUl2cWNG
そして、一二三の印は、明治二十五年七月二十七日のおさしづで「一二三との印を打って尋ねる。」とあり、
それは割書で「前おさしづより一同決議の上左の項を分かちて願」と伺っているので前おさしづが解ることが一二三との印を打つこと同じであります。

その前の明治二十五年七月二十五日のおさしづを見てみると「一席という、又一席、又一席、よく聞いて事情に道があれば道がある。
理があれば理がある。支教会や支教会、分教会を題として、支教会出張所と言う。つゝまる処、一人とも言うであろ。
これまでの事情には、とんと分かり難ない。一日々々の理の治まり、一つ/\の道の理、どれだけ切なみ悩んで居るといえど、
何時なりと諭す。なれど、聞き分けにゃ何にもならん。高い所出ける、多く出来る。一時に聞かす。何ぼ尋ねたとて、
理に聞き分け無くば、納してあるも同じ事。悟りというは、幾重の理もある。一日勤まらん、二日勤まらん、三日勤まらん。今度は計られん。」

大意
別席の話をよく聞いて事情の中で用いれば道がある。それは理があることでもある。分教会を中心に置き支教会出張所と言うが
行く着くところ一人(教祖)と言うだろう。これまで皆は全然解ってない。一日一日の理の治まり、一つ一つの道の理を
皆がやりきれなくて悩んでいても何時でも諭す。しかし聞き分けなければ何もならない。明治政府から多く意見が出る。
それで何度もおさしづを伺っても理を聞き分けなければしまってある事と同じである。そして、悟りも多岐に亘る。
聞き分けできなければ一日、二日、三日と勤まらない。そうなれば今度の事情(本席が三日席御休みになり肩凝り付ける)はおしはかることができない。

215:天理教H
19/01/04 00:18:26.41 RgUl2cWNG
つまり、「一二三との印」は一日の理の治まり、一つの道の理を聞き分ける事が一つの印となり(一日?一年?の治まり)、
それを二日、三日(二年、三年)と新たに聞き分ける事が二三との印になる。それが神一条の道となるのです。
簡単に言えば刻限を出して一つ一つ組み合わせるように皆が聞き分けることです。

そして、それが一二三の切りの間は世界の道理上の道を通るが一二三との印を打って神一条の道を通り、
その三の切りの間を超せば「三年経てば、偉い事に成るのやで。」と仰るように、
史実でも明治二十二年から数えで三年後の明治二十四年に盛況を極め滞りなく教組五年祭が勤め終


216:えれ、翌年も教祖墓地改葬で各教会からの協力と多くの人がひのきしんに参加する壮大な光景であった。これ以後の教勢は目覚ましく躍進を遂げる事になります。



217:天理教H
19/01/04 00:23:44.14 RgUl2cWNG
追記 訂正?は、二重括弧です。

218:天理教H
19/01/04 00:26:10.54 RgUl2cWNG
基本さんの解釈は、二代真柱は復元の真柱であって、明治22年の刻限の123 123の切りの予言がある。
>>14 の 刻限で諭された内容 123で30年、最初の復元(増野鼓雪の青年会)、次の123で60年。
天理教教義は復元されました。それが天理教教典です。

即ち三十年で復元です。
123の切りが三十年でいくと教祖が扉を開かれて数えで三十年後(1916年)には、
内務省訓令で改められていた朝夕のおつとめが復元(あしきをはらうてが唱えられるようになる)。
それから三十年後(1946年)には、二代真柱が復元の徹底のためにふでさき講義や各地を巡教とそれぞれ復元しています。

どちらも、一、二、三とは百日のさしづで言われて有る三軒三棟の事ではありません。

刻限自体は、決まった理を知らす事情、当時の事の言っているなら、当時の事柄を先でこうしなさいと言う事であり、
何も伏せ込む言葉ではありません。むしろ解るようにしなければ「刻限遅れると皆遅れる。どきはきの道を通らにゃならん。」
となるのです。そして、おさしづを悟り様で甘いものでも辛いと言えば無意味なもの。

