16/12/14 09:28:40.75 aEyBPhm6.net
「桜田門外の変は牛肉の恨みから」
江戸時代は、肉食が禁じられていましたが、例外的に、彦根藩では、元禄のころから、牛肉の味噌漬けを生産し、将軍家に献上してきました。
そして、時々、老中や諸大名にも贈呈していたそうです。
徳川斉昭も、贈られた一人であり、牛肉が大好きだったので、井伊家から贈られてくるのを楽しみにしていました。
しかし、井伊直弼が藩主になると牛を殺すことを禁止したので、贈呈されなくなりました。
そこで、度々、水戸藩から彦根藩へ、牛肉を贈るよう依頼しましたが、彦根藩はむげに断ってきました。
この食べ物の恨みから、水戸藩と彦根藩は仲が悪くなり、安政の大獄および桜田門外の変につながったということです。
この話は、吉田忠氏著の「牛肉と日本人」によると、明治になって、水戸藩の関係者が書いた「水戸藩党争始末」という本に
ある記述に基づくものだそうです。
さて、「水戸藩党争始末」に次のように書かれているそうです。
「水戸老公斉昭牛肉を好みたまい(肺結核になったとき、肉汁をのみ肉食をしだしたから)年々寒中に彦根より献ずる慣しなるに、
井伊直弼が埋れ木小舎よりいで彦根城主になりてより、これを一切拒む。再三使者をたてるも承知せず。よって老公じきじきに
井伊大老に営中にて頼まれる。にも係らず、お断り申し上げるとの答えなれば、老公きわめて不快に思召され、これより
(対外政策に関しても老公は、井伊大老に)いつも楯をつかれ」
佐野竹之介遺墨にも「君恥しめられれば臣これに死す」と激発して同志を募った経緯が述べられています。
私はかねて南千住回向院は、弾左衛門取り締まりで、皮剥ぎの人たちの墓所なのに、なぜその境内にずらりと桜田門の志士の墓が
並んでいるのか不思議だったのですが、こと牛肉から端を発したものとわかり、合点がいきました。