219:天理教H
19/01/04 00:31:24.56 RgUl2cWNG
>>99
>甘ろとは天啓のことです

違います。
かんろとは、仏教では、スッタニパータでの甘露の原語amataは「不死」という意味もあります。

「本草綱目」という本には、甘露というものは、膏のような露である。また瑞露と言ってめでたい露である。
また、天酒と言って天から下される御酒である。また神様の下さる飲み物、即ち神漿である。
「北史節要」「文徳実録」には、甘露が降ったと書いてあります。大和にも降ったと記録されています。                                            (おかぐらのうた 上田嘉成)

つまり、中華世界古代の伝承で、天から降る甘い液体とサンスクリット語の不死を同一視した漢訳仏典があり、
その後、日本でも空から降ってくる薬と言う認識があったのです。故に教祖は、「かんろ』の意味が解って受け入れられやすい環境で説いたのです。

つとめに天からかんろを降ろすとおっしゃる。肝心要のかんろとおっしゃる。その人によって寿命を違う、
その寿命の継ぎ目の肝心な時に継いでもらうのがかんろである。それで寿命薬である。
神様はかんろをやるとおっしゃる。しかし人の心の澄むまでは、かんろを与えても、出した手が引けぬ(手がしゃちこばって動かなくなる)。
しゃちこばれば恐ろしい神様やというて人は怖がる。それで話をよく聞かして心を澄まし切ってからかんろを与えるとおっしゃる。
                  (みかぐらうた語り艸 桝井孝四郎)

だから、かんろは寿命薬です。
かんろだいが完成したその暁には天から寿命薬であるぢきもつ(かんろ)を授けられ、教祖から各自の心を見定められ渡されるのです。

220:天理教H
19/01/04 00:31:58.48 RgUl2cWNG
死は誰にでも、必ず訪れます。そして、人間は誰しも死ぬと解っていても死が間近に迫れば恐怖があります、
それが若ければなおさらです、愛する者を亡くす辛さも持っています。その人間の心の叫びを執着心を捨てる、
極楽や天国に行く、来生や復活に思いをはせる事によって拭うてきた「死」に対する重い課題に対して、

神の心の真実は、
だん/\とせかいぢううをしんぢつに たすけるもよふはかりするぞや (4-36)
そのゝちハやまずしなすによハらすに 心したいにいつまでもいよ (4-37)
またさきハねんけんたちた事ならば としをよるめハさらにないぞや (4-38)
115歳定命を超えたその先の寿命を授けるための思いがあるのです。

221:神も仏も名無しさん
19/01/04 13:09:14.45 nIXrD742W
児玉健次教諭と、愛媛県伊予市の『濱田屋』の息子が「誰だってイヤだ!」
という意味のことを言ってきたが、
☆凄くモテるS川クンから中学の部活で「お前、かわいいんよ!」とか「こんなかわいい奴がこの世に存在してええん?!」
と言われたり、
☆小学校高学年で3人から好きになられたり、小学校2年生の3学期にモテるK下クンと友達でした。

なのに、「港南中学校にいた松尾多美子」教諭が「誰が相手にするんで!!」だの言い
【伊予高校】にいた【愛媛県松山市在住の冨田徳生】教諭が「誰もが鬱陶しいと思うとらい!!」「百人中百人が!」
と言い、その冨田徳生の
当時の同僚の『橋本(=堀川映子)』や古茂田は偽善者だからキレイごとを言いながら頭では冨田徳生と同じようにバカにしてた。←まともだったころのボクも知らずに!!!!!!!

【高校教師の橋本(=堀川映子】偽善者がバカにしてた【北橋やバカの山中】

☆本当にわかってくれた(無知じゃなかった)のは『戒田育子先生♪』『池田和子先生』『高田恭子先生♪☆』『神野正憲先生☆』♪、、。。
尊敬してたのは『福田尚睦先生☆♪』☆

222:神も仏も名無しさん
19/01/04 13:23:44.95 nIXrD742W
URLリンク(www.asahi.com)

URLリンク(www.tbs.co.jp)

URLリンク(www.fujitv.co.jp)

URLリンク(www.eat.jp)

223:神之打分場所M
19/01/04 14:44:32.54 Oy5R3Hbrv
カインは教理を知らず社会学上、問題提起して本部を改革しようとしています。
それも一つの道理でしよう。
色々書いて下さり参考になります。
今私は出先なので資料もない中ですが書かせて頂きます。
平行線になるだろうと思いますが、
明治二十一年六月二十三日
「かんろだい一つ人間定めてある。何でも一日ある、楽しみある、という事を治めて貰いたい。」
さしづは素直に読むことも大切では無いでしようか。
中に字を差し込むと違った意味になり、我が身勝手の解釈となりやすい。
でもさしづはその時を台にして先の事を言って有ります。意味がわからないように言って有るのです。そして先で分かるように。
高弟の桝井孝四郎が言われてもです。おふでさきのかんろふだいと言うもじは
かんろふたい(甘露婦体)かんろふ大(甘露婦大)かんろふだい(甘露婦台)かんろたい(甘露体)まだ有ると思いますが。
甘露とは天啓の事で婦人の体に天啓が降りる事を伏せ込んで有ります。
天啓で始まった天理教にどうして神様を治め無いのでしようか?
おふでさきにもありますが
このよふをはじめてからにないつとめ  またはじめかけたしかおさめる  と
でも此処に書いておきます。渡邉秀子様 昨年十二月三十一日に安らかに眠りにつかれました。齢九十八歳で今日がお通やです。

224:天理教H
19/01/04 20:10:12.40 RgUl2cWNG
>>209
>さしづは素直に読むことも大切では無いでしようか。
>中に字を差し込むと違った意味になり、我が身勝手の解釈となりやすい。

我が身勝手の解釈でなく、史実やおふでさき、おさしづから導き出した解釈です。
後での投稿についての反論は随時載せていきますが、出来れば神之打分場所Mさんの方から人間甘露台が正しい前程としてではなく、
客観的な共通の資料に基づき、根拠を示しながら反論して頂きたい。

>おふでさきのかんろふだいと言うもじは
>かんろふたい(甘露婦体)かんろふ大(甘露婦大)かんろふだい(甘露婦台)かんろたい(甘露体)まだ
>有ると思いますが。
>甘露とは天啓の事で婦人の体に天啓が降りる事を伏せ込んで有ります。

おふでさきの「かんろふたい」の「ふ」は、歴史的仮名遣いで現代仮名遣いに直せば「う」です。
他のおふでさきの語句も歴史的仮名遣いでお書きになっている所があります。
「ふ」を「婦」にする。それこそ我が身勝手な解釈ではありませんか?

225:天理教H
19/01/04 23:18:50.53 RgUl2cWNG
>>100
>三尺に六かく  又三十六人とは何でしょうか?
>決して大きさや人数を言われている訳ではなく、雛形としては良いのですが、
>それはあくまでも雛形で有って、伏せこみの言葉でございます。
>36で弥勒です。差し渡し三尺は対辺でも対角でも良し36の言葉が大事な
>ので有ります。つとめ人衆も36人とはならないでしょう。

三尺は三日三夜に宿し込み、三年三月留まった理。六角は人間はじまりの元六台。
36人もつとめ人衆すべてでなく「てをどり」6人6組で36人に当てはまります。
36の言葉が大事でなく3と6が大事なのです。
3は、身につく、三日三夜の宿し込み、三年三月留り、おさづけも三三三、おびや御供も三つ渡されます。
6は、六だいおさまる、6人6組、「六だい一つの理、それより理を始める」、
六台はくにとこたち、をもたり、くにさづち、月よみ、いざなぎ、いざなみのみことです。
実物のかんろだいの形こそ深い意味が込められているのです。

226:天理教H
19/01/04 23:21:53.36 RgUl2cWNG
>>102
>楽しまして、たんのう大きい木あるわ。
>>103
>たんのうを木はしません。たんのうするのは人間だけです。

初めに公刊されたおさしづも現在のおさしづ改修版も、「楽しまして、たんのう。大きい木あるわ。」
とたんのうの後ろには句読点があるのでたんのうと大きい木は区切ります。
即ち、普請の段取りをはじめる事により本席を楽しませ満足させなければならないと言う事です。

>大きい木一本では、普請も出来ません。

明治三十九年五月二十ハ日
木と仰せ下さる処、理の木でありますか、又は現場の木でありますかと申し上げ
「一本一本買うて、買おうと思えば大層であるけれど、買うて一寸切ってはつってすれば、十分の木出ける。」

大意
買い足して行こうと思えば大層だけど、大きい木一本を買って切って削っておけば、普請に十分の木が出ける。

そして、それが「一本の木から定約出けたら、一本の木から追々出ける。」先で多くの木を買い入れる事が出来るのです。


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